生理学研究所年報 第26巻  
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分子生理研究系

神経機能素子研究部門

【概要】

 イオンチャネル,受容体,G蛋白質等の膜関連蛋白は,神経細胞の興奮性とその調節に重要な役割を果たし,脳機能を支えている。本研究部門では,これらの神経機能素子を対象として,生物物理学的興味から「その精妙な分子機能のメカニズムと動的構造機能連関についての研究」に取り組み,また,神経科学的興味から「各素子の持つ特性の脳神経系における機能的意義を知るための個体・スライスレベルでの研究」を目指している。

 今年度,昨年度に引き続き,神経機能素子の遺伝子の単離,変異体の作成,光ラベルの付加等を進め,卵母細胞,HEK293細胞等の遺伝子発現系における機能発現の再構成を行った。また,2本刺し膜電位固定法,パッチクランプ等の電気生理学的手法,細胞内Ca2+イメージング・全反射照明下でのFRET計測等の光生理学的手法,細胞生物学的研究手法により,その分子機能調節と構造機能連関の解析を行った。また,外部研究室との連携により,構造生物学的アプローチ,遺伝子改変マウスの作成も進めた。以下に具体的な研究課題とその内容を記す。

 

バキュロウイルス発現系によるATP 受容体チャネルP2X2 蛋白の精製

久保義弘,山本友美,三尾和弘,佐藤主税(産総研,脳神経情報)

 ATP受容体チャネル P2X2は,状況に依存して著しい構造変化を起こすことが示唆されているが,その3次元構造は明らかにされておらず,ストイキオメトリーについてさえ,決定的な結論は出ていない。P2X2受容体チャネルの動的構造変化を知るというゴールに向け,単一粒子構造解析によりアプローチすることを目的として P2X2受容体チャネル蛋白の精製を行った。まず,P2X2のN-もしくはC-末端にFLAG tagを付加したコンストラクトを作成し,電気生理学的解析により,正常な機能を持つことを確認した。その後,cDNAをバキュロウイルスベクターに組み込み,昆虫細胞Sf9に感染させ,細胞膜上での蛋白発現を確認した。大量スケールでの感染 Sf9細胞を回収し,FLAG抗体によりアフィニティ精製した。SDS-PAGEの銀染色により単一のmajor bandを確認した後,ゲル濾過により精製した。そのピーク分画を,酢酸ウランにより負染色して電顕撮影したところ,単一蛋白粒子と思われる像が観察された。

 

代謝型グルタミン酸受容体E238Q変異体を持つ遺伝子改変マウスの作成

久保義弘,山本友美、新石健二,饗場篤(神戸大学大学院医学系研究科)

 我々は先に,代謝型グルタミン酸受容体 mGluR1がグルタミン酸のみならず,細胞外のGd3+によっても活性化されることを報告し,さらに,点変異E238Qによって,グルタミン酸に対する感受性は変わることなく,Gd3+に対する感受性が完全に消失することを見いだした。Gd3+ は脳脊髄液中に含まれていないため,mGluR1の持つGd3+感受性の生理的意義は明らかでない。この点にアプローチするため,E238Q変異を持つ遺伝子改変マウスの作成に取り組んだ。mGluR1のexon 2を含むgenomic cloneに点変異を導入し,さらにcre-loxP配列,DT-A配列を挿入することによりtarget vectorを作成した。これをES細胞に遺伝子導入し,相同組み換え陽性の細胞株を同定した。これをマウス初期杯に注入し,オスのキメラマウス2匹を得,現在,交配を進めている。

 

グルタミン酸脱炭酸酵素67の条件付ノックアウトマウスの作成

柳川右千夫,山本友美,海老原利枝,有田早苗,八木健(高次神経機構)

 グルタミン酸脱炭酸酵素(GAD)67は,グルタミン酸からGABAを合成する酵素である。GAD67単純型ノックアウトマウスは,口蓋裂を示し,出生日致死となる。 出生日以降の脳高次機能におけるGAD67の役割を明らかにする目的で,テトラサイクリンシステムを利用した条件付GAD67ノックアウトマウス作成を目指した。 最初に,GAD67遺伝子にテトラサイクリンアクティベーターを挿入したターゲティングベクターを構築した。 このターゲティングベクターをES細胞に導入し,Southern法で相同組み換えのおこったESクローンを同定した。 今後,このESクローンを用いて,条件付GAD67ノックアウトマウスを得る。 そして,同ノックアウトマウスについて行動解析などを行う。

 

FRET法による光生理学的解析による代謝型グルタミン酸受容体の構造・機能相関の研究

立山充博,久保義弘

 代謝型グルタミン酸受容体(mGluR)は神経の可塑性に関わる膜機能蛋白質であり,複数のG蛋白質(Gq,Gs,Gi)と共役し様々な細胞応答をもたらす。Gqの活性化は細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)を上昇させ,Gsの活性化は細胞内cAMP濃度([cAMP]i)を増加させる。Ca2+およびcAMPは,それぞれ細胞内でのセカンドメッセンジャーとしてシグナル伝達に重要な働きを示す因子である。我々は,光生理学的手法により[Ca2+]iと[cAMP]iを同時に測定することで,mGluRによる二つのシグナル伝達経路の活性化が,mGluRに対する作用物質のタイプにより異なることを見出した。また,FRET(Fluorescent resonance energy transfer)を用いることで,蛋白分子の構造変化を捉えることが出来るため,「作用物質のタイプによりもたらされる受容体の立体構造の差異が活性化されるシグナル伝達経路に差異を生じさせる」という可能性について検証を行っている。

 

高分子量Gタンパク質mOPA1によるミトコンドリア形態変化機構の解明

三坂巧,久保義弘

 ミトコンドリアに局在する高分子量Gタンパク質(mOPA1)は,遺伝子導入したCOS-7細胞中においてミトコンドリアの形状を粒状へと大きく変化させる働きを持つ。細胞内においてmOPA1タンパク質は2種の長さを示す(約90, 80 kDa)が,本年度はこれら長さの異なるmOPA1タンパク質の機能的差異について解析を試みた。アミノ酸点変異体を用いた解析より,2種の長さをもつmOPA1が2種類のN末端のプロセシングにより生ずること,およびその切断に関与するアミノ酸残基を明らかにした。またCOS-7細胞に遺伝子導入した際に観察されるミトコンドリア形態変化は,90 kDaのみと80 kDaのみを発現させたときには大きく異なったことより,N末端プロセシングによるmOPA1の機能調節機構の存在が示唆された。

 

M-チャネルのムスカリニック刺激による電流変化の分子機構

中條浩一,久保義弘

 M電流を担うKCNQチャネルはムスカリン性アセチルコリン受容体の活性化によって抑制をうけることが知られているが,この抑制機構には,PIP2の分解によるものであるという説と,PKCによるリン酸化によるものであるという説が存在する。そこで,アフリカツメガエルの卵母細胞にKCNQチャネルを発現させ,PKCを活性化した場合とPIP2量を減らした場合でKCNQチャネルにどのような変化が生じるかを検討した。PMAによってPKCのみを活性化させた場合,KCNQチャネル電流のG-V(コンダクタンス-電圧)関係が脱分極側に+20mVシフトした。一方,PIP2の量をwortmanninによって減少させると,それに伴って最大電流量が減少したが,G-V関係には変化が認められなかった。以上の結果,PIP2, PKCともにKCNQチャネルの抑制に関わるが,それぞれ異なる機構でチャネルを抑制していることが明らかとなった。

 

自身の膜上発現密度に依存して変化するイオンチャネルポアの解析

藤原祐一郎,久保義弘

 P2X2受容体はATPをリガンドとするイオンチャネル型受容体で,神経系に広く分布し速いシナプス伝達を司る神経伝達素子として機能する。我々はATP投与後の定常状態におけるP2X2受容体の電流を2本刺し膜電位固定下で記録し,その整流性のバラツキを解析したところ,「発現密度の上昇にともない整流性が減弱する」ということを発見した。これを手がかりにP2X2受容体の種々の性質(リガンド感受性やイオン選択性など)を発現レベルとの関連において解析した。それにより「膜上に存在する「開状態」のチャネルの密度に依存してP2X2受容体はポアの上部において構造変化を引き起こし,ポアの性質やリガンド感受性が動的に変化する」という結果を得た。

 

内向き整流性K+チャネル(Kir2.1)のポア内面の電荷を帯びた
アミノ酸残基の機能的意義

藤原祐一郎,久保義弘

 近年の構造生物学の進歩によって内向き整流性K+チャネル(Kir)はその他のK+チャネルと異なり,膜貫通領域だけでなく細胞内領域にもポアを持ち,その内壁には正,あるいは負に帯電したアミノ酸残基が複数存在することが明らかとなった。我々は,解かれたKir3.1の構造を鋳型としてホモロジーモデリングをKir2.1細胞内領域に対して行い,あわせて網羅的に変異体を作成し電気生理学的手法を用いて,Kir2.1の細胞内ポア表面に存在する電荷の役割を解析した。それにより,「細胞内に延びた長いポアの表面が負に帯電していることでたくさんのK+が溜まり,ブロックがかかる際に静電場を横切る総電荷数が増えるため強い電位依存性ブロックが生じる」という結果を得た。これはKirに特徴的な負に帯電した長いポアが心筋活動電位IK1電流の発生に効果的に寄与していることを示唆する。

 

全反射顕微鏡によるATP受容体チャネルのリガンド投与における動的構造変化の解析

岩井博正,久保義弘

 ATP受容体チャネルP2Xは,ATP投与後の時間経過と共にion selectivityが著しく変化することが知られている。このATP投与後の時間経過に伴う動的構造変化の解析を試みた。P2X2サブユニットのNもしくはC末端の細胞内領域にYFPを融合させた蛋白を発現させるcDNAを作成し,培養細胞に発現させて検討を行った。その結果,C末端にYFPを融合させたコンストラクトにおいては,全反射顕微鏡による膜表面の発現蛋白の蛍光強度が,ATP投与後の時間経過に伴って減少し,その減少は可逆的なものであるという知見を得た。一方,N末端にYFP を付加したコンストラクトでは蛍光強度の変化は見られなかった。以上より,ATP投与後,時間経時的にC末端が膜から遠ざかる方向へ動くことが示唆された。今後CFPとYFPの両方を付加したコンストラクトを作成しFRET法による詳細な解析を進める計画である。

 

Protein kinase CによるG蛋白質共役型内向き整流性
K+チャネル抑制の機構

長友克広,久保義弘

 Gq応答後のG蛋白質共役型内向き整流性K+チャネル(GIRK)の抑制機構をProtein kinase Cリン酸化による側面から検討した。今まで指標とされていたGIRK電流量の変化だけでなくGIRKへのGβγの結合度合に注目した。Gi系作用薬添加によるGIRK電流の増加相から結合速度(τon)が,また作用薬除去によるGIRK電流の減少相から解離速度(τoff)が分かる。前もってGq刺激(前Gq処理)を行うことにより,Gi刺激時のGIRK電流量が減少し,
τonが遅くなり,τoffが速くなった。PKCの影響を調べるために,PMAによる前処理を行ったところ,前Gq処理と同様の結果が得られた。電流量抑制に重要なPKCリン酸化部位を変異させた点変異体では,各パラメータに対する前Gq処理,PMA処理による効果は見られなかった。以上の結果から,リン酸化によりGβγ結合サイトに構造変化が生じ,Gβγが結合しにくく,外れやすくなったことが示唆された。

 

 

 

分子神経生理研究部門

【概要】

 分子神経生理部門では哺乳類神経系の発生・分化,特に神経上皮細胞(神経幹細胞)からどのようにして全く機能の異なる細胞種(神経細胞,アストロサイト,オリゴデンドロサイトなど)が分化してくるのか,について研究を進めている。また,得られた新しい概念や技術は臨床研究への応用を視野に入れながら,病態の解析にも努力している。

 脳神経系では他の組織とは異なり多様性が大である。大げさに言えば,神経細胞は一つ一つが個性を持っており,そのそれぞれについて発生・分化様式を研究しなければならない程である。また,均一であると考えられてきたグリア細胞にも性質の異なる集団が数多く存在することも明らかとなってきた。そのため,他組織の分化研究とは異なり,細胞株や脳細胞の分散培養系を用いた研究ではその本質に迫るには限界がある。われわれはin vitro で得られた結果を絶えずin vivoに戻して解析するだけでなく,神経系の細胞系譜の解析や移動様式の解析をも精力的に行っている。

 近年,成人脳内にも神経幹細胞が存在し,神経細胞を再生する能力を有することが明らかとなった。この成人における神経幹細胞数の維持機構についても研究している。

 糖蛋白質糖鎖の解析法を開発し,その生理学的意義について検討している。ヒト正常脳においてはその発現パターンが個人間で驚くほど一定に保たれており,現在考えられているより,もっと重要な役割を果たしていると思われる。事実各種神経変性疾患においてその発現パターンが変化していた。病態時における糖鎖異常にも着目して研究している。

 

bHLH型転写制御因子Olig3の機能と細胞系譜の解析

丁雷,小野勝彦,渡辺啓介,田中謙二,池中一裕

 発生期の脊髄では,背側部と腹側部からの形源分子により,その濃度依存的に特異的な転写因子を発現するようになり,細胞特異的分化が引き起こされる。Olig3遺伝子はbHLH型転写調節因子で,脊髄では背側端部より発現が始まる。その機能や細胞系譜を明らかにするため,Olig3-lacZノックインマウスを作製し解析を行ってきた。その結果,脊髄背側部に由来するOlig3細胞は,胎齢9.5日までさらに出現して腹側方向への移動を開始し,24時間後には脊髄の腹側部まで到達することが示唆された。これらの細胞は,転写因子の発現パターンから介在神経に分化する可能性が示された。これらに加えて,Olig3系譜細胞が後正中中隔(アストログリアの一種により構成される)を構成することも示された。したがって脊髄背側部のOlig3系譜細胞が背側部介在神経およびアストログリアに分化することが明らかになった。

 

時期特異的遺伝子組み換え法を用いた脊髄のOlig2細胞の系譜解析

政平訓貴,丁雷,小野勝彦,池中一裕

 Olig2はbHLH型の転写因子で,その欠損マウスの脊髄では運動ニューロンとオリゴデンドロサイトの両方を欠くことから,その両者の分化誘導に必須であることが明らかにされた。我々は,タモキシフェン誘導型CreリコンビナーゼをOlig2遺伝子座にノックインされたマウスとレポーターマウスと交配させて時期特異的遺伝子組み換えを誘導し,Olig2系譜細胞を解析した。

 その結果,胎生早期のOlig2細胞からは運動ニューロンおよびオリゴデンドロサイト,アストロサイト,上衣細胞が分化した。一方,胎生中後期のものからはグリア細胞のみ分化した。Olig2系譜の細胞がアストロサイトや上衣細胞に分化することは,この実験で初めて明らかにされた。今後は,単一Olig2細胞が3ないし4種のすべての細胞種を産生するのか,またはOlig2細胞が,すでにニューロン系譜,グリア系譜がわかれているかという課題について検討していく。

 

前脳基底部のOlig2細胞のコリナージックニューロンへの分化

古性美記,小野勝彦,政平訓貴,池中一裕

 Olig2は発生期のすべての中枢神経領域で発現しているが,脊髄と後脳の一部を除いて,細胞系譜や機能に関してほとんど解析が進んでいない。発生期の終脳領域ではその腹側部で強いOlig2の発現が見られる。脊髄や後脳後部ではOlig2細胞の一部がコリナージックニューロン(Ch細胞)に分化することから,終脳におけるOlig2系譜の細胞のCh細胞への分化を調べた。その結果,胎生早中期にOlig2を発現している細胞の中に,前脳基底部におけるCh細胞に分化するもの見い出された。少なくとも一部のOlig2細胞は前脳基底部でもコリナージックニューロンに分化することが明かとなった。Olig2欠損マウスでは,前脳基底部におけるCh細胞の分化調節転写因子(Nkx2.1,Lhx8等)の発現に大きな変化が見られないことから,Olig2はこれらの転写因子とは独立もしくは相補的に機能している可能性が考えられる。

 

X-gal反応産物の電顕観察法の改良

小野勝彦,政平訓貴,丁雷,池中一裕

 X-gal組織化学染色した組織を電子顕微鏡で観察する場合に,通常の手順でエポンに包埋すると弱い反応産物は消失することが知られていた。メタクリル酸ヒドロキシプロピルは,従来よりプラスチック皿の上で培養された細胞をエポキシ樹脂に包埋する際に用いられてきた透徹置換剤で,プラスチックを溶かすこと無しに細胞を包埋することができる物である。我々は,これをX-gal染色された組織に透徹置換剤として用いることにより,X-gal反応産物をほとんど減弱することなく電顕用に処理することができることを見い出した。その結果,X-gal陽性を示す脳室面の細胞がいわゆる幼弱な放射状グリアではなく,成熟した上衣細胞であることを微細形態の特徴から明らかにした。この手法は,40年近く前に培養細胞の観察法として報告されていた方法をそのまま適用したものであるが,X-gal染色後の電子顕微鏡観察に広く有効なものであると思われる。

 

神経構築形成における長距離ガイダンス分子の役割の解明

渡辺啓介,小野勝彦,池中一裕

 Netrin-1(Ntn1)は発生期に神経管の腹側正中部(底板)に発現し,軸索を誘因または反発させることで神経回路の形成に深く関わる。我々は,Ntn1欠損マウスを入手し,その詳細な解析を行った。その結果,脊髄背側において一次求心性線維(DRG axon)によって形成される後索が著しく乱れていることを見出した。さらに,この乱れがDRG axonの脊髄後角への投射が野生型より早期におこることによるためであること,Ntn1はDRGからの突起形成を抑制すること,を明らかにした。この結果から,脊髄後角でみられるNtn1の一過性発現の欠損により線維投射異常が生ずる可能性が強く示唆された。DRG axonの脊髄への投射時期にみられるwaiting periodの分子機構をin vivoで説明できる分子は長い間不明であったが,この結果からNtn1がその候補分子であることが強く示唆された。

 

モデルマウスを用いた脱髄の病態解明

田中久貴,馬堅妹,山田元,田中謙二,池中一裕

 脱髄モデルマウスであるPLPトランスジェニックマウス(PLPTg)は2ヶ月齢までに一度髄鞘がほぼ正常に形成され,Na+チャネル,K+チャネルはそれぞれ正常にクラスタリングする。5ヶ月齢頃から脱髄が始まり,K+チャネルのクラスタリングが崩れはじめ,8ヶ月齢までにNa+チャネルのクラスタリングも崩壊していく。これらの変化と跳躍伝導の相関を調べるために,中枢神経系(後索路,前庭・網様体脊髄路,錐体路)の解析を行ったところ,野生型に比べPLPTgでは2ヶ月齢においても著明な伝導速度の低下と相対不応期の延長を認めた。PLPTg2ヶ月齢で,paranodeの構造異常が認められた。

 跳躍伝導速度の低下が,行動にどのような変化として現れるか,京都大学 宮川剛博士と共同で行動解析を行った。一般の運動能力,探索行動,不安行動,情動反応は野生型と比べて変化が無かった。唯一の有意な変化はバーンズ迷路で参照記憶の障害が見られたことであった。

 

脱髄モデルマウスを用いた再生治療研究

東幹人,等誠司,池中一裕

 神経幹細胞は自己複製能と多分化能を持つ未分化な細胞である。脳の発生期だけでなく,正常の成体の脳においても特定の領域に存在し続け,神経新生を行っている。多発性硬化症を代表とするヒトの脱髄性疾患は,神経軸索を覆って保護するとともに跳躍伝導を可能にしている髄鞘が破壊され,迅速な神経伝達が失われる病態である。我々は上述の脱髄モデルマウスを用いて,脱髄病態における神経幹細胞の動態と,神経幹細胞移植による再ミエリン形成のメカニズムの解明を行っている。この際,5-bromo-2’-deoxyuridine(BrdU)をもちいて病態脳での内在性神経幹細胞を検出し,また移植では成熟したオリゴデンドロサイトで発現するプロモーター配列の下流にLacZレポーター遺伝子をもつマウスから神経幹細胞を調製し,脱髄モデル動物にこのレポーター遺伝子を持つ神経幹細胞の移植を行っている。この結果,移植した神経幹細胞は脳内に生着し,成熟したオリゴデンドロサイトへの分化が認められた。

 

成体脳に存在する神経幹細胞の維持のメカニズム解明

東幹人,等誠司,池中一裕

 発達期の脳のみならず,成体の脳にも神経幹細胞は存在し,脳の一部の領域(海馬や嗅球など)に新生神経細胞を供給していることが近年明らかになった。特に,海馬における神経新生は,記憶や学習といった脳の高次機能と関係する可能性が指摘されている。成体脳の側脳室周囲組織に存在する神経幹細胞は,さまざまな条件(変化に富む飼育環境や運動・学習負荷など)によって変動することが報告されているが,本グループはストレスに注目して神経幹細胞に対する効果を検討している。強制水泳などのストレス負荷マウスモデルを用い,ストレスが神経幹細胞の自己複製能を低下させる可能性や,抗うつ薬や気分安定薬などの向精神薬が神経幹細胞の減少を回復させる可能性を示唆するデータを得ており,そのメカニズムも含めて今後も精力的に解析していく。

 

神経幹細胞の発生の分子機構の解明

等誠司,池中一裕

 我々はこれまでに,ES細胞から神経幹細胞を誘導する技術を確立した。脳に存在する神経幹細胞に比べてより高い多分化能を示すことから,神経幹細胞の前段階にある未分化神経幹細胞と考えられる。未分化神経幹細胞は発生初期の胚の中にも存在する。早期胚のepiblastをleukemia inhibitory factor存在下で培養すると,浮遊細胞塊を形成することで未分化神経幹細胞が検出できる。未分化神経幹細胞はin vitroで神経幹細胞へと分化させることができ,この過程にNotchシグナルの活性化が必須であることも解明した。今後はこのin vitro分化系を利用し,ES細胞から未分化神経幹細胞,未分化神経幹細胞から神経幹細胞への分化過程で発現変化する遺伝子群を同定し,その役割の解明を進めていく。また,ES細胞から神経幹細胞への分化に従って発現が変化する糖鎖構造の同定およびその機能解明を行なう。

 

アストロサイトの分化,発生様式に関する研究

成瀬雅衣,小川泰弘,等誠司,池中一裕

 中枢神経系発生過程において,神経幹細胞はまず神経細胞を産生し,その後グリア細胞を産生する。神経幹細胞/神経前駆細胞からアストロサイト・オリゴデンドロサイトへの運命決定の機構に関しては,不明な点が多い。われわれはプロテアーゼインヒビターであるシスタチンCに着目して研究をおこなってきた。シスタチンCは,アストロサイトの発生・分化を制御する因子として当研究室で独自に単離された因子である。シスタチンCは,胎仔期の神経幹細胞の増殖,生存に促進的に作用する機能を持つこと,アストロサイトの分化を促進し,オリゴデンドロサイトの分化を抑制する機能を有することが培養系において示された。またオリゴデンドロサイトが発生する時期のマウス胎仔脳においてシスタチンCとオリゴデンドロサイトの発生に関係が深い転写因子Olig 2の発現が相補的な部位が観察された。以上の点からシスタチンCがOlig2の発現を制御することで神経幹細胞/神経前駆細胞からアストロサイト・オリゴデンドロサイトへの運命決定の一部を担っている可能性が示唆された。

 

アストロサイト機能不全モデルマウスの開発

田中謙二,池中一裕

 アストロサイト特異的疾患として知られているAlexander病のモデルマウスを作出し,その表現型を解析することによって,アストロサイトのin vivoにおける機能発現を調べることを目的とした。

 Alexander病の原因遺伝子である変異GFAPをマウスGFAPプロモーター制御下で発現するトランスジェニックマウスを作出した。海馬などのGFAPプロモーターの活性の高い部位においてRosenthal fiber類似のGFAP凝集体を形成し,Alexander病の病理所見を再現するものと考えられた。GFAP凝集体の存在が,アストロサイトのどのような機能を障害しているか調べるために,けいれん薬に対する応答を検討した。カイニン酸投与では,より低い投与量でけいれん誘発が有意に観察され,けいれん後の海馬錐体細胞死も有意に認められた。

 このような神経伝達調節の異常が,脳機能発現,すなわち行動や情動反応にどのような変化をもたらすのか検討していく予定である。

 

脳の発生と糖鎖

石井章寛,等誠司,鳥居知宏,Steven E. Pfeiffer,池中一裕

 すべての細胞表面は糖鎖で覆われており,細胞間相互作用やシグナル伝達に深く関わっている。これまでに我々は(1) マウス,ヒト脳内に発現する糖鎖の割合は高い類似性示すこと,(2)脳内糖鎖発現パターンは個体発生の各時期で劇的に変化することを明らかとした。マクロアレイ解析システムを開発し,神経変性疾患,細胞の分化などに伴う糖鎖パターンの変化を遺伝子発現レベルでも理解できるようになった。

 本年度は髄鞘における糖鎖の意義を解明するために,髄鞘形成時,形成前後の正常マウスからスクロースグラジエント法を用いて髄鞘を抽出し,糖鎖の発現解析を行った。その結果,全脳に比べて髄鞘に増加あるいは減少する糖鎖構造がある事が分かり,髄鞘形成と糖鎖発現の関係を明らかにできる。さらに,脳の形成,発達における糖鎖の意義を解明するために,発達期マウス脳における糖鎖発現を解析した。その結果,いくつかの糖鎖の発現量が顕著に変化することが明らかとなった。

 

3D-HPLCによるマウス大脳皮質発達におけるシアル酸付加N-結合糖蛋白質の糖鎖構造解析

鳥居知宏,石井章寛,等誠司,池中一裕

 これまで当研究室では,大脳皮質に発現している糖鎖の解析を2D-HPLCで網羅的に行い,主要な糖鎖の骨格を同定してきた。しかし糖鎖の末端に付加し細胞間接着や運動などに関与しているシアル酸の重要性から,さらに詳細な解析方法である3D-HPLCでシアル酸付加糖鎖の構造解析を行った。このシステムにより酸性糖鎖の解析が可能になり大脳皮質の発達過程において劇的シアル酸付加する酸性糖鎖を同定した。その糖鎖は胎生期ではシアル酸が付加されているものの成体の大脳皮質では全く付加されていない。この結果よりその糖鎖や付加されている蛋白質の重要性が示唆され,その蛋白質を同定しその機能解析を行い糖鎖の生理的意義を明らかにする。

 

 

細胞内代謝研究部門

【概要】

 細胞がエネルギーを消費しながら,刺激に対し適切に応答する細胞シグナリング機構を解明することは生命科学の最終目標の一つであり,本部門もそれを目指している。本部門では,電気生理学と先端バイオイメージングを用いてイオンチャネルや細胞内シグナル分子の動態を測定し,細胞応答に至るシグナルネットワークの時空間統御機構の解明を行う。これまで受精時のCa2+増加やCa2+振動機構の研究を通して受精機構の研究,卵成熟機構の研究をおこなってきた。特にマウス卵母細胞の自発的Ca2+振動機構,内分泌撹乱物質(エストロゲン)の卵母細胞への影響について調べた。さらに,機械刺激に対する細胞シグナリング機構の研究を展開している。

 

マウス未成熟卵母細胞自発的カルシウム振動に対するエストロゲンおよびビスフェノールAの抑制効果

毛利達磨
吉田 繁(近畿大学・理工学部・生命科学科)

 哺乳類の成熟卵は受精時にカルシウム振動をすることが知られているが未成熟卵母細胞(以下単に卵母細胞と呼ぶ)も自発的カルシウム振動を示していることが報告された。しかしそのカルシウム振動の機構については不明である。卵母細胞は受精能を獲得するために様々なホルモンの制御を受けて卵巣内で成熟する。卵母細胞の成熟や卵胞の発達は卵胞刺激ホルモンや黄体形成ホルモンの制御によりなされるが,詳しい機構についてはまだ不明な点が多い。例えば,エストロゲンの濃度の増加は排卵の引き金である黄体形成ホルモンの一過性分泌を引き起こすが,どのように卵母細胞の発達に関係しているのかはっきりしていない。従って,エストロゲン類似内分泌かく乱物質の卵母細胞に対する作用を調べることは生殖毒性学の研究としてだけでなく基礎的な生殖生理学にとっても重要な課題である。本研究でエストロゲン以外に内分泌撹乱物質ビスフェノールAのカルシウム振動に対する抑制効果を確認した。

 

伸展刺激に対する細胞移動の研究

毛利 達磨
曽我部 正博

 細胞の移動は損傷した組織の修復や血管の新生のためだけでなくあらゆる細胞が組織の形態をなすために普遍的な反応である。多細胞生物の組織は,細胞と細胞外マトリックス(コラーゲンなどの線維状タンパク質,基質)によってできており,それらの接着はインテグリン(接着蛋白質)を中心に細胞膜を貫き細胞外マトリックスと結合して細胞接着斑を形成している。細胞移動(運動)は細胞の連続的な変形なので,細胞の形やその運動を考える時,接着斑やストレス線維,微小管などの細胞骨格タンパク質の分布を知ることは非常に重要である。移動中の細胞ではストレス線維の配向や接着斑の分布変更が起こり,移動の先端部の薄く延びたラメリポディアでは絶えず膜がラッフリングの形態を示している。基質上に臍帯静脈血管内皮細胞を2次元的に培養し,傷をつけてその治癒過程,即ち細胞の移動過程を研究した。創傷部位を含む組織全体を創傷の方向と直角に機械的持続的に伸展しておくと,細胞の移動は伸展しない場合に比べて著しく促進することがタイムラプス記録の解析から認められた。この機構については不明であるが,細胞には外界の力の場を常にモニターするセンサーがあり,そのシグナルを統合して反応する仕組みがあると考えられる(仮説)。この仮説に基づき,持続的伸展刺激に対する細胞移動時の接着斑と細胞骨格の動態の解析から機構解明を目指している。そのため,細胞接着斑,細胞内カルシウム,および細胞骨格動態のライブイメージングを始めた。

 

 

機械的力に対する細胞骨格と接着構造の応答の分子機構

平田 宏聡
曽我部 正博

 接着性細胞は周囲の力学環境に応じて細胞骨格や接着構造をリモデリングする。例えば,内皮細胞は一軸周期伸展刺激に対して細胞が伸展軸に垂直に伸張する応答を示すが,この際,細胞内のストレスファイバーとそれにリンクした接着斑は伸展軸に垂直になるように分布を変える。しかし力学環境の感知機構が不明であり,力学環境変化に対する細胞骨格・接着構造の応答の分子機序は謎のままである。我々はこれまでに,細胞膜に穴をあけ細胞質中の可溶成分を除いたセミインタクト細胞を用いて,アクチンフィラメントとミオシンからなる網目構造が,そこにかかる張力に応じてストレスファイバー様の構造に再編成されることを明らかにした。現在は,細胞接着を担うインテグリン分子及びその結合タンパク質に着目して,機械的力を感知する分子機構について明らかにしようと研究を進めている。

 


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