5 四次元脳・生体分子統合イメージング法の開発

5.1 概要

自然科学研究機構では今年度より新分野創成センターが設置され、イメージングサイエンス研究とブレインサイエンス研究の2研究領域において分野を超えた方法の開発と新しい学術分野の創成を目指した活動が開始された。従来から生理学研究所では、5つの研究の柱の一つとして「四次元脳・生体分子統合イメージング法の開発」を掲げており、これら2研究領域のいずれにも深く関連する脳イメージング法を用いた広範囲な研究活動が活発に行われてきた。多光子レーザー顕微鏡をはじめとする光学顕微鏡、超高圧電子顕微鏡や位相差電子顕微鏡、これらを統合する光顕・電顕相関顕微鏡法、凍結割断レプリカ免疫電子顕微鏡法、機能的MRIをはじめとするヒト脳機能イメージング法などを用いた脳機能の研究がこれにあたる。これらは高い3次元空間分解能と時間分解能を持つイメージング法によって、脳の超微細構造や脳に発現している生体分子の動態、脳の活動状態を可視化し、複数の方法を組み合わせて統合的に脳機能を理解しようとするものである。

5.2 電子顕微鏡、光学顕微鏡

永山、重本、川口各研究室においては、光学顕微鏡情報と電子顕微鏡情報を統合する最適な方法として、同一試料、同一視野を2つの手法で同時観察する事を目指して、光顕-電顕相関法を開発する共同研究が進められている。また今年度は、より小さい中心孔を持つ新たな位相板を用いることによって、位相差電子顕微鏡観察を微小粒子のみならず培養細胞や脳切片に応用することを可能にした(Fukuda et al., J Struc Biol 2009)。さらに異なる重金属による標識とEDX-走査透過型電子顕微鏡を凍結割断レプリカ免疫電子顕微鏡法に適用し、複数の蛋白質分子を細胞膜上で検出する方法を開発して報告した(Loukanov et al., Ultramicroscopy 2010)。また今年度末には、永山研究室で開発された位相差電子顕微鏡法を超高圧領域に応用するための500 keVの全く新しい手法を導入したクライオトモグラフィー超高圧電子顕微鏡が設置される予定であり、これと細胞内蛋白質の同定のための蛍光Qdotや化学プローブを用いた新しい標識法とを組み合わせ、神経細胞や脳組織への応用などが行われることが期待される。鍋倉研および多光子顕微鏡室では、生体組織の微細構造の深部イメージングを構築し、神経細胞およびグリア動態の可視化(Wake et al., J Neurosci 2009)、末梢免疫細胞の動態と制御分子(Ebisuno et al., Blood 2010)、新たな蛍光分子の開発(Tomosugi et al. Nature Methods 2009)などを所外との共同研究として報告した。

5.3 脳機能イメージング

マクロレベルにおいては、ヒトの高次脳機能を動的かつ大局的に理解することを目指して、機能的MRI, 近赤外線分光法, 脳磁図などの非侵襲的脳機能イメージング法を駆使して、研究を進めている。その重要な対象のひとつとして、社会能力がある。これは他者と円滑に付き合う能力をさし、言語性・非言語性のコミュニケーション能力を基盤とした高次脳機能である。その中でもヒトに特異的な向社会行動(利他主義)が他者からの賞賛・評判により動機づけられる(社会報酬)ことに着目し、その神経基盤が報酬系として知られる線条体にあることを明らかにした(Izuma et al., Neuron 2008; Izuma et al., J Cogn Neurosci, in press; Izuma et al., Soc Neurosci, in press)。 技術的には、2個体間の相互作用とその神経基盤を研究する目的で、2台の高磁場(3テスラ)MRI装置を用いた脳機能同時計測手法を開発しつつあり、複雑な人間の社会行動の神経基盤解明に資することが期待される。

5.4 方向性

一方、生物学研究の世界においては、ゲノミクスやプロテオミクスのような網羅的手法を脳神経細胞のネットワークにも適用しようとするコネクトミクスと呼ばれる手法の開発が、ここ数年間で急速に進んできた。数億という数の神経細胞とそれらのシナプス結合によって構成されている局所回路においては、いまだその入力と出力との因果関係が大きなブラックボックスとなって立ちはだかっている。現在の神経科学が分子や細胞レベルと脳領域といったマクロレベルで著しい進歩を見せているのに対して、これらの間をシームレスに繋げるための局所回路の問題が遅々として進まない理由もここにある。コネクトミクスはこのブラックボックスの中身を包括的に明らかにしようとするものである。

生理学研究所でもこの潮流に対応し世界をリードして行くためには、上記のような独自に開発されてきたイメージング手法をコネクトミクスと組み合わせていく新たな方法を開発する必要がある。さらにこのような網羅的手法で得られる膨大なデータから有益な情報を抽出するためのイメージング解析および情報処理技術が今後ますます重要になっていくことは明らかである。このため今後は最先端のイメージング機器というハードと最先端の画像処理法というソフトの有機的連携を進めるために、特に情報処理分野で先進的な自然科学研究機構内や機構外の大学等の他機関と生理学研究所との新たな共同研究グループの構築が必須であると考えられる。

文献

Fukuda Y, Fukazawa Y, Danev R, Shigemoto R, Nagayama K (2009) Tuning of the Zernike phase-plate for visualization of detailed ultrastructure in complex biological specimens. J Struct Biol 168:476-84.

Loukanov A, Kamasawa N, Danev R, Shigemoto R, Nagayama K., Immunolocalization of multiple membrane proteins on a carbon replica with STEM and EDX, Ultramicroscopy. 2010 Feb 10. [Epub ahead of print].

Wake H, Moorhouse AJ, Jinno S, Kohsaka S, Nabekura J (2009) Resting microglia directly monitor the functional state of synapses in vivo and determine the fate of ischemic terminals. J Neurosci 29:3974-2980.

Ebisuno Y, Katagiri K, Katakai T, Ueda Y, Nemoto T, Inada H, Nabekura J, Okada T, Kannagi R, Tanaka T, Miyasaka M, Hogg N, Kinashi T (2009) Rap1 controls lymphocyte adhesion cascade and interstitial migration within lymph nodes in RAPL-dependent and -independent manners. Blood 115:804-814.

Tomosugi W, Matsuda T, Tani T, Nemoto T, Kotera I, Saito K, Horikawa K, Nagai T (2009) An ultramarine fluorescent protein with increased photostability and pH insensitivity. Nature Methods 6:351-353.

Izuma K, Saito DN, Sadato N (2008) Processing of social and monetary rewards in the human striatum. Neuron 58:284-294.

Izuma K, Saito DN, Sadato N (2010) Processing of the Incentive for Social Approval in the Ventral Striatum during Charitable Donation. J Cogn Neurosci (in press).

Izuma K, Saito DN, Sadato N (2010) The roles of the medial prefrontal cortex and striatum in reputation processing. Soc Neurosci (in press).