現代「生理学」再考(その3)―知って生活と教育に活かす生理学―

【2012年10月22日】

生理学研究所   岡田 泰伸

 生理学者の良心と慧眼と誠実さを一身に体現されていた高橋國太郎先生がお亡くなりになって、既に一年以上が過ぎた。お会いするたびに「あの仕事は今どこまで進んだの?」と尋ねて下さった方がもうおられない。お亡くなりになる一週間程前にお見舞いにあがった時もそうであった。私の顔を見るなりマスクを取り外されて「あのチャネルはどうなった?」とお聞きになられ、私が諸々の職務や雑用でと言訳をはじめるのを遮るように「何があっても諦めたらダメだよ」と、お辛そうなお身体から、弟子でもない者に励ましと力を与えて下さったのである。
 ヒトが一身をかけて誠実に物事に取り組み、その普段且つ不断の言動で多くの優れた弟子を育てあげて、その他の人々にも大いなる影響を与えること、この事実に私は未来を信ずることができる。その意味で、サイエンスの場合には広い意味での“スクール”の重要性と再位置付けの必要性も感ずる。一方、私達生理学者は現在、ともすれば自信を無くしがちである。しかし、國太郎先生のような生理学者を生んだ土壌と、それによって育まれた文化を思うとき、大いに自信を持ってよいし、また自信を持って将来に臨むべきであると思い、再びペンを執ることにした。生理学のVISIONとして、前々回(74巻1号)と前回(74巻2号)には、①「地球命の原に迫る科」としての生理学と、②「人体の命活動機能の論を扱う問」としての生理学について述べたが、今回は③「ヒトの活への論的指針を共にぶ文化」としての生理学について述べたい。
 医術が生理学を基礎を置く近代科学としての医学に変革された19世紀以来、生理学は正常な人体生命機能とそのメカニズムの研究をする学問と位置付けられて、異常で病的な状態を扱う学問とは峻別されてきた。しかし、最近の医学の発展によって、生理的状態と病理的状態はある種の連続性の中で捉えられるべきであり、病態への移行の端緒を切るものは生理的応答であり、更には病態へ移行した後に働いている分子反応の多くも生理的状態で機能していたものそのものであることが判ってきた。私の分野で1つ例を挙げると、細胞生存に関わる細胞容積調節を担うイオンチャネルが、逆に細胞死の誘導をもたらす機能をも果たしていることが判ったことなどである。そしてまた、現代の生理学は生理機能とそのメカニズムの因果律的解明を求めてやまないが、そのアプローチに色々(侵襲的実験や遺伝子操作やBMI技術は前回述べた通りで)あるが、病態解明もまたその1つとなっている。本年3月の日本生理学会松本大会記念講演会において永井良三先生が「医学生理学の真髄は適応と破綻の皮膜にあり」と、まさに卓見された通りである。更には、このような病態生理学研究の推進によって、臨床医学へ基礎情報を提供すると共に、看護・介護・リハビリテーションなどのコメディカル分野にも役立つ知識を提供することができ、結果として国民の健康に大きく貢献することにもなるのである。
 正常な状態から病態への連続性へと拡張された生理学的知識は、国民の健康な生活の維持と、疾病の予防に大いに役立つにちがいない。この財政の逼迫した我国においては、健康維持・疾病予防に力を入れることによって医療費削減に寄与することがとりわけ必要とされている。更には、少子高齢化社会であり、且つ高度文明化高ストレス社会である我国においては、生活環境に病態移行しやすい条件や因子が満ちており、生理学の知識・情報を、人々の生活に活かしていただくことはとても重要で有用である。私の分野で1つ例を挙げると、体液浸透圧を正常に保ち、脱水を防ぐことに心がけなければならない要因が現代社会には満ちていることである。戸外が低温・低湿度の冬に気密性の高いオフィスやマンションの室内を暖房した時には、湿度は相当低くなる(戸外の気温5℃、湿度50%の場合、室内温度を25℃に上げると室内湿度は15%まで低下する)し、飛行機内の湿度は(機体金属が結露で腐食しないよう)20%以下に保たれているので、長時間そこに滞在すると不感蒸発により脱水が引き起こされやすく、その影響は老人や小児ほど受けやすい。脱水の持続は、脳細胞の容積変化とホルモンや液性因子の分泌の変調を介して、重篤な脳・神経障害をもたらし、殊に老齢者には脳梗塞・心筋梗塞などの循環器系障害をももたらすことになる。
 生理学はこれまで以上に、人々の生活や暮らしと直結したものとなっていくし、そうでなければならないことは、これまで述べてきたことから容易に理解していただけると思う。第1に(前々回述べたように)、生命の原理を解明する生理学の知識は、生体原理をミミックするエコでクリーンな未来社会に不可欠の情報を与えて行くだろう。第2に(前回述べたように)、脳情報をも内包させた統合生理学、すなわちヒトのからだとこころを統合的に解明する生理学の知識は、「外化した脳」としての高度文明社会における現代人の疎外という問題を解決していく上で不可欠の情報を与えて行くだろう。そして第3に(今回述べているように)、病態生理学を内包して正常から病態までを連続的に捉える新しい生理学の知識は、高ストレス社会や高齢化社会での変調を不可逆となる前に引き戻して復調させ、疾病を予防して健康な生活を維持する上で不可欠の情報を与えて行くだろう。
 しかし、そのような状況は必然的に生まれ、その事実は広く国民に認められていくものと、手をこまねいて見ていてよいわけはなく、積極的に教育と情報発信に務めなければ、その実現は得られない。生理学者や生理学会が旧態依然であってはならず、上記の3点を社会に発信すると共に、その発信をオートクリン的に受容して自らが変わり続けなければならない。その発信は、5つの「教育」レベルでなされる必要がある。まず第1に、生理学研究者自らとそれに続く若手生理学研究者や未来の若手達に“スクール”的になされることである。第2には、医学教育の場で、生理学が病態につながるものとしてより明瞭に見える形でなされることである。第3には、看護・介護・リハビリテーションなどのコメディカルの教育の場で、生理学がからだの働きと仕組みに関する因果律的な知識を与えると共に、からだとこころの統合的な知識と、病態へと連続的につながる知識としてなされることである。第4には、初等・中等教育の場で、保健・体育・家庭科などの教科においても、生理学が人々の健康な生活へ理論的指針を与えるものとして取り入れられてなされることである。第5には、広く国民に生理学の知識を役立てていただくよう情報発信がなされることである。例えば、母子隔離や児童虐待と精神障害の関係など、枚挙の暇もない深刻な社会問題につながる多くの事例については、広く国民へ情報発信すると共に、初等・中等教育の場においても科学的知識として提供される必要がある。生理学会は、トップサイエンスリサーチの発表と情報収集・交換の場であることに加え、上記の種々のレベルの教育の実現のための情報収集・交流の場でもある必要があると考える。そして、生理学の社会への貢献が実例で分かり易く示すことができるような状況が生みだされることを期待する。
 生理学は、地球生命の原理を解明し、脳を含む人体の機能とそのメカニズムを因果律的に解明し、ヒトのからだとこころの働きを統合的に解明し、これらを病態への連続性の中で解明することによって、それらの知識を種々のレベルでの教育に生かすと共に、人々の生活に活かされる学問にならなければならないし、なることができると確信している。


[2012年9月 日本生理学雑誌 74巻5号  VISION(167-168ページ)より転載]