4 より高度な認知行動機構の解明

人間を対象とした脳研究は、近年の科学技術の進歩に伴う検査法の急速な進歩により、様々な高次脳機能、特に認知機能が解明されるようになってきた。実際、20年ほど前までは脳波とポジトロン断層撮影(PET)しか方法が無かったのであるが、電気生理学的には脳磁図(MEG)、脳血流解析では機能的磁気共鳴画像(fMRI)と近赤外線分光法(NIRS)が開発された。これらの手法は、非侵襲的脳機能イメージングと総称されている。また、頭皮上から磁気を与えることにより脳内に電気刺激を与え、脳内の様々な部位の機能を興奮あるいは抑制することにより、その機能をより詳細に知る検査法(経頭蓋的磁気刺激法、TMS)の研究も進んでいる。生理学研究所は、非侵襲的脳機能イメージング研究に関する日本のパイオニアとして、世界的な業績をあげてきた。

4.1 代表的な研究

脳波および脳磁図を用いた電気生理学的検査法に関して、2008年度の代表的な研究を紹介する。

痒み関連誘発脳波

痒みは掻きむしりたくなる不快な体性感覚であり、その認知機構の解明は医学的にも重要である。痒みの認知機構を解明するためには、脳波、脳磁図やfMRIなど様々な脳機能画像装置を用いて、痒みに伴う脳内活動を多角的に検討しなければならない。そして、そういった脳機能画像装置で脳活動を計測するためには、ミリ秒単位で痒みの持続時間を操作できる装置が必要である。しかしながら、そのような痒み刺激装置はこれまでなかった。そこで、本研究では、新しい痒み刺激装置の開発を試みた。健常成人男性9名を対象にした。皮膚に電気を流すことで痒みが誘発されることが以前から知られている。そこで、通電によって痒みを誘発する通電性痒み刺激装置を開発した。被験者の右手にこの刺激装置を装着して電気刺激を与えると、すべての被験者が純粋な痒みを感じると報告した。また、この刺激装置によって誘発された痒みに関係する脳活動を脳波計で計測できることも確認された。脳波計によって計測された脳活動データから推定した伝導速度が約1 m / 秒であることから、電気刺激によって生じる痒みは、生理的に生じる痒みと同様に、C線維によって脳へ伝達されることがわかった。以上の結果から、通電性痒み刺激装置は、脳波計、脳磁図やfMRIといった脳機能画像装置を用いた痒みの脳研究に有効であることがわかった。 Mochizuki H, Inui K, Yamashiro K, Ootsuru N, Kakigi R(2008) Itching-related somatosensory evoked potentials. Pain 138:598-603.

fMRIを用いた研究に関して、2008年度の代表的な研究を紹介する。

社会的報酬の神経基盤

ヒトの向社会行動(prosocial behavior)の発達においては、共感の一部としての 他者視点獲得が必要であるが、必ずしも十分ではないとされている。向社会行動の誘因の一つとして「他者からの良い評判の獲得」を想定し、まず「社会的行動の誘因となる他者からの良い評判の獲得は、金銭報酬獲得時と同様に報酬系を賦活させる」という仮説のもと実験を行った。機能的核磁気共鳴装置内で、19人の成人被験者に、他者からの良い評判と金銭報酬を知覚させると、報酬系として知られる線条体の賦活が共通して見られた。これは、他者からの良い評判は報酬としての価値を持ち、脳内において金銭報酬と同じように処理されているということを示している。この結果は、様々な異なる種類の報酬を比較し、意思決定をする際に必要である「脳内の共通の通貨」の存在を強く支持する。Izuma K, Saito DN, Sadato N(2008) Processing of social and monetary rewards in the human striatum. Neuron 58:284-294.

自己認知と自己評価の神経基盤

ヒトは1歳半--2歳頃から鏡に映る自分の顔を見て、それが自分であると気付き(視覚的自己認知)、3--4歳の幼児期になると自分の姿や行動を自分で評価し、恥ずかしさなどの自己意識情動を経験するようになる(自己評価)。このような自己評価を伴う自己意識の形成過程にいたる途上で、自己の姿をみることに対する“照れ”が観察され、自己への関心を反映するものとされる。顔写真を用いて視覚的自己認知、自己への関心、自己評価に関わる神経基盤の違いを明らかにすることを目的として機能的MRIを行った。他者顔に比べて自己顔を評価しているときに、右側前頭―頭頂ネットワークが強く賦活していた。右側前頭領域の活動は2箇所に分かれて存在しており、ブロードマンエリア(BA)6/44に相当する運動前野領域の活動は自己の外見と関連する公的自己意識尺度(自己への関心)を反映した。一方BA45/46に相当する下前頭回付近の領域の活動は自己評価の結果生じる恥ずかしさの強度と関係していた。自己認知と自己への関心が獲得される1歳半から2歳は、他者の行為を模倣し始める時期であり、自己認知および他者行為の模倣は、ともに運動前野の賦活を伴うことから、運動前野が機能し始める時期にあたる可能性がある。一方、自己評価が始まるのとほぼ同時期に自伝的な記憶を思い出すことが可能となるなど、高次な自己関連情報の処理に関与する下前頭回は、運動前野よりも遅れて発達すると考えられる。このように、本研究の結果は、ある機能に対応する神経基盤を特定し、さらにそれらの機能の発達時期を考慮することで、その神経基盤の発達時期をある程度予測できるという新たな可能性を提案するものである。さらに、「自己への関心」という従前発達心理学において等閑視されてきた心的過程が、自己評価とは独立な神経基盤をもつことをしめした。このことは脳機能画像が制約条件を与えることによって、発達心理モデルの生成と検証に寄与する一例である。Morita T, Itakura S, Saito DN, Nakashita S, Harada T, Kochiyama T, Sadato N(2008) The Role of the Right Prefrontal Cortex in Self-Evaluation of the Face: A Functional Magnetic Resonance Imaging Study. J Cogn Neurosci 20:1-14.

4.2 今後の展望

非侵襲的脳機能イメージングの研究は今後もさらに盛んになると考えられる。特に「社会脳(social brain)研究」と称されている一連の研究は、これまで解明がほとんど行われてこなかった、動機付けや意味付けといった人間の最も高度な認知行動機構の解明を目指しており、社会的にも大きな注目を集めている分野である。