1 機能分子の働きとその動作・制御メカニズム

人体(とりわけ脳)の複雑かつ精緻な活動は、イオンチャネル、トランスポーター、レセプター、センサー、酵素などの機能タンパク質と、それらの分子複合体によって営まれている。したがって、これらタンパク質の機能とその動作・制御メカニズムの解明は人体の生理機能を理解する上で必要不可欠である。さらに、これら機能分子の異常は即座に細胞機能の破綻を引き起こし、様々な疾患の病因と成り得ることから、その性状解明は極めて重要である。生理研では、分子生理研究系(神経機能素子研究部門)、細胞器官研究系(生体膜研究部門、機能協関研究部門、細胞生理研究部門)などにおいてこの分野の研究が活発に進められている。今年度の特筆すべき研究成果としては、以下が挙げられる。

(1) KCNQ1とKCNE1からなるK$^+$チャネル複合体の構成比(stoichiometry)を解明

神経機能素子研究部門では、様々なイオンチャネル、受容体、Gタンパク質等の機能を構造と関連させつつ解析している。今年度は不整脈の原因遺伝子としても知られている電位依存性チャネルKCNQ1の存在様式を新たな可視化技術を用いて明らかにした。これまでKCNQ1が4量体としてイオンチャネルを形成することは分かっていたが、そのチャネル機能を制御するKCNE1サブユニットがどのような比率でKCNQ1 4量体と結合するかについては不明であった。従来の解析手法では全体の平均像を見ていたにすぎないことから、神経機能素子研究部門では1分子蛍光イメージング法を駆使し、一つのKCNQ1-KCNE1チャネル複合体に何個のKCNE1 が含まれているかを可視化することに成功した。その結果、KCNQ1 4量体(1個のイオンチャネル)に対し、1-4個のKCNE1 サブユニットが含まれており、状況依存的にその比率が変化することが示唆された。今回の成果はKCNQ1-KCNE1チャネル複合体の解析にとどまらず、様々な膜タンパク質複合体の存在様式を決定する上で極めて重要な手法であると言える。この成果はProc Natl Acad Sci USA誌に発表された。

(2) てんかん関連リガンドLGI1の生理機能の解明

てんかんは人口の約1%に見られる神経疾患で、神経細胞、神経回路の異常発火が主たる原因と考えられている。LGI1はヒトのある種の家族性部分てんかん家系で変異が見られる分泌タンパク質であるが、その機能に関しては殆ど分かっていなかった。生体膜研究部門ではLGI1遺伝子欠損(KO)マウスを作成し、全てのKOマウスが生後2−3週間で致死性のてんかん発作を呈することを見出した。また、LGI1の脳内の主な受容体が、てんかん関連タンパク質ADAM22とその類縁タンパク質ADAM23であることを見出した。LGI1はADAM22とADAM23の3者からなるタンパク質複合体を形成するが、LGI1 KOマウスではシナプスにおけるこの複合体形成が阻害され、てんかんが起こると考えられた。さらに、このLGI1 KOマウスの海馬では、AMPA型グルタミン酸受容体を介したシナプス伝達の低下が認められた。このように、LGI1は細胞外から脳の興奮性を調節して、てんかんの発症を防ぐ役割をする重要な分泌タンパク質であると考えられた。LGI1 KOマウスはヒトのてんかんモデルマウスとしても有用であると考えられる。本研究内容は、Proc Natl Acad Sci USA誌に発表された。

(3)細胞容積調節・細胞死誘導にかかわるバイオ分子センサーの働きと分子メカニズムの解明

細胞は(異常浸透圧環境下においても)その容積を正常に維持する能力を持ち、この破綻は細胞死(アポトーシスやネクローシス)に深く関与する。これらのメカニズムには、容積センサー機能およびストレスセンサー機能をもった様々なイオンチャネルが関与している。今年度、機能協関研究部門ではヒト上皮細胞における細胞縮小時の容積調節に蛋白キナーゼAkt1の活性化が必要であること等、詳細な分子メカニズムを明らかにした(J Biol Chem誌)。また、細胞膨張時の容積調節を担うVSORアニオンチャネルが白色脂肪細胞にも発現しており、糖尿病マウスの脂肪細胞ではこのVSORの発現が低下し、その容積調節機能が低下していることを明らかにした(Am J Physiol Cell Physiol誌)。このように、細胞の有する基本原理である「細胞容積調節の分子メカニズム」とその破綻による病態機構の全容解明に近づく着実な成果を得た。

一方で、機能協関研究部門では光感受性センサータンパク質であるメラノプシンに着目して網膜内神経回路の機能解析も進めている。今年度は網膜への遺伝子導入法と簡便なスクリーニング法の開発のためげっ歯類網膜の組織培養法を確立した(PLoS One誌)。この培養法により、遺伝子銃を用いた改変メラノプシンの遺伝子導入にも成功した。

(4) 分子センサーTRPチャネルによる温度受容と細胞伸展刺激受容機構の解明

細胞生理研究部門では、温度感受性TRPチャネルファミリーに焦点を当てた温度受容、侵害刺激受容の研究と視床下部神経による睡眠・覚醒の分子メカニズムの研究を展開している。今年度はTRPチャネル研究においては、1.TRPV2が機械伸展刺激を感知して軸索伸展をもたらすこと(J Neurosci誌)、2.単粒子解析によるTRPV4の構造解明(J Biol Chem誌)、3.TRPV4が表皮ケラチノサイトにおいて細胞骨格、細胞間接着を制御し、皮膚のバリア機能に必須であること(J Biol Chem誌)、4.ミツバチのTRPAチャネルが34度を超える温度刺激や昆虫忌避物質によって活性化され、ミツバチの忌避行動を誘起すること(J Neurosci誌)、5.TRPV2が消化管の動きを調整する伸展刺激センサーとして機能すること(J Neurosci誌)、6.TRPM2がグルコース、インクレチンの濃度増加の下流でインスリン分泌をもたらすこと(Diabetes誌)、等の多数の成果を発表した。また、睡眠 覚醒調節に重要な視床下部のオレキシン神経細胞が、覚醒を維持するメカニズムを神経細胞レベルにおいて明らかにした(J Neurosci誌)。さらに、新規神経ペプチドNPBの生理的役割の1つとして睡眠覚醒調節があることを明らかにした(Sleep誌)。

以上のように、充実した研究成果が多数挙げられており、さまざまな生理現象の分子基盤、およびその破綻から生じる病態機構を解明した。これらの研究成果はプレスリリース(12件)として国内外へ積極的に情報発信され、国内外の様々な分野の研究者、市民と幅広く共有されている。このような研究活動が、人体の生命活動の統合的理解につながるものと期待される。

将来に向けての展望

引き続き各機能分子の働きと制御メカニズムを世界最高水準の研究技術を駆使して解明していくことは言うまでもなく、大学共同利用機関として新たな技術の開発、導入により新しい研究分野の開拓を目指す必要がある。すでに、いくつかの研究部門では光活性化イオンチャネルを用いた光遺伝学(optogenetics)を細胞レベルから組織、個体レベルへ応用し、特定の神経細胞の活動を人為的に制御し、新たな知見を得つつある。また、STEDやPALMといった超高解像度顕微鏡(nanoscopy)によるイメージングによりナノメートルレベルで機能蛋白質の生細胞内局在が解明されることが期待される。多光子顕微鏡による個体深部の観察と組み合わせることにより、コネクトミクスセンター拠点としての活動も期待できる。また、これら機能分子の変異を有するモデル動物を作成、活用することにより機能分子の生理機能がより鮮明に理解できるとともに、ヒトの病態機構の解明に直接貢献できることが期待される。


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