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生体情報研究系


感覚認知情報研究部門

感覚認知情報部門は視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象としている。我々の視覚神経系は複雑な並列分散システムである。そこでは数多くの脳部位が異なる役割を果たしつつ,全体として統一のとれた視知覚を生じる精巧な仕組があると考えられる。また網膜に映る外界の像は二次元であるにもかかわらず,その三次元的な構造を正しく理解するための仕組もそなわっている。視知覚におけるこれらの問題を解明するために,大脳皮質視覚野ニューロンの刺激選択性や活動の時間パターンと知覚,行動の関係を分析している。具体的な課題としては,

(1)物体の表面の属性(色や明るさ)が大脳皮質でどのように表現されているか,

(2)視覚入力がないところでも色や明るさが知覚される充填とよばれる知覚現象がどのような神経機構で生じるか,

(3)さまざまな向きの局所の輪郭の情報がどのように組み合わされて図形パターンが表現されるか,

(4)さまざまな刺激の中から特定の刺激を見つけて選択する視覚的注意の機構といった問題に関して実験を行なっている。


Fig.1

視覚一次野(V1)のニューロンの一部は受容野をおおう面の明るさの情報を伝えている。このサルのV1ニューロンは面の輝度によって活動の強さが変化しただけではなく,面のまわりの輝度によっても活動が変化した。このようなニューロンの活動の変化は知覚される面の明るさの変化によく対応している。異なる色の線は,受容野をおおう面の輝度が同じで周りの輝度が異なる刺激に対する反応の時間経過を示している。

Fig.2

輪郭線中の折れ曲がり刺激に対するサルV2野ニューロンの反応選択性。左上は折れ曲がり刺激のセットを表す。12方向より選んだ2本の直線成分をつなぎ合わせて作られている。右上は一つのV2野ニューロンの応答。反応強度を円の直径で表す。特定の直線成分の組み合わせ(つまり輪郭線の折れ曲がり)に対して選択的な反応を示す。V2野は下に示したように図形の輪郭線中の折れ曲がりを検出する最初のステップであると考えられる。


職  員

photo 教 授  小 松 英 彦  KOMATSU,Hidehiko
静岡大学理学部卒,大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了,工学博士。弘前大学医学部助手,同講師,米国NIH客員研究員,電子技術総合研究所主任研究官を経て平成6年10月から教授(併任),平成7年4月から現職。
専攻:神経生理学。
photo 助教授  伊 藤   南  ITO,Minami
大阪大学基礎工学部卒,同大学大学院基礎工学研究科博士課程修了,工学博士。理化学研究所フロンティア研究員,米国ロックフェラー大学博士研究員を経て平成10年1月から現職。
専攻:神経生理学。
photo 助 手  小 川   正  OGAWA,Tadashi
大阪大学基礎工学部卒,同大学院基礎工学研究科修士課程修了,工学博士。郵政省通信総合研究所研究官を経て平成10年4月から現職。
専攻:制御工学。
photo 助 手  郷 田 直 一  GODA, Naokazu
京都大学工学部卒,同大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了,博士(人間・環境学)。(株)国際電気通信基礎技術研究所研究員を経て平成15年9月から現職。
専攻:視覚心理物理学。
photo 非常勤研究員  鯉 田 孝 和  KOIDA, Kowa
東京工業大学理学部卒,同大学院総合理工学研究科博士課程修了,工学博士。平成12年4月から現職。
専攻:視覚心理物理学。




神経シグナル研究部門

神経シグナル部門(旧 液性情報部門)では,分子生物学的手法と生理学的手法を用いて,脳神経系における情報の伝達および統合のしくみを,分子・細胞のレベルから理解することを目的として研究を行っている。その一手段として,自然発症の遺伝子変異もしくは遺伝子改変モデル動物などを用い,分子の機能を正常コントロールと比較し,複雑な生体システムにおける分子の機能を明らかにしてきている。具体的には脳のスライス標本を用いて,神経回路の機能を系統的に検討している。また分子・細胞レベルからの神経回路理解に向けて,計算論的なアプローチなども導入しつつある。

Fig.1

現在行っている主に研究は下記のとおりである。

(1) 電位依存性カルシウムチャネルの分子的機能解析と異常により起こる神経変性疾患の病態解明

本チャネルの異常により,ヒト,マウスで小脳失調症やてんかんなどの神経疾患が起こることが知られている。しかし変異がいかに神経疾患を起こすかに関してはほとんど知見がない。われわれはいろいろな測定方法をあわせて用い,1分子の異常が脳機能にどのような影響を与えるかを検討している。

小脳の異常として失調症が現れるが,その発症には平行繊維からプルキンエ細胞へのシナプス伝達異常がもっとも深く関係していることが明らかとなってきている。また海馬や大脳皮質でも同様の解析を進めており,1分子の異常がどのようにして,てんかんを引き起こすのかということが次第に理解されてきている。

(2) 視床における感覚情報処理機構とその異常

視床は脳のほぼ中央に位置し,感覚情報を大脳皮質に送る中継核である。近年の研究で,末梢から脊髄神経細胞へどのように感覚情報がコードされるか,またその基盤にある様々な分子の存在が明らかとなってきたが,視床でどのような処理が行われるかに関しては知見が乏しい。

われわれは,視床の神経細胞に非常に多く存在する分子であるPLCβ4が炎症性疼痛に関係することを発見した。感覚情報の一つである'痛覚'に変化を来たすこのモデルを用い,視床神経細胞が行う感覚情報処理機構を神経回路のレベルで解明することをめざしている。

(3) 異なる2つのシナプスの間で見られる相互作用

神経細胞間の情報伝達を仲介するシナプスは,伝達される情報の性質により興奮性シナプスと抑制性シナプスに大別される。シナプスでは,興奮や抑制が通常一方向に伝達されまるが,最近,シナプス伝達は一方通行に進むだけではなく,逆行性の伝達や,異シナプス性heterosynaptic伝達をすることがわかってきた。われわれは,脳幹の下オリーブ核から小脳プルキンエ細胞へ投射する登上線維の興奮性伝達物質が,籠細胞から同じプルキンエ細胞に入力する抑制性シナプス伝達を抑制すること(脱抑制)を見出した。プルキンエ細胞を興奮させると同時に脱抑制を起こすことにより,小脳皮質のアウトプットを強化するという巧妙な仕掛けであると考えられるが,その分子的メカニズムと生理的意義を明らかにしようとしている。


Fig.2

図2 小脳プルキンエ細胞の活動電位の発火パターン
正常のプルキンエ細胞(左)では,規則正しい活動電位発火パターンを示すが,失調症のrollingマウスでは,途絶えてしまうパターンを示す(右)。

 


職  員

photo 教 授  井 本 敬 二  IMOTO,Keiji
京都大学医学部卒,医学博士。国立療養所宇多野病院医師,京都大学医学部助手,講師,助教授,マックス・プランク医学研究所研究員を経て,1995年4月から現職。
専攻:分子細胞神経生理学。
photo 助教授  宮 田 麻理子  MIYATA,Mariko
東京女子医科大学卒,医学博士。理化学究所フロンティア研究員,基礎科学特別研究員,東京女子医科大学助手を経て,2002年8月から現職。
専攻:神経生理学。
photo 助 手  山 肩 葉 子  YAMAGATA,Yoko
京都大学大学院医学研究科博士課程修了,医学博士。京都大学医学部助手,ロックフェラー大学研究員を経て,1991年9月より現職。
専攻:生化学,神経化学。
photo 助 手  佐 竹 伸一郎  SATAKE,Shinichiro
名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了,理学博士。三菱化学生命科学研究所博士別研究員,科学技術振興事業団CREST研究員を経て,2002年9月より現職。
専攻: 神経生理学,神経生化学。
photo 助 手  井 上   剛  INOUE,Tsuyoshi
東京大学大学院薬学研究科博士課程修了, 薬学博士。Case Western Reserve大学研究員,NIPS非常勤研究員を経て2003年7月より現職。
専攻:神経生理学。




高次神経機構研究部門(客員研究部門)

脳は長い生命進化の頂点にあり,ハードとソフトが渾然一体となったシステムである。脳を知ることは脳の構造と機能およびそのダイナミックな関係を明らかにすることである。このためには,脳の構造の形成原理,脳の神経回路網の機能原理,回路網のダイナミックな構造変換原理を実体としての脳を基盤に解明することが必要不可欠である。高次神経機構部門では,「記憶・学習」および「神経ネットワークの形成」の分子機構解明を目的に研究を進めている。具体的には,マウス胚幹細胞を用いた発生工学及び遺伝工学的手法により,中枢神経系の形成・機能に関与する遺伝子座を改変したマウス個体を作製し,個体レベルでの脳神経系の形成,シナプス機能および学習行動について解析を行うアプローチを採っている。

すでに,脳で発現するチロシンリン酸化酵素Fynの遺伝子座を改変した変異マウスの作成に成功し,これらの分子が哺乳動物の脳形成・行動制御に重要な機能をもっていることを明らかにした。また,シナプス可塑性に中心的役割を果たしているグルタミン酸受容体チャネル遺伝子のノックアウトマウスを作成し,NMDA受容体チャネルのε1サブユニットが海馬シナプスの長期増強と空間学習に関与することを明らかにした。さらに,グルタミン酸受容体チャネルのδ2サブユニット欠損マウスでは,小脳のシナプス長期抑圧とシナプス形成が障害され,運動協調機能が著しく低下していることを示した。これらの研究は分子生物学,発生工学,解剖学,生理学,薬理学,行動学を適用する総 合的アプローチであり,内外の研究者との共同研究も積極的に行っている。現在,得られた変異マウスの結果をふまえながら脳形成・行動様式を制御している新たな分子や分子メカニズムの解明を模索するとともに,計画共同研究により神経ネットワーク形成にかかわる遺伝子座変換マウスの作製を行っている。さらに,脳の部位や時期特異的に遺伝子および機能分子を制御する方法論の開発と学習・記憶の分子メカニズムの解析を進めている。


職  員

photo 教 授  八 木   健  YAGI,Takeshi
東京都立大学理学部卒,日本赤十字社退社,千葉大学大学院理学研究科修士課程修了,東京大学大学院理学研究科博士課程修了,理学博士。理化学研究所基礎特別研究員,生理学研究所助手を経て,大阪大学大学院生命機能研究科教授。平成12年10月から生理学研究所客員教授併任。
専攻:生物学。
photo 助教授  後 藤 由季子  GOTOH,Yukiko
東京大学理学部生物化学科卒,東京大学理学系研究科生物科学専攻修了,理学博士。日本学術振興会特別研究員,京都大学ウイルス研究所助手,Fred Hutchinson CancerResearch Center研究員,Harvard Medical School/Child-ren's Hospital研究員を経て平成11年3月より東京大学助教授。平成14年9月から生理学研究所客員助教授併任,平成15年4月から国立遺伝学研究所客員助教授併任。
専攻: 生物学。
photo 助 手  平 林 敬 浩  HIRABAYASHI,Takahiro
昭和和大学薬学部卒,昭和大学大学院薬学研究科修了,薬学博士。昭和大学共同研究施設助手を経て平成14年9月から現職。
専攻:分子神経生物学。
photo 非常勤研究員  金 子 涼 輔  KANEKO, Ryosuke
大阪府立大学農学部卒,京都大学大学院農学研究科博士課程修了,博士(農学)。平成13年5月から現職。
専攻:生物学。




情報記憶研究部門(客員研究部門)

本部門では,「ES細胞及び神経幹細胞の分化・発達と再生・再建医学への応用」というテーマと「陽イオンチャネルの機能解析」というテーマで研究を行っている。

高齢化社会となった今日,いろいろな脳機能障害で悩む人が増え,障害脳機能を神経移植によって再建しようとする再生・再建医学が注目されている。神経幹細胞 は,EGF/FGF存在下の無血清培地中で無限に増殖し,年単位にわたって自己再生能を維持する。大量に調整することが出来るので,神経移植における有力なドナー細胞候補である。しかし分化の段階で,大半の神経幹細胞はニューロンでなくグリア細胞になる。したがって,(1)グリア細胞でなくニューロンに分化させる手だて,さらに(2)ドーパミン,GABA,コリン作動性など,目的とする表現型のニューロンへ分化させる手だて,の研究が必要となる。

われわれは,神経幹細胞の分化に外部環境因子が大きな影響をもつことを明らかにした。胎仔ラットの中脳腹側部から得た神経幹細胞を,EGF/FGF存在下で増殖させ,片側パーキンソン病モデルラットの両側の線条体に移植すると,正常側の線条体より,ドーパミン入力を欠如した側の線条体で,より強くTH陽性ニューロンへ分化した。これは,ドーパミン入力を欠如した線条体の環境が,中脳神経幹細胞をドーパミンニューロンへ分化させるのに適していることを示している。すなわち,内因性の遺伝子プログラムに,外因性の環境因子が作用し,分化が完成する。

ドーパミン入力を欠如した線条体には,bFGF,GDNF をはじめとする種々の栄養因子,レセプター,サイトカイン等のメッセージの発現が高まっている。これらの中で,プライオトロピン(PTN: FGFと同様にヘパリンに結合する成長関連分子)は,ドーパミンニューロンの生存維持を高めるだけでなく,ES細胞から調整した神経幹細胞のドーパミンニューロンへの分化を強く促進することを明らかにした。

このように,ES細胞及び神経幹細胞からドーパミンニューロンへの分化・発達機構の解明と神経細胞細胞の移植による脳機能の再建を目指している。

神経科学分野への分子生物学的手法の導入により,電気生理学的手法や薬理学的手法で同定されていたチャネルや受容体の遺伝子レベルでの同定が急速に進んだ。更に近年では,電気生理学的手法や薬理学的手法では未だ記録されていない分子も同定されてきている。例えば,陽イオンチャネルである受容体活性化TRPチャネルは神経細胞に存在することは示唆されているが,その選択的薬物がないため神経細胞から同定された電流として記録されていない。そこで,先ず,これらの分子を組換え発現系で強制発現させ生物物理学的機能解析を進めている。この知見をもとに 神経細胞から陽イオン電流を記録し,この陽イオン電流がどの受容体活性化TRPチャネルと対応するかを決定する。最終的にはTRPチャネルによって形成される陽イオンチャネルの生理的機能を解明することを目指している。また,陽イオンチャネルをターゲットとした新薬開発のための基礎的データを提供することも目指している。


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図1.ラット中脳神経幹細胞の増殖(左)と分化(右)。 図2.中脳神経幹細胞は,正常の線条体(左)よりドーパミンを欠乏した線条体(右)に移植した方がより強くTH陽性細胞(ドーパミンニューロン)に分化する。


職  員

photo 教 授  西 野 仁 雄  NISHINO,Hitoo
和歌山医科大学卒,医学博士。富山医薬大助教授,生理学研究所客員助教授を経て,名古屋市立大教授,名古屋市立大院医学研究科長。平成12年4月から生理学研究所客員教授。
専攻:脳神経生理学。
photo 助教授  若 森   実  WAKAMORI,Minoru
九州大学歯学部卒,東北大学大学院医学研究科修了,博士(医学)。シンシナチ大学博士研究員,助手,生理学研究所助手,鹿児島大学医学部助教授を経て,京都大学大学院工学研究科助教授。平成14年4月から現職。
専攻:細胞生理学。




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