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発達生理学研究系

認知行動発達機構研究部門

【概要】

 2003年度,6月より吉田正俊君が東京大学大学院(統合生理)より助手として着任し,サルの眼球運動を用いた認知機能の研究プロジェクトが開始された。また4月より加藤利佳子君,西村幸男君が博士研究員として着任した。また5月よりタイ国チュラロンコン大学よりThongchai Sooksawate博士が1年間の予定で外国人研究員に着任,8月よりロシア国パブロフ生理学研究所よりNikolay Nikitin博士が外国人客員教授として赴任した。その後加藤君はフランスのコレージュ・ド・フランスに留学した。研究テーマは,大脳皮質一次視覚野損傷後のサルの認知・行動制御機構の研究(吉田ら),上丘へのニコチン注入が眼球サッケード運動制御に与える効果(渡邊ら),サルの上肢運動制御の際の感覚入力の修飾機構(関ら),脊髄レベルでの皮質脊髄路損傷後の手指の巧緻運動の機能代償機構(西村ら),霊長類上丘局所神経回路での信号伝播機構(Nikitin,加藤ら),上丘中間層へのコリン作動性入力の作用(Sooksawateら),上丘視神経層のwide field vertical cellの樹状突起におけるH電流の機能(遠藤ら),マウスの上丘電気刺激によって誘発されるサッケード運動の解析(坂谷ら)など,スライス標本から麻酔下動物,覚醒サルまで多様なレベルを組み合わせた研究が展開されるようになった。

 

脊髄レベルでの皮質脊髄路損傷後の手指の巧緻運動の機能代償機構

西村幸男,伊佐正
尾上浩隆(東京都神経研),塚田秀夫(浜松ホトニクス中央研究所)

 5頭のマカクザル(ニホンザル4頭,アカゲザル1頭)においてC4/C5髄節で側索背側部を切断した。これらのうち切断が皮質脊髄路に限局していた2頭においてはprecision gripは切断後1週間以内に出現し,運動は1月程度でほぼ正常に近いレベルまで回復した。切断が側索全体に及んでいた2頭ではprecision gripの出現に3-4週間を要し,3-4ヶ月で運動の回復がほぼ正常レベルに達した。しかしこのような行動の回復後も把持力の弱さと,把持の直前のpreshapingの消失と第2指による接触の後第一指を閉じる運動が開始されるという所見は残存した。これらのサルの行動観察が終了した時点でαクロラロースによる麻酔下で上肢筋運動ニューロンから細胞内記録を行い,反対側錐体路を電気刺激したところ,約半数の運動ニューロンで2シナプス性のEPSPが記録された。健常な動物ではこのような2シナプス性のEPSPはほとんど記録されないことから,機能回復過程において2シナプス性の興奮性経路ないしはそれに対する抑制系に何らかの変化が生じたものと考えられた。
 次にこの機能回復過程における大脳皮質など,より上位中枢で再組織化が起きている可能性を検討するため,2頭のサルにおいて上肢の到達―把持運動遂行中のPETによる脳賦活イメージングを行なった。すると1ヵ月後には切断の両側の一次運動野,体性感覚野および補足運動野において顕著な活動の上昇が見られた。3ヵ月後には全体的に活動の減弱が見られたが,両側の一次運動野と運動前野腹側部において活動の増大が持続した。

 

サル上丘へのニコチン局所注入がサッケードに与える効果の解析

渡邊雅之,伊佐正
小林康(大阪大学生命機能研究科)

 中脳の上丘はサッケードを制御する中心的な領域である。上丘中間層にはサッケードのベクトルマップが存在し,各サッケードに先行して対応する領域の神経細胞群がバースト発火を示す。上丘中間層には近接する領域間は興奮性,離れた領域間は抑制性の内在性回路が存在する。この内在性回路の機能的意義について検討するため,上丘局所領域にアセチルコリンのアゴニストであるニコチンを微量注入して神経細胞活動を増強し,サッケードへの影響について検討した。注入後,自発サッケードは注入部位の神経細胞群が表現する領域(注入部位表現領域)に頻繁に向かった。この結果は,ニコチンが上丘神経細胞活動を増強するという仮説と一致する。視覚誘導性サッケードの反応潜時は,標的が注入部位表現領域近傍に呈示された場合に短縮した。しかし,標的が注入部位表現領域から離れていた場合,反応潜時の遅延は生じなかった。サッケードの終点,軌道は注入部位表現領域方向にバイアスした。終点への影響と比較すると,反応潜時への影響はより注入部位表現領域近傍に限局していた。これらの結果は,反応潜時は上丘の限局した領域の活動によって決定され,終点,軌道はより広い範囲の活動によって決定されると想定したモデルと一致する。しかし,反応潜時の遅延が生じなかった結果より,上丘内の抑制性内在性回路は運動準備期間中の活動を制御するほど十分に強くはないと考えられた。

 

サルを用いた盲視(blindsight)の神経機構の解明

吉田正俊,伊佐 正

 盲視の動物モデルとして片側の第一次視覚野を外科的に切除したニホンザルを作成して,急速眼球運動課題を用いた行動実験を行った。
 以下の課題を第一次視覚野の除去手術の前に習得させた。(1)強制選択型および(2)yes-no課題型の視覚誘導性眼球運動課題,(3)記憶誘導性眼球運動課題,(4)視覚手掛かりを提示した注意課題。つづいて第一次視覚野の除去手術を行い,手術後の再トレーニングによって以下の結果を得た。
 (1)を遂行できることを確認した。欠損半視野で弁別できる標的刺激の閾値は手術前と比べて上昇していた。また,gap条件によってexpress saccadeが起こることを見出した。(2)の成績が(1)よりも悪いことを見出した。(3)を遅延時間2秒でも遂行できることを見出した。このことは,視覚手掛かりの位置情報を短期記憶として保持できることを示している。さらに(4)において,視覚手掛かりを用いた注意の効果が見られることを見出した。

 

サルにおける上丘局所神経回路の解析

Nikolay Nikitin,加藤利佳子,伊佐正

 イソフルレン麻酔下のサルにおいて視交叉の電気刺激ないしはフラッシュ光に対する応答を上丘の異なる層においてフィールド電位として記録した。
 すると,上丘の背側表面から深さ1ミリまでの浅い層では電気刺激で潜時6-8ms,光刺激で潜時38-46msの陰性電位が記録された。これらはより深い層(中間―深層深さ1-2ミリ)で反転した。そしてビククリン(10mM, 2ml)を近傍に注入すると,中間―深層において電気刺激で潜時13ミリ秒,光刺激で45ミリ秒で100-150ミリ秒持続する陰性波が出現した。これらの結果は中間−深層においてGABAA受容体を介する抑制が解除されたときに視覚入力が浅層を介して中間−深層を活性化すること,すなわち霊長類においても上丘浅層から中間−深層への線維連絡が存在することを示唆している。

 

マウスの上丘電気刺激により誘発されるサッケード運動と
その制御の分子機構

坂谷 智也,伊佐 正

 サッケードの制御における各種神経伝達物質の役割について,これまでのところほとんど不明である。我々が新たに開発したマウスのサッケード測定システム,ならびに上丘電流刺激によるサッケード誘発系を,抑制性神経伝達物質GABAの合成酵素であるGAD65のノックアウトマウスに適用し,サッケード制御システムにおけるGABAの役割について解析した。その結果GAD65KOマウスでは(1)刺激中に眼球の不安定な振動が頻繁にみられ(2)サッケードの最大速度が上昇し(3)振幅の大きなサッケードがみとめられなかった。以上の結果とサッケード制御の理論モデルに基づいた計算機シミュレーションの結果を比較することにより,サッケード制御系においてGAD65由来のGABAが主としてサッケードの振幅を計算するフィードバックの効率調節に関与していることが示唆された。

 

上丘出力ニューロンの樹状突起での活動電位生成とそのIhによる制御

遠藤利朗,伊佐 正

 Wide field vertical (WFV) cellは上丘から視床に投射する主要な出力ニューロンの一つであり,視覚対象の動きの検出に関係すると考えられている。我々は入力線維刺激への反応の解析から,このニューロンでは入力に対して活動電位が樹状突起で開始されることを示す結果を得た。また,WFV cellはhyperpolarization-activated cation current(Ih)を顕著に示し,IhチャネルのうちHCN1を主に樹状突起に発現することを明らかにした。Ihの抑制薬の効果から,HCN1は樹状突起における活動電位の開始または細胞体への伝導を促進していると考えられる結果を得た。このような特性はWFV cellが樹状突起への入力を統合して動く視覚刺激を鋭敏に検出するのに重要であると考えられる。

 

ニコチン型アセチルコリン受容体(nAChR)によるGABA性神経伝達の修飾

遠藤利朗,伊佐 正

 二丘傍核から上丘浅層へのコリン作動性投射はGABA作動性抑制を調節すると考えられていたが,機構の詳細は分かっていない。一方,上丘浅層ニューロンはnAChRを発現することが組織学的研究から知られていたが,機能はまったく不明であった。我々はGAD67-GFPマウスで上丘浅層ニューロンのAChに対する電流応答を調べ,GABA作動性介在ニューロンはnAChRサブタイプのうち,α7型とα3β2型を発現することを明らかにした。またnAChRは投射ニューロンへのGABAA受容体を介した抑制をシナプス前性に強力に促進することを見出した。

 

ラット上丘中間層に対するコリン作動性入力のシナプス後作用

Thongchai Sooksawate,伊佐 正

 上丘中間層には中脳の脚橋被蓋核,背外側被蓋核からコリン作動性線維が投射することが知られているが,その作用は十分に解析されていない。このコリン作動性入力の作用機序を明らかにするため,生後17-22日のラットの上丘中間層ニューロンからwhole cell記録を行い,アセチルコリンのアゴニストであるカルバコール30mMを持続投与して応答を解析した。その結果,大多数のニューロンでα 4 β2型ニコチン受容体の活性化を介する速い内向き電流ないしはM3型ムスカリン受容体を介する遅い内向き電流が記録された。また一部のニューロンではM2型ムスカリン受容体を介する外向き電流が記録された。大多数のニューロンで内向き電流が主体であったことから上丘中間層に対するコリン作動性入力の主たる効果は興奮性であると結論された。

 

ラット上丘中間層におけるGABA作動性シナプス伝達に対する
ムスカリン受容体の活性化によるシナプス前抑制

李鳳霞,遠藤利朗,伊佐 正

 上丘中間層に対する中脳の脚橋被蓋核,背外側被蓋核からのコリン作動性線維の機能を明らかにするため,生後17-22日のマウスの上丘中間層ニューロンからwhole cell記録を行い,グルタミン酸受容体の拮抗薬であるCNQX,APV存在下で近傍を電気刺激して誘発されるIPSCに対するムスカリン10mMの持続投与の効果を解析した。その結果,IPSCは70%にまで減弱した。この抑制に際してIPSCのpaired pulse ratioが増加し,coefficient of variationも増加した。またpuff投与したGABAA受容体のアゴニストmuscimolによって誘発される電流応答に対してmuscarineは抑制効果を持たなかった。またmuscarineによってminiature IPSCの頻度は減少したが振幅に変化はなかった。以上の結果からmuscarineによるIPSCの抑制作用はシナプス前性であると結論された。そしてこのmuscarineによる抑制作用はpirenzepine, 4-DAMPによって阻害されたが,methoctramineは作用が見られなかった。これらの結果はmuscarineによるシナプス前抑制作用がM1,M3型ムスカリン受容体によるものであることを示す。このようなムスカリン受容体によるGABA作動性シナプスに対する抑制作用はニコチン型受容体,M3型受容体によるシナプス後性興奮作用とともに上丘からの出力を促進する方向に作用すると考えられる。

 

随意運動の制御における脊髄介在ニューロンの役割

関 和彦,武井 智彦,高橋 伸明

 覚醒サルの脊髄介在ニューロンの活動を記録する方法を用いた2種類のプロジェクトが現在進行している。
 1) 脊髄介在ニューロンによる随意運動時の末梢感覚の制御随意運動時には末梢受容器からの感覚フィードバックが時々刻々と中枢神経系に伝達される。我々の中枢神経系はこれらの情報をどのように処理して運動の遂行・準備に役立てているのだろうか。この点を知るため,サルに手首の屈曲伸展運動を訓練し,その際の末梢神経刺激に対する反応を,下位頚椎に装着したチェインバーを介して記録している。これまで,皮膚入力の一部がシナプス前抑制によって抑圧されることが明らかになっている。
 手指の繊細な運動の制御における脊髄介在ニューロンの役割
 手指の繊細な運動(例えばprecision grip)の制御は主に大脳皮質を中心に行われていると考えられている一方,脊髄介在ニューロンの役割はほとんど知られていない。そこで我々はサルにprecision grip課題を訓練し,脊髄介在ニューロンの活動を記録している。脊髄と大脳皮質がどのように連携してprecision gripの制御を行っているのかを知る事が目標である。

 

 

生体恒常機能発達機構研究部門

【概要】

 当部門は2003年に新設され,同年11月に鍋倉淳一が教授として就任した。現座,発達の過程で一旦形成された神経回路に起こる再編成のメカニズムを回路レベルで解明することを目標に研究をしている。特に,発達期における再編のメカニズムとして,シナプスレベルにおいて,伝達物質のスイッチング,細胞内イオン環境の変化によるGABAの興奮性から抑制性へのスイッチとその制御機構,受容体の細胞内動態やこれらに対する神経栄養因子,環境/回路活動による制御を検討している。
 また,傷害や虚血などの種々の障害後に一旦未熟期における回路特性が再現し,回復に伴い発達と同様な再編成過程が再現される可能性について,電気生理学的,分子生物学,組織学的手法を用いて研究を行なっている。

 

発達期における神経伝達物質のスイッチング

鍋倉淳一
石橋仁(九州大学)
神野尚三(九州大学)
松原篤(弘前大学)

 ラット聴覚系中経路核である外側上オリーブ核に内側台形体核から入力する伝達物質自体が未熟期のGABAから成熟期のグリシンに単一終末内でスイッチすることを微小シナプス電流の特性の解析などの電気生理学的手法,神経終末内のGABA,GADやグリシン免疫電顕や免疫組織学的手法を用いて明らかにした。この伝達物質のスイッチングは,発達期における主要な再編成機構である余剰回路の除去や伝達物質受容体の変化と並ぶ大きなカテゴリーの変化と考えられる。現在,脳の発達に対するGABAの重要性に注目が集められている。このモデル系において何故未熟期にはGABAである必要があるのかを,GABAの未熟期における興奮性およびGABAB受容体の発達変化と関連機能について検討している。

 

細胞内Cl-制御機構KCC2によるGABAの興奮
−抑制スイッチと分子機構の解明

鍋倉淳一
張一成(九州大学)
福田敦夫(浜松医科大学)

 未熟期および虚血や傷害後早期にGABAは興奮性伝達物質としての作用を獲得する。これはGABAA受容体に内蔵するチャネルを流れるCl-イオンの向きによって決定されるため,細胞内Cl-イオン濃度によってGABAは興奮性/抑制性が決定される。この細胞内Cl-イオン濃度は神経細胞特異的に発現するK+−Cl-トランスポーターであるKCC2によって主に決定されている。発達期や再生期におけるKCC2の発現,およびその機構を検討している。

 

BDNFによる大脳皮質細胞におけるGABA受容体の細胞内動態と分子機構

鍋倉淳一
溝口義人(九州大学)
平田雅人(九州大学)
兼松隆(九州大学)

 脳由来神経成長因子であるBDNFは未熟期(生後2週目)には大脳皮質視覚野錐体細胞では,数分という短時間で細胞膜表面のGABAA受容体の増加をともなうGABA応答の長期増強を引き起こす。逆に,同時期の海馬CA1細胞や成熟期の大脳皮質細胞では膜表面の受容体の減少を伴うGABA応答長期抑制を起こす。この作用は何れも細胞内PLCgamma,Ca2+を介する。この部位差およびage差のメカニズムを検討するために,GABA受容体のリサイクリングに関するメカニズムの解明のためにGABA受容体βサブユニットに作動する蛋白(phospholipase C-related inactive protein)に注目し,遺伝子改変動物などを用いて検討している。

 

 

生殖・内分泌系発達機構

【概要】

 本研究部門は,視床下部による摂食行動の調節と末梢組織における代謝調節機構の解明を目指して研究を行っている。視床下部は,摂食行動(エネルギー摂取)とエネルギー消費機構(栄養代謝)を巧みに調節することによって生体エネルギーを一定に保つ重要な働きを担っている。しかし近年,この調節機構の異常が肥満,糖尿病,高血圧など,生活習慣病の発症と密接に関連することが明らかとなってきた。当部門では,視床下部における生体エネルギー代謝の調節機構を分子レベルで解明し,その分子機構を通して生活習慣病など様々な疾患の原因・治療法を明らかにしたいと考えている。現在実施している主たる研究課題は次の通りである。1)AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構の解明,2)レプチン,神経ペプチドによる糖・脂質代謝調節機構の解明。

 

AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構

箕越 靖彦

 AMPキナーゼは,細胞内のエネルギーレベルが低下する危機的な環境で活性化し,エネルギー基質を動員して細胞内ATPレベルを回復させる。しかし最近,我々は,AMPキナーゼがレプチンやアディポネクチンなどホルモンによって活性化して骨格筋における脂肪の利用を促進すること,視床下部AMPキナーゼがレプチンなど摂食調節ホルモン,グルコースによって活性を変え,その作用を通して摂食行動を制御することを明らかにした(Minokoshi Y, et al, Nature 415: 339, 2002)。このようにAMPキナーゼは,細胞内エネルギーレベルを調節するだけでなく,レプチンなどホルモンの働きを介して生体全体のエネルギー代謝を調節している。本研究課題では,AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構を明らかにするため,活性型並びに不活性型AMPキナーゼを視床下部の各種神経細胞や骨格筋にレンチウイルスを用いて特異的に発現させ,摂食行動,栄養代謝に及ぼす影響を調べている。

 

レプチン,神経ペプチドよる糖・脂質代謝調節機構の解明

箕越 靖彦

 我々は,脂肪細胞産生ホルモン・レプチンが摂食行動を抑制するだけでなく,視床下部−交感神経系の働きを介して褐色脂肪組織や骨格筋などエネルギー消費器官でのグルコースおよび脂肪酸の利用を促進することを明らかにしてきた。レプチンは,脂肪萎縮症において発症する重篤な糖尿病を改善することが知られており,その作用の少なくとも一部は,上記調節機構が作動している可能性が高い。我々は,この作用がレプチンだけでなく,視床下部に特異的に発現する神経ペプチド・オレキシンによっても惹起されることを見いだした。現在,骨格筋でのグルコース利用・インスリン感受性を亢進させるオレキシンの生理的意義を解析している。また,その作用機構を明らかにするため,カテコラミンβ受容体の(β1,β2,β3受容体)ノックアウトマウスを用いて研究を行っている。

 

 

環境適応機能発達研究部門

【概要】

 われわれは,感受性の高い特定の時期に成立し,生存に不可欠な3種の匂い記憶・学習のメカニズムを分子,細胞,システムレベルで解明することを目指している。3種とは,(1)雌マウスに形成される交配雄の匂い(フェロモン)の記憶,(2)幼若ラットにおける匂い学習,及び(3)母親による子の匂いの記憶であり,行動薬理,電気生理,組織化学,遺伝子工学,バイオイメージング等の手法を組み合せて解析している。

 

フェロモン記憶の保持に関連した相反性シナプスの再編成

松岡勝人,車田正男(新潟大学)
椛 秀人
Richard Costanzo (Virginia Commonwealth University)
守屋敬子,吉田−松岡淳子,市川眞澄(東京都神経科学総合研究所)

 電子顕微鏡を用いてシナプスの微細形態を観察することによって,雌マウスに形成されるフェロモン記憶は副嗅球の僧帽細胞と顆粒細胞との間に形成されている相反性相互シナプスの形態学的変化によって支えられている。記憶を形成していない対照群に比較して,記憶形成群では僧帽細胞から顆粒細胞への興奮性シナプスの後膜肥厚のサイズが増大している。さらに,興奮性シナプスと抑制性シナプスの後膜肥厚のサイズを記憶形成の時点から経時的に解析した。驚いたことに,興奮性シナプスの後膜肥厚サイズの増大は記憶形成から5日間維持されたが,それ以降は記憶前のレベルに戻っていた。代わって,顆粒細胞から僧帽細胞への抑制性シナプスの後膜肥厚のサイズが遅れて増大し,その増大は記憶の保持期間の間,維持された。この結果は,記憶の永続性が静的というよりはむしろ動的な形態変化によって維持されていることを示唆している。

 

フェロモン記憶の電気生理学的相関

黄 光哲(高知大学)
椛 秀人

 スライス標本を用いて,副嗅球の僧帽細胞から顆粒細胞への興奮性シナプス伝達とその可塑性について解析した。僧帽細胞の軸索(外側嗅索,LOT)を電気刺激すると副嗅球の外叢状層において2峰性の誘発陰性フィールド電位が記録された。第2番目の電位の発生はCNQXによって抑制され,第1番目の電位の発生は,CNQXにもAP5にも影響されず,TTXによって抑制されたことから,第1番目の電位は僧帽細胞の逆行性興奮を,第2番目の電位は顆粒細胞樹状突起に発生した興奮性シナプス後電位(フィールドEPSP,fEPSP)を表わしている。LOTを比較的低頻度で長時間(10Hz,20発,3分間隔で4回)刺激すると,fEPSPの長期増強(long-term potentiation: LTP)が誘導された。LTPはNMDA受容体依存性に成立し,ノルアドレナリン(NA)によってゲートされた。以上のLTPの特徴は,フェロモン記憶の特徴を再現している。このことは,LTPの解析を通してフェロモン記憶のメカニズムが理解されうることを示唆している。

 

共培養下における副嗅球ニューロン
−鋤鼻ニューロン間の機能的シナプス形成

村本和世,黄 光哲,谷口睦男(高知大学)
椛 秀人

 嗅覚は脳の進化のごく初期に獲得された感覚で,脳の神経回路形成や機能を理解するうえで基本的なモデルとなると考えられている。われわれは,フェロモン情報処理に関わる鋤鼻系の試験管内再構築系を用いて,神経回路形成機構や個体識別機構等の解明を目指している。鋤鼻系の感覚受容細胞である鋤鼻ニューロンは培養下で内腔をもつ球塊(鋤鼻細胞塊)を形成するため,副嗅球細胞との共培養下で容易に識別が可能である。しかし,フェロモンを含む尿に対する鋤鼻感覚細胞の応答は,単独培養下では観察されない。今回,ラットの副嗅球ニューロンと鋤鼻細胞塊との共培養下で副嗅球ニューロン−鋤鼻ニューロン間に機能的なシナプスが形成されていることを認めた。

 

幼若ラットにおける匂い学習とLTPとの相関

張 敬姫,奥谷文乃,黄 光哲(高知大学)
椛 秀人

 幼若ラットに匂いと電撃を対提示すると,この匂いに対する嫌悪学習が成立する。この学習は匂いシグナルと青斑核ノルアドレナリン作動性神経によって伝達される電撃シグナルが主嗅球において連合することによって成立する。われわれは,この学習を支えるシナプスの可塑的変化が主嗅球の僧帽細胞と顆粒細胞との間に形成されている相反性相互シナプスに起こることを示唆してきた。今回,行動薬理と電気生理の両面から学習のメカニズムを解析した。この嫌悪学習はbeta受容体アンタゴニストによって阻害され,さらにNMDA受容体アンタゴニスト(AP5)ではなく,L型カルシウムチャネルブロカー(nifedipine)で阻害された。スライス標本を用いて,主嗅球の僧帽細胞から顆粒細胞への興奮性シナプス伝達を解析した。僧帽細胞の軸索に高頻度刺激(100Hz,100発,3分間隔で3回)を与えても,このシナプス伝達に短期増強しか誘導されないが,ノルアドレナリンを添加すると強固な長期増強(LTP)が誘導された。このLTPはbeta受容体アンタゴニストによって阻害され,さらにAP5ではなくnifedipineで阻害された。以上の結果はLTPと学習との強い相関を示唆している。

 


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