6 発達生理学研究系

6.1 認知行動発達機構研究部門

当部門では、手指の巧緻運動と眼球のサッケード運動を制御する神経回路機構とその部分的損傷の後の機能代償機構について研究を行っている。特に前者については、マカクザルを用いて、頚髄レベルで皮質脊髄路を損傷した際に、手指の精密把持運動は一次的に損傷を受けるが訓練によって2-3週から1-3ヶ月で回復するというモデルを用い、その機能回復に関わる大脳皮質などの上位中枢の関与、脊髄レベルでの神経回路の再編などについてPET(陽電子断層撮影装置)による脳機能イメージング、電気生理学、行動の解析、神経解剖学的手法、さらには遺伝子発現の網羅的検索などを組み合わせて研究している。一方、後者のサッケード運動系については、その制御の中核を担う中脳上丘の局所神経回路をスライス標本を用いて解析するとともに、覚醒マウスのサッケード運動の解析、さらには一次視覚野を一側性に損傷した覚醒マカクザルを用いて、「盲視」の神経機構の解明を目的とする研究を行っている。 以下に2008年に発表した主要な発表論文の概要を記す。

1. Kaneda K, Isa K, Yanagawa Y, Isa T (2008) Nigral inhibition of GABAergic neurons in mouse superior colliculus. J Neurosci 28:11071-11078.

中脳上丘中間層(SGI)ニューロンのバースト発火は眼球サッケード運動などの指向運動の開始に重要である。黒質網様部(SNr)由来のGABA作動性入力はトニックにSGIの活動を抑制しており、この抑制からの解除がSGIニューロンのバースト発火の生成に必要であると考えられている。SGIにはグルタミン酸作動性投射ニューロン以外にGABA作動性ニューロンも多数存在する。しかし、SNrがこれらのGABA作動性ニューロンにも入力しているのか否かはこれまで明らかにされていなかった。そこで本研究では、神経トレーサーを用いた解剖学的解析とスライス標本での電気生理学的解析によりこの点を検討した。GABA作動性ニューロンがGFP蛍光を特異的に発現するGAD67-GFP knock-inマウスのSNrに順行性トレーサーのBDAを注入し、その神経終末を共焦点顕微鏡で調べたところ、SNr由来の神経終末がSGIのGABA作動性ニューロン上にシナプスを形成していることが分かった。次に、SNrとSGIをともに含むスライス標本を作製し、実際に抑制性シナプス伝達が観察できるかどうかを検討した。SGIのGFP陽性GABA作動性ニューロンからホールセルパッチクランプ記録を行いSNrを電気刺激すると、単シナプス性のIPSCsが誘発された。このIPSCsはGABAA受容体アンタゴニストでブロックされたが、GABAB受容体アンタゴニストでは影響を受けなかった。以上の結果は、SNr由来のGABA作動性投射がSGIのGABA作動性ニューロンに入力していること示しており、SNrが単にSGIでのバースト発火の開始を制御しているのみではなく、興奮性ニューロンの時空間的な活動特性の調節にも関与している可能性を示唆している。

2. Yoshida M, Takaura K, Kato R, Ikeda T, Isa T (2008) Striate cortical lesions affect deliberate decision and control of saccade: implication for blindsight. J Neurosci 28:10517-10530.

一次視覚野に損傷を受けると反対側の視野の対応する部位が「盲」となるがこのような患者の一部には、視野の障害部位に提示された対象を見えないと答えるがそれに向けての眼球運動や腕の到達運動を強制されると可能である事例が報告されている。このような「視覚的意識と運動能力の乖離」は「盲視(blindsight)」として知られているが、その神経機構の詳細は明らかでない。本研究では「盲視」における視覚運動変換機構を明らかにするためにサル2頭において一次視覚野を一側性に吸引除去し、その後の視覚誘導性サッケード運動を解析した。これらのサルはいずれも損傷直後は障害側へのサッケードを正しく行うことができなかったが、約2か月でほぼ100%回復した。しかし、指標の明るさの検出閾値は障害側で上昇し、また障害側へのサッケードは不正確だった。この不正確さの原因が視覚の障害に限定するのかどうかを調べるために健常側での閾値付近の明るさの指標に対するサッケードを調べたところ、やはり障害側に比べてはるかに正確であったことから、障害側でのサッケードの不正確さは単に視覚の障害によるのではないことが示唆された。そこで障害側へのサッケードを詳細に解析すると、その軌道は直線的で、いわゆるonline correctionが作動していないことが示唆された。また反応時間の分布をdiffusion modelによって解析すると意思決定の閾値が低下していることが明らかになった。以上の結果、一次視覚野を介する視覚入力はサッケード遂行自体に必要であるとともに、サッケード遂行に至る意思決定および正確な運動制御に必要であることが明らかになった。また、これら視覚運動変換過程の変化は障害後の限定的な視覚入力を用いて行動するための戦略の変化であると解釈される。

6.2 生体恒常機能発達機構研究部門

当部門では、発達期および障害回復期における神経回路機能の再編成機構の解明を主なテーマに研究を行っている。本年度は主に以下の2項目を中心に研究を推進した。

1. 抑制性神経回路機能の発達および障害による変化: GABAおよびグリシン作動性回路の発達、抑制性回路再編成制御因子の発達変化、および細胞内クロールイオン調節機構の発達・障害による変化と機能発現機構

2. 多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察

1.抑制性神経回路の発達および障害における変化

音源定位に係わる聴覚中性路核である聴覚中継路外側上オリーブ核には、同側内耳音情報がグルタミン酸作動性として、反側音情報を未熟期にはGABAとして入力しており、発達とともにグリシンへとスイッチする。ともにCl-チャネルを開口するGABAがグリシンへとスイッチする意義に関して、もう一つのGABA受容体である代謝型GABAB受容体に着目した。幼若期には、外側上オリーブ核神経細胞自体、および抑制性入力神経終末にはGABAB受容体が機能的に発現している。発達に伴い減少し、聴覚発生後ラットでは、両部位からGABAB受容体機能が消失する。伝達物質のGABAからグリシンへのスイッチングの意義の解明のため、幼若期にのみGABAB受容体が発現している意義について、GABAB受容体ノックアウト動物を用いて検討を行っている。その結果、GABAB受容体ノックアウト動物では、未熟期の特徴であるシナプス応答の細胞間のばらつきが成熟動物においても観察され、発達にともなう安定なシナプス応答の獲得に幼若期のGABA伝達・GABAB受容体の活性化が必要であることが判明した。 シナプス後細胞における抑制性シナプス応答制御である細胞内クロールイオン濃度調節主要因子であるカリウムークロール共役担体(KCC2、神経細胞内クロールイオンくみ出し分子)は、傷害、酸化ストレス、脳由来成長因子や神経細胞の過剰興奮負荷によって、急速な機能消失が起こる。KCC2の機能制御メカニズムとして、KCC2のリン酸化、ラフト分画へのクラスタリングが必要であることを解析している。また、3価ガドリニウムがKCC2機能を可逆的にブロックし、細胞内Cl濃度上昇、GABAの過分極を抑制することが判明した(J Toxicol, 2008)。また、興奮性過剰入力にともなうNMDA受容体からのカルシウムイオンの過剰流入によって、KCC2の長期抑制・GABA抑制の長期減弱が引き起こされること明らかにした(Neurosci Res, 2008)。

2. 多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察

高出力近赤外線超短パスルレーザーを利用した多光子励起法を生体に適用して、生きたマウスの脳内微細構造および細胞活動の観察法を確立した。さらに、レーザー光路、光学導入系の改良、レーザー導入のための生体マウス頭蓋骨アダプターの改良を行い、各種細胞に蛍光蛋白が発現している遺伝子改変マウス大脳皮質において、大脳表面から1 mm以上の深部の大脳皮質全層にわたる全体像、さらには1μm以下の微細構造の安定したイメージング取得に成功している。また、同一微細構造の長期間観察を試み、現在マウスにおいて2カ月までの繰り返し観察することが可能となった。また、細胞活動をカルシウム動態として生体内で観察している。この技術を利用して、現在、1)ミクログリアによるシナプス監視動態、および急性脳障害時における変化、2)ミクログリアの障害部位への突起伸展と遊走、3)障害の対側脳領域のシナプス構造のリモデリングの解析による障害代償機構の回路レベルでの解明、4)未熟期における大脳GABAニューロンの細胞移動の観察、5)慢性疼痛時における大脳皮質感覚野の痛覚情報伝達様式の長期変化について、生体内で観察している。順次、論文として発表していく予定である。

6.3 生殖・内分泌系発達機構研究部門

当研究部門では、生体恒常性維持に関わる視床下部の調節機能、レプチンやアディポネクチンの代謝調節作用に焦点を当て研究を行っている。本年度は以下の項目について研究を推進した。

1. 視床下部室傍核神経細胞のAMPKによる食餌嗜好性調節

視床下部室傍核(PVH)神経細胞のAMPKは、レプチンやメラノコルチン受容体、グルコースなどによって活性が制御され、この活性の変動により摂食行動を調節することが知られている。本研究では、レンチウイルスを用いて活性型AMPK及び不活性型AMPKをPVH神経細胞に発現させ、摂食行動に及ぼす効果を調べた。その結果、思いがけないことに、AMPKがPVH神経細胞において脂肪酸酸化を調節することによって炭水化物食と脂肪食の嗜好性を制御することを見出した。また、PVHにおけるAMPK活性-脂肪酸酸化-食餌嗜好性調節機構がメラノコルチン受容体により制御されること、肥満動物ではその調節機構に異常を来して脂肪食に対する嗜好性が亢進することを見出した。現在、その原因となる分子機構を解析している。

2. 視床下部オレキシンによる骨格筋でのグルコース代謝調節作用

オレキシンは、視床下部外側野に発現し、摂食、睡眠・覚醒レベル、動機付け行動の調節に関与する。またオレキシンは、交感神経活動、血糖にも調節作用を及ぼす。しかし、オレキシンによる代謝調節作用の詳しい機構とその生理的意義はほとんど明らかとなっていない。我々は、オレキシンが、視床下部腹内側核VMH-交感神経系を介して骨格筋とその支配血管のβ2受容体を活性化することにより、骨格筋でのインスリンシグナルを活性化し、グルコースの取り込みとインスリンによるグリコーゲン合成を選択的に促進することを見出した。また、甘味刺激によって強くオレキシンニューロンが活性化し、VMH-骨格筋交感神経-β2受容体を介して骨格筋でのグルコースの取り込みとグリコーゲン合成を高めることを見出した。脂肪組織ではこのような作用は認められなかった。以上のことからオレキシンニューロンは、(強く動機付けられた)摂食行動において活性化し、交感神経を介して骨格筋でのグルコース利用を選択的に促進することが明らかとなった。これらのことから、生体は、骨格筋でのグルコース代謝を選択的に調節するオレキシン・システムと、インスリン作用の両作用を巧みに制御することによって、糖代謝の恒常性を維持していると考えられる。(論文を投稿中)

3. 視床下部弓状核でのレプチンーAMPKシグナルを伝達する新規phosphatase、CIPPの同定とその機能解析

脂肪細胞が分泌するレプチンは、視床下部弓状核に作用してAMPK 活性を抑制することにより摂食行動を抑制する。しかし、その分子機構は明らかになっていない。我々は、レプチンによる視床下部弓状核AMPKの活性抑制に関わる新規protein phophataseを単離し、CIPP (CaMKK-AMPK cascade inhibitory protein phosphatase)と命名した。CIPPは脳において弓状核に主に発現していた。さらに、レプチンは、Aktを活性することによってCIPPをリン酸化することによりこれを活性化し、その結果、AMPKの上流酵素であるCaMKKbを脱リン酸化することでAMPKの活性を抑制することを見出した。(論文投稿中)

4. 脂肪細胞におけるBDNFの作用とそのシグナル伝達機構

神経栄養因子として知られるBrain Derived Neurotrophic Factor (BDNF) は発生初期における脳の構築や、神経の可塑性を制御する因子として知られている。近年、肥満動物にBDNFを与えると、主に視床下部に作用を及ぼして摂食量を減少、末梢におけるエネルギー代謝を亢進させることが報告されている。しかし、末梢組織においてBDNFがどのような代謝調節作用を営んでいるかはほとんど明らかとなっていない。そこで、BDNFとその受容体の末梢組織での発現を調べたところ、脂肪細胞においてBDNF とTrkB-T1が発現すること、またBDNFの発現が肥満とともに増加することを発見した。そこで脂肪細胞におけるBDNFの機能を調べた。その結果、BDNFは、脂肪細胞においてTrkB-T1を介してPI3-K/Akt、MEK/Erk1/2/S6K 経路を活性化し、FoxO1をリン酸化することにより、悪玉アディポカインの一つである動脈硬化増悪因子Plasminogen Activator Inhibitor-1 (PAI-1)のmRNA発現を抑制することを見出した。

5. 肝臓の代謝情報と膵β細胞の増殖機構を結ぶ臓器相互連関

糖尿病発症の一つの原因はインスリン分泌の低下にあり、インスリン分泌臓器である膵臓β細胞の再生・増殖のメカニズムを解明することは重要な研究課題である。今回、東北大学大学院医学研究科片桐教授との共同研究により、肝臓の代謝情報が神経を介して膵臓に伝えられ、これによりβ細胞が増殖することを見出した。本研究成果は、β細胞を増殖させる生理機能を見出した点に大きな意義があり、この分子機構を明らかにすることによってβ細胞の細胞増殖を促す新しい治療法の開発につながる可能性がある。(Imai J, et al, Science 322: 1250-1254, 2008.)