生理学研究所年報 第27巻
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13.高次脳機能研究の新展開

2006年1月16日−1月17日
代表・世話人:高田昌彦(東京都神経科学総合研究所)
所内対応者:南部 篤(生体システム研究部門)


(1)
WGAトランスジーンによる甘味・苦味情報を伝導する脳内神経回路の可視化
杉田 誠,柴 芳樹(広島大学大学院医歯薬学総合研究科 創生医科学専攻 病態探究医科学講座)
(2)
到達運動の企画・実行過程における前頭皮質内の階層構造
星 英司(玉川大学 学術研究所 脳科学研究施設)
(3)
代謝調節型グルタミン酸およびGABAB受容体による淡蒼球ニューロンの活動制御とパーキンソン病モデルでの発現変化
金田勝幸(生理研 認知行動発達機構)
(4)
サル視覚皮質V4野における両眼立体視の奥行き表現
梅田和昌,田辺誠司,藤田一郎(大阪大学大学院 生命機能研究科 認知脳科学研究室)
(5)
Adaptation methodsにおけるfMRIと単一細胞活動記録の比較
澤村裕正(東京大学医学部 眼科視覚矯正科)
                               
(6)
前頭連合野における行動選択のコントロール
筒井健一郎(東北大学大学院 生命科学研究科 脳情報処理分野)
                
(7)
霊長類前頭前皮質機能コラムとドーパミン修飾
平田快洋(北海道大学大学院 医学研究科 高次脳機能学分野)
                
(8)
低周波および高周波ネットワーク・オシレーションを介した新皮質−海馬間相互作用
礒村宜和(理研BSI 脳回路機能理論研究チーム,ラトガーズ大 CMBN)
                
(9)
扁桃体と社会的コミュニケーション
堀 悦郎(富山大学大学院医学系研究科 システム情動科学,科学技術振興機構 CREST)

【参加者名】
高田昌彦(東京都神経科学総合研究所),稲瀬正彦(近畿大学),泰羅雅登(日本大学),小林和人(福島県立医科大学),筒井健一郎(東北大学),堀 悦郎(富山大学),星 英司(玉川大学),杉田 誠(広島大学),澤村裕正(東京大学),磯村宜和,石金浩史(理化学研究所),平田快洋(北海道大学),梅田和昌(大阪大学),雁木美衣(東京都神経科学研究所),喜多 均(テネシー大学),宮下英三(東京工業大学),伊佐 正,吉田正俊,金田勝幸,池田琢朗,武井智彦,加藤利佳子,小川 正,鯉田孝和,原田卓也,坂野 拓,神作憲司,内山仁志,森戸勇介,李 順姫,南部 篤,畑中伸彦,橘 吉寿,知見聡美,高良沙幸,田 風(生理研)

【概要】
 われわれは行動する際,視覚・聴覚・体性感覚などの外部(感覚)情報や学習・記憶・情緒などの内部(自己)情報に基づいて,もっとも適切な運動あるいは動作様式を選択,決定,実行する。日常的に設定されたさまざまな行動目標を達成するため,脳はこれら多種多様の情報を状況に応じて有機的に統合し,運動情報として運動野に出力しなければならない。また,物を掴む,腕を伸ばすなど,われわれが日常的に行う個々の動作は,長年にわたる経験や習慣に基づき脳内で形成された運動プログラムに従って,ほとんど無意識のうちに実行されている。状況に応じて意識的かつ合目的的にある特定の行動を企画,遂行しようとする際,脳はそれまでに学習,獲得してきた無数の運動プログラムや認知・思考パターンの中から状況に最も適合したものを選び出し,それらを時系列的に順序よく組み合わせて,まとまりのある一連の行動として出力しなければならない。しかし,このような行動の組織化の神経機構については未だ明らかになっていない。

 すなわち,脳科学は本来,脳機能をシステムとして理解し,究極的には“個体の組織化された行動発現のメカニズム”の解明をめざす学問領域である。しかし,現在の脳科学は,研究の進展とともに,研究テーマがそれぞれの専門分野ごとに細分化されるようになった結果,個々の分野の研究者がカバーあるいはフォローできる学問領域も狭小化し,各専門分野を横断的かつ統合的に捉え,相互理解を深めることがきわめて困難な状況になってきた。個々の研究領域にのみ注目していると,個体としての脳機能の全体像を見失う恐れがあり,生命現象を統合的に理解しようとする脳科学の基本的立場に基づいた研究姿勢が必要不可欠である。したがって,“個体レベルでの高次脳機能をシステム的に理解する”ためには,要素としての個々の神経機構を詳細に解析するだけでなく,それらを統合的に機能させる神経システムの解明が重要であり,そのような視点から研究が展開されなければならない。

 「高次脳機能研究の新展開」と題した本研究会では,神経解剖学,神経生理学,分子生物学,情報工学など,多岐にわたる専門分野の若手あるいは中堅の研究者が,運動,感覚,認知,及び情動の各分野に関する最新の知見を紹介し,各分野における研究の趨勢,問題点,及び今後の展開に関する忌憚のない意見を活発に交換したい。

 

(1) WGAトランスジーンによる甘味・苦味情報を伝導する脳内神経回路の可視化

杉田 誠,柴 芳樹(広島大学大学院医歯薬学総合研究科・創生医科学専攻・病態探究医科学講座)

 口腔内の味細胞に発現する味覚受容体に,味物質が結合することにより惹起される味覚情報は,複数の神経細胞を介し,脳内の各種神経細胞に投射され,受容・識別されるとともに,行動的反射や情動的反応を惹起します。哺乳類の苦味,甘味,うま味の味覚受容体に関する最近の発見は,異なる味質が味細胞でいかに感知され,暗号化されるのかをさし示しました。しかし,味覚情報がどのように脳に伝達され,味覚の認識がされているかについては不明な点が多く存在します。本研究では,マウスにおいて苦味受容体(mT2R5)もしくは甘味/うま味受容体(mT1R3)を発現し,苦味もしくは甘味/うま味を感知する味細胞に,シナプス間を移動するトレーサータンパク質(tWGA-DsRed)を選択的に発現させ,脳内でトレーサーに標識される神経細胞の位置を可視化することで,苦味および甘味情報を伝導する脳内神経回路を明らかにすることを試みました。延髄弧束核・橋結合腕傍核・視床後内側腹側核において,甘味受容味細胞から輸送されたtWGA-DsRedを受けとる神経細胞群は,苦味受容味細胞からの入力を受ける神経細胞群に比べ,より前方に配置していました。また大脳皮質味覚野と扁桃体においては,部分的重複と分離がみられました。観察された苦味と甘味の情報を伝導する脳内神経回路の差異は,味覚認識を可能にする神経基盤の一端を示していると考えられました。

 

(2) 到達運動の企画・実行過程における前頭皮質内の階層構造

星 英司(玉川大学 学術研究所 脳科学研究施設)

 随意運動の発現過程における大脳前頭皮質の役割を明らかにするために,行動課題を遂行している被験体から神経細胞活動を記録・解析するという手法を用いて研究を行ってきた。本発表では,2つの異なる行動課題のもとで到達運動を企画・実行中の被験体の前頭前野,運動前野,一次運動野から記録した細胞活動の具体例を示しつつ,これらの領野間の機能的差異,機能的関係を議論する。

 第一の行動課題では,記憶すべき見本刺激とそれに引き続いて提示された選択刺激を,行動のルールに基づいて統合し,到達運動の標的を選択することが要求された。この課題を遂行中の被験者の前頭前野から細胞活動を記録したところ,1)見本刺激を反映する細胞活動,2)選択刺激を反映する細胞活動,そして,3)選択された標的の位置を反映する細胞活動が見出された。さらに,これら3種類の細胞活動の時間経過を解析したところ,前頭前野の情報表現が,見本刺激から選択刺激へ,そして,選択刺激から標的の位置へ,と短時間で変遷することが明らかになった。これらの結果は,“見本刺激と選択刺激の情報を行動のルールに従って統合し,標的の位置という運動の情報を選択・生成する”という一連の過程が前頭前野で再現されていることを示唆した。一方で,同じ課題で,一次運動野から細胞活動を記録したところ,一次運動野はこのような過程を反映しておらず,到達運動の実行自体を反映することが明らかとなった。

 第二の行動課題では,到達運動に使用する手の指示と,到達する標的の位置の指示が連続して与えられ,これら2つの異なる指示内容を統合して到達運動を企画することが要求された。なお,これらの2つの指示の順序は20試行毎に入れ替えられた。この課題を遂行中の被験体の運動前野から細胞活動を記録したところ,第一の指示が与えられた後には,1)使用する手の指示を選択的に記憶する細胞活動,2)標的の位置を選択的に記憶する細胞が観察された。さらに,第二の指示が与えられた後には,3)これらの2つの情報を統合する細胞活動が見出された。これらの結果は,“使用する手,到達する標的の位置という異なる運動の情報を収集・統合して将来の運動を企画する”という過程において,運動前野が重要な役割を果たすことを示唆した。

 以上の結果をまとめると,

 1)前頭前野は複数の情報を統合して標的の選択に関与する。

 2)運動前野は到達運動に使用する手の情報と標的の位置情報を収集し,これらを統合して到達運動の企画をする。

 3)一次運動野は企画された運動を実行する。

という前頭皮質内の機能的差異が明らかとなる。さらに,これを解剖学的ならびに生理学的研究から得られている知見と総合することにより,“前頭前野で行動に必要な多様な情報の生成がなされ,運動前野でこれらが統合されて運動情報として企画される。そして,運動前野と一次運動野が企画された運動の準備・実行に関与する。”という前頭皮質内の階層構造を提案したい。

 

(3) 代謝調節型グルタミン酸およびGABAB受容体による淡蒼球ニューロンの活動制御と
パーキンソン病モデルでの発現変化

金田 勝幸(生理研・認知行動発達機構)

 近年の研究から大脳基底核には様々なタイプの代謝調節型グルタミン酸およびGABAB受容体がユニークな発現様式を示すことが明らかとなってきた。本研究会では大脳基底核を構成する重要な核である淡蒼球におけるこれら受容体の機能に関する2つの話題を紹介したい。

 (1)GABAB受容体およびmGluR1を介した淡蒼球ニューロンの活動制御

 げっ歯類の淡蒼球(霊長類では淡蒼球外節)は,主として線条体と淡蒼球自身からGABAによる抑制性入力を,また,視床下核からグルタミン酸作動性興奮性入力を受けている。一方,淡蒼球はそのGABA性投射を大脳基底核のほぼすべての核に送っている。したがって,大脳基底核による運動制御機構を理解する上で淡蒼球ニューロンの活動制御機構を解明することはきわめて重要であると考えられる。これまでの報告から,淡蒼球ニューロンの活動はイオンチャネル型グルタミン酸受容体およびGABAA受容体を介して制御されていることが明らかとなっているが,代謝調節型グルタミン酸受容体(mGluRs)やGABAB受容体の役割については不明の点が多い。そこでこれらの受容体が淡蒼球において実際に機能しうるのかどうかをラット脳スライス標本を用いてホールセル記録法により検討した。淡蒼球内の連続電気刺激により,速いEPSPs/IPSPsに続いて遅いIPSPが誘発された。この遅いIPSPはGABAB受容体アンタゴニストにより完全に抑制されたことから,シナプス後膜に存在するGABAB受容体を介して発現したと考えられた。一方,刺激により誘発されるGABAA受容体を介する速いIPSCsはGABABアンタゴニストの投与により増大したことから,刺激により遊離されたGABAがシナプス終末に存在するGABAB受容体を活性化し,GABAの遊離を抑制していることが示唆された。さらに,内包の連続刺激では速いEPSP/IPSPに続いて,遅く持続的な脱分極が誘発された。この脱分極はmGluR1選択的アンタゴニストにより部分的に抑制された。以上の結果は,シナプス性に遊離されたGABAおよびグルタミン酸がそれぞれGABAB受容体およびmGluR1を活性化することにより,淡蒼球ニューロンの活動制御において重要な役割を果たしている可能性を示している。

 (2)パーキンソン病モデルサルにおけるmGluR1aの発現減少

 パーキンソン病時には視床下核の活動が異常に増大していることが注目を集めている。そこでこのような視床下核の活動上昇がmGluRsの発現に与える影響をドパミン神経毒であるMPTPを投与することにより作成したパーキンソン病モデルサルを用いて検討した。その結果,調べた7つのmGluRsサブタイプのうち,mGluR1aの発現のみが視床下核の主要な投射先である淡蒼球内節・外節および黒質網様部において特異的に減弱していることを見いだした。この発現減少の機能的意義を調べる目的で,正常サルの淡蒼球内節・外節ニューロン活動に対するmGluR1アゴニストおよびアンタゴニストの局所投与の影響を調べたところ,アゴニスト投与により淡蒼球内節・外節ニューロンの発火頻度は上昇し,アンタゴニストでは減少することが分かった。さらに,パーキンソン病モデルサルでは,特に淡蒼球内節においてこれらのアゴニストやアンタゴニストの効果が正常サルの場合と比較して減弱する傾向が認められた。以上の結果は,mGluR1aの特異的な発現減少は視床下核の過剰な興奮に対する代償機構であることを示唆している。

 

(4) サル視覚皮質V4野における両眼立体視の奥行き表現

梅田和昌,田辺誠司,藤田一郎(大阪大学大学院 生命機能研究科 認知脳科学研究室)

 ヒトを含む霊長類は,優れた両眼立体視能力をもつ。視覚系は,奥行きに伴って左右の網膜像に生じるわずかなズレ,両眼視差を奥行き知覚の手がかりとしている。両眼立体視は,(1)視差のある二枚の網膜像をどのように一つの視覚像にするのか,(2)二次元的な網膜像からどのように両眼視差を算出し奥行きの知覚へ結びつけるのか,という二つの大きな問題を含んでいる。我々はこれらの問題を解明するため,覚醒下のサル視覚皮質V4野から単細胞の電気活動記録した。

 実験1:V4野において対応点問題は解決されているか?

 二枚の網膜像から一つの奥行きを伴った視覚像を構築するためには,左右それぞれの網膜上で由来の等しい二点を対応付けしなければならない。この問題を対応点問題という。V4野において対応点問題が解決されているかを調べるため,通常のランダム・ドット・ステレオグラム(cRDS)と輝度反転RDS(aRDS)を用いて,両眼視差感受性を調べた。aRDSは左右眼に投影するドットの輝度を反転させたRDSであり,両眼視差が存在しても奥行きを伴った面構造を知覚させない。対応点問題がすでに解かれた段階にある神経細胞ならば,cRDSの両眼視差に応答を示しても,aRDSの両眼視差には応答を示さないと考えられる。実験の結果,V4野の神経細胞の多くで,aRDSの両眼視差に対する応答がV1野よりも減弱していた。この結果はV4野において対応点問題が解かれつつあることを示唆する。

 実験2:V4野は相対視差をコードしているか?

 両眼視差は,絶対視差と相対視差に分類される。絶対視差はある点と個体が固視している面との奥行きの差に依存し,相対視差はある点とその周囲との奥行き差に依存する。過去の心理物理研究から,奥行き知覚は相対視差に依存することが示されている。そこで,V4野において相対視差がコードされているかを調べた。RDSを中心領域と周辺領域に分割し,それぞれの両眼視差を調節することで,さまざまな奥行き面の組み合わせに対する神経活動を記録した。その結果,V4野の神経細胞のほとんどが中心領域と周辺領域の相対視差に対して感受性を示した。このことはV4野の神経細胞群が相対視差に基づく奥行き表現を行っていることを示唆する。

 以上のように,V4野が奥行き知覚と対応した神経活動を示すことから,V4野を含む腹側経路における両眼情報処理は立体視に貢献していると考えられる。

 

(5) adaptation methodsにおけるfMRIと単一細胞活動記録の比較

澤村 裕正(東京大学医学部眼科視覚矯正科)

 Functional magnetic resonance image (fMRI) が脳機能研究に用いられるようになって以来多数の知見が得られている。fMRIはヒトを被験者として用いることができる,一時に多数の脳領域の活動を記録することができるという利点を持つが,時間解像度・空間解像度は劣る。一方従来よく用いられていた単一細胞活動記録は時間・空間解像度に優れ,単一神経細胞の刺激選択性あるいは刺激へのチューニングを調べるのに非常に有用であるものの,侵襲度が高く,脳の全ての領域を一時に記録することは非常に困難であるという欠点をもつ。

 近年fMRIを用いて視覚野の神経細胞群の選択性を推測するのにadaptation methods がよく用いられている。その根幹をなす論理は以下である。単一の刺激が連続して提示された場合(A-A),Aに応答する細胞群は2回目のAの刺激提示に対して減弱した応答を示す(adaptation)。異なる刺激が続けて提示された場合には(B-A),その減弱した応答の程度がその細胞群の選択性を反映している,というものである。例えばB-Aと提示された場合のadaptationの程度がA-Aと提示された場合と同程度であったなら,その細胞群はB及びAには選択性がないと判断されるし,全くadaptationを示さなかった場合にはその細胞群はAに選択性があると判断される。一見この論理は正しいようであるがこの論理を用いるにはある前提が存在する。それは「細胞群の選択性とadaptationの程度が相関する」,というものである。

 そこで今回はこの前提が正しいか否かをfMRIと単一細胞活動記録を比較することにより調べることにした。ヒトのfMRIの知見からは物体を認知する領域(lateral occipital complex=LOC)が単一視覚刺激によりadaptation効果を示すことは既に知られているが,サルのfMRIの知見はまだ得られていないためまず単一視覚刺激を与えた場合にadaptation効果が起こるか否かを確認した。また,物体の大きさを変化させた場合に得られたヒトfMRIの知見(LOCではsize invarianceを示した)とサル単一細胞活動記録の知見(いくつかの細胞ではsize invarianceを示した)が異なっていたため,種が異なっていたためか,実験手法が異なっていたためかを調べるために同一の刺激をサル及びヒトを被験者として用い,その際の脳活動をfMRIで調べた。その上で単一細胞活動記録を用いてadaptation methodsの前提が正しいか否かを調べた。

 今回の発表で,我々の実験結果からサルを用いたfMRIでもadaptation効果が見られたこと,ヒトとサルとでは同定度のsize invarianceを示したこと,そしてadaptation methodsで用いられていた前提と結果が完全には一致しないことを報告する。

 

(6) 前頭連合野における行動選択のコントロール

筒井健一郎(東北大学 大学院生命科 学研究科脳情報処理分野)

 われわれは自由であるがゆえに,日ごろから様々な場面で行動の選択をせまられている。そのなかで,複数の行動の選択肢があり,それらの選択肢からどれを取れば最良の結果が得られるか(どの選択肢の価値が最も高いか)が曖昧な場面においては,選択に時間と心理的負担を要する。そのような場面はとりわけ「意思決定状況」と呼ばれている。本研究では,そのような意思決定状況における行動選択をコントロールしている神経機構を明らかにすることを目的とした。そのため,2種類の自由選択課題(毎試行,刺激Aと刺激Bのいずれかを選択させる課題)をそれぞれ別の2頭のサルに訓練した後,課題を遂行させながら前頭連合野のニューロンの活動を記録した。

 第一課題として,並立VI(変動間隔)スケジュールを基にデザインした変動確率課題を用いた。この課題は,刺激AとBのどちらを取ったほうがより報酬を得られやすいかを予想さながら反応させるもので,最も基本的な意思決定状況であるといえる。この課題をサルに行わせながら前頭連合野からニューロン活動を記録すると,多くのニューロンの活動が,サルが刺激Aを選ぼうとしているときと,刺激Bを選ぼうとしているときで異なる活動を示すことが見つかった。すなわち,これらのニューロンの活動を観察すると,サルが実際に刺激を選択する何秒も前から,その試行でサルがどちらの刺激を選ぶのかを予測することが出来た。これらのニューロンの活動は,これまでに運動関連領域にて記録されたことが報告されている「運動の準備」に関する活動とは,本質的に異なる。すなわち,運動の準備に関わる活動は,どの効果器を使って,どちらの方向に反応するかに依存していたが,今回記録されたニューロンは,効果器を右方向に動かすか,左方向に動かすかに関わらず,ある特定の刺激をとろうとしているときに選択的に活動しているのである。これらの事実は,前頭連合野のニューロンが,意思決定の初期の段階,すなわち,具体的な運動の準備よりも抽象度の高い,行動の目的設定に重要な役割を果たしていることを示唆している。

 第二課題としては,無報酬刺激Aを多数回選ぶと,それに応じて後に報酬刺激Bを選んだときの報酬量が増える「貯金課題」を考案した。このは,すぐ得られる少量の報酬を我慢して,無報酬の反応を繰り返して将来の報酬が増やさないといけないため,刺激の価値を評価する能力のほかに,衝動的な行動を抑えて将来のために努力する「自己統制」の能力が必要となる,より高度な意思決定状況であると考えられる。この課題をサルに行わせながら前頭連合野からニューロン活動を記録すると,反応に先立って予期的に発火するニューロンが多数記録された。これらのニューロンのほとんどは,サルが無報酬刺激を選ぶときと,報酬刺激を選ぶときで異なる反応をしていた。すなわち,背外側部を中心とする前頭連合野外側部のニューロンの多くは,サルが無報酬刺激を選ぶときだけ予期的な発火をしていたが,前頭眼窩部のニューロンの多くは,サルが報酬刺激を選ぶときだけ予期的な発火をしていた。また,報酬そのものに対する反応も,背外側部では一部のニューロンでのみ認められたが,前頭眼窩部においては多くのニューロンで認められた。これらの結果は,「貯金課題」を遂行する上で,それらの領域が異なる働きをしていることを示唆している。すなわち,前頭連合野背外側部は,衝動的な反応を抑制しながら将来のより大きな報酬のための行動の発現に深く関わっているのに対して,眼窩部は,近い将来に得られそうな報酬の期待や,実際に得られた報酬の評価などに関わっていると考えられる。

 これらの結果より,前頭連合野が,意思決定を実現する上で,非常に重要な役割を果たしていることが明らかになった。今後の課題としては,前頭連合野に対する神経阻害物質注入による可逆的機能阻害や,物理的な破壊によって,どのようにサルの行動が変容するかを調べる必要がある。また,前頭連合野と,頭頂連合野や大脳基底核などのほかの領域の役割が,どのように異なるかも調べていく必要があるだろう。

 

(7) 霊長類前頭前皮質機能コラムとドーパミン修飾

平田快洋(北海道大学大学院 医学研究科 高次脳機能学分野)

 霊長類前頭前皮質(PFC)は,ワーキングメモリなどの高次の認知機能を担っている。特にその背外側領域は,視床や他の皮質領域と入出力をもち,細胞体や軸策終末がコラム状の構造を形成している。また,皮質第IV層の電気刺激によりコラム活動が誘発されることがin vitroで示されてきた。さらに,PFCは,ドーパミンとその受容体が豊富な脳領域として知られ,D1受容体を介して認知機能が修飾されることが示されてきた。しかしながら,細胞構築学的コラム構造とコラム活動の関係,さらに,コラム活動に対するドーパミン修飾作用は全く明らかにされていない。そこで本研究では,解剖学的手法と膜電位感受性色素を用いた光学測定法を組み合わせ,これらの問題にアプローチした。

 まず,細胞構築学的コラム構造とコラム活動の関係を明らかにするために,実験開始前に麻酔下のサル前頭前皮質9野に逆行性蛍光トレーサーであるFast Blue(FB)を注入した。2週間の生存期間後,麻酔下のサル前頭前皮質主溝周辺領域から組織ブロックを採取し,厚さ400mmのスライスを作成した。実験開始直前に膜電位感受性色素(RH482あるいはRH155)によりスライスを染色し,皮質の主な入力層である第IV層を電気刺激することにより誘発された活動を,光学測定システム(SD1001)を用いて検出した。始めに,皮質第IV層を電気刺激すること,皮質に垂直に一定幅を持ったコラム活動が誘発された。その後,実験に用いた各々のスライスにおいてコラム構造を同定し,電極跡,皮質表面および白質との境界を目印としてコラム活動の画像と重ね合わせした。その結果,コラム活動内部にFBで逆行性に染色された遠心性ニューロン群がコラム状のクラスタを作って存在していることが分かった。これらの結果は,1)前頭連合野背外側部に実際に機能コラムが存在することと,2)コラム活動が他の皮質へ投射する遠心性ニューロン群を駆動することが出来ることを示唆している。

 続いて,ドーパミン受容体活性化がコラム活動に及ぼす影響を,受容体アゴニストを用い光学的に調べた。コラム活動が観察された脳スライスにドーパミンD1受容体アゴニスト(SKF38393, 20mM)を添加したところ,コラム幅に影響を与えることなく興奮性シナプス伝達のみを増強した。一方で,D2受容体活性化は,コラム活動になんら影響を与えなかった。これらの結果は,コラム内部でのシナプス伝達をD1受容体が隣接するコラムに影響を与えることなく増強することを示唆している。

 これらのことから,前頭前皮質の機能コラムは,ドーパミンD1受容体活性化により増強し,機能コラム内部で情報処理を行った後,強い出力を他の皮質領域へ送っているかもしれない。これらは,高次認知機能を担う前頭前皮質の基礎的,かつ,重要な神経メカニズムの一つであると考えられる。

 

(8) 低周波および高周波ネットワーク・オシレーションを介した新皮質−海馬間相互作用

礒村 宜和(理研BSI 脳回路機能理論研究チーム,ラトガーズ大 CMBN)

 ノンレム睡眠中や特定の麻酔条件下では,脳波記録中に大脳新皮質では持続的に1〜数Hz周期の序波/低周波オシレーションslow oscillationが,海馬では間欠的に80-250 Hzの高周波オシレーションfast oscillation(リップル)が観察される。近年,睡眠中に新皮質と海馬はこのような同期的オシレーション活動を介して神経情報の相互交換をおこなっている可能性が提唱され,さらに新皮質と海馬の相互作用を担う入出力インターフェースとして嗅内野や海馬台の神経細胞活動が注目されている。そこで我々は,ウレタン・ケタミン麻酔下の成熟ラットをもちいて,新皮質,嗅内野表深層,海馬台あるいは海馬各領域の単一神経細胞から細胞内記録法により膜電位変化を記録して形態を同定すると同時に,海馬領域から局所フィールド電位とマルチユニット活動を記録し,新皮質の低周波オシレーションと海馬の高周波オシレーションの領域間相互作用を解析した。その結果,1)嗅内野,海馬台錐体細胞の膜電位はアップ状態,ダウン状態の2相性変化を示し,それぞれ新皮質領域の低周波オシレーションと同期していた,2)海馬 CA3,CA1細胞はアップ・ダウン膜電位遷移をまったく示さなかった,3)歯状回細胞はアップ状態の嗅内野入力により直接駆動されるが,CA3,CA1細胞は嗅内野アップ・ダウン状態に関わらず発火活動を示した。4)CA1領域では高周波オシレーションもガンマ(30-80 Hz)・オシレーションも嗅内野アップ・ダウン状態に関わらず発生した,5)海馬の高周波オシレーションと新皮質の低周波オシレーションの発生は1秒程度の遅延をもって相関していた。このように,嗅内野と海馬台領域は新皮質領域に類似した低周波オシレーションの性質を示し,海馬は新皮質入力に依存せず自律的に高周波およびガンマ・オシレーションを発生する能力を有することを明らかにした。

 

(9) 扁桃体と社会的コミュニケーション

堀 悦郎(富山大学大学院医学系研究科 システム情動科学,科学技術振興機構 CREST)

 我々は日常的に,顔表情,目線,ジェスチャーなどの非言語的なコミュニケーションを行っている。特に顔は社会的な意味を強く持っており,顔からの情報は固体の識別のみならず,他者の精神状態を理解するのに利用されている。他者の精神状態を理解することは,円滑なコミュニケーションに必要不可欠であり,これが欠如した精神科疾患として自閉症,躁うつ病,統合失調症,注意欠損多動性障害などが挙げられる。近年,これらのコミュニケーション障害を呈する疾患が社会的に注目を集めており,教育学的問題にもなっている。一方,これまでの神経心理学的および神経生理学的研究から,扁桃体は自己の情動発現のみならず,他者の精神状態を理解する役割も担っている可能性が示唆されている。扁桃体は他の大脳感覚領域と共に,様々な事象の認知や情動の処理に関与すると考えられている。ほ乳類にいては,扁桃体が進化あるいは分化するに従って,それと共に情動的および社会的な行動も複雑に進化あるいは分化している。

 本研究会では,社会的コミュニケーションにおける扁桃体の役割に焦点を当て,演者らの研究結果を紹介したい。まず,社会的シグナルに対するサル扁桃体ニューロンの応答性についての神経生理学的な研究結果を紹介する。顔表情あるいは視線方向に関する遅延非見本合わせ課題を遂行中のサル扁桃体からニューロン活動を記録した。顔刺激としては,様々なヒトおよびサルの写真を用いた。単一ニューロン活動の記録にはガラス被覆タングステン電極を用い,各刺激に対するニューロン応答を比較した。その結果,サル扁桃体にはヒトおよびサルの顔刺激に対して識別的に応答するニューロンが存在した。これらのニューロンには,特定の人物の特定の顔表情や特定の視線方向に応答するものがあった。さらに,サルと日常的に接している実験者の顔刺激に対しては,他の人物の顔刺激に比べてより識別的に反応することが明らかとなった。この結果は,扁桃体が社会的シグナルの学習に関与することを示している。

 ついで,ヒトの共有注意機構に対する顔表情の影響についての心理学的研究結果を紹介する。共有注意とは,他者と同一の物に注意を向ける機構のことである。実験では,モニタ上に呈示されるターゲットの位置検出課題を行った。被験者は,ターゲットが呈示された位置に対応したキーを素早く押すことが要求された。ターゲットの呈示に先がけて,被験者に様々な顔表情および視線方向の顔写真を短時間呈示した。その結果,ターゲットの直前に呈示された顔刺激の視線方向とターゲットの出現位置が一致した場合には,被験者の反応時間が有意に短くなっていた。さらに,顔刺激が笑顔の場合には,他の顔表情に比べて被験者の反応時間が著しく短かった。この結果は,他者の顔表情が共有注意機構に影響を及ぼすことを示している。

 これらの結果から,扁桃体を中心とした社会的コミュニケーションに関する神経機構について考察したい。


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