6 発達生理学研究系

6.1 認知行動発達機構研究部門

当部門では、手指の巧緻運動と眼球のサッケード運動を制御する神経回路機構とその部分的損傷後の機能代償機構について研究を行っている。特に前者については、マカクザルを用いて、皮質脊髄路と脊髄介在ニューロン系の機能について、後者については中脳上丘の局所神経回路をスライス標本を用いて解析するとともに、一次視覚野を一側性に損傷した覚醒マカクザルを用いて、「盲視」の神経機構の解明を目的とする研究を行っている。さらに「神経回路機能の操作」によって神経回路機能の因果律を実証する研究パラダイムを探求している。ひとつはブレインマシンインタフェース(BMI)の開発に関連する情報のdecodingであり、もうひとつはウィルスベクターを用いて霊長類の脳に発現する遺伝子を操作し、高次脳機能を実現する神経回路機構を解明する研究である。

以下に2010発表した主要な発表論文の概要を記す。

1. Ikeda T, Yoshida M, Isa T (2010) Lesion of primary visual cortex in monkey impairs the inhibitory but not the facilitatory cueing effect on saccade. J Cogn Neurosci, Early Access, Online (doi:10.1162/jocn.2010.21529).
眼球のサッケード運動は、直前に外界で起こったことの履歴に強く影響を受ける。刺激を受けた直後にはその場所に対する反応が強化されるが、一定時間の後(通常数百ミリ秒以降)には反対に反応が抑制される。こうした強化と抑制には中脳の上丘が重要な役割を果たすとされているが、上丘に対する網膜からの直接的な視覚入力(皮質下視覚経路)と一次視覚野を介する間接的な視覚入力(皮質視覚経路)のそれぞれがどのような機能を果たしているのかは明らかになっていない。このことを明らかにするために我々は、皮質視覚経路を選択的に損傷したサルを用いて研究を行い、皮質視覚経路損傷下においては抑制的な調節が阻害される一方で、強化的な調節は残存することが明らかにすることができた。これにより、皮質下視覚経路は強化的な調節に、皮質視覚経路は抑制的な調節に、それぞれ関与していることが明らかになった。

2. Tsuboi F, Nishimura Y, Yoshino-Saito K, Isa T (2010) Neuronal mechanism of mirror movements caused by dysfunction of the motor cortex. Eur J Neurosci 32: 1397-1406.
脳梗塞などの後にしばしば、片側の手を動かそうとすると反対側の手も不随意的に動いてしまう鏡像運動(mirror movement)が観察される。この神経機構を解明することは臨床治療指針を検討するためにも重要である。我々はサルの一次運動や手指支配領域を一側性にムシモルによって機能阻害することによって反対側の手を動かそうとする際に同側の手も動いてしまうmirror movementを再現性良く観察できることを見出した。さらに今度は反対側の一次運動野をムシモルで機能阻害するとmirror movementは消失することが明らかになった。以上の結果から、上位中枢から両側性に運動野に運動指令は投射するが、一側性に運動野が機能阻害されることで反対側に対する抑制が低下することで反対側の運動野の活動が亢進しmirror movementを生じさせることが明らかになった。

6.2 生体恒常機能発達機構研究部門

当部門では、発達期および障害回復期における神経回路機能の再編成機構の解明を主なテーマに研究を行っている。本年度は主に以下の2項目を中心に研究を推進した。

  1. 多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察
  2. 抑制性神経回路機能の発達および障害による変化。特に、GABAおよびグリシン作動性回路の発達・再編成に関する制御因子とその機序。さらに細胞内Cl$^-$イオン調節機構に関する研究

1.多光子顕微鏡を用いたin vivoイメージング法による発達・障害回復にともなう大脳皮質回路変化の観察
これまでに、高出力近赤外線超短パスルレーザーを利用した多光子励起法を生体に適用して、各種細胞に蛍光蛋白質が発現している遺伝子改変マウスにおいて、大脳表面から1 mm以上の深部の大脳皮質全層にわたる全体像および1 µm以下の微細構造のイメージング法を確立するとともに、2ヶ月以上の長期間にわたる繰り返し観察を可能とした。また、本年度新たに、子宮内電気穿孔法を用いて脳内の目的とする細胞に種々の遺伝子を導入する手法を確立した。これらの技術を利用して、本年は 1) 脳梗塞により障害された脳微小血管血流の変動とその制御(Br J Pharmacol 2010)、2) シナプス構造のリモデリングの解析による障害の対側脳領域での障害代償機構について、既に報告した続報として、機能回復とシナプス再編の時間的な詳細な対応(Neurosci Lett, in press)、について明らかにした。さらに現在、3) 未熟期における大脳GABAニューロンの細胞移動の観察とそのメカニズムについて、未熟期の大脳皮質GABAニューロンの移動が多方向性であること、この時期にあける神経細胞の特徴であるGABAによる脱分極を薬理学的に阻害すると、その移動速度が減少すること、未熟期の生体イメージングを用いて明らかにした。4) 慢性疼痛時における大脳皮質体性感覚野の痛覚情報伝達様式の短期的および長期的変化、また、シナプスの再編と痛覚過敏発生の時間的な対応、5) ニューロンとミクログリアの相互作用、について生体内で観察しており、これらについて今後順次論文として発表していく予定である。

2.抑制性神経回路の発達および障害における変化
音源定位に係わる聴覚中継路核である外側上オリーブ核には、同側内耳からの情報がグルタミン酸作動性として入力し、対側内耳からの情報は未熟期にはGABA作動性として入力する。この反対側からの入力では、発達に伴って、神経伝達物質がGABAからグリシンへと変化する。まず、この神経伝達物質のGABAからグリシンへのスイッチングのメカニズムの解明のため、本年度は培養細胞を用いたモデル実験を行った。海馬培養細胞でGABA性シナプスからグリシンが放出されるためには、60 mM程度の高濃度のグリシンが必要であったが、GABA合成酵素であるグルタミン酸脱炭酸酵素(GAD)を阻害することによって必要なグリシン量が減少することから、GADによるGABAの産生がシナプス小胞へのグリシンの取り込みを阻害していることが示唆された。外側上オリーブ核への神経入力が正常に発達するためには、内耳由来の自発活動が重要であるが、この自発活動を修飾している候補としてノルアドレナリンに注目し、ノルアドレナリンが未熟期外側上オリーブ核に入力する興奮性・抑制性シナプス前神経終末部のα2受容体を介して、伝達物質の放出を抑制していること、このα2受容体機能は発達とともに漸減することを見出した。現在、α2受容体が幼若期に存在する生理学的意義を検討している。さらに、シナプス後細胞においてGABA作動性シナプス応答が抑制性であるために重要な役割を果たしているカリウムークロール共役担体(KCC2、神経細胞内Cl-イオンくみ出し分子)の機能制御修飾に関する研究の中で、KCC2が局所麻酔薬であるリドカインによって抑制されることを発見した(Brain Res 2010)。

国内外との共同研究では、インスリンによるGABAA受容体の細胞膜への発現制御にPRIPと呼ばれる蛋白質が必要であり、このインスリンの作用にAktシグナル伝達系が関与していること(J Biol Chem 2010)、PRIPをノックアウトすることにより小脳顆粒細胞のGABAA受容体のサブユニット構成が変化すること(J Neurochem 2010)、新奇フラボノイド誘導体がシナプス性GABAA受容体だけでなくシナプス外GABAA受容体を増強することを明らかにした(Br J Pharmacol, in press)。

6.3 生殖・内分泌系発達機構研究部門

当研究部門では、生体恒常性維持に関わる代謝調節機能に焦点を当て研究を行っている。本年度は以下の項目について研究を推進した。

1. 新規肝臓分泌タンパク質Selenoprotein Pによるインスリン抵抗性発現機構
ヒト肝臓から血中に分泌され、糖尿病の重症度と良く相関する新規タンパク質Selenoprotein P(Sep P)を発見した。さらに、Sep Pが肝臓のAMPK活性を低下させ、インスリン感受性を低下させることを明らかにした。Sep Pのように肝臓から分泌されインスリン作用を調節する分子はこれまで知られておらず、Sep Pは “Hepatokine”という新規カテゴリーに含まれる分子として注目されている。(Misu H, Cell Metab 12:483-495, 2010; 金沢大学との共同研究)

2. マクロファージ遊走因子CXCL14による摂食調節作用
CXCL14はCXCケモカインファミリーに属し、マクロファージ遊走因子として知られている。また、CXCL14は脳にも発現している。しかし、その機能は不明である。今回、CXCL14遺伝子をノックアウトすると、様々な遺伝的肥満マウスの肥満を著しく改善することを見出した。摂食行動を調べたところ、新規環境下において容易に摂食量が低下することを見出した。また、摂食促進ペプチドであるNPY及びAgRPの発現が視床下部において低下していることも見出した。(Tanegashima K, PLoS ONE 5:e10321; 東京都臨床医学総合研究所との共同研究)

3. 視床下部Sirt1による摂食調節作用
Sirt1は脱アセチル化酵素であり、近年、寿命調節などに関与することが明らかにされている。今回、視床下部のSirt1が、摂食促進ペプチド発現ニューロンを調節することによって摂食を調節することを明らかにした。(Sasaki T, Endocrinology 151:2556-2566; 群馬大学との共同研究)


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