統合生理研究系は,感覚運動調節部門(柿木隆介教授)と生体システム部門(南部篤教授)の2部門よりなる。現在は,多くの大学に「統合生理」という名称を冠した研究室があるが,生理学研究所が日本で最初に「統合生理」という名称を用いた伝統のある研究系である。感覚運動調節部門は,人間を研究対象として,脳波,脳磁図,機能的磁気共鳴画像,近赤外線分光法,経頭蓋磁気刺激などの,いわゆるNeuroimaging手法を駆使して,人間の脳機能を解明している。生体システム部門は,動物,主としてサルを研究対象として,高次脳機能,特に大脳基底核と大脳皮質の機能連関の解明を主要テーマとしている。さらに,各種疾患の動物モデルを使って機能解明を行い,人間の病気の病態解明と治療を目指して研究を行っている。
主としてヒトを対象とし,非侵襲的に脳波と脳磁図を用いて脳機能の解明を行っている。最近は,機能的MRI,経頭蓋的磁気刺激(TMS),近赤外線分光法(NIRS)を用いた研究も行っており,各種神経イメージング手法の長所と短所を良く理解したうえで,統合的な研究を行っている。現在は主として以下のようなプロジェクトが進行中である。
(1)ヒトに各種感覚刺激(視覚,体性感覚,痛覚,聴覚,臭覚等)を与えた時の脳磁場(誘発脳磁場)を計測し,知覚や認知のプロセスを解明する。特に痛覚と痒み認知機構の解明に力を注いでいる。
(2)ヒトに様々な心理的タスクを与えた時に出現する脳磁場(事象関連脳磁場)を計測し,記憶,認知,言語理解といった高次脳機能を解明する。現在は主として,顔認知機構の解明,抑制判断(Go/NoGo)に関する脳内機構の解明,連続刺激によって出現するマスキング現象の解明,などに力を注いでいる。
(3)「脳研究成果の社会への応用」を主要テーマとし,脳機能の発達とその障害機構の解明を行っている。脳磁図やfMRIは長時間の固定が必要であるため,脳波とNIRSが有用な場合がある。
図1 [ELEKTA-Neuromag社製306チャンネル脳磁場計測装置]
図2 新たに開発した,電気刺激による痒み発生装置(上図)と,この刺激によるfMRI(赤で示す)と脳磁図(黄色と青色の丸で示す)の活動部位(下図)。両側半球の第2次体性感覚野,島,楔前部が重要である事を示す(Mochizuki et al. J Neurophysiol, 2009より改変)。
日常生活において私達ヒトを含め動物は,周りの状況に応じて最適な行動を選択し,自らの意志によって四肢を自由に動かすことにより様々な目的を達成している。このような運動には,例えばピアノを弾くように手指を巧妙・精緻に自由に使いこなす運動から,歩行や咀嚼などのように半ば自動化されたものまで幅広く存在する。このような随意運動を制御している脳の領域は,大脳皮質運動野と,その活動を支えている大脳基底核と小脳である。一方,例えばパーキンソン病などのように運動に関連したこれらの脳領域に病変が生じると,運動遂行が著しく障害される。
本研究部門では,脳をシステムとして捉え,これらの脳領域がいかに協調して働くことによって随意運動を可能にしているのか,そのメカニズムや,これらの脳領域が障害された際に,どのような機構によって症状が発現するのかなどの病態生理を明らかにし,さらにはこのような運動障害の治療法を開発することを目指して,以下の研究を遂行している。1)神経解剖学的あるいは電気生理学的手法を用い運動関連領域の線維連絡やその様式を調べる。2)運動課題を遂行中の動物から神経活動を記録することにより,脳がどのように随意運動を制御しているのか明らかにする。また,特定の神経経路の機能を調べるため,薬物注入などにより,その経路を一時的にブロックする方法,あるいはチャネルロドプシンなどの光遺伝学の方法も併用する。3)パーキンソン病やジストニアなどの疾患モデル動物から神経活動の記録を行い,どのようなメカニズムによって症状が発現するのか,また,異常な神経活動を抑制することによって治療が可能か検討する。4)ヒトの定位脳手術の際の神経活動のデータを解析することにより,ヒトの大脳基底核疾患の病態を解明する。
大脳基底核の正常な機能と大脳基底核疾患の病態を説明するモデル。正常な場合(左)は,ハイパー直接路・直接路・間接路からの情報により,必要な運動のみが正確なタイミングで発現する。パーキンソン病の際(中央)には,淡蒼球内節から視床への脱抑制が不十分になり,その結果,無動を来す。一方,ジストニアなどの場合(右)には,淡蒼球内節の活動性が下がり,その結果,視床の活動が常に脱抑制された状態になるため,不随意運動が引き起こされる。
運動異常モデルマウスのひとつであるWriggle Mouse Sagami。神経活動を記録することにより,病態を探る。
計算神経科学研究部門では,神経細胞・神経回路の非線形ダイナミクスが,脳機能にいかに関わっているかを解明することを目指している。中でも記憶や注意などの高次機能の発現に,双安定性,引き込み,カオス,遷移ダイナミクスなど,非線形力学系の豊かな特質がいかに活かされているかについて,数理モデルによる解析を行い,実験的に検証可能な予測を試みている。またconductance injection (dynamic clamp) 法を用いた数理的方法とin vitro 生理学の融合や,in vivo データの解析手法の開発なども行い,現実に即したモデル化の方法を探求している。
(A)
(B)
(A) 大脳皮質錐体細胞の樹状突起は数多くの分枝を持ち,個々の分枝において,非線形な入力加算が行われている可能性が最近の生理学実験の結果から示唆されている(左図:模式図)。そのような樹状突起分枝ごとの非線形性を簡素化して取り入れた局所神経回路の数理モデルを解析することによって,そうした非線形性が,回路のバックグラウンド雑音入力に対する安定性に寄与している可能性が示唆された(右図:S/N比が小さい場合に低活動度で安定な状態が存在する:Morita et al., Neural Comput, 2007)。(B) 下オリーブ核ニューロン群はスパイクの同期やリズム性を含む興味深い時空間ダイナミクスを示す。我々は単純コンダクタンスベースモデルからなるギャップジャンクション結合ネットワークを構築し,ラットの下オリーブ核ニューロン群の活動パターンを再現するようにパラメータを最適化した(左図)。このモデルの解析結果はニューロンの内的な双安定性(右図)とギャップジャンクションが,その特徴的な時空間ダイナミクス生成の鍵となることを示している(Katori et al., IJBC, 2009)。