生理学研究所年報 第28巻
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大脳皮質機能研究系

脳形態解析研究部門

【概要】

 脳形態解析部門では,神経細胞やグリア細胞の細胞膜上に存在する伝達物質受容体やチャネルなどの機能分子の局在や動態を観察することから,シナプス,神経回路,システム,個体行動の各レベルにおけるこれらの分子の機能,役割を分子生物学的,形態学的および生理学的方法を総合して解析する。特に,各レベルや各方法論のギャップを埋めることによって脳の機能の独創的な理解を目指している。

 具体的な研究テーマとしては,1)グルタミン酸受容体およびGABA受容体と各種チャネル分子の脳における電子顕微鏡的局在を定量的に解析し,脳機能との関係を明らかにする。2)これらの分子の発達過程や記憶,学習の基礎となる可塑的変化に伴う動きを可視化し,その制御メカニズムと機能的意義を探る。3)脳のNMDA受容体局在の左右差とその生理的意義を探る。4)前脳基底核,黒質−線条体ドーパミン系等の情動行動に関与する脳内部位のシナプス伝達機構および生理活性物質によるその修飾機構を電気生理学的手法を用いて解析し,それらの分子的基盤を明らかにする。5) 大脳基底核関連疾患の治療法の確立のため,神経幹細胞移植による細胞の分化,シナプス再構築や神経回路の再建に関する形態学的および電気生理学的解析を行なっている。

 

グルタミン酸受容体のシナプス内分布様式
とそれらのシナプス伝達へ与える影響

足澤悦子,深澤有吾,松井 広,重本隆一

 グルタミン酸性シナプス伝達は中枢神経系における主要な興奮性伝達機構である。これまでに電気生理学的手法や免疫電子顕微鏡法を用いてシナプス後膜に発現するグルタミン酸受容体の発現量や機能解析がなされてきた。しかし,シナプス後膜にグルタミン酸受容体がどのように分布し,それがシナプス伝達にどのように関わっているかは,技術的な限界のために不明な点が多い。そこで我々は,故藤本和教授(福井県立大学)により開発された凍結割断レプリカ免疫標識法(SDS-digested freeze-fracture replica labeling, SDS-FRL)を改良し,ラット外側膝状体のリレー細胞に形成される機能的に異なる2種類のシナプスにおけるAMPA,NMDA受容体の2次元的な分布様式を解析した。その結果,これら受容体は,シナプス内で数個のclusterを形成し,シナプス内に不均一に分布していることが明らかになった。さらにSDS-FRL法より得られた実際のAMPA,NMDA受容体分布情報と各受容体のkinetic modelを用いたシミュレーションを組み合わせ,受容体局在とシナプス応答の関係を検討した結果,この不均一分布が個々のシナプス伝達の大きさの不均一性に与える影響は小さく,発現する受容体数に依存して個々のシナプス特性が規定されることか明らかになった。これらの結果により,シナプスは発現するすべてのグルタミン酸受容体がシナプス応答に寄与できるほど十分小さく,これによりシナプス応答が安定化されるように作られていることが示唆された。

 

小脳運動学習の記憶痕跡

王文,馬杉−時田美和子,Andrea Lörincz,深澤有吾,重本隆一

 ある種の運動の学習が行われる過程で小脳における,平行線維―プルキンエ細胞シナプスの長期抑圧現象が関与することが知られている。しかし,実際に学習した動物において,このシナプスに存在するAMPA受容体数やシナプスの構造にどのような変化が起こるのかは知られていなかった。我々は,マウスの水平性視機性眼球運動をモデルとして一時間の学習で引き起こされる短期適応が,小脳片葉の平行線維―プルキンエ細胞シナプスにおけるAMPA受容体密度の減少を伴っていることを,凍結割断レプリカ標識法によって明らかにした。また,5日間連続の一日一時間の学習によって引き起こされる長期適応は,AMPA受容体ではなく平行線維―プルキンエ細胞シナプス自体の減少を伴っていることを明らかにした。これらの結果は,脳内に短期的に刻まれる記憶の痕跡が,長期的に安定化されるに従って,構造的な変化へと変換されることを示している。さらにこの変換に関わる分子メカニズムを解明することを目指している。

 

海馬における長期増強現象とグルタミン酸受容体の局在変化

深澤有吾,重本隆一

 脊椎動物の中枢神経系には,樹状突起スパインと呼ばれる突起状の構造にシナプスを形成する神経細胞が多く見られ,このスパインはアクチン細胞骨格に富む点で特徴的である。既にこのスパイン上に形成されるシナプスと,学習・記憶(神経可塑性),或いは神経疾患との機能的関連性を示す知見が多く得られているが,その分子機構は明らかにされていない。そこで,このスパイン内アクチン細胞骨格と,実際にシナプス伝達や神経細胞の興奮性の調節機能を担う細胞膜上機能分子の局在を明らかにし,さらにこれらがシナプス機能の変化に伴ってどの様に変化するのかを明らかにすることで,シナプス可塑性のメカニズムを解明しようと研究を行っている。

 この樹状突起スパインは長さ1ミクロンほどの構造物であり,その内部構造や細胞膜表面の分子分布を明らかにするには電子顕微鏡レベルの定量的な分子局在解析技術が必要である。そこで故藤本和教授(福井県立大学)により開発された凍結割断レプリカ免疫標識法(SDS-digested freeze-fracture replica labeling)を応用し,シナプス可塑性誘導前後の神経伝達物質受容体,イオンチャネル,開口放出関連タンパク質等の分子局在を解析している。

 これらの解析を通して,生物が進化の過程で獲得した高次脳機能が,どの様に達成されているのかを理解し,学習・記憶障害などの病理や治療法の開発へと繋がることを期待している。

 

樹上突起スパイン内アクチン細胞骨格系の可視化

深澤有吾

 脊椎動物の中枢神経系には,樹状突起スパインと呼ばれる突起状の構造にシナプスを形成する神経細胞が多く見られ,アクチン細胞骨格に富む点で特徴的である。既にこのスパイン内アクチン細胞骨格の動態と,学習・記憶(神経可塑性)との機能的関連性を示す知見が多く得られているが,その分布や調節機構は明らかにされていない。この樹状突起スパインは長さ1ミクロンほどの構造物であり,その内部構造や細胞膜表面の分子分布を明らかにするには電子顕微鏡レベルの定量的な分子局在解析技術が必要である。そこで,電子顕微鏡レベルの新規技術を駆使して,スパイン内アクチン細胞骨格を多角的に可視化し,その局在を詳細に捕らえることを目指している。具体的には,1)従来通りの固定標本を試料として,電子顕微鏡断層撮影法を行い,その内部構造を可視化する。(国立精神・神経センター神経研究所 諸根信弘博士との共同研究),2) 凍結割断レプリカエッチング法を用いてスパイン細胞膜直下の裏打ち構造を可視化する。3)培養神経細胞の無固定・無染色標本のスパインを位相差電子顕微鏡法で観察し,その内部構造を明らかにする(生理研・ナノ形態 永山國昭教授との共同研究)。

 これらの解析を通して,樹状突起スパイン内の微細構造を明らかにし,神経伝達関連分子の局在情報と合わせて考察する事で,シナプス機能の調節メカニズムを明らかにしたい

 

海馬NMDA受容体局在の左右差

篠原良章,川上良介,重本隆一

 脳の機能的な左右差はヒトでよく知られているが,その分子基盤はほとんど知られていない。我々は九州大学の伊藤功助教授らとの共同研究により,マウスの海馬NMDA受容体サプユニットNR2Bが左右の海馬の対応するシナプスで非対称に配置されていることを発見した。この左右差はNR2Aノックアウト動物で増強されており,電子顕微鏡的な解析で錐体細胞シナプス特異的なNR2B標識密度の左右差を検出した。この左右差は介在神経細胞上のシナプスには存在せず,同種の神経軸索が作るシナプスにおいても,シナプス後部の神経細胞の種類の違いによって非対称性の有無が決まることが明らかとなった。このNMDA受容体量の左右差に対応して,CA1放射状層でのSchaffer collateralシナプスにおける長期増強現象は,右よりも左で早く発達することが明らかになった。さらにこの非対称性の生理的意義を解明することを目指している。

 

タグ導入によるGABAA受容体の電子顕微鏡的定量法

Mate Sümegi,深澤有吾,重本隆一

 脳内における機能分子の局在を電子顕微鏡レベルで可視化し正確に定量する方法論の開発のために,電子顕微鏡用タグの開発を行っている。さまざまなタグを付加したGABAA受容体γ2サブユニットを培養神経細胞や脳に発現させ,タグ付受容体の機能と局在を電気生理学的方法と形態学的方法で調べる。γ 2サブユニットを欠損する遺伝子改変マウスから作成した培養神経細胞においては,GABAA受容体がシナプスに集積せず,樹状突起上に散在していた。これにレンチウィルスを用いて γ 2サブユニットを導入したところ,正常なGABAA受容体クラスターの形成が認められた。このシステムを使ってタグ付受容体の機能を調べている。また小脳プルキンエ細胞に発現するGABAA受容体チャネルには一個のγ2サブユニットが含まれていることから,γ 2の数を計測することによってチャネル数を定量することを試みる。小脳での発現にもレンチウィルスによるタグ付γ2サブユニットの遺伝子導入を使用している。

 

GABAB受容体とカリウムチャネルの棘突起特異的共存

Akos Kulik(University of Freiburg),深澤有吾,重本隆一

 脳内における主要な抑制性伝達物質であるGABAには,イオンチャネル型のGABAB受容体とG蛋白共役型のGABAB受容体が存在する。我々は,免疫電子顕微鏡法を用いて小脳,視床,海馬におけるGABAB受容体の異なる局在を報告してきた。GABAB受容体は海馬錐体細胞の樹状突起においてカリウムチャネルと共役し,ゆっくりとした過分極をおこすことがしられていたが,今回我々は,GABABR1とGIRK2サブユニットが,海馬錐体細胞の棘突起シナプス周辺で特異的な共局在を示すことを明らかにした。このような共局在は樹状突起のシャフトにおいては認められず,2つの蛋白質は別々のクラスターに分かれて分布していた。さらにGABAB受容体の機能調節機構や脳における役割の解明を目指す。

 

前脳基底核と黒質−
線条体ドーパミン系の電気生理学的および形態学的解析

籾山俊彦

 前脳基底核は中枢アセチルコリン性ニューロンの起始核であり,記憶,学習,注意等の生理的機能と密接に関係するとともに,その病的状態としてアルツハイマー病との関連が示唆されている。現在アセチルコリン性ニューロンへの興奮性および抑制性シナプス伝達機構および修飾機構の生後発達変化につき,ニューロン同定の新たな手法を導入しつつ,電気生理学的解析,形態学的解析を行なっている。

 黒質−線条体ドーパミン系は随意運動調節に関与し,この系の障害とパーキンソン病等の大脳基底核関連疾患とが関係していることが示唆されている。脳虚血後のシナプス結合や神経回路の再建に関する基礎的知見はこれまで非常に少なかった。現在,線条体に虚血処置を加えたラットの新生細胞の分化,シナプス再構築について形態学的および電気生理学的解析を行なっている。

 

シナプス-グリア複合環境の動的変化による情報伝達制御

松井 広

 シナプス前終末部から放出された伝達物質は細胞外空間を拡散し,その広がり方に従って,神経細胞間の情報伝達の特性は決定される(Matsui and von Gersdorff, 2006)。伝達物質の拡散を制御し,学習や記憶に重要とされるシナプス辺縁の受容体の活性化を制御できる格好の位置に,グリア細胞が存在する。我々は,シナプス−グリア複合環境の動的変化が,伝達物質濃度の時空間特性にどう影響するのか調べている。これまで,シナプス前細胞からグリア細胞のほうに向けて異所性のシナプス小胞放出があり,これがニューロン−グリア間の素早い情報伝達を担っていることを示してきた(Matsui and Jahr, 2006)。この情報伝達によってグリア細胞の形態や機能が制御されている可能性を,二光子励起イメージングによって解析している(Matsui, 2006)。グリア細胞によるシナプスの包囲率の相違が,シナプス伝達にどんな影響を与えるのかを,電気生理学・電子顕微鏡法も組み合わせて解明する。

 

大脳神経回路論研究部門

【概要】

 大脳皮質は多くの領域から構成され,それぞれが機能分担をすることで知覚,運動,思考といった我々の知的活動を支えている。大脳皮質がどのようにしてこのような複雑な情報処理をしているかは未だに大きな謎になっている。この仕組みを知るためには,皮質内神経回路の構造と機能を明らかにする必要がある。皮質神経回路は種々のタイプの神経細胞から構成されていることは知られているが,個々の神経細胞の情報処理方式・空間配置や,また,それらの神経結合の法則性に関してはほとんど理解されていない。本部門では,大脳皮質の内部回路の構造的・機能的解析を行ない,皮質局所回路の構築原理を解明することを目標としている。その解析のために,皮質を構成するニューロンタイプを,化学物質発現・生理的性質・軸索投射・樹状突起形態など多方面から同定した上で,これらの神経細胞間のシナプス結合を電気生理学・形態学の技術を組み合わせて調べている。現在は主に,各ニューロンタイプの樹状突起上におけるシナプス配置,錐体細胞サブタイプ間のシナプス結合特性,非錐体細胞サブタイプから錐体細胞への神経結合選択性を定量的に解析している。最終的には,これらの解析結果をベースに,ニューロンタイプの機能分担や層構造の役割,さらに皮質から他の皮質領域・基底核・脳幹などへの多様な投射の機能的意味を探求していこうと考えている。

 

皮質棘突起への抑制性と興奮性入力の二重支配

窪田芳之,畑田小百合,川口泰雄

 非錐体細胞9個のターゲットを電子顕微鏡3次元再構築法で検討した結果,全ての細胞で,実に25-50%が棘突起である事を突き止めた。さらに,そのほとんどの棘突起は,もう一つのシナプス入力(非対称性)を受けていた(DI棘突起)。次に,このDI棘突起を神経支配している興奮性入力が,錐体細胞由来なのか,視床からの入力なのかを明らかにした。皮質では,VGLUT1,VGLUT2陽性終末のオリジンがそれぞれ錐体細胞と視床投射細胞である事を利用して,DI棘突起に,どのVGLUT陽性神経終末が入力するかを検討した。全ての層から700余の棘突起を電子顕微鏡で観察した結果,VGLUT2陽性神経終末が入力する棘突起の約10%で抑制性入力を受ける事がわかった。また,VGLUT2陽性神経終末が入力する棘突起はperforated synapseが多く,大きめの棘突起である事もわかった。

 

皮質回路における発火パタンに依存した結合回路

大塚岳,川口泰雄

 大脳皮質錐体細胞の発火特性は多様であることが知られている。我々は,前頭皮質5層錐体細胞においてスライスパッチ記録を行い,発火パタンを通電時にスパイク規則的に発生する細胞と通電の初期にしかスパイクが発生しない細胞,また通電開始時にバースト発火する細胞の3種類に分類した。今回,2/3層錐体細胞から5層錐体細胞へのシナプス入力を発火パタンで分類したニューロンサブタイプごとに検討した。その結果,通電に対してスパイクが規則的に発生する細胞とバースト発火する細胞はそれらの細胞体の5層内の位置に関係なく2/3層から入力を受けるのに対して,通電の初期にしかスパイクが発生しない細胞は細胞体が5層の上部にあるものは2/3層の上部にある細胞から,5層下部に位置する細胞は2/3層の下部にある細胞から入力を受ける傾向にあることがわかった。2/3層からの入力は発火パタンサブタイプによって異なると考えられる。

 

前頭皮質5層錐体細胞の皮質下構造に依存した機能分化

森島美絵子,川口泰雄

 これまでに,二種類の5層錐体細胞,橋核投射細胞(CPn細胞)と対側線条体投射細胞(CCS細胞)の形態やシナプス結合選択性を明らかにした。今年度はサブタイプ間のシナプスコンタクト部位の樹状突起分布を調べた。コンタクト部位はCCS/CCS結合では主に基底樹状突起であるのに対して,CCS/CPn結合では尖端樹状突起にもみられた。結合可能性を見積もるために,軸索と樹状突起間が近接距離にある樹状突起部位(近接点)を求めた。シナプス結合がみられないペアーでも近接点があり,結合があった場合は約2割がコンタクトしていた。尖端樹状突起への近接点は,両方の結合で見られたのに対して,コンタクト頻度はCCS/CPn結合で大きかった。結合しているCCS細胞では樹状突起形態に相同性がみられた。皮質下構造へ投射する5層細胞は複雑に機能分化しているが,それらの間には固有の結合選択性があることがわかった。

 

アセチルコリン作用のGABA細胞サブタイプ依存性

Allan G. Gulledge,川口泰雄

 アセチルコリンの大脳皮質GABA細胞への作用は,研究グループによって大きく異なる考え方が出されてきた。今回,GABA細胞サブタイプへのアセチルコリンの一過性応答を再検討した。m2型ムスカリン受容体を介した過分極がCCK陽性大型バスケット細胞でみられた。ニコチン受容体を介した脱分極は,VIP細胞やニューログリア様細胞でみられた。FS細胞,ソマトスタチン細胞では,他のグループによる報告とは異なり一過性応答は殆ど観察できなかった。私たちの以前の持続的投与結果と合わせると,アセチルコリンは皮質下構造に投射する5層錐体細胞を一過性に抑制する一方,GABA細胞ではニコチン受容体による脱分極・ムスカリン受容体による過分極・ムスカリン受容体による緩徐な持続的脱分極がサブタイプごとに異なる組み合わせで発現し,これらを介して抑制性回路活動を調節していることが明らかになった。

 

大脳皮質非錐体細胞への
抑制性シナプス入力と興奮性シナプス入力の割合

関川明生,窪田芳之,川口泰雄

 大脳皮質の非錐体細胞であるparvalbumin (PV)細胞,calretinin (CR) 細胞,somatostatin (SOM) 細胞,substance P receptor(SPR)細胞に入力する興奮性と抑制性の神経終末の割合を求めた。ラット前脳の切片を,それぞれの抗体を用いて染色し,超薄切片を作製し,包埋後免疫組織化学法でGABA染色を施した。電子顕微鏡観察の結果,PV細胞に入力しているGABA神経終末は全体の1割程度で,残りは,非対称性の興奮性と思われる神経終末であった。しかし,GABA入力の大半は細胞体を神経支配していた。一方,CR細胞とSOM細胞に入力しているGABA神経終末は,全体の3割程度であった。それぞれ細胞体への入力の2/3はGABA神経終末であった。SPR細胞に入力しているGABA神経終末は,全体の2割程度であり,樹状突起の太さに関わらず,GABA神経終末支配が認められた。

 

 

心理生理学研究部門

【概要】

 認知,記憶,思考,行動,情動,感性などに関連する脳活動を中心に,ヒトを対象とした実験的研究を推進している。脳神経活動に伴う局所的な循環やエネルギー代謝の変化をとらえる脳機能イメーシング(機能的MRI)と,時間分解能にすぐれた電気生理学的手法を統合的にもちいることにより,高次脳機能を動的かつ大局的に理解することを目指す。特に,機能局在と機能連関のダイナミックな変化を画像化することにより,感覚脱失に伴う神経活動の変化や発達および学習による新たな機能の獲得など,高次脳機能の可塑性(=ヒト脳のやわらかさ)のメカニズムに迫ろうとしている。最近は,言語・非言語性のコミュニケーションを含む人間の社会行動の神経基盤とその発達過程に重点をおいて研究を進めている。

 

人物の多様式表象とadaptation

杉浦 元亮,間野 陽子,佐々木 章宏,定藤 規弘

 人物認知は,顔や名前などの単様式の感覚処理を経て,多様式表象に至る階層的な処理と考えられている。感覚刺戟の反復提示による脳賦活の低下(adaptation)は,その領域と反復処理される情報表象との密接な関連を示すと考えられているが,この関係が多様式表象においても成立するかは不明である。今回我々は顏認知課題を用いて,多様式表象に関わる皮質領域で,BOLD信号のadaptationが観測されるかを調べた。24名の健常被験者に個人的知己,有名人,未知の人物の顔写真を2回づつ提示し,顔の既知未知判断中の脳活動をfMRIを用いて測定した。個人的知己の認知と有名人の認知との間で統計的に有意な活動の差が見られる領域(すなわち人物の多様式表象に関わると考えられる)で,統計的有意なadaptationが観測された。adaptationは単感覚表象だけでなく多様式表象の処理に関わるネットワークにおいても起きることが示唆された。

 

対連合学習を成立させるための神経基盤の解析

田邊 宏樹,定藤 規弘

 連合学習を成立させる神経基盤について検討するため,難易度の異なる2つの遅延型対連合学習(PA) 課題と対照条件として遅延見本合わせ(DMS) 課題を遂行中の脳活動を機能的MRIにより計測した。イメージング解析の結果,上側頭溝前方部の活動は,易しいPA課題では全被験者において学習の初期に活動が高く学習が進むにつれて減衰するのに対し,DMS課題では最初から活動がないことが明らかとなった。また,難しいPA課題では被験者毎の最終セッションの成績と上側頭溝の第一セッションから最終セッションの脳活動の減少の割合に相関があった。これらのことから上側頭溝前方部の活動が対連合の形成に重要な役割を果たすことが示唆された。また,作業記憶のcomponentを示す遅延期間でのPA-DMSコントラストにおいて両側の背外側前頭前野(DLPFC)と頭頂間溝(IPS),左腹外側前頭前野(VLPFC)の活動がみられ,この活動は学習中に変化しないことを見いだした。さらに,これらの領域内で難しいPA課題の被験者の成績と相関するのはVLPFCのみであることが分かった。このことから,対連合学習におけるDLPFCとVLPFCの役割の違いが明らかとなった。

 

自己顔評価に関わる神経基盤

守田知代(科学技術振興機構),板倉昭二(京都大学),定藤規弘

 自己像のフィードバックが与えられると,自己認知プロセスに加えて自己評価的な認知活動が開始される。理想的な基準との間にズレが検出されると,負の自己意識感情(例:恥ずかしさ)が生起することが知られている。本研究では,自己認知と自己評価に関わる神経基盤の違いを明らかにすることを目的とした。予め撮影されたビデオ画像から切り出された顔写真を用い,自己顔および他者顔を評価しているときの脳活動をfMRIを用いて計測した。他者顔に比べて自己顔を評価している際に,右側前頭前野,島,帯状回および後頭葉の活動が増加していた。右側前頭前野の活動のピークは,運動前野付近(BA6/44)および,より前方の下前頭回付近(BA45/46)の2箇所に存在し,これら2領域の活動は異なる様相を示していた。前方の下前頭回の活動が,自己意識感情の強度に伴って変化していたことから,この領域が自己評価に関与しているものと考えられる。

 

「自分に対する良い評判を獲得しようとする動機」の神経基盤に関する研究

出馬圭世,齋藤大輔,定藤規弘

 日常生活の様々な場面において,「他者に自分に対して良い印象を持ってもらいたい」という動機や期待は,我々の意思決定や行動に影響を及ぼす。また,「ヒトの利他性の進化」に関する理論的研究からも評判(reputation)の重要性が指摘されている。そこで本研究では,自分に対する良い評判を獲得しようとする動機の神経基盤を,機能的MRIを用いて検討した。実験では,他者の前で社会規範に関する自分の行動傾向を呈示するという課題を被験者に行わせることにより,その動機が高まった状態を作り出した。解析の結果,その動機が高まった際に,内側前頭前野と尾状核において有意な活動の増加が見られた。尾状核は報酬系(reward system)の一部であることが知られており,内側前頭前野は自分の評判の表象において役割を果たすことが知られていることから,この二つの部位はsocial reward systemとして,我々の日常の社会的意思決定・行動において重要な役割を果てしていると考えられる。

 

同側第一次運動野における非対称な運動頻度依存的活動抑制

林正道,齋藤大輔(科学技術振興機構),荒牧勇(情報通信研究機構),
浅井竜哉(福井大学),藤林靖久(福井大学),定藤規弘

 手指の運動には対側の第一次運動野(M1)からの皮質脊髄路と共に,錐体交差しない同側M1からの投射と,脳梁を介した対側M1から同側M1へのM1の神経連絡が深く関わっている。近年の電気生理学的知見では,これらに左右非対称性があることが示されている。運動頻度の増加は対側M1の神経活動を増加させるが,同側M1の運動頻度との関連は明らかにされていない。本研究では,片手手指の対立運動を複数の異なる運動頻度で遂行中の脳活動を,fMRIを用いて計測,評価した。運動する手と対側のM1の活動は左右半球で差は見られなかったが,同側M1では有意な左右非対称性があり,右半球では運動頻度依存的な活動の抑制,左半球では活動が抑制されるものの運動頻度依存的に緩和されるという結果を得た。これらの結果は,運動頻度の上昇に伴ったM1間の抑制,及びM1の同側支配が共に左半球優位であることを示唆している。

 

物語理解における感情変化の検出の神経基盤

米田英嗣,齋藤大輔,楠見 孝(京都大学),定藤 規弘

 我々は物語を読む際に,主人公の感情変化を検出しながら理解している。物語主人公の感情変化を検出するには,変化前の主人公の感情状態を理解し,変化後の感情状態を認識しなくてはならない。本研究では,主人公の感情変化を検出する際に賦活する脳部位を明らかにするために,fMRIを用いて検討した。被験者は状況設定文と感情価を持った結末文から構成される文章を読み,状況設定文と結末文の間で生じる主人公の感情変化の程度を三段階で判断した。ネガティブな状況からポジティブな結末になる物語とポジティブな状況からポジティブな結末になる物語を比較した結果,左外側前頭眼窩皮質,左側頭極,背内側前頭皮質,右の小脳に活動が見られた。この結果は,これらの領域がネガティブからポジティブにいたる感情価の変化の方向を表象していることを示している。本研究から,左外側前頭眼窩皮質を含んだ前頭前野—側頭部ネットワークが感情変化の検出に重要な役割を果たしていることが示唆された。

 

他者の感情を認知する際の視点取得に関わる神経基盤の解明

間野陽子,原田宗子,齋藤大輔,杉浦元亮,定藤 規弘

 視点取得は他者の知覚を取得し理解する能力であり他者の感情を認知する際に必要となる。我々は他者の感情に共感する際の視点取得の神経基盤をfMRIを用いて検討した。被験者は二文から成る状況文を読み,主人公の感情を忖度する課題を行った。一文目の主人公が二文目の出来事と同じ場所に存在する場所一致条件と,別の場所に存在する場所不一致条件を用いて視点取得のワークロードを実験的に操作した。被験者に提示される二文目は条件間で同じ内容に設定し文脈効果により変化する脳活動を計測した。その結果,場所不一致条件において主人公の感情を忖度する際の神経基盤が場所一致条件時と比較して後部帯状皮質と右側側頭頭頂連結部での賦活が確認された。後部帯状皮質は視点取得と感情語の評価に関連することが知られており,側頭頭頂連結部は他者の心的表象の理解と同様に空間的な視点取得に関与することが知られている。我々は後部帯状皮質と右側側頭頭頂連結部の両領域が他者の感情を認知する際の視点取得のワークロードに関与することを示唆する。

 

NIRSとfMRIの同時計測を用いたBOLD応答の非線形性の由来に関する検討

豊田 浩士(科学技術振興機構),定藤 規弘

 blood oxygenation level-dependet (BOLD)応答の,異なる持続時間の刺激に対する非線形性については,機能的MRI(fMRI)を用いた多くの研究が知られている。先行研究により,この非線形性の由来は,神経順応や酸素摂取率(OEF)応答の非線形性によるとされているが,後者に関する定量的な検討はなされていない。我々はfMRIと近赤外分光法(NIRS)の同時計測により,OEF応答が,BOLD応答の非線形性にどの程度寄与するのかを定量的に調べた。4通り持続時間の視覚刺激に対するBOLD信号とNIRS由来のヘモグロビン濃度の変化を計測した。これら応答の非線形性を,インパルス応答関数と飽和非線形指数を用いて定量的に評価した。BOLD応答は,NIRS計測から導出したOEF応答と同等の飽和非線形性を示した。NIRS計測から導出した脳血液量の応答は,BOLD応答に比してより小さな飽和非線形性を示した。BOLD応答のこの種の非線形性は,主としてOEF応答のそれによる,と結論付けた。

 


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