部門公開セミナー

日 時 2012年01月31日 16:00~17:30
場 所 生理学研究所 山手地区3号館9階 セミナー室B
演 者 根岸 隆之助教(青山学院大学理工学部化学・生命科学科)
演 題 発達期化学物質曝露が脳神経発達に与える影響を鋭敏かつ包括的に評価し得る系の確立
要 旨

高次脳機能を支える脳の発達は胎児期から新生児期にかけて遺伝的因子・環境 的因子の両者により絶妙にコントロールされている。
 一方、産業目的で日々何千種類という化学物質が開発され、その利用により 我々の生活は成り立っている。ところがこれらの化学物質、特に有機化合物の中 には非意図的に強い生理活性を有しているものもあり、環境中を汚染しているも のも多い。爆発的に進行する脳発達がこれら外来の化学物質により乱されると、 たとえそれが致死的でなくとも脳機能の成熟、高次脳機能等に影響を与え得るこ とは既に周知の事実となっている。しかしながらこの脳発達の異常を検出・評価 するための方法が毒性学的に完成しているとは言い難い。現在の化学物質に対す る毒性評価系では、確かな、しかし微かな変化・影響を検出することは難しい。 つまり毒性学を土台とした影響評価だけでは足らず、神経科学の知見を巧みに利 用した化学物質ばく露の脳発達影響評価系が望まれている。  演者はこれまで化学物質汚染問題についてヒトにおけるリスク評価に役立つ実 験動物を用いた脳発達影響評価系の確立を目指し、大きく分けて2つのアプロー チを展開した。一つは通常毒性学で用いるげっ歯類とヒトの脳発達の系統発生学 的違いを意識し、ラットに加えて医学実験用霊長類であるカニクイザルを評価系 に取り入れることでヒトにおけるリスク評価の際に問題となる種差の壁を低くす る。もう一つは、化学物質ばく露に起因する微細な影響を的確に検出・評価し、 その意味を適切に解釈するためにin vitro(培養細胞)およびin vivo(組織、 行動)レベルの評価を一連のバッテリーとし、影響の蓋然性を高めることである。  医学実験用霊長類は言うまでもなくヒトの脳を理解する上で貴重な情報を与え てくれる。毒性学的にも医薬品等の前臨床試験でカニクイザル等のサル類が用い られるが、ここで求めているような脳発達に与える影響に焦点をあわせて評価す ることはあまり無い。そこで私はまずin vitroでの影響評価系にカニクイザルを 用いるために、カニクイザル胎齢80日胎仔大脳組織から神経細胞、アストロサイ ト、およびミクログリアの選択的培養系を確立した。これらの系は化学物質影響 評価だけでなく、例えば霊長類でしか発現しない遺伝子の機能解析等にも有用で ある。次いで、in vivoレベルでの化学物質曝露による脳発達影響評価を試み た。ここでは内分泌かく乱化学物質のひとつであるビスフェノールAの胎生期曝 露により、オスの生後の行動がメス化することを明らかにした。また基礎的情報 が少ないカニクイザルの脳発達を分子生物学的に解析した上で、新生仔期甲状腺 ホルモン欠乏カニクイザルにおける抑制性神経伝達システム発達の遅延、樹状突 起の形成異常等を明らかにした。結果、発達期カニクイザルは発達行動学的、分 子生物学的、および組織学的に化学物質ばく露の影響評価系として利用可能であ ることが明らかとなった。
 一方、in vitro(培養細胞)およびin vivo(組織、行動)レベルで一貫した 評価系の確立を目指し、ビスフェノールA、水酸化PCBに加えて甲状腺ホルモンの 影響等を評価する種々の実験を行ってきた。ここでは茨城県神栖市での井戸水ヒ 素汚染による神経症状発症事故の原因物質と考えられるジフェニルアルシン酸が 神経症状を発症させるメカニズムを解明するために細胞毒性、網羅的遺伝子発現 解析、タンパク発現解析、形態学的評価等をin vitroおよびin vivoで包括的に 検討した結果を紹介する。結論としてはアストロサイトがジフェニルアルシン酸 により生じる酸化ストレスに応答してMAPKカスケードを活性化させ抗酸化ストレ ス因子を発現し、神経細胞を酸化ストレスから保護しようとするかたわら、MCP- 1、FGF2、Adrenomedullin、Neuropeptide Y等のペプチドを異常放出することで 神経機能、脳血管機能を撹乱し神経症状を発症させる可能性が明らかとなった。

連絡先 池中一裕教授(生理学研究所分子神経生理)