巻頭言

生理学研究所は2007年度に創立30周年を迎えました。そして、毎年発行しているこの「生理学研究所の点検評価と将来計画」も第15号の刊行となりました。生理学研究所は“人体と脳の働きとそのメカニズム”を解明するために、先導的な研究を展開し、国内外の研究機関との共同利用研究を推進し、更には若手研究者の育成をするという使命を持っています。本年度においても、力一杯それらの使命を果たす努力をしてまいりましたが、果たしてその首尾はどうであったかを問うたのが本書であります。皆様の忌憚のない御意見がいただければ幸いです。

この“点検・評価”は「生理学研究所運営会議」のもとに置かれた所外委員4名を含む「生理学研究所点検評価委員会」で行われ、研究所全体の運営に関する評価には、本年は特に外部専門委員として英国のOle Petersen教授にサイトビジットを含めてお願いしました。また、研究部門の業績評価には、例年の通り対象3部門それぞれに対して3名の所外専門委員(うち1名は海外研究者)にお願いしました。

本年は、私から「生理学研究所の目標・使命と今後の運営方向」(いわゆる“生理研グランドデザイン{http://www.nips.ac.jp/annai/gd/index.html参照})を7月に提出し、その趣旨に沿った形での自己点検評価の実施も可能となりました。しかし、私達の研究所は、基礎研究をボトムアップ的にじっくり腰を据えて行っておりますので、自己点検評価の本格的な実施は少し時間をおいて、次年度以降に行いたいと考えております。

研究の進め方には、戦略的な研究課題を時限を設けてトップダウン的に行う問題解決型のものと、基盤的・基礎的な研究を内発的に時限を設けることなくボトムアップ的に行う問題発掘型のものの2種があり、それらは相補的関係にあります。私達の研究所は、基本姿勢として後者の立場を取っております。従って、“グランドデザイン”で示された「現在の研究の5本の柱」も特定の課題にシャープに特化したものでも、人目をひく派手なものでもありません。しかし、これらの柱のもとでこの1年間行われた研究の成果は、1つ1つすばらしい輝きを示しています。以下、それらの内のいくつかの代表例を簡略に列記いたします(詳しくは第Ⅳ部「各研究室の本年度の活動内容」と第Ⅴ部「業績リスト」を御参照下さい)。

“機能分子の動作・制御機構の解明を分子・細胞レベルの研究で行う”という第1の柱にあたるものとしては、不整脈や難聴に関与するカリウムチャネルの2つのサブユニットがそれぞれ異なるメカニズムで本チャネルの電位センサーを調節すること、脳ニューロンの過興奮毒性の誘導と回復の両方に容積センサーアニオンチャネルが関与すること、単一シナプス中の2種のグルタミン酸レセプターの密度が長期増強によってそれぞれ逆に変化すること、脳ストレス時の神経細胞死にトランスポータKCC2の脱リン酸化が関与すること、等の発見がありました。

“脳神経情報処理機構と生体恒常維持機構の解明を主としてマウス・ラットを用いた研究で行う”という第2の柱にあたるものとしては、シナプス伝達の調節に新規タンパク質scrapperが関与すること、海馬神経の興奮性に温度センサーTRPV4カチオンチャネルが正常体温下で関与すること、錐体細胞スパインの興奮性入力には皮質からのものと視床からのものがあるが、後者には非錐体細胞からの抑制性入力をも受けるものがあること、アレキサンダー病モデルマウスではカイニン酸によって痙攣が誘発されやすくなっていること、レプチンが骨格筋において脂肪酸酸化を促進するメカニズムにはAMPキナーゼの2つの働きによること、等の発見がありました。

“認知行動機能の解明をニホンザルを用いた研究で行う”という第3の柱のもとに、下側頭皮質ニューロンは3原色の弁別を行うばかりか、同じ色カテゴリーでの色調の違いの区別をも行っていること、随意運動に関与する大脳基底核淡蒼球内節の自発発射パターンの調節に、これに入力する3つの経路が異なった役割をしていること、脊髄(皮質脊髄直接路)損傷からの回復に皮質脊髄間接路と両側の運動野と運動前野の働きが関与すること、等の発見が行われました。

“より高度な認知行動機構の解明をヒトを用いた研究によって行う”という第4の柱のもとでは、「心の痛み」が「本当の痛み」と同じ脳部位の活動によってもたらされていること、「自己顔認知」には右側運動前野が、「自己顔評価」には右側下前頭回の脳活動が関与すること、等の発見が得られました。

また、“四次元脳・生体分子統合イメージング法の開発”という第5の柱にあたるものとしては、二光子顕微鏡法によってin vivoの脳ニューロンの世界最高深部における観察に成功したこと、位相差電子顕微鏡法の開発に成功したこと、そしてこれを用いてエンドサイトーシス膜陥凹部を取り巻く分子構造の可視化に成功したこと、等が挙げられます。これらの成果の多くが、内外の他大学・他研究機関との共同研究によって得られたものであります。

生理学研究所が行っている共同利用研究には、「一般共同研究」、「計画共同研究」、「研究会」、「超高圧電子顕微鏡共同利用実験」、「磁気共鳴装置共同利用実験」、「生体磁気計測共同利用実験」などがあり、これらは本年度は125件と過去最高となりました。これに加えて、「日米科学技術協力“脳研究”分野」の枠組で10件、「機構内分野間連携プロジェクト」“イメージング”や“バイオ分子センサーの学際的・融合的共同研究”の枠組で10数件の共同研究も行われました。また、脳科学推進のための異分野間連携的な研究・教育ネットワークの構築に向けた全国的な努力にも、私達は現在、力を入れて参加しています。

本年度は、組織改編を行い、「点検連携資料室」と「広報展開推進室」を新設しました。それによって、データベースの蓄積と情報発信・広報の機能が大きく高まりました。殊に、「せいりけんニュース」の定期的・対外的刊行、所長記者会見の定期的実施、市民講座の実施などによって、外からも生理研がより見えるものとなってまいりました。

最後に、外部評価委員のPetersen教授から、生理研が世界最高レベルの傑出した研究所であるとの評価(例えば、final Conclusion{和訳「最終結論」}参照)を受けたことを励みに、所員一同、更に努力をしてまいりたいと考えております。皆様方からの更なる御鞭撻と御支援を賜りますようお願い申し上げます。

2008年 3月
生理学研究所長   岡 田 泰 伸