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9.神経科学の新しい解析法とその応用

2002年11月14日-11月15日
代表・世話人:東田陽博(金沢大学大学院医学研究科)
所内対応者:池中一裕

(1)
RNAiによる神経発生関連遺伝子の探索ー2
東田陽博(金沢大学大学院医学研究科脳細胞遺伝子)
(2)
遺伝学を用いた神経細胞死実行機構の解析
三浦正幸(理化学研究所能化学総合研究センター細胞修復機構)
(3)
脳内糖鎖の網羅的解析と神経疾患
池田武史(生理学研究所神経情報部門)
(4)
糖転移酵素のマクロアレー解析の試み
石井章寛(生理学研究所神経情報部門)
(5)
Lymnaea連合学習の神経回路−平衡胞有毛細胞の光応答
飯塚 朗(東海大学開発工学部生物工学科)
(6)
in-vitro条件付けによる神経細胞修飾とそのメカニズム
川合 亮(東海大学開発工学部生物工学科)
(7)
モーリス水迷路学習,海馬LTPと海馬脂肪酸分析の相互相関
小谷 進(東海大学大学院医学研究科)
(8)
成熟ニューロンにおけるNDMA型グルタミン酸受容体の発現制御とシナプス形成
清末和之(産業技術総合研究所人間系特別研究体)
(9)
アストロサイトからの自発的ATP放出によるシグナル伝達調節
小泉修一(国立医薬品食品衛生研究所)
(10)
細胞位置自動検出法の開発とそのカルシウムイメージングへの応用
須々木仁一(東京薬科大学生命科学部生体高次機能学)
(11)
開口分泌機構の時空的解析
熊倉鴻之助(上智大学生命科学研究所神経化学部門)
(12)
PtdIns(4,5)P2マイクロドメインと分泌小胞野開口放出部
青柳共太(東京大学大学院総合文化研究科)
(13)
bFGFは開口放出機構に作用し神経伝達物質放出を引き起こす
沼川忠広(産業技術総合研究所人間系特別研究体)
(14)
Muscle-spinal cord co-culture systemを用いたneuromusculartransmissionの解析法
田口恭治(昭和薬科大学薬物治療学研究室)

【参加者名】
工藤佳久(東京薬大生命科学),榊原学(東海大開発工学),三浦正幸(理研),清末和之,松本知也(産総研),川合亮(東海大),高橋正身(北里大医),植村 慶一(慶応大医),熊倉鴻之助(上智大生命研),井上和秀,小泉修一(国立医薬品食品衛生研),田口隆久,工藤卓(産総研),宮本英七(熊本大),宮武正,田口恭治(昭和薬大),鈴木邦彦(ノースカロライナ大),東田陽博,金 鉾,陳小良(金沢大),青柳共太(東大院総合),須々木仁一(東京薬大),小谷進,鈴木 啓之,飯塚朗(東海大),藤森一浩,横幕大作,沼川忠広(産総研),榎戸靖(国立精神神経センター),岸本拓哉,根本知己(生理学研究所),笹川展幸,村山典恵(上智大生命研),大倉正道,重本隆一(生理学研究所),佐々木幸恵(総研大)

【概要】
 近年のめざましい技術開発により能研球は,分子生物学・蛋白質化学的手法による分子レベルでの解析,光学的痩躯鄭・電気生理学的手法を用いた脂肪レベルでの機能解析,さらにはトランスジェニック動物作成による固体レベルでの解析まで細分化が進んできた。それぞれの分野のエキスパートが共同研究することが常識となっている。しかしながら,専門分野の異なる研究者が互いの技術や知識を交換する場は意外に少ない。

 本研究会では多様な角度からアプローチを専門とする研究者が会して情報交換と今後の展開を討議した。昨年度の参加者は最新の顕微鏡を応用した新しいイメージング法,生きた固体に直接DNAを導入するin vivoエレクトロポレーション法,ゲノムワイドRNAiを用いたショウジョウバエの神経関連遺伝子のスクリーニング法を紹介した。本年度はこれを用いた最新成果が紹介された。更に,それぞれ浮かび上がった問題点を提示し,これに対して異なった角度から研究を行っている研究者との意見の交換を通じたことで一層の研究発展が見込まれる。

 

(1)RNAiによる神経発生関連遺伝子の探索2

東田陽博(金沢大学大学院 医学系研究科 脳細胞遺伝子)

 ショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の全遺伝子塩基配列が2000年3月に解読され,約13,600個の遺伝子から成ることがわかった。そのうち約半数についてはすでに同定されていたり,他の動物種でわかっている遺伝子とのホモロジー等から,それらの機能が推測できた。しかし,残りの数多くの遺伝子について,それらの機能は不明である。ポストゲノムシークエンス時代の今,それらの機能未知遺伝子の機能を同定(アノテーション)することが最大の課題となっている。

 外来遺伝子による内在性RNAの発現抑制は,転写後遺伝子サイレンシング(PTGS)と呼ばれている。この特定遺伝子の発現阻害(RNA interference, RNAi)に2本鎖RNA double stranded RNA (dsRNA)が有効であることが,植物,線虫,トリパノゾーマ,ショウジョウバエ,マウス等で報告されだし,RNAiが,生物の持つ普遍的な機構であることがわかってきた。しかも,使用するdsRNAは低濃度長時間作用し,ターゲット遺伝子に対し特異性も高いことが示され,新しい有効な手となりつつある。従って今回この,RNAi法を使う逆遺伝子学的手段で,遺伝子一個一個をつぶして,その効果をみてゆくという戦略で,神経ネットワーク(シナプス回路)形成に関与する遺伝子を抽出し,機能未知遺伝子の機能の同定を行うことを計画した。

 具体的実験は,ESTでラベルされたDNA断片約9,000個の遺伝子をPCR法により増幅し,そのDNAからdsRNAを合成し,ショウジョウバエ受精初期胚に注入することにする。24℃では約14時間インキュベートし,胚を充分発育させた後,神経の発生分化に異常があるかないかを,神経系を染めるモノクロ抗体22C10で染色し,末梢及び中枢神経の構造を観察することにした。RNAiはこの2〜3年の間に盛んに行われるようになってきたが,dsRNAを微量注入し,神経系発生に必須な遺伝子の探索を網羅的にみてゆく方法論そのものが全く新しく過去にないものなので,ここではそれら諸条件の確立をめざす基礎的実験を行ったので報告する。

 

(2)細胞死実行シグナルの分子遺伝学的研究

三浦正幸(理化学研究所脳科学総合研究センター細胞修復機構)

 細胞死が発生過程で厳密にプログラムされた形で観察されるという線虫を用いた細胞系譜の研究から,この現象が細胞分化と同様に遺伝的にプログラムされたメカニズムを使って行われるという認識がなされるようになった。その後,線虫の遺伝学を駆使して細胞死実行カスケードが明らかにされ,カスパーゼを中心とする進化的に保存された細胞死実行機構が明らかにされてきた。しかし,ほ乳類や他の多細胞動物での細胞死は細胞系譜で決められた線虫のような細胞死の様式をとることはむしろ例外で,多くの細胞死は周りの細胞との相互作用や外的な刺激によって決定され実行されている。そのためほ乳類での細胞死を理解するために線虫の細胞死をモデルとして利用するのには限界があるのも事実である。そこで我々は,遺伝学的な研究が可能で,かつほ乳類での細胞死の特徴を備えたモデル動物としてショウジョウバエを研究に用い細胞死実行のシグナルカスケードの研究を行っている。ショウジョウバエのさまざまな組織に内在する任意の遺伝子を過剰に発現させ,その表現型をもとに目的の遺伝子をスクリーニングする方法を用いて,ショウジョウバエの複眼に任意の遺伝子を過剰に発現させ,複眼がつぶれる系統を選別するスクリーニングを行っている。細胞死が誘導されればその組織は失われると考えられるため,この系統中には,細胞死を誘導する遺伝子を過剰に発現しているものが含まれているはずである。我々はこの大規模なスクリーニングによって,無脊椎動物では初めてのTNFファミリー遺伝子Eiger(アイガー)を同定した。Eigerによる複眼の縮小はJNK依存的・カスパーゼ非依存的な新規のシグナル経路を使っていることが明らかになった。このスクリーニングは遺伝子の過剰発現による機能獲得型のスクリーニングであるが,遺伝子機能が欠損したときの表現型をもとにおこなうスクリーニングも,細胞死制御機構を遺伝学的に理解する上で有効である。Eigerを複眼で発現させると複眼がつぶれるが,その表現型を回復させる染色体欠失変異系統をスクリーニングすることによって,Eigerによって誘導される細胞死に関与する遺伝子が得られると予想される。このスクリーニングによってEigerの受容体を構成する遺伝子としてTNF受容体ファミリーに属する遺伝子を同定し,wengenと命名した。TNFは哺乳類において様々な機能を持つサイトカインであるが近年,神経系での機能が注目されている。Eigerは神経系で特異的に発現しており,ショウジョウバエをモデルとして用いることによってTNFファミリーの新たな神経系での機能が明らかになると期待される。

 

(3)マウス大脳皮質発達過程及び神経変性疾患におけるN結合型糖蛋白質糖鎖発現の系統的解析

池田武史,藤本一朗,石井章寛,池中一裕(生理学研究所神経情報部門)
中北愼一,長谷純宏(大阪大学理学部化学教室)
高橋 均,辻 省次(新潟大学脳研究所)

 細胞表面の大部分は密に糖鎖に覆われており,細胞接着・細胞認識等の細胞間相互作用に重要な役割を果たしていると考えられている。一方で糖鎖は細胞内においては糖蛋白質の品質管理に関与していることが明らかとなっている。近年N結合型糖鎖生合成系に関係する様々な酵素の遺伝子欠損マウスが作製され,N結合型糖鎖が脳の正常な発生に必須であること,ヒト遺伝病との関連があることが明らかとされてきた。

 一方我々はこれまでHPLCを用いたN結合型糖蛋白質糖鎖の系統だった解析法を開発し,組織全体における糖鎖発現パターンの解析を進めてきた。特定の糖蛋白質に付加するN結合型糖鎖の構造は不均一であるにも関わらず,脳内の糖鎖発現パターンを時期及び領域を限局して解析を行うと個体差なく極めて良い一致を示した。このことから糖鎖発現は組織全体で厳密に制御されており,一定の糖鎖発現が正常な脳機能発現に必須であることが示唆された。脳内では他の臓器と比較し,非常に多様かつ特徴的な糖鎖構造が発現していることが知られている。脳の構築には非常に高度な細胞間相互作用を必要とすることから,これら多様な構造をもつN-結合型糖鎖が重要な情報分子としてその一翼を担っていると考えられる。脳形成過程における糖鎖発現の変動はどのような生理的意義をもつのか,また脳における糖鎖発現の恒常性が崩れた時にどのような疾患となって現れるのか非常に興味深い。

 そこで我々は脳形成過程のモデルとしてマウス大脳皮質に着目し,組織全体の糖鎖発現パターンを構造レベルで詳細に検討を行った。また糖鎖発現の異常が疾患を引き起こす可能性に関して,アルツハイマー病(AD),皮質基底核変性症(CBD),多系統萎縮症(MSA)の各種神経変性疾患に着目し糖鎖解析を行った。

 マウス大脳皮質発達過程において,胎生初期にはあまり脳に特徴的な糖鎖構造は認められないが,それらは段階的に発現が開始し,次第に多様かつ脳特徴的な糖鎖発現パターンを形成することが観察された。このことからこれら多様な糖鎖構造は発達過程ではなく,むしろ脳形成後の正常な機能維持に関与している可能性があると考えられる。

 一方で中枢神経変性疾患であるAD及びMSAにおいてTauやSynuclein陽性構造物の沈着がなく,組織学的に正常と思われる領域でも糖鎖異常が見出せた。したがって我々は糖鎖発現の異常が神経変性疾患を引き起こす原因となる可能性を示唆する結果が得られた。

 

(4)糖転移酵素遺伝子発現のマクロアレイ解析の試み

石井章寛,藤本一朗,池田武史,佐久間圭一朗,出口章広,池中一裕
(生理学研究所神経情報部門)

 これまでの糖鎖研究は主に生化学および細胞生物学手法を用いて行われ,糖鎖が(1)細胞間相互作用や外来性刺激の認識分子として機能する事,(2)個体の発生・分化,組織形成とその維持などに必要である事,(3)糖蛋白質の品質管理に機能している事が明らかになった。

 糖鎖の生合成経路に関与する糖転移酵素群は多岐にわたり,個々の遺伝子を制御することは非常に困難であると考えられた。しかし,糖鎖構造は組織の部位と時期を限局すると個体差なく非常に厳密に保存されている事,人為的に糖鎖合成系を操作すると生合成系そのものが破綻する事,細胞分化,癌化に伴い劇的に変化する事,初期発生時には糖鎖構造は劇的に変化する事,組織により糖鎖構造は異なり,組織特異的な構造がある事などから糖鎖合成遺伝子の発現と制御機構は非常に緻密かつ複雑である事が推察される。

 以上の事から,遺伝子発現と制御機構を明らかにする事は,脳の発生段階で時期および部位特異的に出現する糖鎖の意義を解明する上でも非常に重要である。そこで糖転移酵素遺伝子群の発現変化と制御機構を網羅的に解析する系-糖転移酵素遺伝子のマクロアレイ-を完成させ,その実用性を検討した。

 GeneBankに登録されている糖鎖合成酵素の137遺伝子に対するプライマー対を作製しRT-PCR,TAクローニング法でベクターに組み込んだ。現在109遺伝子をクローニング済みである。cDNAマクロアレイ法の条件検討としてはプローブの長さ,ハイブリダイゼーションの反応液・温度,wash等を行い,至適条件を決定した。この解析系を用いて肝臓,腎臓,胎生12日および成体マウス全脳の糖鎖合成系酵素遺伝子の発現を解析した。その結果,糖鎖構造と糖転移酵素遺伝子の発現には相関がある事が判明した。

 このように遺伝子群の発現変化を系統的に解析することにより,各種臓器において時期特異的あるいは部位特異的に発現する糖鎖を見いだし,細胞移動,機能および細胞種を決定する新たな因子を見つけられる可能性は大きく,発生・分化および形態形成の機構解明につながると考えられる。さらに各種臓器の病態時における糖合成酵素の発現変移と糖鎖パターンを把握することは,疾患と糖鎖発現の相関を明らかにするうえで非常に重要であると考えている。

 


(5)Lymnaea連合学習の神経回路−平衡胞有毛細胞の光応答

飯塚 朗,榊原 学(東海大学開発工学部生物工学部)

 軟体動物腹足類のヨーロッパモノアラガイ(Lymnaea stagnalis)は光と振動刺激を,それぞれ条件刺激,無条件刺激として連合学習が可能で,(Sakakibara et al.1998),そのための発達段階,条件刺激に関し最適な条件も明らかにされている(Ono et al.2002)。しかし,この光と振動による連合学習に関与する神経回路は不明で,そのメカニズムもわかっていない。今回,この連合学習に関与する神経回路の同定を試みた。光を受容する視細胞は一対の眼に存在する視細胞と皮膚に存在する光受容細胞があることが知られているが,眼を物理的に破壊すると連合学習が成立しないことから眼からの条件刺激入力が必須で,一方振動刺激は平衡法有毛細胞により受容される。

 そこで学習前のモノアラガイから眼と平衡胞を維持した状態の中枢神経節を摘出し,光の照射による視細胞,平衡胞有毛細胞の電位変化をそれぞれ細胞内記録法により観察した。また,それぞれの細胞へ0.5Hz,1nAで電気泳動的に蛍光色素を注入し,それぞれの神経走行を光学顕微鏡下で観察した。その結果,視神経束の近くに分布する視細胞は軸索を脳神経節へ伸ばし,そこで広がりを持った終末を形成していた。視細胞の1種類では静止膜電位-62.5±12mV(n=12)で,1秒間の刺激光に対して脱分極応答するが明瞭なoff応答を伴わず,数十秒かけて静止膜電位に復帰した。一方有毛細胞は平衡胞における位置にかかわらず一本の神経束となり,直接脳神経節に入り,視細胞終末とほぼ同じ位置に終末を形成していた。平衡胞有毛細胞の静止電位は-56±10mV(n=22)で,吻側有毛細胞では光刺激に対して,平衡電位が正の脱分極応答を示した。この光照射によって引き起こされるEPSPは,眼を破壊することにより不可逆的に消失し,また,外液のCaイオンを除去した場合,可逆的に消失した。このことから有毛細胞の光応答は,化学シナプスを介した視細胞からの入力を受け,モノあるいはポリシナプティックに連絡することが示された。さらに平衡胞有毛細胞光応答が体現することは,有毛細胞で連合学習情報の最初の統合が起こることを示唆し,同じ軟体動物腹足類のウミウシの連合学習機構とは異なると考えられた。

 

(6)in-vitro条件付けによる神経細胞修飾とそのメカニズム

川合 亮(東海大学開発工学部生物工学科)

 海産軟体動物エムラミノウミウシ(以下ウミウシ)は学習・記憶のモデル動物として使用されてきた。ウミウシは走光性を有し,また振動刺激に対して足の筋肉を収縮させる。そこで光を条件刺激,振動を無条件刺激として訓練を行うと走光性の減退が生じる。学習を獲得した動物で生じる細胞特性の変化は主にB型視細胞で報告され,生理学的には膜抵抗値の増大に代表される興奮性の増大があり,形態学的にはシナプス結合が存在すると考えられている細胞終末部の矮小化がある。これらの細胞特性の変化は,神経節と感覚器(眼および平衡胞)から成る単離脳標本に光刺激と振動刺激を与えても生じ,これを単離脳条件付けと呼ぶ。単離脳条件付けによる実験系は,これまで生理学的特性変化の機構について示唆を与えてきたが,細胞終末部の形態変化に関わる機構は不明であった。

 昨年度の報告において,細胞内Ca2+放出に関与しているリアノジンレセプタのアンタゴニストDantroleneの投与後に単離脳条件付けを行うとB型視細胞の形態変化が生じないことを報告したが,本報告ではDantroleneの細胞内Ca2+上昇への影響と単離脳条件付けに伴う軸索末端部形態変化へのCa2+キレータの効果について検討した。さらに,膜抵抗値と軸索末端部形態変化の経時観察を試みた。

 カルシウム指示薬Oregon Green 488 BAPTA-1によるCa2+イメージングを試みたところ,膜電位を-60 mVから0 mVへの脱分に対し,対照実験群では刺激前に比べ約50%蛍光強度が増加したが,Dantrolene投与群では20%の蛍光強度変化にとどまった。一方,Ca2+キレータBAPTAを細胞内へ注入した後,単離脳条件付けを行うと細胞末端部の収縮は観察できなかった。

 膜抵抗値と軸索末端部の形態変化を経時観察したところ,光刺激と振動刺激を重なるように与えた群の膜抵抗値は条件付け1分後に増大したが,軸索末端部の形態変化は条件付け5分後から観察された。光刺激と振動刺激を重ならないように呈示した群では膜抵抗値ならびに軸索末端部の形態変化は観察できなかった。

 以上の結果は,生理学的特性と形態学的特性の変化はともに細胞内カルシウム濃度上昇を必要とするが,生理学的特性に比べ形態変化はより遅い反応過程であることを示唆している。

 

(7)モーリス水迷路学習,海馬LTPと海馬脂肪酸分析の相互相関

小谷 進(東海大学大学院医学研究科)
藤田知宏,榊原 学(東海大学開発工学部)
秋元健吾,河島 洋,小野佳子,木曽良信(サントリー(株)健康科学研究所)
岡市廣成(同志社大学文学部)

 老齢ラットでは空間記憶能力と海馬でのシナプス可塑性長期増強(LTP)が若齢ラットと比べて低下することが知られている。さらに老齢ラットでは必須不飽和脂肪酸の一つであるアラキドン酸の脳組織内の量が低下するといわれている。そこで,それらの改善を目的として,老齢ラットにアラキドン酸を積極的に食餌により摂取することで,モーリス水迷路学習,海馬急性切片によるLTPについて対照食で飼育し老齢ラットと比較したところ,両実験ともアラキドン酸を摂取した老齢群で改善が認められた。LTPについては,アラキドン酸摂取群で若齢群と同程度の増強度を示したことを昨年の研究会で報告している。

 今回,水迷路学習の成績とLTP増強度,LTP増強度と海馬脂肪酸量のそれぞれの相互相関について比較した。水迷路学習成績(逃避潜時,Hit%,プローブテスト)とLTP増強度の相関では,逃避潜時-LTPに負の相関が,Hit%-LTP,プローブテスト-LTPに正の相関が見られ,中でもHit%-LTPの相関が高いという特徴があった。更に,LTP増強度と海馬脂肪酸組成(AA,PC,PE,PI,PS)の相関では,いずれも正の相関が見られ,そのうちLTP-PIの相関がもっとも高かった。これは海馬中でのアラキドン酸がリン脂質に占めるPI(ホスファチジルイノシトール)の割合が最も高いことと一致していた。

 これらは海馬内の脂肪酸が加齢により減少するが,これをアラキドン酸補助食摂取が防止することを示唆し,なかでもPIが水迷路学習とLTPに関ることを示した。

 

(8)成熟ニューロンにおけるNDMA型グルタミン酸受容体の発現制御とシナプス形成

清末和之,中山貴美子,田口隆久
(産業技術総合研究所人間系特別研究体ニューロニクス研究グループ)

 高度高齢化社会を迎えた中,健全な生活を送るための神経系の機能維持や機能回復の技術の確立は社会的要求の高い課題である。我々は,神経回路の再接続の分子メカニズムを理解することを基盤研究として,これらの課題に取り組んでいる。

 NDMA型グルタミン酸受容体分子は,神経回路網の形成やシナプス可塑性において重要な役割を持つ分子と考えられおり,NR1とNR2A-Dからなるヘテロオリゴマーである。特にNR2Bサブユニットはその発現の時期特異性から,発生時の回路形成に重要であると考えられている。しかしながら,いったん成熟した回路における再編成の機構の可能性ついては不明な点が多い。この問題に取り組むため,解離培養系においてNR2Bのサブユニットの発現とシナプス結合について,電気生理学的,免疫組織化学的検討を行った。

 我々の用いた解離培養系においても,NMDA受容体分子の発生依存性は再現でき,培養日数に依存して,NR2Bを含む受容体分子の発現が低下することを確かめた。さらに詳細な解析によりNR2Bを含む受容体分子の発現は単純に培養日数に依存するのではなく,その細胞の発火頻度に相関があることが明らになった。また,それに対応して,発現は細胞の活動を抑制することにより,NR2Bの発現の低下が抑制されることも明らかにした。

 成熟した神経細胞として,培養日数20日以降の海馬培養細胞をもちいた。この培養細胞においては,NR2Bの発現は十分に低下しているので,これらの細胞をモデルとした。2日間のテトロドトキシン(TTX)の処理により,細胞体におけるNMDA電流においてNR2Bを含むNMDA受容体の再発現が確認された。既存のシナプス伝達への寄与をみるため,AMPA受容体を含む微小シナプス電流(minis)を測定したが,NR2B成分は増加していなかった。しかしながら,膜電流は増加しており,これがifenprodil,およびボツリヌス毒素により阻害されることから,小胞依存的に放出されてNR2Bを含むNMDA受容体を活性化していることが明らかになった。さらに免疫組織化学的手法により,細胞表面に存在するNR2Bサブユニットはシナプスフィジン染色の直下には無いことが確認された。これらのことは,増加したNR2Bを含むNMDA受容体が既存のシナプスではなく,既存のシナプスの横に増えて,サイレントシナプスとして機能していることを示唆している。このことを確認するために,Dual Whole cell recordingsを行い,細胞間のシナプス結合を調べた。隣り合った細胞から記録したところ,サイレントシナプス結合が増えていることが確認された。これらの結果は,成熟した神経細胞においても,活動抑制によりNR2Bが増え,サイレントシナプスの形成が起きていることを示している。

 

(9)アストロサイトからの自発的ATP放出によるシグナル伝達調節

小泉修一(国立医薬品食品衛生研究所薬理部)
井上和秀(国立医薬品食品衛生研究所代謝生化学部,
九州大学大学院薬学研究院化学療法分子制御学)

 ATP受容体の分子的実体・組織分布が明らかとなり,その広範な組織分布と多様なATP応答から,ATPは実に多くの生理機能と関連していると考えられている。また様々な生理学的・薬理学的実験により,ATPが中枢および末梢で神経伝達物質として機能していることは,もはや疑いのない事実であるといえる。昨年の本研究会で,[1]ATPが機械刺激に応答して海馬アストロサイトから放出されること,またこのアストロサイト由来ATPが,[2]アストロサイト間Ca2+wave伝播を形成し,[3]さらに近傍神経細胞のグルタミン酸による興奮性シナプス伝達をもダイナミックに制御していることを報告し,ATPを介する神経−グリア細胞間“tripartite synapse(pre-, post-及びastrocyteが作るperi-synapse)仮説”を提唱した。つまり興奮性シナプス伝達によってシナプス間隙から漏れ出た神経伝達物質が,周辺アストロサイトに作用しATPを放出させ,これが神経細胞にフィードバック様制御をかける,という作業仮説である。実際,グルタミン酸はアストロサイトからATP放出を引き起こす。この仮説では,神経細胞の活動が一連の応答の引き金となると考えられているが,ラット神経-グリア共培養細胞にtetrodotoxinを処理し神経間連絡を遮断した場合でも,アストロサイトのCa2+wave伝播は観察された。さらに精製したアストロサイトのみの培養系でも自発的なCa2+waveは観察された。これら自発的Ca2+wave伝播の多くはapyrase及びsuraminで消失した。従ってアストロサイトは神経活動に依存しない,自発的ATP放出機構をも有していることが示唆された。Apyraseは神経−グリア共培養細胞における自発的興奮性シナプス伝達を増強したことから,自発的に放出されるATPは常にシナプス伝達を抑制性に制御していることが示唆された。以上,アストロサイトは自発的ATP放出により,シナプス伝達を恒常的に制御していることが示され,アストロサイトのより積極的・ダイナミックなシナプス伝達制御への関与が示唆された。

 

(10)細胞位置自動検出法の開発とそのカルシウムイメージングへの応用

須々木仁一,工藤佳久,森田光洋(東京薬科大学生命科学部生体高次機能学)

 カルシウムイメージングを行う際,画像に含まれる細胞を網羅的に解析する目的で,核を選択的に染色する方法,および画像から核の位置を同定するソフトウェアを開発した。Fura2AMによるカルシウムイメージングにおいて,密集した細胞に色素が均一に負荷された場合,個々の細胞を同定することは困難である。細胞集団のカルシウム応答を客観的かつ容易に検討する目的で,細胞の位置を検出し,そのカルシウム動態を自動的に出力,解析する手法を開発した。様々な色素を検討した結果,Fura2によるカルシウムイメージングの後,その蛍光と重複せずに核を視覚化するにはアクリジンオレンジを用いることが優れていた。アクリジンオレンジは核酸に結合して蛍光を発するが,DNAに結合した際の蛍光波長がRNAに結合した場合と異なる。カルシウムイメージング後にアクリジンオレンジを還流して染色し,さらに紫外線を照射することにより顕著な核染色画像が得られた。この画像を解析し,核の位置情報を特定するとともに,この位置におけるカルシウム応答を出力させるソフトウェアを作成した。また,カルシウムイメージングの画像を同様に解析してカルシウム応答が顕著に見られた位置と核の位置を比較するとともに,カルシウム応答の波形解析をあわせて行った。今回,これらの方法を用いて培養アストロサイトのグルタミン酸刺激に対するカルシウム振動を解析し,頻度と振幅のグルタミン酸濃度依存性を定量的に検討した。その結果,頻度はグルタミン酸30mMで最大になり300mM以上では減少して一過性の反応に近づき,振幅は30mMで最大となりそれ以上の濃度では変化しないことが明らかになった。 

 

(11)開口分泌機構の時空的解析

熊倉鴻之助,林 光紀,保坂早苗,笹川展幸(上智大学生命科学研究所神経化学部門)

 クロマフィン細胞の開口分泌は開口部位への分泌顆粒供給過程とカルシウムイオン依存性膜融合過程の2つの過程から構成されていると考えられている。我々は,開口分泌の時空的調節機構をより詳細に解析するために,アンペロメトリー法による単一細胞からの開口現象の記録解析,及び蛍光ラベルした分泌顆粒運動の実画像解析を行い比較検討を行っている。

 アンペロメトリー法では,微小炭素繊維電極を用いて1個の顆粒の開口現象を1つのスパイクとして検出し,高カリウム刺激による分泌スパイクの出現頻度と波形,キネティックスパラメータによる分泌動態を解析した。我々は,PKCが分泌顆粒の供給を調節することを既に報告しているのでこの点を解析すると,PKC活性化により開口分泌頻度が有意に増加した。特に持続刺激の2〜5分における分泌増強の程度が大きかった。また,アクチンーミオシン相互作用を介した分泌顆粒の供給について解析した結果,アクチン−ミオシン相互作用に対して阻害作用を持つミカロライドB,ボルトマニンの処理により,濃度依存的にスパイクの出現頻度や顆粒の動きが減少したことから,アクチン−ミオシン相互作用による顆粒の開口部位への移動,供給が示唆された。

 実画像解析法では,LysoTrackerGreenDND-26でラベルした顆粒を,冷却型CCDカメラを用いて追跡し,高カリウム刺激後0〜2,及び2〜4分後の各2分間における顆粒の運動距離と速度について解析した。その結果,顆粒の運動距離と速度に観察されたPKC活性化及びミカロライドB,ボルトマニンの影響は,アンペロメトリー法による解析結果と良く整合した。

 実画像解析法では顆粒の動きと開口分泌像の両方が見られる映像は得られなかったことから,測定時の焦点を細胞内から細胞表面にシフトしたところ,開口分泌の瞬間と思われる,顆粒の動きがない蛍光強度の変化のみの画像が取得できた。この結果から,開口分泌を起こす顆粒の位置と,分泌後供給によって補充される顆粒の位置には明らかな深度差があるということ,ならびに,他の分泌細胞で報告されているように開口分泌する顆粒は,あらかじめ形質膜にドッキングしていることが明らかになった。さらに,高カリウム刺激後2〜12分までの顆粒運動を測定した結果,刺激後の10分間は顆粒の移動距離が静止時の約6倍に上昇しており,極めて活発な顆粒供給が引き起こされていることが明らかとなった。

 以上のように,我々が現在進めている解析法は,開口分泌の時空的調節機構の研究に大変有効な手段であると考えられる。

 

(12)PtdIns(4,5)P2マイクロドメインと分泌小胞の開口放出部

青柳共太(東京大学大学院総合文化研究科)
山本清二,寺川進(浜松医科大学光量子医学研究センター)
高橋正身(北里大学代謝蛋白学)

 神経伝達物質はシナプス小胞に貯蔵され,開口放出機構によってシナプス間隙に放出される。開口放出過程において,PtdIns(4,5)P2(PIP2)はシナプス小胞の細胞膜へのドッキングやそれに続くプライミング過程などに重要な役割を果たしていると考えられているがその詳細は未だ明らかではない。

 我々は開口放出におけるPIP2の役割を明らかにするために,ラット副腎髄質細胞腫由来の株化細胞であるPC12細胞を用い,細胞膜上のPIP2の局在について検討を行った。超音波破砕法により細胞質面を露出させた細胞膜をPC12細胞から調製し,抗PIP2抗体を用いて染色を行うとPIP2はクラスター状の局在を示した。PIP2に高親和性で結合する局在指示タンパク質であるPLCdのPHドメインとGFPとの融合タンパク質(PH-GFP)を一過的に発現させたPC12細胞を全反射型近接場蛍光顕微鏡(Evanescent顕微鏡)で観察した場合にも同様のクラスター状構造が認められた。カテコールアミンを含む分泌小胞内に局在するヒト成長因子とGFPの融合タンパク質(hGH-GFP)を発現させたPC12細胞の細胞膜において,hGH-GFPシグナルの50%以上が抗PIP2抗体で見いだされるクラスター状構造と共存しているか,ごく近傍に見いだされた。これらの結果よりPIP2のマイクロドメインが開口放出に重要な役割を果たしていると考えられる。

 

(13)bFGFはMAPK経路の活性化を介して神経伝達物質放出を引き起こす。

沼川忠広,横幕大作(大阪大学蛋白質研究所生合成,
産業技術総合研究所関西センター人間系ニューロニクスRG)
沼川裕美子,畠中寛(大阪大学蛋白質研究所生合成)
田口隆久(産業技術総合研究所関西センター人間系ニューロニクスRG)

 ニューロトロフィン,特にBDNF(brain-derived neurotrophic factor)などの神経栄養因子はシナプス可塑性に重要であり,神経伝達機能への影響に関して多くの報告がある。我々も既に,BDNFが培養中枢ニューロンより急速に興奮性の神経伝達物質グルタミン酸を放出させることを報告した(Numakawa et al., (2001) J. Neurosci. Res.66, 96-108; Numakawa et al., (2002) J. Biol. Chem.277, 6520-6529)。そのメカニズムは通常の開口放出機構とは異なり,グルタミン酸トランスポーターが関与している可能性があった。また,細胞内シグナルとしてPLC-g 経路が重要であった。しかし,他の栄養因子の神経伝達機能への影響について詳しい解析はなされていない。今回,bFGF(Basic Fibroblast Growth Factor)が培養大脳皮質ニューロンにおいて,グルタミン酸放出を引き起こし,開口放出機構が重要である可能性があることを報告する(Numakawa et al., (2002) J Biol Chem.277:28861-28869)。bFGFを短時間(1分)投与すると培養ニューロンよりグルタミン酸放出が引き起こされる。様々な薬理学的実験の結果,この放出は細胞外Caが重要であることがわかった。開口放出阻害剤テタヌス毒素処理により,bFGFによるグルタミン酸放出は完全に抑制された。また,Na感受性色素SBFIを用いた実験ではbFGFは顕著なNa流入を引き起こし,膜電位を脱分極させる可能性があることがわかった。以上の結果は,bFGFが開口放出機構に作用し,短期での神経伝達物質放出を引き起こす可能性を示している。さらにMAPK経路特異的阻害剤U0126存在下ではbFGFによるグルタミン酸放出が見られなくなることから,MAPK経路の重要性が示唆される。

 

(14)Muscle-spinal cord co-culture systemを用いたneuromuscular transmissionの解析法

田口恭治,宮武 正(昭和薬科大学薬物治療学研究室)

【目的】急性運動麻痺を生じる末梢性ニューロパチーやmyasthenic syndromeの病態を明らかにするためには,神経・筋接合部におけるneuromuscular transmissionの解析が重要である。今回,ラット培養筋細胞と脊髄運動ニューロンとでシナプスを形成させたmuscle-spinal cord co-culture systemを作成し,カルシウムチャネルを解析し,運動麻痺を呈する患者血清の影響を検討した。

【実験方法】ラット培養神経・筋接合部モデルは胎児ラットから採取して培養した筋細胞の上に胎児脊髄を置き,67%DMEM,23%medium 199,10% fetal calf serumの中で1週間培養した。神経・筋接合部モデルの自発性筋活動電位は3 M KClを満たした微小ガラス管電極を筋細胞に挿入し,測定した。

【実験結果・考察】1.自発性筋活動電位に対するカルシウムチャネル拮抗薬の影響

 L型カルシウムチャネル拮抗薬のnicardipine (50, 100 nM),calcicludine (50 nM)投与により自発性筋活動電位を軽度に抑制した。N型カルシウムチャネル拮抗薬ω-conotoxin (30, 50 nM)で抑制作用が認められたが,P/Q型カルシウムチャネル拮抗薬ω-agatoxinは10, 30 nMの低濃度で抑制作用を示した。一方,R型カルシウムチャネル拮抗薬のSNX-482 (100 nM)は抑制作用を認めなかった。これらの結果から,ラット培養神経・筋接合部モデルでの神経伝達機構にN型,P/Q型のカルシウムチャネルが関与していることが示唆された。

 2.自発性筋活動電位に対する患者血清の影響

 正常人血清(10μl/ml)は自発性筋活動電位には影響を与えなかったが,重症筋無力症患者清(10μl/ml)は著明な抑制作用を示した。一方,筋萎縮性側索硬化症患者血清(10μl/ml)では影響を認めなかった。

 


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