生理学研究所年報 第28巻
 研究会報告 年報目次へ戻る生理研ホームページへ

18.位相差断層電子顕微鏡の医学・生物学的応用

2007年1月25日
代表・世話人:金子 康子(埼玉大学教育学部)
所内対応者:永山 國昭(自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター)

(1)
位相差電子顕微鏡の将来展望
永山 國昭(自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター)
新井 善博(日本電子(株))
(2)
HDC TEMによるシアノバクテリア生体高分子の観察
金子 康子(埼玉大学教育学部)
(3)
Qドットの位相差法への応用
新田 浩二(自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター)
(4)
TRPV4の単粒子解析
重松 秀樹(自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター)
(5)
高精度トポグラフィ計測に基づく電子線トモグラフィ
馬場 則男(工学院大学情報学部コンピューター科学科)
(6)
位相差/分析融合電子顕微鏡によるペルオキシゾームの構造解析
臼田 信光(藤田保健衛生大学医学部解剖学Ⅱ)
(7)
ミトコンドリアゲノムの複製と転写の可視化
田中 雅嗣(東京老人総合研究所健康長寿ゲノム探索)
(8)
バクテリアに見いだされた細胞骨格タンパク質
仁木 宏典(情報システム研究機構国立遺伝研究所系統生物研究センター)

【参加者名】
葦原雅道(阪大・大学院生命機能研究科),厚沢季美江(藤田保健衛生大・医学部解剖学II),新井善博(日本電子(株)),伊藤知彦(名大・大学院理学研究科生命理学専攻),臼田信光(藤田保健衛生大・医学部解剖学II),内田友幸((株)見果てぬ夢),加藤貴之(阪大・大学院生命機能研究科),加藤幹男(大阪府立大・大学院理学研究科生物化学専攻),金子康子(埼玉大・教育学部),亀谷清和(信州大・ヒト環境科学研究支援センター機器分析部門),喜多山篤(テラベース(株)),栗田弘史(豊橋技術科学大),小玉優哉(味の素(株)),小西浩気(日本電子(株)),重松秀樹(統合バイオ),鈴木三喜男(日本電子(株)),高瀬弘嗣((株)花市電子顕微鏡技術研究所),田中雅嗣(老人研・健康長寿ゲノム探索),仲本準(埼玉大・大学院理工学研究科),永山國昭(統合バイオ),仁木宏典(遺伝研・系統生物研究センター),新田浩二(統合バイオ),服部亮(豊田通商(株)),花市敬正((株)花市電子顕微鏡技術研究所),馬場則男(工学院大・情報学部コンピューター科学科),平野篤(筑波大・大学院数理物質科学研究科),藤浪昭男,本田敏和(日本電子(株)),丸山貴広(豊田通商(株)),水野彰(豊橋技術科学大),宮田知子(阪大・大学院生命機能研究科),村田隆(基生研),諸根信広(国立精神・神経センター神経研究所),山口正視(千葉大・真菌医学研究センター)

【概要】
 この研究会は平成12年よりスタートした電子顕微鏡の研究会(“定量的高分解能電子顕微鏡法”,“電子位相差顕微鏡の医学・生物学的応用”,“位相差断層電子顕微鏡の医学・生物学的応用”)を継承しており,今回は特に,これまでの多くの共同研究の成果を踏まえ,今後の進展の方向性について展望するための集中的な発表・討論を期した。そのため,あえて開催期間を1月25日午後のみの半日としたが,結果的に多くの参加者を得た。岡崎で開発された位相差電子顕微鏡法は,無染色の生物試料観察に特に威力を発揮し,従来法では観察が困難であった様々な生物試料の微細構造を明瞭に提示してきた。この成果は国内外で着実に注目されてきており,海外においても複数の研究施設で追随する技術の開発が始まっている。

 まず導入部で岡崎における位相差電子顕微鏡開発の歴史の概要とともに,新たな理論に基づく今後の進展の可能性が概観され,位相差電子顕微鏡が威力を発揮してきた氷包埋した生物試料に関する研究発表が続いた。膜タンパク質の単粒子解析や,細胞の微細構造を丸ごと観察した研究例とともに,高圧凍結した組織から作製した凍結切片を観察するという意欲的な試みも紹介された。また今後位相差電子顕微鏡観察への応用が期待される電子線トモグラフィの現状と開発状況に関する発表・討論が行われた。現在,位相差電子顕微鏡に付随するエネルギーフィルターを活用して同一試料・同一視野の元素分析を行い,無染色生物試料の微細構造情報と物質機能情報を重ね合わせるという,位相差電子顕微鏡法の新たな局面が切り拓かれつつある。この手法を用いた最新の研究報告に続き,今後の応用の可能性,また本技法を確立するために解決すべき問題点など,熱心な発表・討論が展開された。位相差電子顕微鏡が今後,生物に普遍的な多くの未解決事項の解明に威力を発揮していくことを予感させる意義深い研究会となった。

 

(1) 位相差電子顕微鏡の将来展望

永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター)
新井善博(日本電子(株))

 過去数年にわたる位相差法の開発で何が達成されたか,原理的側面と応用的側面に分けて吟味する。特に,弱い位相物体にしか適用できないと考えられていた位相差法が,強い位相物体(全載細胞)にも適用できることを手がかりに,位相差原理の新しい解釈を提示する。その上で,位相差法の発展が将来どの方向に展開し,何が可能となるかを展望する。蛋白質,ウィルスの単粒子解析,全載細胞の無染色解析,組織凍結切片の無染色解析について言及したい。

 

(2) HDC TEMによるシアノバクテリア生体高分子の観察

金子康子,仲本 準(埼玉大学教育学部)
新田浩二,Radostin Danev,永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター)

 シアノバクテリアは原核の光合成生物で,真核植物細胞の葉緑体の起源と考えられている。細胞内には光化学反応系を有するチラコイド膜,炭酸固定酵素の集積体であるカルボキシソームやポリリン酸体などの構造が存在する。Synechococcus sp. PCC7942 は直径が1mm 近い桿菌で分裂と伸長を繰り返して増殖する。DAPIで染色するとDNA は2から数個の一列に並んだスポット状に観察され,細胞分裂直後は2個のスポットとして存在する。氷包埋した細胞を丸ごとHDC TEM観察することにより,生きている状態に極めて近い細胞内構造や生体高分子を観察することが可能となった。細胞内のDNA分子を同定することを目指し,活発に増殖する細胞にチミジンアナログであるBrdUを取り込ませると,DAPI染色に対応する位置に電子密度の高い領域が現れ,繊維状の構造が認められた。さらに,エネルギーフィルターによる元素像(ESI)を組み合わせる試みと今後の可能性について紹介したい。

 

(3) Qドットの位相差法への応用

新田浩二,重松秀樹,永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター)

 電子顕微鏡を用いて細胞内物質を同定するために,酵素・免疫反応を利用したラベル技術が用いられている。近年,蛍光・電子顕微鏡の両方に適用できるマーカーとして,Qドットが用いられてきている(Giepmans et al. 2005)。Qドットはエンドサイトーシス経路によって細胞内に取り込むことが可能であり,無固定での観察が可能である。

 本研究では最も生きた状態を保持できる高圧凍結・凍結超薄切片を用いて細胞内物質同定,電子顕微鏡トモグラフィーによる詳細な細胞内構造観察への足がかりとして,まずQドットを取り込ませた無染色培養細胞の樹脂包埋切片観察,続いて凍結切片観察を行った。その結果,樹脂包埋切片を用いて蛍光・電子顕微鏡による同視野観察が可能であり,さらに凍結切片を作製でき,Qドットと考えられる粒状の構造を観察できた。

 位相差法により生体に近い状態の詳細な細胞内構造観察が可能となり,同時に分子局在の新しい知見が期待できる。

 

(4) TRPV4の単粒子解析

重松秀樹,曽我部隆彰,永山國昭,富永真琴(岡崎統合バイオサイエンスセンター)

 Transient Receptor Potentia l(TRP) は,受容体活性化Ca2+チャネルである。構造的特徴としては,六回の膜貫通領域を持つこと,他のチャネルとの構造比較から四量体を形成することが提唱されている。今回,位相差電子顕微鏡の膜蛋白質機能構造解析への展開として,ratTRPV4の組み換え発現系の構築と界面活性剤可溶化状態での単粒子解析に取り組んだ。発現系としてはBaculo virusを用いた昆虫細胞発現系を使い,二段階のクロマトグラフィにより単一蛋白質として精製した。生化学的な手法から多量体形成が示唆されており,ネガティブ染色像からも直径10 nm程度の構造が確認された。単粒子解析には,氷包埋したサンプルのZernike Phase Contrastイメージを用いた。現在四回対称性を考慮することで,初期三次元構造を得ることが出来たので是を報告する。

 

(5) 高精度トポグラフィ計測に基づく電子線トモグラフィ

馬場則男(工学院大学)

 電子線トモグラフィ法は直接的な3次元可視化や構造解析が可能なためその応用が盛んに行われている。しかし,試料作成や電子線損傷の問題を別にしても,試料傾斜角度制限による情報欠落問題(missing wedge) が内在し,奥行き方向の分解能を劣化させ,場合によっては,極端な歪みをももたらす。我々は,これを解消するため,高精度トポグラフィ計測に基づく全く新たな再構成法を開発した。レプリカ試料から応用を開始し,最近は,ネガティブ染色や切片試料にその手法を発展させている。最も新たな手法では,試料内部の密度関数を,非常に多くの極微小な点の集合で近似し,これを,連続傾斜投影像の強度分布などを拘束条件に,数値演算法から求める。生体高分子のネガティブ染色試料に応用したところ,ほぼ完全にmissing wedgeが解消され,しかも従来の約5分の1程度の非常に少数の傾斜像から正確な再構成が実現した。

 

(6) 位相差/分析融合電子顕微鏡によるペルオキシゾームの構造解析

臼田信光,厚沢季美江(藤田保健衛生大学 医学部 解剖2・細胞生物学)
Danev Radostin,永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター)
杉谷正三(テラベース株式会社)

 位相差電子顕微鏡は物体が有する密度情報を高コントラストに可視化できる。細胞の無染色観察が可能となり,細胞内構造が本来有する超微構造を観察できるようになった。さらに機能に関する情報を同時に取得する新しい観察法として位相差/分析融合電顕法を試みているので,その到達状況を報告したい。

 ラット肝臓組織から蔗糖密度勾配法にてperoxisome分画を得て,急速凍結し氷包埋した。位相差電顕観察を行うと同時に,分析電顕法により銅と鉄の局在を観察した。比較のためには,ラット肝臓組織をパラフォルムアルデヒド固定した後に樹脂包埋超薄切片について同様の観察を行った。 peroxisomeのmatrixには鉄の,coreには銅の局在が観察された。

 peroxisomeは特徴的な構造を有する細胞小器官で,matrixにはヘム蛋白質catalaseが局在して,coreは銅蛋白質urate oxidaseの結晶であることが知られている。

 peroxisomeが新しい観察法の開発において,適切なモデル材料となると考えられた。

 

(7) ミトコンドリアゲノムの複製と転写の可視化

田中雅嗣(東京都老人総合研究所・健康長寿ゲノム探索)
伊藤雅史・藤田泰典(岐阜県国際バイオ研究所)
新田浩二・永山國昭(岡崎統合バイオサイエンスセンター)
金子康子(埼玉大学)

 ミトコンドリアゲノムは母親からのみ伝えられ(maternal inheritance),1細胞に数千コピー存在し (multiplicity),核ゲノムより10-20倍進化速度が速い (high mutational rate) などの特徴がある。我々はヒトのミトコンドリアゲノムの機能的多様性が,メタボリック症候群・糖尿病・心筋梗塞・脳梗塞などの生活習慣病に対する易罹患性に関与していることを最近明らかにした(文献1-7)。

 ヒトのミトコンドリアゲノムは16569塩基対からなる環状二重鎖DNA(周長4.3 mm)であり,37個の遺伝子(2 rRNA, 22 tRNA, 13 mRNA)が存在する。このうち28個の遺伝子(2 rRNA, 14 tRNA, 12 mRNA) はミトコンドリアDNA (mtDNA) の重鎖(heavy strand, H鎖)によってコードされており,9個の遺伝子 (8 tRNA, 1 mRNA) が軽鎖(light strand,L鎖)によって規定されている。mtDNAの複製と転写を制御する領域は1122 bpのmajor non-coding region (塩基番号1-576と塩基番号16024-16569)に存在し,H鎖・L鎖の転写開始点とH鎖の複製開始点がある。一方,L鎖の複製開始点は塩基番号5730-5760にあるとされている。L鎖はCA-richであるのに対し,H鎖はGT-richである。これは,鎖に関して非対称的に変異が発生するためである (Tanaka et al. Strand asymmetry in human mitochondrial DNA mutations. Genomics 22/327-335, 1994)。最近,L鎖の複製時にRNAが高頻度で取り込まれ,後にDNAによって置き換えられることが報告された。これが鎖非対称的な変異発生に関連する可能性がある。

 我々は,位相差電子顕微鏡を用いてミトコンドリアゲノムの複製と転写を可視化する目的で,核のthymidine kinaseを欠損した骨肉腫細胞143B-TK (-) に由来する細胞株を用いている。ミトコンドリア内には別のthymidine kinaseが存在するので,培地に添加したBrdU, IdU, FdUは選択的にmtDNAに取り込まれる。用いた細胞株は3種である。143B-TK (-) を低濃度のethidium bromideに長期暴露し,mtDNAを枯渇させたr0細胞,r0細胞にMELAS(ミトコンドリア脳筋症)患者に由来する3243A>G変異を有するミトコンドリアを導入した2SD細胞,同じ患者に由来するが3243A>G変異のないミトコンドリアを有する2SA細胞を実験に使用する。BrdU, IdU, FdUを100 mMの濃度で培地に添加し48時間培養し,PIERCE Mitochondria Isolation Kitを用いてミトコンドリアを単離し,位相差電子顕微鏡で観察する。理論的には,元素イメージング法 (ESI) はFdUを取り込んだmtDNAの観察に適し,位相差法はIdUを取り込んだmtDNAの観察に適している。これらにより,mtDNA複製の局在部位とミトコンドリア内膜・外膜との関係を明らかにできるものと期待される。

 [1] Enrichment of longevity phenotype in mtDNA haplogroups D4b2b, D4a, and D5 in the Japanese population. Alexe G, Fuku N, Bilal E, Ueno H, Nishigaki Y, Fujita Y, Ito M, Arai Y, Hirose N, Bhanot G, Tanaka M. Hum Genet in press: 2007

 [2] Mitochondrial haplogroup N9a confers resistance against type 2 diabetes in Asians. Fuku N, Park KS, Yamada Y, Nishigaki Y, Cho YM, Matsuo H, Segawa T, Watanabe S, Kato K, Yokoi K, Yamaguchi S, Nozawa Y, Lee HK, Tanaka M. Am J Hum Genet in press: 2007

 [3] Identification of mitochondrial DNA polymorphisms that alter mitochondrial matrix pH and intracellular calcium dynamics. Kazuno AA, Munakata K, Nagai T, Shimozono S, Tanaka M, Yoneda M, Kato N, Miyawaki A, Kato T. PLoS Genet 2: e128, 2006

 [4] Mitochondrial haplogroup N9b is protective against myocardial infarction in Japanese males. Nishigaki Y, Yamada Y, Fuku N, Matsuo H, Segawa T, Watanabe S, Kato K, Yokoi K, Yamaguchi S, Nozawa Y, Tanaka M. Hum Genet: 2007

 [5] Mitochondrial haplogroup A is a genetic risk factor for atherothrombotic cerebral infarction in Japanese females. Nishigaki Y, Yamada Y, Fuku N, Matsuo H, Segawa T, Watanabe S, Kato K, Yokoi K, Yamaguchi S, Nozawa Y, Tanaka M. Mitochondrion: 2007

 [6] Women with mitochondrial haplogroup N9a are protected against metabolic syndrome. Tanaka M, Fuku N, Nishigaki Y, Matsuo H, Segawa T, Watanabe S, Kato K, Yokoi K, Yamaguchi S, Nozawa Y, Yamada Y. Diabetes in press: 2007

 [7] Mitochondrial DNA and cancer epidemiology. Verma M, Naviaux R, Tanaka M, Kumar D, Franceschi C, Singh K. Cancer Res in press: 2007

 

(8) バクテリアに見いだされた細胞骨格タンパク質

仁木 宏典(国立遺伝学研究所系統生物研究センター原核生物遺伝研究室)

 タンパク質の蛍光標識方法,いわゆるGFP標識により生きた細胞内でのタンパク質の局在が観察可能になった。さらに,蛍光顕微鏡画像の処理技術により,原核細胞においても細胞骨格系タンパク質が,存在していることが次々と分かって来ている。まず細胞分裂の収縮環として知られていたFtsZタンパク質がバクテリアチューブリンであること,さらに桿状の細胞形体形成に必須であるMreBタンパク質がアクチンであることが明らかにされた。これらタンパク質は細胞内で重合し,繊維状の構造体を形成し,さらに螺旋状になる。これらの発見以降,螺旋状に分布するバクテリアタンパク質が今も新たに見つかっている。Fプラスミドの分配のための,モータータンパク質であるSopAタンパク質も螺旋状構造を形成する。このようなタンパク質の構造とその動態変化をさらに詳細に見ることの意義について紹介したい。

 


このページの先頭へ年報目次へ戻る生理研ホームページへ
Copyright(C) 2007 National Institute for Physiological Sciences