生理学研究所年報 第26巻
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11.高次脳機能研究の新展開

2005年1月17日−1月18日
提案代表者:高田昌彦(東京都神経科学総合研究所)
所内対応者:南部 篤(生理学研究所)

(1)
サル前頭前皮質における反応結果の再現 ―過去の行動文脈と将来の時間予測―
辻本悟史(北海道大学)
(2)
時間弁別課題遂行中のサル前頭前野の神経活動
生塩研一(近畿大学)
(3)
連続眼球運動課題遂行中の前頭前野と基底核からの神経細胞活動
及びローカルフィールドポテンシャルの同時記録
藤井直敬(理化学研究所)
(4)
報酬と嫌悪に基づく行動計画の線条体表現
山田 洋(京都府立医科大学)
(5)
サル頭頂連合野のCIP野ニューロンによる,三次元曲面の表象
勝山成美(日本大学)
(6)
視覚系における周期的同期発火の機能的意義の検討
雁木美衣(東京大学)
(7)
運動性視床によるサッカード発現の時間調節
田中真樹(北海道大学)
(8)
MSTニューロンは空間内の動きをコードしている
稲場直子(産業技術総合研究所)
(9)
皮質脊髄路損傷後における手指の巧緻運動の機能回復と脳の再組織化
西村幸男(生理学研究所)
(10)
前頭前野から一次運動野への多シナプス性入力様式
宮地重弘(東京都神経科学総合研究所)
(11)
顎運動に関わる神経回路の解析
畑中伸彦(生理学研究所)

【参加者名】
高田昌彦(東京都神経科学総合研究所),稲瀬正彦(近畿大学),泰羅雅登(日本大学),塚田 稔(玉川大学),丹治 順(東北大学),雁木美衣(東京大学),宮地重弘(東京都神経科学総合研究所),稲場直子(産業技術総合研究所),辻本悟史(北海道大学),生塩研一(近畿大学),山田 洋(京都府立医科大学),田中真樹(北海道大学),勝山成美(日本大学),藤井直敬(理化学研究所),海野俊平(日本大学),土師知己(日本大学),湯本直杉(東京都神経科学総合研究所),榎本一紀(京都府立医科大学),奈良重俊(岡山大学),倉持真人(山口大学),一戸紀孝(理化学研究所),喜多 均(テネシー大学),山森哲雄(基礎生物学研究所),(以下,生理学研究所)伊佐 正,関 和彦,吉田正俊,遠藤利朗,坂谷智也,熊谷愁子,西村幸男,武井智彦,南部 篤,畑中伸彦,橘 吉寿,知見聡美,窪田芳之,平井康治,小川 正,小松英彦,鯉田孝和,松本正幸,伊藤 南,松茂良岳良,橋本章子

【概要】
 われわれは行動する際,視覚・聴覚・体性感覚などの外部(感覚)情報や学習・記憶・情緒などの内部(自己)情報に基づいて,もっとも適切な運動あるいは動作様式を選択,決定,実行する。日常的に設定されたさまざまな行動目標を達成するため,脳はこれら多種多様の情報を状況に応じて有機的に統合し,運動情報として運動野に出力しなければならない。また,物を掴む,腕を伸ばすなど,われわれが日常的に行う個々の動作は,長年にわたる経験や習慣に基づき脳内で形成された運動プログラムに従って,ほとんど無意識のうちに実行されている。状況に応じて意識的かつ合目的的にある特定の行動を企画,遂行しようとする際,脳はそれまでに学習,獲得してきた無数の運動プログラムや認知・思考パターンの中から状況に最も適合したものを選び出し,それらを時系列的に順序よく組み合わせて,まとまりのある一連の行動として出力しなければならない。しかし,このような行動の組織化の神経機構については未だ明らかになっていない。

 すなわち,脳科学は本来,脳機能をシステムとして理解し,究極的には“個体の組織化された行動発現のメカニズム” の解明をめざす学問領域である。しかし,現在の脳科学は,研究の進展とともに,研究テーマがそれぞれの専門分野ごとに細分化されるようになった結果,個々の分野の研究者がカバーあるいはフォローできる学問領域も狭小化し,各専門分野を横断的かつ統合的に捉え,相互理解を深めることがきわめて困難な状況になってきた。個々の研究領域にのみ注目していると,個体としての脳機能の全体像を見失う恐れがあり,生命現象を統合的に理解しようとする脳科学の基本的立場に基づいた研究姿勢が必要不可欠である。したがって,“個体レベルでの高次脳機能をシステム的に理解する”ためには,要素としての個々の神経機構を詳細に解析するだけでなく,それらを統合的に機能させる神経システムの解明が重要であり,そのような視点から研究が展開されなければならない。

 「高次脳機能研究の新展開」と題した本研究会では,神経解剖学,神経生理学,分子生物学,情報工学など,多岐にわたる専門分野の若手あるいは中堅の研究者が,運動,感覚,認知,及び情動の各分野に関する最新の知見を紹介し,各分野における研究の趨勢,問題点,及び今後の展開に関して討論を行った。

 

(1)サル前頭前皮質における反応結果の再現 ―過去の行動文脈と将来の時間予測―

辻本 悟史(北海道大学大学院医学研究科 高次脳機能学分野)

 私たちは,あらかじめ決められた行動を繰り返すだけでなく,状況に応じて柔軟に行動を制御することができる。前頭前皮質の背外側部 (DLPFC) は,このような認知能力に必須であると考えられてきた。しかしながら,そのシステム的理解はあまり進んでいない。本研究では,この問題にアプローチするために,報酬情報に注目して一連の実験を行った。

 まず,報酬獲得までの行動文脈が獲得後の活動によって如何に再現されるかを調べるために,記憶誘導性と視覚誘導性のサッカード課題を遂行中のサルDLPFCからニューロン活動を記録した。これらの課題では,サッカードの後すぐ(0.5秒後)に報酬が与えられる条件と遅れて(2秒後)与えられる条件が50%の確率でランダムであり,サルは報酬のタイミングを予測できなかった。その結果,多くのニューロンのサッカード後の活動がサッカードの方向と報酬有無の両方に影響を受けた。また,これらの多くは,そのような活動を記憶誘導性あるいは視覚誘導性のいずれか一方の課題のみで示した。すなわち,これらのニューロンの活動は,直近の過去の3つの要因,(1) 反応に用いた情報(記憶or視覚),(2) 反応の方向,(3) 反応結果(即時or遅延報酬)に影響を受けた。これらの結果は,DLPFCのニューロン群が反応結果を行動文脈依存的に再現することを示唆する。

 続いて,将来の報酬が‘いつ’獲得できるかという時間的予測のニューロン機構を調べるため,記憶誘導性サッカード課題をさらに改変し,視覚刺激によって報酬のタイミングを予測できるようにした。そうすると多くのニューロンが,視覚刺激提示中および遅延期間中に,報酬の予測時間に依存して異なる活動を示した。これらのニューロンの中には,一方よりも‘早い’または‘遅い’といった相対的な時間を反映するものと,‘0.5秒’や‘2秒’といった絶対的な時間を反映するものが存在した。これらによりDLPFCのニューロン群が将来の報酬の相対的および絶対的な時間予測を再現することが示唆される。

 過去の反応結果の文脈依存的再現は,状況に応じた適切な行動を発現するために役割を果たすと考えられる。また,将来の報酬の時間的予測は,反応の選択のみならず,反応結果(報酬)を行動文脈と結びつけるためにも役割を持つかもしれない。このようにDLPFCは,動的に変化する環境に柔軟に適応するための神経基盤を有するようである。

 

(2)時間弁別課題遂行中のサル前頭前野の神経活動

生塩研一,千葉惇,稲瀬正彦(近畿大学医学部第一生理)

 時間認知の神経機構は,いま注目を集めているテーマである。これまで,心理学的行動実験やヒトのイメージング実験などにより,認知モデルの提案や時間情報処理に関わる領野の推測もなされてきた。しかし,充分な理解に至らず,ユニット記録実験が切望されていた。最近,そのユニット記録実験として,サルの頭頂葉や前頭前野から神経活動を記録した実験がいくつか報告され始めた。我々は,独自の時間弁別タスクでサル前頭葉のユニット記録実験を進めており,実験で得られた結果のいくつかを紹介する。

 2頭の雄のニホンザルを用いた。サルには呈示時間が異なる2つの視覚刺激C1とC2(青か赤の四角形)を引き続いて呈示した後,長い時間呈示された方を選択するように訓練した。それぞれの視覚刺激の後には遅延期間D1とD2を設けた。サルの成績が充分に良くなった時点で,前頭葉からユニット記録実験を行った各ニューロンの各期間 (C1, D1, C2, D2) について,C1が長い試行群とC2が長い試行群との間での神経活動を比較した。その結果,あるニューロンはC1とC2のいずれが長いかに関わらずC1の開始から一定の時間後にphasicに発火した(基準時間をコード)。他のニューロンはC1が長い試行のD1のみで有意な活動を示し(C1が長いことをコード),また別のニューロンはC1が長い試行のC1とC2が長い試行のC2で有意な活動を示した(長い刺激をコード)など,時間情報処理に関わる複数のタイプのニューロングループを見出した。

 ユニット記録実験から,前頭前野には基準の時間をコードするニューロンやその基準と比較した結果をコードするニューロンがあり,それらが時間弁別課題の遂行に関わっていると考えられる。サルはトレーニングの過程で視覚刺激呈示時間の長短を区別する基準の時間を設け,まずC1が長いかどうかを判断する戦略を獲得したと推測される。

 

(3)連続眼球運動課題遂行中の前頭前野と基底核からの神経細胞活動及び
ローカルフィールドポテンシャルの同時記録

藤井 直敬(理化学研究所・象徴概念発達研究チーム)

 脳は外界から受け取る情報の様々な側面を,多数同時に抽出し,それを統合することで,高度な認知機能を実現している。その情報処理機構は,解剖学的結合からみると,非常に複雑な情報処理ネットワークをベースに行われていることは明らかである。しかしながら,脳の最も重要かつ,不可欠な,そのネットワーク機能という側面から,脳機能を明らかにしようという試みは未だあまり成功していない。一つには,解剖学的に結合している複数の領野を同定し,その特定の領野から記録することが,著しく難しいこと。また,たとえその記録に成功しても,記録できる神経細胞活動の数が少ないため,記録されたデータにサンプリングバイアスが強くかかる可能性があるためである。今回の報告では,脳のネットワーク機能の一部として,前頭前野―基底核ループを取り上げ,神経細胞活動の記録と合わせて,ローカルフィールドポテンシャル(LFP)の記録を同時に行い,前頭前野,基底核の課題遂行中の機能的結合様式を明らかにする。

 

(4)報酬と嫌悪に基づく行動計画の線条体表現

山田 洋,松本直幸,木村 實(京都府立医科大学)

 線条体は従来より動機づけから行動の計画・発現へと到る過程に重要な役割を果たすことが示唆されているがそのメカニズムは十分明らかではない。報酬と嫌悪に基づく行動発現課題を遂行中のサルの線条体から電気生理学的に同定されるPANs(投射細胞)とTANs(コリン作動性介在細胞と推定)の活動を記録し,動機づけから行動計画とその発現過程におけるPANsとTANsの役割を検討した。サルは手元のレバーを自発的に押して課題を開始し,GO刺激を合図に素早くレバーを放すことが要求された。あらかじめ,レバー放しの後に報酬の水,ビープ音が与えられるのか,またはレバー放しが遅れると顔面へ空気が吹きつけられる(嫌悪刺激)ことを視覚刺激によって教示した。報酬条件でのレバー放しは反応時間が短く,エラーが少ないのに対して,嫌悪条件ではGO刺激が現れる前にレバーを離してしまうエラーが多かったことにより,サルは教示刺激によって動機づけ文脈を検出・識別して,文脈に対応した行動計画を行っていたことを確認した。

 PANsは課題遂行中に現れるそれぞれの感覚運動事象に特異的に応答する様々なタイプのものが観察されたのに対して,TANsは動機づけの教示とGO刺激に対してのみ応答した。TANsとPANsは共に報酬や嫌悪などの教示刺激の違いを区別して応答し,それに続く運動の実行直前には報酬が得られるかどうかに選択的に応答を示した。したがって,TANsとPANsは動機づけ刺激の検出と識別を行い,それに続く動機づけに基づく行動計画と発現の初期の過程に重要な,固有の役割を果たすことが明らかにされた。一方,過去約6試行での報酬履歴から高い確率で報酬の教示が期待される試行では,サルは極めて素早く試行を開始して教示刺激の出現を待った。このことは,サルが各試行の開始から動機づけの教示までの間,過去の履歴に基づく報酬期待をもって臨み,教示刺激が実際に現れると教示された動機づけ文脈で行動計画を行っていたことを示す。課題開始のためのレバー押しと教示刺激の出現と関連するPANsの持続的な放電の増大は報酬履歴から予測される報酬確率と有意に相関した。一方,動物の行動もPANsの活動も嫌悪の履歴にはほとんど依存しなかった。教示刺激の提示以後のレバー放し,報酬やビープ音に関連する活動は履歴依存的ではなかった。

 これらの実験から線条体の介在細胞であるTANsは現在の環境から得られる感覚刺激のもつ動機づけ情報を検出・識別し,その情報を投射細胞であるPANsに伝えることで,動機づけに基づく行動の計画から発現に貢献すると考えられる。一方,PANsは現在の環境から得られる情報に加えて,過去の経験から得られる情報,特に報酬履歴に基づいて行動の計画から発現に重要な役割を果たすと考えられる。

 

(5)サル頭頂連合野のCIP野ニューロンによる,三次元曲面の表象

勝山成美1,長沼朋佳1,酒田英夫2,泰羅雅登3
1日本大・院・医・応用システム神経科学,2聖徳栄養短期大,3日本大・総合科学研究所)

 サル大脳皮質のCIP (caudal intraparietal) のは頭頂間溝の外側壁後部に位置する視覚領野の一つである。これまでの研究によって,この領野のニューロンは空間内における軸や平面の傾きに特異的に反応することが示されており,また平面の傾きに特異に反応するニューロンの中には,ランダムドットステレオグラム (RDS) に加えて,スポットや線分などからなるテクスチャの勾配によって表現された平面の傾きにも反応するものが存在することが明らかとなっている。このようなことから,CIP野は三次元物体の知覚にとって重要な領野であることが示唆されている。今回我々は,この領野のニューロンが軸や平面の傾きに加えて,三次元曲面の形状にも特異的に反応することを見出したので,報告する。

 コンピュータグラフィックスにより,ランダムドットステレオグラムで表現した三次元曲面刺激を画面上に呈示し,曲面刺激を注視しているサルのCIP野に微小電極を刺入して,単一ニューロン活動を記録した。視覚刺激には,オランダの心理学者J. J. Koenderinkが提案した方程式によって表現される曲面を用いた。この方程式は,曲面の形状を規定するShape indexと,その最大視差を決定するCurvednessという2つのパラメータを用いて,さまざまな形状および凹凸の度合いをもつ三次元の曲面を表現するもので,Shape indexが-1.0から1.0の間を動く間に,刺激の形状が凹の球面→凹の円柱→鞍馬型→凸の円柱→凸の球面と連続的に変化する。今回の実験においては,9つのShape indexと3種類のCurvednessによる合計27種の曲面刺激を呈示した。

 まずShape indexに対する反応では,9つのShape indexに対する反応をGabor関数で近似したところ,多くのニューロンが高い相関係数を示した。Gabor関数のピークを各ニューロンの最適Shape indexとしたところ,それらが負の値(凹面を含む曲面),0の周辺(鞍馬型)および正の値(凸面を含む)をもつニューロンがそれぞれ得られた。しかし,最適Shape indexの分布は一様ではなく,0から正の値に偏った分布を示した。複数のCurvednessを呈示したニューロンにおいて,最適のShape indexをCurvednessごとに求めて比較したところ,その値はよく一致していた。これらのことは,CIP野のニューロンが三次元曲面刺激の形状に対して選択的に反応していることを示している。次に,それぞれの刺激をfront parallel面内で回転させた際の反応を調べたところ,約半数のShape index選択性 (SIS) ニューロンでは回転の角度によって反応が変化したが,残りの半分のニューロンでは刺激が回転してもShape indexに対する選択性が変化しなかった。このことは,CIP野のSISニューロンが刺激の局所的な視差に反応しているのではなく,三次元曲面の形状そのものに応答していることを示唆している。最後に,一部のSISニューロンは,ランダムドットステレオグラムと同じ曲面形状を,二次元的なスポットの密度勾配で表現した刺激にも反応することが見出された。以上の結果は,サルのCIP野には視覚的手がかりによらない三次元曲面の表象が存在し,この領野が三次元物体の知覚に重要な役割を果たしていることを示唆している。

 

(6)視覚系における周期的同期発火の機能的意義の検討

雁木美衣,石金浩史,本田祥子,立花政夫
(東京大学大学院・人文社会系研究科・心理学研究室)

 様々な神経系において,複数細胞がγ帯域 (20-80 Hz)の周期的なリズムを伴って同時に発火する現象(周期的同期発火)が報告され,その機能についての議論がなされている。視覚系においては,これらの同期発火がゲシュタルト的な知覚統合に関与するのではないかという仮説が提唱されているが,実際に視覚情報処理において機能的な役割を果たしているのかどうかは今なお明らかになっていない。

 カエル網膜のOFF持続型神経節細胞であるディミング検出器 (dimming detector) においても,複数細胞間の周期的同期発火が観察される。また,カエルは視覚誘発性の逃避行動を示すことが知られており,ディミング検出器は大きな影に対してよく応答することから,逃避行動との関連が示唆されている。そこで,ディミング検出器の応答を薬理学的に操作し,逃避行動の変化を検討することで,周期的同期発火の機能的意義を検討した。

 逃避行動は黒スポットが拡大する刺激をモニター上に呈示することで誘発できた。GABAA受容体の阻害剤であるBicucullineをカエルの眼球内に注入すると,逃避行動が強く抑制され,逆にGABAC受容体の阻害剤であるTPMPAを注入すると逃避行動は促進された。またこれらの阻害剤を注入したとき,逃避行動以外の視覚誘発性行動である,矩形波縞に対する追従運動には影響がなかった。次に,剥離網膜標本を作製し,マルチ電極を用いてディミング検出器の応答を記録した。Bicucullineを灌流投与するとディミング検出器の周期的同期発火が抑制され,逆にTPMPAを灌流投与すると周期的同期発火が増強された。また,発火数,および同期発火数はいずれの阻害剤においても増加した。したがって,逃避行動と対応するのは周期的同期発火であり,周期的同期発火が逃避行動の誘発に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 

(7)運動性視床によるサッカード発現の時間調節

田中真樹(北海道大学・医学研究科・認知行動学分野)

 自発的に運動を行うためには,(1)どのような運動を,(2)いつ行うか,を決定する必要がある。運動の発現に関わるこれらふたつのパラメータが,ある程度異なった神経機構によって制御されている可能性が,最近の機能画像を用いた研究により示唆されている。特に後者の時間的調節には大脳皮質のみならず,大脳基底核や小脳が関与することが明らかになりつつあり,これは神経学的によく知られたParkinson病や小脳障害患者における運動開始異常の所見と一致する。運動の決定そのものが大脳皮質,とくに前頭葉皮質でなされることを考えると,これら皮質下中枢は自発的な運動のタイミングを調節するための情報を大脳皮質に供給していると考えられる。運動性視床は皮質下の情報を前頭葉皮質につたえる上行性経路として重要であり,本研究では同部がサッカード眼球運動発現の時間調節に関与しうるかどうか,単一ニューロン記録と局所の破壊実験によって調べた。

 従来の記憶誘導性サッカード課題では,運動の空間的な情報は記憶から読み出される必要があるが,運動のタイミングは固視点が消えることによって外部から与えられる(externally triggered課題)。そこで,手がかり刺激が消えてから800-1600ミリ秒の期間内に自発的にサッカードを行わせるinternally triggered課題を導入し,サルの視床から記録された時間経過のことなる2種類の神経活動について検討した。

 Externally triggered課題の1秒間の遅延期間中にみられたbuildup activityは固視点が消えた直後でピークに達した。この活動は遅延期間を1.5秒に延長してもそれ以上増加せず,固視点が消えると予測される時間にあわせて活動を上昇させていることがわかった。さらに同じニューロンがinternally triggered課題で運動に先立って活動を変化させた。一方,サッカードに関連したburst activityは視覚誘導性サッカードよりも記憶誘導性サッカードで大きな活動を示したが,多くのニューロンではexternally triggered課題とinternally triggered課題で活動の大きさに差がなかった。

 記録部位周囲に微量のムシモールを注入したところ,反対側に向かう記憶誘導性サッカードの潜時が延長し,その効果はinternally triggered課題で顕著であった。これらのことから視床は自発的におこなうサッカードの発現に関与することが示され,遅延期間中のbuildup activityが運動のタイミングの調節に寄与する可能性が示唆された。

 

(8)MSTニューロンは空間内の動きをコードしている

稲場直子1,2,3, 山根茂1,2, 竹村文1, 河野憲二1, 4
1産業技術総合研究所,2筑波大学大学院,3日本学術振興会,4京都大学医学研究科)

 我々の眼が視標を追いかけて動いているとき,背景で静止している物体であってもその網膜上の像は動いている。しかしながら,我々は,網膜像の動きが目の動きにより受動的に生じたものであるか,実際に物体が空間内で動いていることによるものかを区別して知覚することができる。このメカニズムを理解するために,我々は眼球運動遂行中のサルに動き刺激を呈示し,頭頂葉MT野(middle temporal area) およびMST野 (medial superior temporal area) から単一ニューロン活動を記録した。眼球運動課題には,固視,記録したニューロンの適刺激方向またはその反対方向への追跡眼球運動 (20deg/s) を用いた。サルの前面に置いたスクリーンにランダムドットパターンを投影し,-40〜60deg/s(ニューロンの適刺激方向を正とする)の速度で動かすことにより,眼球運動遂行中のサルに動き刺激を与えた。MTニューロンおよびMSTニューロンの動き刺激への反応を解析することにより,眼球運動中に生じた網膜像の動きに対し,どのような反応を示すかを調べた。その結果,ほとんどのMTニューロンが網膜像の動きに応答するのに対し,MSTニューロンでは,網膜上では適刺激方向への動きがない条件でも応答する,または網膜像が適刺激方向に動いていても,スクリーン上で動いていない場合には応答しないものが多く存在することが明らかになった。すなわち,MSTニューロンはスクリーン上での動き刺激の速度に応答することが明らかとなった。この結果により,MSTニューロンは網膜座標上の速度をコードしているのではなく,空間内での速度をコードしていということが示唆された。

 

(9)皮質脊髄路損傷後における手指の巧緻運動の機能回復と脳の再組織化

西村幸男1, 伊佐 正1, Sergei Perfiliev2, 大石高生3, 肥後範行4, 村田弓4, 尾上浩隆5, 塚田秀夫6
1生理研・認知行動発達, 2イエテボリ大学・生理, 3京都大・霊長研・器官調節,
4産総研・脳神経情報, 5東京都神経研・心理学, 6浜松ホトニクス)

 皮質脊髄路は霊長類において顕著に発達し,単シナプス性のCorticomotoneuronal Connectionが見られるようになる。従来より,この単シナプス性のCorticomotoneuronal Connectionの確立が霊長類において,precision gripなどの個々の手指を独立に動かすことにできる「巧緻性」が発達した原因であると考えられてきた。この説はサルにおいて錐体路の切断がprecision gripを恒久的に消失させるという実験結果(Lawrence and Kuypers 1968など)や多くのヒトでの臨床所見による。しかしこれらの皮質脊髄路の切断・損傷はいずれも延髄より高位で起きた事例である。近年,霊長類においても皮質脊髄路からの信号を2シナプス性に手指筋運動ニューロンに伝達する脊髄介在ニューロン (PN) がC3-C4髄節に存在が報告された(Altermark et al. 1999)。従って,皮質脊髄路から運動ニューロンへの直接結合を断った際に,これらのPN系によって手指の巧緻運動の機能代償が行なわれる可能性がある。そこで,我々は上肢による到達―把持 (precision grip)を訓練したサルにおいて脊髄C4/C5髄節で側索背側部を切断することで皮質脊髄路を完全に遮断し,かつPNを介する伝達経路を残した場合に手指の巧緻運動がどの程度回復するのか,またその機能回復にはどのような中枢神経機構が作用しているか検討した。

 6頭のマカクザル(ニホンザル4頭,アカゲザル1頭)においてC4/C5髄節で側索背側部を切断した。これらのうち切断が皮質脊髄路に限局していた2頭においてはprecision gripは切断後1週間以内に出現し,運動は1ヶ月程度でほぼ正常に近いレベルまで回復した。切断が側索全体に及んでいた2頭ではprecision gripの出現に3-4週間を要し,3-4ヶ月で運動の回復がほぼ正常レベルに達した。回復過程の初期において,把持の直前のpreshapingが消失,第2指による接触の後第一指と二指の間隔を開けその後把持開始されるという所見が観察された。これらのサルの行動観察が終了後,αクロラロースによる麻酔下で上肢筋運動ニューロンから細胞内記録を行い,反対側錐体路を電気刺激したところ,約半数の運動ニューロンで2シナプス性のEPSPが記録された。健常な動物では先行するIPSPのためにこのような2シナプス性のEPSPはほとんど記録されないことから,機能回復過程において2シナプス性の興奮性経路ないしはそれに対する抑制系に何らかの変化が生じたものと考えられた。

 次にこの機能回復過程における大脳皮質など,より上位中枢で再組織化が起きている可能性を検討するため,3頭のサルにおいて上肢の到達―把持運動遂行中のPositron Emission Tomographyによる脳賦活イメージングを行なった。すると1ヵ月後には両側の一次運動野,体性感覚野,補足運動野,および切断の同側の小脳において顕著な活動の上昇が見られた。3ヵ月後には両側の一次運動野と運動前野腹側部において活動の増大が残存した。また1頭のサルにおいて切断後3ヶ月に脳を潅流固定し,成長関連タンパク質の遺伝子発現をin-situ hybridization法によって調べたところ,切断の反対側の一次運動野の手指領域および運動前野において切断の同側に比してGAP-43のmRNAの発現量が2倍程度に増加していた。上記の結果から,皮質脊髄路切断後の機能代償過程において両側の一次運動野や運動前野など上位中枢において大規模な再組織化が起きている可能性が示唆された。

 

(10)前頭前野から一次運動野への多シナプス性入力様式

宮地重弘(東京都神経科学総合研究所・統合生理研究部門)

 我々の日々の活動,特に外界の対象への操作において,上肢の運動はきわめて重要である。これはヒト以外の霊長類についても同様で,たとえばサルの毛づくろい,餌の採集など巧緻な運動を必要とする操作は,すべて上肢を用いて行われる。このような巧緻な運動には,多くの認知情報が必要であると考えられる。このことは,大脳皮質の解剖学的構造にも反映されており,例えば一次運動野の体部位再現地図では上肢が他の体部位に比べて非常に広い領域を占める。補足運動野,前補足運動野など,より高次の運動関連領野では,この傾向はより顕著になる。では,行動制御の最高次中枢とされる前頭前野から運動野への入力はどうなっているのであろうか。運動野の上肢領域は,他の領域に比べて特に多くの入力を前頭前野から受けているのだろうか。また,上肢の中でも特に到達運動を行う近位部(肘,肩)と,到達運動のみならず,対象への操作に重要な遠位部(手,指)では,関連する前頭前野の領域が異なるであろうか。これらの点を明らかにするため,我々は,狂犬病ウイルスを逆行性経シナプス神経トレーサーとして用い,サル前頭前野から一次運動野への多シナプス性入力様式を調べた。

 マカクザル一次運動野を電気生理学的にマッピングし,下肢領域,上肢領域全体,上肢近位部領域,あるいは上肢遠位部領域に狂犬病ウイルスを微量注入し,注入後4日目に灌流固定,脳を摘出し,作成した薄切切片において免疫組織化学的にラベルの分布を解析した。その結果,上肢領域への注入では,下肢領域への注入に比べて非常に多く(約10倍)のニューロンが前頭前野各領域においてラベルされた。下肢領域からのラベルは主に内側前頭前野(内側9野,24/32野)に集中していたが,上肢領域への注入では内側部に加えて背外側前頭前野に強いラベルが見られた。近位上肢領域(肘肩領域)と遠位上肢領域(手指領域)への注入を比較すると,遠位領域への注入の方が多くの前頭前野ニューロンがラベルされた。また,近位領域への注入では背外側前頭前野背側部(外側9野および46野の主溝内部)のラベルが比較的多かったが,遠位領域への注入では背外側前頭前野腹側部 (ventral convexity)に非常に強いラベルが見られた。

 以上の結果は,前頭前野からの認知情報が,一次運動野の異なる体部位を再現する領域に,必要に応じて配分される構造的基盤があることを示唆するものである。すなわち,一次運動野上肢領域は下肢領域に比べ,視覚情報に基づく行動決定に重要とされる背外側前頭前野からの入力を強く受け,中でも物体の操作を行う遠位上肢領域は物の形態の情報を持つ背外側前頭前野腹側部から非常に強い入力を受ける。

 

(11)顎運動に関わる神経回路の解析

畑中伸彦1 徳野博信2 宮地重弘3 南部篤1 高田昌彦3
1生理学研究所 生体システム研究部門,2東京都神経科学総合研究所 脳構造研究部門,
3東京都神経科学総合研究所 統合生理研究部門)

 顎運動を制御する神経回路を調べるために,(A)マカクサル前頭葉に存在する4つの顎運動関連領域の入出力様式の解明と,(B)狂犬病ウイルスを用いたラット咀嚼筋へ投射する神経回路の多シナプス性解析,を行った。

 (A)さまざまな報告によって,マカクサルの前頭皮質に,一次運動野顎領域 (MI),補足運動野顎領域 (SMA),皮質咀嚼野主部(CMaAp),皮質咀嚼野深部(CMaAd)の4つの顎運動関連領野が存在することが知られている。これらの領域を皮質内微小刺激法により電気生理学的に同定し,逆行性,順行性標識物質を用いてその入出力様式を解明した。その結果,(1)皮質−線条体投射の終末は被殻の腹側部,尾側2/3レベルに投射しており,4つの顎運動関連領域はそれぞれ独立した投射部位を持っていた。MIは外側部に,SMAは内側を中心に投射しており,中央部で投射領域の重なりが観察された。CMaApは内側に限局して投射しており,SMAとの重なりが大きかった。CMaAdは最腹側部に投射しており,その他の領域と完全に分離していた。(2)皮質−脳幹投射において,MI,SMA,CMaApからの終末は主に,三叉神経運動核へ投射する介在細胞が多く存在する外側被蓋野に認められた。ただしMIとCMaApは反対側性投射が主であったが,SMAは両側性投射を示した。CMaAdからの終末は内側結合腕傍核とKölliker-Fuse核に多く,他の領域と異なっていた。(3)視床−皮質投射において,MI,CMaApへ投射している細胞はVLoとVPLoに多く,SMAへ投射している細胞はVApcとVLoに多かった。CMaAdに投射している細胞はVPMpcに多く認められた。(4)皮質間連絡において,MIとCMaApは他のすべての領域から入力を受けていたが,SMA−MI,CMaAd−MIは一方向性でMIからの投射は認められなかった。SMAとCMaAdの間には線維連絡がほとんどなかった。またMIはSIから,SMAはCMArから,CMaApは7野から,CMaAdは味覚野や島皮質からの投射を,それぞれ強く受けていた。以上の結果より,大脳皮質顎運動関連領域は体性感覚,臓器感覚,味覚,視覚など,さまざまな神経情報を受け取り,大脳皮質−脳幹の直接的な経路と,大脳皮質−大脳基底核−脳幹の間接的な経路を介して顎運動を制御していることが示唆された。

 (B)さまざまな動物で顎運動を制御する神経回路が研究されてきたが,開口あるいは閉口をそれぞれ制御する神経回路についての報告は少ない。また,これまで大脳皮質顎運動領域を皮質内微小刺激すると,開口運動が優位に生じ閉口運動は殆ど観察されないことが報告されている。このことは,一次運動野において開口筋と閉口筋の領域が均等に再現されていないことを示唆している。そうだとすれば,大脳皮質からの情報は,脳のどの領域で開口運動と閉口運動に変換されるのだろうか。経シナプス的に神経細胞を逆行性に感染する狂犬病ウイルスを利用して,ラットの開口筋,あるいは閉口筋へ投射する神経経路を同定した。その結果,(1)大脳皮質−脳幹投射において,外側被蓋野にある介在細胞を経由せず,三叉神経運動核から開口筋に投射している皮質細胞は,量的に少ないものの認められたが,閉口筋に投射する大脳皮質細胞は観察されなかった。一方,外側被蓋野の介在細胞を経由して開口筋,閉口筋を支配する大脳皮質細胞に関しては,両者の分布に明らかな差はなかった。(2)大脳皮質−大脳基底核−脳幹投射に関しては,開口筋,閉口筋とも線条体腹外側部−黒質背外側部−外側被蓋野が主な投射経路であったが,特に開口筋においては,線条体背側部−黒質腹外側部を経由する回路の存在が確認された。以上の結果から,大脳皮質顎運動領域刺激で開口運動が多く誘発されるのは,皮質から三叉神経運動核に対する直接投射によることや,大脳皮質運動野における顎運動情報は,脳幹で開口,閉口運動に変換される可能性が示唆された。


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