生理学研究所年報 第28巻 | |
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7.視知覚への多角的アプローチ−生理,心理物理,計算論32006年6月8日−6月9日
【参加者名】 【概要】
(1) 情動刺激に対するサル扁桃核ニューロンの応答中村 克樹(国立精神神経センター神経研究所) 情動認知の神経メカニズムを調べる目的で,情動刺激に対するサル扁桃核ニューロンの応答性を調べた。これまでの多くの研究では,用いる刺激に大きな問題があった。まず,多くの研究が静止画像を用いている点である。一般的にサルの情動表出は姿勢や表情の変化に音声が伴っているもので,ダイナミックな変化が重要な情報である。こうした情動表出をできるだけ自然に提示するため,今回の実験にはビデオ刺激を用いた。次に,サルにヒトの写真を用いた研究が多い点である。今回は,アカゲザルに同種他個体の種特異的情動表出を提示した。3頭のアカゲザルから3種類 (scream, coo, aggressive threat) の刺激を用意し,情動表出のタイプの要因だけでなく個体の要因がニューロン応答に及ぼす影響も検討できるようにした。さらに,ヒトやサルでは情動のやり取りを視覚的にも聴覚的にも行えるという特徴がある。扁桃核ニューロンの聴覚応答性についても検討した。
(2) 多義的知覚と両眼視野闘争の脳内離散的確率過程村田 勉(情報通信研究機構未来ICT研究センターバイオICTグループ) 多義的知覚と両眼視野闘争は,同じ図を見ていても意識にのぼる「見え」が自発的に変化するという点で共通性がある。私たちは,これらの現象における「見え」の自発的切替りの時間インターバル分布を定量的に解析した。その結果,この時間分布は刺激の種類によらずガンマ分布という統計分布によくしたがい,その形状を決めるパラメータが自然数になることを発見した。このことは,上記パラメータの自然数に対応する個数の脳の離散的状態があり,その間を確率的に遷移する過程(ポアソン過程)が,「見え」の切替りの仕組みとして重要な役割を果たすことを示している。つまり視覚意識の自発的変化は,脳の離散的確率機構によって引き起こされることがわかった。また,「見え」の切替りに相関する脳活動のfMRI研究において,異なる刺激で共通して活動する部位と「見え」のコンテンツの個別性に依存する部位が見られたことを報告する。
(3) 複眼視細胞の分光感度はどう決まるか蟻川 謙太郎(総合研究大学院大学葉山高等研究センター) 視物質の他にも,視細胞の分光感度を決めている要因は多い。トリなどの錐体にある油滴はよく知られているが,実は定量的な研究はほとんどない。この講演では,昆虫複眼の視細胞に含まれるさまざまな色素と視細胞分光感度との関係を,詳細な生理学的データに基づいて紹介する。 モンシロチョウの個眼には9個の視細胞が含まれる。視細胞は個眼中央部で集合し,直径約2ミクロンの感桿を形成する。感桿周囲には橙や紅色の色素があって,この色と分布で個眼は3つのタイプに分けられる。9個中6個の視細胞には同じ視物質が発現しているが,分光感度は多様である。どの個眼にも560 nmに感度極大をもつ細胞が2つあるが,他の4つは,橙の個眼では620 nm,紅の個眼では640 nmに極大がシフトしている。この原因はもちろん色素である。この他,短波長を吸収する蛍光色素もあって,これがモンシロチョウでは分光感度の性差を作り出していることも分かってきた。
(4) 視覚運動刺激による空間位置表象の歪み渡邊克巳(東京大学先端科学技術研究センター) 瞬間提示された刺激の位置は,運動する視覚刺激と比較した場合,実際の相対位置からずれて知覚される。この現象に対しては,視覚的注意や刺激特性の違いによる処理時間差,運動の補間,刺激位置の時間平均処理など様々な説明がなされている。我々は瞬間提示刺激と運動刺激の二次元的な位置関係を操作することで,(a) 運動刺激周辺の非対称な視覚空間位置表象の歪みが強く影響していることを示した。また,(b) 視覚運動刺激によって歪むのは,空間そのものではなく表象された視覚物体の位置であること,(c) 位置表象の歪みは網膜座標系の運動情報によっていることなどを示す結果も得た。これらの結果は,視覚運動刺激が物体の視覚的位置をダイナミックに変化させるとともに「オブジェクトベースの視覚表象が網膜座標系の運動情報に影響を受けている」ことを示す点で興味深い。
(5) 奥行き弁別の学習過程での大脳皮質MT野の活動宇賀 貴紀(順天堂大学医学部) 長期の学習によって,感覚情報により鋭敏に反応できるようになる「知覚学習」の脳内メカニズムの定説は,「学習により感覚ニューロンの感度がより鋭敏になる」というものである。しかし,サル初期視覚野ニューロンの感度は学習によってほとんど変化しない。本実験では,サルが奥行き弁別を学習する過程を行動レベルで追いながら大脳皮質MT野ニューロンの活動を記録し,ニューロンの奥行きに対する感度と,ニューロン活動とサルの答えとの相関 (choice probability) の変化を測定した。サルの弁別閾値は学習とともに徐々に下がったが,ニューロンの弁別閾値は全く変化しなかった。それに対し,choice probabilityは学習とともに徐々に上昇した。これらの結果は,学習により感覚ニューロンの感度が鋭敏になるのではなく,サルが学習の過程で感覚ニューロンから上手く情報を読み出せるようになるという仮説を支持する。
(6) 両眼間速度差に基づく奥行き運動知覚塩入 諭(東北大学電気通信研究所)
奥行運動知覚に関する手掛りのうち両眼性のものは,両眼視差の時間変化と両眼間速度差の2つがある。我々はいくつかの実験によって,両眼間速度差が実際に奥行き運動の知覚に関わることを示した。それらの知見に基づき,運動残効による速度差に基づく奥行き運動知覚を用いて,両眼間速度差による奥行き運動知覚の空間周波数選択性,色刺激への選択性を調べた。その結果,単眼の運動に比べて,空間周波数選択性は広いこと,色刺激に対しても応答し,色刺激と輝度刺激の間の両眼間速度差にも応答することなどを明らかにした。両眼間速度差の処理過程が,異なる空間周波数,輝度と色など単眼の運動情報を統合した後で,両眼速度を比較していることを示唆する結果であり,運動処理の階層構造を理解する上でも重要な知見といえる。
(7) 経頭蓋磁気刺激による視知覚干渉のメカニズムと逆行性信号伝播宮脇 陽一 (NICT/ATR Computational Neuroscience Laboratories) 神経細胞に刺激(外乱)を与え,その際の知覚変化を調べることは,知覚と神経活動の因果関係を知る上で有効な手段である。非侵襲的にこれを可能にする唯一のツールが経頭蓋磁気刺激 (TMS) であるが,その作用メカニズムはほとんど分かっていない。そこで本研究では,Hodgkin-Huxley型の神経細胞モデルを用いてV1ハイパーコラムを構築し,TMS型外乱が系に与える影響を理論的に検証した。結果,コラム内神経細胞群のスパイク活動はTMSによって一過的に上昇したのち強く抑制された。また発火の局在度(刺激選択性に相当)も同時に減少した。抑制効果が最大になるのは視覚刺激入力後約100 msでTMS印加した場合であり,実験結果とも定量的に一致した。後過分極を担うイオンチャネルを阻害した場合でも実験結果が再現されることから,神経細胞それ自身が直接的に抑制される効果よりも,シナプスを介した神経細胞間の相互抑制作用のほうが支配的であると考えられる。またTMSによる視知覚抑制の特徴的な時間特性を再現するには局所回路内あるいは他領野からの再帰性興奮入力の仮定が必要であり,TMSによる視知覚抑制が視覚入力の求心性信号伝播阻害だけで生じるものではないという仮説が理論面から示唆された。
(8) 追従眼球運動を起こす視覚刺激の性質河野 憲二(京都大学大学院医学研究科認知行動脳科学) 追従眼球運動 (Ocular Following Responses) は突然動く視覚刺激によって誘発される,潜時が短い眼球運動で,視界のぶれを防ぎ,視覚機能をよい状態に保つ機能を持つと考えられる。サルを用いたニューロン活動記録と局所破壊実験から,その発現には大脳MST野,背外側橋核,小脳腹側傍片葉を含む経路が関与していると考えられている。この眼球運動を起こす視覚刺激の性質を,矩形波からその基本周波数成分を差し引いた波(Missing Fundamental, MF縞)の仮現運動刺激を用いて調べた。MF縞とは振幅が1/3, 1/5,…と減少していく奇数調波 (3f, 5f,…) から構成される波である。この波を基本周期の1/4波長ずつ移動させると,刺激の動く方向とは反対の,3f要素の動く方向に眼が動いた。この結果は視覚刺激から運動を検出する機構が時空間視覚フィルター的性質を持っていることを示している。
(9) ニホンザル盲視モデルの残存視覚:正常視野の閾値近辺での視覚との比較吉田 正俊(生理学研究所認知行動発達研究部門) マカクザルの第一次視覚野(V1) を片側的に除去して作成した盲視動物モデルにおいて,視覚検出能力および急速眼球運動へのV1除去の影響を,視覚誘導性急速眼球運動課題を用いて調べた。 損傷視野における検出輝度の閾値は正常視野の対応する位置と比べて上昇していた。正常視野の視覚標的の輝度コントラストを下げて,損傷視野の視覚標的への弁別能と同程度になるように条件を揃えたうえで,急速眼球運動への影響を調べた。急速眼球運動の終止点は損傷視野への急速眼球運動では正常視野へのものと比べてばらついていることを見出した。 これらのことは,V1を介した情報伝達は視覚検出だけでなく,正確な眼球運動の制御にも関わっていることを示している。また,以上のことは,V1を片側的に除去したマカクザルにおいても人の盲視患者と同様に,損傷視野での残存視覚が,正常視野での閾値近辺の視覚と比べて質的に異なっているとする仮説を支持している。
(10) 奥行運動知覚に貢献するコントラスト変化北川 智利(NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部) 遠くにある視対象のコントラストは低く,近くにある対象のコントラストは高い。これまでにコントラストが奥行知覚の手がかりの一つであることが示されてきた。それでは,コントラストが時間的に変化した時には,対象が奥行方向に動いて見えるのだろうか。予備的な観察ではコントラストの変化だけでは奥行運動知覚は生じなかった。しかし,サイズ変化と組み合わせた時には,コントラストの変化は奥行運動知覚に影響を与えた。同心円状の正弦波縞の位相をある時間間隔をおいて反転させた刺激は,拡大・縮小のどちらにも見ることができるが,同時にコントラストを変化させたときには,コントラストが上昇(下降)する場合には同心円が拡大(縮小)するように見えた。さらに,このような視覚刺激に順応した後には運動残効が生じた。これらの結果は,コントラストの変化がサイズ変化と組み合わさった時に,奥行運動知覚の手がかりとして有効であることを示唆する。
(11) 中高次視覚皮質の多細胞受容野同時計測へのアプローチ大澤 五住(大阪大学大学院生命機能研究科) 従来の高次視覚野の研究では,様々な物体のイメージや図形サンプルに基づく刺激セットや,アルゴリズム的に生成した曲率をもつ縞模様や図形等が細胞の形状選択性の計測に利用されてきた。これらの刺激は実験者から見て,細胞が何に反応しているのかを直感的に理解しやすい長所はあるが,経験的に選ばれた有限なセットであることから,真に最適な刺激は全く別の形であるかもしれないという不確定性を排除する事は困難だった。 新たに開発した局所スペクトラム逆相関法 (LSRC)は,ダイナミックランダムドット刺激に基づき,受容野内で方位選択性等が一様でないことによる形状選択性を探るために適した解析法である。シミュレーションとV1,V2野での実験により,この手法の有効性を検討した。特定の形状を陽に含まない本質的に無限の形を含むランダム刺激により,多くの細胞の同時解析を可能にする本手法の高次視覚野への適用の可能性を考察する。
(12) 照明認識視空間の概念とその応用篠田 博之(立命館大学情報理工学部知能情報学科) 照明に対する脳内表現を仮定し,それをFrame of Referenceとして明るさや色の知覚を推定する。これを「照明認識視空間」と呼ぶ。今回はその概念と表現方法,さらにその応用例として「高齢者色覚の二元性」の実験を紹介する。実験では若齢被験者が色フィルター越しに知覚白色点を求め(疑似高齢者条件),フィルターなし(若齢者条件)と比較した。これを異なる色モードに対して行った。高齢者では黄変した水晶体により網膜上の物理的な光色は変化する。しかし色恒常性と同等の神経系補償機構のために若齢者と同等の色の見えとなる。以上がこれまでの知見であるが,物体色モードではまさにその通りの結果となった。しかし光源色モードでは知覚白色点にずれが見られ,高齢者と若齢者の色覚が一致しないことが示された。実験結果とともに,この色覚の二元性が,どのようにして照明認識視空間から予測されるのか解説する。
(13) サル下部側頭葉における刺激依存的なスパイク相関の動的変化平林 敏行(東京大学大学院医学系研究科統合生理学教室) 複雑な図形の脳内表象において,繰り返し学習された図形に対して神経細胞の反応選択性が変化する機構は明らかになってきた。しかし,既知図形の組み合わせによって新たに形成された図形の表象については,まだ未解明な点が多い。本研究では,繰り返し学習させた顔の部分図形(目,鼻,口)各40種類ずつを組み合わせて計64,000種類の顔刺激を作成し,同じ部分図形をランダムに並べた非顔刺激とで,マカクザル下部側頭葉単一神経細胞間の相関発火を比較した。その結果,解析を行った30ペアの神経細胞対の相関発火は,顔刺激を呈示した場合の方が,非顔刺激を呈示した場合よりも有意に強かった(P < 0.003)。また,その差は,刺激呈示開始後300 ms以内に有意に現れた。本研究により,課題遂行中のサルの下部側頭葉神経細胞群が,部分図形の配置に応じてダイナミックな相関発火を示すことがわかった。本研究は認知処理実行中の大脳皮質局所神経回路内の機能的結合とそのダイナミクスの解明に,スパイク相関解析が有用な道具となりうることを示唆するものである。
(14) 色の気づきとヒト視覚皮質の視野地図,並列階層構造山本 洋紀(京都大学大学院人間環境学研究科) 色の気づきの神経相関を,ヒト視覚野を対象に,fMRIを用いて調べた。色の気づきがメタコントラスト現象で低下する時,脳活動も低下するか否かを視覚野毎に検討した。刺激はターゲットとその周囲に遅れて提示されるマスクからなり,実験では,両者が同色の条件と異色の条件を交互に16秒間づつ被験者に繰り返し提示した。このとき,ターゲットの気づきは同色条件で大きく低下した。この色の気づきに相関した脳活動は,V8で最も大きく,その次がV2とV3,その他の領野はV1と同程度だった。興味深いことに,腹側経路の階層の途中,V4Vで一度減少していた。低次野と高次野を直接結ぶバイパス経路が関与している可能性がある。また,V1,V2,V3野の活動低下は,ターゲットをレチノトピックに表象している領域に限局していた。低次視覚野の視野地図には,色がどこにあるのかではなく,どこに見えるのかという情報が保持されている。
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