生理学研究所年報 第29巻  
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8.理論と実験の融合による神経回路機能の統合的理解

2007年11月29日−11月30日

代表・世話人:深井朋樹(理化学研究所 脳科学総合研究センター)
所内対応者:井本敬二(神経シグナル)

(1)
研究会の目指すところ
深井朋樹(理化学研究所 脳科学総合研究センター),井本敬二(神経シグナル)
(2)
同期スパイクの時間正確性に潜む神経回路基盤
池谷 裕二(東京大学・大学院薬学系研究科)
(3)
情報量最大化から見た神経ネットワークの回路構造と発火パターン
青柳富誌生(京都大学情報学研究科),
田中琢真,金子武嗣(京都大学医学研究科)
(4)
大脳皮質の神経結合特異性
吉村由美子(名古屋大学環境医学研究所・視覚神経科学分野)
(5)
Retinal spike bursts encode multiple quantities in a time-compressive manner
Toshiyuki Ishii1,2, Tomonori Manabe1 and Toshihiko Hosoya1
(1RIKEN Brain Science Institute)
(6)
眼優位性可塑性における抑制回路の動的役割:
発達過程における視覚皮質の計算モデル
姜 時友(理化学研究所 脳科学総合研究センター)
(7)
二種類の同期タイミングを識別する神経回路
井上 剛,井本 敬二(生理学研究所 神経シグナル研究部門)
(8)
ダイナミッククランプ実証システムの構築
−摂動応答実験とリアルタイムシミュレーションによるハイブリッド回路の実現−
青西亨,角田敬正,太田桂輔(東工大)
渡部重夫,宮川博義(東京薬科大)
(9)
眼球運動に誘発されるLFP 振動とスパイク活動の間の位相ロッキング
伊藤淳司,Pedro Mardonado, Sonja Gruen
(理化学研究所 脳科学総合研究センター
計算論的神経科学研究グループ Gruen 研究ユニット)
(10)
海馬CA1錐体細胞の細胞外電場に対する電位応答の観察と数理モデルによる解析
宮川 博義(東京薬科大学・生命科学部・脳神経機能学)

【参加者名】
深井朋樹(理化学研究所脳科学総合研究センター),小村豊(産総研脳神経情報研究部門),石金浩史,伊藤淳司,大森敏明,加藤英之,姜時友,竹川高志,坪泰宏,寺前順之介,細谷俊彦,森田賢治(理化学研究所脳科学総合研究センター),青西亨,太田桂輔,角田敬正(東京工業大学総合理工学研究科),深山理(東京大学情報理工学研究科),田嶋達裕(東京大学新領域創成科学研究科),池谷裕二,佐々木拓哉,高橋直矢(東京大学薬学系研究科),宮川博義,毛内拡(東京薬科大学生命科学部),荒木修,長門石晋,西垣泰宏(東京理科大学理学部),吉村由美子(名古屋大学環境医学研究所),田中基樹(名古屋大学医学部),神山斉己,斉藤広樹,桜木雄一郎(愛知県立大学情報科学部),北野勝則(立命館大学情報理工学部),伊賀志朗(京都大学工学部),田中琢真,藤山文乃,金子武嗣(京都大学医学研究科),青柳富誌生,太田絵一郎,野村真樹,青木高明(京都大学情報学研究科),宋文杰(熊本大学医学薬学研究部),木津川尚史,定金理,廣川純也(基生研),小泉周,井上剛,岩崎広英,窪田芳之,深澤有吾,坂谷智也,中川直,加瀬大輔,南雲康行,竹内雄一,久保義弘,川上良介,吉田正俊,平井康治,重本隆一,西尾亜希子,南部篤,宮田麻理子,井本敬二(生理研)

 

(1) 研究会の目指すところ

深井朋樹(理化学研究所 脳科学総合研究センター),井本敬二(神経シグナル)

 脳の情報処理を理解するためには,局所神経回路でどのような情報の伝達・処理・統合が行われているかを知ることが必要である。シナプス・神経細胞レベルの機能に関する知見は急速に増加してきているが,それらを総体的に把握しシステムとしての神経回路機能を理解するには,単に実験的データの集積ではなく,シミュレーションや,非線形動力学,情報統計力学などの理論的研究との融合が不可欠となってきている。

 本研究会は,主に脳スライスの電気生理的実験を行っている研究者と理論研究・シミュレーションを行っている研究者が一同に会し,それぞれの領域の現状,興味ある課題,方向性,問題点などを互いにぶつけ合い,研究連携を促進することを目的とする。

 研究領域を異にする研究者は,使用する用語がかなり異なることもあり,すぐに相互理解が深まるとは予想していないが,2〜3回継続することにより,共同研究に結びつくような連携が生まれてくるのではないかと期待している。

 

(2) 同期スパイクの時間正確性に潜む神経回路基盤

池谷 裕二(東京大学・大学院薬学系研究科)

 脳は多彩な個性をもつ神経細胞の集合体であり,それらは緻密なネットワークを構成し高度に組織化されている。近年急速に発展しつつある多ニューロンカルシウム画像法 functional Multineuron Calcium Imaging (fMCI)は,こうした神経ネットワーク活動を大規模に捉える実験技法である。fMCIでは,カルシウム蛍光指示薬を脳標本にバルク負荷し,神経細胞のスパイク活動に伴って生じる細胞内カルシウム濃度の一過性上昇を蛍光シグナル変化としてモニターする。つまり,神経活動をリアルタイムで可視化し,単一細胞レベルの空間解像度を保持した巨大なネットワーク活動の時空パターンを再構築することが可能である。

 我々はfMCIの時間分解能の向上に取り組んできた。現在では記録速度は最高2000 Hzにまで達し,ミリ秒単位で刻まれる神経活動へのアプローチが可能となった。そこで,この高速fMCIを海馬培養切片に適用し,CA3野における神経ネットワークの自発活動を記録した。再構築された時空パターンを解析した結果,集団レベルで同期した活動を示す動的な集合ダイナミクスが観察され,それらのサイズ分布はベキ則に従うことを明らかにした。また個々の神経細胞に注目した場合,細胞間での同期発火にはミリ秒レベルの高い時間正確性が保持されていることを見出した。「同期」は神経活動を特徴づける現象であり,脳における情報処理機能に大きく寄与することが示唆される。また回路システムの観点からも,不安定な出力素子である個々の神経細胞が高い正確性をもって協調した挙動を示すことは興味深い。

 そこで神経細胞が受ける入力と発火出力との関係に着目し,高い時間正確性を生み出すメカニズムの解明を試みた。まずfMCIを用いて細胞活動を可視化し,同期発火を示す細胞ペアを同定した上で,それらの細胞ペアからパッチクランプ記録を行った。記録された出力・入力のそれぞれの時系列パターンについて,発火同期性の定量化と細胞間での入力相関の算出を行い両者の関係を比較した。その結果,抑制性入力は発火同期性の高い細胞ペア,低いペアのいずれにおいても一様に高い相関を示すのに対し,興奮性入力は同期性の高いペアにおいてより高い相関を示した。したがって共通した興奮性入力が発火出力の同期性に関与することが伺える。このことをより詳細に検討するため,段階的に相関を保持した人工の興奮性入力パターンを作成し,この擬似入力を細胞に注入した際の発火応答を記録した。解析の結果,入力パターンの相関の増大に伴い細胞間の出力パターンの同期性が増大することを見出した。以上の結果は,ネットワークレベルで協調した活動を示す動的な細胞集団 (cell assembly) が背景レベルに存在し,細胞間レベルでの時間正確な活動が反映されていることを示唆している。

 

(3) 情報量最大化から見た神経ネットワークの回路構造と発火パターン

青柳富誌生(京都大学情報学研究科),田中琢真,金子武嗣(京都大学医学研究科)

 近年の実験技術の進歩により,活動中の神経スパイクパターンを複数同時記録することが可能となり,多数の興味深い実験データが集まっている。例えば,課題遂行中にスパイクの同期度が変化する現象や,自発発火活動中に繰り返し現れる特定のパターン (cortical song, synfire chain),間欠的な発火活動に特徴的な統計法則(scale-free性)がある事などである。一方,理論はこれらのデータに対して個別的なアプローチはあるが,十分な統一的説明を与えるまでには至っていないように思える。神経ネットワークがある法則に従い形成され機能している以上,その未知の法則を理論モデルに取り入れる事ができれば,広い範囲の実験事実が同じ原理で系統的に説明できると期待される。日々新たに報告される局所回路レベルの興味深い実験結果や個別にそれを説明する理論も提案されつつある今,統一的観点で理論研究を育む土壌はできていると言える。 本発表では,統一的観点で局所回路レベルの実験を説明し,神経ネットワークの形成過程や動作原理の理解をする事試みの一つを紹介する。その観点とは,情報表現から見た最適性を基準とした神経ネットワークの理解を試みるものであり,発火パターンの情報量最大化等の観点から神経現象を理解するトップダウン的アプローチと言える。fMRIなどのイメージングの研究では,強化学習というマクロなレベルの理論的枠組みで,報酬の期待値や予測誤差などが脳のどの領野で表現されているか,統計的手法を用いて検証し大きな成果を上げている。しかし,局所回路レベルでの対応するマクロな理論の活用に関しては,系統的研究はほとんど無いように思える。ここでは,局所回路レベルでのマクロなトップダウン的理論として,神経系のネットワーク構造は,発火活動パターンの情報量の減少を最小にする様に決められる(情報量損失の最小化)を第一の仮説として検証する。これはフィードフォワードの層状神経回路の系では適用例があるが,リカレントネットワークに理論的に適用した例は,原理的な難しさから今まで無かった。しかし,予備的研究ではこの困難を一部克服してシナプス結合の学習則を導出できた。この理論的枠組み(我々はこれを Recurrent Informaxと呼びたい。)を元に,様々な条件でどのようなネットワーク構造が現れ,その発火活動は如何なる特徴があるのか系統的に調べた。外部刺激がある場合,視覚刺激の場合では,ニューロンは視覚野に見られるシンプルセルと同様の刺激選択性を示すようになる。興味深いのは,外部入力のない自発発火状態で同様の原理を適用すると,最終的に形成されるネットワークは,特定の繰り返し発火パターンや,間欠的に生じるバースト発火の規模が冪分布を示す(scale-free性)など観測事実と合致する発火パターンが自己組織的に出現する点である。強調したいことは,刺激を処理する神経ネットワークや外部入力のない自発発火状態の神経ネットワークの両者の多様な発火特性を,一つの原理(情報量損失最小化)で同時に説明できる点である。

【キーワード】
・cortical song:自発発火状態の神経系に於いて繰り返し出現するある決まった発火パターン,およびその組み合わせ。

・synfire chain:ニューロンの同期的な発火の集合がニューロン群の間を連鎖的に伝搬する現象

・scale-free:ここでの意味は,例えばバースト発火に関与しているニューロン数k の頻度分布が p(k) µ k-g のべき乗則に従うことを言う。このような分布では,分布の偏りを特徴付ける平均的な尺度(スケール)といったものが存在しない。ちなみに,スケールフリーネットワークとは,あるノードが持つ枝の総数がべき乗則に従うものである。

・情報量最大化:例えば二つの神経活動パターンX,Yを考えたとき,その相互情報量を最大化すること。直観的には,相互情報量はXとYが共有する情報量の尺度である。一方の変数を知ることでもう一方をどれだけ推測できるようになるかを示す。例えば,XとYが独立であれば,X をいくら知ってもYに関する情報は得られないし,相互情報量はゼロである。逆に,XとYが同じであれば,XとYは全情報を共有していると言う事ができ,Xを知ればYも知ることになり,逆も同様である。

・フィードフォワードネットワーク:結合を辿ったときループする結合を持たず,入力ノード→中間ノード→出力ノードというように単一方向へのみ信号が伝播するもの

・リカレントネットワーク:結合を辿っていったとき再帰的なループを許したネットワーク

 

(4) 大脳皮質の神経結合特異性

吉村由美子(名古屋大学環境医学研究所・視覚神経科学分野)

 大脳皮質一次視覚野は,その複雑な神経回路を基盤として視覚情報処理を実現している。その神経回路を解析するために,我々は,ラット視覚野のスライス標本において,ケージドグルタミン酸による局所刺激法と,2細胞同時ホールセル記録法を組み合わせて実験を行った。スライス標本上の近傍にある2個の2/3層錐体細胞からホールセル記録を行い,記録した細胞間に機能的なシナプス結合があるかを調べた結果,約20%のペア間で興奮性結合が観察され,残りのペアでは興奮性結合はみられなかった。細胞ペアに対する共通の入力源の有無を調べるために,ケージドグルタミン酸を用いてスライス標本上の数百箇所の部位を局所的に刺激し,各細胞ペアに誘発された興奮性シナプス後電流 (EPSC) に時間相関解析を適用した。記録している2個の細胞間に神経結合が見られた場合には,2/3層内の別の細胞や4層から高い割合で共通の興奮性入力を受けていたが,直接結合していないペアではこのような共通入力は稀だった。一方,5層から2/3層への共通入力の割合は,2/3層細胞ペアの結合の有無にかかわらず,一定であった。

 また,2/3層の抑制性細胞とその近傍にある興奮性細胞のペアについても同様な解析を行った。抑制性細胞のサブタイプの一つであるfast-spiking細胞(FS細胞)と錐体細胞間の神経結合を解析した結果,半数以上のペアではFS細胞が錐体細胞に抑制性入力を与えていた。錐体細胞がFS細胞に興奮性入力を与えている確率はサンプル全体の約2割だったが,そのほとんどすべてがFS細胞からも入力を受けており,非常に高い結合特異性を示した。上述したケージドグルタミン酸を用いた神経回路解析を行った結果,双方向性に結合がみられたペアでは,別の2/3層錐体細胞および4層からの興奮性入力を高い割合で共有していた。結合がないペアや抑制性結合しかみられないペアでは,両細胞への共通入力は稀であった。

 以上の結果より,1) 2/3層内および4層から2/3層への興奮性結合は,近傍の錐体細胞やFS細胞からなる特定の神経細胞群を選択的に結合することによって従来報告されている機能コラムよりもはるかにファインスケールのサブネットワークを形成し,おそらく特異性の高い情報処理計算を実行していること,2) 5層からの興奮性入力は複数のサブネットワークにまたがっており,非特異的あるいは統合的な調節をしていること,が示唆された。視覚野内の層構造や機能コラムの中にさらに独立な計算単位となるサブネットワークが埋め込まれており,皮質の局所神経回路がこれまで考えられてきたよりもはるかに精密な機能的ネットワークの組み合わせと,それを統合する回路によって構成されている可能性が考えられる。

【キーワード】
・ケージドグルタミン酸よる局所回路解析法:UV光照射によりグルタミン酸を放出するケージドグルタミン酸でスライス標本を灌流した状態で,解析対象の細胞をホールセル記録する。スライス標本上にUVスポット光を局所的に照射すると,その照射部位近傍に細胞体をもつごく少数の神経細胞が発火する。発火した神経細胞が記録細胞に興奮性入力を与えている場合には,記録細胞にEPSCが生じる。

 

(5) Retinal spike bursts encode multiple quantities in a time-compressive manner

Toshiyuki Ishii1,2, Tomonori Manabe1 and Toshihiko Hosoya1
(1RIKEN Brain Science Institute)

 Spike bursts, generated by neurons in many parts of the brain, are assumed to encode a single time-varying quantity. Supporting this idea, bursts generated by retinal ganglion cells encode the stimulus amplitude using the number of spikes. We found, however, that the combinations of interspike intervals (ISIs) of retinal bursts differ depending on the preceding visual stimulus. When a burst has three spikes, the two ISIs encode two independent aspects of the stimulus. Although of only a few milliseconds' duration, the ISIs encode stimulus features extending to hundreds of milliseconds. Further, these burst patterns are accurately transmitted to the lateral geniculate nucleus. Spike bursts in single retinal ganglion cells therefore transmit at least three time-varying quantities, with the conveyed message compressed in time by two orders of magnitude. These results raise the possibility that neurons in many brain areas communicate multiple, as-yet unidentified information components using burst patterns.

【キーワード】
・Burst: Brief bursts of high-frequency spikes, typically composed of a few spikes generated within tens of milliseconds separated by much longer periods of silence.

 

(6) 眼優位性可塑性における抑制回路の動的役割:
発達過程における視覚皮質の計算モデル

姜 時友(理化学研究所 脳科学総合研究センター)

 一次視覚野錐体細胞における眼優位性は,発達過程に自己組織化されることが知られている。矢崎陽子・ヘンシュ貴雄らは,一次視覚野両眼性領域における細胞内記録を行い,臨界期に記録細胞とは反対側の眼に施した単眼遮蔽の効果が,閾値下膜電位よりもスパイク応答に対してより大きな変化を生じさせることを明らかにした。また,引き続き細胞内にGABAブロッカーであるピクロトキシンを注入し抑制入力を阻害することによって,それらが眼優位性の維持において重要な役割をもたらすことを明らかにした。何よりも,発達過程における単眼遮蔽の程度に応じた経験依存可塑性が,視床から錐体細胞および介在細胞への入力が協調的に変化することによって生じる可能性が示唆された。実際に記録されたスパイク応答を再現するようなシナプス変化の詳細について明らかにすることが求められるが,一般に生体内においてそれらを記録することは非常に困難である。そこで我々は,視覚皮質神経回路のモデルを構築し計算機実験を行うことによって,経験依存可塑性がどのようなシナプス変化によって実現されるのかを調べた。具体的には,マルチコンパートメントから成る錐体細胞を用意し,その樹状突起には視床からの興奮性入力を,細胞体には介在細胞からの順行性抑制入力をうける回路モデルを用いた。この回路網において,錐体細胞および介在細胞への視床−皮質シナプス荷重を様々に変えることによって,実験によって得られたスパイク応答を最もよく再現する領域を調べたところ,視床から抑制細胞への興奮性入力が動的に変化することによって,その抑制細胞から抑制入力を受ける錐体細胞における眼優位性が実現できることを明らかにした。本発表では,生体内細胞内記録と計算機実験を相補的に行った結果を紹介し,双方から得られた知見から一次視覚野錐体細胞の眼優位性活動において経験依存可塑性を生じさせる局所回路の様式を同定できるということを示す。

【キーワード】
・眼優位性 (Ocular dominance; OD):両眼性の応答を示す細胞における左右眼への視覚刺激に対する応答の優位性。

・単眼遮蔽 (Monocular deprivation; MD):視覚刺激の経験が一次感覚野の形成に及ぼす影響を調べるために,単眼への視覚入力を外科的あるいは薬理的に阻害する操作。

・経験依存可塑性:視覚刺激等の感覚入力の経験に依存した可塑性

 

(7) 二種類の同期タイミングを識別する神経回路

井上 剛,井本 敬二(生理学研究所 神経シグナル研究部門)

 脳神経回路は,神経細胞とシナプスによって構築され,その回路構造に従って信号処理が行われる。すなわち,「どのような神経回路配線が,どのような信号処理を行うことができるのか」その構造―機能連関を明らかにすることは,神経回路研究において重要な課題である。我々は,視床―大脳皮質神経回路に注目し,この問題に取り組んでいる。

 感覚入力(視覚・聴覚・体性感覚)は,視床に一旦集約し,大脳皮質へと運ばれる。視床―大脳皮質間の信号伝達が効率的に行われるために,視床からの入力が”同期”する必要があることは良く知られている。しかしながら,「どのような神経回路配線があれば,同期信号は効率的に大脳皮質に伝わるのか」に関して,未だ十分に明らかにされていない。

 この神経配線基盤を明らかにするため,まず我々は視床と大脳皮質が連結した脳スライス標本を用い,複数の視床細胞から複数の大脳皮質4層細胞へのシナプス配線図を調べた。大脳皮質細胞からトリプルパッチクランプ記録下,視床細胞の単一線維刺激を行うことにより,この問題にアプローチした。その結果,「複数の視床細胞が同じフィードフォワード抑制回路を共有する」という,特徴的なフィードフォワード抑制回路が存在することを見出した。

 次に,視床―大脳皮質間の同期信号の伝達における,この抑制回路の役割を調べた。ダイナミッククランプ法を併用してハイブリッド神経回路を構築することにより,この問題にアプローチした。その結果,この抑制回路内に存在する fast-spiking cell(FS細胞)が過分極状態にある場合,時間のずれた同期入力 (synchronous but time-lagged input) が大脳皮質細胞を効果的に興奮させることがわかった。逆にFS細胞が脱分極状態にある場合,正確に同期した入力 (coincident input) が大脳皮質細胞を効果的に興奮させた。

 これらの結果は,FS細胞の膜電位に応じて,二種類の同期入力のどちらかが視床から大脳皮質へ効率的に伝わることを示している。言い換えると,我々がその存在を明らかにした抑制回路は,二種類の同期タイミングを識別する能力を持っている。

【キーワード】
・フィードフォワード抑制回路:単シナプス性興奮経路に多シナプス性抑制経路がくっついた神経回路。二つの経路は同じ細胞に起因するため,受け手の細胞は興奮入力を受けた後,すぐに抑制入力を受けることになる。

・ダイナミッククランプ法:パッチクランプ法などを用いて膜電位記録された細胞に対し,コンピュータシミュレーションを用いて人工的な膜電流・シナプス電流を与える方法。この方法を用いると,リアルな細胞・シナプスと人工的な細胞・シナプスが組み合わさったハイブリッド回路を構築することが可能となる。

 

(8) ダイナミッククランプ実証システムの構築
−摂動応答実験とリアルタイムシミュレーションによる
ハイブリッド回路の実現−

青西亨,角田敬正,太田桂輔(東工大)
渡部重夫,宮川博義(東京薬科大)

 標本とは全体の中から取り出し観察・調査を行う一部分である。科学で重要なのは,如何に「標本」を作るかである。知りたい現象を保存しつつ単純であることが理想である。理想的な標本があれば,実験による観測が容易で有用なデータが得られる。また,単純であれば数理モデルの構築が容易で理論的理解が進む。脳科学,特に局所回路研究で,実験と理論の観点から理想的な標本を作る手段は存在しないであろうか。その有力な手段の1つが「ダイナミッククランプ」である。

 ダイナミッククランプとは制御工学のフィードバックシステムの拡張である。リアルタイムに「数理モデル」の数値計算を実行しながら,細胞の膜電位を測定してそれを数理モデルに入力し,数理モデルの出力を電流として細胞にフィードバックする。例えば本物の細胞のイオンチャネルを数理モデルで置き換えたり,細胞同士を仮想シナプスで結合して仮想回路を構築したり,数理モデルで構築した仮想細胞と本物の細胞のハイブリット回路が構築できる。すなわち,コンピュータシミュレーションにおける数理モデルを本物の細胞に置き換えたことに対応し,パラメータが自由に設定できる理想的な「標本」を作ることが可能である。ダイナミッククランプは理論的研究と実験的研究の媒介となる。

 しかしながら,日本でダイナミッククランプを使用している研究グループは数グループしか存在しない。そのほとんどは外国人研究者が開発したシステムを用いている。この技術は局所回路研究でのブレークスルーをもたらす可能性を秘めているので,日本独自でこの技術を開発することは意義深い。

 我々は,ダイナミッククランプの実証システムを構築した。計算機はCeleron M 1.6GHz,AD-DA変換器を搭載し,インターフェイス回路を経由して電気生理用アンプと接続した。OSはRed Hat Linux 9のkernel-2.4.20にRTlinux3.2-pre2のパッチをあてリアルタイム化したものである。この構築したシステムを用いて以下に示す2つのベンチマーク実験を行った。

実験1:ダイナミッククランプの利点として,コンピュータシミュレーションでしか行えなかった複雑なプロトコールの摂動応答実験を本物の細胞で実行できる点がある。我々はベンチマークとして,海馬CA1錐体細胞の位相応答曲線の測定をダイナミッククランプで行った。(注:位相応答曲線の詳細は講演で)

実験2:介在細胞のFast Spiking (FS) 細胞の数理モデルと海馬CA1錐体細胞のハイブリット回路を構築した。FS細胞モデルのNaチャネルの活性化ゲートの時定数は最小でであり,通常の数値積分法(オイラーやルンゲクッタなど)では時間刻みを十分に小さくしないと安定した結果が得られない。よって,膨大な繰返し計算が必要であり,リアルタイムに数値計算を実行するのは困難である。そこで,我々は「指数オイラー法」を用いてFS細胞モデルのリアルタイムシミュレーションを行った。図2に生理実験の結果を示す。錐体細胞のスパイク発生直後,FSモデルがスパイクを発生し,仮想GABA入力により錐体細胞が過分極している。

 最後に,お前たちは「箱庭」を作っているだけだと批判する人がいるのは事実である。しかし,この世に「箱庭」を研究しない科学は存在しない。「箱庭」=「標本」=「モデル」であることを強調しておく。

 

(9) 眼球運動に誘発されるLFP振動と
スパイク活動の間の位相ロッキング

伊藤淳司,Pedro Mardonado, Sonja Gruen(理化学研究所 脳科学総合研究センター
計算論的神経科学研究グループ Gruen 研究ユニット)

 我々は通常,1 秒間に約4回の頻度でサッカードと呼ばれる急速な眼球運動を行っているが,それに伴う視覚刺激の揺動はほとんど感じられることはない。これはサッカード抑制と呼ばれ,サッカード中の視覚刺激を抑制する働きによるものとされているが,その具体的なメカニズムはいまだ明らかになっていない(ただし[1]を参照)。これに関連して,古くから眼球運動に由来する視床・皮質の神経活動が調べられてきたが,その中で,サッカードに由来する一過性の局所電位 (local field potential, LFP) 振動が外側膝状体や視覚皮質において見られることが明らかにされている。この振動的活動は暗視条件や盲状態においても観察されることから,網膜からの視覚刺激とは独立に,眼球運動に関する信号が視床・皮質に到達していることを示していると考えられる。視覚皮質におけるLFP振動に関しては,ガンマ帯域振動 (30-100 Hz) の同期現象が広く知られており,視覚刺激の結びつけ問題やコーディングの問題との関連から活発に研究されている[2, 3]

 しかしながら,それらの研究で見られる顕著なガンマ帯域活動は,実験室内で広く用いられているmoving grating などの視覚刺激では容易に誘発されるものの,自然の風景や動物やオブジェクト等を含む複雑なシーンの知覚においてはあまり誘起されない。そのような動物や人間の日常活動における自然な状態により近い条件において支配的なのは,10-30 Hz程度の周波数を持つ,よりゆっくりとした振動活動であり,その中には上記の眼球運動に由来する振動活動も含まれる。これらの振動活動が視覚情報処理において担っている機能的意義についてはまだほとんど理解されていない。

 これらの知見を踏まえて本研究では,眼球運動に由来するLFP振動が視覚皮質における情報処理に及ぼす影響を明らかにすべく,サルが自然イメージを自由に(即ち眼球運動を行いながら)眺めている状態におけるprimary visual areaの神経活動を計測し,LFPの振動活動と個々のニューロンのスパイク活動を,特に振動の位相とスパイク発火タイミングとのロッキング(同期)の観点から分析した。

 サッカードによって誘発されるLFP振動は潜時約100 msのpositive peakを持ち,これはニューロンの平均発火頻度のピークとほぼ同時である。サッカード終了時(=固視開始時)以降に生じたスパイク,すなわち固視時の視覚刺激に由来すると考えられるスパイクについて,LFP振動の位相とのロッキングの程度を解析したところ,有意なロッキングは固視開始後のどの時間帯においても見出されなかった。しかしながら,固視開始後に生じた「最初の」スパイク (first spikes) に限って解析を行ったところ,固視開始後約70 msにおいて非常に有意なロッキングが検出された。サッカードの平均持続時間は約30 msであるため,このタイミングはLFP振動のpositive peakの潜時と一致する。このようなfirst spikesのみに見られるLFP振動とのロッキングという現象は,Sorpeらによって提唱されている,スパイク潜時を用いた情報のコーディング仮説 (latency coding hypothesis) との関連が想起される[4]。これに関連して,最近FriesらがLFPのガンマ帯域振動による発火率コーディングから潜時コーディングへの変換というアイデアを提唱しているが[3],本研究の結果からは,眼球運動に由来する16 Hz程度の周波数をもつ振動活動が,潜時コーディングへの変換,もしくは潜時推定のための基準時の設定に関してより重要な役割を果たしていることが示唆される。

参考文献
[1] Lee PH et al. (2007) PNAS 104:6824-6827.
[2] Engel AK et al. (2001) Nat Rev Neurosci 2:704-716.
[3] Fries P et al. (2007) Trends Neurosci 30:309-316.
[4] VanRullen R et al.(2005) Trends Neurosci28:1-4.

 

(10) 海馬CA1錐体細胞の細胞外電場に対する電位応答の観察と
数理モデルによる解析

宮川 博義(東京薬科大学・生命科学部・脳神経機能学)

 脳において情報は多数の神経細胞の集団的活動として表現されているとする考え方があります。この視点から神経活動を理解しようとするとき,神経細胞に活動を誘起する機序と,神経細胞間の活動の同期・非同期等の関係を決定する機序を知る必要があります。従来,興奮性および抑制性のシナプス入力の統合によってこれらを理解しようとしてきました。しかし,神経細胞間の非シナプス的な相互作用も視野に入れ,シナプスを介する相互作用と合わせて理解する必要があると思います。私は化学的および電気的な二種類を想定して非シナプス相互作用の可能性を調べています。本発表では海馬錐体細胞樹状突起の電気的特性に基づく相互作用の可能性を議論したいと思います。

 発生原因は未だよくわからないながら,脳内にはq 波などの脳波が存在し,その際の電位勾配が神経細胞に対して何らかの影響を及ぼしている可能性があります。また,シナプス電流や樹状突起スパイクなどの発生に伴って局所的な電場が発生し,近隣の神経細胞がその影響を受ける可能性があります。そこで,海馬スライス標本のCA1野に,錐体細胞の樹状突起に平行な方向に直流あるいは交流の弱い電場を負荷し,その際の電位応答を電気生理学的手法と高速電位イメージング法を用いて観察してみました.その結果,直流電場に対して,細胞体部ではゆっくりした1相性の,樹状突起先端部では2相性の応答が記録されました。また,交流電場に対しては,細胞体部では周波数に対して一様に応答の大きさが変化するのに対して,樹状突起先端部では特定の周波数に対して応答が最大になることを見出しました。

 これらの応答は従来の単純な理解では解釈のつかないものであったので,その原因を説明しうる仮説を得るために数理モデルを用いたシミュレーションを行いました。その結果,受動的膜特性を持つケーブルの一端の膜抵抗を他の部分の膜抵抗よりも低くしておいて細胞外に直流あるいは交流の電場を負荷すると,実験的に得られた膜電位応答の特徴が再現されることを見出しました。この結果は,海馬CA1錐体細胞の樹状突起先端部の膜抵抗が他の部位よりも低くなっていることを示唆しています。実は,この可能性は以前から,電流注入に対する応答の電気生理的手法による測定(Stuart & Spruston, 1998),及びシナプス後電位の伝播の電位イメージングによる測定の結果(Inoue et al., 2001; Omori et al., 2006)に基づいて示唆されており,我々の研究は,その可能性を電場刺激に対する応答を解析することによって確かめたことになります。先端部の低膜抵抗の原因となるイオンチャネルの実体の解明はこれからの課題です。

 モデルシミュレーションの結果は,一端の膜抵抗が低いケーブルでは,細胞外電位勾配刺激に対する応答の振幅が,逆端において大きくなることを示しています。以上の研究の結果は,海馬CA1錐体細胞が細胞外電位勾配を検出するのに適した電気的特性を有すること,また,振動性細胞外電位に対して好適周波数が存在することを示しています。すなわち,脳波の位相によってシナプス応答の有効性が影響を受ける可能性や,錐体細胞自身の発生する電場を介して錐体細胞間が相互作用する可能性を示唆しています。

 


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