6 発達生理学研究系

6.1 認知行動発達機構研究部門

当部門では、手指の巧緻運動と眼球のサッケード運動を制御する神経回路機構とその部分的損傷の後の機能代償機構について研究を行っている。特に前者については、マカクザルを用いて、頚髄レベルでの皮質脊髄路、後者については、その制御の中核を担う中脳上丘の局所神経回路をスライス標本を用いて解析するとともに、一次視覚野を一側性に損傷した覚醒マカクザルを用いて、「盲視」の神経機構の解明を目的とする研究を行っている。そして最近はさらに「機能の操作」という方法論、考え方を導入した。ひとつはブレインマシンインタフェース(BMI)の開発に関する基礎研究で、もうひとつはウィルスベクターを用いて霊長類の脳に発現する遺伝子を操作する研究を開始している。 以下に2009年に発表した主要な発表論文の概要を記す。

1. Nishimura Y, Morichika Y, Isa T (2009) A subcortical oscillatory network contributes to recovery of hand dexterity after spinal cord injury. Brain 132:709-721.

最近我々は霊長類において皮質脊髄路から運動ニューロンに至る経路には、直接経路の他に頚髄C3-C4髄節に存在する中継ニューロンを介する間接的な経路が存在することを明らかにし、さらにC5レベルで間接経路は残して直接経路のみを切断したところ、切断後手指の精密把持運動は一過性に障害されるが、訓練により1-2週間から1-3ヶ月の経過でほぼ完全に回復することが明らかにした。このような機能回復モデルを用い、回復過程における神経回路のダイナミックな性質の変化を電気生理学的に解析したところ、健常な動物で観察される皮質運動野と手指の遠位筋の間で観察されるβ帯域のコヒーレンス(cortico-muscular coherence)は損傷によって消失し、その後も回復しないが、手指の把持運動の機能回復に並行して、上肢の広汎な筋同士がおそらく脊髄などの下位中枢の回路を介して30-46Hzのγ帯域で同調してオシレーションするようになるという、musculo-muscular coherenceを生成する新たな神経機構を発見した。

2. Takahashi M, Vattanajun A, Umeda T, Isa K, Isa T (2009) Large-scale reorganization of corticofugal fibers after neonatal hemidecortication for functional restoration of forelimb movements. European Journal of Neuroscience 30:1878-1887.

幼弱時の脳では傷害に対して大規模な神経回路の再組織化が起きることが示唆されてきた。今回、生後5日齢のラットの片側を除皮質したところ、成熟後の傷害反対側の上肢の到達―把持運動は比較的正常であるが、残存する側の皮質を傷害すると遂行不能になることから残存する側の皮質感覚運動野が同側の上肢運動を制御することが示唆された。そこで順行性トレーサーBDAを残存する側の皮質感覚運動野に注入して下行性投射を解析したところ、上肢運動に関与する赤核、橋核、延髄後索核、脊髄灰白質という様々なレベルで両側に投射していることが明らかになり、このような回路の大規模再編が機能代償に関与していることが示唆された。

6.2 生体恒常機能発達機構研究部門

当部門では、発達期および障害回復期における神経回路機能の再編成機構の解明を主なテーマに研究を行っている。本年度は主に以下の2項目を中心に研究を推進した。

1. 多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察

2. 抑制性神経回路機能の発達および障害による変化。GABAおよびグリシン作動性回路の発達、抑制性回路再編成制御因子の発達変化、および細胞内クロールイオン調節機構の発達・障害による変化と機能発現機構

1.多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察
高出力近赤外線超短パスルレーザーを利用した多光子励起法を生体に適用して、各種細胞に蛍光蛋白質が発現している遺伝子改変マウスにおいて、大脳表面から 1 ミリメートル以上の深部の大脳皮質全層にわたる全体像および 1 ミクロン以下の微細構造のイメージング法を確立するとともに、2ヶ月以上の長期間にわたる繰り返し観察を可能とした。これらの技術を利用して、本年は 1)ミクログリアによるシナプス監視動態(J Neurosci 2009)、2)シナプス構造のリモデリングの解析による障害の対側脳領域での障害代償機構(J Neurosci 2009)、3)生後直後の母子解離ストレスによる成熟後の大脳皮質第V層錐体神経細胞スパイン形成の障害(Brain Res 2009)、について明らかにした。さらに現在、4)未熟期における大脳GABAニューロンの細胞移動の観察とそのメカニズム、5)慢性疼痛時における大脳皮質体性感覚野の痛覚情報伝達様式の短期的および長期的変化について生体内で観察しており、これらについて今後順次論文として発表していく予定である。

2.抑制性神経回路の発達および障害における変化:
音源定位に係わる聴覚中性路核である聴覚中継路外側上オリーブ核には、同側内耳からの情報がグルタミン酸作動性として入力し、反対側内耳からの情報は未熟期にはGABA作動性として入力する。この反対側からの入力では、発達に伴って、神経伝達物質がGABAからグリシンへと、同じCl- チャネルを開口する物質にスイッチする。一方、代謝型GABAB受容体は、未熟期には外側上オリーブ核神経細胞自体とそこへ入力する抑制性神経終末部に機能的に発現しているが、発達によるGABA入力の減少と同時に、GABAB受容体の発現も減少し、聴覚発生後のラットおよびマウスでは、両部位からGABAB受容体の機能が消失する。この神経伝達物質のGABAからグリシンへのスイッチングの意義の解明のため、幼若期にのみGABAB受容体が発現している意義について、GABAB受容体ノックアウト動物を用いて検討を行った。その結果、GABAB受容体ノックアウト動物では、未熟期の特徴であるシナプス応答の細胞間のばらつきが成熟動物においても観察され、発達にともなう安定なシナプス応答の獲得に幼若期のGABA伝達・GABAB受容体の活性化が必要であることが判明した。 一方、シナプス後細胞における抑制性シナプス応答制御である細胞内クロールイオン濃度調節主要因子であるカリウムークロール共役担体(KCC2、神経細胞内クロールイオンくみ出し分子)の機能制御メカニズムとして、KCC2のリン酸化、ラフト分画へのクラスタリングが必要であることを明らかにした(J. Biol Chem 2009)。また、インスリンによるGABAA受容体の細胞膜への発現制御にPRIPと呼ばれる蛋白質が必要であること(J Biol Chem in press)、海馬CA3錐体細胞から放出されるカンナビノイドによって抑制性神経終末部からのGABA放出が抑制されること(Neuroscience in press)、成熟ラットでもGABAが 性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)を産生するニューロンに対して興奮性であること(Biol Reprod 2009)を明らかにした。また、鎮痛や覚醒作用を有する甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH)が青斑核ノルアドレナリンニューロンを興奮させることも明らかにした (J Physiol 2009)。

6.3 生殖・内分泌系発達機構研究部門

当研究部門では、生体恒常性維持に関わる視床下部の調節機能、レプチンやアディポネクチンの代謝調節作用に焦点を当て研究を行っている。本年度は以下の項目について研究を推進した。

1. 視床下部オレキシンによる骨格筋でのグルコース代謝調節作用
オレキシンは、視床下部外側野に発現し、摂食、睡眠・覚醒レベル、動機付け行動の調節に関与する。またオレキシンは、交感神経活動、血糖にも調節作用を及ぼす。しかし、オレキシンによる代謝調節作用の詳しい機構とその生理的意義は明らかとなっていない。我々は、オレキシンが、視床下部腹内側核VMH-交感神経系を介して骨格筋とその支配血管のβ2受容体を活性化することにより、骨格筋でのインスリンシグナルを活性化し、グルコースの取り込みとインスリンによるグリコーゲン合成を選択的に促進することをマウス及びラットを用いて明らかにした。 また、甘味刺激とその期待感によって強くオレキシンニューロンが活性化し、VMH-骨格筋交感神経-β2受容体を介して骨格筋でのグルコースの取り込みとグリコーゲン合成を高めることを見出した。 脳が摂食後のインスリン分泌に関与することは良く知られているが、摂食時における骨格筋へのグルコース代謝にも脳が調節作用を及ぼすことが、本研究によって初めて明らかとなった。本研究成果は、Cell Metabolismに掲載された。

2. 末梢組織でのグルコース利用を促進する視床下部レプチンーメラノコルチン経路の機能解析
脂肪細胞が分泌するレプチンは、脳、特に視床下部に作用を及ぼして摂食行動を抑制するとともにエネルギー消費を促進する。また、近年、レプチンが末梢組織でのグルコース代謝にも調節作用を営む事が明らかとなった。しかし、レプチンが視床下部のどの神経核に作用を及ぼし、末梢組織でのグルコース代謝を調節するかは全く明らかとなっていない。本研究において我々は、レプチンがVMHニューロンに作用を及ぼした後、メラノコルチン産生ニューロンを活性化し、VMHとPVHのメラノコルチン受容体を活性化することによって骨格筋など末梢組織でのグルコースの取り込みを促進することを、マウスを用いて明らかにした。本研究成果は、Diabetes (2009年12月)に掲載された。