生理学研究所年報 第30巻
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1.誘発脳磁場のウェーブレット変換による時間周波数可視化に関する研究

川田昌武(徳島大学)

 本研究課題では,誘発脳磁場に対してウェーブレット変換 (Wavelet Transform) を用いた時間周波数成分可視化を行い,その発現機序について新たな知見ことを目的としている。

 これまでに,ウェーブレット変換を用いたヒト脳波(運動関連脳電位)の時間周波数可視化を独自に進めた結果,本手法が脳波の発現機序を解明する上で有効である可能性を示している。

 本年度はウェーブレット変換の計算時間を短縮した高速離散ウェーブレット変換 (Fast Discrete Wavelet Transform) に基づく複数測定点間の相関性を求めるCross-Correlation Methodのプログラムを作成し,本課題への準備とした。

 また,実際に脳磁場計測実験(運動関連脳磁場)を被験者1名に対して行った。上記の被験者1名の解析を進めており,次年度も上記解析を継続することとなった。

 

2.ウィリアムズ症候群におけるbiological motion知覚のMEGによる検討

中村みほ(愛知県心身障害者コロニー 発達障害研究所)
平井真洋,柿木隆介

【背景と目的】ウィリアムズ症候群は7番染色体に欠失をもつ臨床遺伝子症候群であり,心血管系の異常,特徴的顔貌,精神発達遅滞の古典的症状に加えて,認知能力のばらつきが大きいことが特徴とされ,表出言語が比較的流暢であり音楽が得意である反面,視覚認知機能,中でも視空間認知の障害が強いことなどがさまざまに検討されている。さらに過度のなれなれしさとも表現される特徴(hypersociability)を持ち,対人認知面での特性にも注目が集まっている。

 Biological motion (BM)とは十数個の光点運動のみから対象の行為を同定することが可能な知覚現象であり,BM知覚が成立するには,局所的な光点運動情報から大域的な形態情報を抽出する必要ある。しかしながら,要素を統合する処理を不得手とするWS成人においてこのようなBM知覚処理を行うことが可能だろうか? また,biological motionは本研究発表では,これらの問いにダイレクトに答えるため,脳磁図計(MEG)を用いてBM知覚処理の神経機序の違いを定型発達成人群とWS成人で調べた。

【方法】典型的な認知機能のギャップを示す,21歳WS男性患者一名に対し,全頭型脳磁計を用いてBM視覚刺激に対する脳磁場反応を計測し,その結果と定型発達成人群のそれと比較検討した。

【結果】WS被験者におけるBM知覚処理に関連した誘発脳磁場反応は振幅・潜時ともに定型発達群と有意差は認められなかった。

【考案】本研究の結果は,これまでの行動実験の結果と矛盾しないものであった。近年の脳イメージングの研究により,BM知覚時には上側頭溝 (superior temporal sulcus, STS) の活動が報告されており,今回の実験結果はWS成人においてSTSの活動はintactである可能性が示唆された。

 STSは二つの視覚処理経路(腹側経路,背側経路)の合流点であり,運動と形のそれぞれの情報が合流する領域でもある。したがって,この結果はWS成人におけるglobal処理(要素を統合する処理)の障害はSTS以前の背側経路である可能性を示唆し,既報告を支持する所見といえる。

 近年,自閉症児においてはBM検出が定型発達児童と比較して困難であることから,社会的知覚の文脈でBM知覚処理が議論されている。また,BM知覚処理で活動するSTSは視線,表情知覚においても活動することが示されている。本検討の結果は社会的知覚処理とWSにみられるhypersociabilityの関連の点からも興味深い知見であると考える。

 

3.非侵襲統合脳機能計測技術を用いた高次視覚処理の研究

岩木 直,須谷康一(独立行政法人産業技術総合研究所)

 網膜における視覚刺激の「動き」に基づいて対象の物体を知覚する場合,低次視覚野から頭頂部へ至る背側視覚経路と側頭部へ至る腹側視覚経路の両方が寄与していると考えられる。本研究は,高次視覚情報処理にかかわる複数の脳領域間における神経活動の相互作用を,MEGとfMRIの両方を用いて得られる高精度な脳神経活動可視化技術を用いて,定量的に評価することを目的としている。

 今年度は,視覚刺激の動きから3次元物体が知覚される現象に関して,MEGとfMRI実験データを統合的に解析する技術の開発を進めた。具体的には,申請者がこれまでの研究で開発してきたMEGデータを用いた脳内活動分布可視化アルゴリズムをベースに,fMRI計測データから得られる脳内活動の空間分布を先見情報として用いる統合データ解析モデルを作成し,さらに関心領域(regions-of-interest: ROIs)から推定される神経活動の時系列を抽出するデータ解析技術を開発した。

 上記のMEG/fMRIデータ解析技術を用いて,視覚刺激の動きに基づく対象知覚にともなうMEG/fMRIデータ(平成21年度計測予定)の解析を行い,その脳活動ダイナミクスの高精度な可視化を図るとともに,ROI間における神経活動の相互作用を定量的に評価する技術の開発と,得られたデータに対する適用を進める。

 

4.脳磁場計測を用いたヒト脳内における感覚認知と脳内出力過程に関する研究

中田大貴,寶珠山稔(名古屋大学医学部保健学科)

 本年の研究では,痛覚認知と運動出力過程に関する研究を行い,成果を得た。1-2)

 これまでに随意運動中における体性感覚-運動統合処理過程を検討するために,脳波 (electroencephalography: EEG) や脳磁図 (magnetoencephalography: MEG) が用いられ,一次体性感覚野 (primary somatosensory cortex: SI) や二次体性感覚野 (secondary somatosensory cortex: SII) の活動の変動が報告されている。また近年では,痛覚-運動統合処理過程についても検討され始めているが,その詳細までは明らかにされていない。そこで本研究では,そのメカニズムの一端を明らかにするために,脳波と脳磁図を同時計測し,随意運動前における痛覚-運動統合処理過程について検討した。

 聴覚刺激の2~3秒後に,YAGレーザーによる痛覚刺激を各被験者の左手の甲に与え,3つの実験課題を行なった。安静課題では何もしない(コントロール),動作課題では痛覚刺激後にできるだけ早く左手の第II指を挙げる,計数課題では痛覚刺激の回数を数える,という課題を行なった。脳波はFz, Cz, Pz, C3, C4から記録し,脳磁図は生理学研究所に設置してある全頭型306チャンネル脳磁計(Vectorview, ELEKTA Neuromag)を用いて記録した。解析対象は,YAGレーザー(痛覚刺激)後の脳反応とし,刺激回数は各課題とも50刺激ずつとした。痛覚刺激の強度は,visual analogue scale (VAS) において8の強度のものを用いた。

 その結果,脳波記録において,動作課題におけるN2成分は,安静課題と比較し振幅が有意に減少した。計数課題と安静課題の間に有意な差は見られなかった。脳磁図記録において,刺激対側の一次体性感覚野 (SI) に関するダイポール強度ならびに刺激両側の二次体性感覚野 (SII) に関するダイポール強度は,課題間で有意な差は認められなかった。しかし,前帯状回 (anterior cingulate cortex: ACC) に関するダイポール強度は,安静課題と比較し,動作課題において有意に減少した。

 随意運動前の準備期における痛覚-運動統合処理過程に関して,脳波のN2成分の振幅と前帯状回に関するダイポール強度が動作課題において有意に減少したことから,随意運動そのものが痛覚感覚処理系に影響を及ぼす遠心性の干渉 (centrifugal gating) を起こしたと考えられる。また計数課題においてはこのような振幅・強度の減少が見られなかったことから,痛覚受容への注意の低下 (distraction) による効果は排除できるものと考えられる。

 これらの研究結果は,随意運動による痛覚に関連する脳活動の抑制に関するメカニズムは,注意効果というよりは動作を行なうことそのものによる抑制効果がより重要であることを示していた。

1) Nakata H, Sakamoto K, Honda Y, Mochizuki H, Hoshiyama M, Kakigi R. Centrifugal modulation of human LEP components to a task-relevant noxious stimulation triggering voluntary movement. Neuroimage. 2009 Mar 1;45 (1) :129-142.
2) Nakata H, Sakamoto K, Inui K, Hoshiyama M, Kakigi R. The characteristics of no-go potentials with intraepidermal stimulation. Neuroreport. 2009 Aug 26;20 (13) :1149-1154.

 

5.統合失調症の感覚情報処理異常の解明

元村英史(三重大学医学部附属病院精神科神経科)
乾 幸二,柿木隆介

 脳内における感覚情報処理は刺激提示後早期にみられる自動的情報処理過程とそれに引き続く制御的情報処理過程に大別できる。前者は高い時間分解能を有する事象関連電位(ERP)や脳磁図(MEG)により覗き見ることができる。感覚情報に変化が生じた場合には脳は速やかにその変化を検出する必要があり,脳においては常に定常状態からの変化探知が行われており,我々は,自動的情報処理過程はこの変化探知反応にほかならないと考えている。音呈示後約100 msにみられるON反応や音が突然に消えた後にみられるOFF反応もこれに含まれる。統合失調症の認知機能障害についてON反応を用いた研究は多いものの,OFF反応はほとんどみられない。本研究の目的は,統合失調症の新たな精神生理学的指標の確立を目指した聴覚OFF反応の解明である。

 健常者を対象として純音 (1000Hz, rise/fall: 10 ms, duration: 6 s) のOFF反応と純音 (1000Hz, rise/fall: 10 ms, duration: 100 ms) のON反応 (interstimulus interval: 6 s) についてERPおよび MEG測定を行い,双極子追跡法による多信号源解析を行った。

 ON/OFF反応の電位分布は近似しており,さらにERPでは前頭部において2峰性を示した。多信号源解析においては,従来の報告と一致してON/OFF反応ともに上側頭回の活動がERPおよびMEG から推定され,続いて両反応においてMEGでは捉えられない前帯状回の活動がERPから推定された。

 本結果は従来の報告と一致して,ON/OFF反応ともに比較的長い定常状態(ON反応においては“silent”)からの逸脱に対する変化探知活動として上側頭回にそのoriginが推定された。さらに,ON/OFF反応ともに変化探知に続いて注意シフト(前帯状回の活動が示す所謂orienting response)が引き起こされたと考えられる。脳内では極めて短時間のうちに記憶と消去が繰り返されており,ON反応よりもOFF反応は先行する定常状態を解釈しやすい。

 ヒトは危険から身を守るうえで,変化を探知するだけでなく,速やかに注意を向けて行動しなければならない。統合失調症においては変化探知系とそれに続く注意シフトの2段階における異常が考えられ,今後,聴覚OFF反応を用いて検証する予定である。

 

6.脳磁図を用いた発話時の聴覚フィードバック機構とヒト脳機能の研究

軍司敦子,稲垣真澄(国立精神・神経センター精神保健研究所)
岡本秀彦(ミュンスタ大学,ドイツ)
柿木隆介

 発話のモニタリングシステム解明のため,変換聴覚フィードバック(TAF)による感覚・運動調節と脳磁場反応について検討した。

 健常成人を対象に,自分の声が変調されて両耳にフィードバックされる発声実験をおこなった。聴取実験では,発声実験で録音された声を両耳に提示し,聴覚フィードバックの逸脱に対する受動的なプロセスと能動的なプロセス間の脳磁場反応を比較した。

 その結果,聴覚フィードバックが変化した時点からおよそ120ms後に頂点を示す,聴覚連合野由来のN1m様成分が出現した(TAF条件)。N1m様成分の振幅に,発声実験と聴取実験間で有意差はなかった。一方で,変換聴覚フィードバックの無い発声(コントロール)におけるN1m成分は音声トリガよりおよそ100ms後に出現しており,聴取実験で認められたN1m様成分の振幅よりも有意に減衰した。さらに,発声・聴取の両実験において,TAF条件からコントロールを引いた脳磁場反応の差分波形を求めたところ,およそ120ms後に頂点を示す成分 (1M)が出現した。なお,N1mと1M成分の発生源位置に有意差はなかった。

 本研究の発声実験で認められたN1m成分は,発話時の聴覚抑制を反映したと解釈できる。また,発話時の聴性モニタリング機能は通常,抑制されるが,フォーワード情報からの逸脱は,フィードバックに対する聴性反応を外界の音を聴取する際と同様に賦活させることが,TAF条件におけるN1m成分の振幅から確認された。

 本研究の結果は,発話時の声認知や固有感覚による発話情報のモニタリング機能を示唆するものである。このプロセスが,発話時の発声・構音器官の適切な運動調節に寄与すると考えられる。

 

7.前頭葉シータ波活動と脳高次機能

佐々木和夫(自然科学研究機構)
南部 篤,逵本 徹

 ヒトが課題に集中する際,前頭葉を中心にシータ波領域の脳波活動 (Fmq) が観察されるが,その機能や発生機序などの詳細は不明である。ヒトが時間の持続感覚や意識集中などの作業課題を行う際の脳磁場を解析し,シータ波の発生要因の検討と発生源推定を行った。その結果,シータ波活動が脳磁場計測でも認められ,主観的な集中の度合いとシータ波の発生はよく一致した。またその発生源は,前頭葉背外側部および内側部に広く推定された。

 一方,サルの大脳皮質の表面と深層に慢性的に設置した電極から電場電位を直接記録し課題を課すと,「注意集中」時にシータ波活動が前頭前野9野と前帯状野吻側端32野に限局して観察された。これらの結果から,前頭葉のシータ波活動が,ヒトやサルの脳高次機能に関係しており,限局した領野が発生源であることを示唆している。今後は,さらに「意識」と前頭葉シータ波の関連を探っていきたい。

 



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