生理学研究所の目標・使命と今後の運営方向

2007.7.17
2009.5.27
2011.1.24 改訂
生理学研究所長 岡田泰伸

1.生理学研究所の目標と長期展望

人体基礎生理学は、人体の生命活動とそのメカニズムを解明する学問であり、人々が健康で心豊かな生活を送るための科学的指針を与えると共に、病気の発症メカニズムを解明するための基礎となる科学的情報をも与える学問である。自然科学研究機構生理学研究所は、この人体基礎生理学の研究・教育のための唯一の大学共同利用機関であり、創設来の「生体を対象に分子、細胞、器官、個体レベルの研究を推進し、究極において人体の機能を総合的に解明することを目標とする」という申し送り事項を堅持している(図1参照)。
ヒトを「考える葦」としてヒトたらしめているのは、よく発達した脳である。また、脳は人体の全身の臓器や組織との間で、それらを統御・調節すると共に、それらからも影響を受けているという双方向的相互関係を結んで、生体恒常性を維持している。それゆえ、人体における脳・神経系の役割や生体恒常性に関する基礎的研究は、生理学において極めて重要な位置を占めている。そのような理由から、生理学研究所は当面、その研究対象の中心に脳・神経系と生体恒常性を据えている。それらの研究は分子・細胞レベルにおける一般生理学(分子細胞生理学+生物物理学)的研究を基礎にして統合的に研究を進めるという視点で行い、あくまで人体の中における位置づけのもとに、因果律的な解明を目指していきたいと考えている。
大学共同利用機関法人自然科学研究機構

 脳研究にウエイトを置いた生理学研究所への舵取りは、1991年に脳磁場測定装置(脳磁計MEG)の導入を決断された江橋節郎第2代所長により行われたが、2004年の法人化後も堅持されている。このように法人化後の第Ⅰ段階にあたる現在も、「人体の仕組みについて脳機能を中心に解明する脳科学的生理学」に力点をおいた研究を更に協力に推進していく。そして、近い将来の第Ⅱ段階には「脳と人体各器官・組織との相互作用を解明し、全人体機能を脳機能との相互関係の中で統合的に解明する人体統合生理学」に力点を移した研究を行えるよう、その基盤を固めていくのも現在の課題である。更に遠い将来の第Ⅲ段階においては、「諸学を取り込んだ総合人間科学としての人間科学的生理学」に取り組むための総合的な大学共同利用研究機関になっていくべきものと考え、それに向けた基礎固めを行っていくことも現在の課題である。このような長期的展望(図2参照)に基づいて、生理学研究所のミッションも明確に位置付けられた上で実行されていき、種々の環境整備も行われていく必要があると考える。
人体基礎生理学の研究・教育のための唯一の大学共同利用機関

2.生理学研究所の使命

 大学共同利用機関としての生理学研究所は、現在次の3つの使命を果たしており、今後も果たし続けていかなければならないと考えている

1)世界トップレベル研究推進: 生理学研究所は、分子から細胞、組織、器官、そしてシステム、個体にわたる各レベルにおいて先導的な研究、世界トップレベルの研究をすると共に、それら各レベルにおける研究成果を有機的に統合し、生体の働き(機能)とその仕組み(機構:メカニズム)を解明することを第1の使命とする。この第1の使命の遂行・達成こそが、次の第2、第3の使命の達成のための前提条件となる。

2)共同利用研究推進: 生理学研究所は、全国の国公私立大学をはじめとする国内外の他研究機関との間で共同研究を推進するとともに、配備されている最先端研究施設・設備・データベース・研究技術・会議用施設等を全国的な共同利用に供することを第2の使命とする。その共同利用研究推進のために多彩なプログラムを用意する。

3)若手研究者育成・発掘: 生理学研究所は総合研究大学院大学・生命科学研究科・生理科学専攻の担当や、トレーニングコースや各種教育講座の開催によって、国際的な生理科学研究者へと大学院生や若手研究者を育成すること、そして全国の大学・研究機関へと人材供給すること、更には人体の働き(機能)とその仕組み(メカニズム)についての初等・中等教育パートナー活動や学術情報発信活動によって未来の若手研究者を発掘することを第3の使命とする。

3.生理学研究所における研究の当面の柱

 生理学研究所はその第1の使命「世界トップレベル研究推進」を果たすために、当面、次の6つを柱にして脳と人体の機能と仕組みの基礎的研究を推進していく(図3参照):
生理学研究所の現在の研究の6本柱

1)機能分子動作・制御機構解明

―主として分子・細胞レベルの研究によって分子・超分子から細胞への統合を―
 すべての細胞の働き(機能)は分子群の働きとそれらの協同によって支えられており、生理学研究所では、その詳細の解明を目指している。
 特に、チャネル、レセプター、センサー、酵素などの機能タンパク質と、それらの分子複合体(超分子)の構造と機能及びその動作・制御メカニズムを解析し、細胞機能へと統合し、それらの異常・破綻による病態や細胞死メカニズムを解明する。また、神経系細胞の分化・移動や脳構造形成などに関与する機能分子を見いだし、その動作メカニズムを解明する。また、その分子異常による病態を明らかにする。

2)生体恒常性維持・脳神経情報処理機構解明

―主としてマウス・ラットを用いた研究によって細胞から組織・器官・個体への統合を―
 生体恒常性維持と脳神経情報処理の働きは、不可分の関係を持ちながら人体の働きにおいて最も重要な役割を果たしている。それゆえ、生理学研究所ではそれらのメカニズムの解明に、最も大きな力を注いでいる。
 特に、疼痛関連行動、摂食行動、睡眠・覚醒と体温・代謝調節などの生体恒常性維持の遺伝子基盤及びそれらの環境依存性・発達・適応(異常)の解析を、そしてシナプス伝達機構とその可塑性や、神経回路網の基本的情報処理機構とその発達、およびニューロン-グリア-血管ネットワーク連関などの解析から、脳の可塑性(とその異常による病態)の解明を、主としてマウスとラットを用いて行う。

3)認知行動機構解明

―主としてニホンザルを用いた研究によって脳と他器官の相互作用から個体への統合を―
 ヒトの脳機能の多くと相同性を示すのは、ニホンザルなどのマカクザル以上の霊長類であり、生理学研究所はニホンザルを用いての脳研究に力をいれている。
 特に、視覚、聴覚、嗅覚、他者の認知、注意や随意運動などの認知行動機能の解明には、ニホンザル(などのマカクザル)を用いた脳と他の感覚器官や運動器官との相互関係に関する研究が不可欠である。これらは、パーキンソン病をはじめとする神経難病の病態解明や、脊髄や大脳皮質一次視覚野の損傷後の回復機構の解明や、ブレインマシンインターフェイス(BMI)の基盤技術の開発につながる基礎研究となる。脳機能(ソフトウエア)と脳構造(ハードウエア)の対応の因果律的解明は、生理学の目標の1つであるが、マシン表現可能な脳内情報抽出の基礎研究や、霊長類動物脳への改変遺伝子発現法の開発によって、これを実現する大きなステップが与えられる。

4)高度認知行動機能解明

―主としてヒトを対象とした研究によって脳機能から体と心と社会活動への統合を―
 より高度な脳機能の多くは、ヒトの脳のみにおいて特に発達したものであり、生理学研究所では、非侵襲的な方法を用いて、ヒトを対象とした脳研究を展開している。
 特に、ヒトにおける顔認知、各種の感覚認知や多種感覚統合、言語、情動、記憶及び社会能力などのより高度な認知行動とその発達(異常)についての研究は、ヒトを用いた非侵襲的な研究によってのみ成し遂げられる。これらの研究によってヒトのこころとからだの結びつきを解明する。また、ヒトの精神発達過程における感受性期(臨界期)を明らかにし、脳・精神発達異常解明のための基礎的情報を与える。更には、ヒトとヒトの脳機能の相互作用の解明から、ヒトの社会活動における脳科学的基盤を解明する。

5)四次元脳・生体分子統合イメージング法開発

―階層間相関イメージング法の開発によって分子・細胞・神経回路・脳・個体・社会活動の6階層をシームレスに繋ぐ統合イメージングを―
生理学研究所では、分子・細胞から脳・人体に適用可能な各種イメージング装置を配備して共同研究に供している唯一の共同利用機関であり、脳と人体の働きとその仕組みを分子のレベルから解明し、それらの発達過程や病態変化過程との関連において、その四次元的(空間的+時間的)なイメージング化を進める(図4参照)。
法人化後の第一期(2004-2009年)においては、超高圧電子顕微鏡(HVEM)、位相差電子顕微鏡、多光子レーザー顕微鏡、機能的磁気共鳴断層画像装置(fMRI)、近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)、SQUID生体磁気測定システム(脳磁計MEG)等の最先端イメージング装置を駆使しての各階層レベルにおける研究と共同利用実験を推進してきた。第一期の最終年度である2009年度にはdual fMRIの配備が行われ、これを用いての“社会脳“研究にも踏み出した。第二期(2010-2015年)においては、分子、細胞、脳のスケールを超えた統合をしていくために、各階層レベルの働きを見る特異的イメージング法とその間をつなぐ数々の相関法の開発を成し遂げていく(図4参照)。神経情報のキャリアーである神経電流の非侵襲的・大域的可視化はその重要性が指摘されながらも未踏である。サブミリメートル分解能を持って非侵襲的に刺激を与えながら脳内電気シグナルを計測しうる新しい生体電磁気計測システム(アクティブEEG/MEG)法がこの未踏技術に近い。これらの研究を進め、神経回路レベルと脳レベルの接続を実現する。更には、無固定・無染色標本をサブミクロンで可視化して細胞・分子活性を光操作しながら観察しうる多光子励起レーザー顕微鏡法を開発し、細胞・シナプスレベルから神経回路網レベルの接続を実現する。また、無固定・無染色のレーザー顕微鏡用標本をそのままナノメーター分解能で可視化することができる低温位相差超高圧電子顕微鏡トモグラフィーを新規開発して、分子レベルと細胞レベルを接続させる。一方、分子レベルからヒト個体レベルを接続するための相関法として、分子イメージングを可能とするMRI 分子プローブ法を開発していく。分子レベルから脳・神経ネットワークレベルへの接続は、当面は網羅的行動様式解析によっておこない、将来的には(プロトンのみならず炭素やリンのイメージングも可能な)超高テスラfMRIの開発やPETの配備によって実現することを計画している。これらの三次元イメージングの統合的時間記述(四次元脳・生体分子統合イメージング)によって、精神活動を含む脳機能の定量化と、分子レベルからの統合化、およびそれらの実時間的可視化を実現する。
四次元脳・生体分子統合イメージング法開発

6)モデル動物開発・病態生理機能解析

―主として病態モデル動物を用いた研究によって病態生理機能の解明を―
統合的な生理学研究を推進していくために、病態基礎研究も組み込んだ研究を進めていく。この研究を、遺伝子改変マウス・ラットや遺伝子導入サルにおける病態表現型を用いて進めるとともに、ヒトの病態に関する知見とも照らし合わせていくことも必要である。これによって、分子からヒトの個体そして社会活動に至る6階層を繋ぐ研究が可能となる。生理学研究所では、これまで多数のトランスジェニック(TG)マウスやノックアウト(KO)マウスを作成・供給してきたが、これらにおいて病態表現型を示すものが多くなってきた。生理学研究所ではこれらの遺伝子改変マウスの他に、TGラットの作成・供給にも大きな実績があったが、更に2010年には待望のKOラット作成技術の確立も「遺伝子改変動物作製室」によって実現された。今後、これらの遺伝子改変ラットにおいても、病態表現型を示すものが得られてくると考えられる。ラットはマウスと比較して、より複雑な行動様式の解析ができるうえ、脳の大きさが大きくてin vivo電気生理学的研究の対象としやすく、これまでの生理学的研究成果の積み重ねも多いため、病態生理学的研究に優れたモデルとなる。更には、「霊長類遺伝子導入実験室」が稼働しはじめ、病態モデル霊長類動物の開発も期待できるようになった。これらのモデル動物を用いての行動レベル表現型の網羅的解析を「行動様式解析室」で、代謝生理機能レベルの表現型の網羅的解析を「代謝生理解析室」で行っていくことが必要があります。病院や臨床部門を持たない生理学研究所は、他の臨床的医学研究機関との連携や共同研究が、必要とされるでしょう。これらの研究は、2011年度から開始の特別経費プロジェクト「ヒトとモデル動物の統合的研究による社会性の脳神経基盤の解明」によって支えられる。

4.生理学研究所における共同利用研究

生理学研究所はその第2の使命「共同利用研究推進」を果たすために、次の8つを軸にした共同利用研究を推進していく

1)最高度大型および最新開発のイメージング機器による共同利用研究 (図5参照)

 世界唯一の生物専用機であり、常時最高性能に維持されている超高圧電子顕微鏡(HVEM)や、脳科学研究用に特化改良された全頭型の脳磁計(MEG)や、ヒトやニホンザルにおいて計測可能な3テスラ磁気共鳴装置である機能的MRI生理動画像解析装置(fMRI)など、他の国内機関では配備されていないような優れた特徴を持つ最高度大型イメージング機器を、「共同利用実験」に供する。ヒトの社会的相互作用時における神経活動描出のために2009年度に配備した2台のfMRIで構成される同時計測用高磁場磁気共鳴画像装置(dual MRI)も2011年度より「共同利用実験」に供していく。
 世界最高深部における生体脳内リアルタイム微小形態可視化を可能とした二光子励起レーザー顕微鏡や、無固定・無染色氷包埋標本の超微小形態観察を世界で初めて可能とした低温位相差電子顕微鏡などの、生理学研究所が自ら開発した最新のイメージング装置とその周辺技術をコミュニティにオープンし、その使用を特定した形の「計画共同研究」を、全国の研究者からの公募によって実施していく。
大中型機器・最先端技術・モデル動物の提供

 これら生理学研究所が具有するイメージング技術・設備・装置を、全国の国公私立大学・研究機関の研究者からの公募によって実施する「一般共同研究」にも広く供し、発掘された問題への解答や萌芽的な研究の育成にも資するように努める。

2)異分野連携共同研究ネットワークの中心拠点の形成 (図6参照)

異分野連携共同研究ネットワークの中心拠点の形成 (図6参照)  「脳がいかに形成され、どのような原理で作動しているのか」という脳研究の中心課題の解明には多くの異分野の研究者による多次元的連携が不可欠である。このような異分野連携的脳科学研究を推進するために、2008年4月に設置した「多次元共同脳科学推進センター」において、全国の多様な分野の脳科学研究者の共同研究・若手研究者育成ネットワークの中心拠点を担っていく。
 この「多次元共同脳科学推進センター」に多数の客員教授と併任教授を迎え、当面はBMIの「医工連携」的開発に不可欠であるマシン表現可能な脳内情報の抽出に関する基礎研究を行う「脳内情報抽出表現研究」と、脳病態モデル霊長類動物の作成に不可欠であるニホンザル脳・マーモセット脳への遺伝子発現技術の開発を進める「霊長類脳基盤研究開発」、そしてわが国における今後の脳科学研究のあり方を考究して新しい研究領域を開拓する「脳科学新領域開拓研究」を推進する。更には、2009年4月に新設した「流動連携研究室」において、他機関の若手研究者が、サバティカル制度等を利用して、客員教授・客員准教授・客員助教として3-12ヵ月間岡崎に滞在し、生理研の大型機器・研究施設を活用して集中的に共同研究し、新しい切り口での研究に挑み、次なる研究展開を図る機会と場を提供する。
 全国の脳科学者と討論して「多次元共同脳科学推進センター」の今後の運営方針を決定し、「文理融合」的なアプローチによる情動、社会能力などの「からだとこころの相互関係」の解明を異分野連携的に推進する中核拠点ともなっていく。新しい四次元脳・生体分子統合イメージング法の開発によって、分子からこころへと脳機能を統合的に理解し、脳科学に求められている種々の社会問題・教育問題からの要請にも異分野連携的共同研究の展開で応えていくことができる。
異分野連携共同研究ネットワークの中心拠点の形成

 これらの活動を、自然科学研究機構新分野創成センター・ブレインサイエンスネットワーク研究分野と協力・連携を取りながら推進し、これを実質的に支えていく。
また、生理学研究所は、「岡崎統合バイオサイエンスセンター」の一翼を担い、基礎生物学研究所、分子科学研究所と連携協力しながら“分子-分子間相互作用と分子-環境間相互作用による生命体機能形成の統合的研究”を推進し、更には「機構内分野間連携事業」を積極的に担い、更に広い研究領域とも連携して異分野連携共同研究を推進していく。

3)モデル動物の開発・供給とその行動様式・代謝生理機能解析システムの共同利用 (図5参照)

 「多次元共同脳科学推進センター」にNBR事業推進室を置き、「ニホンザル・ナショナルバイオリソース(NBR)プロジェクト」の中核機関として、脳科学研究実験動物としてのニホンザルを全国の研究者に安定的に供給する。更には、ニホンザルやマーモセットの脳の特定部位への遺伝子発現法を開発していくが、その技術やそのための「霊長類遺伝子導入室」を共同利用研究に供していく。そして将来的には、脳病態モデル霊長類動物を作成し、これを全国共同利用研究に供給することも目指す。
 「行動・代謝分子解析センター」の「遺伝子改変動物作製室」において、遺伝子改変マウスのみならず、遺伝子改変ラットを共同で作製して供給するための「計画共同研究」を推進していく。また、それらの遺伝子改変マウス/ラットの行動様式と代謝生理機能の網羅的な解析システムを「行動様式解析室」と「代謝生理解析室」に配備し、「計画共同研究」に供していく。

4)研究会、国際研究集会、国際シンポジウムの開催

 保有している各種会議室、共同利用研究者宿泊施設をフル稼働させて、多数の「研究会」、「国際研究集会」、「国際シンポジウム」を全国の国公私立大学・研究機関の研究者からの公募・審査採択によって開催していく。これらを通じて、新しい人材の生理学・神経科学分野への参入の促進と、全国的・国際的共同研究の更なる促進をはかると共に、全国の研究者による新たな研究分野の創出にも寄与していく。

5)長期滞在型国内共同利用研究の推進

 他機関の若手研究者がサバティカル制度等を利用して、「流動連携研究室」の客員教授・客員准教授・客員助教として3-12ヶ月間岡崎に滞在し、生理学研究所の大型機器・研究施設を活用して密に共同研究し、新しい切口での研究に挑み、次なる研究展開を図る機会と場を提供する。

6)長期滞在型国際共同利用研究の推進

 諸外国研究機関においてポストを有する優れた研究者を、サバティカル制度等を利用して、外国人客員教授・外国人客員研究員として3-12ヶ月間岡崎に招待し、国際的共同利用研究を密に推進する。

7)日米脳科学共同研究の推進

「科学技術における研究開発のための協力に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」に基づき、日米科学技術協力事業の非エネルギー分野の一つとして、脳科学に関する共同研究を実施し、我が国の脳科学分野の研究水準の向上と、日米間の共同研究関係をさらに発展させるために、研究者派遣、グループ共同研究、意見交換セミナーの3事業を、全国からの公募によって推進する。

8)各種研究技術・データベースの共同利用的供給

 生理学研究所が持っている最先端で高度の研究技術や研究手法や研究ソフトウエアなどをすべてデータベース化しはじめている。また、脳と人体の働きと仕組みについての正しい教育情報についてもデータベース化していく。これらのデータベースはすべてホームページ上で公開し、共同利用に供していく。

5.若手生理科学者・若手脳科学者の育成・発掘

 生理学研究所はその第3の使命「若手研究者育成・発掘」を果たすために、多様なプログラムを提供して、次の5つの取り組みを推進していく

1)総合研究大学院大学生命科学研究科生理科学専攻としての大学院教育(図7参照)

総合研究大学院大学生命科学研究科生理科学専攻としての大学院教育

 総合研究大学院大学の基盤機関として、めぐまれたインフラとマンツーマン教育を可能とする豊富な教員数を生かして、5年一貫制大学院教育を行い、国際的生理科学・脳科学研究者を育成し、全国・世界に人材供給していく。脳科学専攻間融合プログラムを中心的に担い、他専攻(基礎生物学、遺伝学、情報学、統計科学、生命共生体進化学、メディア社会文化等)の協力を得て、新たなカリキュラムを作成・実施し、分野を超えた脳科学教育を推進する。更には、他大学からの受託によっても多数の大学院生の教育・指導を行っていく。

2)博士研究員制度の充実化

 生理学研究所独自の博士研究員であるNIPSリサーチフェローを各部門・施設に1名配置し、特任准教授、特任助教などの若手研究者も増員し、毎年公募採択の形で若手研究者育成のための研究費や研究発表のために旅費(国内外)の支援を行っていく。日本学術振興会特別研究員や、科研費やJSTなどの外部資金雇用の特任助教(プロジェクト分)やプロジェクト博士研究員にも、同様の若手育成措置を講ずる。

3)異分野連携若手研究者育成・大学院生脳科学教育プログラムの中心拠点の形成

 「多様な分野に精通した若手脳神経科学者の育成のために、全国の国公私立大学・研究機関に分散した、(基礎神経科学、分子神経生物学、工学、計算論的神経科学、計算科学、臨床医学、心理学などの)多くの異なる分野の優れた脳科学研究者を集結して、大学の枠を超えたネットワーク的異分野連携若手研究者育成・大学院生脳科学教育プログラムを推進する中心拠点を担っていく(図6参照)。そして、本プログラムの成果や評価に基づき、全国の大学との意見調整によって必要となれば、その発展線上に総研大における「脳神経科学専攻」の新設も目指していく。

4)各種トレーニングコース・レクチャーコースの開催

 「生理科学実験技術トレーニングコース」を毎夏開催すると共に、「バイオ分子センサーレクチャーコース」も開催する。また、「異分野連携脳科学レクチャーコース」や「同トレーニングコース」も近い将来開催する。これらによって、全国の若手研究者・大学院生・学部学生の教育・育成に多彩な形で取り組んでいく。

5)最新の生理科学・脳科学研究・教育情報の発信と未来の若手研究者の発掘

 「広報展開推進室」を中心にして、生理研ホームページから“人体と脳のはたらきとそのしくみ”についての正しい情報の発信を行い、せいりけんニュースを通じて市民・小中学校教師・小中高校生にも最新の学術情報をわかりやすく発信していく。また、岡崎保健所との共催によるせいりけん市民講座を定期的に開催し、岡崎市医師会や岡崎歯科医師会との共催による医師会講演会を開催し、岡崎市民や医師・歯科医師へも最新の生理科学・脳科学学術情報を発信していく。3年に1回「一般公開」を開催するとともに、常時「広報展示室」をオープンし、一般の方々にもこれらの学術情報の発信を行うとともに学術研究の重要性を訴えていく。更には、岡崎市の小中学校の「出前授業」や、岡崎高校の「スーパーサイエンスハイスクール」への協力や、岡崎市内小中学校理科教員を対象とした「国研セミナー」の担当などを積極的に引き受けていき、未来の若手研究者としての子供達を発掘・育成していく。

6.今後の生理学研究所の運営方向

上記の生理学研究所の使命を果たし、その目標に近づくために、今後の運営において次の6つの点に留意していく

1)生理学研究所は、分子から個体へと統合していくという研究姿勢においても、研究者個人の自由発想に重きをおいて問題発掘的に研究を進めていくという研究態度においても、そして全国の国公私立大学・研究機関から萌芽的研究課題提案を広く受け入れて共同研究を行うという研究所方針においても、あくまでボトムアップ的な形で研究を推進していきたい。

2)本来、生理学は閉鎖的な学問ではなく、多くの異なる分野との交流によって絶えず自身を革新してゆくべき学問である。また、事実これまでの「ノーベル生理学・医学賞」の対象となった研究の多くは、異分野との交流や、異分野における研究・実験手法の導入によって成し遂げられてきた。従って、生理学や生理学研究所の将来の発展の道は、異分野との交流によって切り拓かれるものと考えられる。今後、異分野連携の全国的なネットワークを構築し、その中心拠点を担っていきたい(図6参照)。異分野連携の接点の場として、“膜タンパク質研究”や“バイオ分子センサー研究”などの分子レベルの研究分野のみならず、新しい“四次元脳・人体分子イメージング法”の開発というイメージングサイエンスの領域(図4参照)や、更に幅広く、“脳の形成や作動原理の解明”に広げ、特に“BMI開発のための基礎研究”や“霊長類動物脳遺伝子発現技術開発”や“社会行動神経基盤研究”などの脳科学研究にも求めていきたい(図6参照)。

3)生理学研究所はヒトの脳の非侵襲的研究のためにMEGやfMRIやNIRSなどのイメージング装置を先駆けて導入・配備して来た。これに加えて、最近、低温位相差電子顕微鏡法の開発に成功し、更にこれを発展させて低温位相差超高圧電子顕微鏡法の開発へと歩を進めている。また、二光子励起レーザー顕微鏡法を用いて、生体内で生きたままの脳のイメージングを世界最高深部において可能とする技術を開発し、更にこれを発展させて人体の任意の組織・器官における生体内イメージングと生体機能光操作を可能とする新しい多光子励起レーザー顕微鏡法の開発へと進みはじめている。今後は更に、人体や動物個体の非侵襲的生体内分子イメージングを可能とするMRI分子プローブの開発や、サブミリメータ分解能で脳神経回路活動を捉えうる新しいアクティブEEG/MEGの開発も行っていきたい。これらの開発と、マルチな装置や技術の配備とその共同利用化によって、生理学研究所を我が国における脳・人体の生体内分子イメージングの一大センターとして確立したい(図4参照)。

4)生理学研究所の3つの使命の遂行が、コミュニティや国民からよりよく見える形で行われるように、「広報展開推進室」が中心となって学術情報の発信や広報活動に力を入れて行きたい。その対象の第1はコミュニティの研究者であり、第2は他分野を含めた大学院生や若手研究者であり、第3は生理学を学ぶ種々の学部の学生であり、第4は未来のサイエンティストを育成する初等・中等・高等学校の理科・保健体育の教員であり、第5はTax Payerとしての国民である。いずれの階層をも対象とできるように、ホームページを多層化して充実させ、人体と脳の働きとその仕組みについての最新で正確でわかりやすい学術情報発信をして行きたい。それらの広報をより効率的かつ視覚的なものとするために、「技術課」と「点検連携資料室」が中心となって、各種の研究・教育・技術情報をデータベース化する取り組みを推し進めている。更には、「技術課」と「点検連携資料室」と「広報展開推進室」が中心となって、将来的に空間軸に時間軸を加えた四次元脳イメージングをまず構築し、それをステップにして四次元人体イメージングの構築を目指したい。

5)生理学研究所は、広範な生理科学分野や脳神経科学分野の研究者コミュニティによって支えられている。研究所運営は、これまで通りこれらの研究者コミュニティの意向を踏まえて行っていく。更には、研究者コミュニティによる今後の学術研究の方向やプロジェクトの策定、並びに新しい研究資金の獲得方法の構築などにおいても、生理学研究所は合意形成の場・プラットホームとしての役割やハブ機関としての役割を果たしていきたい。

6)生理学研究所の使命の遂行は、研究者のみによって成し遂げうるものではなく、技術サポートを行う人々、事務サポートを行う人々、そして大学院生の方々など、研究所を構成するすべての職種の人々の協力によってはじめて成し遂げられるものである。全ての構成員が、それぞれの職務に自覚と誇りをもちながら、お互いに協力できる活気に満ちた職場環境を作り、広く研究者コミュニティに開かれた運営を行っていきたい。

7.付言)

生理学研究所は1977年5月創設来この30数年間、多くの諸先輩および研究者コミュニティの皆様のご努力・ご尽力と、多方面の方々の強力なご支援により、数々の優れた成果をおさめながら着実な発展を遂げてきました。以下に、外部の著名研究者からいただいた最近の評価コメントの一部を紹介します
① ドイツ国マックスプランク研究所Erwin Neher教授(1991年ノーベル生理学・医学賞受賞者)の2007年5月の30周年記念式典への祝辞(図8参照)にもあるように、国際的に高い評価を受けてきました: 「A National Institute of Physiology - that is what many physiologists world wide are dreaming of. Let me congratulate the Colleagues in Japan on the occasion of the 30th anniversary of SEIRIKEN. You have achieved that dream long time ago and have managed over 30 years to turn it into an excellent and internationally shining research institution.」

② 2007年12月に行われたリバプール大学Ole Petersen教授(英国生理学会長)によるサイトビジット外部評価において、次の結語文にもあるように高い評価を頂いています: 「Final Conclusion – NIPS is an outstanding institution doing cutting-edge research over a wide range of very important areas of physiological sciences. It is one of the most visible, effective and highly regarded research institutions in Japan and compares well with the best research institutes run by, for example, the Max Planck Society in Germany and the Medical Research Council in the UK. It deserves all possible support from the Japanese government and it would be sensible to exploit the enormous potential for future work by an increase in the budget allocation to the Institute.」
③ 2010年3月に行われた国立精神・神経センターの高坂新一所長(日本神経化学会理事長)と三品昌美教授(日本薬理学会前理事長)によるサイトビジット外部評価において、次のような評価と注文を頂いています:「生理学研究所は国立共同研究機構の中心的施設として全国の研究機関との共同研究を推進する使命を担っており、これに付随した多くのサービス業務もあることから、国はこの為に更なる運営交付金を措置すべきである。」「個々の研究者および研究所全体の業績としては質が高く、申し分ない。ただ、5-10年後の生理学研究所の将来像をもっと明確にし、例えば重点化研究領域の設定などの提案が欲しい。」・・・[この高坂先生からのご注文を受け、今回の改訂版で長期展望が書き加えられました。] 「我が国の基礎研究を強力に推進し、成果を挙げるためには、高度かつ先端的な研究基盤の整備とそれを支える技術が重要である。また、大型研究機器など、個人研究では整備できないものを的確に支援し、長期的視点に立って研究資源をはじめとするリソースの整備を図ることが重要であり、生理学研究所の果たすべき役割は大きい。」「生理学研究所では生体の恒常性維持ならびに脳神経系の情報処理と認知行動の研究が進められており、これらを結合し統合的な理解を進め、ヒトのこころと体のバランスのとれた健全な発展に寄与する方向への運営が望まれる。統合的研究には臨床研究も組み込むことが必要であり、病院を有する大学医学部や精神・神経センターとの連携を進めることが望まれる。」・・・[この三品先生からのご注文を受け、2011年度概算要求として特別経費プロジェクト「ヒトとモデル動物の統合的研究による社会性の脳神経基盤の解明」が申請・採択され、今回の改訂版で生理学研究所の研究柱の6本目として「モデル動物開発・病態生理機能解析」が加えられた。]
これらの高い評価と期待を励みに、またこれまでの伝統と成果を基礎に、私達所員一同更に励み、生理学研究所を今後益々、世界に光り輝く研究所として発展させてまいります。