生理学研究所年報 第30巻
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生体情報研究系

感覚認知情報研究部門

【概要】

 感覚認知情報部門は視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象としている。我々の視覚神経系は複雑な並列分散システムである。そこでは数多くの脳部位が異なる役割を果たしつつ,全体として統一のとれた視知覚を生じる精巧な仕組みがあると考えられる。また二次元の網膜像から世界の三次元構造を正しく理解できる仕組みもそなわっている。視知覚におけるこれらの問題を解明するために,大脳皮質を中心とするニューロンの刺激選択性や,異なる種類の刺激への反応の分布を調べている。具体的な課題として(1)初期視覚野における輪郭とその折れ曲がりの表現,(2)大脳皮質高次視覚野における色選択性ニューロンの分布やその活動と知覚の関係,(3)大脳皮質におけるグルーピングと視覚的注意のメカニズム,(4) fMRIによるサル大脳視覚野活動計測,などに関する研究を行った。

 

初期視覚系における輪郭線の折れ曲がりの表現

伊藤 南,浅川晋宏 Yi Wang(中国科学アカデミー)

 我々は物体の形状を認識する過程を明らかにする為に図形の輪郭に含まれる折れ曲がりに対する反応選択性を初期視覚野で調べている。麻酔下の第二次視覚野でも折れ曲がり刺激に選択的に反応するニューロンが記録されるので,これらの細胞の性質を詳細に検討した。記録部位で局所的な薬物注入を行うために,多連管型電極を作成し,記録用電極に取り付けたガラス微小管から抑制性シナプスの拮抗阻害剤であるGabagineを微量注入して折れ曲がり選択性の変化を調べた。薬剤の注入により自発発火頻度および刺激に対する反応の発火頻度が上昇した。長い直線刺激に対するエンドストップ型の抑制が失われて折れ曲がり選択性が変化するものと,折れ曲がり選択性がそのまま保持されるものとが存在した。これらの結果は第二次視覚野およびその入力源である第一次視覚野がともに折れ曲がり刺激選択性形成に寄与することを示唆する。

 

サル下側頭皮質への電気刺激が色判断行動に及ぼす効果

鯉田孝和,小松英彦

 サル下側頭皮質には色選択性ニューロンが密集して存在する領域があり,この小さな領域が色認知に重要であると考えられる。この仮説を検証するために本研究では,微小電気刺激による色判断行動への効果を測定した。サルはサンプル色を見て,赤いか黄色いかなどの予め学習した判断基準に基づいて色を判断する課題を行う。電気刺激はサンプル色の呈示期間中に50%の確率で行った。その結果,微小(20mA)な電気刺激であっても大きな色判断のシフトが生じることが分かった。大きな効果を生じるのは皮質上の限られた領域であり,その領域は色選択性ニューロンが密集している場所に対応していた。電気刺激の効果は判断基準がずれるような形で現れており,ノイズが生じるような形ではなかった。この結果は,電気刺激によって色判断に関わるシグナルが発生したことを示しており,下側頭皮質のニューロン活動が色判断に因果関係を持っていると言える。

 

下側頭皮質後部における色情報の表現

坂野 拓,小松英彦

 下側頭皮質は破壊によって色弁別が重篤に障害されることが知られており,これまでの我々の研究により,下側頭皮質前部のTE野と後部のTEO野に強く鋭い色選択性を示すニューロンが集中して存在する領域が存在することが示されている。このうち,TEO野の領域は後中側頭溝(PMTS)付近に存在し,大ざっぱな網膜部位対応をもつことも分かっている。しかし,その網膜対応部位領域全体に色選択細胞が分布するのか,局在するのかなど詳細については不明であった。そこで我々は更に詳細にこの領域における色選択細胞の分布を調べた。刺激にはCIE-xy色度図上で均等に分布する色を用い,形は11種類の単純な幾何学図形から選んだ。詳細なマッピングの結果,この領域には強い色選択性を持つ細胞の固まって存在する部分と,色選択性をあまり持たない細胞の固まって存在する部分の両方が見られ,内部に更に構造を持つことが示唆された。

 

サル頭頂間溝皮質の細胞タイプ間での視覚グルーピング検出課題への
寄与の差

横井 功,小松英彦

 視覚グルーピングの神経メカニズムについて調べるために,グルーピングを必要とする検出課題を設定し,頭頂間溝皮質(IPS)から単一細胞外記録を行った。視覚刺激は白または黒の5つのドットが離散的に配置して構成される。サルは同じコントラストのドットが水平または垂直に並んだ刺激をターゲットとして検出する。記録されたニューロンを活動電位の持続期間に従って2つに分類した。錐体細胞と考えられる長い波形の活動電位の細胞はターゲットの方位の特徴について選択的な応答を示し,その活動は行動パフォーマンスと相関していた。一方,介在細胞と考えられる短い波形の活動電位の細胞はそのよう選択的反応を示さなかったが,ターゲット刺激に対してノンターゲットよりも強く反応する傾向を示した。これらの結果はIPSの2つの細胞タイプは視覚グルーピングに関して異なった機能的役割を果たしている可能性を示唆する。

 

サル下側頭皮質における色選択的活動分布:fMRI研究

郷田直一,原田卓弥,平松千尋,伊藤 南,小松英彦
小川 正(京都大学)
豊田浩士,定藤規弘(心理生理学)

 我々はサル下側頭皮質において色選択性ニューロンがどのように分布しているかを明らかにするため,機能的MRI (fMRI)を用いて色選択性の計測を行ってきた。前年度までに,無彩色刺激よりも有彩色刺激により強く反応する領域(色選択的反応領域)は下側頭皮質前部及び後部外側面のそれぞれ数mmの小領域に限局していることを明らかにしてきた。本年度は,色選択的反応の分布に関する解析をさらに進め,下側頭皮質における色選択的反応の分布は視覚刺激の輝度コントラスト強度には依存しないことを明らかにした。従って,得られた反応分布は色相・彩度に選択的なニューロンの分布を反映していると考えられる。さらに,下側頭皮質における色選択的反応分布は,視覚刺激の色の構成や形状に依存することが明らかになった。以上の結果は,空間的・形状選択性の異なる色選択的ニューロンが下側頭皮質内のそれぞれ異なる場所に集積している可能性を示唆する。

 

神経シグナル研究部門

【概要】

 神経シグナル研究部門では,分子レベルの研究からより生体に近づいた研究を目指し,in vivo実験系の導入を進めてきた。2008年度は,in vivoパッチクランプの開発者である古江博士が准教授として当部門に加わり,in vivoの実験を高い水準で行えることになった。従来から行ってきた脳スライスを用いた神経回路の詳細な研究と,in vivoの研究を巧みに組み合わせることにより,神経系機能の理解がより一層深まると期待される。

 また分子の異常とより高度な脳神経活動の関係を検討するには,さまざまな行動様式の解析が必要である。山肩博士が長年にわたって作成・機能解析を行ってきたCaMKIIノックインマウスは著明な記銘力障害を呈しており,諸条件下における記銘力の検討を行うことにより,複雑な記憶過程の一環が明らかになってきている。

 

蛋白質リン酸化による学習・記憶の制御

山肩葉子,柳川右千夫(群馬大学),井本敬二

 学習・記憶をはじめとする高次脳機能制御には,脳内蛋白質リン酸化が重要な働きをしていると考えられている。中でも,Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII (CaMKII) は,脳内の主要な蛋白質リン酸化酵素として,注目を集めている。我々は,CaMKIIの主要なサブユニットであるCaMKIIaの不活性型ノックインマウス (K42R) を作製し,その解析を進めている。K42Rホモマウスでは,学習・記憶の基本モデルとされる,海馬CA1領域におけるシナプスの長期増強 (LTP) が障害されているのみならず,海馬LTPと相関が深い受動的回避テストでも顕著な障害が観察された。1回刺激のトレーニングでは,24時間後のみならず,40分後,さらには,トレーニング直後にも全く回避行動が観察されなかったことから,K42Rホモマウスでは学習自体が成立しないと考えられた。しかしながら,複数回のトレーニングを行うと,ある程度の回避行動が観察されたことから,何らかの代償作用が機能している可能性がある。また,K42Rヘテロマウスにおいては,24時間後には一定程度の回避行動が認められたものの,1ヶ月後には,回避行動がほとんど消失していたことから,記憶の保持に異常がある可能性が考えられた。これら学習・記憶障害について,さらに詳しい検討を行うために,恐怖条件付け学習のパラダイムを導入し,検討を加えつつある。

 

グルタミン酸輸送体の発現・機能調節と小脳異種シナプス間
拡散性クロストークの生理的連関

佐竹伸一郎,井本敬二
小西史朗,宋 時栄(徳島文理大学香川薬学部)

 脳幹の下オリーブ核から小脳プルキンエ細胞へ投射する登上線維は,反復刺激 (5 Hz, 1 s) に伴い,小脳皮質介在ニューロン(籠細胞)から同じプルキンエ細胞に入力するGABA作動性シナプス伝達を抑制することを報告した。この異種シナプス抑制は,登上線維終末からシナプス外に拡散した興奮性神経伝達物質(グルタミン酸と推定)が,介在ニューロンの軸索終末に存在するAMPA型グルタミン酸受容体を活性化することにより惹起されたと推定している。こうした背景に基づき,今年度は異種シナプス抑制を仲介する拡散過程とグルタミン酸輸送体の関係について検討を行った。スライスパッチクランプ実験に薬理学的解析手法ならびに免疫組織染色法を適用して,(1) ニューロン型輸送体EAAT4(プルキンエ細胞特異的に発現)とグリア型輸送体GLAST(シナプスを被覆するバーグマングリアに発現)は,グルタミン酸が登上線維終末から介在ニューロン終末に拡散していく過程をそれぞれ独立に制御できること,さらに (2) EAAT4は,プルキンエ細胞における発現量の差異と神経活動に伴う機能変化に強く依存した様式で,異種シナプス抑制を逆行性にコントロールしていることを示唆する結果を得た。引き続き“拡散というユニークな神経伝達経路”が,ニューロンやグリア細胞のグルタミン酸輸送体 (EAAT4, GLAST, GLT-1) によって制御される分子的基盤やその生理的意義について検討を進めている。

 

Tottering マウスにおける欠神発作と大脳基底核回路との関係

加勢大輔,井上 剛,井本敬二

 われわれは,これまでにin vivoの実験により大脳皮質-視床下核-黒質回路が欠神発作の発生に関与していることを示している。本年度はまず昨年見出した視床下核神経細胞の興奮性増強が,過分極活性型陽イオン (HCN) チャネル電流の減少を一因としていることをin vitroの実験により示した。さらに視床下核におけるHCNチャネル電流の減少が欠神発作に与える影響を検討すべく,in vivoの実験を行った。その結果,視床下核のHCNチャネルを阻害あるいは活性化させることで,欠神発作の持続時間が変化することが判明した。

 

In vivo パッチクランプ法を用いた痛覚シナプス伝達の解析

古江秀昌

 麻酔下に椎弓切除を行い,腰部脊髄表面より記録電極を刺入し,後角細胞からパッチクランプ記録・解析を行った。In vivo パッチ法は電流固定下の膜電位変化に加え,電位固定下の興奮性や抑制性シナプス後電流(EPSCやIPSC)を安定して長時間記録でき,更に,得られた応答のS/N比は良好で,スライス標本から記録される応答と遜色はなかった。本法は皮膚へ生理的な感覚刺激によって誘起されるシナプス応答の定量解析ができるため,行動薬理学実験とスライス標本を用いた実験の中間に位置し,行動の変化や遺伝子操作動物,種々のモデル動物で観察される異常行動の成因を,シナプスレベルの変化として説明するために極めて有用な方法である。また,本法に用いたin vivo ブラインド法は組織深部の記録にも適しているため,今後,脊髄後角のみならず,あらゆる神経系への応用を検討している。

 

神経分化研究部門

【概要】

 吉村らを中心とする研究グループは,大脳皮質視覚野の神経回路特性と経験依存的発達機構を明らかにする目的でラットやマウスから作成した脳切片標本や麻酔動物を用い,レーザー光局所刺激法や電気生理学的手法を組み合わせて解析している。本年度は主に実験システムの立ち上げを行った。また,これまでに,大脳皮質視覚野内に非常に微細な神経回路網が形成されていることを報告しているので,その経験依存的発達についての解析を行った。

 また,東島らを中心とするグループは,ゼブラフィッシュを用い,脊髄神経回路の形成機構および,回路の作動機構の解析を進めている。脊髄内の特定のクラスの神経細胞をGFPを用いて可視化し,それらGFP陽性細胞の発生と機能を追求している。本年度は主として,ゼブラフィッシュの逃避運動の際に機能するCoLoと呼ばれる特殊なクラスの交差型抑制性ニューロンの機能解析を行った。

 

 ラット大脳皮質視覚野の微小神経回路網の経験依存的発達

吉村由美子,森 琢磨

 これまでに,我々は,ラット視覚野スライス標本を用い,ケージドグルタミン酸による局所刺激法と2個の2/3層錐体細胞からの同時ホールセル記録法を組み合わせて解析を行い,2/3層錐体細胞へ入力を送る細胞の空間分布を調べた。その結果,興奮性結合している錐体細胞ペアは,別の2/3層錐体細胞や4層細胞からも高い割合で共通の興奮性入力を受けており,非常に微細なスケールの神経回路網が形成されていることを見いだした。視覚野ニューロンの視覚刺激に対する反応選択性は,生後発達期の視覚経験に強く依存して成熟することが知られている。そこで,本年度は,この微小神経回路網が,視覚反応と同様に,生後の視覚経験に依存して形成されるかを調べた。生後直後からの暗室飼育により視覚体験を一切経ていないラット視覚野の神経回路を解析した結果,2/3層錐体細胞間の興奮性結合の発達が著しく阻害されており,微小神経回路網も観察されなかった。また,生後約2週齢の開眼時期に両眼の眼瞼を縫合することにより,明暗刺激は受けるが,形体に関する視覚刺激を受けない状態で飼育した視覚野についても同様な解析を行った。その結果,個々の神経結合の検出確率や結合強度は,正常な視覚野と有意な差は認められなかったが,選択的な神経結合による微小神経回路網の形成は著しく阻害されていた。以上の結果から,微小神経回路網の形成には,遺伝的機構のみならず生後の視覚入力に依存して神経結合が精緻化される過程が必要であると考えられ,この神経回路は視覚野ニューロンの反応選択性の基盤であることが示唆される。

 

ゼブラフィッシュ逃避行動において,脊髄に存在する特殊なクラスの
交差型抑制性介在ニューロンが大事な役割を果たす

佐藤千恵,木村有希子,東島眞一

 硬骨魚類の後脳にはマウスナー細胞と呼ばれる,一対の大きな細胞が存在する。マウスナー細胞は,その軸索を反体側の脊髄にまで伸ばし,脊髄の中で運動ニューロンなどとシナプスを作っている。マウスナー細胞が発火すると,魚の逃避運動が引き起こされる。逃避運動と同時に,脊髄の反対側にはすばやい抑制がかかることが示されていた。しかし,この素早い抑制が行動レベルでどのような役割を果たすかは明らかとなっていなかった。

 我々は,今回,ゼブラフィッシュにおいて,脊髄においてある種の介在神経(以下,CoLoとよぶ;CoLoは,Commissural localの略;軸索が比較的短いためこのように名付けた)がGFPで標識されているエンハンサートラップラインTol-056の解析を行った。CoLoニューロンの詳しい解析を行ったところ,これらはマウスナー細胞から電気シナプスの入力を受けてすぐさま発火する交差型抑制性ニューロンであることが分かった。すなわち,CoLoニューロンは,逃避運動の際に反対側にすばやい抑制を送る神経細胞であったわけである。

 CoLoニューロンの行動レベルでの機能を調べるため,レーザー照射によりCoLoニューロンを除去し,その幼魚の逃避運動を調べた。音・振動刺激により逃避運動を引き起こすと,コントロール幼魚は左右どちらかへスムーズに逃避運動を行うが,CoLoを除去した幼魚は,しばしば硬直してどちらにも動けない,という表現型を示した。CoLoを除去するのと同時に,左右のマウスナー細胞のどちらか一方をレーザー除去しておくと,このような表現型はいっさい見られなかった。したがって,硬直の表現型が起きるときは,左右のマウスナー細胞の両方が発火していることを強く示唆している。すなわち今回の研究により,(1)幼魚が逃避運動を行う際には,左右のマウスナー細胞の両方が発火することが起こりうること,(2)マウスナー細胞の両方が発火してしまっても,CoLo細胞が担う素早い抑制のおかげで,魚は左右のどちらかへ逃避運動を行うことが可能である,の2点が示された。すなわち,逃避運動の際には,脳内の情報処理のみならず,脊髄レベルでの下降性コマンドの取捨選択が非常に重要な役割を果たしていることを示すことに成功した。

 



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