生理学研究所年報 第27巻
 研究会報告 年報目次へ戻る生理研ホームページへ

2.脳神経科学・精神医学の主要ツールとしての遺伝子改変マウスの表現型解析

2005年6月30日−7月1日
代表・世話人:宮川剛(京都大学医学研究科 先端領域融合医学研究機構)
所内対応者:池中一裕(分子神経生理部門)

(1)
マウスリエゾンについて
饗場篤(神戸大学大学院医学系研究科 分子細胞生物学講座 細胞生物学分野)
(2)
国際的な動向・背景と提案
宮川剛(京都大学医学研究科 先端領域融合医学研究機構)
(3)
ENU誘発大規模マウス突然変異体開発プロジェクト:ラージスケールプロジェクトの利点と問題点
若菜茂晴(理化学研究所ゲノム科学総合研究センター ゲノム機能情報研究グループ)
(4)
行動学的スクリーニングによって見い出された,セプチン欠損マウスにおける
線条体ドパミンニューロンの異常
木下専(京都大学大学院医学研究科 先端領域融合医学研究機構)
(5)
エピジェネティクス研究と脳神経科学の接点
石野史敏(東京医科歯科大学 難治疾患研究所 エピジェネックス分野)
(6)
スパインの異常から精神行動異常へ
内匠透((財)大阪バイオサイエンス研究所)
(7)
drebrin過剰発現と発現阻害の効果の解析 細胞レベルから個体レベルへ
児島伸彦(群馬大学大学院医学系研究科医科学専攻 高次細胞機能学教室)
(8)
ビオプテリンによる脳内ドーパミン・セロトニン生合成の調節機構
一瀬宏(東京工業大学大学院生命理工学研究科 分子生命科学専攻)
(9)
DARPP-32リン酸化を指標としたドーパミン情報伝達系の解析
西昭徳(久留米大学医学部 薬理学講座)
(10)
海馬・扁桃体スライス標本を用いた電気生理学的表現型解析
真鍋俊也(東京大学 医科学研究所 基礎医科学部門 神経ネットワーク分野)
(11)
小脳電気生理解析のプロトコル標準化と問題点
平井宏和(金沢大学 学際科学実験センター 革新脳科学プロジェクト研究領域)
(12)
マウスによる精神疾患の研究の問題点
功刀浩(国立精神・神経センター神経研究所 疾病研究第3部)
(13)
精神疾患脳バンクの現状と展望
池本桂子(福島県立医科大学神経精神医学講座)
(14)
動物モデルとヒトの研究から精神疾患創薬へ:遺伝子改変マウスへの期待
梶井靖(三菱ウェルファーマ)

【参加者名】
宮川剛(京都大大院),太田達郎(京都大大院),尾藤晴彦(東京大大院),和田圭司(国立精神神経センター),八木健(大阪大大院),若菜茂晴(理研),和田由美子(理研),饗場篤(神戸大大院),木下専(京都大大院),萩原明(京都大大院),萩原明(京都大大院),猪原匠史(日本学術振興会),石野史敏(東京医科歯科大),一瀬宏(東工大大院),浦野扶美(東工大大院),西昭徳(久留米大・医),平井宏和(金沢大),児島伸彦(群馬大大院),真鍋俊也(東大・医科学研),内匠透(大阪バイオサイエンス研究所),功刀浩(国立精神神経センター)池本桂子(福島県立医大),和田明(福島県立医大),梶井靖(三菱ウェルファーマ),森寿(富山医科薬科大大院),糸原重美(理研),小林和人(福島県立医科大),小林克典(日本医科大),白尾智明(群馬大大院),福永浩司(東北大大院),森口茂樹(東北大大院),深海薫(理研),吉木淳(理研),崎村建司(新潟大),曽良一郎(東北大大院),岩田仲生(藤田保健衛生大・医),高橋正身(北里大・医),片岡正和(信州大),向井秀幸(神戸大),前田拓也(神戸大),林文彦(三菱生命研),井上直子(三菱生命研),上田洋司(三菱生命研),石田靖雅(奈良先端科学技術大),瀬原淳子(京都大),一瀬千穂(藤田保健衛生大),瀬藤光利(統合バイオ),小山隆太(東京大・薬),渡辺肇(基生研),木村透(生理研),笹川快生(群馬大大院),江口淳一(三菱ウェルファーマ)大西哲生(理研),渡辺明子(理研),大羽尚子(理研),桐生幸歩(京都大大院),堀池由浩(生理研),佐治俊幸(生理研),美濃部さやか(三重大),廣江猛(生理研),喜多山篤(生理研),山口良文(統合バイオ),根本知己(生理研),北村明彦(生理研),渡辺英治(基生研),笹岡俊邦(基生研),山肩葉子(生理研)

【概要】
 マウスの遺伝子の99%は人間でホモログが存在する。またマウスでは遺伝子を自在に操作することのできる遺伝子ターゲティング技術の適用が可能であり,被験体を多数使用することが可能であるため,マウスはモデル動物としては極めて有用である。このため,米国・欧州を中心としてマウスのすべての遺伝子をノックアウトするという大規模プロジェクトの構想が進んでいる。22,000程度あると言われる遺伝子の半分以上は脳で発現しており,脳神経科学・精神医学研究においても,次々と作成される遺伝子改変マウスの活用により研究が加速されると考えられる。本研究会では,脳研究の異なるフィールドの研究者を集め,今後利用可能になるであろう豊富な遺伝子改変マウスというリソースについて,どのような研究戦略・活用の仕方があるのか,各フィールドの研究者がどのように連携していくのが研究の推進に必要であるか,大規模・系統的な連携(例えば,「ラージスケールのマウス表現型解析センター/コンソーシアム」のようなもの)は有用か,ヒト精神・神経疾患研究との融合には何が求められているのかなどについて意見交換を行い,最後に参加者を交えて総合討論を行った。

  

 特に,標準化されたプロトコールに則った遺伝子改変マウスの表現型解析を行うことの必要性と重要性,および問題点について活発な討論が行われ,遺伝子改変マウスの表現型解析手法に対する関心の高さと今後の方向性があらためて見直された有意義な研究会であった。

 

(1) マウスリエゾンについて

饗場篤(神戸大学大学院医学系研究科 分子細胞生物学講座 細胞生物学分野)

 

(2) 国際的な動向・背景と提案

宮川剛(京都大学医学研究科 先端領域融合医学研究機構)

 

(3) ENU誘発大規模マウス突然変異体開発プロジェクト
−ラージスケールプロジェクトの利点と問題点−

若菜茂晴((独)理化学研究所ゲノム科学総合研究センター(GSC)ゲノム機能情報研究グループ)

 理研GSC動物ゲノム機能情報研究グループでは,個体レベルにおける大量の遺伝子の生物機能を効率的に解明するためのENU誘発による体系的マウス突然変異の開発(マウスENUミュータジェネシスプロジェクト)を1999年にスタートした。

 まず,網羅的マウス表現型解析のプラットフォームの確立を目指し,およそ400項目に及ぶ検査システムを整備した。これらの項目について基準系統となるC57BL/6J,DBA/2J,C3H/HeJの表現型解析を実施し,基準値の作成,はずれ値の範囲の選定をおこなった。スクリーニングで見いだされた突然変異マウスにおいては,ハイスループットマッピングシステムの確立,情報処理や知識ベースを活用する「in silicoポジショナルクローニングシステム」を情報チームと共同で開発し原因遺伝子の探索を行った。また,プロジェクトにおけるデータ全般を管理するコンピュータネットワークを整備し,マウス育成管理ソフトウェア(動物搬入,個体カード管理,系統管理),ミュータジェネシス管理ソフトウェア(投与情報,体重測定,G1個体記録,テスト交配管理),詳細表現型解析のソフトウェアなどの開発を行った。このようにラージスケールプロジェクトにおいては機能解析に直接もしくは間接にかかわる多くの基盤技術の整備が重要であり,さらにアウトプットを有機的に利用してもらうため多くの外部機関との連携が必要である。

 

(4) 行動学的スクリーニングによって見い出された,セプチン欠損マウスにおける
ドパミンニューロンの異常

猪原匡史,萩原明,木下専(京都大学大学院医学研究科先端領域融合医学研究機構生化学・
細胞生物学グループ)

 セプチンは酵母からヒトまで保存された細胞骨格系GTPaseファミリーであり,細胞分裂に必須である。マウスのセプチン遺伝子ファミリーSept1-14の全てが脳において固有の時間的・空間的パターンで発現する。細胞膜近傍の構造維持,開口放出,拡散障壁として膜蛋白の局在化などに関与するセプチン細胞骨格が破綻すると神経回路構築や高次脳機能にどのような異常が起こるだろうか? 細胞分裂への干渉を避けつつこの問いに答えるため,postnatal brain特異的に発現するSept4遺伝子を破壊した。Sept4欠損マウスのBergmann gliaの構造はほぼ正常に保たれるが,小脳皮質構築異常と運動学習障害を認めた。

Sept4は脳の他の領域でも発現するため,小脳以外の異常を幅広く検索する必要がある。そこで宮川研究室の支援を受けて一連の行動学的スクリーニングを行ったところ,Prepulse Inhibitionのパラダイムにおいて特異的に増強が見られた。PPIの中枢の1つである側坐核を組織化学的に検索すると,腹側被蓋野A10に由来するドパミン神経終末の低形成が認められた。また,野生型マウスにD1/D2受容体作動薬を低濃度投与して前シナプス終末からのドパミン放出を抑制するとPPIの増強が再現された。以上から,Sept4の欠損による前シナプス終末の構造異常ないしシナプス小胞放出機構の機能障害が示唆された。

 

(5) エピジェネティクス研究と脳神経科学の接点

石野史敏(東京医科歯科大学 難治疾患研究所 エピジェネックス分野)

 インプリンティング遺伝子は,染色体の十カ所程度のところにクラスターを成して存在しており,このような領域が片親性2倍体になると個体発生,成長,行動等,様々な異常が見られることが知られています。このような表現型は,インプリンティング遺伝子クラスターに存在するある特定の遺伝子の発現欠失(または過剰発現)によることもありますし,複数の遺伝子の発現欠失および過剰発現が合わさった複合的な影響を見ていることもあります。ヒトにおいても相同領域では同様な機序でゲノムインプリンティング型遺伝病が発症するため,マウスに見られる表現型は,実際のヒトの発症モデルとして有効です。

 私達は以前,父親性発現遺伝子であるPeg1/MestおよびPeg3のノックアウトマウスの解析から,この変異を父親由来で持つ雌が子育てをしないという哺育行動異常を観察しました。しかし,このような研究をさらに進めようとした場合,そもそも哺乳動物の生殖の基本である妊娠,出産,子育てという一連の生命現象の基本的な理解が進んでいないことに気が付きます。私たちは,この哺乳類特異的な現象・行動を司る遺伝子群に興味を持っていますが,その解析のためにはこれらの現象・行動についての本格的な研究体制と歩調を合わせる必要があると考えています。

 

(6) スパインの異常から精神行動異常へ

内匠透((財)大阪バイオサイエンス研究所)

 統合失調症の薬理学的モデルマウスの網羅的解析により「精神疾患はスパインの異常である」という仮説をえた。Reverse geneticsアプローチとして,候補遺伝子の一つであるRNA結合蛋白TLSの細胞生物学的解析を行った結果,TLSは,成熟期の海馬錐体神経細胞の細胞体のみならず樹状突起に局在していた。TLSは微小管のみならずアクチンフィラメントを介して樹状突起に移行する。成熟期の海馬錐体神経細胞において,TLSはmGluR5の活性化により興奮性後シナプスのスパインに移行し,樹状突起のRNA量が増加する。これらのin vitro研究に一致して,TLS欠損の海馬錐体神経細胞には異常なスパインの形態及びスパイン密度の低下が見られた。TLSノックアウトマウスは,残念ながら生後まもなく死亡するが,そのコンディショナルノックアウトマウスの解析には,幅広い行動解析が必要となってくる。

 

(7) drebrin発現過剰および発現阻害の効果Ñ細胞レベルから個体レベルへ

児島伸彦,白尾智明(群馬大学大学院医学系研究科医科学専攻 高次細胞機能学教室)

 スパインは樹状突起上の興奮性シナプス後部の特化した構造である。近年スパインの形態はダイナミックに変化している事がわかってきた。この変化の制御にはアクチン細胞骨格系が関係しているがその詳細な分子機構や機能的意義についてはまだあまり知られていない。神経特異的なdrebrinアイソフォーム(drebrin A)は樹状突起に存在し,シナプス部ではシナプス後部に局在している。drebrin Aを神経細胞に過剰発現させると長い異形スパインが増える。また,逆にdrebrin Aの発現量をアンチセンスRNAによって減少させるとスパインの形態形成が抑制される。これら初代培養細胞系を使った研究からdrebrin Aの発現量の増減はスパインの形態形成に深く関わっている事がわかる。

 われわれはdrebrin Aの発現量を増減させた効果を個体レベルで調べるために,トランスジェニックマウスとノックアウトマウスを作成した。現在これらのマウスの表現型を多角的に解析する研究を開始している。現時点でdrebrin Aの過剰発現あるいは欠失はシナプス可塑性や学習記憶に影響するとのpreliminaryな研究データを得ている。

 

(8) ビオプテリンによる脳内ドーパミン・セロトニンの調節機構

一瀬宏(東京工業大学大学院生命理工学研究科)

 ドーパミン・ノルアドレナリン・セロトニンなどのモノアミン神経伝達物質は,情動,運動,睡眠,記憶などの脳の高次機能に深く関わっていることが知られている。これらのモノアミン化合物は前駆体アミノ酸の芳香環の水酸化と,引き続いて起こる脱炭酸反応により生合成される。テトラヒドロビオプテリン(BH4)は,ドーパミン・ノルアドレナリンの生合成を司るチロシン水酸化酵素(TH),および,セロトニン・メラトニンの生合成を司るトリプトファン水酸化酵素(TPH)の補酵素としてこれらのモノアミン神経伝達物質の合成に関与している。

 我々は,BH4生合成第2段階に働くピルボイルテトラヒドロプテリン合成酵素(PTS)をノックアウトすることによりBH4欠乏マウスを作成した。PTS欠損マウスは生後まもなく全身性のモノアミン欠乏(おそらく交感神経系の機能不全)により死亡した。新生児マウスの生化学的解析を行ったところ,BH4欠乏から予測されるドーパミン・セロトニンの低下ばかりでなく,TH活性・タンパク質量が野生型に比べて10%以下に低下していることが判明した。また,PTS欠損マウスにBH4を腹腔内から投与すると,脳内セロトニン量は投与後1時間で野生型の約70%にまで回復したが,脳内ドーパミン量はvehicle投与群に比べてわずかに増加したのみであった。これらの結果は,BH4欠乏やBH4の量的変動に対する応答性が,ドーパミン系とセロトニン系とで大きく異なっていること,BH4が脳高次機能の調節に重要であることを示唆した。

 

(9) DARPP-32リン酸化を指標としたドーパミン情報伝達系の解析

西昭徳(久留米大学 医学部 薬理学講座)

 線条体のmedium spiny neuronには,ドーパミンの効率的情報伝達に必須なリン酸化蛋白DARPP-32 (dopamine- and cAMP-regulated phosphoprotein, Mr 32 kDa)が選択的に発現している。DARPP-32リン酸化調節に関わるプロテインキナーゼ,プロテインホスファターゼは様々な神経伝達物質受容体と共役した活性調節を受けており,多くの神経伝達物質作用はDARPP-32リン酸化レベルの変化として反映される。このためDARPP-32は線条体でのシグナル統合機構および細胞内情報伝達系の解析モデルとして極めて優れている。

 DARPP-32リン酸化を指標として,マウス線条体スライスでのニコチン作用,グルタミン酸作用を解析した。ニコチン作用の解析では,(1)高濃度ニコチン(100 mM)はドーパミンD1シグナリングを増強すること,(2)低濃度ニコチン(1 mM)はドーパミンD2シグナリグを増強することを明らかにした。また,グルタミン酸作用の解析では,グルタミン酸はNMDA受容体,AMPA受容体,代謝型グルタミン酸受容体を介して複数の情報伝達系を活性化し,ドーパミン/DARPP-32情報伝達系と複雑な相互作用を示すことを明らかにした。この研究をさらに発展し,神経細胞間の機能的ネットワークおよび細胞内情報伝達系を含む線条体領域ドーパミン情報伝達マップの作製を目指している。このドーパミン情報伝達マップを利用することにより,ドーパミン作用の異常が示唆される病態モデルや遺伝子改変マウスでのドーパミン情報伝達系の解析を効率的に行うことができる。

 

(10) 海馬・扁桃体スライス標本を用いた電気生理学的表現型解析

真鍋俊也(東京大学 医科学研究所 基礎医科学部門 神経ネットワーク分野)

 遺伝子改変マウスの最大の利点は,分子レベルから,細胞・ネットワークレベル,さらには個体レベルでの解析が同時に進められることであろう。これまでの神経生理学的解析において,in vitroでは,ニューロンの特性や,イオンチャネル,受容体,シナプス伝達やその可塑性などの分子機構が詳しく調べられ,多くの重要な知見が得られている。一方,in vivoでの解析では,高次脳機能の責任脳部位の同定や,薬理学的手法による高次脳機能における受容体の役割の解明などが行われてきたが,in vitroとin vivoの成果をつなげることがかなり難しかった。しかし,遺伝子改変マウスの導入により,そのギャップの一部が埋められつつある。これまでも脳スライス標本を用いた解析は盛んに行われてきたが,遺伝子改変マウスの登場により,その成果を個体レベルでの行動実験の結果と比較することができるようになり,シナプスレベルでの異常が,個体でどのように反映されるかを直接的に検討できるようになった点は,きわめて大きな進歩であると言える。

 私たちの最近の研究成果を例にして,海馬および扁桃体のスライス標本を用いた解析を中心にした遺伝子改変マウスの総合的解析について説明し,脳スライス標本の有用性や解析法の実際について述べた。具体的には,NMDA受容体のNR2B(GluRe2)サブユニットのチロシン残基に点変異を導入したノックインマウスにおける扁桃体シナプス伝達の異常と扁桃体が関与する情動異常の解析結果について詳しく説明した。

 

(11) 小脳電気生理解析のプロトコル標準化と問題点

平井宏和(金沢大学学際科学実験センター革新脳科学研究領域/PRESTO,JST)

 小脳機能に障害がある場合,体幹の振るえや歩行異常などの運動失調として表れるため,目で見ただけで異常があることを見つけられることが多い。本発表ではまず,小脳機能異常が疑われるマウスを解析する場合に我々が標準的に行っているプロトコルを,実際の解析例を示しながら紹介した。

 次にコアラボとして小脳機能解析を行う場合に起こり得る問題について,現時点で考えられることを述べた。小脳の電気生理学解析のプロトコルを一通り行うにはそのマウスに見られる運動障害が本当に小脳異常に起因しているのかを明らかにしてからでなければ効率が悪い。また運動障害が小脳性であった場合でも,形態的に小脳に大きな障害があればわざわざ詳細な電気生理解析が必要であるのかも疑問になってくる。このようなことから,理想的には小脳電気生理解析の前に運動障害の原因がどこにあるのかを解析するコアラボが必要で,小脳障害がある場合でも,どの程度の運動失調があり,どの程度の小脳の形態異常であれば電気生理解析を行う価値があるのかについて基準を作る必要があると思われる。

 

(12) マウスによる精神疾患の研究の問題点

功刀浩(国立精神・神経センター神経研究所 疾病研究第三部)

 多くの精神疾患は,複数のリスク遺伝子と環境要因との相加作用/相互作用によって発症すると想定されている。近年,精神疾患の遺伝子解析研究によって,種々のリスク遺伝子が報告されており,そうした遺伝子がどのようなメカニズムで病態発生に関与するか,遺伝子改変マウスを用いた解析結果が蓄積されつつある。

 行動実験によって,マウスがヒトの精神疾患の症状を呈しているかどうかをみることができるかどうかという疑問は常につきまとう。例えば,統合失調症は幻覚,妄想などの精神病症状(陽性症状)に加えて,社会的機能の低下や社会的行動の異常(自閉),感情の鈍磨などの陰性症状,認知障害などが生じるが,そうした症状をどのような行動解析方法でみていくか,今後さらなる発展が必要である。例えば,プレパルス抑制テストの異常は,マウスにおいて統合失調症様症状の指標として最もよく使われるが,われわれのヒトにおける検討では,テスト条件の設定が難しいことや,テスト所見は統合失調症の症状のうち陽性症状と相関するものの,陰性症状とは相関しない,などの点が明らかになった。行動解析法を洗練させることは,マウスによる精神疾患の解明を行う上で鍵となろう。

 

(13) 精神疾患脳バンクの現状と展望

池本桂子1,和田明1,國井泰人2,楊巧会1,丹羽真一1
1福島県立医大神経精神医学講座,2同病理学講座)

 精神疾患の研究を発展させるためには死後脳研究は不可欠である。死後脳バンクの設立においては,厳しい倫理的基準をクリアすることに加え,当事者・家族が積極的に参加するという発想が大切であると考えられる。福島県立医大神経精神医学講座では,1997年から福島県立医大倫理委員会の承認を得て,精神疾患死後脳研究運営委員会を発足させ,統合失調症を中心とした本邦初の系統的精神疾患死後脳バンクを構築してきた。福島脳バンクの特徴としては,当事者・家族の積極的参画による運営,任意団体(つばめ会)による支援,インフォームド・コンセントによる当事者・健常者の生前登録,開かれた研究活動といった事柄が挙げられる。病理解剖は原則として,大学病理部において行なう。現時点では,剖検例は24例であり,左半側を凍結保存,右半側をホルマリン固定している。今後の課題としては,日本国内,さらにはアジア地域へ向けて,脳バンクのネットワークを構築することや,学内外の研究機関との共同研究の推進,当バンクの保存脳を用いて研究の推進に加え,不足しがちな健常脳を病理部の協力を得て確保すること,事務員,技術員,研究員などのスタッフの増員が挙げられる。

 

(14) 動物モデルとヒトの研究から精神疾患創薬へ:遺伝子改変マウスへの期待

梶井 靖(三菱ウェルファーマ 創薬第一研究所)

 精神疾患創薬研究において,病因論の展開と治療薬候補物質の高確度臨床予測を実現する動物モデルの確立は大きな課題である。近年様々な遺伝子改変動物の表現型解析が実施され,情動や作業記憶の異常など,精神疾患障害との関連が示唆される行動特性が報告されている。こうした遺伝子改変動物の行動特性を生理学的,薬理学的なデータと共に集積し,臨床症状の多様なスペクトルにより良く対応した動物モデルパネルを実現することができれば,従来とは異なる新しい切り口で精神疾患の病因論を展開し,創薬までつなげていくことも期待される。我々は,将来的にパネルを活用する方法論の1つとして,データベース化されたGeneChipデータを用いて遺伝子改変動物の特徴とヒトのデータを対応付ける試みを行っている。長期持続的な行動変化に伴う脳内遺伝子発現レベルの変動は,小さな変動幅で多くの遺伝子が関与するという特徴を持つが,不安行動とその不安行動を指標とした場合のfluoxetin応答性に特徴を持つ遺伝子改変マウスの海馬遺伝子発現をAffymetrix社のGeneChipシステムを用いて解析した結果,遺伝子操作と薬物処理という2つのパラメータを特徴付けるマウス・プローブセットが見出された。プローブセットは38ないし149個のプローブ群から構成されており,これらを対応するヒト・プローブセットに変換し,データベースシステムに登録されている166枚のヒト海馬GeneChipデータを解析した結果,生前の病歴や服薬履歴に特徴を持つクラスターの形成が確認された。

 


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