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生体情報研究系

神経情報研究部門

【概要】

われわれの研究室では哺乳類神経系の発生・分化機構について研究している。特に神経上皮細胞(神経幹細胞)からどのようにして全く機能の異なる細胞種(神経細胞,アストロサイト,オリゴデンドロサイトなど)が分化してくるのか,について興味を持って研究を進めている。また,得られた新しい概念や技術はできるだけ社会の役に立てるよう努めており,臨床研究への応用を視野に入れながら,病態の解析にも努力している。脳神経系の発生・分化を考えるとき,内因的要因(遺伝子に支配されるもの)および外因的要因(外部からの刺激・情報により分化方向が規定されるもの)に分けて考えるのは当然であるが,脳神経系では他の組織の発生とは異なり特徴的なことがある。それは多様性である。一言に神経細胞と言っても顆粒細胞,錐体細胞などいろいろな形態の細胞があるし,大脳皮質の錐体細胞はどの領野の細胞かによりその機能が異なる。また,神経伝達物質の種類も様々である。大げさに言えば,神経細胞は一つ一つが個性を持っており,そのそれぞれについて発生・分化様式を研究しなければならない程である。また,均一であると考えられてきたグリア細胞(アストロサイト,オリゴデンドロサイト)にも性質の異なる集団が数多く存在することも明らかとなってきた。そのため,他の多くの細胞種や組織の分化研究とは異なり,細胞株や脳細胞の分散培養系を用いた研究ではその本質に迫るには限界がある。われわれはin vitroで得られた結果を絶えずin vivoに戻して解析するだけでなく,神経系の細胞系譜の解析をも精力的に行っている。脳神経系への遺伝子導入系として開発した高力価レトロウイルスベクターは癌の遺伝子治療に最適なベクターであるので,グリオーマや肺癌をターゲットとした応用を考えた研究を進めており,臨床応用も間もなくスタートできそうである。また,癌治療の新たなターゲット分子も見いだしたので,その応用も検討中である。

糖蛋白質糖鎖の解析法を開発し,その生理学的意義について検討している。ヒト正常脳においてはその発現パターンが個人間で驚くほど一定に保たれており,現在考えられているより,もっと重要な役割を果たしていると思われる。事実各種神経変性疾患においてその発現パターンが変化していた。また,癌の転移にも糖蛋白質糖鎖が関与していることを示唆するデータも得ているので,病態時における糖鎖異常に着目して研究している。

 

オリゴデンドロサイト発生制御機構の解析

鹿川哲史 竹林浩秀 中平英子 清水健史 政平訓貴(岡崎国立共同研究機構・生理学研究所)

オリゴデンドロサイトは中枢神経系でミエリンと呼ばれる構造をつくるグリア細胞である。ミエリンは神経細胞の軸索を取り巻くことにより電気的に絶縁し,跳躍電動という現象を引き起こす構造である。胎生期脊髄ではオリゴデンドロサイト前駆細胞は腹側のごく限られた部位から発生することが知られている。我々のグループはこれまで胎生期脊髄の背側にオリゴデンドロサイト分化を抑制する活性があることを示してきた。この活性を担う分子の候補として,今回,脊髄背側に発現するWntファミリーに着目し,in vitroさらにはin vivoにおいてこれらがオリゴデンドロサイト分化を負に制御することを示した。

また,転写因子のOlig2を同定し,機能発現実験および機能喪失実験によりOlig2が運動ニューロン,オリゴデンドロサイトの発生に必須であることを示してきた。Olig2遺伝子座に誘導性Creリコンビナーゼをノックインしたマウスを作製し,タモキシフェン投与時にCreが活性化するシステムを確立した。このシステムに加え,エレクトロポレーション法とCre-loxPシステムを組み合わせた恒久的な標識法を用いて細胞系譜追跡実験を行った。これまでの結果から,前脳においてもやはり腹側からオリゴデンドロサイト前駆細胞が生み出されること,さらに,移動経路・遺伝子発現の異なる2つの分化のパターンがあることを見いだした。それぞれファースト・ウェーブ,セカンド・ウェーブと名付け,さらに詳しく解析している。

 

アストロサイトの分化・発生様式に関する研究

長谷川明子,小川泰弘,竹林浩秀,池中一裕(岡崎国立共同研究機構・生理学研究所)

アストロサイトの発生は神経細胞の発生と密接に関連しており,神経幹細胞から両細胞の発生は相互に抑制をかけながらどちらかだけ選択的に産生されることが示されてきている。すなわち,アストロサイトの発生・分化調節機構の研究は神経発生全体に大きな意義を有する。

われわれはアストロサイトの分化誘導因子としてマウスシスタチンC(CysC)に着目して研究してきた。CysCはアストロサイトの発生する時期に発生する場所から産生が開始されることが分かった。また,マウス胎児脳初代培養細胞系ではin vivoの発現パターンと対応してCysCが培養液中に放出されること,さらに抗CysC抗体を加えると,アストロサイトの分化が抑制されオリゴデンドロサイトの分化が促進されることが明らかとなった。

また,米国ニューヨーク州立大学のMatt Rasbandと共同研究を行い,アストロサイトを認識する多数の新規モノクローナル抗体を用いてマウス脊髄アストロサイトの発生段階における多様性について検討した。その結果,アストロサイトも神経細胞産生ドメインに対応して多様化していることが示唆された。

 

N結合型糖タンパク質糖鎖の機能解析

藤本一朗,池田武史,石井章寛,佐久間圭一朗,出口章広,池中一裕
(岡崎国立共同研究機構・生理学研究所)

細胞表面を覆うように存在する膜蛋白質のほとんど全てに糖鎖修飾が存在し,細胞間相互作用を介して脳の発生・分化や細胞変性疾患やガン化の機能発現に重要な役割を担っていると考えられる。我々はこれまでに系統的に糖タンパク質糖鎖をスクリーニングする方法を開発し,その自動化に成功してきた。

この方法は固定後の組織からも解析可能であることから,新潟大学脳研究所との共同研究でヒトの中枢神経変性疾患の脳内糖鎖解析を行った。その結果,細胞障害部位の組織のみならず障害が無いと考えられていたアルツハイマー病の白質領域で糖鎖の発現パターン異常が認められた。このことは糖鎖の異常が病態のベースに存在する可能性があり,神経変性疾患の発病自体をも引き起こしている可能性を強く示唆するものであった。(藤本)

次に正常マウス大脳皮質の発生の各段階における系統的な糖鎖解析を行った。その結果,脳に特徴的な糖鎖構造が成熟するに従い優位に増加してくることが観察された。全体の70%を越える主要糖鎖の構造決定を酵素消化やMALDI-TOF-MSを駆使して同定を行った。この結果,脳特徴的糖鎖が脳の発生・分化および形態形成に重要であると考えられた。(池田)

一つの糖鎖構造の生合成には数十種類の糖転移酵素が必要であり,糖鎖合成酵素群の網羅的遺伝子発現の解析が不可欠であった。そこでマウス糖鎖生合成酵素遺伝子108個をクローニングし,DNAアレイを完成させた。報告されている糖転移酵素遺伝子発現のノーザン解析結果と同じ結果が得られ,網羅的解析が可能となり合成酵素の動態と糖鎖構造との関連を明らかにする。(石井)

培養ガン細胞の糖鎖とガン転移臓器の特異性を知る目的で,B16メラノーマの転移実験を行った。マウス尾静脈から注入したB16細胞は肺および脾臓に高頻度で生着した。ガン転移肺から摘出してきたB16組織では多くの糖鎖構造が培養時と異なり肺組織の糖鎖発現と類似したパターンを示した。この糖鎖パターンは転移組織を培養系に戻すと崩れてしまうことからガン細胞の生着維持に細胞表面糖鎖が重要であると考えられた。(佐久間)

肝臓は組織的にほぼ均一であり,容易に初代培養や再生肝を作成可能であることから培養時,増殖時に変化するであろう糖鎖構造を解析した。その結果,一部の糖鎖構造の増減が明らかとなり,報告されている肝ガンのものとは異なるものであった。このことは正常増殖する際と病体時での増殖とでは全く違う役割が細胞表面糖鎖に存在することを示すものであった。(出口)

 

癌遺伝子治療の基礎研究

片倉浩理,福政良枝,中島弘文,池中一裕(岡崎国立共同研究機構・生理学研究所)

我々は,以前Serial Analysis of Gene Expression (SAGE)法を用いて悪性グリオーマに高発現する腫瘍特異抗原MAGE-E1をクローニングした。MAGE-E1に対する3種類のペプチド性抗体を作製し,免疫組織学的な解析からMAGE-E1が細胞周期調節へ関与しているとことが予想された。MAGE-E1の細胞死や細胞周期調節への関与を明らかにすることにて,癌治療の臨床において診断に,更に遺伝子治療の分子標的として応用できるものと考えて発現抑制方法について検討中である。

われわれは高力価レトロウイルスベクターを用いた癌の遺伝子治療法の開発に取り組んでいるが,本年度はPEG-PLL(polyethyleneglycol polyLysine)によるさらなる力価向上に関して検討した。PEG-PLLをレトロウイルスベクターの感染時に共存させるとその力価を高めたが,この効果はレトロウイルスベクターを遠心しても変わらなかった。すなわち,PEG-PLLはウイルス表面を恒久的に修飾していることが明らかとなった。この操作で毒性を増すことなく,感染効率を高めることに成功した。

 

モデルマウスを用いた脱髄の病態解析および治療法の検討

松本路生,田中久貴,山田 元,池中一裕(岡崎国立共同研究機構・生理学研究所)

本研究室では,既に脱髄モデルマウスであるPLPトランスジェニックマウスを作製し報告している。このモデルマウスに神経幹細胞を移植する系を確立し,移植治療により症状の改善がみられるかどうか検討した結果,移植後の神経幹細胞が分化せず,未分化なまま移植部位近辺に留まっていることが明らかとなった。このことから脱髄巣においてはオリゴデンドロサイトの分化が抑制されていることが考えられた。これらの因子をDNAマイクロアレーを用いて検討している。

in vivoの中枢神経系(後索路,脊髄前庭路,錐体路)において神経伝達速度の測定系を確立した。さらに,脱髄をおこしているPLPトランスジェニックマウスにおいて,これらの神経路の神経伝達速度を予備的な実験により測定し,速度の低下を確認した。

 

 

液性情報研究部門

【概要】

液性情報研究部門では,これまで分子生物学的手法と生理学的手法を用いて,脳神経系における情報の伝達および統合のしくみを,分子・細胞のレベルから理解することを目的として研究を行ってきた。しかし近年の分子的情報の急激で莫大な増加に比較して,分子と個体を結びつける領域の研究が不十分であり,またその領域の研究がますます重要となって来ていることを考え,研究部門の方向性を変えてきた。本年度はその転換期であり,宮田助教授,佐竹助手が着任した。今後,電気生理的手法を中心として,分子を基盤とした神経回路の機能解析を中心的なテーマとして研究活動を進めていく予定である。

 

Ca2+チャネル変異マウスにおける神経回路異常の検索

松下かおり,佐々木幸恵,井本敬二

脳の主要なCa2+チャネルサブタイプであるP/Q型Ca2+チャネルの遺伝子異常により,小脳変性症など神経疾患がヒト,マウスで起こるこ。マウスでは,tottering,rolling,leanerなどの変異が知られている。しかしCa2+チャネルの異常が,どのようにして種々の神経症状を引き起こすのかという疑問は解決されていない。

tottering,rolling Nagoyaの小脳スライス標本を用いて,平行線維−プルキンエ細胞(PF-PC)および登上線維−プルキンエ細胞(CF-PC)シナプス等での興奮性シナプス後電流をwhole-cell patch clamp法を用いて測定した。また形態学的な検討を加えた。

昨年度PF-PCシナプスのEPSCが症状に相関して減弱しているのに対して,CF-PCシナプスのEPSC(CF-EPSC)の大きさは,totteringでは著変なく,rollingではむしろ増加していることを報告した。本年度は,CF-EPSCが保たれているかを系統的に検討した。外液カルシウム濃度を変化させた場合,CF-PCシナプスではCa2+濃度を増加させてもEPSCが飽和の傾向を示のに対して,PF-PCシナプスでは,EPSCがCa2+濃度の3-4乗に比例する古典的なに関係を示した。シナプス間隙のグルタミン酸濃度の増加は見られないが,シナプス後膜グルタミン酸受容体の感受性の増加がrollingマウスで観察された。またいずれの変異マウスでもN型Ca2+チャネル依存性が大きいことが認められた。さらに形態学的な検討から,一次,二次樹状突起では通常観察されない棘突起がrollingでは頻繁に観察された。

 これらの結果は,変異による影響はもともとのシナプスの性質に大きく依存しており,高放出確率のシナプスは影響を受けにくいことが示された。またグルタミン酸受容体の性質の変化や形態学的な変化など,観察されたいろいろな変化は,Ca2+の働きが不十分であるために,正常な発達に伴う変化が阻害されて生じてきたものと解釈される。

 

GFPを用いた蛍光カルシウムプローブG-CaMPの改良体の開発

中井淳一,大倉正道

G-CaMPは分子内に1つの緑色蛍光蛋白(GFP)をもつ蛍光カルシウムプローブである。G-CaMPはCa2+の結合に伴い比較的大きな蛍光強度の増大を示すことが長所であるが,蛍光強度が弱いことやpH感受性を示すことが短所であった。そこで本研究ではG-CaMPの改良を試みた。GFPの発色団形成を促進することが報告されているV163A/S175Gのアミノ酸変異をG-CaMPに導入したところ,この変異体(G-CaMP1.6と命名)はG-CaMPに比較して,(1)約40倍明るく,(2)pH感受性が低く,(3)Ca2+と同程度のイオン半径を有する2価カチオンの選択性が高く,(4)短時間に発色団を形成することが見いだされた。このことはG-CaMP1.6がG-CaMPよりも蛍光カルシウムプローブとして優れていることを示す。

一方,G-CaMPのCa2+感受性については,G-CaMPの場合よりもやや高親和性側にシフトしていた。そこでわれわれはG-CaMP1.6分子中のカルモジュリンのCa2+結合部位にアミノ酸変異を導入し,Ca2+親和性の異なる変異体を作製した。

 

炎症性疼痛における視床mGluR1-PLCb4カスケードの制御機構

宮田麻理子

近年の研究で,末梢から脊髄レベルにおいて,痛覚を担う分子基盤は明らかになってきたが,視床より上位中枢では,ほとんど明らかになっていない。phospholipase Cb4(PLCb4)は,代謝型グルタミン酸受容体1型などの三量体G蛋白のGq/11結合型受容体に共役し,IP3, PKCを駆動し,シナプス機能に重要な働きをする酵素である。我々はマウス視床VBではPLCb4が唯一のPLCのアイソホームであることを明らかにした。さらに,この分子が,体性感覚情報とりわけ体性痛覚の情報処理に寄与するか否かを調べるため,PLCb4の遺伝子欠損マウスを用いて,疼痛関連行動の解析を行った。ノックアウトマウスは,hot plate test, tail flick testなどの急性痛は野生体と比べて有意な差は認められなかった。しかしながら,ホルマリンテストによる炎症疼痛行動は有意に減弱していた。一方,末梢の炎症所見,炎症性疼痛の脊髄後角で神経活動性を反映するc-FOS発現には差がないことから,PLCb4は炎症性疼痛に寄与しその作用部位は,脊髄より上位であることが示唆された。さらに我々は,マウスでの脳室内投与法,視床内投与法を確立し,野生体にPLCまたその上流にグルタミン酸受容体1型(mGluR1)の阻害剤,拮抗薬を投与すると同様に炎症性疼痛が減弱した。これらの結果から,mGluR1-PLCb4のカスケードが視床レベルで炎症性疼痛の修飾に関わっていることが明らかになった。さらに,炎症性疼痛試験時の視床VPL単一神経細胞の活動を,麻酔下のPLCb4ノックアウトマウス,野生マウスで細胞外記録法を用いて調べた。野生マウスでは疼痛関連行動の時間経過と良く一致して神経活動が見られるのに対し,ノックアウトでは炎症性疼痛に伴う神経活動が有意に減弱していた。これらの結果から,mGluR1-PLCb4カスケードが視床VBの神経活動性を調節することによって,炎症性疼痛をコードしていることが明らかになった。VBのmGluR1は大脳皮質から視床へのfeedbackシナプスの後膜側のみに存在するため,今後は皮質−視床へのfeedbackシナプスの特性と作動様式さらに,mGluR1による修飾機構を解析する予定である。

 

成熟ニューロンにおけるcdk5の機能の検索

佐竹伸一郎,井本敬二
小西史朗(三菱化学生命科学研究所)

Cyclin-dependent kinases(cdks)は,細胞周期の制御に重要なタンパク質リン酸化酵素である。Cdkファミリーの一つcdk5は,成熟ニューロンに多く発現することから,細胞周期の制御とは別の役割も担うと予想される。シナプス機構におけるcdk5の機能を検索するため,2週齢ラットから作成した小脳スライスでパッチクランプ記録を行い,cdk5特異的阻害薬roscovitineがシナプス伝達におよぼす作用を調べた。Roscovitineを灌流投与すると,籠細胞-プルキンエ細胞間の抑制性シナプス伝達および平行線維-プルキンエ細胞間の興奮性シナプス伝達は顕著に増強された。量子解析から,この阻害薬は神経伝達物質の放出確率を増大させることが示唆された。一方,登上線維-プルキンエ細胞間の興奮性伝達にroscovitineは無効であった。Cdk5は,シナプスの種類特異的かつ複数の機構により,小脳の神経伝達制御に関わると推定される。

 

 

高次神経機構研究部門

【概要】

本研究部門では哺乳動物の脳機能がどのような分子メカニズムにより形成・制御されているかを解明することを目的とし,脳構造形成および神経回路網形成・再編成に関わる遺伝子を欠損させたマウスの作製を主に行っている。非受容体型チロシンリン酸化酵素Fynの欠損マウスでは情動行動や哺乳行動において異常が認められたのでFynチロシンキナーゼとの結合活性を指標に新規分子をスクリーニングしたところ,新規カドヘリン様細胞接着分子であるCNR (Cadherin-related neuronal receptor)を単離する事が出来た。このCNRはシナプスに局在し,さらに細胞外ドメインにカドヘリンモチーフを有することから神経細胞接着や認識に関わることが予想される。また,これまでの解析結果よりCNRには14種のファミリー分子が存在し,それらの遺伝子は免疫グロブリンやT細胞受容体の遺伝子に似たクラスター構造をとること,CNRの転写産物に体細胞変異が見つかったことなどが明らかになった。以上のことより,CNRはシナプスでの選択的細胞接着と免疫系でのイムノグロブリンやT細胞受容体と類似した多様化機構を兼ね備えた分子であり,中枢神経系における多様化と組織化をもたらす分子であると予想される。この分子機能の解析を進めることにより,脳形成や機能発現における個体発達過程での神経細胞の多様化機構の分子メカニズムが明らかになるのではないかと考えている。また,近年では脳機能解析における新しい手法としてクローンマウス用いた系を導入する他,遺伝子変換ラット作製系の開発も試みている。

 

CNRカドヘリン分子群多様性の機構解析

先崎浩次,八木 健

マウスCNR分子群は細胞外領域の異なる14種類の遺伝子ファミリーからなり,14種類全てが中枢神経系において発現している。これまでに,各CNR mRNAが神経細胞ごとに組み合わせで発現していることを示し,また,作製した複数のCNR分子種特異抗体による成体マウス脳での免疫染色法の結果から,各CNR蛋白質の脳領域による局在性の違いが認められた。以上の結果は各CNRの分子機能が異なる可能性を示唆する。各CNR分子間のアミノ酸配列比較から細胞外EC2-3領域の相同性が低く,この領域にCNR分子群の分子機能上の違いのある可能性が示唆され,EC2-3領域に対するマウスモノクローナル抗体を作製を行った。現在,得られた抗CNR EC2-3領域抗体を用いてCNR EC2-3領域の分子機能解析を行っている。

 

ゼブラフィッシュCNRの機能解析

多田基紀,八木 健

CNRはカドヘリン様受容体遺伝子群で,神経細胞で発現し,神経発生と維持に関わることが知られている。私はWhole mount in-situ hybridization,及び免疫組織化学を用いて,発生段階におけるゼブラフィッシュCNRの時間的,空間的発現パターンを明らかにした。この結果,神経組織の発生時期・領域と一致してCNRの発現が見られ,特に軸索にCNRタンパクが局在することが分かった。また,ゼブラフィッシュにおいて利用可能なことが知られているMorpholinoアンチセンスオリゴヌクレオチドを用いて,CNRタンパク質発現阻害を行うことでCNRの機能解析を行った。この結果,神経細胞分化の起こる領域に同調してアポトーシスが観察され,かつaxonの伸長異常と,網膜視蓋経路の形成不全が見られ,神経発生,軸索形成時におけるCNRの関与が示唆されている。

 

CNR遺伝子欠損マウスの作製

平林敬浩,八木 健

CNR分子の機能を個体レベルで解析することを目的として,CNR遺伝子欠損マウスの作製を進めている。クラスター型遺伝子構造をもつCNR遺伝子には14個の可変領域エクソンと3つのエクソンからなる共通領域が存在し,各CNRファミリーはそれぞれひとつの可変領域エクソンと共通領域から転写される。そこで本研究ではまず,共通領域エクソンを挟む形で2カ所にloxP配列を遺伝子ターゲティング法により導入しCre-loxP系を用いることで全てのCNRファミリー遺伝子が欠損するマウスの作製を試みている。また、同時に各CNRファミリーの可変領域エクソンを効率よく欠損させるためにトランスポゾンを用いた新しい遺伝子欠損法の開発も行っている。

 

ラットES細胞の樹立とそれを用いた遺伝子変換ラット作製系の開発

金子涼輔,八木 健

ラットを用いた遺伝子変換動物作製を目指すなかで,ラットES細胞株の樹立を試みた。マウスES細胞樹立方法にしたがい,ラット胚盤胞をラット繊維芽細胞上で培養を行った結果,培養5日目には大きな細胞塊を形成した。この細胞塊をトリプシンで処理し継代を行ったところ,4〜5日後に未分化細胞マーカーのアルカリホスファターゼ陽性のコロニーが現れた。しかし,この継代を繰り返すにつれ未分化コロニーが失われてゆき,4回目の継代の後には現れてこなかった。この結果は,ラットES細胞は,マウスES細胞での培養条件では未分化状態を保てない可能性を示唆している。そこで,ラットLIFをクローニングして発現ベクター中に導入して使用した。しかし結果は同様で,未分化状態のラットES細胞を樹立することはできなかった。コロニー解離方法や血清ロット,培地成分等の検討を行ったが樹立法の確立には至らなかった。

 

クローンマウス作製による分化神経細胞核における核情報変換の解析

牧野初音,八木 健

神経細胞分化過程において核情報の変換が生じることが示唆されていたことから,単一神経細胞核のゲノムDNAの遺伝情報を明らかにすることを目的として,生後0−4日齢のマウス大脳皮質由来の単一神経細胞核を用いてクローンマウス胚の作製を試みた。その結果,42匹の胎生10.5日目クローンマウス胎仔が得られ,その内の40匹に形態異常(神経管閉鎖不全など)が観察された。この形態異常の出現頻度は,胎生期の分化神経細胞核よりもはるかに高く,また他の体細胞核クローンマウス胎仔では神経管での異常はほとんど認められなかったことから,分化神経細胞核では,細胞分化の進行に従って,核情報変換が不可逆的に生じている可能性が強く示唆された。現在,分化神経核由来のクローン細胞の細胞分化能力を,正常胚との集合キメラマウスを用いて解析している。

 

マウス嗅球での周波数帯によって分離される独立な2つの経路

田仲祐介,八木 健

In vivoでのマウス中枢神経系からの神経活動の記録,解析系を確立させた。この過程の中で,マウス嗅球にて低濃度刺激によって誘発される神経活動(LFP)を見いだした。この活動は,従来に報告されている嗅覚性の誘発活動(誘起波)より低い周波数帯(7-14Hz)にピークが見られる。さらに垂直多点電極を用いて,この活動が糸球体層と僧帽細胞層の間に由来することを見いだした。また,この低周波活動中でのスパイクの有意な増大は見られなかったが相関を示した。これらの結果は,嗅球において周波数帯によって分離される独立な2つの経路が存在することを示し,低周波発振器(Low Frequency Oscillator)として中枢神経系において機能していることが示唆される。

 

 

高次神経性調節研究部門

【概要】

高次神経性調節部門は視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象としている。我々の視覚神経系は複雑な並列分散システムである。そこでは数多くの脳部位が異なる役割を果たしつつ,全体として統一のとれた視知覚を生じる精巧な仕組みがあると考えられる。また二次元の網膜像から世界の三次元構造を正しく理解できる仕組みもそなわっている。視知覚におけるこれらの問題を解明するために,大脳皮質を中心とするニューロンの刺激選択性や,異なる種類の刺激への反応の分布を調べている。具体的な課題として(1)初期視覚野における輪郭の表現,(2)初期視覚野における面の表現,(3)選択的注意による視覚および眼球運動関連領野ニューロン活動の変容,(4)大脳皮質における情報の補完の仕組み,などに関する研究を行った。

 

初期視覚系における輪郭線の折れ曲がりの表現

伊藤 南,小松英彦

従来の初期視覚系研究においては輪郭線の表現における直線成分や縞刺激の傾きに対する選択性の寄与が重視されてきたが,輪郭線の折れ曲がりや分岐もまた輪郭線の三次元的な構造を表現する重要な手掛かりである。注視課題遂行中のサルの第二次視覚野から細胞外記録を行い,十二方位からの組み合わせにより二本の直線成分をつなぎ合わせて作った輪郭線の折れ曲がりを受容野の中心に呈示して神経細胞の反応選択性を詳細に調べた。これまで我々は第二次視覚野には特定の組み合わせ(輪郭線の折れ曲がり)に対して特異的な反応選択性を示す細胞が多数存在することを見いだした。本年度は刺激中の直線成分を単独で提示した際の反応をもとに,折れ曲がり刺激を構成する直線成分に対する反応と折れ曲がり刺激に対する反応との関係を検討した。その結果,最適な直線成分に対する方位選択的な興奮性の入力に加えて,不適当な直線成分に対して働く方位選択的な抑制性の作用が選択性を決める上で重要な役割を果たしていることを見出した。以上の結果は第二次視覚野が輪郭線の折れ曲がりや分岐を検出する最初のステップであることを示唆する。

 

初期視覚系における面の表現。光計測による解析

谷 利樹,横井 功,伊藤 南,小松英彦
田中 繁(理研)

近年初期視覚系のニューロンが輪郭線の表現だけではなく面の表現とも関係していることが指摘されるようになったが,そのような面情報解析の神経メカニズムはまだ明らかではない。ディスプレイの画面を一枚の面と考えてその輝度を矩形波状に交互に反転させ,ネコ初期視覚野における神経活動を内因性信号による光計測により調べたところ,我々は18野に面の輝度反転により活動する領域(面反応領域)が17/18野に沿うようにいくつかに分かれて存在することを見いだした。この領域の内外で細胞外記録を行ったところ,個々の細胞レベルにおいても上記のような結果と整合するような性質を持つ細胞を多数記録した。本年度はこのような面反応領域と線の表現との関係を調べる為に,面反応領域の内外のニューロンの直線ないしはさまざまな空間周波数の縞刺激に対する反応を調べた。その結果,面刺激に反応するニューロンの多くは0.5cycle/º以下の低い空間周波数を持つ縞模様に対しても選択的な反応を示すことが明らかになった。面反応領域の内外で最適な空間周波数を比較すると,同じ18野内でも面反応領域内でより低い空間周波数に偏ることが明らかになった。特に0.08cycle/ºの縞刺激ないしは面刺激に対してよく反応するニューロンは領域内にのみ多数存在し,面反応領域を形成していると考えられる。

 

トップダウン性注意がサルV4野と前頭眼野のニューロン活動に及ぼす影響

小川 正,小松英彦

視覚探索では,刺激の目立ちやすさ(visual saliency)は目標となる対象を探すための重要な要因となる。しかしながら,日常生活で通常経験する視野には異なる特徴次元で目立つ刺激が複数個あるため,その中から必要な対象を探すためにはトップダウン的注意によって探索に有効な特徴次元を選択する必要がある。特定の特徴次元に向けられた注意が,視覚探索の神経機構に及ぼす影響を調べるため,多次元視覚探索課題をサルに行わせてV4野と前頭眼野からニューロン活動を記録した。課題では2種類の色と形から成る刺激が注視点の周りに6個呈示され,その中には色及び形次元で異なる刺激が1つずつ(目標,妨害刺激)含まれる(例えば,1つの赤四角,1つの緑丸,4つの緑四角)。サルは色,または形次元で目立つ刺激に向かってサッカードを行うと報酬がもらえるが,どちらの次元で目立つ刺激を目標とするかは試行ブロックごとに切り替えられる。得られたニューロン活動を解析した結果,V4野ニューロンは受容野内の刺激が周囲の刺激に対して色または形のどちらの次元で異なるかに依存して活動が変化した。また,どちらの特徴次元に注意すべきかを切り替えると,探索に有効な特徴次元で目立つ刺激へのニューロン活動は増強させたが,有効でない次元で目立つ刺激へのニューロン活動は減弱させた。これに対し前頭眼野では受容野内の刺激がどちらの特徴次元で目立つ刺激かにはよらず,サッカードの目標刺激となった場合にニューロン活動を増大させた。しかし,目立つ刺激が受容野内に呈示されてもサッカード目標とならない場合は,活動の増加はわずかであった。

 

盲点における線分の補完知覚に対応したサル1次視覚野神経活動

松本正幸,小松英彦

盲点の両側に2本の線分が同一直線上に呈示されると,盲点には網膜からの入力がないにも関わらず,一本のつながった線分が知覚される。このような補完知覚が生じるとき,サル大脳皮質一次視覚野(V1)で盲点に対応する視野を表現している領域(盲点表現領域)のニューロンが,線分の知覚される長さと相関した活動をするのかどうかを調べた。このために線分刺激を一方の眼の盲点付近の視野に呈示し,線分の一端を盲点外に固定したままもう一端を盲点の中心に向かって伸ばしていった時に,V1ニューロンの活動がどのように変化するかを調べた。非盲点条件において線分が長くなるにつれて徐々に活動を上昇させたニューロンの多くが,盲点条件において補完が生じる線分の長さで非連続な活動の上昇を示した。この結果は,V1の盲点表現領域に,補完知覚に対応した活動をするニューロンが存在することを示唆する。

 


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