生理学研究所年報 年報目次へ戻る生理研ホームページへ

統合バイオサイエンスセンター

戦略的方法論研究領域

【概要】

「構造と機能」という分子生物学のパラダイムは生物の機能が生体高分子,特に蛋白質の独自の構造によって支えられていることを明かにして来た。一方細胞より上の階層では組織,器官を見ると構造が機能と直結しているのはむしろ自明である。しかし生体高分子と組織・器官の中間に位置する細胞にはそのレベル独自の「構造と機能」が明確でない。細胞は一見オルガネラと各種小胞のランダムな集まりのように見える。しかし細胞レベルの生理現象の背後には細胞活動維持のための巧妙な情報生成と構造形成の機構がある。

本部門では細胞内超微小形態を高分解能,高コントラストで観察する新しい電子顕微鏡の開発を背景に細胞の「構造と機能」を研究している。具体的にはDNA1分子の塩基配列直読法の開発,チャネル蛋白質の電子線構造解析,微小管などの超分子構造解析,細胞内小胞輸送の可視化等の研究を行っている。

 

複素電子顕微鏡および位相差電子顕微鏡の開発

Radostin Danev,杉谷正三,大河原 浩,永山國昭

前年度に引き続き電子位相顕微鏡の開発,すなわちZernike位相差法(π/2位相板の利用),微分干渉法相当のヒルベルト変換法(π位相板の利用)の開発を行った。特に位相法の鍵である炭素膜位相板について無帯電(antistatic)化の方法論の開発に注力した。電顕内で試料が出す汚れの位相板付着を防ぐ方法として,位相板を高温に保つヒーティングホルダーの作製とそのテストを行った。結果は200℃〜300℃に位相板を保持すると電顕内での汚れが完全に防止でき,位相板を初期クリーン化できれば帯電問題をほぼ解決できることがわかった。この方法を一般電子顕微鏡に応用するため対物レンズの後焦点面を10〜15cm下方にずらすトランスファーレンズとヒーティングホルダーを組み合わせた新規の電子顕微鏡システムをデザインした。

国内メーカーに新規デザインの電子顕微鏡の試作を注文し100kV加速での第1号機ができ,その性能を調べた。結果は予想通り無帯電の位相板システムができあがった(図1,2参照)。

位相回復の方法として,新しい方法がオーストラリアの光学研究グループから提案されている。この方法は位相板を使わず強度情報のみを異なる条件で複数回で得て行う。TIE(Transfer of Intensity Equation)と呼ばれるこの方法と我々の提案する位相板を使う複素顕微鏡の方法の理論的比較を行った。

図1 試作した位相板帯電ぼうしようヒーティングホルダー 図2 ヒーティング(200℃)による汚れ防止と無帯電化の実験

図1 試作した位相板帯電ぼうしようヒーティングホルダー

 


位相板用炭素薄膜の材料科学的研究

Dorian Minkov,Radostin Danev,宇理須恆雄(分子研),大河原浩,永山國昭

位相板の帯電防止策は電子位相顕微鏡にとって死命を制する重要な要素技術である。2000年からスタートした研究の結果,帯電の原因が位相板に付着した汚れによることがわかった。この汚れが具体的に何に由来するのか,無機物由来か有機物由来なのか等を見極めるため種々のテストを行った。そして最終的に有機物,無機物(マイカ粉),酸化金属の3種類に由来することがわかった。この内特に有機物の中味を特定するためフーリエ変換赤外分光を用いた付着物の分光測定を行った。その結果炭素膜上に有機物の付着が分光学的に認められたが炭素薄膜という超微量試料計測のため定量的結果は得るまでには至らなかった。

 

塩基配列決定のための電子顕微鏡用重元素ラベル塩基の合成

田坂基行(東大院・理),長澤賢幸(分子研),永山國昭

電子顕微鏡でDNA塩基の同定弁別を可能とするためA,T,G,Cの塩基について2つの手法で多核重元素ラベル剤の開発を行った。1つは重いハロゲン元素の多核体を塩基の1位もしくは6位にラベル。もう1つは鉄-硫黄キュバン錯体を塩基の1位もしくは6位にラベル。後者については4Fe-4Sの立方体を基本骨格とし,その重元素置換体を大きな有機物ケージで酸化保護した錯体について合成を終了した。前者についてはヨウ素の多核体について合成を行った。

 

カルシウムチャンネルhTRPM2の精製と電子顕微鏡観察

松本友治,原雄二,森泰生,永山國昭

膜タンパク質TRPM2はレドックス準位依存性カルシウムチャンネルであり,その活性化因子b-NAD+の濃度上昇に伴ってTRPM2のチャンネル活性も上昇する。このことからTRPM2は細胞内のレドックス状態の変化によって引き起こされる細胞死に関連があるものと考えられている。

本研究では,ヒト全脳のcDNAライブラリーから再構成された全長のhTRPM2遺伝子をトランスファー・ベクターpYNGHis(C)/hTRPM2へと組み込み,組換えバキュロウイルス-カイコ系を用いてhTRPM2を大量発現させた。目的タンパク質はフッ化界面活性剤ペンタデカフルオロオクタン酸を用いることで抽出・可溶化でき,ニッケル・キレート・アフィニティカラムならびに微量ゲル濾過によって精製され,アミノ酸組成比が既知の配列情報から予想される値とほとんど一致するサンプルが得られた。

ゲル濾過における主ピーク近傍で予想分子量160kDaの成分を含む分画から負染色試料を作成して電子顕微鏡下で観察したところ,比較的サイズの揃った多数の粒子像を確認できた。現在,平均化像ならびに初期立体構造モデルを得るため単粒子解析法による電子顕微鏡画像データ処理を行っている。

 

セミインタクト細胞技術を用いた細胞内小胞輸送の可視化・再構成と分子機構の研究

村田昌之,加納ふみ,田中亜路,山内忍,永山国昭

光学顕微鏡下の単一細胞内でGFP標識オルガネラのダイナミクスを可視化し,かつその制御因子を生化学的に探索するため,「GFP蛍光デジタルイメージング技術」と形質膜を一部透過性にした「セミインタクト細胞系」をカップルさせた顕微アッセイシステムを構築した。本システムを用い,単一のセミインタクト細胞内でER⇄ゴルジ体→細胞膜,ゴルジ体⇄エンドソーム間の小胞輸送過程を可視化・再構成に成功した。間期・M期の細胞質を用い,細胞周期依存的な各輸送過程のキネティックスを定量的に解析し,M期にはゴルジ体→ERの逆行輸送は停止する(cdc2キナーゼ依存的)し,その停止は,ゴルジ体へ向かう輸送小胞が形成されるtransitiona-ER(tER)構造が,cdc2キナーゼ依存的に消失することを明らかにし,それを制御する分子基盤を同定した。

 

 

時系列生命現象研究領域

【概要】

神経細胞は,イオンチャネルやトランスポーターに依存して細胞内外のイオンの動きを制御しており,これが,脳の情報処理の物理的基礎となっている。何百種類もの膜機能分子は,できあがった神経系で働くだけでなく,発達途中の神経系でも機能しており,電気的活動を阻害すると,生後の機能的な神経回路が成熟しないことなどから,発生過程での電気的活動は正常な脳の発達に必要である。電気的活動を担う分子群(イオンチャネルやトランスポーター)などのレベルでの発達過程で電気的活動の制御や,細胞内の信号伝達の仕組みを解明する目的で,神経系の発達過程でのイオンチャネルの発現制御と役割を,分子生物学,電気生理学などの手法を駆使して明らかにする研究を行っている。

 

細胞個性に見合った興奮性を実現する機構:
中枢ニューロンの発火特性を決定する電位依存性Naチャネルの性質

岡村康司
岩崎広英(生理学研究所)

中枢神経系ニューロンは,その神経回路内での役割に合った興奮性を示す。たとえば小脳プルキンエ細胞は,速い周波数の規則的な発火を特徴とするが,これには特殊なNaチャネル電流の性質が基盤となっている。哺乳類Naチャネル分子の性質を,発現系細胞およびスライスパッチ法による解析により解析し,スプライシングのバリアントの発現などの制御機構について明らかにした。

 

発生過程におけるイオンチャネルの制御および電気的活動の役割

岡村康司

イオンチャネルは発生過程で時期特異的な発現および機能の制御をうけることで,後期の電気活動依存的な発生の調節に重要な役割を果たしている。これらの発生過程でのチャネルの時間依存的制御に関する分子機構として,発生過程での電位依存性NaチャネルとCaチャネル分子の発現の制御機構に注目して発現系細胞での電気生理学的解析を行った。

 

ゲノム情報に注目したイオンチャネル分子機能の研究

岡村康司,村田喜理

近年複数の生物ででゲノムやcDNAの配列,遺伝子発現様式が明らかにされ,生理機能をゲノム情報を基盤として理解することが急務になりつつある。原索動物ホヤから新たなイオンチャネル分子および関連分子を発掘し,発現実験により,チャネル分子の構造機能連関に関する原理解明を行なった。

 

 

生命環境研究領域

【概要】

イオンチャネルは,細胞内環境を外環境から隔てている形質膜に存在し,イオン流入・流出等を仲介することによって,外環境からの刺激に対する細胞応答を制御している。多様な環境変化に対応すべく,イオンチャネル/トランスポーター群は,活性化開口されるトリガー(或いはアゴニスト)への応答性および輸送物質選択性において,進化的に莫大な多様性を獲得している。本研究においては,環境への生物応答の本質に迫るべく,様々な物理刺激や生理活性物質をトリガーとするイオンチャネルが,どのように遺伝情報としてコードされているかを探究している。さらに,イオンチャネル/トランスポーターがどのような機構で作動し,実際にどのような生理,細胞機能を担っているかの解明を行っている。

 

酸化修飾により活性化するCa2+透過性カチオンチャネルのメカニズム解析

吉田卓史,原 雄二,西田基宏,森泰生

細胞外からのCa2+流入を促すCa2+チャネルには電位依存性型,リガンド作動性型,受容体活性化型の3種類に大別される。我々のグループでは受容体活性化Ca2+チャネルの分子的実態として考えられているTRPチャネルのひとつTRPC5が活性酸素種であるH2O2や活性窒素種であるNOにより活性化することを明らかとした。

この活性化メカニズムを解明するためにシステインの特異的な酸化剤である5-Nitro-2-PDSを用いたところTRPC5の大きな活性化が見られた。また膜透過型のシステイン酸化剤MTSEAでもTRPC5は活性化されたが膜非透過型のシステイン酸化剤MTESTでは活性化が見られなかった。このことからTRPC5の活性化には細胞内に存在するシステインが酸化されることが必要であることが明らかとなった。現在は酸化修飾を受けるシステイン残基の特定を行っている。

 

細胞内酸化還元状態の変化により活性化されるチャネルTRPM2の分子機能解析

原雄二,西田基宏,吉田卓史,森泰生

細胞内の酸化還元状態は定常状態を保っているが,恒常性が破綻すると生理機能の障害を引き起こす。この破綻機序の一つに,細胞内のイオン動態の急激な変化が挙げられるが,直接的な高親和性標的であるイオンチャネルの分子的実体は大きな謎であった。我々は細胞内酸化還元状態により活性化されるCa2+透過型カチオンチャネルTRPM2を発見した。TRPM2にはヌクレオチド結合しうるNudixモチーフが存在する。我々はNudixモチーフにβ-NADが結合することにより,TRPM2チャネル活性を引き起こすこと,過酸化水素による活性化にはβ-NADが重要な役割を果たしていることをそれぞれ見い出した。さらにTRPM2の機能の一つとして,細胞死を誘導することを明らかにした。膵臓b細胞株RIN5F,単球細胞株U937において,TRPM2特異的アンチセンスオリゴ適用により過酸化水素,TNFa処理による細胞死が有意に抑制された。以上の知見からTRPM2は生体内において酸化還元状態を感知し,細胞内Ca2+濃度上昇により細胞死をもたらす経路の中心分子の一つであるものと考えられる。

 

カルシウムチャネル変異マウスの解析

五日市 友子,西田 基宏,森 泰生

近年の遺伝子学的,分子生物学的研究から,P/Q型電位依存性カルシウムチャネルの変異はヒトならびにマウスにおいて小脳失調をはじめとした様々な神経疾患を引き起こすことが示唆されている。その変異マウスのひとつであるrocker(rkr)はP/Q型チャネルa1Aサブユニットのポア形成領域付近に点変異(T1310K)があり,運動失調や小脳プルキンエ細胞樹状突起の形態異常が認められる。rkrの小脳プルキンエ細胞を急性単離し,パッチクランプ法によりカルシウムチャネル電流の特性を解析した結果,rkrでは正常マウスに比べ,電流密度が低下していること,不活性化の電位依存性が変化していることが明らかとなった。電流密度の低下は組み換え発現系によっても再現されたことから,カルシウムチャネルa1Aサブユニット遺伝子の変異が直接的にrkrの表現型に関与している可能性が示唆される。

N型チャネルa1Bは,P/Q型チャネルとともに神経終末における神経伝達物質の放出やカルシウムスパイク形成に関わる主要なチャネルである。N型チャネルが持つ生理的役割および病態との関連を解明する目的で,N型チャネル欠損マウスを作成したところ,中枢神経系の際立った異常は認められなかったものの,血圧・心拍数の恒常的増大および圧反射機能の欠損が認められた。心房筋標本を用いて解析を行った結果,N型チャネル欠損マウスでは交感神経からのアドレナリン放出能が異常を来たしていることが明らかとなった。胸部大動脈血管マグヌス標本を用いた解析で,a1アドレナリン受容体刺激による平滑筋収縮応答の感受性がN型欠損によって増大していることを明らかにした。

 

免疫B細胞におけるCa2+シグナル増幅機構

西田基宏,原雄二,沼賀拓郎,森泰生

ホスホリパーゼC (PLC)は受容体を介したCa2+動員やシグナル伝達の中枢的役割を担っている。PLCの活性化は,イノシトール3リン酸(IP3)を産生し,ストアーからのCa2+放出や細胞外からのCa2+流入を引き起こす。非興奮性細胞において,受容体刺激は2相性の細胞内Ca2+濃度上昇を引き起こす。最初のCa2+応答はストアー依存的であるが,持続的なCa2+応答の分子メカニズムは未だに良くわかっていない。PLCg2を欠損させた免疫B細胞株DT40とIP3センサータンパクを用いて,受容体刺激やストアー枯渇刺激による細胞外からのCa2+流入とPLCg2活性との関係を調べた。その結果,Ca2+流入がPLCg2のC2ドメインを介してPLCg2を膜近傍マイクロドメインに移行させ,持続的なCa2+振動(オシレーション)を引き起こすことを明らかにした。また,PLCg2は恒常的にTRPC3カルシウム透過型チャネルと結合することで,受容体刺激によるCa2+応答を増大させていることを明らかにした。Ca2+流入によるPLCg2活性化は,IP3産生を介してCa2+シグナルを増幅させる一方で,ジアシルグリセロール(DG)を産生しMAP kinase (ERK)を活性化させた。ERKは従来から細胞増殖・分化を誘導するシグナルとして位置付けられていることから,Ca2+流入によって引き起こされるシグナル増幅機構が細胞周期の進行に関与するのではないかと考えている。また,DT40細胞における容量性Ca2+流入を担う分子実体についても検討し,TRPC1がその候補の一つとなることを明らかにした。

 

遺伝学的アプローチを用いたカルシウムチャネルの生理学的役割の解明

山田和徳,森泰生

PKDは常染色体優勢遺伝嚢胞腎(autosomal dominant polycystic kidney disease; ADPKD)の原因遺伝子の一つとして単離されたPKD2,PKD2-like (PKDL),PKD2L2からなるTRP類縁体である。ADPKDは高羅患率(約0.1 %)を示す疾患であり,腎の皮質,髄質に多数の嚢胞が形成される。我々は,PKDLのチャネルの発現分布,チャネルの特性について検討し,そのおよび活性化機構を明らかにした。現在,チャネルの持つ生理学的役割の解明に向けて,上皮細胞などの異常増殖・死による嚢胞形成機構についても検討している。

 

細胞内蛋白質の活動の可視化を目指した蛍光性バイオセンサーの構築

清中 茂樹,西田 基宏,森 泰生

細胞内の生命現象を明らかにするために,細胞内バイオセンサーに関する研究が精力的に進められている。小分子濃度を感知するセンサー構築においては,Ca2+に対するFura2などいくつか成功を収めているが,小分子が細胞内蛋白質に結合する段階を評価する方法論は皆無に等しい。細胞内カスケード反応を解明するにはこの問題点を克服する必要があり,次世代の細胞内バイオセンサーの課題だと我々は考える。そこで細胞内蛋白質の活動(小分子の結合)を評価可能な蛍光性バイオセンサーの構築を遂行する。その方法論としては,細胞内蛋白質の基質結合部位をそのまま蛍光性センサーに変換する手法を採用する。この手法だと細胞内で本来担う機能を損なうことなくバイオセンサーへと変換できる。標的蛋白質としてはアセチルコリン受容体(AChR)を選択する。AChRは神経伝達物質であるアセチルコリン(ACh)を認識し,細胞表層から細胞内への情報伝達における第一ステップを担っている。AChの結合を蛍光の強度で評価可能になれば,細胞内におけるAChの濃度分布だけでなくAchRの活動を時間・空間分解的に可視化できる。現在,in vitroでのバイオセンサー構築を遂行している。

 


このページの先頭へ年報目次へ戻る生理研ホームページへ
Copyright(C) 2003 National Institute for Physiological Sciences