生理学研究所年報 第26巻
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生体情報研究系

感覚認知情報研究部門

【概要】

 感覚認知情報部門は視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象としている。我々の視覚神経系は複雑な並列分散システムである。そこでは数多くの脳部位が異なる役割を果たしつつ,全体として統一のとれた視知覚を生じる精巧な仕組みがあると考えられる。また二次元の網膜像から世界の三次元構造を正しく理解できる仕組みもそなわっている。視知覚におけるこれらの問題を解明するために,大脳皮質を中心とするニューロンの刺激選択性や,異なる種類の刺激への反応の分布を調べている。具体的な課題として(1)初期視覚野における輪郭とその折れ曲がりの表現,(2)大脳皮質高次視覚野における色情報の表現,(3)色情報の変換過程,(4)大脳皮質における情報の時間的蓄積過程,(5)盲点における線分の補完知覚に対応したサル1次視覚野神経活動,などに関する研究を行った。

 

初期視覚系における輪郭線の折れ曲がりの表現

伊藤 南

 我々は,輪郭線の折れ曲がりに対して選択的な反応を示す細胞が第二次視覚野に多数存在することを見いだした。そうした選択性が形成されるメカニズムを探るために,本年度は折れ曲がり刺激に対する反応と刺激中の半直線成分を単独で提示した際の反応とを比較検討した。各半直線成分に対する反応の線形和モデルに方位選択的な抑制性入力と整流作用による非線形性の要素を導入したところ,折れ曲がり刺激に対する反応選択性がよく説明された。推定された抑制性反応には最適な半直線成分と同一方向に抑制をかけるものと,異なる方向に抑制をかけるものがみられた。後者は折れ曲り刺激に対するチューニングを鋭くすると考えられる。以上の結果は,第二次視覚野における輪郭線の折れ曲がりの検出が,個々の半直線成分に対する興奮性ないしは抑制性の反応の線形和に強く依存することを示唆する。

 

下側頭皮質における色選択ニューロンの分布

小松英彦,安田正治,鯉田孝和

 下側頭皮質は破壊によって色弁別が重篤に障害されることが知られており,この部位で色情報がどのように分布しているかを知ることは,そこでの色処理を理解する上で重要な問題である。このために注視課題を行っているサルの下側頭皮質からニューロン活動の記録を行った。電極は垂直に刺入し,実験前に撮影したMRI画像と,各電極の刺入時に撮影したX線画像を比較することにより,記録部位の同定を試みた。刺激にはCIE-xy色度図上でカラーディスプレイの3原色(RGB)が囲む三角形を均等に分割する色を用いた。それぞれの輝度は一定にし,ディスプレイの灰色背景より明るい刺激セットと暗い刺激セットの両方を用いた。刺激の形は異なる特徴をもつ7個または11個の単純な幾何学図形を用いた。実験の結果,強い色選択性を持ちあまり形選択性を持たないニューロンが前中側頭溝(AMTS)のやや外側付近のTE野に集中して存在することが分かった。

 

色カテゴリー識別と色弁別時の下側頭皮質ニューロン活動

鯉田孝和,小松英彦

 弁別とカテゴリー化は視知覚の二つの異なる側面である。これは色知覚においても顕著に見られる。色知覚におけるこれらの二つの側面が下側頭皮質の色選択ニューロンの活動にどのような影響を及ぼすかを調べるために,色弁別課題と色カテゴリー課題を訓練したサルのTE野から単一ニューロン活動の記録を行った。刺激はCIExy色度図上でカラーディスプレイのR(赤)とG(緑)の間を均等に分割する等輝度の11色を用いた。いずれの課題でも最初に一つの刺激(テスト刺激)が呈示され,弁別課題ではその後呈示される二つの色刺激からテスト刺激と同じものを選び,カテゴリー課題ではテスト刺激が赤か緑かによってNOGO反応またはGO反応を選択することが要求された。テスト刺激に対するニューロンの応答に対して,さまざまな解析を行ったが,カテゴリー課題の時に選択性がカテゴリーを反映するように変化する傾向は認められなかった。

 

外側膝状体における色表現

郷田直一,小松英彦

 網膜の錐体によって受容された色情報は,V1野,V4野,TEO野,TE野を含む大脳視覚領野において変換される。これら各領野における色情報の変換様式の理解を目的とし,本年度においては,網膜から大脳へ至る経路に位置する外側膝状体(LGN)における色表現モデルの構築を行った。様々な色に対するLGNニューロンの活動を解析し,これらニューロン集団がつくる特徴表現空間(色空間)を求めた。この色空間上での距離は,ニューロン集団応答の差に対応する。求められたLGNの色空間は,錐体レベルにおける色空間と比較して,紫領域の表現が圧縮されており,錐体応答が非線形的に変換されていることを示すものであった。さらに,LGNの色空間と自然画像データベースから得られた自然界の色分布との関係を解析した結果,LGNにおいて,入力分布に最適化された色表現がされていることが示唆された。

 

V4野と前頭眼野ニューロンにおける活動履歴の保存性

小川 正

 大脳皮質がもつ情報の時間的保持・蓄積機能を調べるため,視覚探索課題における注視期間中のV4野と前頭眼野(FEF)のニューロン活動を解析した。各ニューロンにおいて情報の時間的保持・蓄積機能の程度を推定するため,注視期間中の前半部で得られた活動状態と後半部のそれを各試行ごとに求め,2つの期間におけるニューロン活動レベルの相関性を定量化した。その結果,FEF野の一部のニューロン群は高い相関値を示し,注視期間中の活動レベルが時間的に保持されていることを示唆した。しかしながら,V4野においてはそのような高い相関値を示すニューロン群は見出せなかった。2つの領野における差異は,感覚信号を実時間で表現する必要のあるV4野(short-time storage)と,感覚信号を時間的に蓄積して行動指令を出力しなければならないFEF野(long-time storage)の機能的な役割の違いを反映していると考えられる。

 

盲点における線分の補完知覚に対応したサル1次視覚野神経活動

松本正幸,小松英彦

 盲点で補完知覚が生じるとき,サル大脳皮質一次視覚野(V1)で盲点に対応する視野を表現している領域(盲点表現領域)のニューロンが活動変化を示すことを既に見い出している。このような補完に伴う活動変化がどのような回路により生じているかを知るために,反応の時間経過と潜時の解析を行った。盲点を突き抜ける長い線分に対する応答を左右眼で比較すると,盲点側の眼で潜時が12ms長く,これは皮質上では58mm/sという極めて遅い伝導速度に対応することがわかった。一方,盲点側の眼において短い線分と長い線分に対する潜時には差はなく,補完に対応する活動変化が早い経路で生じていることが分かった。V1内の水平結合とV2を介するフィードフォワード,フィードバック経路の両方を使うと,これらの時間特性を矛盾なく説明できることがわかった。

 

 

神経シグナル研究部門

【概要】

 部門名と研究内容が不一致とこれまで幾度となく指摘されてきたため,2004年4月,液性情報より部門名を変更し神経シグナルとした。また4月末に明大寺地区より山手地区3号館9階に移転した。従来は分子生物学と細胞レベルの電気生理学を中心とした研究を進めてきたが,ここ約2年間にスタッフのほとんど全員が入れ替わったのを機会に,生体システムにおける分子の役割という観点から考え,局所神経回路機能の研究を主な研究対象とすることとした。新たに加わったスタッフの研究は順調に進捗している。しかしながら生理研着任後に新しい研究プロジェクトを開始しているため,論文として発表されるまでには至らず,外面的な研究業績は不十分であった。

 

神経伝達物質のシナプス外拡散によって仲介される
異種シナプス間相互作用

佐竹伸一郎,井本敬二

 下オリーブ核から小脳への登上線維を反復刺激すると,籠細胞-プルキンエ細胞間のGABA作動性シナプス伝達が抑制される(即ち,脱抑制)。この異種シナプス抑制は,籠細胞終末のカルシウム非透過性AMPA型グルタミン酸受容体で仲介されるシナプス前抑制の様式で起こることを示唆する結果を得た。脳スライス-パッチクランプ法を用いて,登上線維の伝達物質が籠細胞のAMPA受容体を活性化する過程を検討した。低親和性-グルタミン酸受容体競合阻害薬γ-DGGは,登上線維-プルキンエ細胞シナプスの興奮性シナプス後電流よりも,登上線維刺激に伴う脱抑制を強く阻害した。低親和性拮抗薬は,高濃度のグルタミン酸で誘発されるシナプス伝達には阻害作用が弱く,拡散のように低濃度グルタミン酸で仲介される過程に対して強い阻害作用を示したと考えた。また,dextranで灌流液の粘性を高めて物質拡散を阻害すると,脱抑制も有意に減弱した。以上の結果から,登上線維の興奮性伝達物質は,放出部位から拡散して,籠細胞終末のAMPA受容体を活性化すると結論した。一方,グルタミン酸回収タンパク質阻害薬TBOAは,脱抑制を顕著に増強した。登上線維と籠細胞の間で見られる異種シナプス抑制はグルタミン酸回収機構によって常に阻害されているものの,登上線維から大量に放出された伝達物質は回収機構の能力を超えて籠細胞のAMPA受容体を活性化できることが示唆された。

 

視床−大脳皮質神経回路の構造:単一シナプスレベルでの構成

井上 剛,井本 敬二

 感覚情報は視床を介して,大脳皮質へと転送される。しかし,視床―大脳皮質の神経回路がどのように構成されているのか,単一シナプスレベルでの構成は明らかではない。その解明を目指し,我々はマウス体性感覚野における視床―大脳皮質連結スライス標本を作製し,大脳皮質4層神経細胞からトリプルパッチクランプ記録を行い,その条件下においてさらに単一視床神経細胞刺激を複数の視床細胞に適用することにより,多対多の視床―大脳皮質神経結合を単一シナプスレベルで調べた。その結果,シナプス結合という構造的側面から見ると,視床から大脳皮質興奮性細胞 (regular spiking [RS] cell) と抑制性細胞 (fast spiking [FS] cell) への視床―大脳皮質連結パターンには違いはほとんど観察されなかった。しかし一方でシナプス強度も考慮した機能的側面から見ると,その視床―大脳皮質連結パターンには RS 細胞とFS細胞間で大きな違いが観察されるようになった。

 

不活性型Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼIIα
遺伝子改変マウスを用いた脳機能解析

山肩葉子,井本敬二,畑中伸彦
八木 健(大阪大学),小幡邦彦(理化学研究所),柳川右千夫(群馬大学)

 中枢神経系に豊富に存在し,神経活動の制御やシナプス可塑性に深く関与する代表的な蛋白質リン酸化酵素,Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII(CaMKII)を不活性型に置換したノックイン型遺伝子改変マウスCaMKIIα(Lys42Arg)を作成した。このマウス脳では,CaMKIIαのプロテインキナーゼ活性のみが選択的に消失するが,蛋白としての発現は維持されていた。出生率は正常で,繁殖能力にも問題がなかったが,死亡率が高く,内外の侵襲に対する脆弱性が示唆された。一部のマウスに自然発症のけいれんが認められ,また,けいれん惹起物質に対する過剰反応が認められた。さらに,情動行動の調節をつかさどる大脳辺縁系の一部で,神経活動の低下が認められた。これらの結果より,神経活動を正常状態に維持するためには,CaMKIIαのプロテインキナーゼ活性が重要な役割を果たすことが示唆された。

 

視床-大脳皮質ネットワークにおけるてんかん発生に関する研究

佐々木 幸恵,井本 敬二

 てんかんは比較的罹患率の高い神経疾患であり,薬物によるコントロールが進んだ現在も十分なコントロールが出来ない患者が数多く存在し,またてんかんが薬物によりコントロールされても,眠気・ふらつきなど薬剤の副作用に悩まされている患者も多い疾患です。

 てんかんの一種である欠神発作は,特徴的な脳波が大脳皮質全体に同期して認められる事から,その原因として,大脳皮質と視床を結ぶ神経ネットワークの異常により生じると考えられています。しかし,その発症メカニズムは現在のところわかっていません。

 本研究は,自然発生てんかんモデルマウスを用い,視床-大脳皮質シナプス伝達特性をスライスパッチクランプ法により検討を行いました。その結果,視床から大脳皮質への入力層である大脳皮質4層において抑制性シナプス電流が,欠神発作発症に伴い減少している事を明らかにしました。

 

視床興奮性シナプスのシナプス特性の解析

宮田麻理子, 井本敬二

 感覚情報は末梢から情報は内側毛帯シナプスを介してVB核投射細胞に入力する一方,皮質からは大量のフィードバック投射(皮質視床シナプス)を受ける。感覚情報は内側毛帯入力と皮質視床シナプス入力との統合により処理され大脳皮質に投射されると考えられる。しかし,これらシナプスの特性を詳細に解析した報告はなく,不明な点が多い。マウス視床VB細胞において,皮質視床シナプスのEPSCsに,NMDA受容体,AMPA受容体に加えてカイニン酸受容体成分が存在することを見出した。一方,内側毛帯シナプスEPSCには,カイニン酸受容体成分は存在しなかった。また,皮質視床シナプスにはNMDA受容体を介するEPSCがnon-NMDA受容体を介するものより,2倍ほど大きい一方で,内側毛帯ではその逆であった。 これらのグルタミン酸受容体構成の違いがVB細胞の発火の時間的特性に深く関わっていることを見出した。

 

 

高次神経機構研究部門

【概要】

 脳神経系は遺伝情報をもとにつくられ生きる環境の中で発達する。脳神経系は多様化した細胞種からなり,各細胞が多数のシナプス結合を作ることにより,莫大に多様化した神経回路を構成し,複雑性を保ちながら高度に組織化されている。本研究部門では,この神経回路の多様化と組織化をもたらす遺伝情報を探求することにより,記憶と情動と意識,ヒト精神神経疾患の分子的基盤を明らかにすることを目的とし,脳構造形成および神経回路網形成に関わる遺伝子を欠損させたマウスの作製を行ってきた。以前の研究で,Fyn遺伝子ノックアウトマウスを作製・解析した結果,同遺伝子が神経回路形成,シナプス機能制御,脳機能制御に重要な役割を果たしていることを見いだした。そこでFynとの結合活性を指標に新規分子をスクリーニングしたところ,新規カドヘリン様細胞接着分子CNR (Cadherin-related neuronal receptor)/プロトカドヘリンαを単離する事が出来た。また他のグループの研究で,CNR遺伝子クラスターとよく似たゲノム構造と相同性を示す近縁分子,プロトカドヘリンβ,γファミリーが見いだされ,これらはCNRとともにさらに大きな遺伝子クラスター構造を取っていることが明らかになった。これまでの研究結果から同分子群はシナプスでの選択的細胞接着と多様化機構を有し,神経回路網形成に重要な役割を演じていることが示唆されている。そこでこれらの分子機能の解析により,神経細胞の多様化機構の分子メカニズムが明らかになるのではないかと考え,現在は同遺伝子欠損マウスの作製を中心に進めている。

 

CNR/プロトカドヘリンα遺伝子の機能解析

平林敬浩,八木 健

 本新規カドヘリン様接着分子CNR/プロトカドヘリンαは染色体上にタンデムに並んだ13個の可変領域エクソンと3つのエクソンからなる共通領域からなるクラスター構造を有し,各CNRファミリーはそれぞれひとつの可変領域エクソンと共通領域から転写されていることが明らかになっている。この転写様式はT細胞受容体やイムノグロブリン遺伝子群と類似しており,このことは同分子がシナプスでの選択的細胞接着と多様化機構の両特徴を兼ね備えた分子であり,中枢神経系における多様化と組織化をもたらす分子であることを示唆している。本研究ではCNR分子の多様性の意義を解明することを目的とし,同遺伝子ファミリーのうち1分子種のみを発現する遺伝子ターゲティングマウスの作製を試みている。作製後は,野生型マウスおよびすでに作製されているCNRファミリー全遺伝子欠損マウスと表現型の差違を解析することで同分子の機能が明らかになると考えている。

 

プロトカドヘリンα発現制御領域候補欠損マウスの作製

金子涼輔,八木 健

 マウスプロトカドヘリンはα型14種類,β型22種類,γ型22種類が18番染色体にクラスター構造を取って存在している。α型においてはアリル特異的な発現制御がなされている可能性が示されており,その発現制御メカニズムに興味が持たれる。そこで,α型プロトカドヘリンの発現制御メカニズムを明らかにすることを目的として研究を行った。まず各種生物のプロトカドヘリン領域ゲノム配列データを異種間での相同性を指標にして精査した。その結果,α型プロトカドヘリン領域上流の非翻訳領域に異種間で高い相同性を示す領域を発見した。次いで,この領域のプロトカドヘリン発現制御における役割を解析するために欠損マウスの作製を行った。ターゲティングベクターを作製し,ES細胞へ導入したところ相同組換えES細胞が取得された。

 


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