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発達生理学研究系

認知行動発達機構研究部門

認知行動発達機構研究部門では脳による運動制御,特に眼球のサッケード運動系及び手指の物体把持(grasping)運動について大規模及び局所神経回路の構造解析,神経活動による情報のコーディング,さらには損傷時の機能代償機構を研究している。

1.眼球のサッケード運動系
サッケードは我々が「よりよく見たい」と思うものを注視するために行なう素早い眼球運動である。その反応時間や軌道,正確さは「注意」の影響を優れてよく反映する。我々はサッケード運動系に対する「注意」などの高次脳機能による修飾作用の神経機構を以下のような実験系を用いて多角的に研究し,分子レベルから個体の心理・行動までをつなげる統合的な研究を目指している。特にサッケード運動を制御する重要な中枢である中脳上丘を中心に研究を進めている。

(1)マウス,ラットの脳スライス標本(主に中脳上丘)におけるスライスパッチクランプ法を用いた電気生理学的解析。特に異なる層の間の相互作用,高頻度バースト発火の生成機構,GABA作動性抑制の機能的意義,NMDA受容体の機能,アセチルコリンによる修飾作用など。

(2)麻酔下動物(ラット,サル)における上丘,大脳皮質をめぐる大規模神経回路及び上丘局所神経回路のシナプス機構の解析。

(3)遺伝子改変マウスを用いたサッケード運動の解析によるサッケード制御回路の分子機構の解析。

(4)覚醒サルにおける電気生理学,薬物微量注入法を用いたサッケード制御系の動的特性の解析。

(5)大脳皮質一次視覚野損傷後のサッケード運動制御機構の解析を通じた「膝状体外視覚経路」の機能の解明。

2.手指の把持運動
手指を1本1本器用に独立して動かす動作は霊長類において最も高度に発達した運動である。従来このような手指の器用な運動は,進化において霊長類において初めて現れてくる皮質脊髄路細胞から手指筋の運動ニューロンへの直接結合によるものと考えられてきた。しかし,最近我々は霊長類において皮質脊髄路から手指筋運動ニューロンに至る経路には直接結合のほかに頚髄の介在ニューロンを介する間接的な経路も存在することを明らかにし,さらに直接経路を切断し,間接経路のみを残したサルにおいても1‐3週間の回復期を経て器用な物体把持運動(precision grip)が可能になることを見出した。このことは脊髄介在ニューロン系を上手く使うことで相当レベルにまで機能代償を行なうことができることを意味しており,リハビリテーションの可能性を追求する上で重要な知見である。さらに我々はこのような機能代償が脊髄のみの局所的な可塑性によって起きているのではなく,大脳,小脳を含む大規模な神経ネットワークの中で学習と一部共通するメカニズムで起きていると考え,機能代償時の大脳皮質レベルでの可塑性について電気生理学実験,PETによる脳賦活イメージングや遺伝子発現の解析など多面的に解析を進めている。


Fig.1
(図1)頚髄C5レベルで側索の背側部を切断し,皮質脊髄路を遮断したサルの手術前(A)と手術後9日(B)の手指のprecision grip。

Fig.2
(図2)マウスのサッケード運動
マウスの眼球位置を我々の研究室で開発された高速度ビデオカメラによるon-line計測システムで計測する。中脳上丘の電気刺激でサッケード運動が誘発される。


職  員

photo 教 授  伊 佐   正  ISA,Tadashi
東京大学医学部卒,同医学系研究科修了,医学博士。スウエーデン王国イェテボリ大学客員研究員,東京大学医学部助手,群馬大学医学部助教授を経て平成8年1月から現職。
専攻:神経生理学。
photo 助 手  関   和 彦  SEKI,Kazuhiko
新潟大学教育学部卒,筑波大学医学系大学院博士課程修了,医学博士。国際武道大講師,米国Washington大学客員研究員を経て平成13年4月から現職。
専攻:神経生理学,運動生理学。
photo 助 手  遠 藤 利 朗  ENDO,Toshiaki
大阪大学基礎工学部生物工学科卒,同修士課程修了,総合研究大学院大学博士課程修了,理学博士,生理学研究所非常勤研究員を経て平成14年4月から現職。
専攻:神経生理学。
photo 助 手  吉 田 正 俊  YOSHIDA, Masatoshi
東京大学薬学部卒,東京大学大学院薬学系専攻博士課程中退,医学博士。科学技術振興事業団心表象プロジェクト研究員,科学研究費(特別推進)研究支援員を経て平成15年6月から現職。
専攻:認知神経科学,神経生理学。
photo 研究員  坂 谷 智 也  SAKATANI, Tomoya
東京大学理学部生物化学科卒,同修士課程修了,総合研究大学院大学生命科学研究科博士課程修了,理学博士,平成16年4月から現職。
専攻:神経科学。
photo 科学技術振興機構研究員  西 村 幸 男  NISHIMURA,Yukio
日本大学文理学部卒,横浜国立大学大学院教育学研究科修了,千葉大学大学院医学研究科修了,医学博士。平成15年4月から現職。
専攻:神経生理学,運動生理学。



生体恒常機能発達機構研究部門

発達後期には神経回路機能の再編成がおこる。これは既に機能している神経回路における現象であるため,しばしば行動,感覚やリズムなど個体の脳機能の大きな変化として表現される。

この発達期における神経回路機能の再編成のメカニズムを回路およびシナプスレベルで解明する。

さらに,この変化に対する個体環境/神経活動による制御機構を解明する。

また,外傷や虚血などの障害後には未熟期の回路機能の性質が再現し,回復期には発達と同じような回路機能の変化が再現される可能性について,種々の穿孔パッチクランプ法を始めとする電気生理学的手法や種々の方法で解析を行なっている。近年は,神経回路発達に対して特に重要であり,それ自体に著明な変化がおこるGABA作動性回路について,発達制御機構を含めて解明を進めている。

(1)成熟における代表的抑制性伝達物質であるGABA/グリシンは,未熟期にはシナプス後細胞に脱分極を引き起こし,直接および間接的に興奮性作用を示す。この発達に伴うGABA/グリシンの興奮性から抑制性極作用のスイッチに関して,細胞内クロールイオン調節機構の発達変化,およびその制御機構について検討を進めている。

(2)新たに見つかった神経回路の発達再編である「神経伝達物質自体が単一神経終末内でGABAからグリシンへスイッチする」メカニズムについて,神経終末内関連分子,制御因子や回路活動との関連などを多角的に解析する。また,なぜ未熟期にはGABAが重要であるのかを検討する。

(3)神経成長因子によるGABA受容体機能の修飾作用の発達変化を大脳皮質感覚野において検討しており,感覚入力による制御について検討している。脳由来神経成長因子(BDNF)は視覚野細胞において未熟期では膜表面GABAA受容体の急速な減少を引き起こすが,成熟期には増加へとスイッチすることを明らかにした。この変化と発達期における感覚入力との関連,および細胞内メカニズムの解明を進めている。

(4)障害後におけるグルタミン酸受容体やGABA受容体機能の可塑的変化について,NMDA受容体未熟機能再現やGABAの興奮性作用の再獲得のメカニズムについて,多角的に解析を加えている。

職  員

photo 教 授  鍋 倉 淳 一  Nabekura, Junichi
九州大学医学部卒,医学博士,東北大学医学部助手,秋田大学医学部助教授,九州大学医学研究院助教授を経て,平成13年11月から現職。
専攻:神経生理学,発達生理学。
photo 助教授  張   一 成 (ジャン イルソン)  JANG, IL-SUNG
慶熙大学薬学部卒,同大学修士課程修了。九州大学大学院医学系研究院修了,博士(理学)。日本学術振興会外国人特別研究員平成16年4月から現職。
photo 助 手  前 島 隆 司  MAEJIMA, Takashi
大阪大学基礎工学部卒,同大学院修士課程修了,金沢大学大学院医学系研究科博士過程修了,医学博士。日本学術振興会特別研究員を経て,平成16年4月より現職。
専攻:神経生理学。
photo 研究員  渡 部 美 穂  WATANABE, Miho
早稲田大学人間科学部卒,同大学院修士課程修了。日本医科大学大学院医学研究科修了。博士(医学)。平成16年4月から現職。
専攻:神経内分泌学。
photo 科学技術振興事業団研究員  北 村 明 彦  KITAMURA, Akihiko
広島大学理学部卒,同大学院理学研究科修士課程修了。大阪大学大学院医学系研究科博士課程単位取得退学,医学博士。科学技術振興事業団研究員,信州大学医学部助手を経て,平成16年12月から現職。
専攻:神経生理学。



生殖・内分泌系発達機構研究部門

ヒトをはじめとする動物生体は,内的ならびに外的環境の変化に即応しながらも体内の内部環境をできるだけ一定に保とうとする機構を備えており,広くホメオスタシス(恒常性維持機構)として知られている。とりわけ視床下部は,ホメオスタシスの調節系である自律神経系,内分泌系,免疫系をとりまとめる高位中枢として,個体の生命保持ならびに系統維持のための基本的な諸活動を調整する働きを営んでいる。本研究部門では,ホメオスタシスの中でも特に,摂食行動とエネルギー消費機構からなる生体のエネルギーバランスに注目し,視床下部が生体のエネルギーバランスに対してどのような調節作用を営んでいるかを明らかにすると共に,その破綻が肥満や糖尿病の発症とどう関わるかを解明することを目指している。主たる研究課題は以下の通りである。

(1)視床下部における摂食行動の調節機構。

(2)糖・脂質代謝に及ぼす視床下部−交感神経系の調節機構。

(3)生体の免疫反応,体温調節,摂食行動を統合的に調節する視床下部のシグナル伝達機構。

Fig.1
図1:骨格筋での脂肪酸酸化(エネルギー消費)を促進するレプチンの調節機構
レプチンは,骨格筋のレプチン受容体Ob-Rbを介して直接的に,並びに視床下部-交感神経系を介して間接的に,骨格筋のAMPKK(AMPキナーゼ・キナーゼ)/AMPK(AMPキナーゼ)を活性化する。活性化したAMPキナーゼはacetyl-CoA carboxylase(ACC)をリン酸化することによってその活性を抑制し,malonyl-CoA量を減少させる。malonyl-CoA量の低下は脂肪酸をミトコンドリアに取り込む酵素,carnitine-palmitoyl transferase 1(CPT1)を活性化させ,その結果脂肪酸酸化が亢進する。
Fig.2
図2:視床下部における変異型AMPキナーゼの発現
エネルギーバランス調節に及ぼす視床下部AMPキナーゼの調節作用を明らかにするため,アデノウイルスを用いて視床下部内側部にdominant negative AMPキナーゼあるいはconstitutively-active AMPキナーゼを発現させた。写真はenhanced GFPの特異抗体を用いた免疫染色。アデノウイルスベクターは変異型AMPキナーゼとともにenhanced GFPを発現する。
左上:室傍核,左下:室傍核(拡大),中央上:視床下部腹内側および外側部,中央下:視床下部腹内側核(拡大),右上:弓状核および正中隆起,右下:弓状核(拡大),3rd: 第3脳室,ME: 正中隆起,Fx: 脳弓,OT: 視索。
Fig.3
図3:摂食行動の調節に関わる弓状核-室傍核神経回路網とAMPキナーゼ
弓状核(ARH)には摂食行動を促進するNPY/AGRPニューロンと摂食行動を抑制するPOMCニューロンが発現している。POMCニューロンはα-MSHを分泌して室傍核(PVH)におけるメラノコルチン4受容体(MC4R)を活性化して摂食行動を抑制する。一方NPY/AGRPニューロンはNPYとAGRPを分泌し,AGRPはMC4Rを競合的に抑制,NPYはMC4Rの下流シグナルを抑制する。レプチンなど摂食抑制シグナルは,ARHでのAMPキナーゼ活性を低下させることによりNPY/AGRPニューロンの活動を抑制する。また,MC4RはPVHでのAMPキナーゼの活性低下を引き起こす。視床下部におけるAMPキナーゼの活性抑制はレプチンによる摂食抑制作用に必須である。


職  員

photo 教 授  箕 越 靖 彦  MINOKOSHI, Yasuhiko
愛媛大学医学部卒,愛媛大学大学院医学研究科博士過程終了,医学博士。同大学医学部助手,講師,助教授,ハーバード大学医学部Lecturerを経て平成15年11月から現職。
専攻:代謝・内分泌学。
photo 助 手  志 内 哲 也  SHIUCHI, Tetsuya
徳島大学総合科学部卒,同大学院人間自然環境研究科修士課程修了,愛媛大学大学院医学系研究科博士課程修了,医学博士。愛媛大学医学部助手,平成16年3月より現職。
専攻:代謝・内分泌学,運動生理生化学。
photo 助 手  岡 本 士 毅  OKAMOTO, Shiki
北海道大学獣医学部卒,同大学院獣医学研究科博士課程修了,獣医学博士。
日本学術振興会特別研究員,東京都臨床医学総合研究所常勤流動研究員を経て平成16年4月から現職。
専攻:神経免疫学,幹細胞生物学。
photo 研究員  李 順 姫  LEE, Suni
東京農工大学農学部卒,東京農工大学大学院修士課程修了,東京農工大学連合農学研究科博士課程修了,農学博士。東京都老人総合研究所非常勤研究員,ケースウェスタンリザーブ大学およびマイアミ大学において博士研究員を経て平成17年4月より現職。
専攻:神経細胞学,神経科学。



環境適応機能発達研究部門(客員研究部門)

感受性の高い時期に成立し,生存に不可欠な3種の匂いの記憶・学習のメカニズムを解析している。

(1)雌マウスに形成される交配雄の匂い(フェロモン)の記憶
 雄マウスの尿中フェロモンは元来,雌のフェロモン情報処理系(鋤鼻系)を刺激して血中プロゲステロン濃度を低下させて発情をもたらす作用がある。雌マウスが交尾刺激を引き金として交配雄のフェロモンを記憶すると,その後はこのフェロモンによる発情(流産)が起こらなくなり,妊娠は保障される。このフェロモン記憶は,鋤鼻系の最初の中継部位である副嗅球に生ずるシナプスの可塑的変化によって支えられている。交尾刺激により賦活されたノルアドレナリン神経の働きを引き金として,種々の情報分子が関わり,僧帽細胞と顆粒細胞との間の相反性相互シナプスに可塑的変化が生ずることを明らかにしてきた(図1)。以上の成果を基盤として,フェロモン記憶の分子メカニズムを解析している。

(2)幼若ラットにおける匂い学習
 ラットは就巣性の哺乳動物なので,生まれたときは耳も聞こえないし,目も見えない。子はおもに嗅覚と体性感覚に頼って外部環境との関係を発達させる。子は未熟であるため母親による世話を相当必要としているが,母親の乳首がどこにあるかを定め,それにたどりつき,吸乳するといった行動は子にゆだねられている。生後間もない時期に匂いの学習を促す感受性期が存在する。ひとたび乳首の匂いに対する学習が成立すると,子はこの匂いに対して愛着を獲得し,この匂いに反応して乳首を探す行動を強く起こすことになる。実験的には,体性感覚刺激を無条件刺激として匂いの古典的条件付けを成立させることができる。われわれは,生後11日目のラットに匂いと電撃を30分間,対提示し,この匂いに対する嫌悪学習を成立させるという方法を用いている。この匂い学習は,電撃により賦活されたノルアドレナリン神経の働きを引き金として,主嗅球の僧帽細胞と顆粒細胞の相反性相互シナプスが深く関わり,転写因子CREB(cyclic AMP response element-binding protein)の発現とそのリン酸化を介して成立することを明らかにしてきた。LTP=記憶・学習かという問題に着目しながら,学習の分子メカニズムを解析している。

(3)母親による子の匂いの記憶
 オキシトシン(OT)を脳室に投与すると,母性行動が速やかに誘起されるという観察は重要である。なぜなら,処女雌ラットは子どもの匂いをいやがり,これを避けることが知られており,かつ現在まで,この忌避反応に打ち勝って速やかに母性行動を誘起する物質はオキシトシン以外まだ知られていないからである。われわれは,分娩時の産道刺激によって脳室にOTが放出され,このOTが嗅球に達して子の匂い信号を嗅球のレベルで抑制し,引いては母性行動の速やかな開始へと導くということを示していた。われわれは最近,OTは単に嗅球でシナプス伝達を修飾するのみならず,シナプス可塑性を誘導することを明らかにした。OTによるシナプス可塑性のメカニズムを解析している。


Fig.1
図1 副嗅球内神経回路とフェロモン記憶を支えるシナプス可塑性のメカニズム


職  員

photo 教 授  椛    秀 人  KABA, Hideto
鹿児島大学農学部獣医学科卒,同大学院修士課程修了,徳島大学大学院栄養学研究科博士課程修了,保健学博士。高知医科大学医学部助手,助教授,鹿児島大学農学部教授を経て,高知医科大学(平成15年10月から統合により高知大学)医学部教授。平成15年11月から生理学研究所客員教授。
専攻:神経科学。




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