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19.生体分子ダイナミクス

2003年3月10日-3月12日
代表・世話人:桑田一夫(岐阜大学医学部)
所内対応者:永山國昭(統合バイオサイエンスセンター)

(1)
分子シミュレーションによる生体超分子の機能解析
北尾彰朗(日本原子力研究所計算科学技術推進センター)
(2)
巨大分子の励起状態計算と量子構造生物学
倭 剛久(名古屋大学大学院理学研究科)
(3)
中性子非干渉性散乱からみたタンパク質動力学の不均一性
片岡幹雄,中川 洋(奈良先端科学技術大学院大学)
(4)
分子シミュレーションによる生体高分子の中性子散乱スペクトル解析
城地保昌(日本原子力研究所)
(5)
蛋白質の多型成,遅い揺らぎと機能
石井由晴(科学技術振興事業団)
(6)
巨大分子混み合いと分子シャペロンの相互作用の理論
金城 玲(神戸大学理学部化学科)
(7)
蛋白質の折れたたみ反応速度に対するトリフルオロエタノールの影響
浜田大三(大阪府立母子保健総合医療センター研究所)
(8)
Dynamical Funnelを目指して
戸田幹人(奈良女子大学理学部)
(9)
蛋白質フォールディングのダイナミックス-階層的規則性と分子記憶
小松崎民樹(神戸大学理学部)
(10)
動的な座標系のモデルによる蛋白質ダイナミクスの解析
森次 圭,木寺詔紀(横浜市立大学大学院総合理学研究科)
(11)
赤外振動エコー実験と分子動力学シミュレーションに基づく一酸化炭素結合ミオグロビンのA Substatesの構造とダイナミクス
秋山 良(九州大学大学院)
(12)
鉄―ヒスチジン結合を通して観たヘムタンパク質のダイナミクス
水谷泰久(神戸大学分子フォトサイエンス研究センター)
(13)
フラビンを発色団とする光センサー蛋白質の構造変化ダイナミクス
神取秀樹(名古屋工業大学応用化学)
(14)
蛋白質の構造変化:線型応答的描像
木寺詔紀(横浜市立大学大学院)
(15)
Characterization of protein conformers beyond basic folded ones by high pressure NMR
赤坂一之(近畿大学)
(16)
高圧NMRでみた蛋白質リゾチームのダイナミクス
鎌足雄司(理化学研究所)
(17)
多体問題の厳密解について
粟田英資(名古屋大学大学院多元数理科学)
(18)
Protein unfolding assay and its application to identifying prion protein conformation changing factor.
金子清俊(国立精神神経センター)
(19)
プリオン蛋白質の遅い揺らぎと病原性
桑田一夫(岐阜大学医学部)
(20)
Ex vivo transmission of prions: analysis of strain, cell-tropism and interference.
西田教行(長崎大学医学部)
(21)
プリオンタンパク質の分子動力学シミュレーション
        ―Ala117→Valアミノ酸変異による蛋白質構造の変化―
沖本憲明(理化学研究所)

【参加者名】
下野昌宣(神戸大・理),横田恭宣(北陸先端大),工藤基徳(北陸先端大),木寺詔紀(横浜市大大院・総合理学),横溝剛(東京薬科大・生命),長岡正隆(名古屋大大院・人間情報),北尾彰朗(原子力研関西研・計算推進センター),城地保昌(原子力研関西研・計算推進センター),桑田一夫(岐阜大・医),濱田大三(大阪府立母子保健総合医療センター),金城玲(神戸大・理),三友大輔(東京薬科大・生命科学),秋山良(九州大大院・理),猿渡茂(北里大・理),森次圭(横浜市大大院・総合理学),戸田幹人(奈良女子大・理),北原良(理研播磨),剣崎博生(大阪大),水上卓(北陸先端大・材料),石井由晴(科技団・ソフトナノマシンプロジェクト),古明地勇人(産総研・分子細胞工学),関嶋政和(産総研),中村周吾(東京大・農),曹巍(東京大・農),鎌足雄司(理研播磨),水谷隆太(東京大・薬),中村寛則(東京大・総合文化),高橋卓也(岡崎計算センター),倭剛久(名古屋大・理),星野恭子(神戸大・理),片岡幹雄(奈良先端大・物質創成),神取秀樹(名工大・応用化学),桑田弘美(岐阜大・医),足立みゆき(岐阜大・医),山口敏男(福岡大・理),長野恭朋(統合バイオ),小久保裕功(分子研),伊藤暁(分子研),平野秀典(理研),小松崎民樹(神戸大・理),水谷泰久(神戸大・分子フォトサイエンス研究センター),角野光則(東京大),松永康佑(神戸大・理),藤崎弘士(分子研),依田隆夫(分子研),平松弘嗣(統合バイオ),徳富哲(大阪府立大・先端研),赤坂一之(近畿大生物理工学),粟田英資(名古屋大大院・多元),新竜一郎(長崎大大院・医),沖本憲明(理研),金子清俊(国立精神神経センター),西田教行(長崎大大院・医歯薬),冨永圭介(神戸大・分子フォトサイエンス研究センター),鈴木栄一郎(味の素ライフサイエンス研),Cao Wei(東京大大院・生命農),高野光則(東京大大院・総合文化)

【概要】
 細胞の生理機能は,チャンネル,レセプター,細胞内情報伝達系等の蛋白質によって主に担われている。多くの蛋白質の「静的構造」はX線回折,NMR,電子顕微鏡等の技術の発展により,明らかにされつつある。しかし,「静的」な平均構造からその機能を推定出来るかどうか必ずしも明らかではない。即ち,生理機能は時間的な変化とカップルしているものであるから,自然な状態での蛋白質のダイナミクスを理解しなければ,その機能を理解することは出来ない。ここに蛋白質のダイナミクスを研究する目的がある。

 内容としては,理論計算(蛋白質動力学計算等)及び実験(NMR,ホール・バーニング(レーザー),CD連続フロー,1分子計測等)の両面から,蛋白質のダイナミクスに関する各研究者の最新のデータ及び考え方について自由に討議する。単なる発表の場というよりも,従来の古典力学や量子論を超える新しいパラダイムとしての生体分子ダイナミクスの概念を,どの様に構築してゆくかといった点を,形式にこだわらず,自由に討論する場としたい。更に,蛋白質の機能や病原性に関わるメカニズムを分子の構造や動きから詳細に解き明かし,これらを通じて新しい科学技術分野の創出,及び予防・治療法の開発を目指す。

 

(1)分子シミュレーションによる生体超分子の機能解析

北尾彰朗(日本原子力研究所計算科学技術推進センター)

 現在,生体内反応の中核を担う蛋白質のアミノ酸配列が大量に解明されている。しかし,これらの立体構造や機能は未解明のものが多い。一方,新しい計算法の開発とコンピュータ計算能力の急速な進歩は,これまでの時空的制約を打破し,大規模で長時間のシミュレーションを可能にしている。このような状況のもと,今後は分子シミュレーションを用いた様々な生体系の機能解明が進められていくと考えられている。すなわち大規模な分子動力学計算をおこなうことで,タンパク質などの生体高分子が多数集合して形成されるシステムを可能にしていく必要がある。日本原子力研究所 量子生命情報解析グループでは,数百万原子・生体高分子数十分子からなる大規模系の分子シミュレーションを実現するために,並列化効率に優れた生体分子シミュレーション用のソフトウエアを開発している。

 我々は最終的には,既存のプログラムとは異なって,様々な機能を含んだ統合的プログラムシステムでありながら,並列化効率のよい大規模分子シミュレーションプログラムの開発を目指している。現在は,そのコアとなる分子動力学計算モジュールの開発を進めている。講演では,我々がどのようなシステムを目指しているかを述べると共に,現状のプログラムについて解説し,それを用いておこなう並列分子動力学シミュレーションによる生体超分子研究の進展について発表した。

 

(2)巨大分子の励起状態計算と量子構造生物学

倭 剛久(名古屋大学院理学研究科物質理学専攻)

 光受容蛋白質は光エネルギーを生体エネルギーに変換したり,光情報を高感度で検出する機能をもっている。当研究は光受容蛋白質の光反応に対するアミノ酸残基の影響を調べるものである。我々は光反応を駆動する力を様々な寄与に分割する方法を開発した。イエロープロテインの場合,タンパク質が光反応に対して大きな寄与をしていることがわかった。また,蛋白質のどの部分が光反応を駆動しているのかをコンピュータグラフィクスで可視化する方法を開発した。この手法はタンパク質の構造機能相関を調べる良い手法になりうる。また,光受容蛋白質のような巨大分子の励起状態を精密にかつ高速に計算するため,新規の方法を開発した。われわれの方法は,活性部位をCI法やsaCASSCF法で計算し,それを取り囲むペプチド領域をFMO法で計算する。両者はクーロン力を通じて相互作用させる。そして,活性部位の計算とペプチド領域の計算を交互に繰り返すことにより,蛋白質全体の電子状態をself- Consistentに求めるというものである。この方法をイエロープロテインに適用したテスト計算について報告した。

 

(3)中性子非干渉性散乱からみたタンパク質動力学の不均一性

片岡幹雄,中川 洋(奈良先端科学技術大学院大学)

 蛋白質からの中性子非干渉性散乱は,基本的に水素原子の位置の揺らぎを反映している。エネルギー変化が0の弾性散乱強度の対数を散乱ベクトルの大きさ(q)の自乗に対してプロットすると,直線で近似できる領域があり,この直線の傾きから平均自乗変位(<u2>)が評価できる。様々な温度で<u2>を評価することにより,動力学転移(ガラス転移)を調べた。非水和状態では,天然構造と変性構造とでは動力学転移に差が見られるが,水和されることにより両者の差は見られなくなった。また240Kで観測される転移は水和による非調和な運動の活性化によることが明らかになった。

 散乱角が大きくなると,直線からのずれが生じる。我々はこの非ガウス性に動力学の不均一性が反映されていると考えた。平均自乗変位に簡単な分布関数(ガウス分布及び二値分布)を考え,動力学の不均一性を解析した。温度や水和による分布の変化が求められた。それぞれに,合理的な結果が得られたが,どちらの分布が蛋白質の動力学をより正確に反映しているか,決定するには至らなかった。いずれにせよ,非ガウス性は平均自乗変位の分布,すなわち蛋白質動力学の不均一性を反映していると結論できる。さらに,異なる蛋白質では,非ガウス性に違いがあることが示された。我々は,非ガウス性を蛋白質のかたさの指標として用いることができると考えている。

 

(4)分子シミュレーションによる生体高分子の中性子散乱スペクトル解析

城地保昌(日本原子力研究所計算科学技術推進センター)

 蛋白質中性子散乱データは生体高分子の機能を理解するのに重要な立体構造ダイナミクスの情報を含んでいる。その大量で複雑な情報を含む中性子散乱データを解析するのに分子シミュレーションを含めた理論的方法が大きな寄与をすることができる。本研究の目的は分子シミュレーションを利用して蛋白質の機能と関わる立体構造ダイナミクスを観測するのに必要な中性子散乱実験の測定領域・解像度を明らかにすることである。今回,蛋白質の基準振動解析と分子動力学計算を行いその結果を用いて中性子非干渉性非弾性散乱スペクトルを計算した。基準振動解析は蛋白質の調和的なダイナミクスを解析する方法である。しかし実際の蛋白質の機能には水和効果や非調和的なダイナミクスが深く関わることが知られている。分子動力学計算ではこれらの効果を取り入れることができる。つまり2つの方法からえられる中性子散乱スペクトルを比較することにより蛋白質の機能と関わるダイナミクスが(Q,w)-spaceのどこで観測できるか調べることができる。300Kでのシミュレーションからの解析結果では非調和効果や水和効果が約40cm-1以下で顕著にあらわれた。この結果は蛋白質の機能と関わるダイナミクスを観測するにはこの領域で高解像の実験が必要であることを示している。また100Kで同様の解析を行い25cm-1付近にあらわれるボゾンピークについても議論した。

 

(5)蛋白質の多型性,遅いゆらぎと機能

石井由晴(科学技術振興事業団)

 タンパク質は動的にその構造を変えながら生物のさまざまな機能を担っている。これまでタンパク質の振る舞いを調べるには,非常にたくさんの数の分子を対象として実験をし,その平均値を測定していたが,動的な変化は平均値に隠れて見えない。そこで一つ一つの分子を直接見て平均値では分からないタンパク質の動的挙動を計測した。ここでは蛍光エネルギー移動法と1分子イメージング技術を組み合わせ,タンパク質1分子の動的構造を計測した。

 アクチン分子にドナーとしてテトラメチルローダミンをアクセプターとしてCy5特異的に標識化し,この間のFRETを観察した結果,溶液中でこのタンパク質は少なくとも2つの構造が共存することが示された。さらにこの複数個の構造の間をサブ秒から秒のオーダーでゆっくりと転移していることがわかった。アクチンは生体中ではモーター分子であるミオシンのレールとして働いているが,ミオシンが滑り運動をしているとき,アクチンの構造は多構造間の平衡をずらすようにして構造変化していることがわかった。アクチンがミオシンの運動に対し単なるレールではなく,積極的に機能に関わっていることが示された。

 またRasは細胞内で信号伝達に関わるGTP結合タンパク質である。タンパク質内の特定の位置をCy3で,GTPをCy5で標識化しFRETを計測した。アクチンと同じように複数の構造が示唆された。Rasは信号伝達の分岐点でいくつものタンパク質と相互作用することがわかっており,構造変化をすることで多数の信号伝達を切り替えていると考えられる。

 このようにタンパク質の構造は自由エネルギーの多数の局所的極小値に対応して,複数個の構造が存在し,その間をゆっくりと移転している動的な構造をとっている。機能をするときこの動的な構造をさまざまに変えながら機能していることが示唆された。

 

(6)巨大分子混み合いと分子シャペロンの相互作用の理論

金城 玲(科学技術振興事業団さきがけ,神戸大学理学部化学科)

 細胞内は混みあっている。この混みあった環境は通常のin vitroの実験系の環境とはだいぶ異なっており,注目するタンパク質性質に少なからず影響を与えると考えられる。混みあった状況での多種多用な蛋白質やその他の巨大分子は,複雑な相互作用をしているが,とりわけ重要なのは,排除体積相互作用である。なぜなら,その他の相互作用があろうとなかろうと,巨大分子が存在する限りその排除体積も存在するからである。巨大分子混みあいによる蛋白質の安全性,折れたたみ,凝集に対する影響を調べるために,単純な統計力学的模型を作って解析した。分子種は蛋白質(天然状態・変性状態)および「混みあい因子(crowder)」を考え,全て球状の形であると仮定する。簡単のため,引力は変性状態の蛋白質間のみに働き,その他は全て排除体積相互作用であるとする。混みあい因子の濃度によって,蛋白質(とその集まり)の状態がどう変るかを調べた。結果は以下の通り。

(A)平衡状態では

 (1)
混み合あいによって,変性蛋白質の凝集は促進される。
 (2)
しかし,凝集が起らない範囲では,天然蛋白質の安定性が増加する。

(B)非平衡状態では

 (1)
折れたたみ速度がもともと速い蛋白質は,混みあいによって折れたたみ速度がますます速くなり,凝集は制御される。
 (2)
折れたたみ速度がもともと遅い蛋白質は,混みあいによって,凝集の開始が加速される。

 さらに,系に分子シャペロンが存在する場合に,巨大分子混みあいによって凝集とシャペロン活性の相関がどう変化するか,という問題について議論する。

 

(7)蛋白質の折れたたみ反応速度に対するトリフルオロエタノールの影響

浜田大三(大阪府立母子保健総合医療センター研究所)

 「生体内で合成される蛋白質は,そのアミノ酸配列に特有の立体構造へと自発的に折れたたまれる」この概念は現代生物学においては,自明のことと考えられている。しかしながら,自然界において,これほど多様で難解な現象は他に例をみない。

 近年,種々の研究手法が開発され,個々の蛋白質の折れたたみ反応過程について,詳細な機構が明らかにされてきた。一方,これらの情報を集約し,折れたたみ反応の統一的原理を確立する段階までには,我々の理解は達していない。

 個々の蛋白質の天然構造は,異なった相互作用の組み合わせにより,安定化されている。個々の蛋白質に関して,これらの相互作用の役割,寄与について理解することは,折れたたみ反応の統一的原理を理解する上で重要である。

 トリフロオロエタノール(TFE)は,蛋白質内部の疎水性相互作用を弱め,近傍の残基間で形成される局所的な水素結合を安定化すると考えられている。そのため,多量のTFEを含む溶媒中でポリペプチド鎖は,αヘリックス,βターン構造を多く含む構造状態を形成する。

 ここでは,上記のTFEの性質を利用し,二次構造含量,分子量,折れたたみ反応様式の異なる13種類の蛋白質について,蛋白質折れたたみ反応に対する局所的な水素結合の役割について調べた結果について,報告する。

 これらの結果から,個々の蛋白質の折れたたみ過程における律速段階で形成される立体構造(遷移状態)や中間状態の立体構造には,アミノ酸配列(内部因子)に依存したバリエーションが存在するが,個々の蛋白質についてそれらの構造特性は,溶媒条件(外部因子)に依存しないことが示唆された。この結果は,蛋白質のフォールディング・ランドスケープ構造の寛容性を示している。

 

(8)Dynamical Funnelを目指して

戸田幹人(奈良女子大学理学部物理科学科)

 本研究では,蛋白質の折り畳み過程に関して,Funnel描像の基本的な前提は踏まえた上で,より動力学的な様相を取り入れたモデルを考える。この意味で,本研究が扱うモデルをDynamical Funnelと呼ぶことにする。本研究で扱うモデルは,次の三種類の自由度から構成される。第一はファネル自由度である。本モデルでは,折り畳み過程は,全体としてファネル状になったポテンシャル地形上のダイナミックスと考える。ただし,このファネル地形は,多くの凸凹を伴っており,なだらかな地形とは必ずしも限らない。このファネル地形に沿った自由度がファネル自由度である。第二の自由度は,蛇行の自由度である。折り畳み過程が,全体としてファネル的な傾斜を持っているとしても,その地形を滑り降りる過程が,一次元的な動力学であるはずは無い。むしろ,ファネルに沿った方向は,多くの蛇行を伴っていると予想される。その蛇行のために,ファネルに沿った運動は,曲がり角において振動運動を励起し,ファネルの傾斜によって獲得した運動エネルギーを失う。あるいは,ファネル地形において,ところどころ存在する遷移状態を超える運動は,次の遷移状態を超える運動に際して,自由度の組換えが必要となろう。第三の自由度が熱浴を構成する一群の振動モードである。

 実際の蛋白質の実験データや分子動力学では,ファネル自由度として何を選ぶのがいいか,という問題そのものが問われる。また,上記のDynamical Funnelのモデルでも,蛇行の自由度との相互作用があるため,ファネル地形を降りてくる過程は,必ずしもファネル自由度に沿っているとは限らない。このような場合,ファネル方向と最も良く相関している,動力学的な(集団的)自由度を,データから抽出するという課題が存在する。本研究では,Broomheadらによって提唱された,局所主成分解析を用いて,ダイナミックスの時系列データを解析する試みを行ったので報告する。

 

(9)蛋白質フォールディングのダイナミックス−階層的規則性と分子記憶

小松崎民樹(神戸大学理学部地球惑星科学科)

 蛋白質の折れ畳みのダイナミックスにおいて発見された異常拡散,および,リボザイムの1分子計測で観測されている状態転移ダイナミクスの長時間分子記憶現象は,生体分子系の構造形成ダイナミックスはファネル型エネルギー地形上を単なる“確率過程”として緩和する描像では捉えきれないことを提言している。我々はこれまでに,Thirumalaiらの46バネービーズモデルなどの折れ畳みシミュレーションで得られる時系列に対し埋め込み論を適用し,揺らぎの大きい10数自由度の埋め込み次元(運動がランダムであればあるほど,系を構成する全自由度の総数に漸近する)が相対的に低く,かつ転移温度では他の温度領域のそれに比べて顕著に小さく,転移温度領域のダイナミックスは力学的な規則性を保有する傾向にあることを示した。本講演では熱浴に浸されながらコヒーレンスを持つ遅いダイナミックスの特徴付けを目的とし,そのメカニズムを「解析」するための手法のひとつとして,有限サイズリヤプノフ指数を蛋白質ダイナミックスの解析に用いた。ある軌道X(t)に対して有限の変位dX(0)を与えた場合,ズレdX(t)がある許容範囲Dを越える時間T(dX(0),D)を評価し,有限変位のリヤプノフ指数λ(dX(0),D)を定義する。大振幅な主成分モードX(t)においては,dX(0)を変数としてλ(dX(0),D)を描くと,dX(0)でλ(dX(0),D)に「大」から「小」への階段的転移,すなわち,微視的には強いカオスであるが,メソスケールでは規則性を備えた弱いカオスを呈することなどを見出した。

 

(10)動的な座標系のモデルによる蛋白質ダイナミクスの解析

森次 圭,木寺詔紀(横浜市立大学大学院総合理学研究科)

 強い非線形性を含む蛋白質の運動は,その生物学的機能の発現に密接に関わっている。原子レベルの空間分解能をもつ分子動力学シミュレーションは,蛋白質の非線形ダイナミクスを解析する最も強力な手段のひとつである。本研究では,蛋白質のダイナミックな運動に適用しうる解析法のひとつとして,各時間での運動を調和近似により定義し,その調和運動の時間変化により長時間スケールの運動を記述するモデルを考案した。

 調和運動の計算には,短い時間幅での主成分解析を用いた。調和運動の時間変化は,線形なモードで張られる座標系の並進(平均構造の変化)と回転(モード方向の変化)として表現される。時間窓をずらしながら主成分解析の計算を繰り返すことにより,モード座標系の並進と回転を時間軸に沿って観測した。

 まず始めに,ミオグロビンの温度一定の平衡状態に対してこのモデルを適用した。時間変化する座標系に沿った運動の様子をみると,固定軸方向には拡散的であった運動が振動的なものになる点,また,平均構造を取ることにより運動の振動成分が取り除かれる点から,この調和近似モデルにより運動の拡散成分が座標軸の並進・回転として効率的に抽出されることが確かめられた。運動の拡散成分としての座標軸の並進・回転を平衡温度の関数として観測した結果,高温では非線形な運動の寄与により全体的な調和運動の時間変化が大きくなることが明らかになった。

 

(11)赤外振動エコー実験と分子動力学シミュレーションに基づく一酸化炭素結合ミオグロビンのA Substatesの構造とダイナミクス

秋山 良(九州大学理学部)

 COの結合したミオグロビン(MbCO)の伸縮振動を赤外吸収でみると,3つのメジャーなsubstatesを見る事が出来る。それらのスペクトルは,A0(~1965cm-1),A1(~1944cm-1),A3(~1930cm-1)にピークを持つ。溶媒の状態によってそのポピュレーションも変化する。これは蛋白質の微視的構造の違い,とりわけヘムポケットの構造の違いに関係すると期待される。

 しかし,これらのsubstate間の遷移のタイムスケールは,ナノ秒以下(A1<>A3),あるいはマイクロ秒以下(A3<> A1,A3)である事が知られており,NMRやX線回折による構造分析の時間分解能より速い。我々は,この問題を分子動力学計算(MD)を使って調べた。比較する実験は,非線形赤外分光の一つ,波長分解赤外振動エコー実験である。

 我々は,まず64番目のヒスチジン(His64)のイオノン環のε位の窒素がプロトネイトされたタイプのMbCOのMDを行った。その結果,His64のイオノン環のtautomerのそれぞれに対応する2つのsubstatesが表れた。それらは,以下に示す代表的な構造に帰属される。Red Stateでは,Nεのプロトンが,COの方向を向いている。一方,Blue Stateでは,NεとNσが,COからほぼ同距離にある。それぞれのStateのトラジェクトリーからCOの振動周波数が受ける変調の自己相関関数を計算し,Fayerグループによる振動エコー実験と比較した。その比較から,MDに現れたふたつのsubstatesそれぞれに赤外スペクトルのA3(Red State),A1(Blue State)が対応している事がわかった。

 今回は,更にHis64のNσがプロトネイトされた場合のMbCOのMD結果も加えてダイナミクスにおける溶媒の役割まで議論したい。

 

(12)鉄―ヒスチジン結合を通して観たヘムタンパク質のダイナミクス

水谷泰久(神戸大学分子フォトサイエンス研究センター,科技団さきがけ研究21)

 ミオグロビンやヘモグロビンでは,ヘムはヒスチジン残基を通して主鎖とつながっている。したがって,鉄−ヒスチジン結合は,ヘムとグロビンにおけるお互いの構造変化を伝達する機能を持つ。ヘムからのリガンドの脱離に伴う,鉄−ヒスチジン結合の変化を,時間分解共鳴ラマン分光法を用いて調べた結果について述べた。ミオグロビンの鉄−ヒスチジン伸縮振動[n(Fe-His)]によるラマンバンドは,約100ピコ秒の時定数で2 cm-1低波数シフトし,平衡状態(デオキシ形)の値へと近づいていった。また,ヘモグロビンのn(Fe-His)バンドは,約300ピコ秒の時定数で2 cm-1低波数シフトを示した。いずれの振動数シフトもリガンドの脱離に伴う三次構造変化を反映している。また,ヒスチジンと主鎖の共有結合を切ったミオグロビンミュータントや,リガンドの脱離に伴って非常に大きな三次構造変化を起こす変性チトクロムcの結果についても比較した。

 

(13)フラビンを発色団とする光センサー蛋白質の構造変化ダイナミクス

神取秀樹(名古屋工業大学応用化学)

 生体分子は機能発現のため,分子の構造を過渡的に変化させる。光受容蛋白質は機能発現を光で制御できることから,構造変化ダイナミクスを研究するのに適している。光受容蛋白質の中で光を情報へと変換するものには,視覚や古細菌の光センサーであるロドプシン,細菌の光センサーであるイエロープロテイン,植物の赤色センサーであるフィトクロムなどが知られている。これらはいずれも発色団の異性化反応によって蛋白質の構造変化が誘起され,蛋白質の表面構造が変化する結果として「情報」が伝達蛋白質へと伝えられる。ところが最近になって,植物の青色センサーとしてフラビンを発色団とする光受容蛋白質が発見された。異性化が考えられない光センサーにおいて,光の情報はどのように伝達蛋白質へと受け渡されるのであろうか?

 フォトトロピンは,植物の光屈性や葉緑体光定位運動,気孔開口などに関与する青色光センサーであり,その発見から5年ほど経過したばかりであるにも関わらず,さまざまな知見が激しい競争の中で得られている。例えば異性化を利用した光センサー蛋白質が多くの中間体を経由して蛋白質の構造を変化させるのに対して,フォトトロピンにおけるフラビン結合ドメインの光反応過程では光反応中間体が1つしか現れない。結晶構造解析の結果によると,反応中間体が生成しても蛋白質表面にほとんど構造変化がみられず,その光情報変換機構が興味を集めている。本講演では,我々の低温分光法を用いた研究を紹介し,この新しい光センサー蛋白質の構造変化ダイナミクスに関して議論した。

 

(14)蛋白質の構造変化:線型応答的描像

木寺詔紀(横浜市立大学大学院総合理学研究科)

 蛋白質のダイナミクスにおける,基準振動的描像の成功に基づいて,第1次近似として,基質結合に伴う応答を線型のレベルで扱うことを考える。静的な線型近似において,摂動に伴う分布関数の応答は(1)式で与えられる。

              (1)

 ここで,dfiは原子iの平衡位置のまわりの分布関数,Vjは原子jに対する外場, 01はそれぞれ非摂動(非結合)状態と摂動(結合)状態での平均を表す。さらに,外場を1次までで近似して平均操作をすると,構造変化の期待値は(2)式で与えられる。

                                    (2)

 ここで, は基質結合に伴う原子iの移動量, は非摂動状態でのゆらぎの分散共分散行列,fjは原子jにかかる外力である。このように,線型的な描像では,応答の挙動は非結合状態のゆらぎによって決まることとなる。この静的な表式では,分散共分散行列はquasiharmonic近似として分子動力学計算の軌跡などから計算することができて,そこに相当程度複雑なダイナミクスを反映させることができる。このことが基準振動解析と同様に,蛋白質への適用で重要な意味を持つものと期待される。

 

(15)Characterization of protein conformers beyond basic folded ones by high pressure NMR

赤坂一之(近畿大学)

 A protein in solution is a thermodynamic entity existing in dynamic equilibrium of multiple conformers. Extension of our knowledge to conformers beyond basic folded ones is crucial for understanding mechanisms of protein function, folding and misfolding. However, they have seldom been detected and their structures analyzed under closely physiological conditions. Detailed spectroscopic analysis of structures of kinetic intermediates in folding has also been hampered by their limited life times.A new experimental strategy, utilizing pressure perturbation in conjunction with multi-dimensional NMR spectroscopy, allows direct NMR detection and structural analysis of higher energy conformers of proteins, disclosing the rich world of protein structure existing between the basic folded conformer and the fully unfolded conformer. A number of peculiar intermediates have been detected and characterized in such proteins as RalGDS-RBD,b-lactoglobulin,dihydrofolatereductase, ubiquitin, apomyoglobin, p13MTCP1 and prion, showing that multiple conformers are general designs of nature for a wide variety of functional proteins. Furthermore, close identity between the pressure-stabilized intermediates and the kinetic intermediates in folding is generally expected. Possibility of extending structural analysis to the entire conformational space of proteins by high pressure NMR is discussed in terms of the“volume theorem of protein”and the energy landscape for folding.

 

(16)高圧NMRでみた蛋白質リゾチームのダイナミクス

鎌足雄司(理化学研究所)

 タンパク質の構造は,その基底構造(いわゆる天然構造)から準安定構造や変性構造などの多様な構造との平衡状態にある。一般的に天然構造以外の構造はその存在割合が低く,通常の生理的条件下では分光学的に検出することが困難である。圧力は,分子体積を軸に,もともと存在する蛋白質の多様構造間の平衡を部分モル体積の小さな方へシフトさせる。これによって,天然状態から逸脱した構造が観測可能となる。蛋白質の準安定構造は,天然構造以上に,機能発現などに重要である可能性もあり,高圧NMRは原子レベルでその構造解析を可能にする唯一の手法である。

 高圧NMR法によりニワトリリゾチームの天然構造内での揺らぎの大きい部位を同定した。また,高圧かつ低温で,準安定構造が安定化されることも見いだした。それら,天然構造内部での揺らぎの大きい部位,および,高圧・低温での変性部位は,いずれもタンパク質内部のキャビティーや水和水近傍に位置し,その一部は活性部位近傍に位置する。このことは,原子のパッキングや水和が,天然構造内部での揺らぎや天然構造から準安定構造への転移,ひいては機能発現をコントロールしている可能性があることを示唆している。

 

(17)多体問題の厳密解について

粟田英資(名古屋大学大学院多元数理科学)

 

(18)Protein unfolding assay and its application to identifying prion protein conformation changing factor

金子清俊(国立精神神経センター)

 Prion protein exists in two different isoforms, a normal cellular isoform (PrPC) and an abnormal infectious isoform (PrPSc), the latter is a causative agent of prion disease such as mad cow disease and Creutzfeldt-Jakob disease. Amino acid sequences of PrPCand PrPScare identical, but their conformations are rather different; PrPCrich in nonb-sheet vs. PrPScrich inb-sheet isoform.

 During its normal metabolism, PrPCis cleaved in the middle of the potentialb-sheet region, thereafter it cannot be converted into PrPScanymore. Once PrPCescapes this pathway, however, PrPCis converted into PrPSctemplated by PrPScitself in assistance with hypothetical yet unidentified host factor. Since the two isoforms have quite different conformation, this host factor might be a molecular chaperone, which enables to override an energy barrier between PrPCand PrPSc. This means that these two molecular events, PrPCdegradation and PrPScformation is mutually exclusive.

 Our prion research focuses on further understanding such an unprecedented mechanism by identifying auxiliary factor(s) other than PrPCand PrPSc. Our current targets are, (1) yet unidentified protease cleaving PrPCduring its normal metabolic pathway, and (2) unknown host-specific factor(s) involved in PrPScformation.

 

(19)プリオン蛋白質の遅い揺らぎと病原性

桑田一夫(岐阜大学医学部高次情報統御学講座)

 ハムスター・プリオン(ShPrP(90-231))の遅い揺らぎを15N核の緩和時間(CPMG分散法)を用いて計測し,高圧NMRで既に得られている局所的な熱安定性の差,及び経験的に知られている病原性を示す変異部位と比較した。

 その結果,ミリ秒のオーダーの揺らぎを示すアミノ酸残基は,C端のヘリックス(ヘリックスB,C)を形成している部分に優位に見られ,熱安定性が相対的に低い部位とよく一致していた。このことは,蛋白質におけるミリ秒の遅い揺らぎは,天然構造を中心としたピコ〜ナノ秒の速い揺らぎとは根本的に異なり,プリオン中間体への構造転移も含むグローバルな揺らぎであることを示している,と考えられる。

 また,臨床的に知られている病原性を引き起こす変異は,ヘリックスB,C領域に集中しており,この領域のダイナミクスが,プリオンの病原性,特に感染性と深い関連があることを示唆している。N端の疎水性クラスターには,GSSを引き起こす変異が一ヶ所あるが,感染性は低い。このことは,C端の構造形成部分と疎水性クラスターとの間の長距離相互作用が,何らかの形で病原性そのものの発現と関連しているのだろう。

 

(20)Ex vivo transmission of prions: analysis of strain, cell-tropism and interference

西田教行(長崎大学医学部)

 プリオン蛋白質の性状とその異状化のメカニズムが近年明らかにされつつあり,プリオン病の病態は解明されつつあるといえよう。しかし一方で病原体の本体が異常プリオン蛋白質そのものであるとの証明は困難で未だ成功していない。我々は病原体の本体の解明を目標に,培養細胞でのプリオン持続感染系を樹立し,種々の実験を現在行っている。今回以下の3つの異なる興味深い事象について報告する。

 (1)以前よりプリオンには多数の性質の異なる株が存在することが知られているが,もし病原体が遺伝子を持たないならば如何に性質を保持していくのか極めて興味深い。我々は3種類の由来と性状の異なるプリオン(スクレイピー由来の22LとChandler株,GSS由来のFK-1)の持続感染細胞系を樹立した。これらの細胞をマウス脳内に接種するとやはり株特異的症状,潜伏期をもって発症し,病理学的にも株特異的病変を認めた。感染細胞に認める異常プリオン蛋白を同じ株に感染したマウス脳内のものと比較すると,異なる泳動度を示すプロテアーゼ抵抗性バンドパターンを示し,N末の切断点に相違があると思われた。このことがプリオン蛋白の異常構造に変化が生じた結果だと大胆に仮定すると,株特異的性質を保持する情報物質はプリオン蛋白以外のものである可能性がある。

 (2)株特異的病変が生じることは,株ごとに細胞指向性のパターンが異なるのではないかと推測されているが,その直接証明はなく,また詳細は明らかではない。我々は上記の3種類の株を,neuroblastoma cell(Neuro2-a),mouse hypothalamic neuronal cell(GT1-7),tratocarcinoma cell(1C11)にin vitro感染を試み,22LとChandler株がNeuro2-aに比較的よく感染するのに対し,FK-1は1C11に比較的指向性があることがあきらかになった。こうした株間の指向性の違いは何が規定するのか現在解析中である。

 (3)異なる株間にウイルス学でいうところの干渉現象が見られることがある。つまり先行する感染が存在した場合,後続の病原体の感染が成立しない。しかし,これまでの多くの研究はin vivoで行われており,生体の免疫系が本当に関与していないのか不明であった。GT1-7細胞を用い,スクレイピー株を先行感染させ,ヒト由来のFK-1の重複感染を試みたところ,細胞レベルでの解明はプリオン病の治療方法を見つけることにつながるかもしれない。

 

(21)プリオンタンパク質の分子動力学シミュレーション
―Ala117→Valアミノ酸変異による蛋白質構造の変化―

 

沖本憲明(理化学研究所)

 


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