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16.痛みの基礎と臨床

2002年9月5日−9月6日
代表・世話人:緒方宣邦(広島大学大学院医歯薬総合研究科)
所内対応者:柿木隆介(統合生理研究施設)

(1)
炎症性疼痛の分子メカニズム
富永真琴,沼崎満子,富永知子,飯田陶子,森山朋子,冨樫和也,浦野浩子
 (三重大学医学部生理学第一講座)
(2)
寒冷に対する痛覚過敏の末梢神経機構の解析
水村和枝,高橋 賢,青山雅広,片野坂公明,佐藤 純
(名古屋大環境医研神経性調節分野)
(3)
後根神経節電位依存性Naチャネル,NaV1.9(NaN)の発現とその機能
山本詳子,丸山泰司,大石芳彰,松冨智哉,
鄭泰星,緒方宣邦,井上敦子1,仲田義啓1
 (広島大学大学院医歯薬総合研究科神経生理学,1同薬効解析科学)
(4)
脊髄鎮痛機構におけるイオントランスポーターの役割
土肥修司,曹維安,織田章義,棚橋重聡(岐阜大学麻酔・蘇生学)
(5)
炎症モデルラット痛覚可塑性とBDNFの作用
吉村 恵,古江秀昌,又吉達(九州大学医学研究院統合生理学)
(6)
帯状疱疹後神経痛の鎮痛薬反応性
倉石 泰,高崎一朗(富山医科薬科大学薬学部薬品作用学研究室)
(7)
ラット神経因性疼痛モデルにおけるNFkappaBの役割
阪上 学1,島岡 要,井上隆弥,柴田政彦,真下 節
1大阪船員保険病院麻酔科,大阪大学医学部付属病院麻酔科)
(8)
モルヒネ耐性とモルヒネ非感受性神経因性疼痛
植田弘師(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科)
(9)
ノシスタチンとノシセプチンによる痛覚調節機構
伊藤誠二,芦高恵美子,南 敏明1
(関西医科大学医化学教室,1大阪医科大学麻酔科学教室)
(10)
侵害刺激伝達における脊髄orexinの役割
山本達郎(千葉大学医学研究院麻酔学領域)
(11)
痛覚伝導に対する脊髄でのプロスタグランジンの役割
南 敏明,土居ゆみ,村谷忠利,西澤幹雄1,伊藤誠二1
 (大阪医科大学麻酔科学教室,1関西医科大学医化学教室)
(12)
神経因性疼痛モデル動物の脊髄内ミクログリアにおけるp38MAPKの活性化
井上和秀,津田 誠,重本由香里,小泉修一,溝腰朗人1,高坂新一2
 (国立医薬品食品衛生研究所薬理部,1九大院薬分子制,
2国立精神神経センター神経研究所)
(13)
覚醒サルを用いた大脳皮質侵害受容ニューロン活動解析
岩田幸一(日本大学歯学部生理学教室)
(14)
腰椎椎間板ヘルニアによる腰・下肢痛の病態−臨床の観点から−
矢吹省司(福島県立医科大学医学部整形外科)
(15)
長期に及ぶ神経因性疼痛は不安様行動,うつ様行動を誘導増強する
鈴木高広,柴田政彦,井上隆弥,真下 節
(大阪大学大学院医学系研究科生体機能調節医学講座)
(16)
針電極を用いた表皮内電気刺激法による痛み関連誘発脳波および脳磁場
乾 幸二,Tuan Diep Tran,宝珠山稔,柿木隆介(統合生理研究施設)
(17)
中枢性疼痛(視床痛)のメカニズム−神経生理と機能画像からの考察
平戸政史,高橋章夫,渡辺克成,佐々木富男,大江千廣1
(群馬大学医学部脳神経外科,1日高病院)
(18)
Neuroimagingによる神経因性疼痛評価の試み
牛田享宏(高知医科大学整形外科)
(19)
末梢への侵害刺激と後根神経節におけるERKのリン酸化
野口光一(兵庫医科大学解剖学第二講座)
(20)
遮断による変化−現象論とメカニズムに関する考察
森脇克行1,弓削孟文2
 (1広島大学医学部附属病院麻酔科蘇生科,
2広島大学大学院病態制御医科学講座)
(21)
CRPSの発症メカニズムに関する一考察
仙波恵美子(和歌山県立医科大学第二解剖)
(22)
脳の次に痛みがきた−アメリカのライフサイエンス10ヶ年戦略
熊澤孝朗(名古屋大学名誉教授)

【参加者名】
熊谷幸治郎,熊澤孝朗(愛知医大),伊藤誠二(関西医大),織田章義,棚橋重聡,土肥修司(岐阜大・医),柿村順一(京都薬大),Ji-Hoon KIM,吉村恵(九大・医),平戸政史(群馬大・医),丸山泰司,三戸憲一郎,山本詳子,緒方宣邦,松冨智哉,森脇克行,大久保敦子,堤恵理子,鄭泰星(広島大・医),牛田享宏(高知医大),柴田政彦,真下節,鈴木高広(阪大・医),小西康信,沼崎満子,森山朋子,村山奈美枝,東智広,飯田陶子,富永真琴,冨樫和也(三重大・医),山本達郎(千葉大・医),南敏明(大阪医大),植田弘師(長崎大・薬),張日輝(東京女子医大),佐藤昌子(東大・医),河西稔(藤田保健衛生大),岩田幸一(日大・歯),阿部郷(日本歯科大),高崎一朗,倉石泰(富山医科薬科大),荒井至,高橋直人,佐々木伸尚,矢吹省司(福島県立医大),野口光一(兵庫医大),肥田朋子,矢島弘毅(名大・医),高橋賢,佐藤純,小崎康子,上野朋行,水村和枝,田口徹,田村良子,片野坂公明(名大・環境医学研),井辺弘樹,森川吉博,仙波恵美子,田村志宣(和歌山県立医大),井上和秀(国立医薬品食品衛生研),坂上学(大阪船員保険病院),南裕恵,澤田光平(エーザイ),伊喜文子,横山政幸,新庄勝浩,川崎和夫,大城博行,谷口嘉奈,中川哲彦,砥出勝雄,馬場勝広,友利公彦,檜杖昌則(ファイザー製薬),森江俊哉,石井大輔(大日本製薬),斎藤顕宜,鈴木知比古(東レ),Tran Diep Tuan,王暁宏,柿木隆介,乾幸二,秋云海,田村洋平,廣江総雄(生理研)

【概要】
 分子生物学の急速な進展によってさまざまなタイプの侵害受容器や痛覚伝導に関与するイオンチャネルが同定されているが,このような分析的基礎研究の成果がヒトにおける疼痛反応にどのように関与しているのかという点に関してはいまだ未解明な点が多い。多種多様な病態生理からなる痛みの制御機構や疼痛発現メカニズムの解明は,最終的にはヒトを対象としたマクロ的研究を含む多角的アプローチが不可欠である。このような観点から,基礎および臨床の異なった立場から「痛み」の研究に携わる方々に最新の研究成果を紹介いただき,これらについて討論を重ね,疼痛機序の解明に向けた新たな展開の基礎を築くことを目的として,平成14年9月5・6日の両日,岡崎国立共同研究機構において,「痛みの基礎と臨床:その接点から新しい展望を探る」と題した研究会を催した。

 研究会では22題の口演者に約80名の一般参加者を加え,2日間にわたって活発な討論が行われた。その内容は基礎的研究と臨床的研究の2つに大別され,先ず第1日目には,1)痛覚受容器やイオンチャネルに関する痛みの基礎的研究,2)炎症モデルや神経因性疼痛モデルなどの動物モデルを用いた疼痛発現機序の解析,3)生体内疼痛関連物質の痛覚可塑性における役割など,最新の基礎的研究の成果が紹介された。第2日目には,1)神経因性疼痛や椎間板ヘルニヤなどの病態生理,2)脳磁図やfMRIなどを用いた痛みのイメージング,3)疼痛の発症メカニズムに関する新しい考察など,主に臨床的立場からの発表・討議がおこなわれた。

 以上のごとく,研究会では「痛み」についてさまざまな立場から,通常の学会では実現が困難な徹底した討論の場を持つことが出来た。このような研究会の開催によって,発表・討論・懇親会を通じての研究者同士の理解と交流が深まり,今後,互いの利点を提供し合う形での多くの共同研究が実現できるものと期待される。

 

(1)炎症性疼痛の分子メカニズム

富永真琴,沼崎満子,富永知子,飯田陶子,森山朋子,冨樫和也,浦野浩子
(三重大学医学部生理学第一講座)

 炎症において,種々の炎症関連メデイエイターが感覚神経終末での痛み刺激受容を制御することが知られているが,そのメカニズムの詳細は明らかではない。そこで,炎症関連メデイエイターの1つである細胞外ATPのVR1活性に対する効果を検討した。VR1を発現したHEK293細胞では,細胞外ATPはカプサイシン活性化電流及びプロトン活性化電流を増大させた。また,ATP存在下ではVR1の熱による活性化温度閾値は42度から35度に低下し,体温でもVR1が活性化して痛みを惹起する可能性が示された。ATP関連物質を用いた解析等から,細胞外ATPは代謝型P2Y1受容体に作用して,phopholipase C(PLC)活性化・PKC活性化を介してVR1を制御することが明らかとなった。代謝型受容体とVR1がPKCを介した疼痛発生システムを形成することは,疼痛発生の新しいメカニズムである。VR1を発現したHEK293細胞でPMAによって32PのVR1蛋白質への取り込みの増加がみられ,VR1がPKCによってリン酸化することが示された。VR1の細胞内各ドメインのGSTfusion蛋白質を作製してin vitro kinase assayを行い,第一細胞内ループとカルボキシル末端細胞内ドメインがPKCeによってリン酸化されることが明らかとなった。第一細胞内ループとカルボキシル末端細胞内ドメインの8個のセリンもしくはスレオニンをアラニンに置換した点変異体を用いた電気生理学的な解析から,第一細胞内ループの502番目のセリンとカルボキシル末端細胞内ドメインの800番目のセリンがVR1のPKCeによるリン酸化に強く関与することが判明した。抗リン酸化VR1抗体を作製中である。

 

(2)寒冷に対する痛覚過敏の末梢神経機構の解析

水村和枝,高橋 賢,青山雅広,片野坂公明,佐藤 純
(名古屋大環境医研神経性調節分野)

 寒冷時に慢性の疼痛が増悪する事は良く知られている。その機構は末梢血管の収縮による組織酸素欠乏に帰されていることが多く,実験的な研究は少ない。本研究ではその末梢神経機構を明らかにするため,足根関節内アジュバント投与により作成したラット単関節炎モデルにおいて次の実験を行った。1)冷却により痛覚過敏が生じることを,1.単関節炎ラットを低温環境(22℃から15℃に低下させる)に曝露した時のvon Frey毛に対する逃避反応の回数の増大,2.後肢を25℃の水につけたときの足振り反射回数の増大,により確認した。2)in vivoにおいてC線維受容器活動を記録し,皮膚冷却に反応する受容器の反応性を解析した。冷刺激には低閾値機械受容器,冷受容器,一部の侵害受容器がそれぞれ特徴的な反応パターンを示した。皮膚温32℃から2℃まで120秒間で冷却した時,低閾値機械受容器は27,8℃で放電を開始し,最大放電頻度は28-20℃で観察され,それ以下に温度が低下すると放電は減弱するという反応パターンを示した。正常動物と炎症動物では反応閾値温度に差はなかったが,冷刺激で生じた総放電数は炎症動物で有意に増大していた。冷受容器の冷反応には有意な差はなかった。侵害受容器(機械侵害受容器,機械-熱侵害受容器,機械-冷侵害受容器,機械-熱-冷侵害受容器)のうち冷却に反応するものの割合が,正常動物では侵害受容器の14%(2/14受容器)に過ぎないのに対し,炎症動物では50%(9/18受容器)へと有意に増大していた。閾値は約半数が10℃以下であった。行動実験で冷痛覚過敏が見られた温度域で冷反応が増大していた低閾値機械受容器は,健常状態では侵害受容へ関与しているとは考えられていない。炎症時にはそれが変化している可能性が示唆された。

 

(3)後根神経節電位依存性Naチャネル,NaV1.9(NaN)の発現とその機能

山本詳子,丸山泰司,大石芳彰,松冨智哉,鄭泰星,緒方宣邦,井上敦子1,仲田義啓1
 (広島大学大学院医歯薬総合研究科神経生理学,1同薬効解析科学)

 後根神経節(DRG)細胞には7種類の電位依存性Naチャネルが発現しており,これらは侵害情報を含む様々な感覚信号の伝搬に役割を分担している。このうち小型DRG細胞に特異的に発現するNaV 1.8(SNS)は,TTX非感受性で侵害受容に重要な役割を担っている。NaV 1.8に加えて,新規TTX非感受性Naチャネルである可能性が示唆されるNaV 1.9遺伝子が同定され,このNaチャネルも痛覚伝搬への関与が考えられている。最近までNaV 1.9は機能発現が成功せずその性質は不明であったが,私達はNaV 1.8ノックアウトマウスを用いることによりNaV 1.9電流を分離同定することに成功した。本研究会ではNaV 1.9の発現と機能に関連するいくつかの興味ある結果について報告する。記録されたNaV 1.9電流は他のNaチャネルと比較して著しく遅いカイネティクスを持つ“persistent”な電流であり,活性化閾値が約20mV過分極側へシフトしていた。さらに通常のパッチクランプ法では,時間経過と共に電流量が数十倍に増加し,その後初期の大きさに戻るという特徴的な現象が観察された。この現象はATPなどの細胞内機能分子をパッチ電極内に補うことや細胞内環境に影響を与えないナイスタチン法による記録により抑制された。また電流記録を行った細胞の細胞質を採取しSingle-cell RT-PCR法により単一細胞でのNaV 1.9 mRNA発現を検討した結果,mRNAは発現しているにもかかわらず電流が記録されなかった細胞も多数観察された。以上のことから,1)NaV 1.9はそれ自身が直接に活動電位を担うのではなく,閾値下で細胞の興奮性を制御している,2)細胞内情報伝達系の変化がNaV 1.9電流量の著しい変化を引き起こす,3)mRNAへの転写後,チャネルとして機能するまでの過程に何らかの調節機構が存在する,などの可能性が考えられた。これらの性質は,神経線維における興奮性の亢進や神経損傷に伴うチャネルの異常発現などを含む痛覚伝導系の可塑的変化に関連しており,NaV 1.9が神経因性疼痛などの病的な痛みの発現に重要な役割を果たしている可能性を示唆する。

 

(4)脊髄鎮痛機構におけるイオントランスポーターの役割

土肥修司,曹維安,織田章義,棚橋重聡(岐阜大学麻酔・蘇生学)

 脊髄は疼痛受容機構において重要な役割を担っており,局所麻酔薬などのNa+チャネル作動薬,オピオイド,α2-アドレナリン受容体アゴニストなどが,鎮痛目的で脊髄クモ膜下腔や硬膜外腔に投与されている。しかし,Na+-K+ATPaseなどのイオントランスポーターが脊髄鎮痛機構にいかなる影響を与えるか明らかではない。私どもはNa+-K+ATPase(Na+ポンプ)阻害薬のウアバインは脊髄レベルでの強い鎮痛作用をもつ(Anesthesiology,1999)ことを見出したので,腰部脊髄くも膜下腔に微小カテーテルを留置したラットモデルで,侵害熱刺激に対する潜時(Tail flick latency;TFL)から,ウアバインやNa+-H+antiporterとα2-アドレナリン受容体アゴニストや局所麻酔薬の相互作用を検討した。Na+-H+antiporterのアミロライドは脊髄レベルで著明な鎮痛作用をきたすが,フロセミドによるNa+-K+-2Cl-cotranspoterの遮断ではそのような作用はなく,高濃度ではhyperalgesiaの状態となった。リドカインによるNa+チャネルのブロックによってはNa+-H+antiporter a+-K+-2Cl-cotranspoterの作用は影響を受けないことを観察ウアバインはもモルヒネ,クロニジン,ネオスチグミンとは相乗効果を示し,これはアトロピンによって拮抗されることから,アセチルコリンの遊離を介したのもであうことが示唆された。K+ATPチャネルの脊髄鎮痛効果はα2-アドレナリン受容体アゴニストで増強し,ANa+- K+ATPase阻害の効果はα2-アドレナリン受容体アゴニストやACh作動薬カルバコールで増強するので,脊髄疼痛制御機構に於けるイオントランスポーターの役割は,イオンチャネルや脊髄ACh受容体を介した複雑なものであることが示唆された。

 

(5)炎症モデルラット痛覚可塑性とBDNFの作用

吉村 恵,古江秀昌,又吉達(九州大学医学研究院統合生理学)

 炎症に伴って痛覚過敏とアロディニアが起こることはよく知られているが,その発生には末梢性の感作と脊髄後角での可塑的な変化が考えられる。そこで,CFA炎症ラットの脊髄スライスおよびin vivo標本からのパッチクランプ記録法を用い,末梢および脊髄内での感覚情報伝達の変化を検討した。CFA投与後7日〜10日目のラット脊髄スライス標本からパッチクランプ記録を行い,後根誘起のシナプス応答を解析し,膠様質細胞に入力する感覚神経の同定を行った。その結果,正常ラットではAd線維とC線維からの入力がほとんどで,Ab線維からの入力は約5%の細胞でのみみられ,かつ多シナプス性であった。ところが,炎症ラット脊髄では約40%の細胞がAb線維からの単シナプス性の入力を受けており,Ad線維からの単シナプス性の入力は減少していることが明らかになった。次いで,この可塑的変化がどのような機序で誘起されるかを,炎症から1日〜2日目のラットを用い,in vivoパッチクランプ法によって解析した。膠様質細胞から記録を行うと,mEPSCに加えてTTX感受性の振幅の大きなEPSCが観察された。また,この自発性のEPSCは炎症部位にNSAIDsを塗布する事によって減弱した。これらの結果から,炎症初期においてはプロスタグランディンによって神経終末が感作され,自発発火が惹起されていることが示唆された。更に,末梢の炎症に伴ってNGFが産生され,DRGに輸送されBDNFの産生を促すことが知られている。産生されたBDNFは感覚回路の可塑的変化と何らかの関連があることが示唆されているため,炎症初期におけるBDNFの作用を脊髄スライス標本を用いて検討した。BDNFは正常ラットではほとんど作用を示さなかったが,炎症初期ではmEPSCの振幅を変えることなしにその頻度を増加した。また,炎症後時間がたつと正常と同様,BDNFによる変化は観察されなかった。以上の事から,炎症初期においては末梢神経の感作によって自発性の発火が増大すると共に,BDNFの産生が起こり末梢神経の中枢端に働き,グルタミン酸の放出を増大させていることが示唆された。これらの炎症初期における変化が軸索発芽とどのような関連があるかは未だ不明であるが,今後この点を明らかにしていく必要がある。

 

(6)帯状疱疹後神経痛の鎮痛薬反応性

倉石 泰,高崎一朗(富山医科薬科大学薬学部薬品作用学研究室)

 アスピリン様薬は,急性期帯状疱疹痛に対しては有効であるとする報告が多いが,帯状疱疹後神経痛に対しては無効である。帯状疱疹後神経痛にオピオイドが使用されることはないが,神経因性疼痛に対しては無効あるいは効力が弱いことが理由の一つである。本研究ではこれらの原因について検討した。単純ヘルペスウイルス1型(HSV- 1)をマウスに経皮接種すると,接種後5日目から,接種側に帯状疱疹様皮疹と疼痛様反応(急性帯状疱疹痛)を生じた。約半数のマウスでは皮疹治癒に伴い疼痛様反応も消失したが,残りの約半数では皮疹治癒後も疼痛様反応(遅延性帯状疱疹後痛)が長期間持続した。Diclofenac sodium(10,30 mg/kg,i.p.)は,接種後6日目の疼痛様反応を用量依存的に抑制した。用量100 mg/kgの抑制作用は30mg/kgとほぼ同程度であった。一方,皮疹治癒後も疼痛様反応が消失しなかったマウスの疼痛様反応に対してdiclofenac sodium(30 mg/kg)が全く影響を及ぼさなかった。HSV- 1接種後5日目に,後根神経節中の非感染神経にCOX-2が発現誘導され,後根神経中のPGE2濃度が増加した。一方,皮疹治癒後も疼痛様反応が消失しなかったマウスの後根神経節中では,COX-2 mRNAの増加が観察されなかった。遅延性帯状疱疹後痛にPG類が重要な役割を演じていないことが,diclofenacが無効であることの一因であろう。Morphine hydrochlo- ride(1〜5mg/kg,s.c.)が,HSV- 1接種後6日目の疼痛様反応を用量依存的に抑制し,5mg/kgでほぼ完全な抑制作用が観察された。Morphineは,遅延性帯状疱疹後痛も抑制したが,効力と作用持続が明らかに減弱した。健常マウスおよび遅延性帯状疱疹後痛を示さなかったマウスに比較して,遅延性帯状疱疹後痛を示したマウスの脊髄後角では,オピオイドμ-受容体が明らかに減少した。これが,morphineの効力減弱の一因であろう。

 

(7)ラット神経因性疼痛モデルにおけるNFkappaBの役割

阪上 学1,島岡 要,井上隆弥,柴田政彦,真下 節
1大阪船員保険病院麻酔科,大阪大学医学部付属病院麻酔科)

 近年,炎症性サイトカインの多くが利用する細胞内情報伝達分子,NFkappaB(nuclearfactor kappaB)が神経因性疼痛の成立,増悪に関与しているという報告が散見される。本研究では神経損傷後の慢性疼痛の動物モデルとしてL5脊髄神経絞扼ラットを用い,NFkappaB抑制が疼痛行動に与える影響を検討した。NFkappaBの結合部位に特異的な2本鎖DNAを合成し,Decoy型核酸として神経絞扼部位に遺伝子導入することで神経損傷後の局所のNFkappaB抑制を試みた。さらに痛覚過敏に対する効果について検討を加えた。方法:ラット脊髄神経絞扼モデルをChungらの方法に基づいて作成した。SD系雄性ラット20匹を次の2つのグループに分類した。(1)NFkappaB Decoy群,10匹。(2)Scramble Decoy群,10匹。Thermal hyperalgesiaは後肢足底への輻射熱刺激に対する逃避潜時で評価した。測定は神経絞扼後1,3,5,7,10,14日に行った。DS(differential score)は絞扼側と非絞扼側の逃避潜時の差で評価した。NFkappaB Decoy,Scramble DecoyはHVJ-liposome法で神経絞扼直後に神経絞扼部位に導入した。結果:脊髄神経絞扼後NFkappaB decoyを神経絞扼部位に遺伝子導入した群では3日目より14日目までScramble decoy群に比べThermal hyperalgesiaを抑制した。

 

(8)モルヒネ耐性とモルヒネ非感受性神経因性疼痛

植田弘師(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科)

 痛みは様々な病気に伴い生ずる「侵害性の症状」であるが,慢性疼痛はもはや「症状」という範囲を超え「痛みそのものが病気」であると言われるようになった。痛みは新たな病気や痛みを生ずる,いわば悪循環の典型である。「痛みは我慢すべきものでなく適切に治療すべきものである」という最近の考え方はこうしたところから来ているのかも知れない。モルヒネは数千年以上も前から「鎮痛薬」を超え,「心を癒すもの」として用いられてきたが,これは「痛み」が単なる「症状」を超えた存在であることと対比すると興味深いものがある。さて,この万能のモルヒネにも弱点がある。それは耐性形成であり,モルヒネに抵抗性の神経因性疼痛である。前者は経口剤型の開発された現在,適正使用さえ行っていれば臨床的に問題なしと言われているが,癌終末期における多量投与時については決してその限りではない。後者の場合,同じ癌でも神経傷害などを伴う場合にはモルヒネに抵抗性になる。従って,この二つの課題こそ痛み治療の第二世代とも言うべきものである。モルヒネ耐性の分子基盤を研究する手法として3つのものがある。第一には単一細胞レベルで観察される急性の脱感作である。これには最近エンドサイトーシスとの関連で注目されており,我々はさらにC-キナーゼ活性との関連でin vitroとin vivoとの分子基盤の橋渡し研究を展開している。第二には同じ単一細胞レベルでの応答でもCREBやMAPキナーゼの働きを介した遺伝子発現調節などが論議されている。第三には神経回路の可塑性を介するもので,特にアンチオピオイド神経系の働きが注目されている。我々はNMDAやノシセプチン受容体機構の関与との関連で新たな展開を行っている。一方神経因性疼痛との関連では坐骨神経傷害後の疼痛過敏応答はモルヒネに抵抗性であり,そのメカニズムに疼痛伝達侵害神経のモダリティースイッチがあることを見出している。新たな遺伝子発現や神経細胞と脱髄現象との関連を含めた神経生物学的アプローチを目指して研究を展開し始めている。

 

(9)ノシスタチンとノシセプチンによる痛覚調節機構

伊藤誠二,芦高恵美子,南 敏明1
(関西医科大学医化学教室,1大阪医科大学麻酔科学教室)

 髄腔内投与したノシセプチン/オーファニンFQ(Noc/OFQ)は痛覚過敏反応とアロディニアを誘発する。我々は,ウシNoc/OFQ前駆体蛋白質上にNoc/OFQの痛覚反応を抑制する生理活性ペプチドを発見し,ノシスタチンと名づけた。Noc/OFQ前駆体は2つの相反する痛覚作用をもつペプチドが存在するユニークな蛋白質である。脊髄において低濃度のNoc/OFQは痛覚反応を増強させるのに対し,高濃度のNoc/OFQは鎮痛作用を示す。ノシスタチンは低濃度のNoc/OFQの作用に拮抗したが,高濃度の鎮痛作用には拮抗しなかった。濃度によって異なるNoc/OFQの作用がいずれもクローニングされたNoc/OFQ受容体を介しているかどうかを明らかにするために,選択的Noc/OFQ拮抗薬JTC- 801を用いて検討した。ノシスタチンのNoc/OFQに対する拮抗作用と一致して,JTC- 801は低濃度のNoc/OFQの痛覚増強反応を濃度依存的に抑制したが,高濃度の鎮痛作用には効果がなかった。以上の結果は,低濃度のNoc/OFQの作用はNoc/OFQ受容体を介する作用であるが,高濃度のNoc/OFQの作用はクローニングされた受容体を介さない作用と考えられる。JTC-801はホルマリンの炎症性疼痛や神経因性疼痛にも効果を示したことから,Noc/OFQが痛覚反応に多様に関与していることが示唆された。Fluorescence resonance energy transfer(FRET)を用いたNoc/OFQとノシスタチンの産生機構の解析のアプローチについても合わせて発表する。

 

(10)侵害刺激伝達における脊髄orexinの役割

山本達郎(千葉大学医学研究院麻酔学領域)

 Orexin-A,orexin-Bは視床下部に存在する睡眠のサイクルや摂食行動を制御するペプチドである。Orexinはorexin-1とorexin-2受容体を介してその作用を発揮する。Orexin-Aはorexin-1及びorexin-2受容体に結合し,Orexin-Bはorexin-2受容体に結合する。最近,orexinは視床下部から脊髄後角細胞のC-fiberへ直接投射しており,しかも脊髄後角細胞にもorexinが発現していることが報告された。また,orexin-Aを全身投与すると鎮痛効果があることも報告され,orexinが侵害刺激伝達に重要な役割を担っていることが示唆されてきている。今回は,ラット髄腔内へorexinを投与し,その鎮痛効果を検討したので報告する。Hot plate test,formalin test,carrageenan testでは,orexin-Aを投与すると投与量依存性に鎮痛効果が得られたが,orexin-Bを投与しても鎮痛効果は得られなかった。また,hot plate test,formalin testにおけるorexin-Aの鎮痛効果は,orexin-1 receptor antagonistであるSB-334867の前処置により完全に拮抗された。従って,orexin-Aの鎮痛効果はorexin-1 receptorを介した効果であり,orexin-2 receptorは鎮痛効果発現には関与しないことが示唆された。また,formalintestにおいてorexin-Aを投与すると脊髄後角のlaminae I-IIにおけるFos蛋白発現が抑制された。このことより,orexin-Aは脊髄後角への侵害刺激入力を抑制することが示唆された。Seltzer modelにおいても,orexin-Aによりmechanical allodyniaの程度が投与量依存性に抑制された。以上述べてきたとおり,各種疼痛モデルのいずれにおいても,orexin-Aが脊髄後角における侵害刺激伝達に重要であることが示された。

 

(11)痛覚伝導に対する脊髄でのプロスタグランジンの役割

南 敏明,土居ゆみ,村谷忠利,西澤幹雄1,伊藤誠二1
 (大阪医科大学麻酔科学教室,1関西医科大学医化学教室)

 プロスタグランジン(PG)が末梢の炎症部位での発痛に関与することはよく知られている。今回,脊髄におけるPGの痛覚伝導に対する役割について検討した。脊髄腔内投与のPGE2およびPGF2αは非侵害性触覚刺激に対してアロディニアを惹起し,それぞれEP1-/-およびFP-/-マウスではアロディニアは出現しなかった。侵害性熱刺激に対して,脊髄腔内投与のPGE2は広範囲の用量で痛覚過敏反応を引き起こし,高用量はEP2受容体を,低用量はEP3受容体を介して痛覚過敏反応を惹起した。プロスタサイクリン受容体(IP)作動薬のcicaprostを脊髄腔内投与し,侵害性熱刺激または非侵害性触覚刺激を加えても効果を示さなかった。一方,カラゲニンによる炎症性刺激に対して,脊髄のIP mRNAが誘導され,脊髄腔内投与のcicaprostは痛覚過敏反応を引き起こした。

 

(12)神経因性疼痛モデル動物の脊髄内ミクログリアにおけるp38MAPKの活性化

井上和秀,津田誠,重本由香里,小泉修一,溝腰朗人1,高坂新一2
(国立医薬品食品衛生研究所薬理部,1九大院薬分子制,
2国立精神神経センター神経研究所)

 Mitogen-activated protein kinase(MAPK)ファミリーは,細胞増殖・分化のシグナルとして主要なタンパク質キナーゼカスケードであるが,中枢神経系においても神経およびグリア細胞の生理反応に重要な役割を演じている。最近,一次知覚神経に痛覚刺激を加えることで,脊髄後角第一層神経細胞特異的にMAPKファミリーの一つであるextracellular signal- regulated kinase(ERK)のリン酸化型が出現し,リン酸化型ERKの抑制により痛み行動が減弱されることが報告され(Ji et al. Nat.Neurosci.2:1114, 999),痛みとMAPKファミリーの関連性が注目されている。そこで今回我々は,MAPKファミリーのERKとp38MAPKに注目し,ヒトの難治性疼痛のモデルとされている神経因性疼痛モデルの脊髄後角におけるリン酸化型ERKおよびp38MAPKの発現変化とアロディニア発症におけるその役割を検討した。

【結果】ラットの左側L5脊髄神経を強くしばり,末梢端を切断した。その後ラットは著明なメカニカルアロディニアを呈し始め,約2週目をピークとした。この時間経過と一致して,術側脊髄後角内のp38MAPK活性化が著明となった。一方,ERK1/2 MAPK活性化は認められなかった。p38MAPK活性化が陽性となった細胞のほとんどはOX42(ミクログリアのマーカー)でのみ陽性となり,GFAP(アストロサイトのマーカー)やNeuN(神経細胞のマーカー)では染色されなかった.p38活性化阻害剤SB203580の髄腔内投与によりアロディニアの程度は著明に抑制された。

【結論】以上の事実により,神経因性疼痛の発生に脊髄後角内のミクログリア活性化が非常に重要な役割を示していることが示唆された。我々は既に細胞外ATPがATP受容体を介してミクログリアを活性化し,ケモタキシスやサイトカイン放出を引き起こすことを報告している。今回のミクログリア活性化にもATPがキー分子として機能しているものと推測しているが,どこからそのATPが放出され,どのように作用するかについては現在鋭意検討中である。

 

(13)覚醒サルを用いた大脳皮質侵害受容ニューロン活動解析

岩田幸一(日本大学歯学部生理学教室)

 これまでに,我々は麻酔動物および覚醒動物の前帯状回(ACCX)および大脳皮質第一次体性感覚野(SI)の痛覚受容機構について研究を進めて来た。その結果,ACCXから検出される侵害受容ニューロンのほとんどはNSニューロンで,Noxious−tapニューロンが少数検出されたのに対し,SIから検出される侵害受容ニューロンのほとんどはWDRニューロンであるのに対し,NSニューロンは少数検出されるのみであった。また,両領域に分布侵害受容ニューロンは受容野の広さなども非常に異なり,様々な点で違った性質を有することが明らかになった。本シンポジウムでは,麻酔動物の前帯状回および第一次体性感覚野の侵害受容ニューロンに関する研究結果を簡単に紹介し,さらに,熱刺激弁別課題を訓練した覚醒サルに関して,両領域に分布する侵害受容ニューロンの反応とサルの行動との関係について述べることにする。図1に示したような課題を用いて,顔面皮膚上に設置したプローブを介して与えられた温度刺激強度を弁別することができるようにサルを訓練し,ACCXおよびSIから神経細胞活動を導出し,両領域に分布する痛覚受容ニューロンの性質について詳細に検討を加えた。その結果,ACCXに分布する痛覚受容ニューロンは受容野が非常に広く,全身の体幹皮膚に及ぶものも検出されたが,SIの痛覚受容ニューロンは顔面の比較的限局した領域に受容野を持っていた。また,ACCXの痛覚受容ニューロンは痛み刺激強度増加と共に活動性を増すにもかかわらず,痛み刺激強度変化弁別速度とは関係しなかった。これに対しSIの痛覚受容ニューロン活動は刺激強度弁別速度と有意な相関を有していた。さらに,どちらの領域の痛覚受容ニューロンも,サルが注意を痛覚刺激から光り刺激に移動するとその活動性を低下した。また,ACCXに分布する痛覚受容ニューロンはサルが疼痛刺激から逃避するときに非常に高い反応性の増加を示した。以上の結果から,ACCXは痛みのemotionalな局面を,SIはdiscriminativeな局面を担っている可能性が示された。また,両領域に分布する多くの侵害受容ニューロンは注意の移動により反応性を変化させたことから,両領域とも痛みのattentinalな局面に関与する可能性が示された。また,最近我々は神経損傷後に起こる異常疼痛の原因を解明するために,これまでと同様の課題を訓練したサルの顔面皮膚にキャプサイシンを塗布し,可逆的な痛覚過敏モデルサルを作成した。最後に,このサルの異常疼痛の神経機構研究に対する有用性についても考察したい。

 

(14)腰椎椎間板ヘルニアによる腰・下肢痛の病態−臨床の観点から−

矢吹省司(福島県立医科大学医学部整形外科)

【目的】無症候性の椎間板ヘルニアが,40-70%に認められることが報告されている。この事実は,椎間板ヘルニアの存在自体が,また椎間板ヘルニアによる神経根圧迫のみが,腰・下肢痛の病態ではないことを示している。われわれは,椎間板髄核のもつ化学的因子に注目し,椎間板ヘルニア・モデルを作成して基礎的研究を行った。また,椎間板ヘルニア臨床例ではMRIを撮像して臨床的検討を行った。以上の結果から椎間板ヘルニアによる腰・下肢痛の病態を明らかにすることを目的とした。

【対象と方法】基礎的研究:雌SDラットを用いた。尾椎椎間板から採取した髄核を第5腰神経根上に投与した群をヘルニア群とし,同量の筋肉片を投与した群を対照群とした。これら2群において,1)DRGのendoneurial fluid pressure(EFP)の測定,2)DRGと足底の血流の測定,および3)脊髄後角ニューロンにおける異常放電の測定を行った。臨床的研究:片側の下肢痛を有する腰椎椎間板ヘルニア28例を対象とした。対照群として腰痛症の9例を用いた。これら2群においてMR myelographyを撮像し,第5腰神経根(L5根)と第1仙骨神経根(S1根)のDRGの輝度値と最大横径を計測した。

【結果】基礎的研究:1)DRGのEFPはヘルニア群で有意に高値であった。2)処置側のDRGと足底の血流は,反対側や対照群に比して有意に低下した。3)ヘルニア群では,足底侵害刺激によって脊髄後角ニューロンにおける異常放電が認められた。この異常放電は抗TNF抗体によって抑制された。臨床的研究:ヘルニア群では,罹患神経根のDRGは反対側や対照群に比して有意に輝度値が高く,最大横径も大きかった。

【結語】腰椎椎間板ヘルニアでは,罹患神経根のDRGにはコンパートメント症候群が惹起され,これによって腰・下肢痛を起こしているものと思われる。

 

(15)長期に及ぶ神経因性疼痛は不安様行動,うつ様行動を誘導増強する

鈴木高広,柴田政彦,井上隆弥,真下 節
(大阪大学大学院医学系研究科生体機能調節医学講座)

 近年,さまざまな痛みを解明するために,種々の疼痛モデルを用いた研究がおこなわれている。しかし,そのほとんどは刺激に対する回避行動をみるものであり,痛みの一部を見ているに過ぎない。そこでわれわれは,神経損傷後マウスを用いて,抗うつ薬の開発に広く用いられている強制水泳試験や明暗箱実験などを行い,神経損傷後の疼痛行動と情動行動を経時的に観察した。疼痛行動は手術3日後よりみられたのに対して,情動行動の変化には数週間を要した。また,抗うつ薬による効果は,その種類によって疼痛行動と情動行動に差が見られた。臨床においては痛みの情動的側面が治療上大きな問題であるので,この研究は,疼痛研究の新たな方向性として重要だと考えている。今回我々は第5腰神経結紮モデルマウスを用いて情動行動の変化を調べた。

【方法】8〜10週令,雄,C57Bl/6マウスを用い,ハロセン麻酔下にて6−0シルクを用いて第5腰椎神経結紮を行った(結紮群)。対照群では神経の露出のみで創を閉じる。痛覚異常確立の確認にはvon Freyテスト,プランターテストを用いた。情動行動の観察はオープンフィールドテスト,明暗実験箱,高架式十字迷路(以上不安・恐怖の指標),強制水泳試験(絶望の指標)にて行った。

【結果】痛覚過敏反応は術翌日より明らかとなり,以後3ヶ月間は確認できた。神経結紮1ヶ月後,情動行動の異常が明確となり,オープンフィールドテストでは全行動距離に変化は認めないが,結紮群で壁側滞在時間が増加した。明暗実験箱では暗側の滞在時間が増加し,高架式十字迷路ではオープンアームへの進入回数および滞在割合が低下した。強制水泳試験では無動時間が増加した。次に上記反応が薬物投与で変化するかどうかを調べるためにノルアドレナリン再取込阻害薬であるデシプラミン,SSRIであるパロキセチン(いずれも抗うつ薬)を測定開始30分前に腹腔内投与した。パロキセチン投与で痛覚異常の改善は認められなかったが,情動行動異常は改善した。デシプラミン投与では痛覚異常を中等度改善したが,不安・恐怖行動の改善は認められなかった。強制水泳試験において無動時間は短縮された。

【結語】今回我々は慢性疼痛患者にしばしば認められる情動異常が神経結紮マウスにおいても発症する事を証明した。疼痛以上行動出現に遅れて情動行動の変化が認められた。第5腰神経結紮によって活動性は低下しないが,情動行動の変化は認められ,すなわち今回のモデルにより出現する神経因性疼痛は脊髄レベルの変化のみならずさらなる上位中枢へ変化を及ぼすことが強く疑われた。この研究は,疼痛研究の新たな方向性として重要だと考えている。

 

(16)針電極を用いた表皮内電気刺激法による痛み関連誘発脳波および脳磁場

乾 幸二,Tuan Diep Tran,宝珠山稔,柿木隆介(統合生理研究施設)

 我々はヒト皮膚A-delta線維の選択的刺激法として表皮内電気刺激法(ES)を開発した。長さ0.2mmの針電極を表皮内に刺入し0.1- 0.3mAの弱い電流で刺激する方法で,表皮内に位置する自由神経終末を選択的に興奮させることができる。ES法を用いて,手背刺激による誘発脳電位および脳磁場を記録した。13名全ての被験者において両側半球から明瞭な磁場初期成分が記録され,その頂点潜時は刺激対側156ms,同側171msであった。従って両側反応であり刺激同側の反応が約15ms遅れる。初期磁場成分の信号源は8名で両側Sylvius裂上壁もしくは底部(SII/inusula)に推定された。残りの5名ではSII/insulaの活動に加え,これとほぼ平行する刺激対側第一次体性感覚野(SI)の活動が認められた。SI,SII/insulaの頂点潜時はそれぞれ161ms,158msであった。次にSylvius裂周辺に推定される活動が単一信号源ではなくSIIと島の活動が混在したものである可能性を検討するために,Sylvius裂周辺に二つの信号源を想定して多信号源解析を行った。一つの信号源は常にSylvius裂最後部上壁に推定され,SIIに相当する位置にあった。もう一つの信号源はSIIの信号源より前方,内側にあり,前−中部島の上縁付近に位置した。両者の活動には立ち上がり,頂点潜時に差が認められなかった。誘発脳電位では,陰性(N1)−陽性(P1)からなる電位変化が頭頂部で記録された。それぞれの頂点潜時はおよそ200と300msであり,磁場初期成分より遅れて出現する。以上の結果より痛覚誘発初期反応は時間的にオーバーラップするSI,SII,島の活動からなると考えられた。一方N1- P1の潜時ではこれらとは異なる部位の活動が存在すると考えられた。

 

(17)中枢性疼痛(視床痛)のメカニズム−神経生理と機能画像からの考察

平戸政史,高橋章夫,渡辺克成,佐々木富男,大江千廣1
(群馬大学医学部脳神経外科,1日高病院)

 中枢性疼痛(視床痛)例において,視床腹中間核,髄板内核群(正中中心核),小細胞性腹尾側核を中心とした定位的視床手術を行ない,術中微小電極法により視床神経活動を電気生理学的に直接捉えると共に,術前PETスキャンによる局所脳代謝,脳血流測定から神経活動を間接的に捉え,中枢性疼痛の病態発生機序,病態生理を検討した。視床の神経活動については,単一スパイク放電を含む背景活動電位,末梢適刺激に対する感覚反応(反応部位,受容野)等を電気生理学的に記録解析し,PET studyでは,術前に18FDG静注法,C15O2持続吸入法により脳内各構造の安静時局所脳糖代謝率,局所脳血流を測定すると共に,疼痛側正中神経電気刺激,拇指brushing時の局所脳血流変化を測定した。視床感覚核神経活動の解析では,同部神経活動保存例において自発発射活動の不均一性,運動感覚反応部位局在の変化,多発,両側反応,不規則なバースト放電頻発などの機能変化が,神経活動低下例において内側視床,視床感覚核底部活動の残存,亢進,不規則なバースト放電頻発などの機能変化が見いだされた。PET studyは,ほぼ全例において安静時局所脳血流,局所脳糖代謝が病変同側(患側)皮質感覚野,視床で低下していたが,疼痛側拇指brushing時に患側皮質感覚野で局所脳血流増加を認めた例では,術中,視床において末梢自然刺激に対する反応が直接捉えられ,視床手術も比較的効果的であった。又,正中神経電気刺激により視床感覚核底部で局所的な血流の増加を認めた例では,同部において電気的にも活動上昇が認められ,さらに,視床における不規則なバースト放電頻発例で,同側皮質運動野での局所糖代謝の増加,糖代謝と酸素代謝の解離が認められた。中枢性疼痛例では視床感覚核における機能構築の再編成,末梢神経刺激に対する過剰反応や,大脳皮質中心溝部における感覚受容変化などが疼痛出現の大きな要因となっていると考えられる。

 

(18)Neuroimagingによる神経因性疼痛評価の試み

牛田享宏(高知医科大学整形外科)

【対象および方法】自発痛やアロデニアをもつ神経因性疼痛患者19名およびボランティア22名を対象とした。SPECTを用いた研究の方法は,脊髄視床路が終末する視床について,症状と反対側の視床の集積を症状側の集積で除した値をuptake indexとしてその値と痛みの強さ,罹病期間および治療に伴う変化について調査した。また,fMRIによる研究はアロデニアの部位に非侵害皮膚刺激を加えて痛みが励起されたときに活動した脳の局在について調査し,ボランティアにおける結果と比較した。

【目的】これまで痛みに対する脳イメージング法による研究は主にPET,SPECT,fMRIが行われ,正常人では末梢に侵害刺激を加えると主として対側の視床,島,前帯状回及びSIの脳血流が増加することから局所の活動性が亢進していると考えられてきた。しかし,神経が病的状態である神経原性疼痛患者において脳のどの部位が痛みに関与しているかということについての研究は未だ端緒についたばかりである。そこで今回は神経原性疼痛患者において見られる安静時痛やアロデニアのような痛みをSPECTおよびfMRIを用いて評価を行った。

【結果および考察】SPECTの結果では神経因性疼痛患者のuptake indexと痛みの強さについては相関性が見られなかった。一方でuptake indexは罹患期間が短い症例で増加が認められたが長い症例では正常化していた。治療により症状が改善した症例では増加していたuptake indexの減少が見られ,治療効果を脳イメージングが捉えたのではないかと考えられた。また,fMRIの結果ではアロデニア部位の刺激でSI,運動野,帯状回および小脳などの広範な部位で活動性の上昇を認めた。これらの部位はボランティアに対して侵害刺激を加えたときの部位と類似しており患者が非侵害刺激で侵害性疼痛を経験していることを示唆するものと考えられた。

 

(19)末梢への侵害刺激と後根神経節におけるERKのリン酸化

野口光一(兵庫医科大学解剖学第二講座)

 一次知覚ニューロンの神経終末における,様々な炎症性メディエーターによる細胞内情報伝達系の変化を介した興奮性の変化のメカニズムが注目を集めている。一方,疼痛刺激など異なる刺激と特定の一次ニューロンとの対応関係は必ずしも明確ではなかった。刺激を受けると,活動電位を発生するとともに細胞内において多種の分子のdynamicな変化が生じるが,細胞内情報伝達に関わる変化の報告は少ない。我々は細胞内シグナル伝達系の一つであるMAP kinase系に注目して,様々な刺激に対するMAP Kinaseファミリーの一員であるERK(Extracellular signal- Regulated Kinase)リン酸化を,ラット後根神経節(dorsal root ganglion, DRG)ニューロンにおいて詳細に検討した。(J.Neurosci,2002,22(17))C- fiber nociceptorを特異的に刺激するcapsaicinをラット足底に注射すると,ERKのリン酸化抗体による免疫反応が,DRGの小型細胞のみで検出できた。一方坐骨神経のA-fiberだけを刺激するとDRGの中型から大型細胞を中心にリン酸化が見られた。各種natural刺激に対するDRGニューロンの反応を検討したところ,寒冷刺激(0℃)に対する小型ニューロンの関与,温刺激(42℃)に対する超小型ニューロンの関与,機械刺激及び段階的熱刺激において,刺激強度の上昇に伴う陽性ニューロンサイズの変化などの所見が明らかとなった。さらに同じ機械刺激に対して,正常状態と慢性炎症状態においては,ERKのリン酸化を示すDRGニューロンの数,サイズ及びpopulationが異なることが分かった。さらに,慢性炎症時のP2X受容体の役割について,ERKの活性化から,新しい知見を見いだすことも出来た。以上の結果は,多種の刺激に対して反応する一次感覚ニューロンの活性化を,細胞内シグナル伝達分子の動態より解析できる可能性を示唆している。

 

(20)遮断による変化−現象論とメカニズムに関する考察

森脇克行(広島大学医学部附属病院麻酔科蘇生科)
弓削孟文(広島大学大学院病態制御医科学講座)

 ニューロパシックペインにおけるアロディニア(正常では痛みを生じないような刺激によって誘発される疼痛)と交感神経系には密接な関係がある。Robertsは1986年にSympathetically - maintained pain(SMP)の概念を提唱し,交感神経遮断によって改善されるアロディニアなどの疼痛のメカニズムに脊髄広作動域ニューロンの感作と交感神経の遠心路の興奮性増加が関与するとした。1991年Satoらは末梢神経障害後に交感神経刺激やノルエピネフリン投与によりC線維侵害受容器の反応性が亢進することを報告,McLachlanらは1993年,坐骨神経結紮後に後根神経節へ交感神経線維が伸びて軸索を失った大型の知覚神経細胞の周囲を取り囲むようになる交感神経の発芽現象を報告し,末梢神経障害時に交感神経が関与するニューロパシックペインの末梢性の病態の一端を示した。一方,古くから交感神経ブロックが複合性局所疼痛症候群の疼痛を緩和することが報告されてきた。最近この交感神経ブロックの効果を疑問視する論調もあるが,日常臨床において交感神経遮断は確かにニューロパシックペインを変化させることがある。われわれは星状神経ブロックなどの交感神経ブロックがニューロパシックペイン患者のアロディニアなどの知覚異常の領域を縮小させることを経験し報告してきた。さらに動物実験でα1,2ブロッカーのフェントラミンを麻酔下に投与すると一過性に低閾値脊髄ニューロンの受容野が縮小すること,この反応はα2ブロッカーのヨヒンビン投与によって抑制されることを示した。この実験結果は“交感神経ブロック後に中枢神経の下降性抑制系の賦活が生じる”という仮説により説明が可能である。臨床で認められる交感神経ブロックによるアロディニアの縮小現象には交感神経遮断によるこのような中枢神経系の変化が関与するのかもしれない。

 

(21)CRPSの発症メカニズムに関する一考察

仙波恵美子(和歌山県立医科大学第二解剖)

 CRPSの多くは何らかの損傷に伴って発症するが,損傷の程度から予想されるよりはるかに訴えが強く長く持続するのが特徴であり,脳の関与が強く示唆されている。末梢神経の損傷を伴う四肢の外傷によって起こったものはCRPS type IIで,以前causalgiaと呼ばれていた。末梢神経の損傷を伴わない四肢の外傷でも同様の症状を呈することがあり(CRPS type I),reflex sympathetic dystrophy(RSD)がこれに当たる。同じような損傷を受けても,一部の人だけがCRPSを発症するのは,各人の痛みに対する情動反応が異なるためと思われる。痛みを伝える中枢経路は大きく分けて,視床の外側部(VB complex)を経由して大脳皮質体性感覚野に終わるものと,視床の内側部(髄板内核群)を経由して前頭葉や前帯状回に至るものがある。前者は痛みの認知・識別に,後者は痛みによる覚醒・逃避,情動の喚起に関与する。後者の経路において青斑核,視床の束傍核(PF),前帯状回,海馬のCA1領域などが重要な役割を果たしていることが最近注目されている。我々は,痛みがストレッサーとして情動系を賦活させることを,c-fos発現をマーカーとして明らかにした。また,c-fos KOマウスでは疼痛刺激に対し過剰な反応が見られるが,これが上記の情動系の過剰興奮による可能性を示唆する知見を得た。正常のマウスでは出生前後に,PFや前帯状回,海馬CA1などにc-fosが強く発現することが報告されている。我々の検討では,フォルマリンテストの後,c-fos KOマウスではWT/ヘテロ群に比べて,上記の領域において神経興奮のマーカーであるEgr-1がより強く発現していることがわかった。発達期の脳においてc-fosが発現しないと,これらの領域は興奮しやすい状態になるのではないか。情動に関与する神経系の発達や形成が,発達期の環境や種々の遺伝的要因によって影響を受け,痛みや損傷に対する各人の反応の違いとして現れる可能性を示している。C-fos KOマウスはその一つのモデルと考えられる。

 

(22)脳の次に痛みがきた−アメリカのライフサイエンス10ヶ年戦略

熊澤孝朗(名古屋大学名誉教授)

 本研究会の予稿集からみた日本の痛み領域研究の充実振りは見事であるが,もう少しましな研究環境が整えば,さらに素晴らしい成果が期待できるに違いないと感じたのは私一人ではないであろう。本年7月に開かれた会で,痛み領域研究の活性化を図るためにはその土壌作りとして,普遍的なるが故に等閑視されている痛みの問題に対する社会全体の関心と理解と期待を得ることも必要であることが指摘され,急遽,痛み研究推進協議会が立ちあげられた。この会の初仕事として,アメリカにおける「痛み10ヶ年戦略」宣言を中心にしてアメリカにおける痛みへの取り組みを探ることになり,目下調査中である。本研究会では,全く毛色が変わったものであるが,この問題に関して紹介し,考察を加えたい。アメリカ議会は2000年の末に2001年からの10年を“the Decade of Pain Control and Research”とすることを宣言した。これは,1990年代に採択され,その後の世界の脳研究の進歩にエポックをもたらした,日本でも有名な“the Decade of Brain”宣言に次ぐ第2番目のライフサイエンス振興政策である。そこで,何故,今,アメリカで痛みが?(「痛み10ヶ年戦略」宣言の背景)について,痛み系の生物学的特性;痛みと安楽死;痛みの社会経済的問題;最近30年間の痛み研究の成果としての痛み概念の変革;慢性痛治療法の開発の急務;医療における痛みへの対応の根本的見直し(fifth vital signとしての痛み)などの問題について考察する。次に,アメリカにおける「痛み10ヶ年戦略」宣言に関わる活動を紹介し,日本における痛み医療・医学の現状を考え,皆さんに,今,何をすべきかを考え,議論していただきたい。

 


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