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17.神経可塑性の分子的基盤

2003年5月29日−5月30日
代表・世話人:尾藤晴彦(東京大学大学院医学系研究科))
所内対応者:森 泰生(統合バイオサイエンスセンター)

(1)
AMPA受容体のリン酸化と機能制御
亀山仁彦(産業技術総合研究所)
(2)
AMPA receptor interacting protein GRIP steers kinesin to dendrites
瀬藤光利(三菱化学生命化学研究所)
(3)
PSD-95のクラスタリング機構の解析
土井知子(京都大学大学院理学研究科)
(4)
TARPs (stargazin family) /AMPA receptor 複合体の機能解析
富田進 (UCSF School of Medicine)
(5)
AMPA受容体含有小胞の精製と共存蛋白質の解析
板倉誠(北里大学医学部)
(6)
PSD分子構成の神経可塑性および記憶・学習行動における役割
渡部文子(東京大学医科学研究所)
(7)
Estimating errors associated with the peak-scaled non-stationary fluctuation analysis (PS-NSFA)
of climbing fibre-Purkinje cell EPSCs byMonte Carlo simulation
籾山明子(生理学研究所)
(8)
BDNFによる樹状突起での翻訳調節
武井延之(新潟大学脳研究所)
(9)
神経シナプス裏打ち蛋白質S-SCAMの解析
飯田順子(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科)
(10)
脳における新しい細胞間シグナリングシステムCD47-SHPS-1系の機能
大西浩史(群馬大学生体調節研究所)
(11)
Molecular anatomy of the presynaptic active zone
大塚稔久(カン研究所)
(12)
CaM-kinase カスケードを介した情報伝達メカニズムと遺伝子発現制御
徳光浩(香川医科大学生体分子医学講座)
(13)
小脳顆粒細胞の二相性細胞移動のダイナミクス
見学美根子(京都大学大学院理学研究科)
(14)
樹状突起のパターン形成:その多様性を生みだす基盤
上村匡(京都大学ウイルス研究所)

【参加者名】
井上英二(カン研究所),高尾絵津子(カン研究所),俵田真紀(カン研究所),井上真理枝(カン研究所),大塚稔久(カン研究所),徳光浩(香川医科大学),犬塚博之(香川医科大学),橋本浩一(金沢大学大学院医学系研究科),狩野方伸(金沢大学大学院医学系研究科),高橋正身(北里大学医学部),板倉誠(北里大学医学部),土井知子(京都大学大学院理学研究科),村田康信(京都大学大学院理学研究科),見学美根子(京都大学大学院理学研究科),矢和多智(京都大学大学院理学研究科),野中美応(京都大学大学院理学研究科),髭 俊秀(京都大学大学院理学研究科),上村匡(京都大学ウイルス研究所),竹本さやか(京都大学大学院医学研究科),大西浩史(群馬大学生体調節研究所),的崎 尚(群馬大学生体調節研究所),亀山仁彦(産業技術総合研究所),尾藤晴彦(東京大学大学院医学系研究科),真鍋俊也(東京大学医科学研究所),渡部文子(東京大学医科学研究所),熊澤紀子(東京大学医科学研究所),三輪秀樹(東京大学医科学研究所),有馬史子(東京大学医科学研究所),片山憲和(東京大学医科学研究所),小林静香(東京大学医科学研究所),竹村典子(東京大学医科学研究所),ポンパンプーパックディー・サクナン(東京大学医科学研究所),草川森士(東京大学医科学研究所),畑裕(東京医科歯科大学大学院),飯田純子(東京医科歯科大学大学院),漆戸智恵(東京医科歯科大学大学院),壱岐純子(東京医科歯科大学大学院),武井延之(新潟大学脳研究所),椙村春彦(浜松医科大学病理学),溝口 明(三重大学医学部),木村一志(三重大学医学部),藤谷和子(三重大学医学部),東 幹人(三重大学医学部),井ノ口馨(三菱化学生命化学研究所),瀬藤光利(三菱化学生命化学研究所),富田進(UCSF School of Medicine) ,下野健(アルファメッドサイエンス(株)),森泰生(統合バイオサイエンスセンター),籾山明子(生理学研究所)

【概要】
 1973年にBlissとLomoらによって神経可塑性のプロトタイプとしての長期増強(long-term potentiation) が発見されて以来,シナプス伝達効率の可塑的制御は,成体における神経回路の機能的柔軟性を付与し,記憶・学習などの高次機能を担う根本原理と考えられてきた。90年代の分子神経生物学の興隆とともに,この基本原理を支える分子的基盤に関する基礎知識は,飛躍的に増してきた。だが,本当の意味で,神経可塑性の分子的基盤は,現在解決されつつある問題なのだろうか?

 この今日的疑問に応えるため,本研究会では,近年重要な知見が数多く蓄積してきたPSD(シナプス後肥厚部)およびその周辺の情報伝達,ならびにその生物学的意義について,以下のテーマと演者による発表・討論を行った。1) グルタミン酸受容体,ならびにその活性を調節する分子装置としてのPSDにおける分子間相互作用に関する最新の知見:亀山公彦,籾山明子,畑裕,瀬藤光利,富田進,渡部文子ら。2) これらの中核となる分子群を統合的に調節する分子機構としての,翻訳後修飾,遺伝子発現,神経細胞分化調節,樹状突起パターニングや新規アダプター蛋白について:武井延之,徳光浩,見学美根子,上村匡,大塚稔久ら。これらの発表について,提案代表者ら数人の神経可塑性のエキスパートを中心に討議を行い,新たな概念・実験デザインの創成を試みた。

 

(1)AMPA受容体のリン酸化と機能制御

 亀山仁彦(産業技術総合研究所脳神経情報研究部門脳機能調節因子研究グループ)

 中枢神経系におけるグルタミン酸受容体を介した興奮性シナプス電流は主にAMPAサブタイプにより輸送される。このサブタイプはリン酸化により受容体の機能やシナプス膜における分布が制御されてシナプス伝達効率を変化させると考えられている。

 AMPA受容体のGluR1サブユニットは細胞内ドメインに3ヶ所のリン酸化部位が同定されている。PKCおよびCaMKIIによりリン酸化を受けるS831残基のリン酸化によりチャネルのコンダクタンスが増加してイオン透過性を上昇させる。一方,PKAによりリン酸化されるS845残基のリン酸化により受容体のシナプス膜への発現量が増加することによりイオンの透過量が増えるとされている。またT840残基は神経細胞や,異所性に培養細胞などに発現させた場合にもリン酸化されるが,この部位は刺激などによるリン酸化量の変化はあまり起こらない。LTPを誘導するような高頻度刺激を海馬CA1領域錘体細胞に与えることによりGluR1サブユニットのS831のリン酸化量は増加する。一方S845のリン酸化量は変化しない。一方LTDを誘導するような低頻度刺激を与えた場合にはGluR1サブユニットのS845のリン酸化量が減少し,S831のリン酸化量は変化しない。

 一方で予め高頻度刺激を加えておいたサンプルに低頻度刺激を加えることにより誘導されるde-potentiationの系ではS831のリン酸化量が減少し,S845のリン酸化量は変化しない。逆にシナプスに予め低頻度刺激を加えた後に高頻度刺激を加えるde-depressionの系ではS845のリン酸化が増加しS831のリン酸化量には変化が見られない。これらの実験結果はシナプスにおける刺激の履歴により受容体のリン酸化の起こる部位の制御が行われていることを示唆している。

 

(2)AMPA receptor interacting protein GRIP steers kinesin to dendrites

 瀬藤光利(三菱化学生命化学研究所)

 極性輸送においてモーター蛋白が結合蛋白の分布を決めるという常識はAMPA受容体結合蛋白GRIPの神経細胞での強制発現がキネシンの分布を制御するという報告(Setou et al., Nature 2002) で根底から覆された。即座に同様の結合蛋白依存モーター分布制御現象が酵母ミオシンで遺伝学的に検証され支持された(JCB2002Dec,Nature 2003Mar) 。この研究会ではこの能動輸送に一般的と現在考えられている一見パラドキシカルな現象の意義とメカニズムから,神経細胞における受容体輸送の極性獲得について考察する。

 

(3)PSD-95のクラスタリング機構の解析

土井知子(京都大学理学研究科)

 PSD-95は,シナプス伝達に必須のイオンチャネルや受容体分子などを興奮性シナプスのシナプス後肥厚(PSD)に多数集積させる足場蛋白質群の1つである。N末側から順に3つのPDZドメイン(PDZ1,PDZ2,PDZ3),SHドメイン,GKドメインを持ち,各ドメインは蛋白質相互作用に関与している。PSDにおける分子集積はその神経細胞の生理活性と深く関わり,足場蛋白質群のマルチドメイン構造と制御された分子集積機構の相関は,興味深い。

 COS細胞にPSD-95とNR2BまたはKv1.4を共発現させると,両者が細胞膜上で集積した斑状の共クラスターが形成される。この性質を利用して,全体構造に大きな影響を与えずにNR2BやKv1.4との結合能をなくする部分欠失および置換変異をPDZ1,PDZ2各々に導入した全長PSD-95を作成し分子集積機能を調べた1)。PDZ2にのみ変異を導入した変異体のKv1.4との共クラスター形成効率は,野生型が示した効率の約3%に激減したのに対して,PDZ1にのみ変異を導入したPSD-95では野生型の約67%の効率を示した。さらに,後者の変異PDZ1とPDZ2との分子内ドメイン配置を反転させると,共クラスター形成は野生型の約23%に減少した。これらの結果は,PSD-95とKv1.4との共クラスター形成にはPDZ2が必要で,その分子内配置も重要であることを示している。PSD-95が担う分子集積機構の1つは,PDZ2のリガンド結合に伴う分子内のドメイン間相互作用の変化によるものかもしれない。

 さらに,これらの変異PSD-95-GFP融合蛋白質を培養海馬錐体細胞に強制発現させた所,(1) PDZ1,2両方のリガンド結合能を失った変異体(1m.-2m.) のシナプスクラスター効率は,野生型の約1 / 3程度に減少し,PDZ1または2のどちらかの結合能を失った変異体では中間的な性質を示した,(2) PSD-95-GFPのシナプスクラスター効率は,AMPA受容体(GluR1) のクラスター効率と相関がある,(3) 変異体を発現しているシナプスではスパインが細長く,1m.-2m.では特に顕著であるなどの特徴が観察された。PSD-95が,PSDの正常で十分な成熟に重要な役割を果たしていることが示唆される。

 (1) Imamura, F., Maeda, S., Doi, T., and Fujiyoshi, Y. Ligand binding of the second PDZ domain regulates clustering of PSD-95 with Kv1.4 potassium channel. J. Biol. Chem.277, 3640-3646, 2002.

 

(4)TARPs (stargazin family) /AMPA receptor複合体の機能解析

 富田進(UCSF School of Medicine)

 脳における神経活動依存的なシナプス伝達効率変化において,AMPA型受容体(AMPAR) 応答の変化は重要な役割を担っている。AMPAR応答変化の主要な分子機構は,AMPARのシナプス後膜上への発現量変化によることが,電気生理学的手法を用いた実験により明らかになっている。そして,小脳顆粒細胞におけるAMPARのシナプス後膜発現に関わる分子機構について,痙攣や運動失調を示す自然突然変異マウスstargazerを用いた興味深い結果が報告された。

 Stargazerマウスの小脳では,苔状繊維と顆粒細胞の形成するシナプスにおいて特異的にAMPAR活性が消失している。小脳顆粒細胞の初代培養細胞を用いた研究により,4回膜貫通構造を持つ蛋白質stargazin(stargazerマウスの原因遺伝子)が小脳顆粒細胞におけるAMPARのシナプス後膜発現に必須であることが示された。しかしながら,stargazinの発現していない脳領域におけるAMPARシナプス後膜発現の分子機構はいまだ明らかでない。また,神経活動依存的なシナプス後膜上へのAMPAR発現量変化の分子機構も明らかでない。

 我々はstargazin機能相同性蛋白質を同定し,そのmemberをTARPs (Transmembrane AMPA Receptor-binding Protein) と名付けた。それぞれのTARPが担う機能特異性について,また,神経活動依存的なAMPAR後膜発現量変化の分子機構について,興味深い知見を得たので報告する。

 

(5)AMPA受容体含有小胞の単離と共存蛋白質の解析

 板倉誠,高橋正身(北里大学医学部)

 シナプス伝達効率を可塑的に変化させることが脳の高次機能の基盤であると考えられる。シナプスの伝達効率を変化させる機構の一つにポストシナプス膜における神経伝達物質受容体の数の調節がある。Glutamate受容体であるAMPA受容体は,シナプス活動依存的にシナプスへの組み込みがおき受容体数が増加すると考えられているが,その機構の詳細についてはまだ明らかにされていない。そこでAMPA受容体がシナプスへ組み込まれる機構を明らかにするために,細胞内に存在するAMPA受容体含有小胞の単離と共存蛋白質の決定および共存蛋白質の解析を行った。

 ラット大脳をホモジネートし,遠心分離によりシナプス小胞を含む膜成分を単離した。SucroseまたはIodixanol密度勾配法によりさらに小胞を分画化し,イムノブロッティングしたところAMPA受容体のサブユニットの一つであるGluR2が,膜一回貫通型のER蛋白質であるCalnexinと非常によく似た局在パターンを示すことがわかった。次に,anti-GluR2抗体を結合した磁気ビーズを用いてGluR2含有小胞の免疫沈降を行った。結果,シナプス小胞が濃縮した膜分画中にはGluR2とCalnexinを含む小胞が存在していることがわかった。また一部のGluR2はプレシナプス小胞蛋白質と共沈し,GluR2がプレシナプスにも存在することが示唆された。Calnexinを含有している小胞がGluR2のポストシナプス膜への組み込みに関与しているのであれば,ER蛋白質Calnexin もまたシナプス膜に存在しているはずである。そこで海馬および大脳皮質の初代培養神経細胞において,Calnexin が活動依存的に細胞膜へ組み込まれるか検討した。NMDA受容体Antagonist,AP-5存在下で培養したのち,15min間AP-5を除いたところ細胞膜上に存在するCalnexinの量が増加した。このことからCalnexinは,NMDA受容体依存的に細胞膜へ組み込まれたと考えられる。したがって今回単離したGluR2およびCalnexinを含有した小胞は,AMPA受容体のシナプスでのリサイクリングに関与すると考えられ,現在,その小胞に共存する蛋白質をイムノブロッティングとTOF-MASSを用いて同定中である。

 

(6)PSD分子構成の神経可塑性および記憶?学習行動における役割

 渡部文子(東京大学医科学研究所)

 シナプス後肥厚部に存在するNMDA受容体は,シナプス前細胞と後細胞の活動のcoincidence detectorとして,シナプス可塑性や学習行動に重要な役割を担う分子であると考えられている。NMDA受容体は様々な分子と結合して非常に大きなタンパク複合体を構成し,多様なパターンのシナプス刺激というシグナルを,長期にわたるシナプス伝達効率の変化というシグナルへと変換する。このような長期的シナプス伝達効率の変化すなわち神経可塑性は,記憶・学習の細胞レベルでのモデルとして広く研究されているが,その分子機構並びに生理的意義には未だ議論も多い。

 これまで我々は,NMDA受容体複合体に含まれる足場タンパクであるPSD-95変異マウスや,PSD-95結合タンパクでありMAPキナーゼ系の負の調節因子であるSynGAP変異マウスなどの遺伝子改変マウスを用いて,長期増強(LTP) や長期抑圧(LTD) といったシナプス可塑性の変化,種々のパターン刺激によるLTPの誘導閾値の変化,ならびに記憶・学習行動の変化などを調べてきた。また,老齢マウスにおいて,アセチルコリンやノルアドレナリンなどによるLTP誘導閾値の修飾作用が大きくシフトしていることを示してきた。これらの結果から,記憶・学習の障害には,LTPの誘導閾値の変化が特に良く相関していることが示唆された。そこで今回の発表ではこれら一連の研究を簡単に紹介すると共に,LTP誘導閾値の活動依存的調節,すなわちメタ可塑性と記憶・学習行動の関係について考察を加えたい。

 

(7)Estimating errors associated with the peak-scaled non-stationary fluctuation analysis (PS-NSFA) of climbing fibre-Purkinje cell EPSCs by Monte Carlo simulation

 籾山明子(生理学研究所)

 Division of Cerebral Structure, National Institute of Physiological Sciences and CREST.

 We have recently applied the PS-NSFA to EPSCs at climbing fibre-Purkinje cell synapses, to estimate the weighted mean single-channel conductance of synaptic AMPA receptors. To evaluate errors associated with the analysis, we carried out Monte Carlo simulations using the AMPA receptor model by Hausser & Roth (1997). Deviation from the theoretical parabolic variance-mean relationship was reproduced by the model, as the skew of current-variance plots. However, fitting such skewed plots to the theoretical equation exhibited only 2%difference from the expected value. Our mean RC filtering attenuated the peak amplitude of EPSCs by 12% and the estimated conductance by 24%, resulting in a15% overestimation of the number of activated channels at the peak. Furthermore, bootstrap analysis of recorded and simulated EPSCs also indicated that variation in transmitter waveforms did not significantly affect our estimates.

 

(8)BDNFによる樹状突起での翻訳調節

 武井延之(新潟大学・脳研究所・分子神経生物学)

 学習・記憶の過程やその基礎となるシナプスの可塑的変化のある種のものには新規の蛋白合成が必要であることが従来から指摘されてきた。しかしながらほとんどの研究は,蛋白合成阻害剤を用いた現象論敵な実験が主であり,ニューロンという細胞のなかでどのような分子メカニズムが活性化しているかなどはほとんどわかっていない。

 最近,樹状突起内,さらにはシナプス近傍でおこる蛋白合成が比較的早いシナプスの可塑性に関与していることが示唆されるようになってきた。このような蛋白合成はシナプスへの刺激,入力によって引き起こされる調節的なものである可能性が高い。そこで我々はこの調節機構,すなわち翻訳調節のメカニズムについて検討した。中枢神経系における代表的な神経栄養因子であるBDNF (brain-derived neurotrophic factor)は,ニューロンの樹状突起部において新規の蛋白合成を増強した。この作用は免疫抑制剤であるラパマイシンによって完全にブロックされた。BDNFはラパマイシンの標的であるmTOR (mammalian target of rapamycin) というキナーゼを活性化し,その下流でcap依存性翻訳を制御する4EBP1のリン酸化及び5’-TOPmRNAの翻訳を調節するp70S6K / ribosomal S6蛋白のリン酸化を引き起こした。この作用はsynaptoneurosome 画分や単離樹状突起でも確認された。以上の結果はシナプス部へのBDNF刺激がmTORカスケードを活性化し,翻訳の増強を引き起こし,シナプス部での特定の蛋白の合成を増強している(実際BDNFの刺激によりCaMKIIやArcの新規合成が上昇していた)ことを強く示唆している。

 さらにLTPや空間学習などの神経活動パラダイムにおける翻訳活性化の結果を紹介し,ニューロンにおける翻訳調節の役割ついて論議を深めたい。

 

(9)神経シナプス裏打ち蛋白質S-SCAMの解析

 飯田純子,畑裕(東京医科歯科大学大学院・医歯学総合研究科・病態代謝解析学)

 神経後シナプスには,神経伝達物質受容体と神経細胞接着分子が局在し,神経伝達の場としてのみならず,神経細胞間の接着の場として機能し,神経シナプスにおいて,神経伝達と接着は密接に関わっている。神経シナプス活動依存性に接着強度が変化するというモデルは,神経細胞の特定のシナプスに選択的に可塑性が成立する分子機序として魅力的である。PSD-95とS-SCAMは,共に神経シナプスにおいて,神経伝達物質受容体と接着分子の双方に関与する裏打ち蛋白質である。これらの分子を解析することを通じて,神経シナプス活動依存的に接着が制御される機構を解明しようと試みている。神経シナプス後肥厚の主要な裏打ち蛋白質PSD-95は,PDZ領域を3つもち,NMDA受容体と接着分子ニューロリギンに結合する。S-SCAMは,PSD-95と同様にPDZ領域を複数個もち,やはり,NMDA受容体と接着分子ニューロリギンに結合する。私たちは,最近,S-SCAMがβカテニンに結合し,βカテニンを介して神経シナプスに局在決定されることを報告している。βカテニンは,接着分子カドヘリンの裏打ち分子である。従って,S-SCAMは神経シナプスの形成過程において,まずカドヘリンによる接着部位に局在決定されると想定される。さらに,私たちは,シナプス形成における分子集積機構を明らかにするため,1) S-SCAMとニューロリギンでは,どちらが先にシナプスに集積するか,2) シナプスへの分子集積において,S-SCAMとPSD-95の担う役割は,同じか,あるいは異なるのか,3) NMDA受容体の局在決定にS-SCAMまたは,PSD-95は関与するのか,を解析している。これまでに,S-SCAMによって,ニューロリギンがシナプスに集積すること,PSD-95は,むしろニューロリギンによって局在決定されていることが明らかになっている。しかし,NMDA受容体の局在決定に関しては,S-SCAMもPSD-95も決定的な役割を担うことを支持する結果は得られていない。一方,βカテニンは,カドヘリンの裏打ち分子としてだけでなく,シグナル伝達分子として遺伝子転写制御に関わっている。βカテニンによるシグナル伝達においては,βカテニンの分解の制御が重要である。そこで,私たちはS-SCAMが,βカテニンの分解制御に与える影響を調べている。その結果,S-SCAMがβカテニンの分解を促進することを見出し,さらにその分子機構として,S-SCAMのN末端に結合するAxinとの相互作用が重要であることを明らかにしている。

 

(10)脳における新しい細胞間シグナリングシステム
CD47-SHPS-1系の生理機能

 大西浩史,岡澤秀樹,的崎 尚
(群馬大学生体調節研究所 附属生理活性物質センター)

 神経系では様々な膜蛋白質の相互作用により細胞間コミュニケーションが行われ,発生段階における神経回路網の形成や,成体におけるシナプス可塑性などの脳機能に重要な役割を果たしている。我々が見出したSHPS-1は脳に強く発現する新規受容体型膜蛋白質で,イムノグロブリンスーパーファミリー(IgSF) に属する。SHPS-1は細胞内にチロシンリン酸化モチーフを有し,細胞接着や細胞増殖因子の刺激に依存してこのモチーフがチロシンリン酸化を受ける。チロシンリン酸化を受けたSHPS-1は細胞質型チロシンホスファターゼSHP-2と相互作用してこれを活性化し,細胞内チロシンリン酸化シグナルを制御する。一方,SHPS-1の細胞外ドメインの特異的リガンドとして,SHPS-1と同じくIgSFに属する5回膜貫通型の膜蛋白質CD47が同定されている。CD47の細胞内シグナルについては現在まだ明らかにされていない。CD47とSHPS-1は様々な組織で発現が見られるが,特に神経系で強く発現しており,神経回路の形成や神経可塑性への関与が考えられる。我々は,これら分子が形成する細胞間相互作用システム,CD47-SHPS-1系の,神経系における機能を明らかにすることを目標に研究を進めている。今回我々は,培養神経細胞においてSHPS-1が神経軸索側に,CD47が樹状突起側に局在する傾向があることを新たに見出した。さらに,SHPS-1の軸索への局在決定については,少なくともSHPS-1の細胞内ドメインが関与していることを明らかにしている。一方で我々は,培養細胞表面のSHPS-1がその生理的リガンドであるCD47と相互作用することで細胞の運動性が抑制されることを見出し,さらにこの抑制効果にはSHPS-1の下流におけるSHP-2やRhoの活性制御が関与している可能性を明らかにした。また逆に,SHPS-1を介して細胞表面のCD47を刺激すると,フィロポディア形成が刺激され,神経突起伸長が促進されることも新たに見出している。これらの結果から我々は,神経細胞においてCD47-SHPS-1系は,極性を持ってそれぞれのシグナルを両方向性に伝達しており,神経細胞の運動や形態の制御によって神経機能に関与している可能性があると考え,現在さらに解析を進めている。

 

(11)Molecular Anatomy of the Presynaptic Active Zone

 大塚稔久(カン研究所)

 神経シナプスのactive zone (AZ) は,1960年代に電子顕微鏡を用いた解析によって同定された比較的電子密度の高い構造体である。神経伝達物質を含んだシナプス小胞は,神経終末において,このAZにドッキングし,プレシナプス膜と融合した後,最終的に神経伝達物質をシナプス間隙に放出する。AZに密着した細胞骨格はCAZ (Cytomatrix at the AZ) とも呼ばれている。CAZは,プレシナプスにおいて,AZの形成,構造維持および機能発現に重要な役割を果たしていると考えられている。しかしその重要性にもかかわらず,CAZ特異的な構成分子としてはこれまでに,RIM1,Munc13-1,bassoonおよびpiccoloの4つの蛋白質しか明らかにされていなかった。さらに,RIM1とMunc13-1が直接結合し,シナプス小胞がドッキングした後のプライミングを制御することは明らかになっていたものの,これらCAZ蛋白質間の相互作用についてはほとんど不明であった。最近我々は,古典的な生化学的手法と質量分析法を組み合わせることで,ラット大脳より新規のCAZ蛋白質を同定することに成功し,CAST1 (CAZ-associated Structural Protein1) と命名し,その機能解析を行ってきた。CAST1は少なくともRIM1のPDZドメインに直接結合し,RIM1を介してMunc13-1と3者複合体を形成する。ラット海馬初代神経培養細胞を用いたトランスフェクションの実験から,CAST1がRIM1のAZにおけるscaffold蛋白質として機能していることを明らかにした。さらに,この3者複合体にはbassoonも結合することから,CAZにおいて巨大な蛋白質複合体が形成されていることが示唆される。我々はこのCAZ蛋白質によって形成される巨大な蛋白質複合体が,比較的電子密度の高いCAZの分子基盤ではないかと考えている。さらに,CAST1と相同性の高いメンバーであるCAST2・の単離にも成功し,CAST2・もまたCAZ蛋白質複合体に含まれることを明らかにした。今回は,CASTファミリーの構造および機能解析を中心に,プレシナプスAZの形成,構造維持および機能発現の分子メカニズムについて話題を提供したい。

 

(12)CaM-kinase カスケードを介した情報伝達メカニズムと
遺伝子発現制御

 徳光 浩(香川医科大学生体分子医学講座生体情報分子学)

 シナプス伝達にともなう細胞内カルシウム濃度の上昇は,様々な細胞内シグナル伝達機構を介することでシナプスの可塑性や長期記憶などの高次神経機能の発現に必須と考えられる。特に長期記憶(late phase LTP) においては遺伝子の発現上昇とそれに伴うタンパク質合成が必要と思われる。このような細胞内カルシウム濃度上昇の情報を遺伝子の転写活性化へと導く情報伝達分子としてカルシウム/カルモデュリン依存性タンパク質リン酸化酵素群(CaM-kinase) が知られている。そのなかでもCaM-kinase IVによる転写因子CREBのリン酸化反応を介した転写活性化については多くの研究よりその重要性が明らかとなってきた。本発表においては,CaM-kinase IVの上流活性化酵素(CaM-kinase kinase, CaM-KK) によるリン酸化カスケードを介した機能調節の分子メカニズム,また線虫C.elegansにおけるCaM-kinaseカスケードの機能解析さらにはCaM-kinaseカスケードによる発現誘導遺伝子の同定などについて報告する。さらに,この新しいカルシウム情報伝達機構の機能解明に向けて最近開発した分子プローブについても紹介したい。

 

(13)小脳顆粒細胞の二相性細胞移動のダイナミクス

 見学美根子(京都大学大学院理学研究科,理化学研究所脳科学総合研究センター)

 脊椎動物の複雑な中枢神経系回路が正しく機能するためには,個々のニューロンが回路網内の適切な場所に配置し,神経核や層構造を形成して正しい相手とシナプス結合することが不可欠である。発生中のニューロンは脳室面の増殖帯で分裂を終え,神経組織中を細胞移動して目的地に到達する。ニューロンの移動方向は,脳室から脳表面に向かって神経管の放射軸上を動く放射移動と,それと直交する神経管同心円柱面上を動く接線移動に大別される。多くのニューロンはどちらか一方の移動様式をとるが,小脳顆粒細胞は,生後発達中ダイナミックに移動して,直角な方向転換を挟んで接線移動と放射移動を連続して行う。我々は,小脳顆粒細胞の二相性移動を再構成できる微小片培養系を用い,タイムラプス共焦点顕微鏡を用いて接線移動と放射移動のダイナミクスを比較解析した。その結果,最初に起る接線移動では,成長円錐の移動と核移動が独立に起るtranslocationを,続いて起る放射移動では,両者が連動するlocomotionを示すことが明らかになった。また,接線移動を誘導する先導突起は将来の軸索に,放射移動の先導突起は樹状突起に分化することが分り,先導突起の性質の違いがダイナミクスの違いを生む可能性が示唆された。現在,二相性移動の異なるダイナミクスの分子的基盤を探索している。

 

(14)樹状突起のパターン形成:その多様性を生みだす基盤

 上村 匡(ウイルス研究所,CREST・JST)

 様々なニューロンがそれぞれに特徴的な樹状突起をどのように形作るかについては,ほとんど明らかにされていない。ショウジョウバエの胚後期で誕生し,胚期から幼虫期にかけて樹状突起を発達させるdendritic arborization (da) neuron は,分岐の複雑度の順に応じてクラスI-IV に分類されており,この問題の解析への優れたモデル系を提供する。クラスIまたはIVを標識するトランスジェニックGFPマーカーを作製し,経時観察とレーザーによる損傷の導入を組み合わせた実験を行った。クラスIのニューロンとは対照的に,クラスIVのニューロンは,幼虫期を通してより高次な分岐を展開し続け,レーザーによる突起切断に対して高い反応性を示した。さらにクラスIVのニューロンの受容野の形成について解析した。その結果,クラス特異的な抑制性の細胞間相互作用が,受容野の境界形成に必要かつ十分であることを明らかにし,かつそれが突起終末間で働いていることを示す証拠を得た。また,反発性のシグナル伝達が重要な役割を果たすのは,隣接するニューロンの突起が出会い始め,体壁が突起によって完全にほぼ重複なく覆われるまでであることが示唆された。

 樹状突起の多様性を生み出す分子機構を解析する目的で,クラス特異的に発現する遺伝子を探索したところ,転写調節因子AbruptがクラスI特異的に発現していることを見出した。Abruptを他のクラスのニューロンで異所発現させると,それらはクラスIのニューロンのように分岐の複雑度が低く,かつ受容野の狭い樹状突起を発達させた。この結果はAbruptが,クラスI に特徴的な樹状突起のパターン形成プログラムを発動することを示唆する。

 以上の解析と並行して,7回膜貫通型カドヘリンが哺乳類神経細胞の突起形成に果たす役割も検討している。脳のスライス培養とDNA vector-mediated RNAiを用いたアプローチによる結果も報告する。

 文献
 Sugimura et al., Distinct developmental modes and lesion-induced reactions of dendrites of two classes of Drosophila sensory neurons. Journal of Neuroscince, in press.

 


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