生理学と脳科学 --「統合生物学」から「統合生理学」へ

【2009年01月19日】

自然科学研究機構 生理学研究所
総合研究大学院大学 生理科学専攻
岡 田  泰 伸

生理学とは何か — 今、タシュケントからの帰途、仁川空港での待ち時間で、改めてそのことを考えている。私達の自然科学研究機構が学術協定を結んでいるウズベキスタン国立大学の90周年のお祝いに出向いたのであるが、その時期にあわせてウズベキスタン生理学会(UPS)大会も開催(2008年11月17日)していただいたので、これにも参加してきた。そこではUPSが本年再興され、FAOPSへの加盟も認められたことにお祝いの言葉を述べさせていただいた。オーガナイザーの一人のSabirov博士が驚かれておられたのは、旅費の工面一つとっても難儀な状況の中で、多くの地域からUPSはじまって以来最多(約50名)の参加者があったことであった。一方、私が驚いたのは、集まった人々の専門分野の広さである。消化生理学などの古典的生理学に加えて、昆虫も含めた動物生理学から植物生理学、そして人工膜研究を中心とした生物物理学から細菌生理学までと様々であった。そもそも「生理学」は「物理学」に対して生きとし生ける物のすべてを対象とする学問としてはじまったことからして、実はその方が当然のことであるのかもしれない。また、未だ小さいコミュニティしか持たない国の生理学会では、情報交流・討論できる仲間として、広い分野の人々が集う気持ちが高いことによるものとも思われる。コミュニティが大きくなり、専門分化が進み、生理学から多くの生命科学分野に学会も分かれてしまった今の私達の状況とは大違いで、ある意味でうらやましくも感じられた。しかし、時はもどせないし、その必要もないが、IUPS2009を主催するこの年のはじめに、改めて現在のわが国の生命科学分野の中での生理学と生理学会のあり方を皆様と共に考え直してみることも有意義なことかもしれないと筆をとることにした。 

 わが国のこの状況の中で生理学会は他の生命科学諸学会と、そのカバーする分野をどう切り分けて、そのアイデンティティを打ち立てるべきか。これまでの経過と昨今の状況から私達は、構造と機能の二面から成り立っている生物の、まずその構造ではなく「機能(ファンクション)」とその「機構(メカニズム)」を取り扱うことに(して解剖学・形態学とは一応の線引きを)しているものと言ってよいだろう。そして、会員個々人がどの生物を対象としてどのレベルにおいて研究をしているかは別として、私達の研究の志向ベクトルを、ヒトを中心とした動物の「身体(からだ)」の「働き(機能)」とその「仕組み(機構)」を解明することに定め(植物生理学や非哺乳動物生理学とは一応の線引きをし)ているものとも言ってよいだろう。その上で私達は、1997年6月に日本学術会議生理学研究連絡委員会の報告として公表した“生理学の動向と展望「生命への統合」”(日本生理学会ホームページ“その他のトピックス”コーナー参照)において、生理学を「統合生物学」として位置づけ、そのアイデンティティを宣言した。その背景には、生命科学は多くの分野に細分化されたが、分子生物学の発展の結果、この世で生きとし生ける物すべては「DNA(⁄RNA)という遺伝子情報」に基づいているという事実が明らかとなったこと、しかし全遺伝子が判ったからといって細胞・組織・臓器・個体の機能の解明には程遠いという事実も明らかとなったことの2点がある。その報告では、今後は遺伝子・分子から個体へのボトムアップ的アプローチのみならず、逆方向のトップダウン的アプローチからも研究が進められるべきであると指摘されたのである。生きとし生ける物を統合的に扱い、多分子機能を統合的に捉え、そのためにボトムアップ的研究 ⁄ トップダウン的研究を統合的に行うという「統合生物学」を、と打ち出したのである。そしてこれ自体は、この今の時点でもなお正しいように思われる。 

 私達が今日の生理学の研究目標に「ヒトの身体の機能とメカニズムの解明」を含めるのであれば、脳研究は2重の意味で生理学研究そのものである。なぜならば、ヒトの最大の特徴はそのよく発達した脳であるからである。脳は、その発達・構造形成の過程において他の臓器・組織の発達・構造形成と不可分の関係を持つなど身体と強い相互関係を持つとともに、脳は不断に他の臓器・組織を統御している。従って、第1に、生理学が「身体」を研究対象とする以上、その身体の一部であり、身体と相互作用する「脳」をも対象とすることは自明である。更には、脳という臓器の固有の機能に「心」 ⁄ 「意識」がある。従って、第2に、生理学が「機能」を対象とする以上、脳の機能である「心」や「意識」(そして「無意識」の1つの形象である「睡眠」)をも対象とすることは当然のことである。 

 事実この間、統合生物学の1つの具現として脳研究への分子生物学的手法の適用が行われ、脳科学研究は大きく発展した。一方、この国の精神的社会状況には著しい悪化が見られ、「いじめ」、「引きこもり」、「無差別殺人」、果ては「子殺し」、「親殺し」などと暗澹たるニュースに満ちあふれており、人々がその解決の道を「脳科学」に求めはじめている。しかしながら、「脳科学」からの安易な解答(1部マスコミを通じて行われている)は未だ極めて危険であるという程に、脳科学の発展は未成熟である。脳科学の発展は、「遺伝子・分子 ⇔ 細胞(ニューロン ⁄ グリア) ⇔ 神経回路 ⁄ 神経・グリア相互連関ネットワーク ⇔ 脳機能」という「統合生物学」的研究によってもたらされつつあるが、まだまだ不充分だからである。特に、それらのレベル間をシームレスにつなぐ研究手法の開発と、神経回路や神経・グリア相互連関ネットワークの働きをリアルタイムに大域的に解察する手法の開発が強く望まれる。これらの開発によって、多くの脳機能は「生きたままリアルタイムに定量的に」(すなわち「生理学的に」)解析され、脳科学は生理学の大きな一翼となることだろう。 

 しかしながら、それだけで充分であるだろうか?これまで述べてきたことからおわかりのように、統合生物学の共通の‘通貨’である「情報」はすべて「遺伝子情報」である。しかしながら、「心」という機能を果たす脳は、人と人との関係(おもいやり、共感、コミュニケーションなど)という社会性や社会的環境にも大きく影響を受けている。人と人の関係における‘通貨’としての情報は、言語・音楽・美術に歌舞・演劇などの「脳情報」である。いずれそれらの1つ1つも遺伝子情報の複合によって説明されうる時代は来るだろうが、それを待っているわけにはいかない。今後しばらくは、遺伝子情報とはレベルを異にするヒトの社会的脳情報からの生理学的研究も推進されていかなければならないのではないだろうか。 

 私は、これらすべてを統合した新しい学問の創出・発展を夢見て、ここではそれを「統合生理学」と呼んでおきたい。ヒトを生物学的存在として遺伝子情報的に捉えると共に、社会的存在として脳情報的にも捉えることができたとき、生理学はヒトの「身体」のみならず「心」をも対象とすることができるようになるだろう。そして、その域に達してはじめて、逆に他の生きとし生ける物とヒトを統合的に取り扱うことのできる「そもそもの生理学」に新しいレベルで立ち還ることができるのではないだろうか。「統合生物学」から「統合生理学」へ、それを近未来の正夢としたいものである。

2009年1月  “ビジョン” (日本生理学雑誌)から転載