生理学研究所年報 第29巻
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生体情報研究系

感覚認知情報研究部門

【概要】

 感覚認知情報部門は視知覚および視覚認知の神経機構を研究対象としている。我々の視覚神経系は複雑な並列分散システムである。そこでは数多くの脳部位が異なる役割を果たしつつ,全体として統一のとれた視知覚を生じる精巧な仕組みがあると考えられる。また二次元の網膜像から世界の三次元構造を正しく理解できる仕組みもそなわっている。視知覚におけるこれらの問題を解明するために,大脳皮質を中心とするニューロンの刺激選択性や,異なる種類の刺激への反応の分布を調べている。具体的な課題として(1)初期視覚野における輪郭とその折れ曲がりの表現,(2)大脳皮質高次視覚野における色選択性ニューロン活動と知覚の関係,(3)大脳皮質におけるグルーピングと視覚的注意のメカニズム,(4)fMRIによるサル大脳視覚野活動計測,などに関する研究を行った。

 

初期視覚系における輪郭線の折れ曲がりの表現

伊藤南,浅川晋宏
Yi Wang(中国科学アカデミー)

 我々は物体の形状を認識する過程を明らかにする為に図形の輪郭に含まれる折れ曲がりに対する反応選択性を初期視覚野で調べてきた。これまで注視課題を遂行中に第二次視覚野より単一細胞記録を行い多数のニューロンが折れ曲がり刺激に選択的な反応を示すことを見いだした。これらの刺激選択性形成のメカニズムを明らかにすることを目的として昨年度より麻酔標本からの記録を開始した。その結果(1)麻酔下でも折れ曲がり刺激に選択的に反応するニューロンが記録されること,(2)刺激サイズによらず受容野内部の情報で折れ曲がり刺激を表現するニューロンと,折れ曲がり選択性が刺激サイズに依存しており受容外からの情報を必要とするニューロンがともに第二次視覚野に存在することを見いだした。これらの結果は第二次視覚野およびその入力源である第一次視覚野がともに折れ曲がり刺激選択性形成に寄与することを示唆する。

 

サル下側頭皮質色選択性ニューロン活動と色知覚の関係

松茂良岳広,鯉田孝和,小松英彦

 サルの下側頭皮質TE野色選択ニューロン活動と色知覚の関係について調べるために,わずかな色の差を識別する近似色選択課題をサルに行わせ,課題遂行中のサルの色判断とニューロン活動の関係を定量的に調べた。ROC解析により求めたニューロン活動にもとづく色弁別閾と,同時に得られたサルの行動から求めた色弁別閾を比較すると一般的にはニューロンの方がサルの弁別能力よりも低かった。行動から求めた色弁別閾値は,白や赤の付近では低く弁別感度が良いのに対し,緑やシアンの付近では高く弁別感度が相対的に悪いという色による違いが見い出された。一方ニューロンの弁別閾値の色度図上での分布にも行動と同様の傾向が見い出された。このことはTE野ニューロンの色選択的な活動が,サルの色弁別と強い相関を持っていることを更に明瞭に示す結果であり,TE野の色選択性ニューロンの活動がサルの色判断行動に寄与していることを支持する結果である。

 

注意にもとづく視覚グルーピングに選択的なサル頭頂間溝皮質ニューロンの活動

横井功,小松英彦

 視覚グルーピングの神経メカニズムについて調べるために,グルーピングを必要とする検出タスクを設定し,サル頭頂間溝(IPS)後壁皮質から単一細胞外記録を行った。視覚刺激は白または黒の5つの正方形ドットが十字に配置して構成される。同じコントラストのドットが水平または垂直に並ぶパターンをターゲット刺激とした。離散的なドットをひとまとまりのターゲット刺激として検出するためのグルーピングには方位とコントラストの要因が含まれるが,このうち縦または横の方位に選択的な注意を向けさせてその方位にグルーピングを誘導した。記録した大部分のニューロンが注意を向けているターゲットの方位に選択的な反応を示した。方位選択性は注意を向けている方位とターゲットの方位が一致する条件では増強し,一致しない条件では減弱した。この結果はIPSのニューロンが注意によって制御される視覚グルーピングにおいて重要な役割を担っていることを示唆する。

 

サル下側頭皮質における色選択的活動分布:fMRI研究

郷田直一,原田卓弥,伊藤南,小松英彦
小川正(京都大学)
豊田浩士,定藤規弘(心理生理学)

 我々は機能的MRI(fMRI)を用いてサルの視覚皮質における機能地図を明らかにする研究に取り組んでいる。本年度は,特にサル下側頭皮質において色選択性ニューロンがどのように分布しているかを明らかにするため,様々な視覚刺激を用いて下側頭皮質における色選択的反応の分布を計測した。有彩色刺激に対する反応と無彩色刺激に対する反応とを比較すると,有彩色により強く反応する領域は下側頭皮質前部及び後部外側面のそれぞれ数mmの小領域に限局していることが見出された。またそれら小領域の位置は,用いる視覚刺激によって異なる場合があることも示された。以上の結果から,下側頭皮質において色選択性ニューロンは一様に分布しているのではなく,複数の小領域に集積していること,また,それら小領域の反応特性には違いがあることが示唆される。

 

ポップアウト時におけるサル視覚皮質活動:fMRI研究

郷田直一,原田卓弥,伊藤南,小松英彦
小川正(京都大学)
豊田浩士,定藤規弘(心理生理学)

 視野の中に多数の物体があるとき,周囲の物体と色などの特徴において大きく異なっている物体は目立ち(ポップアウトし)注意を自動的に引き付ける。このようなポップアウトに関わる情報処理の全体像を明らかにするため,サルが注視課題を遂行中にポップアウトする対象を含む視覚刺激を呈示し,ポップアウトに伴って生じる様々な皮質領域の活動変化をfMRIを用いて計測した。その結果,V2/V3野,V4野,及びLIP野領域において,ポップアウト時の反応促進が確認された。さらに,上側頭溝後壁のV4野及びMT野の前方に位置する領域にもポップアウト時の反応促進が観察された。本結果から,低次視覚野及び後部頭頂領域に加え,高次視覚野領域がポップアウトの情報処理に関与している可能性が示唆される。

 

 

神経シグナル研究部門

【概要】

 神経細胞・シナプスの研究を継続するとともに,これらの基礎的な機能が生体にどのように反映されるかを,脳スライスを用いた電気生理的測定,in vivo測定,および恐怖記憶形成に関わる行動実験等を行い検討した。部門としては,in vivoの脳活動を微小な神経核に薬剤を注入してその効果を検討する系等で実験技術のレベルアップが図られた。

 

ラット小脳顆粒細胞−介在ニューロン間興奮性シナプス伝達のペアパルス増強

佐竹伸一郎,井本敬二

 ラット小脳スライス‐パッチクランプ法を用いて,顆粒細胞軸索(上向性線維)の電気刺激に伴い,分子層介在ニューロン(籠細胞)から記録される興奮性シナプス後電流(EPSC)の性質を調べた。30〜100ミリ秒間隔で2発ペアパルス刺激を与えると,2発目EPSCの振幅値と減衰時定数が著しく増大した。薬理学的検討やキネティクス解析を行い,①EPSC振幅増大はシナプス小胞の放出確率ならびに放出多重性の増強,減衰時間増大は非同期的シナプス小胞放出の増強により惹起されたこと,また,②この非同期的放出はCav2.1(P/Q -型)カルシウムチャネルにより制御されていることを示唆する結果を得た。引き続き,活動電位の連続発生が,異なるCa2+チャネルサブタイプを介して,シナプス小胞放出過程に影響する分子的基盤について検討している。

 

単一神経回路における複数のシナプス統合

井上剛,井本敬二

 本研究では,構造的に単一の神経回路配線が,どの程度フレキシブルな信号処理を行うことができるのか,信号処理能力の可能性に関して検討した。スライスパッチクランプ法にダイナミッククランプ法を取り入れることにより,ある特定の神経回路配線を調べる実験系を確立し,視床−大脳皮質間の神経回路に適用した。この神経回路では,時間のずれたタイミング(5 ms程度)の視床入力が,効果的に大脳皮質4層主要細胞を興奮させた。ノルエピネフリンを与えると,全く同じ神経回路配線にも関わらず,同時タイミングの視床入力が大脳皮質主要細胞を効果的に興奮させた。アデノシンを与えると,同時タイミングも時間のずれたタイミングも同程度に強く大脳皮質主要細胞を興奮させた。これらの結果は,単一の視床−大脳皮質神経回路が三種類のシナプス統合を呈すること,またそれらのシナプス統合が異なる神経修飾物質によってスイッチされることを示している。

 

Totteringマウスにおける欠神発作と大脳基底核回路との関係

加勢大輔,井上剛,井本敬二

 この研究では,欠神発作のモデルマウスであるtotteringマウスを用いて,欠神発作と大脳基底核回路との関係をin vivo及びin vitroの実験により詳細に評価することを目的とした。

 in vivoの実験では黒質ニューロンの発火率の推移がてんかん波に同期していること,及び黒質への興奮性伝達の阻害がてんかん波の発生を阻害することが明らかとなった。これらの結果は大脳基底核が,欠神発作の発生・維持に関与していることを示唆している。基底核がどのような仕組みで欠神発作に関与しているか調べるため,in vitroの実験を行った。本実験では大脳基底核回路内で黒質の上流に位置し,黒質への興奮性伝達を有する視床下核のニューロンの性質を調べた。その結果,totteringマウスでは視床下核ニューロンの興奮性が増強されていることが示唆された。

 

Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII活性が制御する学習・記憶

山肩葉子,柳川右千夫(群馬大学),井本敬二

 海馬CA1領域におけるシナプスの長期増強(LTP)は,高次脳機構のひとつである学習・記憶の細胞・分子メカニズムを解明するための基本モデルと考えられ,それを制御する分子として,Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII (CaMKII)が注目を集めている。我々は,CaMKIIaの不活性型ノックインマウスを作製し,CaMKIIaのキナーゼ活性が海馬依存性の学習・記憶に果たす役割の解明を進めている。このマウスを用いて,海馬LTPと相関が深い受動的回避テストを行ったところ,野生型マウスでは,1回のトレーニングで回避学習が成立するのに対し,不活性型マウスでは,回避学習が成立するまでに,複数回のトレーニングが必要であった。この所見は,このマウスで観察された海馬LTPの障害と対応するものであり,今後,学習障害モデルマウスとして,さらに詳細な分子メカニズムの研究に貢献できるものと考えられる。

 

視床内側毛帯シナプスの生後発達

竹内雄一,井本敬二,宮田麻理子

 内側毛帯シナプスは体性感覚情報を視床に伝える求心性シナプスである。内側毛帯シナプスの生後発達を電気生理学的に明らかにすることは,視床における体性感覚処理を理解する上で重要である。生後0-39日齢のC57BL/6マウス脳切片上において内側毛帯繊維を刺激して,ホールセル記録法により視床リレー細胞から興奮性シナプス後電流(EPSCs)を記録した。その結果,発達に伴い入力繊維数の増減,シナプス強度の増強,EPSCsの鋭化などが観察され,特に生後6-10日の間に顕著な変化が観察された。EPSCsの鋭化に関して,AMPA受容体の組成変化に注目し,薬理学的な検討も行っている。

 

視床 VB 核神経回路網におけるアセチルコリン作用とその相違

南雲康行,川上順子(東京女子医大),井本敬二,宮田麻理子(生理研)

 従来より,視床におけるアセチルコリン(ACh)神経を介した感覚情報処理は,in vivoならびに解剖学的に実証されてきていた。しかしながら,視床神経回路網におけるシナプスレベルでのACh作用の解析については,これまでに報告が少なく点在する報告も統一した見解がなされていないのが現状である。本研究では,抹消からの感覚情報を伝達する内側毛帯シナプスと大脳皮質から視床へfeedbackされる感覚情報を伝達する皮質視床シナプスの二つの興奮性シナプスに対するAChの影響に着目した。その結果,AChの処置は,内側毛帯線維刺激によるEPSCにはほとんど影響を及ぼさず,皮質視床投射線維刺激からのEPSCのみを減弱させた。また,AChは皮質視床シナプスにおいてpaired-plus ratioならびcoefficient of variationの増加引き起こした。

 

神経分化研究部門

【概要】

 研究室では,岡村教授らを中心とする電位依存性チャネルなどをはじめとする電位センサー蛋白の動作原理と生理機能の解析と,東島准教授らを中心とする,神経回路形成機構の解析,久木田助教による電位依存性チャネルの物性の解析を進めてきた。今年は,電位センサードメインタンパクの基本的動作原理の解明を進めると同時に,トランスジェニックゼブラフィッシュラインを作成して脊髄神経回路の形成機構の解析を進めた。Ci-VSPについては酵素ドメインの特性を中心に解析した。VSOP1の電位依存性プロトンチャネルとしての基本構成を電気生理学と生化学の両面から明らかにした。ゼブラフィッシュを用いた研究では,神経前駆体細胞がニューロンペアーを生じる際に,非対称分裂が再現的に生じることを明らかにした。

 

電位依存性ホスファターゼとPTENとの基質特異性の比較

岩崎広英
Md. Israil Hossain
村田喜理
岡村康司

 Ci-VSPのVSPとは,Voltage Sensor-containing Phosphatase(電位センサーをもつリン脂質脱リン酸化酵素)の略で2005年に発見した,電気信号を化学信号に変換するというユニークな特性をもつタンパク質である。Ci-VSPは,がん抑制遺伝子として知られているPTENと良く似たタンパク質構造を持っている。PTENは細胞の増殖に関わるリン脂肪PIP3を分解することで,がんの発生を抑えることが知られている。今回,研究グループはがん抑制遺伝子PTENとCi-VSPとを詳細に比較したところ,Ci-VSPは,PTENと似た構造を持つが,リン脂質PIP3を分解するだけでなく,PIP2と呼ばれる別のリン脂質にも分解することを明らかにした。PTENとCi-VSP酵素の化学信号を伝える部分の違いは,たった一つのアミノ酸配列に由来する可能性が高い。これらの発見は,PTENがどのようにリン脂質PIP3を分解し,がん発生を抑えているのかそのメカニズム解明にもつながると期待される。

 

電位依存性プロトンチャネルの分子構成

黒川竜紀
大河内善史
佐々木真理
高木正浩
岡村康司

 電位依存性イオンチャネルは,様々なタイプのイオンチャネルが単離・同定され,その分子特性が調べられてきた。我々の研究室では新規の膜タンパク分子を見つけ,これが電位依存性プロトンチャネルであることを証明した (Sasaki, M. et al.: Science, 312:589–592, 2006)。この分子は,電位依存性チャネルと同様に電位センサードメインは持っているがポアドメインをもたず,Voltage-Sensor Only Protein (VSOP)と名づけられた。これまで電位依存性チャネルの電位センサーが動作するにはポアを形成する膜貫通領域が重要であると考えられてきた。しかしVSOPはポアを持たず電位センサードメインのみでイオンを透過させると考えられ,この分子の動作機構を解明することは,電位依存性チャネル全般のメカニズムの解明につながると期待される。

 多くのイオンチャネルでは,オリゴマーを形成することで,機能的な構造をとることが知られている。VSOPにおいてはまだ機能的な構成単位はわかっていない。本研究では,VSOPは何量体で機能的なチャネルを構成しているかを調べた。動物細胞に強制発現させたVSOP(C末端にMycもしくはHAタグを付加)を用いて免疫沈降法を行うと,MycとHAそれぞれの抗体でMycまたはHAが付加されたVSOPが共に沈降した。このことより,VSOPはオリゴマーを形成していることが示唆された。また,VSOPの細胞質領域を除去したものでは,タンパク質間の相互作用は減少していることから,VSOPのオリゴマー形成には細胞質領域が重要であると考えられた。

 

ゼブラフィッシュ脊髄の二種類のV2ニューロンは神経前駆体細胞の
最終分裂により生じる

木村有希子
佐藤千恵
東島眞一

 脊髄腹側のp2前駆体細胞領域からは二種類の介在神経細胞,V2aとV2bニューロンが生じることが知られている。これまでに,V2aとV2bの分化には,分裂終了後の細胞間で起こるDelta-Notchシグナリングを介した相互作用が関与することが示されていた。しかし,V2aとV2bの細胞系譜は不明であり,上記の細胞間相互作用がどの細胞どうしで起こるかについては分かっていなかった。我々はp2前駆体細胞の最終分裂直前にGFPを発現するトランスジェニックゼブラフィッシュTg[vsx1:GFP]を作成し,この問題に取り組んだ。経時観察により,GFPでラベルされたp2前駆体細胞の大部分は,一度だけ分裂し,V2aとV2bニューロンを対で生むことが分かった。この結果は,V2aとV2bニューロンが一対のニューロンを生じる分裂,かつ非対称な分裂によって生じることを示している。さらに,Delta-Notchシグナリングの相互作用が姉妹細胞間で起こることが,この分裂が結果として非対称になるために重要な役割を果たしていることを示唆する結果も得られた。この細胞運命決定のメカニズムはショウジョウバエの神経母細胞が,非対称分裂によって二つの異なるニューロンを生じる場合と良く似ている。しかし,ショウジョウバエの場合と異なり,ゼブラフィッシュのp2前駆体細胞の分裂軸の方向は決まっていないことも分かった。これらの結果は,脊椎動物の神経発生において,一対のニューロンを生じる神経前駆体細胞の最終分裂が,分裂軸の方向性に依存しないメカニズムを介して,二つの異なるニューロンを生むことができることを示している。

 本研究は,脊椎動物の中枢神経系において,1つの神経前駆体細胞から非対称分裂により2つの異なるタイプのニューロンが再現的に生じることを示す初めての例である。哺乳類脳形成においても,1つの前駆体細胞によりニューロンペアを産生する例が知られている。そこにおいても,本研究で示されたように,Delta-Notchを介した姉妹細胞同士の相互作用により2つの異なるタイプのニューロンが生じる機構が存在するかもしれない。

 


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