生理学研究所年報 第26巻
 研究活動報告 年報目次へ戻る生理研ホームページへ

発達生理学研究系

認知行動発達機構研究部門

【概要】

 2004年度は,タイ国出身で前年5月より1年間の予定で外国人特別研究員として留学していたThongchai Sooksawate博士が4月末で帰国した。またロシア国パブロフ生理学研究所より1年間の予定で共同研究してきたNikolay Nikitin博士も7月末で帰国した。また客員教授としてスウェーデン王国・イェテボリ大学からSergei Perfiliev博士が6-9月まで3ヶ月間来日し,共同研究を行なった。また京都大学の博士課程大学院生の武井智彦君が受託大学院生として参加することになった。

 大きな出来事としては3月に生理学研究所国際シンポジウムを開催したことと,部門の引越しを行なったことがある。前者については3月16-18日に岡崎コンファレンスセンターにおいて“Multidisciplinary Approaches to Sensorimotor Integration”と題する国際シンポジウムを海外からの出席者27名を含む220名の参加者を得て開催した。後者については,6月にそれまで5階と動物実験センター地下に分散していた研究室を統合して6階に移動することができたことで,これまでの不便さを解消することができたのは大きかったと考えている。研究については,サルを用いて脊髄レベルでの皮質脊髄路の損傷後の機能代償機構を西村幸男君を中心とする研究グループ,大脳皮質一次視覚野損傷後のサルの認知行動機能の研究を吉田正俊君を中心とする研究グループ,中脳上丘の局所神経回路に関するスライス標本を用いた研究を遠藤利朗君とSooksawate博士を中心とするグループ,サルの上丘局所神経回路に関する麻酔下での電気生理実験をNikitin博士と伊佐が,またマウスのサッケード系に関する研究を坂谷智也君が,またサルのprecision grip遂行時の感覚・運動統合機構について関和彦君を中心とするグループが推進した。また,10月より科学技術振興事業団の戦略的創造研究推進事業(CREST)の研究費を受領することができ,「神経回路網における損傷後の機能代償機構」のテーマで研究を推進することになった。

 

ラット上丘浅層からの投射ニューロンの樹状突起での活動電位開始の
過分極活性化陽イオンチャネルによる調節

遠藤利朗,納富拓也,足澤悦子,重本隆一,伊佐正(認知行動発達機構,脳形態解析)

 Wide field vertical (WFV) cellは上丘浅層から視床や上丘中間層に投射する主要な出力ニューロンであり,視覚地図上で数十度にも相当する発達した樹状突起をもつ。このような形態はこのニューロンが受容野内を動く光刺激によく反応する性質と関係があると考えられている。我々は入力線維の電気刺激への反応の解析から,このニューロンでは入力に対して活動電位が樹状突起で開始されることを示す結果を得た。一方,我々はWFV cellは過分極活性化陽イオン電流(Ih)を顕著に示すことを既に明らかにしていたが,その活性化キネティクスの解析と免疫染色の結果から,WFV cellはIh チャネルのうちでもHCN1を主に樹状突起に発現していると考えられた。Ihを抑制すると,入力線維刺激に対する活動電位の生成にいたる確率の減少,または活動電位開始の遅れが観察された。このことからWFV cell においてHCN1は樹状突起の静止電位や膜の時定数の調節によって活動電位の開始または細胞体への伝導を促進していると考えられる。

 

上丘中間層GABA作動性ニューロンの特性

Thongchai Sooksawate,伊佐かおる,伊佐 正
小幡邦彦(理化学研究所脳科学総合研究センター)
柳川右千夫(群馬大学大学院医学系研究科)

 上丘中間層ニューロンは高頻度発火によってサッケード運動などの指向運動の開始をトリガーすることが知られている。この高頻度発火の開始にあたって上丘中間層の出力細胞に対する持続的なGABA作動性の抑制が減弱することが知られていること。従って上丘局所神経回路においてGABA作動性介在ニューロンは大変重要な役割を有していることになるが,これまでその性質はほとんど調べられてこなかった。今回,柳川,小幡らによって開発されたGAD67-GFPノックインマウス(生後17-22日齢)を用いて,上丘スライス標本においてGFPの蛍光を有しているGABA作動性ニューロンからwhole cell patch clamp法による記録を行い,その電気生理学的特性の解析とバイオサイチンの細胞内注入による形態学的特性の解析を行なった。その結果,定常電流通電に対する発火特性から,58% (135/231)がfast spiking neuron,29% (67/231)がburst spiking neuronに分類された。その他はlate spiking neuronが8% (18/231),regular spiking neuronが2% (4/231),rapid spike inactivation typeが3% (7/231)とごく少数であった。また軸索の投射様式からGABA作動性ニューロンには(1)intra-laminar local neurons, (2) inter-laminar local neurons, (3)intra-laminar long range horizontal neurons, (4)commissural neurons, (5)projection neurons など,機能が異なると考えられる複数のサブグループが存在することも明らかになった。

 

遺伝子改変マウスを用いたサッケード運動制御機構の解析

坂谷智也,伊佐正

 興奮性神経伝達物質グルタミン酸の受容体構成因子であるNRε4(NR2D)サブユニットの生体における役割についてはこれまでのところほとんど知られていない。一方,NRε4(NR2D)遺伝子は上丘において強く発現していることが報告されている。そこでNRε4(NR2D)遺伝子欠損マウス用いて,上丘の主要な機能であるサッケード眼球運動について解析した。我々が新たに開発したマウスのサッケード測定システムをもちいて自発サッケードについて解析したところ,野生型に比べてノックアウトマウスでは同振幅のサッケードにおける最高速度が有意に減少していることがわかった。この結果からNRε4は眼球サッケードにおいて運動ダイナミクスの調節に関与していることが示唆された。現在,上記のNRε4(NR2D)の機能が主として上丘内部におけるものであるのか,あるいは下流の脳幹系におけるものかを検討している。

 

皮質脊髄路損傷後における手の巧緻運動の機能回復

西村幸男,伊佐正,森近洋輔
パーフィリエフ・セルゲイ(イエテボリ大学)
尾上浩隆(東京都神経研)
塚田秀夫(浜松ホトニクス)

 皮質脊髄路損傷後における手の巧緻運動の機能回復のメカニズムを検討した結果, (1) 母指と第二指とを対立させて物体をつまむ運動(precision grip)は,損傷後一週間で回復し始め,1-3ヶ月でほぼ正常に近いレベルまで回復すること。(2) 健常なサルでは見られない錐体路由来の2シナプス性EPSPが上肢筋運動ニューロンの半数で記録されたことを明らかにし,脊髄内の神経回路網の変化が機能回復に貢献している可能性を報告した。最近,より上位中枢の関与を検討するためにprecision grip中にPositron Emission Tomographyによる脳機能イメージングを行った結果,損傷後一ヶ月では両側の一次運動野・体性感覚野において顕著な活動の上昇が見られた。三ヵ月後には依然,両側の一次運動野・体性感覚野の活動上昇が観られ,更に運動前野腹側部の活動上昇が観られた。さらに,これらの領域がprecision gripに関係しているか検討するために両側の一次運動野にムシモルを注入したところ,損傷の反対側(支配)では損傷の2週間後・三ヵ月後に効果が見られたが,同側では損傷の二週間では効果が見られたのに対し,三ヵ月後には効果が見られなかった。これは,回復の時期によって使われる大脳皮質の領域が異なっていることを示唆している。

 

サルを用いた盲視(blindsight)の神経機構の解明

吉田 正俊, 伊佐 正

 盲視の動物モデルとして片側の第一次視覚野を外科的に切除したニホンザルを二匹作成して,急速眼球運動を指標とした行動実験を行った。

 (1) 強制選択型の視覚誘導性眼球運動課題を遂行できることを確認した。欠損半視野で弁別できる標的刺激の閾値は手術前と比べて上昇していた。また,急速眼球運動の終始位置は欠損半視野においてより不正確であり,眼球運動の速度プロファイルも欠損半視野へ向かうものと正常半視野へ向かうものとの間で顕著な差が見られた。 (2) 時間的ギャップを(1)の課題に加えるとことでexpress saccadeが起こることを見いだした。 (3) yes-no課題型の視覚誘導性眼球運動課題の成績が(1)の強制選択型課題の成績よりも悪いことを見いだした。 (4) 記憶誘導性眼球運動課題を遅延時間2秒でも遂行できることを見いだした。 このことは,視覚手掛かりの位置情報を短期記憶として保持できることを示している。

 

 

生体恒常機能発達機構研究部門

【概要】

 当部門は2003年に新設され,2004年6月に明大寺地区A棟5回に研究室を立ち上げてから約1年が経過した。現座,発達の過程で一旦形成された神経回路に起こる再編成のメカニズムを回路レベルで解明することを目標に研究をしている。特に,発達期における再編のメカニズムとして,シナプスレベルにおいて,伝達物質のスイッチング,細胞内イオン環境の変化によるGABAの興奮性から抑制性へのスイッチとその制御機構,受容体の細胞内動態やこれらに対する神経栄養因子,環境/回路活動による制御を検討している。

 また,傷害や虚血などの種々の障害後に一旦未熟期における回路特性が再現し,回復に伴い発達と同様な再編成過程が再現される可能性について,電気生理学的,分子生物学,組織学的手法を用いて研究を行なっている。

 

発達期における神経伝達物質のスイッチング

鍋倉淳一,張 一成,前島隆司
石橋 仁(九州大学)

 ラット聴覚系中経路核である外側上オリーブ核に内側台形体核から入力する伝達物質自体が未熟期のGABAから成熟期のグリシンに単一終末内でスイッチすることを微小シナプス電流の特性の解析などの電気生理学的手法,神経終末内のGABA, GADやグリシン免疫電顕や免疫組織学的手法を用いて明らかにした。この伝達物質のスイッチングは,発達期における主要な再編成機構である余剰回路の除去や伝達物質受容体の変化と並ぶ大きなカテゴリーの変化と考えられる。現在,脳の発達に対するGABAの重要性に注目が集められている。このモデル系および海馬において,何故未熟期にはGABAである必要があるのかを,GABAの未熟期における興奮性およびGABAB受容体の発達変化と関連機能について検討している。

 

細胞内Cl-制御機構KCC2によるGABAの興奮-抑制スイッチと
分子機構の解明

鍋倉淳一,張 一成,渡部美穂
福田敦夫(浜松医科大学)

 未熟期および虚血や傷害後早期にGABAは興奮性伝達物質としての作用を獲得する。これはGABAA受容体に内蔵するチャネルを流れるCl-イオンの向きによって決定されるため,細胞内Cl-イオン濃度によってGABAは興奮性/抑制性が決定される。この細胞内Cl-イオン濃度は神経細胞特異的に発現するK+-Cl-トランスポーターであるKCC2によって主に決定されている。発達期や再生期におけるKCC2の発現,およびその機構を検討している。KCC2の発現制御に関して,細胞内制御分子の探索を行なっている。

 

BDNFによる大脳皮質細胞におけるGABA受容体の細胞内動態と分子機構

鍋倉淳一
溝口義人(九州大学)
平田雅人(九州大学)
兼松 隆(九州大学)

 脳由来神経成長因子であるBDNFは未熟期(生後2週目)には大脳皮質視覚野錐体細胞では,数分という短時間で細胞膜表面のGABAA受容体の増加をともなうGABA応答の長期増強を引き起こす。逆に,同時期の海馬CA1細胞や成熟期の大脳皮質細胞では膜表面の受容体の減少を伴うGABA応答長期抑制を起こす。この作用は何れも細胞内PLCgamma,Ca2+を介する。この部位差およびage差のメカニズムを検討するために,GABA受容体のリサイクリングに関するメカニズムの解明のためにGABA受容体βサブユニットに作動する蛋白(phospholipase C-related inactive protein)に注目し,遺伝子改変動物などを用いて検討している。

 

クリプトン−YAGレーザーを用いた脳虚血障害モデル動物作成技術の開発

鍋倉淳一
八尾博史(国立肥前精神医療センター)

 脳障害の回復期における神経回路の可塑性の研究を遂行するにあたり,生体において,程度の一定した脳障害モデルを作成する必要がある。任意の脳血管の閉塞・再開通を任意に行なうことができる技術を脳虚血作成技術に精通している八尾博史博士と共同で開発を行なう。具体的には,ローズベンガル色素を静脈注入後,任意の脳血管にクリプトンレーザーを極短時間照射し,血栓形成による閉塞を作成する。任意の時間後に高エネルギーパルスレーザーであるYAGレーザーを照射し,血管の再開通を起こさせる。この技術はマウスでは頭骸骨を駆けることなく,非観血的に閉塞・再還流が可能であり,脳虚血・障害の分野では画期的技術となる。

 

 

生殖・内分泌系発達機構研究部門

【概要】

 本研究部門は,視床下部による摂食行動の調節と末梢組織における代謝調節機構の解明を目指して研究を行っている。視床下部は,摂食行動(エネルギー摂取)とエネルギー消費機構(栄養代謝)を巧みに調節することによって生体エネルギーを一定に保つ重要な働きを担っている。しかし近年,この調節機構の異常が肥満,糖尿病,高血圧など,生活習慣病の発症と密接に関連することが明らかとなってきた。当部門では,視床下部における生体エネルギー代謝の調節機構を分子レベルで解明し,その分子機構を通して生活習慣病など様々な疾患の原因・治療法を明らかにしたいと考えている。現在実施している主たる研究課題は次の通りである。1) AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構の解明,2) レプチン,神経ペプチドによる糖・脂質代謝調節機構の解明,3) 視床下部腹内側核におけるエネルギー代謝調節機構とシグナル伝達機構の解明。

 

AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構

箕越 靖彦
岡本 士毅
志内 哲也

 AMPキナーゼは,細胞内のエネルギーレベルが低下する危機的な環境で活性化し,エネルギー基質を動員して細胞内ATPレベルを回復させる。しかし最近,我々は,AMPキナーゼがレプチンやアディポネクチンなどホルモンによって活性化して骨格筋における脂肪の利用を促進すること,視床下部AMPキナーゼがレプチンなど摂食調節ホルモン,グルコースによって活性を変え,その作用を通して摂食行動を制御することを明らかにした(Nature 2002, 2004)。このようにAMPキナーゼは,細胞内エネルギーレベルを調節するだけでなく,レプチンなどホルモンの働きを介して生体全体のエネルギー代謝を調節している。本研究課題では,AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構を明らかにするため,活性型並びに不活性型AMPキナーゼを視床下部の各種神経細胞や骨格筋にレンチウイルスを用いて特異的に発現させ,摂食行動,栄養代謝に及ぼす影響を調べている。

 

レプチン,神経ペプチドによる糖・脂質代謝調節機構の解明

箕越 靖彦
志内 哲也
斉藤 久美子

 我々は,脂肪細胞産生ホルモン・レプチンが摂食行動を抑制するだけでなく,視床下部‐交感神経系の働きを介して褐色脂肪組織や骨格筋などエネルギー消費器官でのグルコースおよび脂肪酸の利用を促進することを明らかにしてきた。レプチンは,脂肪萎縮症において発症する重篤な糖尿病を改善することが知られており,その作用の少なくとも一部は,上記調節機構が作動している可能性が高い。我々は,この作用がレプチンだけでなく,視床下部に特異的に発現する神経ペプチド・オレキシンによっても惹起されることを見いだした。現在,骨格筋でのグルコース利用・インスリン感受性を亢進させるオレキシンの生理的意義を解析している。また,その作用機構を明らかにするため,カテコラミンβ受容体の(β1,β2, β3受容体)ノックアウトマウスを用いて研究を行っている。

 

視床下部腹内側核におけるエネルギー代謝調節作用とシグナル伝達機構

箕越 靖彦
岡本 士毅
諸橋 憲一郎(基礎生物学研究所)

 視床下部腹内側核(VMH)は古くから満腹中枢として知られるなど,生体エネルギー代謝に重要な調節作用を営むことが知られている。しかし,そのシグナル伝達機構は全く不明である。当部門では,VMHでの作用伝達物質と考えられるBDNF(brain-derived neurotrophic factor)の働きを中心に,VMHにおけるエネルギー代謝調節作用並びにそのシグナル伝達機構を調べている。また,脳の中でVMH特異的に発現する転写因子AD4BPの遺伝子エンハンサーを用いて様々なトランスジェニックマウスを作製し,生体エネルギー代謝に及ぼすVMHニューロンの調節作用を明らかにする研究を行っている。


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