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10.神経回路網形成と可塑性機構研究における
領域横断的アプローチ

2003年12月4日−12月5日
代表・世話人:神谷温之(神戸大学大学院医学系研究科)
所内対応者:重本隆一(岡崎国立共同研究機構生理学研究所)

(1)
発達期小脳における登上線維シナプスの機能分化
橋本 浩一(金沢大学大学院医学系研究科)
(2)
自身の発現密度に依存するATP 受容体P2X2の性質の変化
藤原 祐一郎(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科)
(3)
シナプス脱構築の分子機構の解明に向けて
瀬籐 光利(岡崎国立共同研究機構統合バイオサイエンスセンター)
(4)
シナプス後肥厚部PDZ 蛋白質の立体構造学的研究
朽尾 豪人(横浜市立大学大学院総合理学研究科))
(5)
ニコチン性アセチルコリン受容体の構造生物学的解析
宮澤 淳夫(理化学研究所播磨研究所)
(6)
Rapid motility of dendritic spines and axonal filopodia
田代 歩(The Salk Institute for Biological Studies))
(7)
EGF 投与認知障害モデルラットの行動解析
水野 誠(新潟大学脳研究所)
(8)
行動テストバッテリーを用いた遺伝子改変マウスの表現型解析による遺伝子機能の探索:
カルシニューリンミュータントマウスの例を中心に
宮川 剛(京都大学先端領域融合医学研究機構)

【参加者名】
神谷 温之(神戸大・医),重本 隆一(生理研),久保 義弘(生理研),大塚 稔久(カン研究所),児島 伸彦(理研・脳総研),橋本 浩一(金沢大・医),藤原 祐一郎(東京医歯大・医),瀬籐 光利(統合バイオ),朽尾 豪人(横浜市大・理),宮澤 淳夫(理研播磨),田代 歩(Salk Institute),水野 誠(新潟大・脳研),宮川 剛(京都大・先端領域),玉巻 伸章(京都大・医),山肩 葉子(生理研),伊藤 功(九大・理),斉藤 裕見子(埼玉医大),李 月(埼玉医大),真鍋 俊也(東大・医科研),渡部 文子(東大・医科研),城山 優冶(東大・医科研),篠江 徹(東大・医科研),三輪 秀樹(東大・医科研),片山憲和(東大・医科研),草川 森士(東大・医科研),泉 寛子(東大・医科研),李 勝天(東大・医科研),白尾 智明(群馬大・医),関野 裕子(群馬大・医),水井 利幸(群馬大・医),岡部 繁男(東京医歯大・医),壱岐 純子(東京医歯大・医),漆戸 智恵(東京医歯大・医),井上 明宏(東京医歯大・医),尾藤 晴彦(東大・医),奥野 浩行(東大・医),狩野 方伸(金沢大・医),吉田 隆行(金沢大・医),今泉 美佳(杏林大・医),片岡 正和(信州大・工),内田 洋子(東京都老人研),畠山 伸二(エーザイ),澤田 光平(エーザイ),山田 麻紀(東大・薬),井ノ口 馨(三菱化学生命研),小田 洋一(大阪大・生命機能),中山 寿子(大阪大・基礎工),小橋 常彦(大阪大・基礎工),井上 英二(カン研究所),井上 真理枝(カン研究所),俵田 真紀(カン研究所),力津 絵津子(カン研究所),西村 陽(京都府立医大・医),高岸 芳子(名古屋大・環境研),大塚 裕之(名古屋大・環境研),辰巳 仁史(名古屋大・医)

【概要】
 脳は遺伝子のプログラムに従って複雑な神経回路網を構成するとともに,後天的にも環境や経験に基づいてその機能と構造を改変し,成熟した固有の高次機能を獲得する。この2つの過程,すなわち発達期における神経回路網形成と成熟脳における活動依存的な可塑性機構を明らかにすることは,現在の神経科学の最重要課題である。これらの問題を追求し,真に国際的なレベルでの研究を推進する上で,分子生物学・細胞生物学・遺伝学・解剖学・生理学・行動科学・システム脳科学など異なる領域の研究者が単独の方法論のみに立脚して研究を行うのではなく,最新の情報と最高水準の研究手法を結集し,積極的な協同により研究を進めることが求められている。本研究会では,発達期の神経回路網形成機構と成熟脳における可塑性機構に焦点を絞り,さまざまな背景を有する第一線の研究者が一堂に会して徹底的な討論を行うことで今後の研究の方向性を洗い出し,また参加者同士の情報交換・交流を図ることで,この領域における有機的な連携の輪を生み出すことを目的として行われた。電気生理・構造生物・分子イメージング・行動解析を主な研究アプローチとする8名の研究者が1演題あたり1時間程度の十分な時間をかけて話題を提供した。また,個々の研究発表に先立ち,座長の久保(生理研),大塚(カン研究所),児島(理研脳総研)が当該分野における現在の到達点と今後の問題点について概説することで,異分野の研究に対しても参加者全体が討論を行いやすくすることが出来た。二日間にわたり活発な討論が行われ,また真に有益な情報交換が出来たことで,今後の共同研究のシーズを生み出すためにも有意義な研究会であった。

 

(1)発達期小脳における登上線維シナプスの機能分化

橋本 浩一(金沢大学大学院医学系研究科)

 成熟動物の小脳プルキンエ細胞は,ほとんどの細胞が一本の登上線維の支配を受けるが,発達初期には一時的に複数の登上線維による多重支配を受けている。生後発達に伴い,徐々にプルキンエ細胞一個あたりの登上線維の本数が減少し,マウスでは生後21日目までに一本支配に移行する。成熟動物と幼若動物では,登上線維の投射領域や生理学的性質などが著しく異なっており,生後発達の過程で多重支配から単一支配に移行する間に,登上線維シナプスの性質が大きく変化していることが予測される。今回,この点を明らかにするために,同じプルキンエ細胞上に投射している入力線維間の性質の変化について電気生理学的解析を行った。

 まず,生後発達に伴う入力線維間のシナプス強度の変化を調べた。その結果,生直後のマウスのプルキンエ細胞は,各々のシナプス強度が比較的同等な登上線維により多重支配されているが,生後一週目までに個々のプルキンエ細胞を支配する登上線維数の減少に加えて,入力登上線維間のシナプス強度の差が大きくなることがわかった。またこれの現象はシナプス前終末からの伝達物質放出様式の変化によることが明らかになった。さらに入力登上線維間の強弱の形成は過剰登上線維の除去に先行して生じることが明らかとなった。

 以上の結果は,形態変化(シナプス除去)に先行する機能的変化(入力登上線維間の強弱の形成)が神経回路の成熟過程に重要であることを示している。

 

(2)自身の発現密度に依存するATP 受容体P2X2 の性質の変化

 藤原 祐一郎(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科)

 イオンチャネル型のATP受容体P2Xは,時間依存的にイオン選択性が変化することや,記録ごとにうち向き整流性の強度がばらつくなどの特徴あるポアの性質を持つことが知られている。我々はアフリカツメガエル卵母細胞発現系において,内向き整流性のばらつきが発現密度に相関することを見いだした。今回,P2X2受容体の整流性の分子機構を明らかにする目的で,受容体の種々の性質を発現レベルとの関連において解析し以下の知見が得られた。

(1) PNMDG+ / PNa+ は発現密度と負の相関を示した。(2) 内向き整流性は発現密度と負の相関を示した。脱分極パルス直後に観察される外向き電流および定常レベル電流はどちらもチャネルを高発現にすることによって増加した。(3) 高濃度ATPにより弱い内向き整流性を呈する高発現細胞に低濃度ATPを投与すると内向き整流性は増強した。(4) [ATP] - 応答関係のKdの値は発現密度と負の相関を示した。Hill係数は発現密度に相関なく一定であった。(5) ポア上部の点変異I328Cにより上記の発現密度に依存した変化がほぼ消失した。

 以上の結果から,ATP投与により開状態に入った,ごく近傍にあるP2X2受容体チャネル間の相互作用によりポア上部においてなんらかの構造変化が起こり,ポアの性質やリガンド感受性が変わる可能性が示唆された。

 

(3)シナプス脱構築の分子機構の解明に向けて

瀬籐 光利(岡崎国立共同研究機構統合バイオサイエンスセンター)

 我々の記憶や学習の素過程の一つにシナプスの再構築があります。我々を含めたグループの発見によってシナプスの構築機構については徐々に明らかになってきました。一方でシナプスの脱構築の分子機構については殆ど解っていません。蛋白の翻訳後修飾機構の一つであるユビキチン化は,プロテアソームと連携し,タンパク質分解に関わる生理的に重要な機構であることが近年次々と明らかになっており,シナプス蛋白もユビキチン化を受けて分解されると考えられ始めています。しかしそのシナプス再構築に関わるユビキチン系の分子実体はあらゆる動物種において未だ明らかではありません。そこで今回,シナプス蛋白質のユビキチン化に関与する候補分子について若干の最新の知見を交えて議論します。

 

(4)シナプス後肥厚部PDZ蛋白質の立体構造学的研究

 朽尾 豪人(横浜市立大学大学院総合理学研究科)

 PDZドメインは,約90アミノ酸残基からなる蛋白・蛋白相互作用のモジュールで,膜貫通受容体やイオンチャンネルの細胞内COOH末端のモチーフ配列(3〜4アミノ酸残基)に結合する。一つの蛋白質中に複数のPDZドメインが含まれる多重性により,様々な機能性蛋白質が一カ所に集積され,巨大なシグナル伝達複合体が形成され,効率的かつ特異的なシグナル伝達が可能となる。

 筆者はnNOS PDZとPSD-95 PDZの相互作用の立体構造研究を行ってきた。nNOSはNMDA受容体流入性のCaイオンにより活性化されるが,これはnNOSがPSD-95を介してNMDA受容体近傍に局在することにより実現している。PSD-95は三つのPDZドメインを持ち,nNOSも酵素ドメインの他にN末端側にPDZを持つ。NMDA受容体はPSD-95のPDZ1に結合し,さらにPSD-95のPDZ2にnNOS PDZが結合することにより,NMDA受容体−PSD-95−nNOSが複合体を形成する。筆者らは各々のPDZドメインの立体構造を決定し,変異体作製,表面プラズモン共鳴法,溶液NMRを用い,in vitroでのPDZの相互作用を調べ,アミノ酸レベルで明らかにした。また,最近の話題として,複数のPDZによる高次構造の形成に関する構造研究についても紹介した。

 

(5)ニコチン性アセチルコリン受容体の構造生物学的解析

 宮澤 淳夫(理化学研究所播磨研究所)

 ニコチン性アセチルコリン受容体(nAChR) は,神経筋接合部のポストシナプス膜上に存在するリガンド開閉型イオンチャネルである。われわれは,シビレエイの電気器官からnAChRを豊富に含んだポストシナプス膜を調製しnAChRのチューブ状結晶を作製,極低温電子顕微鏡を用いて,nAChRのチューブ状結晶のイメージを撮影した。チューブ状結晶の「らせん」対称性を利用した画像処理を行い,静止状態にあるnAChRの立体構造を4Åの分解能で解析し,これに1次構造に従ってポリペプチド鎖をあてはめ,原子レベルでの構造を決定した。

 nAChRの膜貫通領域はイオンチャネルを形成し,5本のaへリックスからなるイオンの通り道となる内側リング(膜貫通ポア)と,その内側リングを周囲の脂質から保護するように取り囲んでいる15本のαへリックスからなる外側リングからできている。膜貫通ポアは,静止時で直径約6Åの穴が開いており,アセチルコリンがリガンド結合部位に結合すると,これがが直径約9Åに広がる。nAChRを透過するNaイオンやKイオンなどのカチオンは水溶液中では水和状態にあり,その第1水和殻の直径は8Åより大きいと考えられ,これらの水和カチオンはnAChRの静止状態における直径約6Åの膜貫通ポアを通過できず,活性化状態において直径約9Åに広がったときに初めてチャネルを通過できるようになると考えられた。

 

(6)Rapid motility of dendritic spines and axonal filopodia

 田代 歩(The Salk Institute for Biological Studies)

 発達脳内におけるシナプス形成時には,シナプス前後部の構造が数十秒から分単位という速さで動的形態変化(motility) を起こしている。我々は,二光子励起およびディスク回転式共焦点顕微鏡を用いて,培養海馬切片内でGFPを発現させた神経細胞上の樹状突起スパインおよび軸策末端を観察することにより,シナプス前後部の動的形態変化のシナプス形成への関与を調べてきた。

 シナプス後部構造である樹状突起スパインの形態形成がsmall GTPase Rhoファミリーによって制御されることが,我々および他のグループにより示されている。そこでRac1,およびRhoAの主要なエフェクターであるRho kinaseを阻害することにより,Rac1とRhoA/Rho kinaseの作用を解析し,これらの二つの伝達経路がスパインの形態,動的形態変化および安定化の異なる側面を制御していることを明らかにした。

 また,シナプス前部構造である海馬苔状繊維フィロポディアの動的形態変化と神経活動の関係を調べた。シナプス形成の相手を見つけていない未成熟なフィロポディアはカイニン酸型受容体の活性化により動的形態変化の度合いが増し,シナプス形成の相手を見つけた成熟したフィロポディアはカイニン酸受容体の活性化により動的形態変化の度合いが下がるという,カイニン酸受容体活性化によるシナプス形成の二段階の制御が示唆される。

 

(7)EGF 投与認知障害モデルラットの行動解析

 水野 誠(新潟大学脳研究所)

 我々は,中脳ドパミン作動性神経の生存維持に関与している上皮成長因子(EGF) の脳発達を調節する活性に着目して,行動解析を行ってきた。生後すぐのラットにEGFを多量に皮下投与し,その効果を行動実験により評価した。その結果,EGFを生後直後に投与したラットでは,1ヶ月齢になると運動量の低下傾向を示したが,2ヶ月齢と成長が進むと立ち上がり運動において有意に増加した。知覚認知を測定するプレパルスインヒビション(PPI) 試験がある。EGF投与ラットでは,1ヶ月齢までは対照群と同様のPPIを示していたが,その後成長が進むにつれ,PPIが顕著に低下した。同様に新奇動物に対する社会性行動試験においても,このEGF投与動物は興味の低下を示した。また,8方向型迷路を用いた空間認識記憶や電気刺激に対するすくみ学習行動においてEGFを投与した動物は認知機能や学習能が抑制された。さらに,このEGF投与動物は,依存性薬物である覚醒剤メタンフェタミンやコカインにより高い感受性を示すことが判明し,ドパミン作動性神経の機能亢進との相関性が示唆された。以上から,ドパミン作動性神経への神経栄養因子と高次脳機能修飾との関連が認められた。今後,EGFの遺伝的あるいは分子生物学的研究が精神疾患の病因や病態解明の一助となることを期待するものである。

 

(8)行動テストバッテリーを用いた遺伝子改変マウスの表現型解析による遺伝子機能の探索 :カルシニューリンミュータントマウスの例を中心に

 宮川 剛(京都大学先端領域融合医学研究機構)

 演者は,これまで,各種遺伝子改変マウスに対して,幅広い領域をカバーした行動テストバッテリーを行うことにより,各種遺伝子の新規機能を見出してきた。最近,マサチューセッツ工科大学の利根川進博士らとの共同研究によって,この行動テストバッテリー戦略を用いることにより,カルシニューリン(CN) の前脳特異的ノックアウトマウスが顕著な作業記憶の障害,注意の障害,社会的行動の障害などを含む統合失調症様の行動異常を示すことを見いだし,さらに,統合失調症患者のゲノムDNAサンプルを用いた相関解析によりCNの遺伝子が統合失調症と強く相関していることも報告した。これらの知見に基づき,演者らはCNが関与する情報伝達機構の異常が統合失調症の発症メカニズムに決定的な役割を果たしているであろうことを初めて提唱した。CNはドーパミン受容体やNMDA受容体の下流に位置しており,統合失調症のCN仮説は,ドーパミン仮説やNMDA受容体仮説と高い整合性を持つ。CNミュータントマウスでは,海馬錐体細胞の樹状突起の長さが短く,数も少ないなど,統合失調症の神経発達障害仮説ともよく一致している。さらに,統合失調症患者の免疫系の異常,心臓疾患による高い突然死率,糖尿病の高い罹患率,リュウマチの低い罹患率など従来の仮説では説明がつかなかった現象までうまく説明することもできる。

 


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