現代「生理学」再考(その1)―フクシマと生命原理―

【2012年01月26日】

生理学研究所 岡田 泰伸

 現代社会において求められている「生理学」とは何か?2012年3月末に日本生理学会長を退くに際し、最近感じていることを述べたい。色々と現代社会について日頃感ずることと絡めながらの話となるおそれがあるので、はじめに結論的要点を述べておく。「生理学」とは、①地球命の原に迫る科であり、②人体の命活動機能の論を扱う問であり、かつ③ヒトの活への論的指針を共にぶ文化である。今回は、①について述べたい。
 2011年を、そして現代社会を想うとき、東日本大震災・大津波災害と福島第一原発事故被害(以下、フクシマと呼ぶ)を抜きにしては語れない。地震と津波は天災であるが、その被害を最小化したり、逃れたりするすべがシステムとして人々の間に確立されていなかった点では人災である。原発事故については、海辺に置かざるを得なかった原発に対して、大津波を想定していなかった点においても、使用済核燃料棒などの核廃棄物が自然循環系の中で収まる形で処理できるような循環型工学システムとは全くなっていないにもかかわらず稼働させてしまった点においても、二重に人災である。この核廃棄物から放射能が無害なレベルにまで減少するのには、10万年ともいわれる超長期間(Cf.ホモ・サピエンスが誕生して高々20万年)かかるが、人類はそのうちに最終処理法を見出すだろうから、それまで永久凍土下や地球深層部岩盤内に保管(その実現すらめどが立っていない)すればよい、といった無責任極まりない姿勢を私達人類は取ってきたことになる。そして、その最終処理法としては、ロケットで太陽に持って行って投棄するより他ない、とも真顔で語られている。(事実、人類より文明を進歩させた太陽系外惑星に住む地球外知的生命は、その太陽に対応する恒星に核廃棄物をすでに投棄している可能性があり、そのシグナルを検知することで地球外知的生命の存在を探査しようというプロジェクトがある。)それはともかくとしても、最終処理を含めたコストは厖大なものとなることは自明であるが、いまマスコミで有識者達が論じている各種発電法の費用対効果(電気料金)の比較時には、この点の考慮が全く欠落している。
 フクシマとその後の社会状況を目の当たりにすると、現代社会はいかに電力に負っているかがよくわかる。この際、発電法を原理からさかのぼって考え直すべきではなかろうか。原発も火力発電も、「熱エネルギー → 機械エネルギー → 電気エネルギー」変換に基づいている。これに対して、水力発電や風力発電は、機械エネルギーを直接取り出して利用している。これらはいずれも、磁石を回転させて(電磁誘導的に)電流を産み出すという発電器を用いている。一方、太陽光発電は、光エネルギーを(半導体光電効果によって)電気エネルギーに変換している。いずれにせよ、エネルギー変換時に必然的に起こるロスから考えると、変換ステップは少ない方がよいこと、そして発電所事故の多くはこの熱エネルギーの産成と変換の過程に伴われて発生していること、それらの事実を踏まえての再考が求められている。
 この時機に、現代社会との対比で「ヒトの体も所詮電気仕掛けの機械である」と多くの人が論じているが、果たしてそうだろうか? 確かに、細胞膜を挟んで100 mV(即ち100万V/cm)の電位差を作り出し、その一過性放電とその伝達によって神経や筋肉は不断の働きをしており、「電気生理学」という分野名も成り立っている。しかし、その電位差は、特定のイオンのみに透過を示す(ポアを持つ)膜を挟んでイオン濃度分布に大きな差をつけて、いわゆる拡散電位(液間電位)として電気化学的に蓄電されている。そして必要に応じて、特定のイオン種のみを通すポアを開いて放電させ、それを電気的シグナルとして用いている。それだけではなく、細胞外に多くて細胞内に極めて少ないCa2+をカルシウムチャネルやカチオンチャネルを介して微量流入させて細胞内シグナルとして用い、細胞内に多くて細胞外に極めて少ないアニオンであるATPやUTPやグルタミン酸をアニオンチャネルを開いて流出させて細胞外シグナルとして用いている。それゆえ、「ヒトの体は電気化学仕掛けである」というのが正しい。
 およそ40億年前にこの地球上で生まれた原始生命も、原始海洋の中でそのイオン組成(当時のそれは、現在の血液や細胞外液のイオン組成に近いものと考えられる)とは大きく異なる内環境を、膜で囲んで生み出したことに始まる。即ち、外は高濃度のNa+、Cl−、Ca2+と低濃度のK+が存在するのに対して、内は高濃度のK+と低濃度のNa+とCl−とCa2+を持つという電気化学的な「極性」の形成が、生命の誕生の最初に起こったことであると思われる。今振り返って考えてみると、現代生理学はその「極性」とその「リリース」を巡って展開されてきたことがわかる。神経や筋肉の活動電位の発生メカニズムとしてのホジキン・ハックスレーのNa+説に始まり、それを担う電位作動性Na+チャネルをはじめとする各種カチオンチャネルや、その前提条件を作り出しているNa+ポンプやCa2+ポンプなどの同定と、それらの遺伝子クローニングへと続いてきた。これらはすべて、電気化学的「極性」形成と、その放電的「リリース」に関する研究のうねりであった。これに続いての大きなうねりは、江橋節郎のCa2+説にはじまる一連の細胞内化学的シグナルの研究である。そして現在は、細胞の生死や増殖・分裂や、細胞移動やエンドサイトーシス/エキソサイトーシスや、環境情報センシングなどの、いわばどの細胞も不断に行っている(いなければならない)ハウスキーピング機能に関する研究のうねりである。これらのうねりは、いずれもが細胞膜を挟んでの電気化学的「極性」と「リリース」によっている点で共通している。しかし後者のうねりにおけるその「リリース」では、単に電気的放電シグナルをもたらすにとどまらず、化学的シグナル情報をもたらしたり、水などの物質移送の駆動をももたらしている。
 私の専門とするアニオンチャネルの場合を例に取って、手短に(かなり単純化させて)話をしてみよう。細胞分裂時や細胞移動時や(そもそもは食物摂取・老廃物排泄機能として始まった)エンドサイトーシス/エキソサイトーシス時には、(大域的か局所的かの違いはあるが)細胞容積の変化は不可避である。即ち、細胞内外への水移送が必須であり、それは主としてカチオンチャネルとアニオンチャネルの同時的開口によるKClやNaClの輸送によって浸透圧的に駆動される。この後の細胞容積の調節も同じ原理で行われる。細胞容積の調節が破綻すると(させると)、細胞はアポトーシスかネクローシスで死に至る(ことができる)。このとき膜伸展具合や細胞の大きさをセンスしているのは、TRPカチオンチャネルと容積感受性アニオンチャネルである。TRPカチオンチャネルは、細胞内Ca2+シグナリングにも関与する。一方、容積感受性アニオンチャネルは、細胞外へATPやUTPやグルタミン酸を放出して、細胞外・細胞間シグナリングにも関与する。エキソサイトーシスもこれらの細胞外シグナル放出に関与するが、その関与は(神経伝達物質の場合のように)小胞内に蓄積されていたものを放出するやり方で行うこともあるが、必要時にアニオンチャネルを形質膜に動員(挿入)するやり方でも行っている。因みに、この容積感受性アニオンチャネルには少なくとも2種類あるが、いずれもその遺伝子クローニング/分子同定には(その実現はすぐ手前に来ているが)到っていない。その分子同定は、次の研究展開を大きくもたらす上でも、生命の原理を解き明かす上でも極めて重要である。
 地球上の生命は、電気化学的な「極性」形成と、その電気放電的、化学情報的そして物質移送的な「リリース」という電気化学的現象に負っている。これらを担っている素子が、多種のチャネルやトランスポータ(キャリアとポンプ)である。生理学研究の発展・深化が、地球上の生命の原理を解明する上で、そして更には現代社会をもっとクリーンでエネルギー効率のよいものに変革していくための手がかりを得る上でも極めて重要であり、私達生理学者の責任は重大である。
 最後に、福島や東日本をはやく復興させ、フクシマを考え、現代社会と私達の役割を再考し、わが国が真に「福」の「島」とならんことを念じて、ここで一旦筆を置くことにする。

[2012年1月 日本生理学雑誌 74巻1号  VISIONより転載]