7. 随意運動の制御における末梢感覚の役割〜シナプス前抑制〜
 我々の脳の働きは多くの神経間のコミュニケーションによって成立しています。そして、このコミュニケーションの度合いを調節する基本的な仕組みの一つとして「シナプス前抑制」という仕組みが古くから知られていました。しかし、この「シナプス前抑制」が我々の行動におけるどのような局面、どのような目的で神経間の連絡を調節しているのかはよくわかっていませんでした。そこで我々は覚醒サルの運動中に脊髄における「シナプス前抑制」の度合いを記録する方法(excitability testing: 興奮性試験)を開発し、サルが手首を用いた単純な随意運動を行っている際に、「シナプス前抑制」がどのように働いているのかを調べました。その結果、サルが手首を能動的に動かしている時に手首周辺の皮膚から脊髄への感覚入力が「シナプス前抑制」によって抑制されていることを見いだしました。またこの「シナプス前抑制」が運動開始前から認められる事から、主に大脳皮質などの上位中枢がそれを引き起こしている事が明らかになりました。これらの結果から、随意運動の制御を行う上位中枢は、筋肉を活動させると同時に、重要性の低い感覚入力を「シナプス前抑制」を使って効果的に抑制していると考えました。我々のこのような研究によって、「シナプス前抑制」の機能的な意義が初めて実証しました (Nature Neuroscience 6: 1309-16, 2003)。
 しかし、上記の成果は随意運動制御におけるシナプス前抑制の機能的意義の氷山の一角を見ているにすぎません。我々の現在の目標は「運動中の感覚入力がなぜ抑制されなくてはならないのか」、そして「その抑制がなぜ一次感覚神経レベルで行われる必要があるのか」、などの疑問に対して包括的な答えを得る事です。現在は、3つの方法でこの問題にアプローチしようとしています。第一にシナプス前抑制によって影響を受ける一次感覚神経が運んでいる情報を詳細に調べる事です。そのために、皮膚神経だけでなく筋感覚神経においても上記の方法を用いて、随意運動中のシナプス前抑制の動態について調べるプロジェクトが進行しています。皮膚神経と筋神経が運搬を担っている感覚情報の質が異なるのは自明の事ですから、これらへのシナプス前抑制の働き方を調べることによって「どのような」感覚情報が抑制されるのかを知る重要な手がかりが得られるのではないかと期待しています。第二にシナプス前抑制を引き起こす上位中枢を同定することです。過去の多くの研究から、感覚や運動を制御する際に大脳皮質の異なった領野はそれぞれ異なった役割を担っていること、そしてそれらの多くから脊髄への直接投射(皮質脊髄路)があることがわかっています。このような下降路への刺激によって末梢神経におけるシナプス前抑制が引き起こされる事はわかっていますが、皮質領域によって末梢神経への抑制の仕方が異なるのか、またそれは動作のどのような側面の制御に貢献するのかはわかっていません。我々はこのような皮質領域毎の制御様式の差異を調べることによって、それぞれによって引き起こされたシナプス前抑制の機能的意義を類推しようと考えています。第三により複雑な運動課題においてシナプス前抑制の動態を調べる事です。例えば末梢感覚の「重要度」が異なる条件下でシナプス前抑制の働きを測定します。もしその「重要度」に相関してシナプス前抑制の程度が変化するならば、シナプス前抑制が運動制御にrelevant な情報をirrelevantな情報から選択的に抽出する、いわばフィルターのような働きをしている事が考えられます。
 覚醒サルの脊髄を対象とした研究は技術的に新しいために困難な問題も多く、上記の研究もまだまだ「チャレンジングな」研究と言わざるを得ません(この技術を有するのはまだ世界で3つのラボのみ)。しかしそれが故に独創性も高く、継続的な研究によって、上記の問題が一歩一歩解決してゆくことが期待されます。
 


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