主な研究業績

最近の主な研究業績

繰り返し見た画像であれば見にくくなっても知覚できる脳の仕組みを明らかに

2021年11月27日

 薄暗い夕方や霧発生時には、視覚対象物のコントラストが低下して見にくくなります。しかし、動物は同じ対象物を繰り返し見る経験をすることによって、その対象物が見にくくなっても知覚できるようになります(図1A)。これを可能にする神経基盤はよくわかっていませんでした。
 本研究では、スクリーンに縦縞が出たらレバーを押し、横縞が出たらレバーを引くという、縞の向きを判別する課題を、頭部固定のラットに繰り返し経験させて学習させました(図2A)。学習後に、縞刺激のコントラストを下げて見にくくすると正答率が下がるものの、ラットはその縞を判別することができました。これを可能にする神経基盤を明らかにするために、課題遂行中の一次視覚野の神経活動を、多点電極を用いてマルチユニット記録しました。
 これまでの多くの研究から、一次視覚野の神経細胞は、高コントラストの視覚刺激に強く応答し、低コントラストの刺激には弱く応答すること(高コントラスト優位な細胞)が知られていました。実際、学習させていないラットに受動的に視覚刺激を提示した時や、学習後のラットを麻酔した時は、これまでの研究と同様に、一次視覚野では高コントラスト優位な細胞ばかりでした。ところが、縞刺激を繰り返し見る経験をして学習することによって、通常とは逆に、高コントラストの視覚刺激よりも、低コントラストの刺激に強く応答する細胞(低コントラスト優位な細胞、図2B)が増加していることを発見しました(図2C)。この細胞の、最適方位(細胞ごとの、縦縞と横縞のうち強く応答する方位)の低コントラストの縞に対する応答は、縞の向きをラットが正しく判別できた時に強く活動しました(図3A)。また、低コントラストの縦縞と横縞に対する応答の差を大きくすることで、縦縞・横縞を区別して情報表現していることがわかりました(図3B)。さらに、細胞集団の応答から、提示した視覚刺激が縦縞か横縞かをデコーディングできるかを調べました。その結果、高コントラスト優位な細胞よりも低コントラスト優位な細胞を含めてデコーディングをすると、その精度が良くなり、特に、低コントラスト刺激提示時のデコーディングの精度が上昇しました(図3C)。また、学習前のラットに受動的に視覚刺激を提示した時や、学習後のラットを麻酔した時の神経活動は、学習後のラットが課題を遂行している時の神経活動に比べて、デコーディングの精度が低くなりました。以上の結果は、課題遂行中に選択的に見られる低コントラスト優位な細胞は、繰り返し見る経験をした縞刺激のコントラストが低下して見にくくなった時の視知覚に貢献することを示唆します。
 さらに、提示した視覚刺激のコントラストによって、学習後の課題遂行中に情報表現を担う細胞群が異なるかを調べるために、低コントラストあるいは高コントラスト刺激の視覚応答を元に2つのデコーダー(低コントラスト・高コントラストデコーダー)を作製し、提示した刺激が縦縞か横縞かをデコーディングしました。その結果、低コントラストデコーダーを用いると、高コントラストの縞の方位のデコーディング精度が低下し、高コントラストデコーダーを用いると、低コントラストの縞のデコーディング精度が低下しました(図3D)。したがって、コントラストによって、異なる細胞集団が情報表現を担っていると考えられました。
 最後に、低コントラスト優位な細胞の視覚反応性がどのようなメカニズムによって生じるのかを調べました。学習後の課題遂行中には、一次視覚野において、いずれのコントラストに対しても視覚誘発電位が増大して、興奮が強まりました。また、低コントラスト優位な細胞は、高コントラスト優位な細胞に比べて、視覚刺激提示前のベースレベルの神経活動や最適コントラストの視覚応答は大きく、興奮性の上昇が示唆されました。さらに、学習後には、高コントラスト刺激でベータ(18-30 Hz)帯域のオシレーションが強く生じました。この帯域の位相にロックして発火活動が生じ、特に抑制性神経細胞は、興奮性細胞に比べて、より位相がそろった神経活動を示しました。この結果は、高コントラスト刺激で抑制が強まることを示唆します。このような興奮と抑制のバランスによって、高コントラストでは細胞が興奮しすぎることはなく、低コントラストでは細胞が十分に活動することができ、強い応答が誘導されると示唆されます。
 これらの研究結果は、同じ視覚対象物を繰り返し見る経験をすることによって、興奮と抑制のバランスが変化し、低コントラストの視覚刺激に強く応答する細胞が増えて、低コントラストで見にくくなった画像の情報表現に貢献することを示唆しています(図1B)。この仕組みによって、経験した画像があいまいになっても知覚することができると考えられます。外界の情報は常に変化していますが、脳はその変化に柔軟に対応しており、そのおかげで我々は安定して物を見ることができます。今回の研究成果は、様々な強さの入力に応じる脳の柔軟な情報表現を新たに提唱するものです。このような情報表現を組み入れた神経回路モデルを構築することで、人間の持つ安定した視知覚をコンピュータ上に再現することにも活用できると考えられます。

The contribution of low contrast–preferring neurons to information representation in the primary visual cortex after learning. Rie Kimura & Yumiko Yoshimura. Science Advances, 7(48), eabj9976, 2021年 DOI: 10.1126/sciadv.abj9976

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図1繰り返し見たものは、なぜ見にくくなっても知覚できるのか?
繰り返し見たものはコントラストが低くなっても(A)、低コントラストで強く応答する神経細胞が情報表現に貢献することで、知覚することができる(B)。


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図2学習後には低コントラストの視覚刺激で強く応答する細胞が増加している
(A) 縞の向きを判別する行動課題。(B) 学習後の課題遂行中には、高コントラストよりも低コントラストの視覚刺激で強く応答する細胞(低コントラスト優位な細胞)が観察された。(C) 学習前に受動的に視覚刺激を提示した場合や麻酔をかけた状態で視覚刺激を提示した場合には、低コントラスト優位な細胞はほとんど観察されなかった。



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図3低コントラストで強く応答する細胞は 縦縞・横縞の判別に貢献する
(A) 低コントラスト優位な細胞は、コントラストが低くて見にくい刺激を正しく区別することができた時に強く活動した。(B) 低コントラスト優位な細胞は、低コントラストの縦縞と横縞を区別して情報表現した。(C) 低コントラスト優位な細胞を含めた細胞集団の応答から、提示した視覚刺激が縦縞か横縞かをデコーディングすると、その細胞を含めない場合に比べてその精度は高くなった。(D) 学習後の課題遂行中の細胞集団の応答を元に2種類のデコーダーを作製し、提示した視覚刺激が縦縞か横縞かをデコーディングすると、提示した視覚刺激のコントラストとデコーダー作製に用いたコントラストが同じ時の方が、異なる時に比べてその精度が高くなった。したがって、コントラストに依存して、異なる細胞集団が情報表現を担うと考えられる。