生理学研究所年報 第29巻
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大脳皮質機能研究系

脳形態解析研究部門

【概要】

 脳形態解析部門では,神経細胞やグリア細胞の細胞膜上に存在する伝達物質受容体やチャネルなどの機能分子の局在や動態を観察することから,シナプス,神経回路,システム,個体行動の各レベルにおけるこれらの分子の機能,役割を分子生物学的,形態学的および生理学的方法を総合して解析する。特に,各レベルや各方法論のギャップを埋めることによって脳の機能の独創的な理解を目指している。

 具体的な研究テーマとしては,1)グルタミン酸受容体およびGABA受容体と各種チャネル分子の脳における電子顕微鏡的局在を定量的に解析し,脳機能との関係を明らかにする。2)これらの分子の発達過程や記憶,学習の基礎となる可塑的変化に伴う動きを可視化し,その制御メカニズムと機能的意義を探る。3)脳のNMDA受容体局在の左右差とその生理的意義を探る。4)前脳基底核,黒質−線条体ドーパミン系等の情動行動に関与する脳内部位のシナプス伝達機構および生理活性物質によるその修飾機構を電気生理学的手法を用いて解析し,それらの分子的基盤を明らかにする。5)大脳基底核関連疾患の治療法の確立のため,神経幹細胞移植による細胞の分化,シナプス再構築や神経回路の再建に関する形態学的および電気生理学的解析を行なう。6)シナプス−グリア複合環境の動的変化による情報伝達制御のメカニズムを明らかにする。

 

グルタミン酸受容体のシナプス内分布様式とそれらのシナプス伝達へ与える影響

足澤悦子,深澤有吾,松井広,重本隆一

 グルタミン酸性シナプス伝達は中枢神経系における主要な興奮性伝達機構である。これまでに電気生理学的手法や免疫電子顕微鏡法を用いてシナプス後膜に発現するグルタミン酸受容体の発現量や機能解析がなされてきた。しかし,シナプス後膜にグルタミン酸受容体がどのように分布し,それがシナプス伝達にどのように関わっているかは,技術的な限界のために不明な点が多い。そこで我々は,故藤本和教授(福井県立大学)により開発された凍結割断レプリカ免疫標識法 (SDS-digested freeze-fracture replica labeling, SDS-FRL) を改良し,ラット外側膝状体のリレー細胞に形成される機能的に異なる2種類のシナプスにおけるAMPA,NMDA受容体の2次元的な分布様式を解析した。その結果,これら受容体は,シナプス内で数個のclusterを形成し,シナプス内に不均一に分布していることが明らかになった。さらにSDS-FRL法より得られた実際のAMPA,NMDA受容体分布情報と各受容体のkinetic modelを用いたシミュレーションを組み合わせ,受容体局在とシナプス応答の関係を検討した結果,この不均一分布が個々のシナプス伝達の大きさの不均一性に与える影響は小さく,発現する受容体数に依存して個々のシナプス特性が規定されることか明らかになった。これらの結果により,シナプスは発現するすべてのグルタミン酸受容体がシナプス応答に寄与できるほど十分小さく,これによりシナプス応答が安定化されるように作られていることが示唆された。

 

小脳運動学習の記憶痕跡

王文,Wajeeha Aziz,足澤悦子,深澤有吾,重本隆一

 ある種の運動の学習が行われる過程で小脳における,平行線維―プルキンエ細胞シナプスの長期抑圧現象が関与することが知られている。しかし,実際に学習した動物において,このシナプスに存在するAMPA受容体数やシナプスの構造にどのような変化が起こるのかは知られていなかった。我々は,マウスの水平性視機性眼球運動をモデルとして一時間の学習で引き起こされる短期適応が,小脳片葉の平行線維―プルキンエ細胞シナプスにおけるAMPA受容体密度の減少を伴っていることを,凍結割断レプリカ標識法によって明らかにした。また,5日間連続の一日一時間の学習によって引き起こされる長期適応は,AMPA受容体ではなく平行線維―プルキンエ細胞シナプス自体の減少を伴っていることを明らかにした。これらの結果は,脳内に短期的に刻まれる記憶の痕跡が,長期的に安定化されるに従って,構造的な変化へと変換されることを示している。さらにこの変換に関わる分子メカニズムを解明することを目指している。

 

海馬における長期増強現象とグルタミン酸受容体の局在変化

深澤有吾,重本隆一

 脊椎動物の中枢神経系には,樹状突起スパインと呼ばれる突起状の構造にシナプスを形成する神経細胞が多く見られ,このスパインはアクチン細胞骨格に富む点で特徴的である。既にこのスパイン上に形成されるシナプスと,学習・記憶(神経可塑性),或いは神経疾患との機能的関連性を示す知見が多く得られているが,その分子機構は明らかにされていない。そこで,このスパイン内アクチン細胞骨格と,実際にシナプス伝達や神経細胞の興奮性の調節機能を担う細胞膜上機能分子の局在を明らかにし,さらにこれらがシナプス機能の変化に伴ってどの様に変化するのかを明らかにすることで,シナプス可塑性のメカニズムを解明しようと研究を行っている。

 この樹状突起スパインは長さ1ミクロンほどの構造物であり,その内部構造や細胞膜表面の分子分布を明らかにするには電子顕微鏡レベルの定量的な分子局在解析技術が必要である。そこで故藤本和教授(福井県立大学)により開発された凍結割断レプリカ免疫標識法(SDS-digested freeze-fracture replica labeling) を応用し,シナプス可塑性誘導前後の神経伝達物質受容体,イオンチャネル,開口放出関連タンパク質等の分子局在を解析している。

 これらの解析を通して,生物が進化の過程で獲得した高次脳機能が,どの様に達成されているのかを理解し,学習・記憶障害などの病理や治療法の開発へと繋がることを期待している。

 

樹上突起スパイン内アクチン細胞骨格系の可視化

深澤有吾

 脊椎動物の中枢神経系には,樹状突起スパインと呼ばれる突起状の構造にシナプスを形成する神経細胞が多く見られ,アクチン細胞骨格に富む点で特徴的である。既にこのスパイン内アクチン細胞骨格の動態と,学習・記憶(神経可塑性)との機能的関連性を示す知見が多く得られているが,その分布や調節機構は明らかにされていない。この樹状突起スパインは長さ1ミクロンほどの構造物であり,その内部構造や細胞膜表面の分子分布を明らかにするには電子顕微鏡レベルの定量的な分子局在解析技術が必要である。そこで,電子顕微鏡レベルの新規技術を駆使して,スパイン内アクチン細胞骨格を多角的に可視化し,その局在を詳細に捕らえることを目指している。具体的には,1) 従来通りの固定標本を試料として,電子顕微鏡断層撮影法を行い,その内部構造を可視化する。(国立精神・神経センター神経研究所 諸根信弘博士との共同研究),2) 凍結割断レプリカエッチング法を用いてスパイン細胞膜直下の裏打ち構造を可視化する。3) 培養神経細胞の無固定・無染色標本のスパインを位相差電子顕微鏡法で観察し,その内部構造を明らかにする(生理研・ナノ形態 永山國昭教授との共同研究)。

 これらの解析を通して,樹状突起スパイン内の微細構造を明らかにし,神経伝達関連分子の局在情報と合わせて考察する事で,シナプス機能の調節メカニズムを明らかにしたい。

 

海馬シナプスの左右差

篠原良章,川上良介,重本隆一

 脳の機能的な左右差はヒトでよく知られているが,その分子基盤はほとんど知られていない。我々は九州大学の伊藤功助教授らとの共同研究により,マウスの海馬NMDA受容体サブユニットNR2Bが左右の海馬の対応するシナプスで非対称に配置されていることを発見した。さらにシナプス形態や他のグルタミン酸受容体の左右差を調べたところ,CA1放射状層においては,右から入力を受けるシナプスが,左から入力を受けるシナプスに比べ,サイズが大きくmushroom typeのスパインが多く,AMPA型グルタミン酸受容体GluR1サブユニットの密度が高いことを発見した。NR1,NR2A,GluR2などその他のサブユニットは,これらのシナプスに同じ密度で分布しているが,サイズの違いから蛋白総量は右から入力を受けるシナプスの方で約1.5倍多くなっている。さらにこの非対称性の生理的意義を解明するために,左右の脳を分断したマウスで空間学習を調べたところ,右の海馬を用いた場合の方が,左の海馬を用いた時に比べ,学習能力が高いことが明らかになった。現在,これらの現象の因果関係を解明することを目指している。

 

Calyx of Held シナプス成熟過程における受容体配置の変化と機能

釜澤尚美,松井広,重本隆一

 脳における情報処理が正常に機能するためには,シナプス伝達効率の最適化が必要である。聴覚系のシナプスでは特に,数百 Hz 以上の速度で送られてくる信号を正確に伝達する機能が必要である。ラットでは,生後3週間で聴覚系の機能が完成するが,それまでの間にシナプスの成熟が迅速に行なわれる。我々はcalyx of Held(前蝸牛核神経終末端)とMNTB(台形体核)主要神経細胞が形成する巨大シナプスの発達過程に着目し,このシナプスにおける受容体配置の最適化の過程に,どのような戦略が用いられているのかを調べることにした。Calyx of Heldは杯状の形態を示し,MNTB細胞体上にグルタミン酸作動性シナプスを形成する。このシナプスは,凍結割断レプリカ像では,大きな細胞体とその周囲に密着した扁平な構造として観察されるため,受容体の2次元的配置を解析するのに適している。レプリカ標識法によるAMPA受容体・NMDA受容体に対する標識は,主要細胞の細胞体E-face上に存在する膜内粒子 (IMP) のクラスターとその周辺に認められた。生後1週間ではグルタミン酸受容体のクラスターのIMP密度は低く,抗AMPA単独,抗NMDA単独で標識されるクラスターと,両者に対する標識が混在するクラスターが観察された。生後3週間ではIMPクラスターの凝集密度は上昇し,NMDA受容体に対する標識はほとんど存在しなくなった。同様の発育段階のスライス標本で,MNTB主要細胞から電気生理学的記録を行ったところ,ひとつひとつのシナプス小胞の開口放出に対する応答(mEPSC)が検出され,AMPA受容体,NMDA受容体それぞれに由来する成分が確認された。今後,シナプス前終末のアクティブゾーン部位の形態学的な同定も試み,これらの知見と電気生理学から得られる情報を対比させ,さらに,伝達物質拡散の数理的シミュレーションも用いることで,発育にともなうシナプス後細胞の受容体配置の変化に加えて,前細胞のグルタミン酸放出部位とシナプス後細胞の受容体配置が空間的に制御される過程を明らかにすることを目指す。本研究を通して,聴覚系特有の高速なシナプス伝達を実現するための形態学的基盤を解明したい。

 

GABAB受容体とイオンチャネルの共存

Akos Kulik (University of Freiburg),深澤有吾,重本隆一

 脳内における主要な抑制性伝達物質であるGABAには,イオンチャネル型のGABAA受容体とG蛋白共役型のGABAB受容体が存在する。我々は,免疫電子顕微鏡法を用いて小脳,視床,海馬におけるGABAB受容体の異なる局在を報告してきた。GABAB受容体は海馬錐体細胞の樹状突起においてカリウムチャネルと共役し,ゆっくりとした過分極をおこすことがしられていたが,我々は,GABABR1とGIRK2サブユニットが,海馬錐体細胞の棘突起シナプス周辺で特異的な共局在を示すことを明らかにした。さらにGABAB受容体と電位依存性カルシウムチャネルやmGluR受容体とカリウムチャネルの共存について解明を目指す。

 

前脳基底核と黒質−線条体ドーパミン系の電気生理学的および形態学的解析

籾山俊彦

 前脳基底核は中枢アセチルコリン性ニューロンの起始核であり,記憶,学習,注意等の生理的機能と密接に関係するとともに,その病的状態としてアルツハイマー病との関連が示唆されている。現在アセチルコリン性ニューロンへの興奮性および抑制性シナプス伝達機構および修飾機構の生後発達変化につき,ニューロン同定の新たな手法を導入しつつ,電気生理学的解析,形態学的解析を行なっている。

 黒質−線条体ドーパミン系は随意運動調節に関与し,この系の障害とパーキンソン病等の大脳基底核関連疾患とが関係していることが示唆されている。脳虚血後のシナプス結合や神経回路の再建に関する基礎的知見はこれまで非常に少なかった。現在,線条体に虚血処置を加えたラットの新生細胞の分化,シナプス再構築について形態学的および電気生理学的解析を行なっている。

 

シナプス-グリア複合環境の動的変化による情報伝達制御

松井広

 シナプス前終末部から放出された伝達物質は細胞外空間を拡散し,その広がり方に従って,神経細胞間の情報伝達の特性は決定される(Matsui and von Gersdorff, 2006)。伝達物質の拡散を制御し,学習や記憶に重要とされるシナプス辺縁の受容体の活性化を制御できる格好の位置に,グリア細胞が存在する。我々は,シナプス−グリア複合環境の動的変化が,伝達物質濃度の時空間特性にどう影響するのか調べている。これまで,シナプス前細胞からグリア細胞のほうに向けて異所性のシナプス小胞放出があり,これがニューロン−グリア間の素早い情報伝達を担っていることを示してきた(Matsui and Jahr, 2006)。この情報伝達によってグリア細胞の形態や機能が制御されている可能性を,二光子励起イメージングによって解析している(Matsui, 2006)。グリア細胞によるシナプスの包囲率の相違が,シナプス伝達にどんな影響を与えるのかを,電気生理学・電子顕微鏡法も組み合わせて解明する。

 

大脳神経回路論研究部門

【概要】

 大脳皮質は多くの領域から構成され,それぞれが機能分担をすることで知覚,運動,思考といった我々の知的活動を支えている。大脳皮質がどのようにしてこのような複雑な情報処理をしているかは未だに大きな謎になっている。この仕組みを知るためには,皮質内神経回路の構造と機能を明らかにする必要がある。本部門では,皮質出力がどのように作られるという観点から,皮質局所回路の構築原理を解明することを目標としている。そのために,多様な皮質領域や皮質下構造に投射する前頭皮質を構成する錐体細胞・介在細胞のニューロンタイプを,分子発現・生理的性質・軸索投射・樹状突起形態など多方面から同定した上で,これらの神経細胞間のシナプス結合を電気生理学・形態学の技術を組み合わせて調べている。皮質振動現象におけるニューロンタイプの発火様式や,皮質外シナプス入力パターンの解析も併せて行うことで,大脳システムでの前頭皮質局所回路の機能的役割を理解したいと考えている。現在は主に,各ニューロンタイプの樹状突起上におけるシナプス配置,錐体細胞サブタイプ間のシナプス結合特性,非錐体細胞サブタイプから錐体細胞への神経結合選択性,徐波におけるニューロン活動様式を定量的に解析している。

 

大脳皮質非錐体細胞へのGABA作働性,非GABA作働性シナプス入力

窪田芳之,畑田小百合,関川明生,川口泰雄

 大脳皮質GABAニューロンであるパルブアルブミン細胞,カルレチニン細胞,ソマトスタチン細胞,サブスタンスP受容体細胞上のGABAと非GABA作働性シナプス分布を調べた。化学的マーカーに対する抗体を用いてサブタイプを染色・超薄切片作製後,包埋後免疫組織化学でGABA局在を同定し,電顕観察した。GABAシナプス密度はサブタイプによらずにほぼ一定である上に,細胞体・樹状突起上の部位にもあまり依存しなかった。一方,非GABAシナプス(おそらく大半は興奮性シナプス入力)の分布密度はサブタイプにより大きく異なっていた。非GABAシナプス密度は,高い方から,パルブアルブミン,サブスタンスP受容体,ソマトスタチン,カルレチニン細胞の順であった。カルレチニン細胞ではGABA終末と非GABA終末の分布密度はほぼ同じ位になっていた。皮質GABAニューロンへの興奮性入力はサブタイプごとに分化していると考えられる。

 

大脳皮質における興奮性結合の特異性

大塚岳,川口泰雄

 前頭皮質5層錐体細胞は電気生理的・形態的に多様であり,発火特性からは3種類に分類できる。我々は,発火特性を同定した2個の5層錐体細胞から同時記録し,2/3層錐体細胞をグルタミン酸投与で発火させ,同一2/3層細胞から共通入力を受ける確率が5層錐体細胞発火サブタイプの組み合わせやサブタイプ間のシナプス結合に影響されるのかを検討した。その結果,5層細胞が同一2/3層細胞から共通入力を受ける確率は,同じサブタイプペアーの方が異なるサブタイプペアーより高かった。さらに,同じ5層サブタイプペアーでは,シナプス結合があるものが無いものより共通入力確率が高くなった。一方,異なるサブタイプペアーが共通入力を受ける確率は5層間結合の有無に影響されなかった。以上の結果は,2/3層から5層への興奮結合が5層錐体細胞サブタイプやその結合に依存したサブネットワークを形成することを示唆する。

 

前頭皮質5層錐体細胞と抑制性細胞の結合特性

森島美絵子,川口泰雄

 これまでに,二種類の5層錐体細胞,橋核投射細胞(CPn細胞)と対側線条体投射細胞(CCS細胞)には固有の結合選択性があることを明らかにした。今年度は,FS細胞から二種類の錐体細胞への抑制性シナプス電流を解析した。トランスジェニック蛍光標識したGABA細胞からホールセル記録を行い,通電発火様式からFS細胞を同定した。CPn,CCS細胞は投射先からの蛍光逆行性標識で同定した。FS細胞からの抑制性電流の平均振幅,潜時,立ち上がり時間,減衰時間は二種類の錐体細胞サブタイプ間で差は見られなかった。FS細胞が錐体細胞に抑制性電流を起こす確率は,錐体細胞間興奮結合より高く,約25%であった。FS細胞に興奮性出力を送る錐体細胞では,標的FS細胞から抑制を受ける確率が興奮結合のないものに比べて高かった。FS細胞からCCS細胞への抑制性シナプス強度は,そのCCS/FS間の反回興奮結合の有無に依存していた。

 

抑制性ニューロンを選択的蛍光標識したラットによる大脳皮質GABA作働系の解析

平井康治,川口泰雄,柳川右千夫(群馬大学)

 大脳皮質GABA細胞が選択的に蛍光標識され,それらを錐体細胞から容易に区別できるラットを用いて脳切片標本でGABA細胞から記録し,特異的発現分子が知られていないニューログリアフォーム細胞の解析を行った。ニューログリアフォーム細胞の特有な発火様式を確認した上で,化学的マーカーを検索した。その結果,これらがアクチン結合蛋白質であるアルファ-アクチニン-2を選択的に発現することがわかった。そこで,GABA細胞蛍光標識の利点を生かして,パルブアルブミン,ソマトスタチン,VIP,コレシストキニン,カルレチニン,アルファ-アクチニン-2という,GABA細胞の細胞体に発現する6種類のペプチド・蛋白質の発現様式を定量的に調べた。GABA細胞の中での各物質の発現割合をみると,1層,2/3層,5層では9割以上,6層では9割近くのGABA細胞が6つのマーカーの内,少なくとも一つを持っていることがわかった。

 

アセチルコリン作用からみた大脳新皮質の層構造と海馬領域の相同性

Allan T. Gulledge,川口泰雄

 新皮質の5層錐体細胞は一過性のアセチルコリン投与に対して著明に過分極するのに対して,2・3層錐体細胞ではそれはみられなかった。アセチルコリンを海馬錐体細胞に一過性に与えるとCA3領域では過分極が見られなかったが,CA1領域ではムスカリン受容体,細胞内カルシウム上昇を介したSKチャネルによる過分極が起きた。新皮質では2・3層から5層錐体細胞への結合が主要な興奮性経路の一つなのに対して,海馬ではCA3からCA1錐体細胞へのシナプスが主な興奮経路であり,皮質外投射はそれぞれ5層とCA1錐体細胞が担っている。従って,アセチルコリンは層構造下位の興奮性細胞の発火を一過性に抑制し,皮質外への出力を遮断する可能性がある。アセチルコリン作用・皮質内経路・皮質外投射様式を合わせて考えると,新皮質2・3層錐体細胞はCA3錐体細胞に,5層のものはCA1のものに対応すると考えられる。

 

 

心理生理学研究部門

【概要】

 認知,記憶,思考,行動,情動などに関連する脳活動を中心に,ヒトを対象とした実験的研究を推進している。脳神経活動に伴う局所的な循環やエネルギー代謝の変化をとらえる脳機能イメーシング(機能的MRI)と,時間分解能にすぐれた電気生理学的手法を統合的にもちいることにより,高次脳機能を動的かつ大局的に理解することを目指す。特に,機能局在と機能連関のダイナミックな変化を画像化することにより,感覚脱失に伴う神経活動の変化や発達および学習による新たな機能の獲得など,高次脳機能の可塑性(=ヒト脳のやわらかさ)のメカニズムに迫ろうとしている。最近は,言語・非言語性のコミュニケーションを含む人間の社会行動の神経基盤とその発達過程に重点をおいて研究を進めている。

 

個人的に親近な場所と有名な場所の脳内表象

杉浦元亮,間野陽子,佐々木章宏,定藤規弘

 メディアで目にするような有名な場所と,日常生活を送る個人的に親近な場所とでは,心的表象は異なると考えられる。前者は主に典型的な写真や意味的情報で表象されているのに対し,後者では実際にそこで経験した自伝的出来事との関係が深いと考えられる。この心的表象の違いの神経基盤を明らかにするためにfMRI実験を行った。25名の健常被験者に個人的に親近な場所,有名な場所,未知の場所の風景写真を2回づつ提示し,場所の既知未知判断中の脳活動を測定した。個人的に親近な場所の認知と有名な場所の認知との際に,未知の場所を見ているときに比べて統計的有意に脳活動が上昇する領域を明らかにした。また個人的に親近な場所の認知時に有名な場所の認知時に比べて有意に活動が高い領域も明らかにした。さらに個人的に親近な場所の認知と有名な場所の認知それぞれについて1回目の呈示時に比べて2回目の呈示時に脳活動低下(adaptation:その領域がその場所に選択的な情報をコードしているかどうかの指標)が見られる領域も調べた。有名な場所の認知の際には主に左半球外側が賦活し,個人的に親近な場所の認知の際には両側大脳半球内外側広範に賦活が見られた。2条件を直接比較すると,有名な場所の認知の際には右側頭頭頂接合部及び頭頂葉内側に有意な活動両の差が見られた。一方adaptationは有名な場所の認知の際には主に左角回に,個人的に親近な場所の認知の際には右側頭葉内側に見られた。以上の結果から 1)個人的に親近な場所と有名な場所とでは脳メカニズム的にも異なる形で表象されていること,2)個人的に親近な場所の表象は右側頭頭頂接合部及び頭頂葉内側の関与で特徴付けられること,3)場所の既知未知判断に必要な,場所選択的な情報のコードは,有名な場所については左角回で,個人的に親近な場所については右側頭葉内側で,行われていることが示唆された。

 

ベンハムコマを用いた主観的色知覚の脳内表現の解析

田邊宏樹,森戸勇介,酒井朋子,定藤規弘

 「ベンハムコマ」と呼ばれる錯視を用いて,主観色の知覚に関する脳内処理機構を検討した。ベンハムコマによる主観色の生起については多くの心理実験がなされ末梢レベルの関与が主観色生起の主な要因と考えられてきたが,最近の研究では中枢レベルの関与も示唆されている。本研究では,機能的MRIを用いて,ベンハムコマによる主観色知覚時の大脳皮質視覚野の関与を,神経活動マッピングと活動領域間の有効結合(effective connectivity)解析により行った。実験はコマの回転速度と主観的な色の見えに関する実験(速度ベンハム実験)と物理色と主観色との比較に関する実験(色ベンハム実験)である。速度ベンハム実験では回転速度を上げていくと主観色が生じ,それらに対応して腹側視覚野の活動が強くなることが観察された。一方色ベンハム実験では主観色条件では物理色条件に比べて有意な脳活動の差は見られなかった。有効結合解析の結果,速度ベンハム実験においてはV1とV4の有効結合が色が見える条件で有意に高まり,色ベンハム実験においてはV4からV1への修飾効果が物理色に比べ主観色条件の方が大きかった。このことからベンハムコマにより主観色知覚が生じる際にはV1とV4の有効結合が重要であり,V4からV1へのフィードバック信号が大きく関与する可能性が示された。

 

対連合学習過程の脳内機構の解析

田邊宏樹,定藤規弘

 我々はこれまでに,連合学習を成立させる神経基盤について検討するため,遅延型対連合学習(PA)課題を遂行中の脳活動を機能的MRIにより計測し,上側頭溝前方部の活動が学習の初期に活動が高く学習が進むにつれて減衰すること,作業記憶のcomponentを示す遅延期間において両側の背外側前頭前野(DLPFC)と頭頂間溝(IPS),左腹外側前頭前野(VLPFC)の活動がみられること,さらに,これらの領域内で難しいPA課題の被験者の成績と相関するのはVLPFCのみであることを明らかにした。本年度はこの学習過程のモデルとしてレスコーラ・ワグナーモデルを改変したモデルを作成し,シミュレーションを行った。実データとシミュレーションの比較をすることにより各活動領域の役割についてさらに詳しく検討を行った。

 

ヒト線条体における社会的・金銭的報酬の処理

出馬圭世,齋藤大輔,定藤規弘

 自分が他者からどう見られているか(評判:reputation)は我々の普段の行動に多くの影響を持つ。他者からの「自分に対する良い評判」は,食事をおごる,同僚の仕事を手伝う,寄付をする,などの向社会的行動のインセンティブの一つであると考えられている。そこで,本研究では,「自分に対する他者からの良い評判は,金銭報酬と同様に脳の報酬系を賦活させる」という仮説を検討した。機能的核磁気共鳴装置(fMRI)内で,自分に対する良い評判と金銭報酬を知覚させると,報酬系として知られる線条体の賦活が共通して見られた。これは,他者からの良い評判は,報酬としての価値を持ち,脳内において金銭報酬と同じように処理されているということを示している。この結果は,様々な異なる種類の報酬を比較し,意思決定をする際に必要である「脳内の共通の通貨」の存在を強く支持しており,複雑なヒトの社会的行動の神経科学的理解への重要な最初の一歩である。

 

物語理解における感情変化の検出の神経基盤

米田英嗣,齋藤大輔,楠見孝(京都大学),定藤規弘

 物語を理解することは,時間,空間,因果関係,主人公の心的状態といった複数の次元を持った心的表象を,たえず更新することであると考えられる。この動的な心的表象は,状況モデルと呼ばれる。

 感情情報を含んだ物語を読むことで生成される状況モデルは,メンタライジングの神経基盤によって表象されるという仮説を確かめるために,fMRIを用いて検討を行った。23人の健常被験者が,3種類の異なった感情価を持つ状況説明文章と,先行する文章と一貫した同一のターゲット文から構成される文章を読んだ。つまり,ターゲット文を読むことによって状況モデルの更新を促す課題を用いた。ターゲット文に関連した脳活動は,メンタライジングネットワークの一部である背内側前頭前野と側頭極に加え,感情の評価に関連する外側前頭眼窩皮質において,ネガティブな感情価を持った状況の文脈を与えた場合に相関した。したがって,状況モデルの感情の次元は,感情評価の神経基盤とメンタライジングネットワークによって表象されていることが明らかになった。

 

他者の感情を認知する際の視点取得に関わる神経基盤の解明

間野陽子,原田宗子,杉浦元亮,齋藤大輔,定藤規弘

 視点取得は他者の知覚を取得し理解する能力であり他者の感情を認知する際に必要となる。我々は他者の感情に共感する際の視点取得の神経基盤をfMRIを用いて検討した。被験者は二文から成る状況文を読み,主人公の感情を忖度する課題を行った。一文目の主人公が二文目の出来事と同じ場所に存在する場所一致条件と,別の場所に存在する場所不一致条件を用いて視点取得のワークロードを実験的に操作した。被験者に提示される二文目は条件間で同じ内容に設定し文脈効果により変化する脳活動を計測した。その結果,場所不一致条件において主人公の感情を忖度する際の神経基盤が場所一致条件時と比較して後部帯状皮質と右側側頭頭頂連結部での賦活が確認された。後部帯状皮質は視点取得と感情語の評価に関連することが知られており,側頭頭頂連結部は他者の心的表象の理解と同様に空間的な視点取得に関与することが知られている。我々は後部帯状皮質と右側側頭頭頂連結部の両領域が他者の感情を認知する際の視点取得のワークロードに関与することを示唆する。

 

両手協調運動の非対称性・effective connectivity解析の適用:fMRI研究

牧陽子,Kevin Wong(統計数理学研究所),尾崎統(統計数理学研究所)
杉浦元亮,定藤規弘

 両手協調運動の運動形態による安定性の相違の神経基盤を調べる目的でfMRI実験を行い,多変量自己相関解析(Akaike causality model)のfMRI時系列データへの適用により,賦活部位間の関連性 (effective connectivity)を解析した。Akaike causality modelでは,状態の予測・遷移はノイズ(外部入力の分散)によって駆動される確率的なものと想定している。そこで,時系列相互間のノイズ寄与度 (the noise contribution ratio (NCR)) を賦活部位間の関連性の変数とした。

 対称運動時には,優位側運動領野から非優位側運動領野への寄与度は逆方向に比べて大きくなることから,非優位側の運動は優位側に依存して生成されることが示唆された。他方,非対称運動時には双方の寄与度に差が見られないことから,両側運動生成に依存関係は無く,独立して運動が行われることが示唆された。この研究により,先行研究で明らかにされていた皮質下経路に加えて,皮質における半球間相互作用が両手運動の安定性に関連していることが示された。

 

予告効果の神経基盤

谷中久和,齋藤大輔,定藤規弘

 研課題を行う際,ターゲットを提示する直前に予告刺激を提示すると,行動成績が向上することが知られている(予告効果,warning effect)。行動・電気生理・イメージングの先行研究から,予告効果は注意の警戒状態を引き起こし,運動処理を増進することが明らかにされてきた。しかし,これまでのイメージング研究では警戒状態と運動処理の増進に関連する領域は分けられていない。そこで,機能的MRIを用いて,予告刺激関連領域は警戒状態そのものに関連した領域と増進される運動関連領域に分けられるのではないかと考え,予告刺激付のGo/NoGo課題を用いて検討した。この結果,網様体を含む中脳が予告刺激に特異的に活動し,前帯状皮質,補足運動前野,視床,大脳基底核,島が予告刺激と運動実行の両方に関連して活動することが分かった。これら結果から,予告刺激は警戒状態そのものに関与した中脳網様体を通じて運動関連領域を活動させていることが示唆された。

 

聴覚−触覚の時間弁別に関与する神経基盤:機能的MRI研究

村瀬未花,Vanessa Krause (Heinrich Heine University of Duesseldorf, Germany)
河内山隆紀(国際電気通信基技術研究所),林正道,田辺宏樹,定藤規弘

 異なる感覚信号の同時性を認識することは,環境の一貫した知覚表象をつくるために重要である。本研究では,同時性を意識的に認識する際の多感覚領域の機能的役割を解明することを目的とし,この領域での不応期が同時性の知覚表象をコード化すると仮説を立て,機能的MRI研究を行った。MRI実験前に各被験者の同時性/非同時性の閾値を測定し,刺激間隔を被験者が同時であると感じられる間隔(閾値下)と,2つの刺激が非同時であると感じられる間隔(閾値上)に分類した。実験には同時性判別課題を用い,機能的MRI実験中被験者は,刺激を同時と感じたか,非同時と感じたかをボタン押しによって報告した。

 同時性/非同時性の閾値は,聴覚刺激が先行する課題で 59±22 ms,触覚刺激が先行する課題で74±19msであった。左下前頭回と後頭頂間溝は,閾値下のとき閾値上に比べ統計的有意な活動抑制を示した。これらの領域は聴覚刺激と触覚刺激が個々に提示された時にも活動する多感覚領域である。これらの結果は,多感覚領域である左下前頭回と後頭頂間溝が,異種感覚刺激(聴覚−触覚)の同時性の判断に重要な役割を担うことを示唆する。

 

注意が単語の無意識的処理過程に与える影響とその脳内機序

松本敦

 ヒトは様々な情報を意識的にだけでなく無意識的にも処理している。長い間,この無意識的な処理は注意などの意識的な処理とは独立に存在するという仮説が支持されてきた。そこで,実際に単語の無意識的な処理に対して注意が影響をあたえるのかどうかをfMRIを用いて検討した。単語が短時間呈示され,被験者はその単語の呈示に気付かず,意識的には同定されなかった。にもかかわらず,左半球の紡錘状回や,上側頭回などの単語の処理に関わるといわれている領域に活動がみられた。このことは単語が無意識的に処理されたことを示している。さらに,このような単語に対する無意識的な処理は,注意を喚起して,単語の呈示に注意を向けさせている時にのみ観察された。つまり,単語の無意識的な処理が注意の影響を受けない,という従来の説をくつがえしたことになる。また領域間の情報の連絡を調べた結果,注意を喚起することによって賦活した左半球の頭頂葉や前頭葉が上側頭回などの無意識的な処理をコントロールしていることが明らかになった。今後は注意だけではなく他の意識的な処理が無意識的処理に与える影響を検討していく予定である。

 

覚醒度の低下に伴う閉眼パタンの変化と脳活動

市川奈穂,脇田敏裕(豊田中央研究所),定藤規弘

 本研究では,覚醒度の低下(眠気)に伴う行動(課題パフォーマンス),末梢特徴(閉眼特性),脳活動 (fMRI)の相関関係をモデル化することを目的として実験を行った。実験参加者(20〜30代の男女20名)は,教示・練習の後,fMRIの中で単調な課題(Go/NoGo課題)を1時間半程度行い,脳機能画像の撮像と共に,アイ・カメラで眼の変化を記録した。行動及び末梢指標の結果として,一瞬目あたりの閉眼時間(WCET:Weighted Closed Eye Time)の延長と,反応時間の遅延との間に相関が見られることが示された。このような閉眼時間の延長傾向に関連する脳領域として,視床の賦活が高まるほど閉眼時間が短くなる,という負の相関が観測された。本研究では,覚醒度変化を反映し,外から観測し得る末梢指標である閉眼指標(WCET)が課題パフォーマンスの低下,および,上行性網様体システムの中間部にある視床の賦活と関連することを示した。また,今後予定されている,行動,閉眼特性,脳内メカニズムの高精度なモデル化に向けて,基盤となる研究成果を示した。

 


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