生理学研究所年報 第28巻
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13.高次脳機能研究の新展開

2007年1月17日−1月18日
代表・世話人:高田昌彦(東京都神経科学総合研究所)
所内対応者:南部 篤(生体システム研究部門)


(1)
サルにおける物体認知・認知記憶に関与する2つの下側頭皮質領野(TE野・周嗅皮質)
および初期視覚野V4の遺伝子発現プロファイル
一戸紀孝(理研・BSI)
(2)
ドーパミン誘導性運動の調節に対する前頭前皮質−大脳基底核回路の機能
八十島安伸(福島医大・生体情報伝達研)
(3)
上丘から水平性および垂直性眼球運動ニューロンに至る経路
伊澤佳子(東京医歯大・医)
(4)
サル内側前頭前野は行動選択に動的に関与する
松坂義哉(東北大・医)
(5)
霊長類の大脳皮質における歩行制御機序
中陦克己(近畿大・医)
(6)
両腕運動と片腕運動:同じ腕の運動学習に関わる脳内過程の違い
野崎大地(東京大・教育)
(7)
大規模空間でのナビゲーションにかかわる脳内機構
佐藤暢哉(日本大・医)
(8)
ヒトの音声認識の動物モデル:合成母音の弁別学習におけるラット聴覚連合野の役割
工藤雅治(新潟大・脳研)
(9)
なぜ行為の観察をすると運動性言語野が反応するのか?
脇田真清(京都大・霊長研)
(10)
淡蒼球内節ニューロン活動の調節機構とその破綻がもたらす運動異常
橘 吉壽(生理研)

【参加者名】
高田昌彦(東京都神経科学総合研究所),泰羅雅登,佐藤暢哉(日本大学),中陦克己(近畿大学),野崎大地(東京大学大学),工藤 雅治(新潟大学),伊澤 佳子(東京医科歯科大学),脇田真清,宮地重弘,半田高史,井上雅仁,纐纈大輔(京都大学霊長類研究所),松坂義哉(東北大学大学院),八十島安伸(福島県立医科大学),神代(石橋)真里(国立精神・神経センター),一戸紀孝(理化学研究所),小高 泰,肥後範行,村田 弓(産業技術総合研究所),丹治 順(玉川大学 脳研究施設),荒牧 勇(未来ICT研究センター),喜多 均(米国テネシー大学),小川 正(京都大学),佐々木哲也,山森哲雄,定金 理,渡我部昭哉,廣川純也(基生研),橘 吉寿,伊佐 正,南部 篤,畑中 伸彦,知見 聡美,高良沙幸,岩室宏一,関 和彦,板野 拓,安田正治,平松千尋,松茂良岳広,吉田正俊,高浦加奈,小松英彦,加藤利佳子,鯉田孝和,小野勝彦,金田勝幸,坂谷智也,池田琢朗,西村幸男,坪井史治,斉藤紀美香,豊田浩士,林 正道(生理研)

【概要】
 われわれは行動する際,視覚・聴覚・体性感覚などの外部(感覚)情報や学習・記憶・情緒などの内部(自己)情報に基づいて,もっとも適切な運動あるいは動作様式を選択,決定,実行する。日常的に設定されたさまざまな行動目標を達成するため,脳はこれら多種多様の情報を状況に応じて有機的に統合し,運動情報として運動野に出力しなければならない。また,物を掴む,腕を伸ばすなど,われわれが日常的に行う個々の動作は,長年にわたる経験や習慣に基づき脳内で形成された運動プログラムに従って,ほとんど無意識のうちに実行されている。状況に応じて意識的かつ合目的的にある特定の行動を企画,遂行しようとする際,脳はそれまでに学習,獲得してきた無数の運動プログラムや認知・思考パターンの中から状況に最も適合したものを選び出し,それらを時系列的に順序よく組み合わせて,まとまりのある一連の行動として出力しなければならない。しかし,このような行動の組織化の神経機構については未だ明らかになっていない。

 すなわち,脳科学は本来,脳機能をシステムとして理解し,究極的には“個体の組織化された行動発現のメカニズム”の解明をめざす学問領域である。しかし,現在の脳科学は,研究の進展とともに,研究テーマがそれぞれの専門分野ごとに細分化されるようになった結果,個々の分野の研究者がカバーあるいはフォローできる学問領域も狭小化し,各専門分野を横断的かつ統合的に捉え,相互理解を深めることがきわめて困難な状況になってきた。個々の研究領域にのみ注目していると,個体としての脳機能の全体像を見失う恐れがあり,生命現象を統合的に理解しようとする脳科学の基本的立場に基づいた研究姿勢が必要不可欠である。したがって,“個体レベルでの高次脳機能をシステム的に理解する”ためには,要素としての個々の神経機構を詳細に解析するだけでなく,それらを統合的に機能させる神経システムの解明が重要であり,そのような視点から研究が展開されなければならない。

 「高次脳機能研究の新展開」と題した本研究会では,神経解剖学,神経生理学,分子生物学,情報工学など,多岐にわたる専門分野の若手あるいは中堅の研究者が,運動,感覚,認知,及び情動の各分野に関する最新の知見を紹介し,各分野における研究の趨勢,問題点,及び今後の展開に関する忌憚のない意見を活発に交換したい。

 

(1) サルにおける物体認知・認知記憶に関与する2つの下側頭皮質領野(TE野・周嗅皮質)
および初期視覚野V4の遺伝子発現プロファイル

一戸紀孝(理化学研究所・脳科学総合研究センター・脳皮質機能構造研究チーム)

 サルの下側頭皮質は物体認知に関わる腹側視覚経路の最終段階に位置すると考えられている。下側頭皮質には,二つの細胞構築学的に異なる領域が区別され,ひとつは外側にあるTE野で,もう一つは内側にある周嗅皮質(PRh)である。TE野とPRhは,互いに密な連絡を持つがそれぞれ異なった機能への関与が考えられている。すなわち,TE野がより外界の即時情報の解析,PRhがより再認記憶,意味記憶,連合記憶などの記憶への機能が想定されている。大脳皮質の各領野の機能の違いは,線維連絡の違い,その局所回路の違い等によると考えられるが,それぞれの領野における分子構成の違いよる寄与も大きいと考えられる。我々は,上記の二つの機能に関与すると考えられているサル下側頭皮質の2領域さらに階層的に低いと考えられる初期視覚野V4の遺伝子発現の違いをGeneChipを用いて網羅的に調べた。その結果,PRhにおいて強く発現している遺伝子の中には,可塑性に関与していると考えられる遺伝子が多く見られることがわかった。この中には,成長因子とその受容体,棘突起の運動に関連すると考えられるactinやtubulin関連遺伝子,その関連シグナル伝達系が含まれる。また,近年,同様にgenechipを用いた方法でマウス視覚野のcritical periodに関連すると考えられている遺伝子との共通性も強いことが分かり,これらの遺伝子はPRhにおいて想定されている高い連合能力に関与しているかもしれない。また,アルツハイマー病の神経細胞死に関与する遺伝子・Parkinson病に関与する遺伝子が多数がPRhにおいて高く発現しており,このことは,アルツハイマー病・Parkinson病の病変がPRh周囲から始まることを考えると興味深いと思われる。

 

(2) ドーパミン誘導性運動の調節に対する前頭前皮質−大脳基底核回路の機能

八十島 安伸(福島県立医科大学・医学部附属生体情報伝達研究所・生体機能研究部門)

 ドーパミン性神経伝達については,受容体サブタイプの種類やその分布,細胞内情報伝達の分子機構,ニューロンの細胞生理に対する薬理作用,作業記憶課題に対する作用などの多くの知見が報告されてきた。ドーパミン性ニューロンの変性脱落がパーキンソン病の病因であることからも臨床的研究も多い。しかしながら,高度な複雑性を有する大脳皮質−大脳基底核回路のシステムとしての動作において,ドーパミン性神経伝達が果たす役割とその制御機構には依然として不明瞭な点が多い。

 我々は,視床下核(subthalamic nucleus, STN)のニューロンをイムノトキシン細胞標的法によって特異的に破壊すると,脳内ドーパミン伝達の状態に応じて,STNや関連する大脳基底核回路が行動制御において相反的に機能することを示唆した(Yasoshima et al., 2005)。STNニューロンの選択破壊を受けた遺伝子改変マウスは新規な環境における馴化が障害された(自発運動の増加)。一方,メタンフェタミンの投与によって誘導される運動亢進(移所行動増進)は無処理群マウスに比べて破壊群マウスでは減弱した。STNはメタンフェタミン投与によって活性化されること,その活性化が淡蒼球に興奮性作用を及ぼすことも示唆された。すなわち,STN-淡蒼球経路はメタンフェタミンによる移所行動の亢進を十分に誘発するために機能することが示唆される。これまでの大脳基底核モデルでは,STNを含む間接路は運動の抑制に寄与すると考えられてきたが,上記の結果から,STNからの興奮性出力は,ドーパミン性伝達の状態依存的に淡蒼球や黒質に対して異なる作用を付与し,結果として,移所行動の促進と抑制という相反的な機能を担うことが示唆される。

 メタンフェタミン投与時にSTNを活性化させる神経機構について調べるため,STNに対して直接投射(ハイパー直接路)が示唆されている前頭前皮質(prefrontal cortex, PFC)に着目した。PFCは,意思決定,問題解決,作業記憶,そして,認知や行為の実行制御を担うことが示唆されている。ドーパミン性神経伝達はPFCの高次脳機能において重要な調節因子であると示唆されているが,運動の制御に対するPFCでのドーパミン信号の役割についての詳細は未解明である。我々は,ドーパミン性薬物誘発性の移所行動という単純な実験モデル系を用いて,運動制御に対するPFCの役割と,上記のSTNによる運動の量的制御に対してPFCがどのような役割を担うのかを検討している。本講演では,ドーパミン誘導性の移所運動の制御においてPFC-STN経路が果たす役割を中心に述べたい。

 

(3) 上丘から水平性および垂直性眼球運動ニューロンに至る経路

伊澤佳子(東京医科歯科大学システム神経生理学)

 動物は,視野周辺部に興味ある物体が出現するとサッケードを行い視標を中心窩に捉える。このサッケードにおける上丘から外眼筋運動ニューロンへの神経回路を明らかにするため,これまで上丘から水平性眼球運動ニューロンに至る神経回路を電気生理学的および形態学的手法を用いて解析してきた。その結果,上丘から外直筋運動ニューロンおよび外転神経核内介在ニューロンへの興奮性及び抑制性入力は,従来想定されていた3シナプス性の興奮性経路と4シナプス性の抑制性経路より短い,いずれも最短で2シナプス性の経路であって,興奮は傍正中橋網様体内の興奮性バーストニューロンにより中継され,抑制は傍正中橋延髄網様体内の抑制性バーストニューロンを介していることが明らかになった。

 これに対して垂直性サッケードの出力経路については,その神経回路の詳細に不明の点が多い。中脳のフォレル野やカハール間質核が関与することなど断片的な所見は報告されているが,上丘の電気刺激によって垂直性眼球運動ニューロンにはほとんど反応が生じないとされてきた。本研究は垂直性眼球運動ニューロンの内,滑車神経核の上斜筋運動ニューロンにおいて上丘からの神経回路を解析し,これを上丘から水平性眼球運動ニューロンへの神経回路と比較検討した。クロラロース麻酔したネコにおいて上斜筋運動ニューロンから細胞内記録を行い,上丘を電気刺激すると2シナプス性の興奮性入力と抑制性入力が見られた。そこでこれらの興奮性入力と抑制性入力を中継する部位を同定するために,滑車神経にWGA-HRPを注入し,経シナプス的に運動ニューロンに終止する最終介在細胞を同定した。経シナプス的にラベルされた細胞はフォレル野およびカハール間質核,前庭神経核に認められたので,次にそれらの介在細胞の内,フォレル野およびカハール間質核を電気刺激した。その結果,それぞれから上斜筋運動ニューロンに単シナプス性の興奮性および抑制性入力があることが判明した。以上の結果から,垂直眼球運動系において上丘から運動ニューロンへの入力経路は,水平眼球運動系の場合と同様に,興奮性経路および抑制性経路のいずれも2シナプス性であることが明らかになった。

 

(4) サル内側前頭前野は行動選択に動的に関与する

松坂義哉(東北大学大学院医学系研究科・生体システム生理学教室)

 霊長類の内側前頭前野が行動制御に果たす役割を明らかにする目的で,競合解決課題を遂行中のニホンザルの内側前頭前野における神経活動を調べた。この課題では,サルの眼前に設置されたパネルの左右どちらかにLEDが点燈してサルに押すべきキーを指示する。サルはLEDの位置とは無関係に赤が点燈したら右側,緑が点燈したら左側のキーを押すと報酬を得られる。LEDの位置はcongruent trialでは押すべきキーと同側に,incongruent trialでは反対側に提示される。この課題を遂行しているサルの内側前頭皮質から神経細胞活動を記録した結果,前補足運動野のさらに前方の領域に課題遂行に関係した神経細胞の集団が存在する事を発見した。この領域は以下の性質によって隣接する前補足運動野,補足眼野,補足運動野とは区別された。

1. 受動的に与えられた感覚刺激(視覚,聴覚,体性感覚)に対して応答しない。

2. 眼球運動に関連して活動せず,また皮質内微小電流刺激によって運動が誘発されない。

 また,この領域では競合の有無によって神経活動が影響されるケースが前補足運動野,補足運動野よりも比較的多く見られたが,大部分の神経細胞は競合の不在下(congruent trial)でも課題に関連した活動を示した。しかし,サルを一定期間以上congruent trialだけで再訓練すると内側前頭前野の神経細胞は課題関連活動を示さなくなった。対照的に前補足運動野,補足運動野では長期間にわたる競合の不在下でも課題関連活動を示す神経細胞が多数記録された。これらの所見からは,内側前頭前野の行動選択への関与は課題のコンテキストに応じて動的に変化することが示唆される。

 

(5) 霊長類の大脳皮質における歩行制御機序

中陦 克己(近畿大学医学部 生理学第一講座)

 歩行運動において,四肢のリズム運動および姿勢(筋緊張)を制御する基本的な神経機構は脳幹および脊髄内に分散的に配置される。これらの神経機構は体性感覚入力に加えて上位中枢からの下行性入力によって制御される。一方サルの大脳皮質に存在する複数の運動領野は脳幹・脊髄に対して豊富に直接投射する。脳幹へ投射する神経細胞と皮質脊髄路細胞の皮質内分布様式が領野間において異なることを考慮すると,各皮質領域が歩行にかかわる基本的な脳幹−脊髄神経機構を分担的に制御することが推察される。我々は先行研究において,ニホンサルの一次運動野・下肢領域を局所的に不活性化すると跛行が生ずることを,また補足運動野・体幹/下肢領域を不活性化すると歩行に伴う体幹の動揺と四肢関節の過屈曲・過伸展が生ずることを観察した。

 本研究の目的は霊長類の大脳皮質における歩行制御機序の解明である。そのために新たな電動式マイクロマニピュレータを開発して,流れベルト上を無拘束の状態で四足歩行または二足歩行するサルの一次運動野および補足運動野から単一神経細胞活動を記録した。そして四足歩行中における神経細胞活動の修飾様式から,各皮質領域における生得的な歩行運動の分担制御機序を明らかにしようと試みた。さらに二足歩行中における神経細胞活動の修飾様式を四足歩行のそれらと比較することから,二足歩行に特徴的な皮質制御機序の解明を試みた。

 一次運動野・下肢領域から記録された神経細胞は,四足歩行において歩行周期に一致した相動的な活動様式を示した。歩容を四足歩行から二足歩行へ変換すると,これらの神経細胞は相同的な発射活動を保ちながら発射頻度を増加させた。また一次運動野から記録された多くの細胞は,歩行速度の増加に対してそれらの発射頻度を増加させた。補足運動野の体幹・下肢領域から記録された神経細胞の多くは相動的或いは持続的かつ相動的な活動様式を示した。歩容を四足歩行から二足歩行へ変換すると,これらの神経細胞の殆どは持続的かつ相動的な活動様式を示し,それらの発射頻度を増加させた。

 以上の結果から,歩行運動においてサルの一次運動野は脊髄リズム生成神経回路網の出力を直接的/間接的に制御すること,補足運動野は運動の遂行に必要な筋緊張の制御に重要な役割を果たすことが示唆された。さらに二足歩行の制御に関わる皮質下神経機構は,四足歩行のそれらに比べてより大脳皮質からの出力に依存することが示唆された。

 

(6) 両腕運動と片腕運動:同じ腕の運動学習に関わる脳内過程の違い

野崎大地(東京大学大学院教育学研究科)

 例えば左腕の運動を片腕だけで行おうと,右腕の運動を付け加えて行おうと,左腕の運動自体に特別な違いがあるわけではない。ところが,運動学習の観点からすると,もう一方の腕の運動を付け加えて両腕運動とすることには大きな意味があることが明らかになった。

 新奇な力場の存在下でリーチング運動をおこなうと,最初のうちは手先の軌道は大きく曲げられてしまうが,試行を繰り返すにつれて直線的な軌道を取り戻す。腕が力場に適応した度合い(運動学習効果)は,力場を切った試行(キャッチ試行)で生じる力場と反対方向への手先の動き(後効果)の大きさによって評価することができる。まず,被験者は左腕だけのリーチング動作によって力場を学習した。十分な適応後,左腕だけで行うキャッチ試行,両腕を一緒に動かすキャッチ試行の二つを行ってもらったところ,両腕運動時に左手が示す後効果の大きさは,片腕運動時の6〜7割に留まった。つまり,片腕運動によって獲得した左腕の運動学習効果は,両腕運動時の左腕には6〜7割しか転移しない。

 これは両腕運動時に右腕を一緒に動かすために生ずる脳の負担増のせいだろうか? 次に,最初から両腕を一緒に動かして,左腕への力場を学習してもらった(右腕に力場は課さない)。この場合にも,両腕運動によって左腕が獲得した学習効果は,片腕運動時の左腕に6〜7割しか転移しなかった。したがって,両腕運動に伴う注意の分散や動作の協調に必要な脳の負担増が関係しているのではない。むしろ,図に示すように,同じ左腕が学習効果を獲得するといっても,それに関与する脳内過程が片腕運動時と両腕運動時で一部異なっていると考えることによって自然な説明が可能である。

 この図式が妥当である証拠として,さらに我々は,ここから導かれる二つの予測,(1)片腕運動で左腕への力場を学習した後,力場を切り両腕運動を繰り返すと左手が示す後効果が徐々に減少し左腕は学習効果を失ってしまうかのようにみえるが,片腕運動に切り替えると直ちに隠れていた後効果が出現すること(つまり,片腕運動時の左腕のみ学習効果を保持している),(2)従来,同時に適応することが極めて困難だとされてきた全く反対の方向を向いた二つの力場に,片腕運動時の左腕と両腕運動時の左腕のそれぞれに別々の力場を割り当てることによって同時にかつ容易に適応できること,が実際に観察されることを示した。腕の運動は片腕運動・両腕運動に関わらず見かけ上は同じだが,運動学習という窓を通すことによって,それらの制御過程の大きな違いが観測可能となったのである。

 

(7) 大規模空間でのナビゲーションにかかわる脳内機構

佐藤暢哉(日本大学大学院医学研究科応用システム神経科学,科学技術振興機構CREST研究員)

 私たちの日常生活において,現在地から離れた目的地に移動することはもっとも基本的な行動といえる。このような移動の際,私たちはほとんど意識することなく正確な道順をたどることができる。このことは特定の場所においてどう進めばよいのかといったルートにそった情報,「ルート知識(route knowledge)」が一連のリストとして私たちの脳の中にたくわえられていることを示唆している。しかし,これまでのところ,このようなルート知識が脳内に実際にあるのか,またそれがどのように保持されているのかといったことはほとんど明らかにされていない。そこで,大規模空間での空間認知機能がどのように脳内で実現されているのかを調べるために,サルに仮想空間内でのナビゲーション課題を訓練し,頭頂葉内側壁のニューロン活動を記録した。

 コンピュータ・グラフィックスによって立体的な仮想建造物(いくつかの部屋,玄関ホール,廊下,エレベーターなどからなる)を作り出した。サルには,手元のジョイスティックを操作することによって仮想建造物内を移動し,指定した目的の部屋まで移動することを課題として要求した。

 このナビゲーション課題を遂行しているサルの頭頂葉内側部のニューロン活動を記録した結果,仮想建造物内の場所によって活動性を変化させるものが見受けられた。そのような場所選択的なニューロンのいくつかは,もっとも活動した場所近辺の静止画像や,そのルートを受動的に呈示した場合には活動性を弱めた。このことは,場所選択的なニューロン活動が視覚情報だけに依存しているわけではないことを示唆している。

 頭頂葉内側部のいくつかのニューロンは,仮想建造物内の特定の場所で右に曲がったときに活動するといったような,特定の場所で特定の行動をとったときに活動した。また,ある行き先を目指しているときだけ活動をする,つまり,同じ場所での同じ行動であっても行き先が違っているときは活動しないニューロンが見受けられた。このようなニューロンは,特定の場所を目指して移動するルート上のある一区画でどう進めばよいのかという情報,つまり「ルート知識」を表象していると考えられる。目的地までの要所において,このような情報を頭頂葉内側部の各ニューロンが表象しており,それらが系列的に活動することによって,目的地までの正確なルートをたどることができると考えられる。

 

(8) ヒトの音声認識の動物モデル:合成母音の弁別学習におけるラット聴覚連合野の役割

工藤雅治,菱田竜一,高橋邦行,澁木克栄(新潟大学脳研究所システム脳生理学分野)

 ヒトの音声の認識についてPETやfMRIによる研究がおこなわれているが,分子・細胞レベルの解析には動物実験が必要である。我々は学習の研究に適したラットを用い,合成母音の弁別学習について検討した。母音は声帯の振動を音源とし,基音と倍音成分からなる。声道における共鳴現象により数箇所の周波数帯で倍音のエネルギーが大きくなる。これをホルマントといい,周波数の低い方から第一ホルマント,第二ホルマント等と呼ぶ。複数のホルマント構造を持つことは母音として必須の性質であり,第一と第二ホルマントの周波数により母音が「アイウエオ」のどれであるかが決まる。我々は複数のホルマントからなる母音様の音を極モデルにより合成し,ラットに弁別させた。2つの音を聞かせ,一方が鳴っているときに給水口を舐めると報酬として水を与え,他方がなっているときには水を与えないことにより,4日間のセッションで弁別学習させることができた。聴覚野を破壊した動物では母音様の音の弁別学習が阻害された。一方,単一ホルマントの弁別や,純音の周波数弁別は聴覚野破壊により阻害されなかった。これらより単一ホルマントは聴覚野より下位で弁別されるが,複数のホルマントを持つ母音様の音の弁別学習は聴覚野でおこなわれることが分かった。聴覚野は一次聴覚野とその周囲の聴覚連合野からなる。聴覚野の局所破壊をおこなったところ,母音様の音の弁別学習は一次聴覚野の破壊では阻害されず,背側・吻側聴覚連合野の破壊で阻害された。ヒトの音声認識はウェルニッケ領野でおこなわれるが,ラット聴覚連合野における母音様の音の弁別はヒトの音声認識の動物モデルとなり得ると考えられる。我々は,ミトコンドリアのフラビン蛋白の蛍光を利用した大脳皮質の機能イメージング法を開発し,マウス感覚野の経験依存的可塑性を捉えることに成功している。今後この方法を用い,母音様の音の弁別学習による可塑的変化を捉え,音声認識の分子・細胞メカニズムを探りたい。

 

(9) なぜ行為の観察をすると運動性言語野が反応するのか?

脇田真清(京都大学霊長類研究所)

 ヒト左下側頭回(ブローカ野)は運動性言語野として知られる。しかし,この部位は他者動作の観察に反応する領野,いわゆるミラーニューロンシステムの一つでもある。このミラーニューロンシステムの活動を説明する仮説の一つとして,シミュレーション理論がある。この仮説に従えば,このシステムは,観察する行為の知識とは無関係に,観察者自身が再現可能な動作に反応する。例えば,バレエダンサーは,相手のパートの演技よりも自分のパートの演技に対して,ミラーニューロンシステムの反応強度が高くなることが報告されている。

 そこで,観察される行為と観察者自身の運動表象との関連を明らかにするために,ブローカ野の活動への観察視点と利き手の影響を調べた。被験者には,箸を使った操作を,自己視点と他者視点から撮影しそれぞれを左右反転させた4種類の映像を呈示した.皮質活動の測定には近赤外分光法を用いた。

 結果,被験者ごとに反応傾向にばらつきはあったが,全体として,観察する動作が右手の条件と自己視点の条件で,ブローカ野の活動が高かった。しかし,この結果は利き手や視点の影響を受けるというより,被験者が自身の行為を観察しているように見える映像に対して強く活動すると考えられる。他者視点の右手(あるいは左手)の動作は見慣れた動作のはずであったが,反応は高くなかった。したがって,ブローカ野は動作に関する知識ではなく,観察者自身が遂行可能な行為に強く反応するといえる。この結果は,観察した行為が被験者自身の運動表象に符号する場合に,この部位が活動することを示していると考えられる。

 しかし,ブローカ野は運動性言語野として知られる領野でもある.発話行動が調音する一音ごとの要素を,単語,文節や文章として体制化する性質を考えると,ブローカ野が発話に限らず運動の連鎖の体制化に関与していると仮定される。そうであるなら,観察する行為が観察者の運動表象と符合することは,その行為を積極的に体制下(あるいは再構成)している過程を反映しているとは考えられないだろうか。そこで,現在行っている予備実験を紹介しつつ,運動性言語野の活動を観察対象の体制化という側面から説明を試みる。

 

(10) 淡蒼球内節ニューロン活動の調節機構とその破綻がもたらす運動異常

橘 吉寿(生理学研究所・生体システム研究部門)

 外界の状況に適した行動を選択し,運動を正確なタイミングで実行することは,ヒトを含め動物にとって必要不可欠な機能である。これらの行動企画・運動制御には,大脳皮質とともに小脳・大脳基底核・視床といった脳領域が関与している。なかでも,大脳基底核は,その機能異常によりバリズム,パーキンソン病,ジストニアといった運動障害が惹起されることから,運動発現に深く関与していると考えられる。

 大脳皮質に端を発する運動情報は,大脳基底核に入力し,情報処理された後,視床を介して,再度大脳皮質に戻る事が知られている。これらの回路のなかで,淡蒼球内節は,大脳基底核の出力部に位置し,入力部である視床下核や線条体,あるいは中継核である淡蒼球外節から密な線維連絡を受けている。今回,正常サルの淡蒼球内節ニューロン活動が,視床下核からのグルタミン酸作動性の興奮性入力と,線条体および淡蒼球外節からのGABA作動性の抑制性入力により巧妙に制御されていることについて報告する。

 これまで,大脳基底核疾患の運動障害に対する病態生理として,その本質的な要因を,淡蒼球内節ニューロンの発射頻度の増減に求める説(DeLong, Trends Neurosci. 13: 281-5. 1990)と発射パターンの変化に求める説(Bergman et al., Trends Neurosci. 21: 32-38. 1998)がある。今回,バリズムやパーキンソン病モデルサルの淡蒼球内節ニューロンを記録したところ,発射頻度の増減に加えて,burstingやoscillationといった淡蒼球内節ニューロンの異常な活動パターンが観察され,これは視床下核や,線条体あるいは淡蒼球外節から淡蒼球内節への入力の異常に由来するとの結果を得たので報告する。今回示す淡蒼球内節ニューロンの異常な活動パターンによって運動障害が説明できるとすれば,大脳基底核疾患に対する脳深部刺激療法の作用メカニズムも,高頻度刺激によって発射パターンを変化させるということで説明可能であるかもしれない。

 


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