向社会行動の神経基盤

要約

「向社会行動は、自他相同性を出発点として発達し、広義の心の理論を中心とした認知的社会能力を基盤として、共感による情動変化ならびに、社会的報酬によ り誘導される。」との仮説を、機能的MRIを中心に、発達過程の行動解析、病理群との比較、ならびに文化間差異の検出を用いて証明することを目的とする。
 

背景と研究目的

ヒトの社会は、遺伝的に無関係な個体の間での役割分担と協同により成立している。他者を利するための自発的な行為(向社会行動・利他主義)がその本質であ り、ヒト以外の動物には見られない特徴である。向社会行動はヒト固有の脳機能に由来すると考えられる一方で、生物としてのヒトには、他の生物と共通な、個 体保存と目的とする利己的な行動原理が存在する。遺伝子に基づく進化論的モデルでは利他主義の獲得は説明できず、文化的な進化および遺伝子-文化の共存的 進化を考える必要がある。つまり、ヒトの向社会行動の本質を理解するためには、その神経基盤、発達過程、病態、文化影響を、ヒトにおいて調べることが必須 である。
 
ヒトの向社会行動の発達においては、行動にいたるまでの 認知・情動を切り離して考えることはできない。従来、ヒトの向社会行動は、他者視点取得 (perspective taking)と共感(empathy)により説明されてきた。他者視点取得は、他者の思考感情、視点を理解する能力であり、広義の心の理論 (mentalizing、以後心の理論)ともいわれる。共感は他者の感情あるいは他者の置かれている状況を認知して、同じ方向の感情を共有することをさ し、代理的情動反応とも呼ばれる。発達心理学的には、共感を元にした援助の主要な目的は、犠牲者の苦痛を和らげることから、共感的苦痛の回避が状況に際し ての内因的動機であると説明されている(Hoffman 2000)。共感の発達においては、他人に起きていることと自分自身におきていることの区別できることが必須であり、自他についての感覚が共感の発達的変 化に大枠を与えている(Hoffman, 2000)。
 
心の理論の神経基盤は、機能的MRIでよく研究されており、内側前頭前野、後部帯状回、ならびに頭頂側頭連合の関与が報告されている一方、共感の神経基盤 として、mirror neuron system,および辺縁系の関与が示されてきた。mirror neuronとは、他個体の目標思考的な動作の観察、ならびに自らの同様な動作の療法に反応する神経細胞のことで、サルの単一ニューロン計測により前頭葉 F5領域に存在することが記載された。その後、人間の脳機能イメージング研究により、同様な振る舞いを示す領域が、頭頂葉と前頭前野に存在することが示さ れた。他者の運動の知覚と、自己の運動を同一領域で符号化していると目され、mirror neuron system(MNS)と名づけられた。
 
他方、ヒトの向社会行動の発達においては、共感が必要であるが、必ずしも十分ではないとされている。社会交換理論によると、利他行動も、社会報酬を最大に するような行動として選択されるのであり、経済行動と同一の枠組みで説明できるとしている。実際、他者からの良い評判という社会報酬と金銭報酬は、共に報 酬系として知られる線条体を賦活する(Izuma et al. 2008)。これは、他者からの良い評判は報酬としての価値を持ち、脳内において金銭報酬と同じように処理されていることを示している。この結果は、様々 な異なる種類の報酬を比較し、意思決定をする際に必要である「脳内の共通の通貨」の存在を強く示唆する。他方、社会的報酬に特有な活動として、内側前頭前 野の活動がみられたことから、他者から見た自分の評価は、内側前頭前野により表象され、さらに線条体により社会報酬として「価値」付けられることが想定さ れた。すなわち、社会的報酬には、線条体を含む報酬系と、心の理論の神経基盤の相互作用が関与していることが明らかとなった(Izuma et al. 2008)。
 
以上の知見から、共感にはmirror neuron systemの関与が、社会的報酬においては、報酬系の関与が、そして両者に共通して 心の理論の関与が想定される。いずれの系も、その神経基盤に関する 神経科学的な知見が急速に蓄積しつつある。機能的MRIを初めとする、人間の脳機能イメージング技術の急速な進展により、向社会行動の発達を、生物学的基 盤に立ってモデル化し検証する機は熟している。以上から、「向社会行動は、共感的苦痛の回避なる内在的動機と、他者から見た自分の評価という心の理論によ り価値付けられた社会報酬なる外来的動機により誘導される行動であり、共感と心の理論の共存的発達を必要とする」とのモデルを発想した(図3)。
 
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何をどこまで明らかにするか

上述の発達モデルは、自他相同性を出発点とし(Meltzoff, 2007)、続く自他区別によって共感と心の理論が生成され、これらが向社会行動の動機を与える、というものである。自他相同性を出発点においたのは、発 達初期からの模倣行動の存在、前頭葉症状としての強制模倣の存在から、自他相同性が"default mode"であり、発達に伴う制御・抑制機能の付加によって社会能力が発達する、という推論による。このモデルに対応する神経基盤の描出を、正常人に対す る機能的MRIを用いて行い、さらに疾患ならびに文化影響を評価する。乳幼児縦断観察・行動解析により、先行する自他相同性に自己認知に伴う抑制が出現す ることをしめし、学童期縦断観察・行動解析・MRI撮像により、向社会行動の動機に関する発達過程と脳活動パターンの変化を明らかにする。
 
我々は、これまでの研究において、右前頭前野の神経活動が対面している2個体の間で同期していること、そしてそれが共同注意に関連していることを、2個体 同時MRI計測により明らかにした(Saito et al. submitted)。この領域は、mirror neuron systemの一部として、顔面表情模倣 に関連しており、自動的な顔面表情模倣に伴うフィードバックを介して代理的情動反応としての共感に関与していることが想定されている (Iacoboni 2008)。さらに、我々は、この領域が自己認知・自己評価にも関与していることを明らかにしており(Morita et al. 2008)、ここでみられた同期現象は、自他を区別した上での、自他に共通な心理的環境の神経基盤の一部分であると推定している。他方Autism Spectrum Disordersでは、感情表情模倣課題遂行時に、この領域の活動が正常対照群に比べて弱いことが示されている(Dapretto, et al. 2006)。以上から、社会能力は自他相同性を基盤に発達し、前頭葉特に右下前頭前野は、その機能発達に伴い、自他区別、共感に中心的役割を果たすことが 予想される。
 

方法

要約
機能的MRIを用いて、自他相同性、自他区別、制御・抑制機能、共感と心の理論の関係、ならびに向社会行動に関与する神経基盤を明らかにする。さらに、向 社会行動の内在性および外来性動機を与える神経基盤を明らかにする【定藤】。これらの課題を疾患群【小坂・岡沢】、ならびに異なる文化圏群【飯高】へ適用 する。乳幼児縦断観察・行動解析により、先行する自他相同性に自己認知に伴う抑制が出現することを証明する【板倉】。学童期縦断観察・行動解析・MRI撮 像により、向社会行動の動機に関する発達過程と脳活動パターンの変化を明らかにする【小枝】。
 
研究組織と役割
定藤規弘(生理研)成人の機能的MRI及び取りまとめ
岡沢秀彦(福井大学 高エネルギー医学研究センター)疾患群の機能的MRI
小坂博隆(福井大学 医学部精神科)疾患群の機能的MRI
飯高哲也(名古屋大学 医学部精神科)異文化間の機能的MRI
板倉昭二(京都大学 文学部)乳幼児行動解析
小枝達也(鳥取大学 地域学部)学童の縦断的行動解析と機能的MRI
 

科研費の措置

科研S (代表 21220005 2009-2013年度)による。