生理学研究所年報

15. 脳の情報統合と行動発現のメカニズム－感覚知覚から生体反応形成まで－

2001年１月11日－１月12日
代表・世話人：泰羅雅登（日本大学・医学部・第一生理学教室)
森　茂美（生体調節研究系・生体システム部門)

（１）: 脳幹と小脳による眼球運動制御－眼位保持と視覚サッケードの神経機構
岩本義輝（筑波大学・基礎医学系・生理)
（２）: 追従眼球運動と追跡眼球運動の神経機構
小高　泰（電総研・情報科学部)
（３）: 前頭前皮質における選択的注意について
射場美智代（北海道大学・医学部・機能分子学)
（４）: 刺激－運動－報酬連合に基づいた意思決定の脳内機構
松元健二（理研・脳センター認知機能表現)
（５）: サル前頭眼窩野細胞の報酬期待活動
彦坂和雄（東京都神経研・心理)
（６）: リスザルにおける脊髄運動細胞への大脳皮質興奮性出力様式　
～C3－C4脊髄固有ニューロンのかかわり～
中陦克己（生理研・生体システム)
（７）: V4野における陰影テクスチャーの特徴抽出
花澤明俊（生理研・高次神経性調節)
（８）: 前部側頭皮質「顔」応答ニューロンによる「顔」空間の表現
永福智志（富山医科薬科大学・医学部・第二生理)
（９）: 霊長類下部側頭葉における視覚記憶表現：記銘と想起について
納家勇治（生理学研究所　高次液性調節部門)

【参加者名】
　岩本義輝（筑波大学基礎医学系），小高　泰（通産省工業技術院電子技術総合研究所／情報科学部），松元健二（脳科学総合研究センター認知脳科学研究グループ認知機能表現研究チーム），射場美智代（北海道大学大学院医学研究科・脳科学専攻・神経機能学講座・機能分子学分野），彦坂　和雄（財団法人・東京都医学研究機構・東京都神経科学総合研究所・心理学研究部門），永福　智志（富山医科薬科大学　医学部　生理学第二講座），山田洋（大阪大学医学部医学修士課程1年），渡邊　淳司（東京大学大学院　工学系研究科　計数工学専攻），林　隆介（東京大学大学院　工学系研究科　計数工学専攻），礒村宜和（（財）東京都医学研究機構　東京都神経科学総合研究所　統合生理研究部門），宮地重弘（（財）東京都医学研究機構　東京都神経科学総合研究所　統合生理研究部門），稲瀬正彦（近畿大学医学部），高田昌彦（（財）東京都医学研究機構　東京都神経科学総合研究所　統合生理研究部門），佐藤多加之（理研・脳センター脳統合機能（筑波大学院）），山野辺貴信（北海道大学大学院医学研究科　生体機能学専攻統合生理学講座　認知行動学分野），筒井健一郎（日本大学医学部第一生理学教室），佐藤暢哉（日本大学医学部第一生理学教室），高橋和巳（福島県立医科大学　医学部　生理学第二講座），平場久雄（日本大学歯学部生理学教室），鴨川紘征（日本大学歯学部生理学教室），村上郁也（NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部），泰羅雅登（日本大学医学部第一生理学教室），村田　哲（近畿大学医学部第一生理），伊澤栄一（名大院　生命農学　動物比較情報），中嶋真也（名大院　生命農学　動物比較情報），青木直哉（名大院　生命農学　動物比較情報），福島宏器（東大教養学部広域科学科開一夫研究室）

【概要】
　２１世紀年最初の研究会として，1月１１日，１２日の両日，「脳の情報統合と行動発現のメカニズム　－感覚知覚から生体反応形成まで－」が開催され，若い研究者を中心に，全国から４０名近い参加者があった。今回は，「眼球運動の制御」，「前頭前野　ワーキングメモリーを越えて」，「運動野再訪」，「視覚認知から記憶へ」のそれぞれのセッションで２～３の話題提供お願いし，討論をおこなった。発表されたテーマはどれも最新の情報であり，非常に内容の濃いものであった。毎年の研究会の反省でディスカッションが十分でないとのご指摘を幾人かの方々からいただいたので，今回は特に十分なディスカッションの時間を用意し，活発な討論をおこなった。

(1) 脳幹と小脳による眼球運動制御－眼位保持と視覚サッケードの神経機構

岩本義輝（筑波大学・基礎医学系・生理)

　サッケードと眼位保持は，視覚対象に視線を向けその像を網膜中心窩に固定するために不可欠の機能である。我々は，眼位保持に重要な神経積分器の実体を明らかにするため，覚醒ネコで眼球位置信号を持つニューロン間の結合を調べた。その結果，前庭神経核と中脳カハール間質核の相互結合・交連性結合が速度信号から位置信号への変換に重要であること，脳幹内の多重ループが積分機構を担うことが示唆された。さらに，橋正中部のparamedian tract (PMT) ニューロンが眼球運動情報を小脳に伝え，小脳による積分機構の調節に寄与することを示した。視覚目標に向かうサッケードのゲイン(saccade size/target distance) は，反復する視覚誤差により可塑的に変化する。我々は，覚醒サルでゲイン適応に伴い小脳室頂核のニューロン活動が変化することを観察した。この予備的結果は，適応に室頂核が関与することを示唆する。

(2) 追従眼球運動と追跡眼球運動の神経機構

小高　泰（経済産業省・電子技術総合研究所　情報科学部　脳機能)

　ヒトやサルのように網膜に中央に中心窩が発達した霊長類では，動く視標を追跡する時，追跡眼球運動(smooth pursuit eye movement) が生じます。速度の遅い眼球運動には，もう一つ，追跡眼球運動(ocular following response : OFR) がある。この眼球運動は，広い視野の動きに対して，網膜上の像が安定するように短潜時で生じる。自然な状態では，追跡眼球運動が生じると，視標以外の背景は，眼球運動によって生じた動きのため，眼の動きとは逆向きの動きとして捕らえられる。しかし，我々は，日常，追跡眼球運動を行うことができる。サルを用いて，追跡眼球運動中に，背景の動きに対する反応を調べた。行っている眼球運動と同じ向きに動く背景の動きに対して大きな反応が見られたが，逆向きの動きに対しては反応が見られなかった。これは，脳内で，追跡眼球運動を行っている間，追従眼球運動の発現を抑える仕組みがあるためではないかと思われる。

(3) 前頭前皮質における選択的注意について

射場美智代（北海道大学大学院医学研究科・脳科学専攻機能分子学分野)

　これまでの研究により前頭前皮質は意味のある情報を一時的に保持し，出力するという「ワーキングメモリ過程」に関与する事が示されてきた。しかし，ワーキングメモリに入力される前段階の「意味のある情報の選択」に関する研究はほとんどされてこなかった。記憶には容量があるため，雑多な情報の中から意味のある情報を選択する過程が存在すると考えられる。そこで，我々は前頭前皮質がターゲット選択のような選択的注意にいかに関与するかを明らかにするため，眼球運動を用いた視覚探索課題とムシモールによる局所機能脱落法を組み合わせた実験や，単一ニューロン活動記録法を用いてこの問題に取り組んできた。これらの実験により，前頭前皮質が意味のある情報の選択に関与する事，その過程にはノルアドレナリンα2受容体が関与する事，さらにこの領野には従来報告されてきた記憶システムに加えて選択的注意と結びついた記憶過程が存在する事が示唆された。

(4) 刺激－運動－報酬連合に基づいた意思決定の脳内機構

松元健二（理研・脳センター認知機能表現)

　合目的的行動の意思決定場面において，刺激，運動，報酬それぞれの情報がどのように処理統合されるのかを明らかにするため，刺激－運動－報酬の連合とその組み替えを必要とする視覚弁別課題遂行中のサル３頭の外側前頭前野および前頭眼窩野から単一細胞活動を記録した。いずれの領域とも視覚刺激呈示に際しては，刺激と報酬の影響を強く受けた。その後外側前頭前野では運動のみの影響を受ける細胞が，運動前の遅延期に一時的に増えた。前頭眼窩野では，報酬のみの影響を受ける細胞が試行の終わりまで多く見られた。また，外側前頭前野細胞では，運動に向けては運動主効果が，報酬に向けては報酬主効果が安定したが，前頭眼窩野細胞では，いずれの主効果とも試行中安定していた。これらの結果は，視覚刺激に連合された報酬情報によって活性化された後，外側前頭前野は，運動の意思決定場面で運動情報を抽出し，前頭眼窩野は報酬情報を抽出，保持することを示唆する。

(5) サル前頭眼窩野細胞の報酬期待活動

彦坂和雄（東京都神経科学総合研究所・心理)

　前頭眼窩野は前頭連合野の腹側部に広がる領野であり，刺激―報酬間の連合機能や情動機能に関与している。サルに異なる報酬を一定の順序で与える課題を行なわせながら，前頭眼窩野細胞の報酬期待活動の性質を調べた。用いた課題は，３つの報酬試行と１つの無報酬試行からなる遅延付き反応時間課題である。4試行を１つのブロックとして，報酬として（１）オレンジジュース，（２）水，（３）グレープジュース，（４）無報酬という順序で与えた。液体報酬のかわりにエサ報酬も用いた。遅延期間中に見られる前頭眼窩野細胞の報酬期待活動には3つのタイプが見出された。①報酬と無報酬の違いに関係する報酬期待活動②特定の報酬に関係する報酬期待活動③好む報酬と好まない報酬の違いに関係する報酬期待活動である。又，動物が特定の報酬を食べた試行と食べない試行で報酬期待活動が変化した。これらのことから，前頭眼窩野細胞の報酬期待活動は，動物の報酬に対するモチベーションに依存しており，特定の報酬価を期待する機能に関係していると考えられた。

(6) リスザルにおける皮質脊髄路興奮性出力の頚髄運動細胞への伝達様式
～C3ーC4脊髄固有ニューロンのかかわり～

中陦克己（生理学研究所・生体システム研究部門)

　上肢運動制御において大脳皮質興奮性出力が皮質脊髄路を介して上肢筋支配運動細胞へ到達する経路については，運動細胞へ直接伝達される直接経路（cortico-motoneuronal system：CM system）と，第３～第4頚髄レベルに位置する脊髄固有ニューロンC3-C4 propriospinal neuron (PN) を介して伝達される間接経路（PN system）とが明らかにされている。CM systemをもたないネコではPN systemが発達している。一方霊長類では手指運動の精緻度に重要な役割を果たすCM systemが発達している。最近手指の精緻運動能力の高いマカクサルにおいてPN systemの発達度が低いことが報告された (Maier et al., 1998)。本研究の目的は，マカクサルに比べて手指運動の精緻度に劣りかつCM systemの発達度の低いリスザルにおいて皮質脊髄路興奮性出力がどの程度までPN systemを介して上肢筋支配運動細胞へ伝達されるかを明らかにすることである。４匹のリスザルにおいてchloralose麻酔下で延髄対側の皮質脊髄路を刺激し，第６頚髄から第１胸髄レベルに位置する上肢筋支配運動細胞から細胞内記録を行った。その結果，PN systemを介して誘発されたEPSPを示す運動細胞の割合は86%であり，この値はマカクサル（18%）より高くかつネコ（100%）より低い。以上の結果はPN systemの発達度と手指機能の発達度との間には負の相関が成立することが示唆された。

(7) V4野における陰影テクスチャーの特徴抽出

花澤明俊（岩生理研・高次神経性調節)

　物体表面のテクスチャーは，その物体を識別したり，表面の材質，摩擦などの属性を判断する上で有用な情報源である。テクスチャー特徴の抽出にマカクザルＶ４野が関与するか否かを調べた。コンピュータ画面上に，輝度勾配（陰影）によって粒子状の細かい凹凸があるように見えるテクスチャー刺激を提示し，要素の密度，大きさおよび陰影の方向を変化させ，神経細胞の応答を調べた。多くの細胞がこれらの刺激属性に選択性を示した。それらの一部は空間周波数選択性では説明のできない振る舞いをした。まず，要素の陰影の方向に対し１方向性の選択性を示す細胞があった。上または下方向の陰影に選択的な細胞が多く，陰影からの立体知覚にみられる偏りと対応していた。また，粒子状のテクスチャーのみに応答し，正弦波格子やバー刺激に応答しない細胞があった。これらの結果から，Ｖ４野が，陰影から復元される３次元構造を含む，テクスチャーの特徴抽出に関与していることが示唆された。

(8) 前部側頭皮質「顔」応答ニューロンによる「顔」空間の表現

永福智志（富山医科薬科大学・医学部・第二生理)

　個体同定に基づく遅延見本合わせ課題(I-DMS課題) 遂行中のサル上側頭溝前部領域と下側頭回前部領域から「顔」応答ニューロンを記録した。I-DMS課題では，サルが固視点に固視した後，見本「顔」刺激が呈示され，遅延期間の後，テスト「顔」刺激が呈示される。これら「顔」刺激は，サルにとって既知または新奇な人物の顔を７方向から撮影した画像であり，サルは同一人物の画像が呈示された場合，レバ－押しを行うと報酬が与えられる。「顔」応答ニューロン全体の反応パターンに対する多次元尺度分析 (Multi-dimensional scaling, MDS) に基づき，上側頭溝前部領域および下側頭回前部領域における「顔」空間を構成したところ，上側頭溝前部領域では「顔」の向きなど，「顔」の知覚情報が，下側頭回前部領域では「顔」の既知性やアイデンティティが，「顔」空間に表現されていることが示された。以上の結果より「顔」情報処理におけるサル上側頭溝前部領域と下側頭回前部領域の機能分化について考察する。

(9) 霊長類下部側頭葉における視覚記憶表現：記銘と想起について

納家勇治（生理学研究所　高次液性調節部門)

　視覚性対連合記憶課題を遂行中のサルの下部側頭葉から単一ニューロン記録を行い，学習した12組24枚の各刺激図形を手がかり刺激として提示したときの，刺激提示期間中，並びに遅延期間中における神経活動をTE野と36野で比較し，対連合記憶の記銘と想起に関する2つの知見を得た。初めに，個々のニューロンが示す刺激提示期間中の神経応答に対する対連合記憶の影響を評価するため，対連合指標（PCI）を定義した。その結果，36野のニューロンが示すPCIの値はTE野に比べて有為に高い (P < 0.01) ことが示された。このことは対連合記憶の記銘に対し，TE野から36野への順行性シグナル伝達の重要性を示唆する。次に試行中の各時点での神経活動に対する記憶想起の影響を評価するため，対想起指標（PRI）を定義した。その結果，36野のニューロンが示すPRIの値はTE野に比べ有為に早く (P < 0.01) 上昇し始めることが示された。このことは対連合記憶の想起に関しては，36野からTE野への逆行性シグナル伝達が重要であることを示唆する。



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