生理学研究所年報 第30巻
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10.理論と実験の融合による神経回路機能の統合的理解 (2)

2008年12月4日-12月5日
代表・世話人:深井朋樹(理化学研究所脳科学総合研究センター)
所内対応者:井本敬二(神経シグナル)

(1)
聴覚時間情報処理神経細胞におけるNaチャネル局在の機能的意義
久場博司(京都大学 大学院 医学研究科)

(2)
樹状突起分枝の特性が神経回路の機能において果たし得る役割に関して
森田賢治(理化学研究所 脳科学総合研究センター)

(3)
大脳棘シナプスの統計動力学と神経回路機能
河西春郎(東京大学 大学院 医学系研究科)

(4)
樹状突起形態形成と遺伝子ネットワークへの数理的アプローチ
望月敦史(理化学研究所 基幹研究所)

(5)
大脳皮質における特異的な興奮性結合回路
大塚 岳(生理学研究所)

(6)
心的過程の神経機構:スパイク統計性に対する理論からの予言と検証
岡本 洋(富士ゼロックス)

【参加者名】
深井朋樹,森田賢治,竹川高志,坪 泰宏,寺前順之介,篠崎隆志(理化学研究所BSI),望月敦史(理化学研究所基幹研),太田桂輔,角田敬正,毛内 拡,小松靖直,青西 亨(東京工業大),大森敏明,深山 理,伊藤孝佑,安松信明,小濱卓也,河西春郎(東京大),岡本 洋(富士ゼロックス),野村真樹(科学技術振興機構),伊藤嘉房(愛知医科大),神山斉己,桜木雄一郎,斉藤広樹(愛知県立大),駒澤 敏(岐阜大),青柳富誌生,久場博司(京都大),北野勝則(立命館大),中野高志(奈良先端科学技術大学院大),米原圭祐(基生研),窪田芳之,大塚 岳,渡辺秀典,中川 直,加勢大輔,金田勝幸,佐竹伸一郎,稲田浩之,川口泰雄,森島美絵子,桧山武史,井本敬二(生理学研究所)


 

(1) 聴覚時間情報処理神経細胞におけるNaチャネル局在の機能的意義

久場博司(京都大学・医学研究科・生命科学系キャリアパス形成ユニット)

 動物は両耳に到達する音の僅かな時間差(両耳間時間差:ITD)を検出することにより音の方向を判別する。トリでは音の時間情報は聴神経から大細胞核 (NM) を介して両側の層状核 (NL) へと送られ,ここで左右の耳からの情報が比較されITDが検出される。正確なITDの検出にはNM細胞が正確な中継細胞として働くことと,NL細胞が両側シナプス入力の正確な同時検出器として働くことが重要である。これまで我々は,正確なITD検出を実現するために,NM細胞とNL細胞では膜やシナプスの特性が特徴周波数 (CF) に応じて分化していることを明らかにしてきた。今回は特に,これらの細胞の軸索起始部におけるNaチャネル分布のCFに応じた違いとその機能的意義について紹介する。

 NMでは軸索起始部のNaチャネル分布の長さと密度が低いCFの細胞ほど大きい。このことと相関してNMではシナプス入力の数とサイズもCFに応じて異なり,低いCFの細胞ほど多数の小さな入力を受ける。そこで,コンピューターシミュレーションにより活動電位発生のタイミングに対するNa電流量の影響を調べたところ,多数の小さな入力が加重する場合にはNa電流量が大きいことが正確なタイミングでの発火に重要であることが分かった。これは入力が加重される場合にはEPSPの立ち上がりが遅くなりNaチャネルの不活性化とKチャネルの活性化を生じるが,Na電流量が大きいと活動電位発生の潜時が短くなり,この効果を減少させるためであると考えられた。

 一方,NLでは軸索のNaチャネルは高いCFの細胞ほど細胞体から離れた場所に分布する。このことはNL細胞へのシナプス入力の頻度がCFに応じて異なることと関係していると考えられる。つまり,NLでは高いCFの細胞ほど高頻度のシナプス入力を受けるため,その空間的加重により細胞体で大きな持続的脱分極が生じる。従って,高いCFのNL細胞においてNaチャネルが細胞体から離れて分布することは,この脱分極により軸索のNaチャネルが不活性化することを防ぐことで正確なITDの検出を可能にすると考えられた。

 これらの結果から,軸索のNaチャネルはシナプス入力に応じて細胞毎に最適に配置されることにより,細胞機能を精巧に調節している可能性が示唆された。

 

(2) 樹状突起分枝の特性が神経回路の機能において
果たし得る役割に関して

森田賢治(理化学研究所 脳科学総合研究センター)

 神経細胞の入出力関係,すなわち入力強度と発火率の関係は,細胞や細胞集団の振る舞いに大きな影響を及ぼす。大脳皮質スライス中の錐体細胞に一定電流を加えた場合は,電流がある閾値に達するまで発火は起こらず,その後ほぼ線形に発火率が増加し,徐々に飽和していくのが普通である。しかしin vivo では,細胞は激しく時間変動する入力を受けていると思われ,その場合,入力の時間平均がさほど大きくなくても瞬時に入力が増える(興奮が増えるか抑制が減る)と発火が起こるため,入力の時間平均と発火率の関係は,一定電流の場合と比べて立ち上がりの部分が左側に尾を引いて下に凸なカーブを描くと考えられる (Shu et al. 2003 J Neurosci 23:10388)。この「下への凸性」が,皮質機能,具体的には,遅延活動を示す細胞集団における自発発火状態の安定性 (Amit & Brunel 1997 Cereb Cortex 7:237) や,選択的注意による神経活動の掛け算的増加(multiplicative gain modulation, c.f., Ardid et al. 2007 J Neurosci 27:8486。大まかには,下への凸性が指数関数のそれと近ければexp (I + a ) = exp (I )×exp (a )というように入力にmodulatory input(式のa )が加算されると発火率は掛け算的に増える)等に関わると考えられてきた。

 上述のように入力の時間的揺らぎが盛んに研究されてきたのに対して,入力の空間的揺らぎ,すなわち枝分かれした樹状突起上の入力の空間分布が入出力関係に与える影響については余り顧みられてこなかった。これは,時間に関してはサブミリ秒精度の解析・記述が行われてきたのに対して,空間に関しては概ね,実験では細胞一つにつき多くても数個の電極,理論では多くて数個のコンパートメントからなるモデルが用いられてきたことと無縁では無いように思われる。もっとも樹状突起が単に入力を線形に足し合わせるだけならば,どの場所に入力が入っても違いはなく,実際そうだとする主張もある (Yuste & Urban 2004 J Physiol Paris 98:479)。しかし,百本程度ある錐体細胞の細い樹状突起分枝の各々で,入力が時空間的にある程度以上集積するとdendritic spikeと呼ばれる大きな脱分極が起こるため,分枝への入力強度と細胞体で生じる電位上昇の関係はシグモイド型の非線形性を示すという知見は少なくなく (Larkum & Nevian 2008 Curr Opin Neurobiol 18:1),in vivo で個々の細胞の発火率が非常に低いとしても尚,dendritic spike発生に十分な入力の集積は起こるとの主張もある(Major et al. 2008 J Neurophysiol 99:2584のDiscussionの最後)。もしその主張が正しければ,入力の空間分布は,細胞の入出力関係に大きな意味を持ちうる。簡単のために樹状突起分枝の非線形性がdendritic spike発生の閾値を持つ閾値線形関数で表されるとし,入力及び閾値が分枝ごとにばらつくとすると,入力の空間(全分枝)平均が増えるにつれて,閾値以上の入力を受ける分枝の数(割合)が徐々に増え,その結果,入力の空間平均と細胞の発火率の関係は,加速度的上昇,すなわち下に凸なカーブを描く可能性が示唆される。これが事実とすれば,上述のような凸性の効果-自発発火の安定性やmultiplicative gain modulation-も期待され(参考文献[1-4]),皮質機能を考える上で無視し難いと思われる。

 樹状突起と皮質機能の関わりに関しては,樹状突起上の入力の分布が可塑性によっていかに形成・修飾されるかも大きな問題である。近くの細胞同士の間に相互興奮が働くとすると,Hebb的可塑性によって近い入力(似通った挙動を示す入力)は近い細胞にマップされると期待され,それが機能的皮質回路の形成に重要だと考えられてきたが,最近,単一の錐体細胞の樹状突起上でも,可塑性に際して電気的・生化学的な近接相互作用が働くことが明らかとなり,近い入力は樹状突起上の近い場所にマップされる可能性が示唆されている(Larkum & Nevian 上記)。それを活かして単一の錐体細胞が皮質機能において大きな役割を果たしている可能性が考えられる(Archie & Mel 2000 Nat Neurosci 3:54, [5]) ほか,単一細胞と細胞集団という異なるレベルでの自己組織化がいかに連携しうるかも興味深い ( [6] )。また例えば g 振動のような神経活動の時間構造を考える際にも,長ければ数ミリ秒にも及ぶと思われる樹状突起や軸索上の伝播遅れなど,空間的側面も同時に考慮することも有意義と思われる ( [7] )。

[1]Morita, Okada, & Aihara. Selectivity and stability via dendritic nonlinearity. Neural Comput 19:1798 (2007)
[2]Morita. Possible role of dendritic compartmentalization in the spatial working memory circuit. J Neurosci 28:7699 (2008)
[3]Morita. Cellular basis of working memory at a high spatial resolution. Front Comput Neurosci (Bernstein Symposium Abstract) (2008)
[4]Morita. Multiplicative gain modulation via multiple dendritic branches. (to be submitted)
[5]Morita. Dendritic origin of the Weber's law in the number sense. Soc Neurosci Abstr 682.18 (2008)
[6]Morita. Computational implications of cooperative plasticity induction at nearby dendritic sites. (submitted)
[7]Morita, Kalra, Aihara, & Robinson. Recurrent synaptic input and the timing of gamma-frequency-modulated firing of pyramidal cells during neocortical “UP” states. J Neurosci 28:1871 (2008)

 

(3) 大脳棘シナプスの統計動力学と神経回路機能
Statistical dynamics of dendritic spines

河西春郎,安松信明(東京大学大学院医学系 構造生理学)

 Long-term potentiation (LTP) of synapse strength requires enlargement of dendritic spines on cerebral pyramidal neurons. Long-term depression (LTD) is linked to spine shrinkage. Indeed, spines are dynamic structures: they form, change their shapes and volumes or can disappear in the space of hours. Do all such changes result from synaptic activity, or do some changes result from intrinsic processes? How do enlargement and shrinkage of spines relate to elimination and generation of spines, and how do these processes contribute to the stationary distribution of spine volumes? To answer these questions, we recorded the volumes of many individual spines daily for several days using two-photon imaging of CA1 pyramidal neurons in cultured slices of rat hippocampus between postnatal day 17 to 23. With normal synaptic transmission, spines often changed volume or were created or eliminated, thereby showing activity-dependent plasticity. However, we found that spines changed volume even after we blocked synaptic activity, reflecting a native instability of these small structures over the long term. Such “intrinsic fluctuations” showed unique dependence on spine volume. A mathematical model constructed from these data and the theory of random fluctuations explains population behaviors of spines, such as rates of elimination and generation, stationary distribution of volumes and the long-term persistence of large spines. Our study finds that generation and elimination of spines are more prevalent than previously believed, and spine volume shows significant correlation with its age and life expectancy. The population dynamics of spines also predict key psychological features of memory.

References
1.Yasumatsu, N., Matsuzaki, M., Miyazaki, T., Noguchi, J. & Kasai, H. (2008). Principles of long-term dynamics of dendritic spines. J. Neurosci. In press.
2.Tanaka, J., Horiike, Y., Matsuzaki, M., Miyazaki, T., Ellis-Davies, GCR & Kasai, H. (2008). Protein synthesis and neurotrophin-dependent structural plasticity of single dendritic spines. Science 319, 1683-1687.
3.Honkura, N., Matsuzaki, M., Noguchi, J., Ellis–Davies, G.C.R. & Kasai, H. (2008). The subspine organization of actin fibers regulates the structure and plasticity of dendritic spines. Neuron 57, 719-728.
4.Noguchi, J., Matsuzaki, M., Ellis-Davies, G.C.R. & Kasai, H. (2005). Spine-neck geometry determines NMDA receptor-dependent Ca2+ signaling in dendrites. Neuron 46, 609-622.
5.Matsuzaki, M., Honkura, N., Ellis-Davies, G.C.R. & Kasai, H. (2004). Structural basis of long-term potentiation in single dendritic spines. Nature 429, 761-766.
6.Kasai, H, Matsuzaki, M, Noguchi, J, Yasumatsu, N, Nakahara,H. (2003). Structure-stability-function relationships of dendritic spines. Trends Neurosci. 4, 1086-1092.
7.Matsuzaki, M., Ellis-Davies, G.C.R., Nemoto, T., Miyashita, Y., Iino, M. & Kasai, H. (2001). Dendritic spine geometry is critical for AMPA receptors expression in hippocampal CA1 pyramidal neurons. Nature Neuroscience 4, 1086-1092.

 

(4) 樹状突起形態形成と遺伝子ネットワークへの数理的アプローチ

望月敦史(理化学研究所・理論生物研究室/
基礎生物学研究所・理論生物学研究部門/さきがけ・JST)

 ある種の神経細胞は,樹状突起を曲面上で,むら無く一様に分布させることから,space filling typeと呼ばれる。この神経細胞は,樹状突起の一様分布形成に加えて,曲面を分布域で分割するタイリングや,一様分布の再生など,様々な空間秩序の性質を備えている。これらは突起間の抑制的相互作用に基づくと考えられ,(1) 直接の接触による成長の抑制と,(2) 拡散性の物質による抑制,という二つの仮説が提唱されてきた。第二の仮説に対しては,抑制物質を分泌する突起が自らの成長を妨げてしまい,突起が伸長できないのではないか,という批判がなされていた。我々は,あえて抑制因子仮説に基づいた数理モデルを構築し,樹状突起パターンが形成できることを示した。このモデルに基づき,樹状突起がもつ空間制御の性質,一様分布,空間分割,再生を,同一の仕組みから理解できる。本研究は,京都大学の上村匡教授,杉村薫研究員との共同研究である。Sugimura K. et al. (2007) Self-organizing mechanism for development of space-filling neuronal dendrites. PLoS Comput Biol. 3(11), 2143-2154.

 また,遺伝子ネットワークの構造と発現ダイナミクスの関係を明らかにする研究も紹介する。生物の複雑な振る舞いの起源は,遺伝子が互いに相互作用しあい,形作る制御ネットワークであると考えられている。例えば発生における細胞分化は,制御ネットワークに基づいたダイナミクスが,細胞ごとに異なる遺伝子発現状態を作り出す過程だ,と理解できる。今回,ネットワークの構造と,発現ダイナミクスの定常状態との関係を示す理論を考案した。基本アイデアは,しごく簡単である。すなわち,各遺伝子の活性状態は,制御する遺伝子の活性状態だけに依存する。この事実だけから,発現ダイナミクスの振る舞いを絞り込み,遺伝子発現の定常状態数の上限を決定できる。また,遺伝子発現の多様性に貢献する重要な遺伝子を,ネットワークから抽出できる。現実のウニの初期発生にかかわる遺伝子ネットワークを解析し,多数の遺伝子の中から,遺伝子発現多様性に重要な少数の遺伝子を抽出できた。この理論は神経細胞ネットワークを理解する上でも有効かもしれない。Mochizuki A. (2008) Structure of regulatory networks and diversity of gene expression patterns. J. theor. Biol. 250, 307-321.

 

(5) 大脳皮質における特異的な興奮性結合回路

大塚 岳,川口泰雄(生理学研究所 大脳神経回路論部門)

 脳は神経細胞を素子とし,シナプスを介した神経回路によって機能を発揮する。従って,脳の情報処理を明らかにするには回路を構成する個々の細胞の機能を同定すると共に,機能的な結合を明らかにする必要がある。高次機能を担っている大脳皮質は,多様なニューロンタイプから構成されており,複雑な回路を形成している。興奮性の錐体細胞においても電気生理学的・形態学的に様々なサブタイプに分類できることが知られている。我々は,大脳皮質の情報処理を理解するために,錐体細胞サブタイプや介在細胞タイプに依存したサブネットワークについて解析している。

 今回,5層錐体細胞の発火特性をニューロンタイプの指標とし,2/3層錐体細胞から5層錐体細胞への興奮結合における錐体細胞サブタイプ依存性について,ラットの前頭皮質でスライスパッチ法を用いて検討した。5層錐体細胞は電流注入に対する発火応答の違いから3種類に分類したが,逆行性蛍光トレーサーで投射先を同定し記録した結果,対側線条体と同側橋核に投射する5層錐体細胞では,投射先と発火パタンに相関が見られた。2/3層細胞から5層細胞へのシナプス結合を容易に見つけるために,2/3層錐体細胞にグルタミン酸を短時間投与し発火させ,その際に5層錐体細胞で起きるシナプス電流を検出する方法を用いた。この方法では,単一または,同時記録する複数の細胞へのシナプス前細胞を,多数の細胞の中から検索することができる利点がある。2/3層から5層への興奮結合経路が5層錐体細胞の多様性に依存して選択的に分化しているのかを知るために,このグルタミン酸刺激法を使って,二つの5層錐体細胞が同一2/3層細胞から共通入力を受ける確率が,サブタイプの組み合わせやサブタイプ間のシナプス結合に影響されるのかを検討した。その結果,5層細胞が同一2/3層細胞から共通入力を受ける確率は,同じサブタイプペアの方が異なるサブタイプペアより高かった。さらに,同じ5層サブタイプペアでは,サブタイプ間でシナプス結合があるものが無いものより共通入力を受ける確率が高くなり,一方,異なるサブタイプペアが共通入力を受ける確率は5層間結合の有無に影響されなかった。また,5層の抑制性介在細胞と錐体細胞の細胞ペアについても2/3層錐体細胞から共通入力を受ける確率について同様な解析を行った。その結果,抑制性介在細胞タイプと5層の細胞ペア間の結合に依存して2/3層錐体細胞から共通入力を受ける確率が高いことがわかった。

 以上から,2/3層から5層への興奮性結合は5層錐体細胞サブタイプやサブタイプ間の結合に依存してサブネットワークを形成していることがわかった。5層錐体細胞は皮質下構造に情報を出力するが投射先と発火パタンに相関が見られることから,皮質下構造に対応した選択的経路を作っていると示唆される。また,5層の介在細胞は,細胞タイプに依存して異なった様式で錐体細胞とサブネットワークを形成し,皮質回路を制御していると考えられる。

 

(6) 心的過程の神経機構:スパイク統計性に対する理論からの予言と検証

岡本 洋1,2,深井朋樹2
1富士ゼロックス(株)研究技術開発本部,2理化学研究所 脳科学総合研究センター)

 我々は時間的に変化する外界事象を目撃あるいは経験した後,外部からの誘導なしに同様な風景を心の中で再生することができる。また,我々の思考とは,心の中に自発的に生じた観念の時間的連鎖・変遷ととらえることができる。このような心の動きの仕組み,すなわち,「心的過程」の神経機構を完全に解明することは,脳科学の究極の目標である。本講演では,心的過程の神経機構を「確率過程連続アトラクター力学」の枠組で記述することを提案する。

 最初に,この枠組を導いた背景である「漸次的活性」の現象に関する実験的・計算論的知見についてレビューする。次に,最もシンプルな心的過程として,情報の時間積分を取り上げる。シンプルではあるが,意思決定,識別,タイミングなど,広範にわたる認知・行動機能に深く関与する過程である。神経生理学的には,漸次的増加を示す神経活動がしばしば観測されている。このような神経活動は時間積分の過程を反映すると考えられる。時間積分の神経機構に関する筆者のモデルを紹介する。

 【モデルの構成】興奮性ニューロンの相互結合を考える;個々のニューロンの入出力特性にヒステリシスを仮定する(すなわち,各ニューロンはON/OFF二つの安定状態を持つ);個々のニューロンへの興奮性・抑制性のランダム入力を仮定する。ニューロンのヒステリシス特性により,ONニューロンの個数がn = 1, 2, 3, …である状態全てが安定不動点(アトラクター)となる,すなわち,モデルは連続アトラクターを持つ。ニューロンの集団活性を表す状態点は,連続アトラクターが構成する多様体上をノイズに駆動されてゆっくりと移動する。このようにして,モデルは数百ミリ秒~秒の時間スケールで増加する神経活性を再現する。この機構(ニューロンのヒステリシス特性に基づく確率過程連続アトラクター力学)は,漸次的に増加する神経活性のスパイク列から導かれる周波数分布が二峰性を示すことを予言する。Go/no-go課題実行中のサルの帯状皮質から記録された漸次的増加活性のスパイク列を解析し,この予言と整合する周波数分布二峰性を確認した。この神経機構モデルをさらに詳しく調べた結果,心理学抽象モデルにおいて反応時間の統計性を定量的に説明するために仮定されるperfect integration (non-leaky integration) の性質が備わっていることがわかった。

 このように,時間積分という最もシンプルな例におけるモデル化,解析および実験との比較を通じて,心的過程の神経機構が確率過程連続アトラクター力学で記述できることが示唆された。より複雑な心的過程の神経機構のモデル化にこの枠組を適用する試みについても触れる。

 



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