生理学研究所年報 第27巻  
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分子生理研究系

神経機能素子研究部門

【概要】

 イオンチャネル,受容体,G蛋白質等の膜関連蛋白は,神経細胞の興奮性とその調節に重要な役割を果たし,脳機能を支えている。本研究部門では,これらの神経機能素子を対象として,生物物理学的興味から「その精妙な分子機能のメカニズムと動的構造機能連関についての研究」に取り組み,また,神経科学的興味から「各素子の持つ特性の脳神経系における機能的意義を知るための個体・スライスレベルでの研究」を目指している。

 今年度,これまでに引き続き,神経機能素子の遺伝子の単離,変異体の作成,tagの付加等を進め,卵母細胞,HEK293細胞等の遺伝子発現系における機能発現の再構成を行った。また,2本刺し膜電位固定法,パッチクランプ等の電気生理学的手法,細胞内Ca2+イメージング・全反射照明下でのFRET計測等の光生理学的手法,細胞生物学的研究手法により,その分子機能調節と構造機能連関の解析を行った。また,外部研究室との連携により,精製レコンビナント蛋白を用いた単粒子構造解析,遺伝子改変マウスの作成も進めている。以下に今年度行った具体的な研究課題とその内容の要約を記す。

 

ATP受容体チャネルP2X2のレコンビナント蛋白の精製と単粒子構造解析

久保義弘,山本友美
三尾和弘,小椋利彦,佐藤主税(産総研,脳神経情報)

 ATP受容体チャネルP2X2の構造とその状況依存的変化を知るというゴールに向けて,P2X2蛋白の精製と単一粒子構造解析を行った。

 まず,P2X2のN-末端にFLAG tagを付加したコンストラクトを作成し,バキュロウイルスベクターに組み込み,昆虫細胞Sf9に感染させた。膜画分を回収し,FLAG抗体によるアフィニティ精製と,ゲル濾過による精製を行った。その精製産物を用い,グルタルアルデヒドで架橋後,non-denatureゲルにて電気泳動したところ,主たるバンドのサイズからP2X2蛋白が3量体であることが示された。精製産物のピーク分画を用い,酢酸ウランにより負染色して電顕撮影したところ,単一蛋白粒子像が観察された。単粒子構造解析の手法により,P2X2蛋白が3量体であることが確認され,また,大きな細胞外領域を持つ逆ピラミッド状の構造をしていることが明らかになった。

 

代謝型グルタミン酸受容体E238点変異を持つ遺伝子改変マウスの作成

久保義弘,山本友美
饗場篤(神戸大学大学院医学系研究科)

 我々は先に,代謝型グルタミン酸受容体mGluR1が細胞外のGd3+によっても活性化されることを報告し,さらに,点変異 E238Qによって,グルタミン酸に対する感受性は変わることなく,Gd3+に対する感受性が消失することを見いだした。Gd3+は脳脊髄液中に含まれていないため,mGluR1の持つGd3+感受性の個体における生理的意義は明らかでない。この点にアプローチするため,E238Q変異を持つ遺伝子改変マウスの作成に取り組んでいる。昨年度,相同組み換え陽性の129マウス由来のES細胞株を得,これをマウス初期杯に注入し,♂のキメラマウス2匹を得た。今年度,キメラマウスとB6マウスとの交配により,遺伝子改変ヘテロのマウスを得,さらに,その交配により,遺伝子改変ホモのマウスを得た。現在,予備的な行動解析実験を開始するとともに,遺伝的背景をB6マウスに置き換えるための交配を進めている。

 

代謝型グルタミン酸受容体の多様な機能を制御する機構の解明

立山充博,久保義弘

 代謝型グルタミン酸受容体1型(mGluR1)は,記憶や学習に関係する「神経回路の可塑性」に重要な役割を担い,複数のG蛋白質(Gs,Gq,Gi)と共役して多様な細胞応答をもたらす受容体であることが知られている。一方,mGluR1を介して見られる細胞応答は発現細胞により異なるため,多様な機能が制御されている可能性が示唆されていた。そこで,mGluR1が個々の細胞において複数種類のG蛋白質を活性化する過程を,特異的レポーター分子を用いて識別的に可視化し,多様な機能を制御する機構について検討した。その結果,多様な機能を制御する機構の一つとして,mGluR1の活性型構造の差異を見出した。これは,リガンドの種類によりmGluR1の活性型構造が異なるため,共役しうるG蛋白質の種類が異なるということを示すものである。さらに,細胞内領域における蛋白質相互作用により,mGluR1の多様な機能が制御される可能性について検討を進めている。

 

KCNQチャネルのC末端コイルドコイルドメインの機能的意義

中條浩一,久保義弘

 KCNQチャネルは,細胞内C末端領域に2つのコイルドコイルドメインを持つ。これらはチャネル分子が4量体を構成するために必要であると考えられているが,2つのドメインの機能の違いについてはよくわかっていない。そこで我々は,KCNQ2におけるそれぞれのドメインの機能を2本刺し膜電位固定法で解析した。1つめのドメインを欠失させた変異体はチャネルとして機能しなかったが,2つめのドメインを欠失させた変異体は野生型のKCNQ2とほぼ同じ電流量,性質を持つ電流が生じた。しかし野生型KCNQ2はKCNQ3と共発現させると電流が10倍増加するのに対し,2つめのドメインを欠失した変異体はKCNQ3と共発現させても電流量の増加はみられなかった。2つめのドメインはチャネルの機能に必須ではないが,KCNQ3とのヘテロ4量体の電流を増加させるために何らかの役割を果たしていると考えられた。

 

内向き整流性K+チャネル(Kir2.1)の細胞内側ポアに存在する
電荷を帯びたアミノ酸残基の機能的役割

藤原祐一郎,久保義弘

 内向き整流性K+チャネルKir2.1の細胞内領域ポアの内側表面に負電荷や正電荷を持ったアミノ酸が存在する。我々は,その機能的役割を探ることを目的として,これらのアミノ酸残基の変異体を系統的に作成し,変異体の機能変化を網羅的に解析した。その結果,細胞内領域ポアの電荷を帯びたアミノ酸残基群が,全体として負電荷を帯びた環境を構成し,この負電荷をおびた環境が,K+イオンとスペルミン等の細胞内ブロッカーの両方の,局所濃度を高めることに寄与していることを明らかにした。この効果が,K+イオンのブロッカー非存在下での外向き電流を促進すると共に,この外向き流の細胞内ブロッカーによるブロックに対する感受性を高め,結果として内向き整流性K+チャネルに特有な,メリハリの効いた膜電位依存的な外向き電流のブロックを可能にしていると推察された。

 

RGS8による受容体選択的なGq応答抑制の分子機構

長友克広,久保義弘
伊藤政之,齊藤修(長浜バイオ大学・バイオサイエンス学部)

 我々は,G蛋白質共役受容体系の制御因子として,Gaiファミリーに選択性の高いRGS8,さらにそのN端部9残基のみが異なるスプライスバリアントRGS8Sを対象としてその機能解析を行ってきた。RGS8,RGS8S共に,Gaqとの結合能は低いが,RGS8は,Gq系のM1ムスカリニック受容体のシグナルを抑制すること,一方,RGS8SはRGS8に比べてその抑制効果が弱いことが観察された。この効果は,RGSとG蛋白質との結合では説明できないため,RGSと受容体との結合を解析したところ,RGS8がM1の第3三細胞内ループ(i3)に直接結合すること,またN端の8番目と9番目のアルギニンをアラニンに置換(R8A/R9A)すると,結合能が減弱することが判明した。電気生理学的な解析により,M1受容体応答のRGS8による抑制能は,R8A/R9A変異体で減少することが観察された。以上の結果から,RGS8のN端とM1のi3の直接的な結合によってM1受容体系の応答が抑制されることが明らかとなった。

 

代謝型アデノシン受容体(A1R)と代謝型ATP受容体(P2Y1R)の
機能的ヘテロ多量体形成

石井 裕,久保義弘
中田裕康(東京都神経科学総合研究所・生体機能分子)

 アデノシン受容体A1(A1R)はGi/oタンパク質に結合し,ATR受容体P2Y1(P2Y1R)はGq/11タンパク質に結合することが知られている。最近,A1RとP2Y1Rはいくつかの中枢神経系で共局在し,ヘテロ多量体を形成することが免疫共沈降実験により明らかにされた。我々は,アフリカツメガエルの卵母細胞を発現系として用いて,A1RとP2Y1Rが機能的なヘテロ多量体を形成していることを電気生理学的に確認する実験を行った。A1RとP2Y1Rを共発現させたところ,非加水分解性のATPアナログ添加によりGi/o反応が見られた。この結果はユニークな表現系をもつ機能的なヘテロ多量体が形成されていることを示している。また,そのヘテロ多量体は,ATPアナログによってGq/11系が活性化され,アデノシンアナログによってGi/o系が活性化されるという,それぞれのサブユニットの持つ本来の性質が保たれていることも確認された。

 

高分子量Gタンパク質mOPA1により引き起こされる
ミトコンドリア断片化機構の解明

三坂巧(東京大学大学院農学生命科学研究科)
村手源英(理化学研究所)
久保義弘

 高分子量GTP結合タンパク質mOPA1は,遺伝子導入したCOS-7細胞においてミトコンドリアの断片化を引き起こす。断片化されたミトコンドリアをmOPA1の局在と共に観察したところ,小さなリング状になったマトリックスの一端にmOPA1および膜間部分がVesicle状の局在を示している様子が観察された。すなわちmOPA1の遺伝子導入によりミトコンドリアが単に断片化するだけでなく,ミトコンドリア内部で膜間部分が凝集して片寄った分布を示すような機能を持つことが推察された。またmOPA1のGTP結合ドメインに点変異を導入したK301A変異体を発現させた場合には,ミトコンドリアは依然として断片化するものの,膜間部分とマトリックスはともにリング状に観察された。すなわちミトコンドリア断片化に伴う膜間部分の凝集にはmOPA1のGTP結合能が強く関与することが示唆された。

 

分子神経生理研究部門

【概要】

 分子神経生理部門では哺乳類神経系の発生・分化,特に神経上皮細胞(神経幹細胞)からどのようにして全く機能の異なる細胞種(神経細胞,アストロサイト,オリゴデンドロサイトなど)が分化してくるのか,について研究を進めている。また,得られた新しい概念や技術は臨床研究への応用を視野に入れながら,病態の解析にも努力している。

 脳神経系では他の組織とは異なり多様性が大である。大げさに言えば,神経細胞は一つ一つが個性を持っており,そのそれぞれについて発生・分化様式を研究しなければならない程である。また,均一であると考えられてきたグリア細胞にも性質の異なる集団が数多く存在することも明らかとなってきた。そのため,他組織の分化研究とは異なり,細胞株や脳細胞の分散培養系を用いた研究ではその本質に迫るには限界がある。われわれはin vitroで得られた結果を絶えずin vivoに戻して解析するだけでなく,神経系の細胞系譜の解析や移動様式の解析をも精力的に行っている。

 近年,成人脳内にも神経幹細胞が存在し,神経細胞を再生する能力を有することが明らかとなった。この成人における神経幹細胞数の維持機構についても研究している。

 糖蛋白質糖鎖の解析法を開発し,その生理学的意義について検討している。ヒト正常脳においてはその発現パターンが個人間で驚くほど一定に保たれており,現在考えられているより,もっと重要な役割を果たしていると思われる。事実各種神経変性疾患においてその発現パターンが変化していた。病態時における糖鎖異常にも着目して研究している。

 

bHLH型転写制御因子Olig3の機能と細胞系譜の解析

丁雷,小野勝彦,渡辺啓介,田中謙二,池中一裕

 発生期の脊髄では,背側部と腹側部からの形源分子により,その濃度依存的に特異的な転写因子を発現するようになり,細胞特異的分化が引き起こされる。Olig3遺伝子はbHLH型転写調節因子で,脊髄では背側端部より発現が始まる。その機能や細胞系譜を明らかにするため,Olig3-lacZノックインマウスを作製し解析を行ってきた。その結果,脊髄背側部に由来するOlig3細胞は,胎齢9.5日までに出現して腹側方向への移動を開始し,24時間後には脊髄の腹側部まで到達することが示唆された。これらの細胞は,転写因子の発現パターンから介在神経に分化する可能性が示された。これらに加えて,Olig3系譜細胞が後正中中隔(アストログリアの一種により構成される)を構成することも示された。したがって脊髄背側部のOlig3系譜細胞が背側部介在神経およびアストログリアに分化することが明らかになった。

 

時期特異的遺伝子組み換え法を用いた脊髄のOlig2細胞の系譜解析

政平訓貴,丁雷,小野勝彦,池中一裕

 Olig2はbHLH型の転写因子で,その欠損マウスの脊髄では運動ニューロンとオリゴデンドロサイトの両方を欠くことから,その両者の分化誘導に必須であることが明らかにされた。我々は,タモキシフェン誘導型CreリコンビナーゼをOlig2遺伝子座にノックインされたマウスとレポーターマウスと交配させて時期特異的遺伝子組み換えを誘導し,Olig2系譜細胞を解析した。

 その結果,胎生早期のOlig2細胞からは運動ニューロンおよびオリゴデンドロサイト,アストロサイト,上衣細胞が分化した。一方,胎生中後期のものからはグリア細胞のみ分化した。Olig2系譜の細胞がアストロサイトや上衣細胞に分化することは,この実験で初めて明らかにされた。今後は,単一Olig2細胞が3ないし4種のすべての細胞種を産生するのか,またはOlig2細胞が,すでにニューロン系譜,グリア系譜がわかれているかという課題について検討していく。

 

前脳基底部のOlig2細胞のコリナージックニューロンへの分化

古性美記,小野勝彦,政平訓貴,池田和代,池中一裕

 Olig2は発生期のすべての中枢神経領域で発現しているが,脊髄と後脳の一部を除いて,細胞系譜や機能に関してほとんど解析が進んでいない。発生期の終脳領域ではその腹側部で強いOlig2の発現が見られる。脊髄や後脳後部ではOlig2細胞の一部がコリナージックニューロン(Ch細胞)に分化することから,終脳におけるOlig2系譜の細胞のCh細胞への分化を調べた。その結果,胎生早中期にOlig2を発現している細胞の中に,前脳基底部におけるCh細胞に分化するもの見い出された。少なくとも一部のOlig2細胞は前脳基底部でもコリナージックニューロンに分化することが明かとなった。Olig2欠損マウスでは,前脳基底部におけるCh細胞の分化調節転写因子(Nkx2.1,Lhx8等)の発現に大きな変化が見られないことから,Olig2はこれらの転写因子とは独立もしくは相補的に機能している可能性が考えられる。

 

神経構築形成における長距離ガイダンス分子の役割の解明

渡辺啓介,小野勝彦,池中一裕

 Netrin-1(Ntn1)は発生期に神経管の腹側正中部(底板)に発現し,軸索を誘因または反発させることで神経回路の形成に深く関わる。我々は,Ntn1欠損マウスを入手し,その詳細な解析を行った。その結果,脊髄背側において一次求心性線維(DRG axon)によって形成される後索が著しく乱れていることを見出した。さらに,この乱れがDRG axonの脊髄後角への投射が野生型より早期におこることによるためであること,Ntn1はDRGからの突起形成を抑制すること,を明らかにした。この結果から,脊髄後角でみられるNtn1の一過性発現の欠損により線維投射異常が生ずる可能性が強く示唆された。DRG axonの脊髄への投射時期にみられるwaiting periodの分子機構をin vivoで説明できる分子は長い間不明であったが,この結果からNtn1がその候補分子であることが強く示唆された。

 

モデルマウスを用いた脱髄の病態解明

田中久貴,馬堅妹,山田元,田中謙二,池中一裕

 脱髄モデルマウスであるPLPトランスジェニックマウス(PLPTg)は2ヶ月齢までに一度髄鞘がほぼ正常に形成され,Na+チャネル,K+チャネルはそれぞれ正常にクラスタリングする。5ヶ月齢頃から脱髄が始まり,K+チャネルのクラスタリングが崩れはじめ,8ヶ月齢までにNa+チャネルのクラスタリングも崩壊していく。これらの変化と跳躍伝導の相関を調べるために,中枢神経系(後索路,前庭・網様体脊髄路,錐体路)の解析を行ったところ,野生型に比べPLPTgでは2ヶ月齢においても著明な伝導速度の低下と相対不応期の延長を認めた。PLPTg2ヶ月齢で,paranodeの構造異常が認められた。

 跳躍伝導速度の低下が,行動にどのような変化として現れるか,京都大学 宮川剛博士と共同で行動解析を行った。一般の運動能力,探索行動,不安行動,情動反応は野生型と比べて変化が無かった。唯一の有意な変化はバーンズ迷路で参照記憶の障害が見られたことであった。

 

脱髄モデルマウスを用いた再生治療研究

東幹人,等誠司,池中一裕

 神経幹細胞は自己複製能と多分化能を持つ未分化な細胞である。脳の発生期だけでなく,正常の成体の脳においても特定の領域に存在し続け,神経新生を行っている。多発性硬化症を代表とするヒトの脱髄性疾患は,神経軸索を覆って保護するとともに跳躍伝導を可能にしている髄鞘が破壊され,迅速な神経伝達が失われる病態である。我々は上述の脱髄モデルマウスを用いて,脱髄病態における神経幹細胞の動態と,神経幹細胞移植による再ミエリン形成のメカニズムの解明を行っている。この際,5-bromo-2’-deoxyuridine(BrdU)をもちいて病態脳での内在性神経幹細胞を検出し,また移植では成熟したオリゴデンドロサイトで発現するプロモーター配列の下流にLacZレポーター遺伝子をもつマウスから神経幹細胞を調製し,脱髄モデル動物にこのレポーター遺伝子を持つ神経幹細胞の移植を行っている。この結果,移植した神経幹細胞は脳内に生着し,成熟したオリゴデンドロサイトへの分化が認められた。

 

成体脳に存在する神経幹細胞の維持のメカニズム解明

東幹人,等誠司,池中一裕

 発達期の脳のみならず,成体の脳にも神経幹細胞は存在し,脳の一部の領域(海馬や嗅球など)に新生神経細胞を供給していることが近年明らかになった。特に,海馬における神経新生は,記憶や学習といった脳の高次機能と関係する可能性が指摘されている。成体脳の側脳室周囲組織に存在する神経幹細胞は,さまざまな条件(変化に富む飼育環境や運動・学習負荷など)によって変動することが報告されているが,本グループはストレスに注目して神経幹細胞に対する効果を検討している。強制水泳などのストレス負荷マウスモデルを用い,ストレスが神経幹細胞の自己複製能を低下させる可能性や,抗うつ薬や気分安定薬などの向精神薬が神経幹細胞の減少を回復させる可能性を示唆するデータを得ており,そのメカニズムも含めて今後も精力的に解析していく。

 

神経幹細胞の発生の分子機構の解明

村岡大輔,等誠司,池中一裕

 我々はこれまでに,ES細胞から神経幹細胞を誘導する技術を確立した。脳に存在する神経幹細胞に比べてより高い多分化能を示すことから,神経幹細胞の前段階にある未分化神経幹細胞と考えられる。未分化神経幹細胞は発生初期の胚の中にも存在する。早期胚のepiblastをleukemia inhibitory factor存在下で培養すると,浮遊細胞塊を形成することで未分化神経幹細胞が検出できる。未分化神経幹細胞はin vitroで神経幹細胞へと分化させることができ,この過程にNotchシグナルの活性化が必須であることも解明した。今後はこのin vitro分化系を利用し,ES細胞から未分化神経幹細胞,未分化神経幹細胞から神経幹細胞への分化過程で発現変化する遺伝子群を同定し,その役割の解明を進めていく。また,ES細胞から神経幹細胞への分化に従って発現が変化する糖鎖構造の同定およびその機能解明を行なう。

 

アストロサイトの分化,発生様式に関する研究

成瀬雅衣,小川泰弘,等誠司,池中一裕

 中枢神経系発生過程において,神経幹細胞はまず神経細胞を産生し,その後グリア細胞を産生する。神経幹細胞/神経前駆細胞からアストロサイト・オリゴデンドロサイトへの運命決定の機構に関しては,不明な点が多い。われわれはプロテアーゼインヒビターであるシスタチンCに着目して研究をおこなってきた。シスタチンCは,アストロサイトの発生・分化を制御する因子として当研究室で独自に単離された因子である。シスタチンCは,胎仔期の神経幹細胞の増殖,生存に促進的に作用する機能を持つこと,アストロサイトの分化を促進し,オリゴデンドロサイトの分化を抑制する機能を有することが培養系において示された。またオリゴデンドロサイトが発生する時期のマウス胎仔脳において,シスタチンCと,オリゴデンドロサイトの発生に関係が深い転写因子Olig 2の発現が相補的な部位が観察された。以上の点からシスタチンCがOlig2の発現を制御することで神経幹細胞/神経前駆細胞からアストロサイト・オリゴデンドロサイトへの運命決定の一部を担っている可能性が示唆された。

 

Alexander病モデルマウスの解析

田中謙二,池中一裕

 Alexander病の原因遺伝子である変異GFAPを発現するトランスジェニックマウスを作出した。Alexander病の病理の特徴であるGFAP凝集体は,変異GFAPがわずか30%過剰発現するだけで形成されることが明らかになった。GFAP凝集体の存在は,内在GFAPの発現を増加させ,別の中間径フィラメントであるネスチンを誘導したが,正常な中間径フィラメントを形成することなく,凝集体にとり込まれていた。モデルマウスのアストロサイトは中間径フィラメントによる細胞骨格が破壊されていたが,アストロサイトの微細形態は保たれていた。一方で,海馬CA1のLTPが形成されやすいこと,カイニン酸全身投与でけいれんを起こしやすいことなどの神経回路異常を示唆するデータを得た。細胞骨格の異常が神経回路異常にどのように関与するのか,これがAlexander病の病態生理にどのように関与するのか検討していく予定である。

 

脳の発生と糖鎖

石井章寛,等誠司,鳥居知宏,池中一裕

 すべての細胞表面は糖鎖で覆われており,細胞間相互作用やシグナル伝達に深く関わっている。これまでに我々は(1)マウス,ヒト脳内に発現する糖鎖の割合は高い類似性示すこと,(2)脳内糖鎖発現パターンは個体発生の各時期で劇的に変化することを明らかとした。マクロアレイ解析システムを開発し,神経変性疾患,細胞の分化などに伴う糖鎖パターンの変化を遺伝子発現レベルでも理解できるようになった。

 本年度は髄鞘における糖鎖の意義を解明するために,髄鞘形成時,形成前後の正常マウスからスクロースグラジエント法を用いて髄鞘を抽出し,糖鎖の発現解析を行った。その結果,全脳に比べて髄鞘に増加あるいは減少する糖鎖構造がある事が分かり,髄鞘形成と糖鎖発現の関係を明らかにできる。さらに,脳の形成,発達における糖鎖の意義を解明するために,発達期マウス脳における糖鎖発現を解析した。その結果,いくつかの糖鎖の発現量が顕著に変化することが明らかとなった。

 

3D-HPLCによるマウス大脳皮質発達におけるシアル酸付加
N-結合糖蛋白質の糖鎖構造解析

鳥居知宏,石井章寛,等誠司,池中一裕

 これまで当研究室では,大脳皮質に発現している糖鎖の解析を2D-HPLCで網羅的に行い,主要な糖鎖の骨格を同定してきた。しかし糖鎖の末端に付加し細胞間接着や運動などに関与しているシアル酸の重要性から,さらに詳細な解析方法である3D-HPLCでシアル酸付加糖鎖の構造解析を行った。このシステムにより酸性糖鎖の解析が可能になり大脳皮質の発達過程において劇的にシアル酸付加する酸性糖鎖を同定した。その糖鎖は胎生期ではシアル酸が付加されているものの,成体の大脳皮質では全く付加されていない。この結果より,その糖鎖や付加されている蛋白質の重要性が示唆され,その蛋白質を同定して機能解析を行い,糖鎖の生理的意義を明らかにする。

 

 

細胞内代謝研究部門

【概要】

 細胞が刺激に対し適切に応答する細胞シグナリング機構の解明は命の謎と進化を解く鍵である。本部門では,電気生理学と先端バイオイメージングを用いてイオンチャネルや細胞内シグナル分子の動態を測定し,細胞応答に至るシグナルネットワークの時空間統御機構の解明を目指している。特に細胞の機械刺激受容/応答機構(細胞力覚機構)の解明を中心課題に設定して,細胞運動における機械シグナリングの役割,あるいは機械刺激に対する細胞骨格や接着斑の応答機構を調べている。また,受精機構についてCa2+動態を中心に解析している。さらに,シナプス可塑性に対する神経ステロイドの調節作用の分子機序についても研究を始めている。

 

伸展刺激に対する細胞移動機構の研究

毛利達磨
曽我部正博

 伸展可能なシリコンフィルム上に臍帯静脈血管内皮細胞を2次元的に培養し,傷をつけてその治癒過程における細胞の移動過程を研究した。定常的に伸展した場合の創傷部位への細胞の移動をタイムラプスのビデオ顕微鏡で観察記録した。個々の細胞の時空間的解析から細胞の移動速度は定常的伸展時には,伸展方向に対して増加することを確認した。伸展時には細胞内のエネルギセンサー(AMPK)が活性化しておりそのシグナルを統合する仕組みがあるという仮説をたてた。この仮説を証明すべく研究を展開している。まず,AMPKが活性化しているかどうかみるために,ウェスタンブロット法でAMPKのリン酸化の増加(活性化)を調べたところその増加を確認した。また,逆に,AMPKを活性化する試薬AICARを投与し,その存在下の細胞移動速度を調べた。移動速度はコントロールに比べて,有意に増加していた。同時に細胞接着斑,細胞内カルシウム,および細胞骨格動態のライブイメージングを開始した。

 

力学環境に対する接着構造の応答の分子機構

平田宏聡
曽我部正博

 接着性細胞における細胞外基質との接着構造(接着斑)は,加わる力に応じてその大きさが変化する。しかし,その分子機序は謎のままである。接着斑ではアクチンの重合が盛んであり,また接着斑の構成要素の多くはアクチン結合タンパク質である。そこで我々は,力の負荷が,アクチン重合の局所的な調節を介して,アクチン結合タンパク質を含む接着斑の大きさを変化させるという仮説をたてた。この仮説に基づき,アクチン重合調節タンパク質であり接着斑に局在するzyxinについて,力学刺激に対する応答を調べた。ミオシンIIの阻害により細胞の収縮力発生を抑制すると,zyxinは他の接着斑タンパク質に先立って接着斑から消失した。また,収縮力の発生を抑制し接着斑を完全に消失させた細胞を人為的に伸長させると,zyxinの集積が現れた。これらの結果から,zyxinは力学刺激に対する応答性の高い接着斑タンパク質であることが明かとなった。

 

神経ステロイドによる海馬シナプス長期増強の誘導機構

曽我部 正博

 最近になって,エストロジェン(estrogen)を始め,PREGS(pregnenolone-sulfate)やDHEAS(dehydroepiandrosterone- sulfate)に代表される多くのステロイドは,脳内で合成,分泌され,脳の高次機能を修飾する内因性生理活性物質であることが明確になり,神経ステロイドと総称されている。神経ステロイドの投与は学習記憶を促進し,逆にアルツハイマー病や老化による学習記憶の低下と神経ステロイドの脳内濃度の低下に強い相関が認められている。我々は,これらの背後にある分子機構を探る目的で,ラット海馬スライスに対する神経ステロイドの作用を電位感受性色素を用いた高速イメージングで詳細に解析した。上述のPREGSは,投与直後に海馬歯状回の貫通線維−顆粒細胞シナプスにLTPを誘起した。このLTPは貫通線維終末のa7nAchRの促進に起因するSTPと顆粒細胞のNMDA受容体機能の増強によるLTPの独立した2要素からなることが分かった(Chen&Sokabe,2005)。つまりPREGSはこれら2種類の受容体機能を同時並行的にnongenomicに促進することが判明した。PREGSはa7nAchRに直接作用するが,NMDAに対しては直接作用に加えてSrcの活性化を介したチロシンリン酸化促進の2重作用があるらしく,複雑である。一方で,我々はアルツハイマー病の原因であるbアミロイドが顆粒細胞のa7nAchR機能を阻害してLTP誘導を障害することを見いだしているので(Chen, et al.,2005),PREGSがbアミロイドのLTP障害作用を軽減する可能性があり,現在調査中である。また,神経ステロイドは急性にスパインの形態を変化させてシナプスの伝達効率を促進し,その背後には,アクチン細胞骨格や接着分子を含む細胞シグナリングの関与が示唆されており,近い将来細胞力覚との接点が見いだせるのではないかと期待している。

 


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