生理学研究所年報 年報目次へ戻る生理研ホームページへ


1.脳磁計を用いたヒトの感覚・運動連関の研究

 

寳珠山 稔(名古屋大学医学部保健学科)

 時間的に短い刺激では個々の刺激は意識されることはないものの,情報の処理は一定に生じていることがヒトの脳においても明らかになりつつある。ミリ秒単位の短い時間に生じる脳反応の非侵襲的な研究は,高い時間分解能をもち精度の高い空間的情報が得られる生体磁気計測装置(Magnetoencephalography, MEG) を用いた計測により初めてに明らかになるものである。本研究では,MEGの特性を生かして,非常に短い時間に呈示される刺激に対する情報処理と認知,およびそれらに続く出力としての運動につながるプロセスを明らかにすることを目的とした。本年度は,短い時間間隔での連続刺激および短い刺激時間で生じるヒトの感覚情報処理過程を,誘発脳磁場計測によって体性感覚と視覚刺激について研究した。

 体性感覚誘発脳磁場(Somatosensory evoked magnetic filed, SEF) については,個々の刺激が区別できない非常に短い間隔(1〜10ms) で連続的に末梢神経を刺激した場合,それぞれの刺激が第一次体性感覚野(SI) 内でどのように処理されているかを明らかにした(Hoshiyama and Kakigi, 2003) 。SIを反応起源とするSEF成分は刺激後20msから80msまで幾つかの成分が認められるが,短い間隔で連続する刺激中では減衰し個々の刺激に対応した反応として認められなくなる成分(1M ; 刺激後20msの成分,4M; 同70msの成分)がある一方,連続刺激中にも変化しない成分(2M ;同30ms)や増高する成分(3M;同45ms)が認められた。このようなSEF成分の変化は,時間的に隣接する刺激が相互に干渉し単独の刺激とは異なって処理されていることを示していることに加え,SEF成分変化の特徴によって感覚皮質における細胞群の機能的差異が明らかにされると考えられた。

 視覚情報処理においても非常に短い時間で提示された刺激は,その刺激内容が意識されることはない。しかし,そのような刺激でも情報の一部は,時間的に十分な長さで提示された場合に認知される情報と同じく処理されると考えられた(Hoshiyama et al., 2003)。認識されない短い刺激提示時間(16ms) でヒトの顔,文字,ランダム図形を提示しMEGで測定した脳反応を視覚誘発脳磁場(Visual evoked magnetic filed, VEF) として記録し,認識される刺激(同48ms)によるVEFと比較した。短い提示時間でもVEF成分の大きさは顔画像で最も大きく,顔の情報処理は意識されない刺激量によっても既に優位性をもって処理されていることが示された。

 このように,感覚情報処理は意識にのぼらない早い段階で刺激相互の干渉や刺激の弁別に関する初期の課程が生じている。今後は,これら意識されない情報処理過程における感覚相互の関連や運動遂行課程への影響を明らかにしていきたい。


 

 

2.異言語話者による音声の脳内処理過程に関する検討

 

大岩昌子(名古屋外国語大学)

【目的】本研究では,日本語に特殊モーラとして存在する長音に注目し,母語に長音を持たないフランス語話者と日本語話者における聴覚野の活動パターンに対する母語の影響を脳磁図(MEG) を用いて生理学的に検討することを目的とした。なお本研究では,指標としてミスマッチフィールド(MMF) という,1秒前後の短い間隔で繰り返し提示される同一の音(標準刺激)の中に,それとは異なる音響的特性を持つ逸脱刺激がまれに挿入された場合に,逸脱刺激に対して特異的に出現する誘発脳磁場成分を用いた。

【方法】被験者は日本語を母語とする右利き,聴力健常な成人7名(男性4名,女性3名)およびフランス語を母語とする右利き,聴力健常な成人6名(男性5名,女性1名)。日本語話者(男性)によって発声された無意味単語「エレペ」および「エレーペ」を聴取している(試行間間隔800 ms)際の脳磁場反応を,全頭型306チャンネルSQUID 脳磁計(Neuromag) によって記録した。手続きとして,(1)「エレーペ」を逸脱刺激(15%),「エレペ」を標準刺激(85%) としたシークエンス,(2)「エレペ」を逸脱刺激(15%),「エレーペ」を標準刺激(85%) としたシークエンスの2つを設けた。各刺激音に対する加算平均波形を算出し,同一刺激音に対する逸脱刺激−標準刺激間の差分波形からMMNm成分を同定した。

【結果および考察】日本語話者,フランス語話者ともに逸脱刺激「エレーペ」に対するMMNm(Long条件),逸脱刺激「エレペ」に対するMMNm(Short条件)が左右大

 脳半球の側頭部に認められた。Short条件でのダイポール強度(|Q|) は,フランス語話者で,左右半球間に有意差は認められなかった。日本語話者においては,左半球におけるダイポール強度(|Q|) が右半球より大きく,Wilcoxonの符号順位検定を用いて比較した結果,半球間に有意な差が確認された  (p < 0.02) 。一方,Long条件におけるダイポール強度(|Q|) は,フランス語話者では,左半球の方が右半球より大きい傾向が認められた (p < 0.08) 。日本語話者では左右半球間に,有意差は認められなかった。このように日本語話者,フランス語話者において差が認められ,母語に弁別的な長母音を持つか持たないかで聴覚野の反応が異なることが示唆された。


 

 

3.ウィリアムズ症候群の顔認知

 

中村みほ(愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所)
渡邉昌子,柿木隆介

 ウィリアムズ症候群は7番染色体に欠失を持つ隣接遺伝子症候群であり,心血管系の異常,特異な顔貌,精神発達遅滞などの症状を呈する。近年,本症候群患者においては認知能力の分野ごとのばらつきが大きいことが摘適されており,視覚認知においてもその背側経路の障害が腹側経路の障害に比してより大きいと考えられている。我々は心理学的手法とともに脳磁図による神経生理学的手法を用いて本症候群患児らの視覚認知の特徴を明らかにしてきた。

 今年度は比較的保たれていると考えられている腹側経路の中で,その代表的な機能のひとつである顔の認知についての検討を昨年度に継続して行った。具体的には,視空間認知障害など典型的な症状を持つ16才のウィリアムズ症候群患者について,正立顔,倒立顔を左半視野,右半視野のそれぞれに呈示し,その際の脳磁場反応を計測して健常成人の反応(Watanabe et al, 2003) と比較検討した。本患者において,左半視野に呈示した正立顔倒立顔の右半球における反応については,以下のことがすでに明らかになっている。正立顔倒立顔にたいする脳磁場反応の波形に置いて,顔特異成分とされる2M成分を確認した。2M成分の頂点潜時は健常成人のそれと有意な差を認めなかった。しかしながら倒立顔の方が,正立顔に比して短縮する傾向にあった。これは,成人においては倒立顔に対する反応の頂点潜時は正立顔のそれに比して延長する(倒立効果)傾向を示すのに対して逆の傾向である。BESA (Brain Electric Source Analysis) による活動源の推定を行ったところ,その一つは,健常成人と同様に側頭葉下面のFFA (fusiform face area) に推定された。上記活動源における継時的活動の頂点潜時は倒立顔においては正立顔に比して短縮しており,健常成人と逆の傾向であった。すなわち,正立顔に対する反応は健常成人との違いを認めなかったが,倒立顔に対しては倒立効果を認めないという特徴的所見が観察された。また,健常成人においては左半視野刺激に対する右半球の反応では倒立効果を認めるものの,右半視野に刺激呈示した場合の左半球の反応にはそれが見られないことが明らかになっている。そこで,本研究を行い,右半球,左半球それぞれにおけるBESAによる活動源の推定,その継次的活動の頂点潜時の検討を実施した結果,以下の点が明らかとなった。右半球,左半球ともに側頭葉下面に活動源のひとつが推定された。その経時的活動の頂点潜時を正立顔,倒立顔で比較したところ,左右半球いずれにおいても倒立効果を認めなかった。すなわち,本患者では,右半球においてのみならず,左半球においても倒立効果の欠如が確認される結果となった。一般に健常成人では正立顔は構成要素の位置関係を全体的に把握するconfigural processing によって処理されるため,処理が早いと考えられているのに対し,倒立顔は個々の構成要素のそれぞれに着目するlocal processingによって処理されるため処理に時間がかかり,倒立効果が現れると考えられている。ウィリアムズ症候群の一患者においてえられた,右半球でも左半球でも倒立効果を認めないという本研究結果は,本患者においてlocal processingが有意であることを示唆しており,本患者の視覚認知における特徴(細かい構成要素に着目しやすく,全体的な位置関係を無視しがちになる)と関連する可能性があると考えられた。上記の本患者での視覚認知の特徴はウィリアムズ症候群に典型的に現れるものであるが,今回の研究で明らかとなった倒立効果の欠如がウィリアムズ症候群としての特徴を示すものであるか否かはさらに症例を増やして検討する必要がある。また,顔の認知は発達上の変化の影響を受けやすいと考えられることから,今後,年齢を一致させたコントロールとの比較研究をすすめる必要があると考えている。


 

 

4.鍼刺激で誘発される“得気”の脳磁場発現機序

 

中山登稔(明治鍼灸大学生理学教室)
田口太郎,宮脇太朗(明治鍼灸大学大学院基礎鍼灸医学)

 患者あるいは被検者に効果的な鍼治療が行われるとき,その刺入部位に限局した特異的感覚が生じる。これを“得気”という。この感覚は“うずく”ような,あるいは“重苦しい”,“腫れぼったい”と表現される感覚であり,鍼治療効果との相関は密接である。現在まで,科学的な手法に基づいた客観的な研究報告は少なく,特に“得気”の脳中枢への投射メカニズムについてはほとんど見られない。

 我々は“得気”の脳磁場発現機序に生体磁気計測装置を利用して解明することを目的とし,その測定条件を検討するため,まず,本学において鍼刺激による誘発電位の予備実験を行った。実験者は被験者の経穴に鍼を刺入し,その鍼を0.5 Hzの頻度で上下に捻鍼を加えて刺激し,被験者の“得気”を誘発する。同時に実験者の上肢に取り付けた表面電極から鍼刺激時に実験者の指の動きを支配する筋群の筋電図を導出し,その信号をトリガー信号として加算装置を駆動した。しかし,筋電図のピークで見られるタイムラグがばらつくため,有効なデータは得られなかった。別途,鍼と刺入部位の皮膚表面に設定した電極との接触によりトリガーを発生させ,誘発電位の記録を試みたが,手法に安定性が欠けていたため有効なデータが得られなかった。さらに,レーザーによる距離計測技術を使って安定的なトリガーを得,誘発電位の記録に成功したがデータの再現性を得ることができなかった。

 以上の結果からマニュアル鍼刺激による誘発電位の記録は困難であり,同じトリガーを用いることを前提とする脳磁計による脳磁図記録は困難であると判断した。尚,我々の上記検討内容を柿木教授にも報告した。

 上述のように安定したトリガーを得られない原因は鍼刺激で賦活される受容体の性質と刺激の定量性に関係すること,また鍼刺激はポリモーダル受容体が深く関与することが否定できないからである。さらに,マニュアル鍼刺激で刺激される組織周辺の受容器は必ずしも同一ではないことも挙げられる。鍼刺激により脳磁図信号を記録するためには,刺激手法における上記諸問題を解決する必要性があると思われる。


 鎮痛効果を誘導する鍼刺激は,低周波電気刺激による鍼刺激と高周波電気刺激による鍼刺激で,異なる効果があることが知られており,更に,中枢神経系において異なるオピオイドペプチドが放出されることも報告されている。

 しかしながら,低周波電気刺激による鍼鎮痛と高周波電気刺激による鍼鎮痛で,異なるオピオイドペプチドが放出されていることと鎮痛効果の差との関係は明確ではない。さらには,刺激周波数が痛覚に修飾をする領域に差があるかどうかも未確認である。

 そこで,MEGシステムを用い痛覚に対する鍼鎮痛効果の中枢神経系における作用部位を同定するとともに,低周波電気刺激による鍼鎮痛と高周波電気刺激による鍼鎮痛の作用特性の差を調べ,鍼鎮痛の作用機序モデル化を試みる。

 当該研究では,鍼の刺入による鎮痛刺激の代わりに経皮的電気刺激法を用いる。また,鍼鎮痛により鎮痛効果が誘発される部位に対して経皮的神経電気刺激法を用いて痛覚刺激を行う。

 

(1) 方法

対象:体性感覚および痛覚において異常のない健常人

測定機器:MEG system

刺激方法:表皮内電気刺激法を用いて鍼鎮痛に用いられる経穴に対し鎮痛刺激を行う。その後,痛覚誘発刺激を当該経穴の効果点に対応する部位に経費的神経電気刺激法を用いて痛みを誘発させる。手順は以下の1)〜5)である。

1) 痛覚閾値および痛覚許容値を求める。

2) 経穴に表皮内電気刺激法を用いて2Hzの電気刺激を20分間行う。

3) 30分おきに体性感覚刺激(痛覚閾値- 10%の強度),痛覚閾値刺激(痛覚閾値- 0%の強度),痛覚刺激1(痛覚閾値+20%の強度),痛覚刺激2(痛覚閾値+40%の強度),痛覚許容値刺激1(予め計測した値),痛覚許容値刺激2(本施行時に得られた値)を行い,それぞれで皮質誘発反応を計測する。

4) 同様に,経穴に表皮内電気刺激法を用いて100Hzの電気刺激を行い,それぞれで皮質誘発反応を計測する。

5) 得られたデータを鎮痛刺激前および鎮痛刺激後の鎮痛効果の持続を評価するとともに低周波電気刺激と高周波電気刺激による鍼鎮痛違いを比較・評価する。

(2) 予想される結果

1) 痛覚誘発反応のどのコンポーネントに鎮痛の影響があり,時間経過とともに作用がどのように減衰するかが観察できる。

2) 低周波電気刺激による鍼鎮痛と高周波電気刺激による鍼鎮痛での作用部位の差が確認できる。

1)と2)から,中枢神経系における鍼鎮痛作用のモデル化が可能となる。


 ウィリアムズ症候群は7番染色体に欠失を持つ隣接遺伝子症候群であり,心血管系の異常,特異な顔貌,精神発達遅滞などの症状を呈する。近年,本症候群患者においては認知能力の分野ごとのばらつきが大きいことが摘適されており,視覚認知においてもその背側経路の障害が腹側経路の障害に比してより大きいと考えられている。我々は心理学的手法とともに脳磁図による神経生理学的手法を用いて本症候群患児らの視覚認知の特徴を明らかにしてきた。

 今年度は比較的保たれていると考えられている腹側経路の中で,その代表的な機能のひとつである顔の認知について


 本研究課題では,誘発脳磁場に対してウェーブレット変換(Wavelet Transform) を用いた時間周波数成分可視化を行い,その発現機序について新たな知見を得ることを目的としている。

 ウェーブレット変換は現象を時間周波数領域で表現できることから,各周波数成分の発生時間,持続時間を知り得ることができる。すなわち,発生する周波数成分の寄与を時系列で表現できる。

 これまでに,ウェーブレット変換を用いたヒト脳波(運動関連脳電位)の時間周波数可視化を独自に進めた結果,本手法が脳波の発現機序を解明する上で有効である可能性を示した。

 本手法による運動関連脳電位の解析結果の一例として,閉眼時の右人差し指のタッピング運動開始前後において,発生する周波数10Hz前後(α波帯域)の成分は,運動前が非同期,運動後が同期成分であることを明らかにした。なお,周波数5Hz前後(θ帯域)の成分は,運動開始前後ともに同期する成分であり,運動開始後に減少することを明らかとした。すなわち,10Hzと5Hzの成分を時間周波数成分として検出することにより,動作の有無が確認できる可能性を見出した。

 現在,脳磁図データに対して本手法を適用するためのプログラム作成(全頭型生体磁気計測装置Hole HEAD MEG 306チャンネル,信号発生源特定)を進めている。また,本研究課題では位置特定精度も重要となることから,これまでに報告されている他の信号処理手法(合成開口法,適応ビームフォーマー法,MUSIC法,独立成分分析法等)の調査,比較研究も進めている。

 


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