2 生体恒常性維持機構と脳神経系情報処理機構の解明

2.1 研究の現況

脳では、末梢で感知した個体内外環境情報を統合・処理し、末梢の個々の組織・臓器の機能を調節することによって、個体恒常性機能を維持している。生理学研究所では、このメカニズムを理解するために、脳内情報をやりとりする分子の動態から個体活動までを繋ぐ研究を展開している。本年度は、以下のような多様なレベルの研究が行われた。

(1) シナプスの分子構造
視床神経細胞の入力が異なる2種類のシナプスにおいて、AMPA型グルタミン酸受容体の定量的免疫電顕観察と電気生理学的解析・シミュレーションを組み合わせて、単一シナプス応答とシナプス構造やAMPA受容体局在との関係を明らかにした。

(2) シナプス伝達
抑制伝達に重要な細胞内クロライドイオン濃度調節には、カリウムークロール共役担体のリン酸化やラフト分画へのクラスタリングが必要であることを明らかにした。

(3) シナプス発達
発達に伴って聴覚系神経伝達物質がGABAからグリシンへ変換する意義を明らかにするために、幼弱期GABAB受容体の役割を解析した。

(4) シナプス可塑性と学習・記憶
長期増強に重要なカルシウム・カルモジュリンキナーゼIIは欠失させないで、そのリン酸化機能のみを失わせたマウスを開発して、この酵素のリン酸化機能がシナプス可塑性や行動学習にとって重要であることを証明した。

(5) 局所回路におけるシナプス分布
超薄連続切片から電顕を使って皮質微細構造を再構築するための、新しいシナプス同定基準を確立した。旧来のシナプス同定法だけを使った場合、シナプスの多くを見落としてしまう可能性があることがわかった。

(6) 神経回路の結合選択性
皮質介在細胞が興奮性経路を選択的に抑制するかどうかを検討したところ、錐体細胞間の興奮性サブネットワークの抑制様式は、介在細胞サブタイプごとに異なることがわかった。

(7) 神経回路の動的特性
熱帯魚の逃避行動の神経回路機構を、関与するニューロンをGFPで標識することで解析したところ、脊髄にある特殊な神経回路が重要な役割を果たすことが分かった。

(8) 神経結合の動的変化
大脳皮質に脳梗塞をひき起こした時の、反対側皮質の変化を調べたところ、時期依存的に神経回路の再編が起き、感覚刺激に応じて機能回復が促されることが明らかになった。

(9) ミクログリアとニューロンの相互作用と病態
ミクログリア細胞を標識して二光子レーザー顕微鏡で観察したところ、脳梗塞などの障害時おいて、ミクログリアが障害なシナプス除去に関与することがわかった。

(10) グリア細胞異常と認知障害
オリゴデンドロサイトに遺伝子異常があるマウスにおいて、脱髄は観察されないのに、統合失調症と同じような行動異常が見られ、グリア細胞異常が認知障害に結びつくことを明らかにした。

(11) 視床下部の機能的神経回路
オレキシンが、視床下部-交感神経系を介して、骨格筋とその支配血管のβ2受容体、骨格筋でのインスリンシグナルを活性化し、グルコースの取り込みとインスリンによるグリコーゲン合成を選択的に促進することを明らかにした。

(12) 生体恒常性維持機構
レプチンが視床下部腹内側核に作用した後、メラノコルチン産生ニューロンを興奮させ、メラノコルチン受容体が活性化されることで、骨格筋など末梢組織でのグルコースの取り込みが促進されることを明らかにした。

2.2 今後の展望

以上のように、現在、生理学研究所ではシナプスから個体行動レベルまで脳の各階層を横断する研究が活発に行われている。脳についてこのような多面的な解析を行える研究施設は国内には多くなく、今後もこの特徴を発展させていくことが必要と考えられる。そのためには、電子顕微鏡による超微細構造や多光子励起顕微鏡による生きた組織における形態解析、シナプス・ネットワーク活動の電気生理学的解析、個体行動解析などを 一貫して行える研究体制の整備と、イメージング技術と電気生理解析の融合や、微細回路の機能・形態観察の高度化を行う必要がある。来年度から、超高圧電子顕微鏡を担当する教員が電子顕微鏡室も併任する予定で、センターと研究部門の連携や、シームレスな生理的・形態的解析手法の整備を進めていきたい。