生理学研究所年報　第27巻
研究活動報告

生体情報研究系

感覚認知情報研究部門

【概要】

　感覚認知情報部門は視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象としている。我々の視覚神経系は複雑な並列分散システムである。そこでは数多くの脳部位が異なる役割を果たしつつ，全体として統一のとれた視知覚を生じる精巧な仕組みがあると考えられる。また二次元の網膜像から世界の三次元構造を正しく理解できる仕組みもそなわっている。視知覚におけるこれらの問題を解明するために，大脳皮質を中心とするニューロンの刺激選択性や，異なる種類の刺激への反応の分布を調べている。具体的な課題として(1)初期視覚野における輪郭とその折れ曲がりの表現，(2)大脳皮質高次視覚野における色情報の表現，(3)色カテゴリー識別時の視覚野ニューロン活動，(4)大脳皮質における視覚的注意のメカニズム，(5)サル大脳視覚野活動のfMRIによる計測法の開発，などに関する研究を行った。

初期視覚系における輪郭線の折れ曲がりの表現

伊藤　南

　我々は物体の形状を認識する過程を明らかにするために，注視課題を遂行中に第二次視覚野より単一細胞記録を行い，図形の輪郭に含まれる折れ曲がりが初期視覚野でどのように検出されているのかを調べてきた。これまでに輪郭線の折れ曲がりに対して選択的な反応を示すニューロンが第二次視覚野に多数存在すること，そうした選択性が折れ曲がり刺激に含まれる個々の半直線成分に対する興奮性ないしは抑制性の反応の線形和に強く依存することを示した。本年度は，第二次視覚野の主要入力源である第一次視覚野で記録し，折れ曲がり刺激に対する選択性を比較した。受容野よりも大きな刺激を含む同じ刺激セットを用いたところ，第一次視覚野のニューロンの反応選択性は直線ないしは直角の表現に限定されていた。これらの結果は第二次視覚野が方位選択的な線情報の組み合わせにより輪郭線の折れ曲がりや分岐を検出する最初のステップであることを示唆する。

下側頭皮質における色情報表現

安田正治，小松英彦

　下側頭皮質は破壊によって色弁別が重篤に障害されることが知られており，これまでの我々の研究により下側頭皮質前部の前中側頭溝(AMTS)近傍の皮質に，強い色選択性を持ち形選択性を持たないニューロンが集中して存在することが明らかになった。一方サルのイメージングによる研究は下側頭皮質後部のTEO野にも色刺激による活動を報告している。そこで注視課題を行っているサルの後中側頭溝(PMTS)付近のTEO野と考えられる部位からニューロン活動の記録を行った。実験前に撮影したMRI画像と，各電極の刺入位置の比較により記録部位の同定を行った。刺激にはCIE-xy色度図上でカラーディスプレイの3原色(RGB)が囲む三角形を均等に分割する色を用いた。それぞれの輝度は一定にし，ディスプレイの灰色背景より明るい刺激セットと暗い刺激セットの両方を用いた。刺激の形は異なる特徴をもつ7個または11個の単純な幾何学図形を用いた。実験の結果，鋭い色選択性を持つニューロンが後中側頭溝(PMTS)付近の領域に集中して存在することが分かった。色選択性のみを持つニューロンと色選択性と形選択性の両方をもつニューロンは混在していた。また受容野マッピングの結果，この領域はおおまかな視野表現を持ち，その内容は過去に報告されているTEO野の詳しい視野表現に関する研究と一致していた。これらの結果からTEO野が色情報の処理に関わっているものと考えられる。

色カテゴリー識別時の視覚野ニューロン活動

鯉田孝和，小松英彦

　弁別とカテゴリー化は視知覚の二つの異なる側面である。これは色知覚においても顕著に見られる。同じ色刺激を見ても，細かい色の識別を行わないといけない状況と，細かい色の差は無視してカテゴリー判断を行わないといけない状況では動物が表出する反応は異なる。このように同じ色刺激に対して状況によって異なる反応を行う時に，下側頭皮質の色選択ニューロンの活動にどのような差が見られるかを調べるために，色弁別課題と色カテゴリー課題と注視課題の3つの異なる課題を訓練したサルのTE野から単一ニューロン活動の記録を行った。刺激はCIExy色度図上でカラーディスプレイのR（赤）とG（緑）の間を均等に分割する等輝度の11色を用いた。いずれの課題でも最初に一つの刺激（テスト刺激）が呈示され，弁別課題ではその後呈示される二つの色刺激からテスト刺激と同じものを選び，カテゴリー課題ではテスト刺激が赤か緑かによってGO反応またはNOGO反応を選択することが要求される。注視課題では刺激は報酬に無関係でサルは注視を続ける。下側頭皮質前部に存在する色選択ニューロンにおいて，課題に応じて応答強度が有意に変化するニューロンが多く見い出された。しかし，課題間で色選択性そのものは非常に類似していた。またカテゴリ課題でニューロンの応答がよりカテゴリー的になる傾向は見られなかった。これらの結果は，現在行っている課題のルールを表す信号によって，下側頭皮質で色情報を表現しているニューロンの活動がコントロールされていることを示している。

多次元視覚探索課題における後頭頂葉ニューロンの活動特性

小川　正，小松英彦

　視覚探索においては，周囲と異なるポップアウト刺激によって受動的に引き起こされるボトムアップ型注意と，知識や意志によって能動的に起動されるトップダウン型注意が重要な役割を果たしている。脳内における2つの注意過程の神経メカニズムを明らかにするため，多次元視覚探索課題を行っているサルの頭頂間溝外側部(LIP，7a)からニューロン活動を記録した。課題では2種類の色と形から構成される6個の刺激が呈示され，その中には色と形次元で目立つ刺激が一つずつ含まれる（例えば○×1，■×1，□×4）。サルは目立つ刺激に向かってサッカード眼球運動を行うと報酬が貰えるが，どちらの次元で目立つ刺激を目標とするかは試行ブロックごとに切り替えられる。実験の結果，後頭頂葉には特定の特徴次元で探索する場合にのみ目標刺激に対する活動を増強させるニューロン群が存在することがわかった。この結果は，2つの注意機構が特定の状態で組み合わさった場合にのみニューロン活動に変化が生じることを意味し，両者の相互作用が後頭頂葉において生じていることが示唆された。

サル視覚野活動の機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)による計測

郷田直一，伊藤南，小川正，小松英彦（感覚認知情報）
豊田浩士，定藤規弘（心理生理学）

　視知覚の神経機構を明らかにするためには，ある刺激に対してどのような領域の細胞がどのように活動するかを調べる必要がある。これまで感覚認知情報研究室では視覚刺激によってサル大脳視覚野に生じる活動を単一ニューロン活動記録法により調べてきた。しかしfMRIは一度に大脳皮質の広い領域の活動を計測できる特長があり，単一ニューロン活動記録法と併用することにより，相互の利点を活かして視知覚の神経機構に多面的にアプローチすることが可能になると考えられる。サルを用いてfMRI計測を行うため，本年度はfMRI装置内で使用可能なサル頭部・身体固定システム，及び視覚課題と眼球・頭部・身体運動の制御を行うサルfMRI実験システムの開発を行った。またサル2頭についてfMRI装置を模擬した環境下で訓練を行った。内1頭については注視課題遂行中の視覚応答を計測するfMRI実験を行い，V1-V4を含む初期視覚野の活動が計測できることを確認した。

神経シグナル研究部門

【概要】

　従来われわれのグループでは，分子生物学と細胞レベルの電気生理学を中心とした研究を進めてきたが，最近スタッフのほとんど全員が入れ替わったのを契機に，研究テーマをよりシステム側に設定し，脳スライスを用いた電気生理学的測定により局所神経回路機能の解析することを主な研究対象としている。研究は比較的順調に進捗し，予想を上回る興味ある実験結果も得ているが，大部分の論文発表は2006年度となった。

視床投射細胞の異種興奮性シナプスの解析

宮田　麻理子，井本　敬二

　視床投射神経細胞には，末梢からの感覚情報を受け取る上向性（内側毛帯）シナプスと大脳皮質からのfeedbackシナプス（皮質視床シナプス）の二つの主な興奮性シナプスが存在する。我々は，それぞれのシナプスのグルタミン酸受容体成分に着目し，その機能的意義について検討した。標的細胞を同じとするマウスVPL投射細胞において，皮質視床シナプスのEPSCはわずかながらカイニン酸受容体成分が存在するが，内側毛帯シナプスには存在しないことを見出した。また，皮質視床シナプスEPSCではNMDA受容体成分がAMPA受容体成分に比べて極めて有意に多く存在する一方で，内側毛帯シナプスではAMPA受容体成分がNMDA受容体に比べて有意に多かった。皮質視床線維を連続刺激すると，EPSPは加算され投射細胞は漸次的に活動電位を発生するlate-persistent 発火を示し，それは，NMDA受容体依存的であった。一方，内側毛帯シナプスでは始めの1，2回目の刺激で活動電位を出すがその後消失するonset-transient発火を示し，AMPA受容体依存的であった。

成熟ニューロンにおけるcdk5の生理的役割の検索：シナプス種依存的機能の可能性

佐竹伸一郎，井本敬二

　サイクリン依存性キナーゼ(cdk)は，細胞分化・増殖の制御に関わるタンパク質リン酸化酵素として広く知られている。Cdkファミリーの一つcdk5は，成熟ニューロンの軸策や細胞体に強く発現することから，細胞周期制御とは別の機能も担うと推定される。しかし，cdk5ノックアウトマウスが周産期致死のため，成熟ニューロンにおけるcdk5の生理的役割は現在も明らかでない。これまでの機能検索から，cdk5特異的阻害薬roscovitineが①小脳平行線維（顆粒細胞）－プルキンエ細胞間の興奮性シナプス伝達を顕著に増強すること，しかし②登上線維－プルキンエ細胞間興奮性シナプス伝達には無効であること等を見出してきた。Cdk5のシナプス種依存的機能を検討する過程で，顆粒細胞－籠細胞間シナプスにおいて，roscovitineが興奮性シナプス後電流EPSCの振幅のみならず減衰時定数を増大させることを発見した（一方，顆粒細胞－プルキンエ細胞EPSCの減衰時定数は有意に変化しない）。この減衰時定数増大がグルタミン酸受容体低親和性競合阻害薬g-D-glutamylglycineによって減弱したことから，この現象に受容体飽和（後シナプス性要因）や伝達物質拡散，不均一性多重小胞放出（前シナプス性要因）が関与すると推定できる。こうした作業仮説に基づき，引き続き分子基盤の検討を進めている。

視床ハイブリッド神経回路を用いた同期的神経発火の解析

井上　剛，井本　敬二

　視床は，感覚信号を大脳皮質へ転送する領域である。視床において顕著に観察される神経回路現象として，神経細胞群の同期的神経発火が知られている。欠神てんかん発作時には，異常な同期的神経発火が生じることも知られている。これらの同期的神経発火は，視床神経細胞間のシナプス相互作用で発生することが推定されるが，視床神経回路内のそれぞれのシナプス配線が同期的神経発火の発生にどのように寄与しているかについて十分には分かっていない。この問題に取り組むため，今年度我々は視床ハイブリッド神経回路の構築を行った。この視床ハイブリッド神経回路では，複数の視床神経細胞からの同時パッチクランプ記録と，ダイナミッククランプ法を用いた人工的シナプス電流を組み合わせた。シナプス配線を任意に操作することができるというこの手法の利点を用い，同期的神経発火の発生とシナプス配線との連関に関し検討した。

Ca²⁺/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼIIの神経機能に対する役割
—不活性型ノックインマウスによる検討

山肩葉子，畑中伸彦，阪上洋行（東北大学），高雄啓三（京都大学），宮川　剛（京都大学），
小幡邦彦（理化学研究所），柳川右千夫（群馬大学），井本敬二

　中枢神経系に豊富に存在し，神経活動の制御やシナプス可塑性に深く関与すると考えられているCa²⁺/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII(CaMKII)が脳機能に果たす役割を解明するために，前脳における主要なサブユニットであるaを不活性型に置換した不活性型ノックインマウスを用いた解析を行っている。このマウス脳では，CaMKIIaのプロテインキナーゼ活性のみが選択的に消失するが，蛋白としての発現は維持されており，シナプス可塑性との関連が示唆されるmRNAの樹状突起への局在も保たれていた。このマウスの出生率は正常で，繁殖能力にも問題がなかったが，生後10～20週での死亡率が高く，また，一部のマウスに自然発症のけいれんが認められ，薬剤誘発けいれんに対する感受性も高かったことから，神経活動の調節に異常を来している可能性が高いと考えられた。また，マウスの行動解析を行ったところ，多動を初めとする多彩な異常所見が認められた。チトクロームオキシダーゼ活性染色により，情動行動の調節をつかさどる大脳辺縁系の一部で，神経活動の低下が認められたことと合わせ考え，行動に関してさらに詳しい解析を行い，その病態の把握に努めているところである。

持続性けいれん時におけるCa²⁺/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼIIの
不活性化のメカニズムに関する検討

山肩葉子，小幡邦彦（理化学研究所），井本敬二

　Ca²⁺/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII(CaMKII)は，中枢神経系に豊富に存在する蛋白質リン酸化酵素として，神経活動の制御やシナプス可塑性に深く関わることが知られている。一方，これまでに，種々の持続性のけいれんモデルにおいて，CaMKIIの不活性化が報告されているが，そのメカニズムについては不明であった。そこで，ラットのカイニン酸誘発けいれんモデルを用いて，その不活性化メカニズムの検討を行った。けいれん中の脳ホモジネートにおいては，CaMKIIの不活性化と共に，沈降する画分への細胞内移行が起こり，その画分では，CaMKIIのThr-286(a)/287(b)の自己リン酸化が大きく上昇する一方で，キナーゼ活性が大きく低下するという現象が観察された。可溶性画分に残存したCaMKIIにはこのような現象は認められなかった。また，けいれんから十分回復させた後には，このような自己リン酸化・不活性化・沈降型のCaMKIIはもはや検出されなかった。このことから，けいれん中のCaMKIIの不活性化は，単なる変性や分解によるものではなく，自己リン酸化・不活性化・沈降型CaMKIIが新たに形成されるためと考えられる。このようなCaMKIIは，細胞内への過剰なCa²⁺流入時に，Ca²⁺で活性化された大量のカルモジュリンをトラップすると共に，CaMKIIの過剰活性化を防ぐ役割を果たしているのかもしれない。

視床-大脳皮質ネットワークにおけるてんかん発生に関する研究

佐々木　幸恵，井本敬二

　てんかんの一種である欠神発作は，特徴的な脳波が大脳皮質全体に同期して認められる事から，その原因として，大脳皮質と視床を結ぶ神経ネットワークの異常により生じると考えられてる。しかし，その発症メカニズムは現在不明な点が多く存在している。

　本研究では，自然発症てんかんモデルマウスを用い，視床-大脳皮質投射におけるシナプス伝達特性をスライスパッチクランプ法により検討を行った。その結果，てんかんモデルマウスの大脳皮質4層細胞において，自発的に連続したシナプス入力を多く受けている事を明らかにした。大脳皮質4層細胞は，視床からの入力層として知られており，おそらくてんかんモデルマウスでは，自発発火条件において視床回路が同期的に働き，大脳皮質4層細胞で連続したシナプス入力を受けているのではないかと考えられる。

　　Ca_V2.1変異マウスrockerにおける小脳平行線維-プルキンエ細胞シナプス機能異常の解析

児玉貴史，井本敬二（神経シグナル部門），重本隆一，深澤有吾（脳形態解析部門）
森泰生（京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻）

　rockerマウスはCa_V2.1変異マウスの一種であるが，呈する神経疾患症状（運動失調等）がCa_V2.1変異マウスの中でも最も軽度であるという特徴を持っている。このことから我々はrockerマウスがCa_V2.1機能異常の基本的な病態を解析するのに最適なモデルであると考え，rockerマウスにおいて運動失調に深く関わりがあるあると考えられる小脳平行線維-プルキンエ細胞シナプスの解析を行った。その結果，このシナプスにおける情報伝達がrockerマウスにおいて著しく障害されており，これがシナプス後部のAMPA受容体の数の減少に由来していることを明らかにした。また，rockerマウスにおいてプルキンエ細胞の樹状突起伸展が有意に悪化していることも明らかになった。以上の結果より，平行線維-プルキンエ細胞シナプスの機能がプルキンエ細胞上のCa_V2.1に特に強く依存していることが示唆された。

小脳皮質における登上線維伸展範囲の定量的解析

加勢大輔，児玉貴史，井本敬二

　蛍光染色法は共焦点顕微鏡との併用により酵素反応を利用した染色法に対し，抗原ごとに選択的な画像が得られる，シグナル強度が蛍光強度に反映される，高い空間解像度を持つ等の利点を持つ。しかし得られた染色画像に対し多くの場合は定性的な差の記述にとどまり，染色法の持つ利点を利用した定量的なデータの解析による評価は行われていない。

　本研究では染色画像の定量的解析の試みとして，小脳皮質分子層における登上線維の伸展範囲を蛍光色素により可視化し，画像データの解析を行い，週齢ごと及び野生型マウスとCa_V2.1カルシウムチャネル変異マウスとの間で比較を行った。比較の結果，登上線維伸展範囲の週齢ごとの変化を検出することができた。一方，野生型マウスと遺伝子変異マウスとの間では違いが見られなかった。



Copyright(C) 2006 National Institute for Physiological Sciences