2 東京大学 大学院 医学系研究科 三品 昌美 教授

生理学研究所の中期計画6年間に関する全体評価

東京大学 大学院 医学系研究科 教授 三品 昌美

岡田泰伸生理学研究所所長より、第1期中期目標・中期計画期間6年間の生理学研究所の活動状況全体についての評価を行って欲しいとの要請を受け、生理学研究所より送られてきた年報、要覧等の関係資料による調査を行うとともに、2010年3月2日、生理学研究所を訪問し調査を行った。訪問調査では、所長らより6年間の活動の報告を受けるとともに、研究所のあり方、運営方法等のいろいろな面に関して、率直な意見交換を行った。

予算・組織・運営
生理学研究所の各研究部門が6研究系・4センターという形に整理され、生理学研究所が生理学の先導的な研究を展開するとともに全国の大学・研究機関の共同研究を推進するための体制が整備されたことは、組織・運営における大きな成果として特筆される。すなわち、6研究系体制が整備されたことにより、各部門が独自の発想に基づき独創性の高い研究を推進し、これらの先導的な研究を有機的に結合し統合研究のレベルに高めることが促進された。同時に、2005年に行動・代謝分子解析センターが、2008年に多次元共同脳科学推進センターが設置されるなど4センター体制が整備されたことにより全国共同利用機関としての生理学研究所の重要かつ独自の役割を担うことが大きく促進された。研究系とセンターは互いに密接に連携する体制になっており、研究系の先導的な研究がセンターの全国共同利用に直ちに生かされるシステムになっている。運営費交付金の減少傾向が続く状況の下で、このような体制整備がされたことは高く評価される。このような建設的な運営は明確なビジョンが重要であり、生理学研究所グランドデザインとして2007年に公表されたことも評価される。

予算面では、外部資金獲得の努力が認められる。2009年度の科学研究費補助金135件や受託研究24件、共同研究15件をはじめ積極的に外部資金を獲得しているのが認められる。なかでも、脳科学研究戦略推進プログラムやナショナルバイオリソース事業の受け入れが特筆される。また、2009年度の新規科学研究費の採択率は全国第9位の34.5\%に達している。活発な研究活動に基づく外部資金の獲得が、生理学研究所の運営にも大きく寄与している。しかしながら、生理学研究所のみならず大学・研究機関で行われる知の創造活動を展開させるべき基盤的経費が毎年大幅に削減されており、基礎研究の根幹が揺るがされている。基盤的経費と競争的資金との二本立てによる研究支援(いわゆる「デュアルサポートシステム」)の安定化に向けて大学・研究機関の研究者が協力する必要がある。

一方、研究所内に生理学研究所の活動を支える事務組織が無いことは、迅速かつ効率的な組織運営を困難にし、研究と教育ならびに共同研究の推進を本務とする研究教育職員の負担を増大させるなど、憂慮すべき事態だと思われる。

人事
生理学研究所の人事は極めて活発に行われ、研究所の活性化をもたらしていると認められる。最近6年間で教授3名、特任教授2名、准教授12名、特任准教授2名、助教17名、特任助教19名が新たに採用され、教授2名、准教授11名、助教22名、特任助教6名が転出し、他研究機関との人事交流が活発に行われている。したがって、生理学研究所は人材の受け入れと人材の育成に大きく貢献しており、人事面でも高く評価される。また、研究教育職員の増加は、生理学研究所の高いレベルの研究活動と全国共同利用や共同研究の推進に大きく寄与していると認められる。さらに、はじめて女性教授が誕生するなど若手教授の積極的な登用も評価される。一方、すべての研究教育職員に一律5年間の任期を設定し、再任審査後はテニアとなる人事制度と生理学研究所では内部昇進を行わない不文律との関係については、人事選考を担う運営委員会が明快な原則を示しているとは認められず、このような制度設計が若手の助教の意欲を削ぐ危険性も懸念される。

研究業績
 最近の6年間で生理学研究所からNature誌3編、Science誌4編、Cell誌2編、Nature姉妹誌10編、Cell姉妹誌12編、PNAS誌18編、J. Neurosci. 誌69編を含む907編の論文が発表されており、活発な研究が行われていることが認められ、高く評価される。とくに、電位により酵素活性が調節される新規蛋白質である電位依存性フォスファターゼおよびその関連蛋白が感染防御に重要な電位依存性プロトンチャネルポンプの発見(Nature 2005, Science 2006)、Scrapper蛋白質依存性ユビキチン化によるシナプス伝達調節の発見(Cell 2007)、神経系を介した膵β細胞の増殖機構の発見(Science 2008)、最先端の2光子勃起レーザー顕微鏡技術によるスパインの構造可塑性の実証(Nature 2004)、皮質脊髄路切断による上肢麻痺からの機能回復に大脳皮質が関与していることを示したことによるリハビリテーションの科学的根拠の提供(Science 2007)、位相差電子顕微鏡による蛋白質分子の単粒子解析(Cell 2007)など高いレベルの研究成果が挙げられている。また、Annu. Rev. Neurosci.誌、Nature Rev. Neurosci. 誌、Pharmacol. Rev. 誌、Prog.Neurobiol. 誌、Trends Pharmacol. Sci. 誌、Curr. Opin. Neurobiol. 誌などに総説を発表して、各学問分野を先導していることも評価される。さらに、生理学研究所では機能分子の動作・制御機構の解明、脳神経系の情報処理機構の解明、生体恒常性維持機構の解明、認知行動機構の解明が、分子、細胞レベルから組織、器官を経て個体に至るまですべての階層において進められており、統合的な生理学研究に相応しい場となっている。このような高い研究実績と技術開発力は、生理学研究所のもう一つの重要な使命である全国共同利用・共同研究推進の原動力となっていることが認められ、高く評価される。

共同研究
生理学研究所は、大学共同利用機関として大型設備の共同利用実験、一般共同研究、計画共同研究および生理学研究所研究会を公募し、全国の研究機関に対して共同利用と共同研究を推進している。最近の6年間で、世界で唯一の生物用超高圧電子顕微鏡の共同利用実験を76件(参加人員219名)、機能的磁気共鳴装置の共同利用実験を91件(参加人員350名)、生体磁気計測装置の共同利用実験を39件(参加人員107名)実施し、大学共同利用機関として大型設備の共同利用に貢献している。さらに、一般共同研究は201件(参加人員1,238名)、計画共同研究は160件(参加人員617名)、生理学研究所研究会148件(参加人員2,384名)実施し、大学共同利用機関として共同研究を推進している。また、2008年から国際研究集会を2件実施し、31名が参加している。したがって、生理学研究所は大学共同利用機関としての役割を充分に担って来たと認められる。とくに、新規の技術開発を含むイメージング機器および電子顕微鏡やレーザー顕微鏡の共同利用や遺伝子改変マウスとラットおよびニホンザルの供給は貴重である。我が国の基礎研究を強力に推進し、成果を挙げるためには、高度かつ先端的な研究基盤の整備とそれを支える技術が重要である。また、大型研究機器など、個人研究では整備できないものを的確に支援し、長期的視点に立って研究資源をはじめとするリソースの整備を図ることが重要であり、生理学研究所の果たすべき役割は大きい。

大学院教育、若手研究者育成
生理学研究所は、総合研究大学院大学生命科学研究科生理学専攻の基盤機関として、博士後期課程の大学院教育を行っている。2004年度からは5年一貫制の大学院教育も導入され、大学院教育として生理科学専門科目講義と生理科学特別講義を実施している。また、生理学研究所奨学金や顕著な業績を挙げた大学院生を顕彰する生理学研究所若手科学賞を設け、大学院生の支援を行っている。さらに、外国人にも経済的支援や英語教育などの支援を実施している。また、学術協定を結んでいる海外の大学に対して留学生のリクルートをするなど積極的に国際化に取り組んでいる。しかしながら、生理学研究所の大学院入学者は減少傾向にあり、優秀な大学院生を受け入れるためには更なる努力が必要であろう。基礎研究を目指す医学部卒業生が激減するなど、これらの課題は全国共通の部分も多い。基礎研究者のキャリアパスや魅力に関して我が国を挙げての取組みが必要と思われる。

生理学研究所は各部門によるポストドク採用を支援している。また、生理科学実験技術トレーニングコースを開講し、約150名の若手研究者を受け入れ、最先端技術の伝授を行っている。昨年度から多次元共同脳科推進センターで分野横断的な若手研究者育成を目指し、講演、講義、実習を実施している。このように若手研究者教育や育成支援に努力が払われていることは評価される。

広報活動
2007年に広報展開質が設置され、専任の准教授が着任するなど、広報活動および社会貢献活動に積極的な取組みがされており、高く評価される。研究成果の広報が積極的に行われ、新聞報道件数や生理学研究所ウエブサイトへのアクセス数が飛躍的に増加するなど成果が明らかになっている。また、「せいりけん市民講座」の開催や「せいりけんニュース」の発行により社会への貢献にも著しい努力が認められる。

更なる発展へ
生理学研究所では機能分子の動作・制御機構の解明、脳神経系の情報処理機構の解明、生体恒常性維持機構の解明、認知行動機構の解明が、分子、細胞レベルから組織、器官を経て個体に至るまですべての階層において進められ、高い研究実績と技術開発力は全国共同利用・共同研究推進の原動力となっている。生理学研究所の更なる発展に向けて、生理学研究所グランドデザインに沿って各部門が独自の発想に基づき推進している独創性の高い研究を有機的に結合し、統合研究のレベルをさらに高めることが望まれる。生理学研究所では生体の恒常性維持ならびに脳神経系の情報処理と認知行動の研究が進められており、これらを結合し統合的な理解を進め、ヒトのこころと体のバランスのとれた健全な発展に寄与する方向への運営が望まれる。統合的研究には臨床研究も組み込むことが必要であり、病院を有する大学医学部や精神・神経センターとの連携を進めることが望まれる。また、特定領域研究「統合脳」が平成21年度をもって終了し、全国的に脳神経研究者が共同して統合的脳研究を推進する場が失われつつある。生理学研究所が全国の研究機関の共同研究を支援し、統合的脳研究を推進する場を提供し、平成22年度から計画されている「包括型脳科学研究推進支援ネットワーク」とも連携するなど、より積極的にイニシアティブを取ることが望まれる。

生理学研究の発展のためには、独創性に富む若手研究者の育成及び活躍が不可欠である。例えば、留学から帰国した若手研究者が、あるいは優秀な若手外国人研究者が、その経験を生かして直ちに活躍できるよう特任ポストを設置し、研究員、技術員、リサーチスタッフ、研究補助者等の参加を得て、個人研究が行える研究費を充実することなど、優れた若手研究者を支援するフェローシップ制度等の充実を図ることが望まれる。次世代の研究者を育成するためには、研究・教育環境の充実に加え、経済的支援や将来のキャリアパスへの支援も極めて重要である。博士号取得者等の高度な専門性を有する人材が、研究機関のみならず多様な方面へ進み、その能力を活用することを可能とするため、キャリアディベロップメントの取組みを強化して行くことが望まれる。例えば、多様な進路を知り、研究成果の社会と共有する方法論を学び、実践的な英語コミュニケーションスキルを学ぶようなカリキュラムを充実させることも重要であろう。また、複数指導教員制による進路指導、学生主催の研究発表会による人的交流と視野の拡大、社会で先輩が活躍する現場を目の当たりにするサイトビジット、若手研究者の特任助教への採用も検討に値すると思われる。一方、内部昇進を行わない不文律は若手研究者の意欲を抑制する危険性があり、しっかりとした議論が必要であろう。

生理学研究所グランドデザインにあるように、生理学研究所の各研究者が独自の発想に基づき独創性の高い生理学の先導的な研究を展開することが最も肝要であると思われる。生理学研究所に期待されることは多岐に渡るが、限られた人員ですべてを満足させることは不可能であり、疲弊を招く危険もある。時には捨てる勇気も持って重点を絞り込むことにより総花的な運営に陥る愚を避け、全国の大学・研究機関の中で独自の役割を果たして発展して行くことが望まれる。