生理学研究所年報 第27巻
 研究活動報告 年報目次へ戻る生理研ホームページへ

発達生理学研究系

認知行動発達機構研究部門

【概要】

 2005年度は人の動きの多い年だった。

 博士研究員だった坂谷智也君が7月より英国オックスフォード大学に留学,8月末より助手の遠藤利朗君がスウェーデンのカロリンスカ医科大学に留学した。新しく参加したメンバーとしては4月より坪井史治君が総研大博士課程に入学,高田和子と林愛さんが研究補助員として採用され,7月より高橋雅人君が杏林大学の整形外科から博士研究員に,池田琢朗君が玉川大学からCREST研究員に,9月より金田勝幸君が米国テネシー大学より助手に,加藤利佳子さんがフランスのコレージュ・ド・フランスよりCREST研究員に,10月よりPenphimon Phongphanphaneeさんがタイ国チュラロンコン大学より国費留学生として総研大博士課程に入学した。研究としては2年目に入った戦略的創造研究推進事業(CREST)に関係したサルを用いた皮質脊髄路の損傷後の手指の機能代償に関する研究,そして大脳皮質一次視覚野損傷後のサッケード運動の機能代償に関する研究が本格的に加速してきた。さらにカナダ国クイーンズ大学のMunoz教授,オランダ国アムステルダム自由大学のJan Theeuwes教授,米国南カリフォルニア大学のLaurent Itti博士と共同で受賞したHuman Frontier Science Programの共同研究グラントによる「空間的注意の脳内機構」に関する共同研究が開始した。

 

随意運動の制御におけるシナプス前抑制の役割

関 和彦,武井 智彦

 末梢神経への電気刺激によって脊髄一次感覚神経末端に対するシナプス前抑制が引き起こされる事が知られている。自然刺激のような非同期的な刺激においても同様な抑制が誘発されるかについて軽麻酔下のサル頚髄において検討した。まず手背部及び手掌部からの求心神経末端が存在する脊髄内部位を同定した後,同定部位に対して微小電流刺激を行い,それらによって誘発される逆行性電位を皮膚神経に装着したカフ電極において記録した。その後,閾値電流で脊髄微小刺激を連続的に行いながら実験者の一人が手掌部や手背部をブラシで継続に刺激した。そしてブラシ刺激によって逆行性電位の振幅がどのように変化するかを観察した。その結果,手掌部や手背部へのブラシ刺激中に記録された逆行性電位のサイズはその前後のコントロールに比較して有意に大きかった。自然刺激によってサルの皮膚神経末端部にシナプス前抑制が誘発される事が初めて明らかになった。

 

第一次視覚野損傷サルの残存視覚機能

吉田 正俊,伊佐 正

 盲視の動物モデルとして片側の第一次視覚野を外科的に切除したニホンザルを二匹作成して,急速眼球運動を指標とした行動実験を行った。

 (1)強制選択型の視覚誘導性眼球運動課題を遂行できることを確認した。損傷半視野で弁別できる標的刺激の閾値は正常半視野と比べて高くなっていた。また,急速眼球運動の終始位置は損傷半視野においてより大きくばらついており,急速眼球運動が不正確になっていることが明らかになった。(2)時間的ギャップを(1)の課題に加えるとことでexpress saccadeと同等の潜時を持つ急速眼球運動が起こることを見いだした。(3)記憶誘導性眼球運動課題を遅延時間2秒でも遂行できることを見いだした。(4)Central-cue型の注意課題において,損傷半視野での残存視覚情報処理が注意によって促進される証拠を得た。これらのことは残存視覚を処理する経路が認知処理にも関与しうることを示している。

 

上丘中間層への抑制性入力

金田勝幸,伊佐かおる,伊佐正

 上丘中間層(SGI)ニューロンのバースト発火生成にはGABA作動性抑制性入力からの脱抑制が重要である。これまでにSGIのグルタミン酸作動性投射ニューロンには黒質網様部(SNr)からのGABA性投射があることが明らかにされている。しかし,SGIには様々のタイプのGABAニューロンも存在しており,それらのニューロンにも抑制性入力があるのかどうかは不明であった。そこで本研究では,GABAニューロンがGFPを発現しているGAD67-GFPノックインマウスを用いてこの点を明らかにすることを試みた。ホールセル記録をGFP陰性および陽性ニューロンから行い,SNrからの投射線維の電気刺激に対する応答を調べたところ,GABAA受容体を介するIPSCsがいずれのニューロンタイプにおいても観察された。さらに記録後の形態観察の結果から,様々なタイプのSGIのGABAニューロンがSNr由来の抑制性入力を受けていることが明らかとなった。

 

サル頚髄レベル皮質脊髄路損傷後の手指巧緻性回復について
〜C2およびC5レベル損傷後回復の比較〜

Bror Alstelmark(スウェーデン,ウメオ大学),Lars-Gunnar Pettersson(スウェーデン,イェテボリ大学)
西村幸男,高橋雅人,坪井史治,伊佐正(認知行動発達機構)

 我々は皮質脊髄路(CST)から脊髄運動ニューロンへ結合する経路の1つとされるC3-C4に細胞体を持つ脊髄固有ニューロン(C3-C4PN)を介する間接経路が手指巧緻性に関与している可能性について検討した。C4/C5レベルでCSTを切断(C3-C4PNを介する間接経路を残す)したサルとC1/C2レベルでCSTを切断(C3-C4PNを介する間接経路を遮断)したサルとの手指巧緻性の回復過程を比較した。

 母指と第二指を対立させた精密把持動作について,C4/C5でCSTを切断したサルは切断後2ヶ月以内で切断前の動作に戻った。一方C1/C2でCSTを切断したサルは切断後4ヶ月でも切断前の動作に戻らなかった。特に,C1/C2レベルでCSTを切断したサルは個々の指の独立した運動が消失した。この結果は,C3-C4PNを介する間接経路が手指の巧緻性に関与している可能性を示唆している。

 

把握運動に関与する脊髄ニューロンの役割

武井 智彦,関 和彦

 手を用いた把握運動の制御において脊髄神経機構がどのような役割を担っているのか調べるため,把握運動中のサルから脊髄ニューロン活動を慢性的に記録し,その活動パターンを検討した。サルに,母指と第二指によってレバーを把握する課題(精密把握)を行わせ,その際下位頚髄に金属微小電極を刺入して,単一脊髄ニューロンの活動を記録した。その結果,多数のニューロンが課題に関連した活動変化を示し,その活動の変化が把握運動開始以前に始まる例も一部のニューロンにおいて認められた。さらに,記録されたニューロンの上肢筋群への出力をspike-triggered averaging法を用いて調べた結果,一部のニューロンは運動ニューロンへの直接投射を持つことが明らかになった。これらの結果から,脊髄ニューロンが把握運動における運動実行や運動準備の過程に関わっていることが示唆された。

 

Spread of activity in the local circuit of superior colliculus

Penphimon Phongphanphanee1,2 and Tadashi Isa1,2,3
(1Department of Developmental Physiology, National Institute for Physiological Sciences
2School of Life Science, The Graduate University for Advanced Studies
3Core Research for the Evolutionary Science and Technology (CREST), Japan Science and Technology Corporation (JST))

 To study how the visual signal is processed in the local circuit of superior colliculus (SC) from the superficial layers (sSC) to the deeper layers (dSC), we analyzed the propagation of excitation following the electrical stimulation of the sSC by using 64 channel-field potential recording system (planar electrode, 8 x 8 pattern with interelectrode spacing of 150-300 mm) in SC slices preparations obtained from 16- to 24-d-old mice. Electrical stimulation at sSC induced negative field potential with short latency mainly at the recording sites in sSC adjacent to the stimulating site. After application of bath containing 10 mM Bicuculline (Bic), the same stimulus induced a large negative field response with long duration that spreads first laterally in sSC and then ventrally to dSC. These Bic-induced responses disappeared after application of 50 mM APV. The electrically evoked responses in individual neurons from sSC and dSC have also been investigated by whole-cell patch-clamp recording simultaneously with the multichannel field potential recordings. Bursting spike responses could be induced in both the sSC and the dSC after application of Bic, the duration of which roughly corresponds to the long lasting field potential. The results from the two recording systems suggest that when GABAA receptor-mediated inhibition is reduced, visual signal in the sSC propagates to the dSC by induction of burst discharge shown as large response with long duration in field potential recording system and NMDA type glutamate receptors contribute to spatial propagation of the response.

 

 

生体恒常機能発達機構研究部門

【概要】

 当部門は2004年6月に明大寺地区A棟5回に研究室を立ち上げてから約2年が経過した。現座,発達の過程で一旦形成された神経回路に起こる再編成のメカニズムを回路レベルで解明することを目標に研究をしている。特に,発達期における再編のメカニズムとして,シナプスレベルにおいて,伝達物質のスイッチング,細胞内イオン環境の変化によるGABAの興奮性から抑制性へのスイッチとその制御機構,受容体の細胞内動態やこれらに対する神経栄養因子,環境/回路活動による制御を検討している。

 また,傷害や虚血などの種々の障害後に一旦未熟期における回路特性が再現し,回復に伴い発達と同様な再編成過程が再現される可能性について,電気生理学的,分子生物学,組織学的手法を用いて研究を行なっている。

 本年度から神経回路の可塑的変化を生体で観察するため,多光子励起法を利用して,マウス大脳皮質細胞の全層にわたる可視化技術を確立した。この技術を利用して,現在神経回路の微細構造の長期変化の観察を試みている。

 

発達期における神経伝達物質のスイッチング

鍋倉 淳一,張 一成,西巻 卓也

 ラット聴覚系中経路核である外側上オリーブ核に内側台形体核から入力する伝達物質自体が未熟期のGABAから成熟期のグリシンに単一終末内でスイッチすることを微小シナプス電流の特性の解析などの電気生理学的手法,神経終末内のGABA, GADやグリシン免疫電顕や免疫組織学的手法を用いて明らかにした。この伝達物質のスイッチングは,発達期における主要な再編成機構である余剰回路の除去や伝達物質受容体の変化と並ぶ大きなカテゴリーの変化と考えられる。現在,脳の発達に対するGABAの重要性に注目が集められている。このモデル系および海馬において,何故未熟期にはGABAである必要があるのかを,GABAの未熟期における興奮性およびGABAB受容体の発達変化と関連機能について検討している。

 

細胞内Cl-制御機構KCC2によるGABAの興奮−抑制スイッチと分子機構の解明

鍋倉淳一,渡部美穂,和気弘明,堀部尚子

 未熟期および虚血や傷害後早期にGABAは興奮性伝達物質としての作用を獲得する。これはGABAA受容体に内蔵するチャネルを流れるCl-イオンの向きによって決定されるため,細胞内Cl-イオン濃度によってGABAは興奮性/抑制性が決定される。この細胞内Cl-イオン濃度は神経細胞特異的に発現するK+-Cl-トランスポーターであるKCC2によって主に決定されている。発達期や再生期におけるKCC2の発現,およびその機構を検討している。KCC2の発現制御に関して,細胞内制御分子の探索を行なっている。

 

カンナビイドによる海馬抑制性伝達調節

前島隆司,稲田浩之

 未熟期海馬においては,リズム活動があり,海馬回路形成・発達を制御している。このリズム活動はCA3領域に存在するリズムジェネレーターによって海馬全体に伝播する。このリズム発生の一因としてGABAの脱分極作用が関与している。CA3領域におけるGABA回路の制御機構について,シナプス工細胞の代謝型グルタミン酸作動性受容体の活性化によって逆行性に内因性カンナビノイドが抑制性神経終末に作用し,GABA放出を抑制していることを明らかにした。

 

クリプトン−YAGレーザーを用いた脳虚血障害モデル動物作成技術の開発

鍋倉淳一,和気弘明,堀部尚子
八尾博史(国立肥前療養所)

 脳障害の回復期における神経回路の可塑性の研究を遂行するにあたり,生体において,程度の一定した脳障害モデルを作成する必要がある。任意の脳血管の閉塞・再開通を任意に行なうことができる技術を脳虚血作成技術に精通している八尾博史博士と共同で開発を行なう。具体的には,ローズベンガル色素を静脈注入後,任意の脳血管にクリプトンレーザーを極短時間照射し,血栓形成による閉塞を作成する。任意の時間後に高エネルギーパルスレーザーであるYAGレーザーを照射し,血管の再開通を起こさせる。この技術はマウスでは頭骸骨を駆けることなく,非観血的に閉塞・再還流が可能であり,脳虚血・障害の分野では画期的技術となる。

 

In Vivo多光子顕微鏡を用いた大脳皮質神経細胞の微細構造の可視化と長期可塑性の変化

鍋倉淳一,和気弘明

 神経回路の発達および脳障害の回復期における神経回路の可塑性の研究を遂行するにあたり,究極的に生体での観察が不可欠である。そのため,生体における神経回路の可視化のため,長波長短パルスレーザーを利用して生体深部の微細構造を観察可能な多光子励起法を種々の神経細胞に蛍光蛋白が発現している遺伝子改変動物に適用し,大脳皮質回路の可視化する方法の立ち上げを行った。光路の開発・調節,頭蓋骨に適用する特殊アダプターの開発などを行い,マウスにおいて,大脳皮質表面から1ミリの深部まで観察可能な技術のを行った。その結果,大脳皮質錐体細胞を全層にわたり,樹状突起,棘突起,軸策などのその微細構造を観察することが可能であり,また,同じ微細構造を数日間にわたり連続観察可能となった。さらに,同レーザーを利用して,生体において微細構造の局所障害をおこす技術の開発に成功している。

 

 

生殖・内分泌系発達機構研究部門

【概要】

 本研究部門は,視床下部による摂食行動の調節と末梢組織における代謝調節機構の解明を目指して研究を行っている。視床下部は,摂食行動(エネルギー摂取)とエネルギー消費機構(栄養代謝)を巧みに調節することによって生体エネルギーを一定に保つ重要な働きを担う。しかし,近年,この調節機構の異常が肥満,糖尿病,高血圧など,生活習慣病の発症と密接に関連することが明らかとなってきた。当部門では,視床下部における生体エネルギー代謝の調節機構を分子レベルで解明し,その分子機構を通して生活習慣病など様々な疾患の原因・治療法を明らかにしたいと考えている。現在実施している主たる研究課題は次の通りである。1)AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構の解明,2)レプチン,神経ペプチドによる糖・脂質代謝調節機構の解明,3)視床下部腹内側核におけるエネルギー代謝調節機構とシグナル伝達機構の解明。4)脂肪酸酸化を促進するレプチン・シグナル伝達機構の解明。

 

AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構の解明

箕越 靖彦
岡本 士毅
志内 哲也
田中 智洋(京都大学大学院医学研究科)
益崎 裕章(京都大学大学院医学研究科)

 我々は,AMPキナーゼがレプチンやアディポネクチンなどホルモンによって活性化して骨格筋における脂肪の利用を促進すること,視床下部AMPキナーゼが摂食行動を制御することを明らかにしている(Nature 2002, 2004)。本研究課題では,AMPキナーゼによる生体エネルギー代謝の調節機構を明らかにするため,活性型並びに不活性型AMPキナーゼを視床下部にレンチウイルスを用いて発現させ,摂食行動に及ぼす影響を調べた。その結果,マウス視床下部室傍核に活性型AMPキナーゼを発現させるとマウスの摂食量が増加,肥満することを見いだした。さらに我々は,レプチンによるAMPキナーゼの活性制御機構が高脂肪食によって障害されることを,レプチントランスジェニックマウスを用いて明らかにした(Tanaka T et al. Diabetes, 2005)。

 

レプチン,神経ペプチドによる糖・脂質代謝調節機構の解明

箕越 靖彦
志内 哲也
斉藤 久美子

 我々は,レプチンが摂食行動を抑制するだけでなく,視床下部−交感神経系の働きを介して褐色脂肪組織や骨格筋などエネルギー消費器官でのグルコースおよび脂肪酸の利用を促進することを明らかにしてきた。我々は,この作用がレプチンだけでなく,視床下部に特異的に発現する神経ペプチド・オレキシンによっても惹起されることを見いだした。オレキシンは,睡眠覚醒レベルの調節,報酬系の調節などに関与する。このことからオレキシンは,覚醒レベルを高めると同時に,骨格筋での代謝を亢進させるなど,食餌獲得行動など行動発現の調節に関与すると考えられる。さらに近年,肥満・糖尿病など生活習慣病と睡眠障害との関連が指摘されており,オレキシンニューロンの異常と生活習慣病との関連についても調べている。

 

視床下部腹内側核におけるエネルギー代謝調節作用とシグナル伝達機構の解明

箕越 靖彦
岡本 士毅
李   順姫
嶋 雄一(基礎生物学研究所)
諸橋 憲一郎(基礎生物学研究所)

 視床下部腹内側核(VMH)は古くから満腹中枢として知られるなど,生体エネルギー代謝に重要な調節作用を営むことが知られている。しかし,そのシグナル伝達機構は全く不明である。当部門では,VMHでの作用伝達物質と考えられるBDNF(brain-derived neurotrophic factor)の働きを中心に,VMHにおけるエネルギー代謝調節作用並びにそのシグナル伝達機構を調べている。また,脳の中でVMH特異的に発現する転写因子SF-1の遺伝子エンハンサーを用いて様々なトランスジェニックマウスを作製し,生体エネルギー代謝に及ぼすVMHニューロンの調節作用を明らかにする研究を行っている。

 

脂肪酸酸化を促進するレプチン・シグナル伝達機構の解明

箕越 靖彦
鈴木 敦

 本研究では,筋芽細胞株であるC2C12細胞を用いて脂肪酸酸化を促進するレプチンのシグナル伝達機構を調べている。その結果,レプチンが,ATM並びにCaMKKbを介してAMPキナーゼを活性化することを見いだした。活性化したAMPキナーゼは,acetyl-CoA carboxylase (ACC)をリン酸化してその活性を抑制し,その結果,ACCの産物であるmalonyl-CoA量を低下させる。malonyl-CoAは脂肪酸をミトコンドリアに取り込む酵素,CPT1の強いアロステリック阻害剤であるので,malonyl-CoA量が低下することでCPT1活性が上昇し,脂肪酸酸化が促進する。さらに我々は,活性化したAMPキナーゼが核内に移行し,脂肪酸酸化関連遺伝子の発現に関わる転写調節因子PPARaの発現を促進することを見いだした。

 


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