生理学研究所年報 第29巻
 研究会報告 年報目次へ戻る生理研ホームページへ

15.認知神経科学の先端
「注意と意志決定の脳内メカニズム」

2007年10月11日−10月12日
代表・世話人:小川 正(京都大学大学院医学研究科認知行動脳科学)
世話人:吉田正俊(生理学研究所認知行動発達研究部門)
所内対応者:伊佐 正(生理学研究所認知行動発達研究部門)


(1)
脳損傷患者における注意と意思決定
鈴木匡子(山形大学大学院医学系研究科高次脳機能障害学)
(2)
注意のトップダウン制御原理−次元加重,課題構え,探索モード
熊田孝恒(産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門)
(3)
行動価値予測の誤差とリスク−行動適応における前頭前野内側部の役割
松元まどか(理化学研究所脳科学総合研究センター)
(4)
注意が意思決定に変わるとき−変換場としての頭頂連合野機能
小川正(京都大学大学院医学研究科認知行動脳科学)
(5)
情動に基づく意思決定のための大脳基底核関連回路
中原裕之(理化学研究所脳科学総合研究センター)
(6)
社会的状況における意思決定のメカニズム
春野雅彦(国際電気通信基礎技術研究所脳情報研究所)
(7)
ヒトにおける金銭的価値の脳内表現−機能的MRIによる神経経済学的研究」
筒井健一郎(東北大学大学院生命科学研究科脳情報処理分野)
(8)
意思決定の適当さ
渡邊克巳(東京大学先端科学技術研究センター)

【参加者名】
網田英敏(北海道大学行動知能学講座),市川奈穂(生理学研究所),中田大貴(名古屋大学医学部保健学科),綾部友亮(生理学研究所感覚運動調節研究部門),小早川睦貴(昭和大学医学部神経内科),岡田貴裕(大阪大学生命機能研究科認知脳科学研究室),武田景敏(昭和大学神経内科),福永浩介(早稲田大学スポーツ科学研究科スポーツ神経科学研究室),水口暢章(早稲田大学大学院スポーツ科学研究科スポーツ神経科学研究室),宮崎由樹(中京大学大学院心理学研究科),土井隆弘(大阪大学大学院生命機能研究科脳神経工学講座認知脳科学研究室),仁木和久(産業技術総合研究所脳神経情報研究部門),楠井慶昭(バイエル薬品株式会社専門治療薬事業部マーケティング中枢神経系),近添淳一(東京大学統合生理学教室),則武厚(玉川大学脳科学研究所),綱田丈二(北海道大学医学研究科),佐々木亮(順天堂大学生理学第一),出馬圭世(生理学研究所・心理生理学研究部門),庄野修(株式会社ホンダ・リサーチインスティチュート・ジャパン),横井功(生理学研究所感覚認知情報部門),三浦健一郎(京都大学・ナノメディシン融合教育ユニット),郷田直一(生理学研究所),森健之(国立精神神経センター武蔵病院放射線診療部)佐々木哲也(基礎生物学研究所・脳生物学研究部門),青木佑紀(奈良先端科学技術大学院大学),小川昭利(理化学研究所脳科学総合研究センター象徴概念発達研究チーム),山田洋(京都府立医科大学),渡邊正孝(東京都神経科学総合研究所),河村章史(岐北厚生病院),山代幸哉(生理学研究所感覚運動調節研究部門),池田琢朗(生理学研究所認知行動発達研究部門),加藤利佳子(生理学研究所認知行動発達研究部門),山田大輔(国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第4部),吉田岳彦(沖縄科学技術大学院大学銅谷ユニット),鹿内学(奈良先端科学技術大学院大学),内山仁志(鳥取大学大学院生命科学研究科),藤原寿理(東北大学大学院生命科学研究科脳情報処理分野),原澤寛浩(脳科学総合研究センター理論統合脳科学研究チーム),渡辺秀典(玉川大学脳科学研究所),矢野有美(奈良先端科学技術大学院大学),関和彦(生理学研究所認知行動発達研究部門),桑島真里子(北海道大学医学研究科認知行動学分野),大鶴直史(総合研究大学院大学生命科学研究科),荒木修(東京理科大学理学部応用物理学科),柴田智広(奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科),田嶋達裕(東京大学大学院新領域創成科学研究科),平井真洋(生理学研究所感覚運動調節研究部門),下村智斉(中京大学大学院心理学研究科),足立信夫(松下電器産業(株)先端技術研究所),速水則行((株)豊田中央研究所),近藤正樹(昭和大学神経内科),石津智大(慶應義塾大学社会学研究科心理学専攻),吉田慎一(厚生連昭和病院),千歳雄大(京都大学医学部),伊藤南(生理学研究所),宇賀貴紀(順天堂大学),野沢真一(東京工業大学),浅川晋宏(生理学研究所),坂野拓(生理学研究所感覚認知情報部門),定金理(基礎生物学研究所),林正道(生理学研究所心理生理),鴻池菜保(京都大学霊長類研究所),渡辺昌子(生理学研究所感覚運動調節),橘吉寿(生理学研究所生体システム),西尾亜希子(生理学研究所感覚認知情報),斉藤紀美香(生理学研究所認知行動発達研究部門),藤井猛(生理学研究所心理生理),高原大輔(生理学研究所生体システム),二宮太平(大阪大学),岩室宏一(生理学研究所生体システム),松茂良岳広(生理学研究所感覚認知情報),鯨井加代子(生理学研究所感覚運動調節),西春拓也(生理学研究所生体恒常機能),野間陽子(生理学研究所心理生理),岡さち子(生理学研究所感覚運動調節),山森哲雄(基礎生物学研究所),橋本章子(生理学研究所感覚運動調節),浦川智和(生理学研究所感覚運動調節),牧陽子(生理学研究所心理生理)

【概要】
 人間の心の仕組みを脳を起点にして明らかにすることを目指す認知神経科学は,神経生理学,心理物理学,脳機能イメージング,計算論的神経科学といったさまざまなdisciplineからなる学際的領域であり,また実験対象も人間からサル,ラット,マウスと多様なものが扱われている。このような学際的領域を発展させるためには1) 専門分野を超えた共同研究(情報交換)の促進と2) 研究者の層の厚みを増やすこととが不可欠である。そこで本研究会では,認知神経科学における2つの重要なトピック「注意と意志決定」に絞ったうえで,1) 共通するテーマに関連するさまざまな研究領域から,2) アクティブに研究成果を出している実際上の研究実施者を中心にして人選を行った(口演発表8件)。内訳は,神経心理(1名),サル電気生理(2名),脳機能イメージング(2名),計算論的神経科学(1名),心理物理学(2名)であり,広範な領域から最新の話題を提供してもらった。発表では議論の時間を多く取ることによって,特定のテーマについて様々な角度から議論を深める形式を採用した。また本研究会の特色として,講演者以外にも指定討論者として研究活動のアクテビティが高い研究者を招き,より活発で深化した議論を目指した。さらに,各講演に対して座長を2人配置することにより,議論のリードがよりスムーズになるように配慮した。また,初日の口演発表終了後にポスター発表の場を設定し,若手研究者中心に現在進行中の研究を発表してもらい,参加者相互の交流促進を促した(ポスター発表17件)。

 本研究会への参加人数は生理学研究所所内から32名,所外から69名と参加者総数が100名を越えた。熱気溢れる会場で,広範な分野から活発で質の高い議論がすべての講演において交わされ,研究会参加者から高い評価を得ることができた。

 

(1) 脳損傷患者における注意と意思決定

鈴木匡子(山形大学大学院医学系研究科高次脳機能障害学)

 視覚性注意の方向や広がりが,処理しうる視覚対象を規定する一方,視覚対象を扱う課題の性質が視覚性注意の範囲を限定する可能性がある。このような視覚性注意と視覚対象の処理の相互作用を知るために,脳損損傷患者における実験的観察を行った。(1) 両側頭頂葉梗塞における視覚性注意障害:規則的な図形の間にある線分を指示することはできたが,規則的に並んだ文字の間にある線分には気付かず,指示することができなかった。これは同一空間内でも,より有意味な対象に優先的に視覚性注意が向くことを示唆している。(2) アルツハイマー病(視覚型)における視覚性注意の配分:同一の視覚性対象であっても,口頭で質問に答える場合に比べて模写等をする場合は視覚性注意の範囲が著しく狭まった。また同じ描画でも,手本の模写より記憶からの想起のほうが全体を捉えられた。このことから,より正確な視覚性処理を必要とするときは,視覚性注意の範囲は狭くなると考えられた。(3) 半側空間無視:模写の質的特徴の観察および新たに考案した抹消課題により,自己の体軸を中心とした片側空間に対する無視,置かれている空間に関わらずひとつの視覚対象の片側に対する無視があることが示された。

 

(2) 注意のトップダウン制御原理−次元加重,課題構え,探索モード

熊田孝恒(産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門
認知行動システム研究グループ)

 特定の刺激特徴に対する処理を重みづけが行われる「特徴探索モード」では,その構えに合致した妨害刺激が提示された場合に干渉効果(随伴性注意捕捉)が生じる。そのため,標的対象への重み付けと妨害対象からの干渉の回避を最適に行う機構が存在すると考えられる。

 左右の前頭葉損傷患者を被験者とし,探索モードの選択と実行にかかわる脳部位を探ったところ,右の前頭弁蓋部を損傷した患者において「特徴探索モード」を採用したときに,妨害刺激による随伴性注意捕捉の頻度が増大した。前頭弁蓋部の機能を推定するため,健常被験者を用いて,以下の4つの要因を検討した。(1) 刺激のクオリティ低下,(2) 直前に利用した特徴加重のキャリーオーバー,(3) 空間的注意の焦点化の失敗,(4) 次元加重の不完全な設定。その結果,入力刺激のクオリティが低下した場合に,標的と非標的の競合が増大し,随伴性注意捕捉の生起率が向上した。また,事前の次元加重からの負のキャリーオーバーの効果が生じている可能性も明らかとなった。これらの結果から,右前頭弁蓋部が,設定されたモードに応じて,入力刺激間の競合の解消や,過去の次元加重履歴と現在の刺激との競合の解消にかかわる役割を担っていることが示唆された。

 

(3) 行動価値予測の誤差とリスク−行動適応における
前頭前野内側部の役割

松元まどか(理化学研究所脳科学総合研究センター認知機能表現研究チーム)

 動物は,環境が変化すると,行動を変化させることによって環境に適応する。この行動適応において前頭連合野が果たす役割を明らかにするため,行動学習課題を行っているサルの前頭連合野内側部と外側部から,単一神経細胞活動を記録した。行動学習ブロックにおいて,行動結果を示すフィードバック刺激に対して活動を高める神経細胞が内側部に見られた。これらの細胞には,正負のそれぞれのフィードバック刺激に選好を示す細胞があった。活動の大きさは,選択,実行した行動の価値予測における誤差に一致していた。また,行動を実行した後,フィードバック刺激を呈示する前の期間に,活動を漸増させる別の神経細胞が,内側部および外側部に見られた。トップダウン注意の制御に関与しているとされる外側部よりも,内側部の方が早く活動を開始していたことから,内側部はトップダウン注意制御のデマンドを表現していると考えられた。さらに,内側部の活動の大きさは,フィードバック刺激に対して期待される予測誤差の二乗平均平方根の値と一致していた。以上の結果は,行動適応において前頭連合野内側部が実行した行動の評価・調整,および行動結果へのトップダウン注意の制御に関与していることを示唆する。

 

(4) 注意が意思決定に変わるとき−変換場としての頭頂連合野機能

小川 正(京都大学大学院医学研究科認知行動脳科学)

 我々の周囲には多数の物体が存在し,複雑な視覚的世界を形成しているが,目標とする物体を視覚探索によって探し出すことができる。このような機能を説明するため,saliency map仮説が提案されている。仮説では,視覚情報にもとづく外的要因と,意図・知識などにもとづく内的要因に依存して各刺激の重要性を表現する二次元視野地図が形成されるが,刺激特徴や文脈,及び目標を探索するための意図・知識などの個別の要因に対して特異性をもたずに視覚刺激の重要性を表現する。

 本研究では,このような「普遍的な視覚刺激の重要性」が表現されている可能性をサルの後頭頂連合野 (LIP, 7a) からニューロン活動を記録することによって調べた。その結果,(1) 特定の外的要因(特徴,文脈)と内的要因(注意状態)が組み合わさった場合にのみ目標刺激に対して活動強度を増大させるニューロン群と,(2) 条件にかかわりなく目標刺激に対して活動強度を増大させるニューロン群が見出され,両者は同一部位に存在していた。前者は,後者の普遍的な視覚刺激の重要性 (saliency map) 導くために部分的な解答を提供していることから,saliency map表現への変換過程の場として後頭頂連合野が寄与していることが示唆された。

 

(5) 情動に基づく意思決定のための大脳基底核関連回路

中原裕之(理化学研究所脳科学総合研究センター理論統合脳科学研究チーム)

 現在にいたるまでの脳研究の知見から,大脳基底核回路は,大脳皮質などの他領野とともに意思決定,特に報酬関連や情動を含む意思決定と運動制御に大きな役割を果たすと考えられる。講演では,これらの知見に関連した私どもの研究を中心に話す。第一に,これを良い機会とし,今までの私どもの大脳基底核関連回路の研究を俯瞰したい。例えば,大脳皮質・大脳基底核の並列回路の機能や,報酬予測誤差としてのドーパミン神経細胞活動の特性などに関する研究である。第二に,この俯瞰と共に,近年の脳研究の知見を鑑みつつ,基底核回路が関連する意思決定の脳内メカニズムについて,私どもの研究の視点から重要と思われる論点を整理したい。第三に,時間が許せば,その論点とともに,より一般的な視点からいくつかの仮説を議論する。

 

(6) 社会的状況における意思決定のメカニズム

春野雅彦(国際電気通信基礎技術研究所脳情報研究所)

 During behavioral adaptation through interacting with human and non-human agents, marked individual behavioral differences are seen in both real-life situations and games. However, the underlying computational process and neural mechanism are not well understood. Here, by neuroimaging subjects trying to maximize monetary rewards by learning in a prisoner's dilemma game, we show that activity in the superior temporal sulcus(STS) is correlated with the subject's ability to consider the agent's strategy into reward prediction, and this STS activity can predict individual differences in learning performances. These results indicate that by achieving reward prediction based on the agent's strategy, the STS plays a crucial role in extending human social intelligence beyond simple conditioning by incorporating the agent's interactive characteristics into reward prediction.

 

(7) ヒトにおける金銭的価値の脳内表現−機能的MRIによる
神経経済学的研究

筒井健一郎(東北大学大学院生命科学研究科脳情報処理分野)

 脳内において報酬や罰,あるいは刺激や行動の価値がどのように表現されているのかについて,いまだ不明な点が多い。そこで,本研究では,ヒトの脳において金銭的な価値がどのように表現されているかについて,機能的MRI法を用いて調べることにし,とくに以下の二つの点について明らかにすることを目的とした。一つ目は,金銭的な報酬(利得)と罰(損失)が脳内の異なる領域で別個に表現されているのか,あるいは,同一の領域で統合された形で表現されているのかということである。二つ目は,金銭の絶対的価値と相対的価値がそれぞれ脳内のどのような領域で表現されているのかということである。実験の結果,絶対価値と相対価値,およびそれらの利得と損失について,それぞれ異なる脳領域が関係していることが明らかになった。絶対的価値に関連して賦活した領域は,先行研究によると快あるいは不快な情動体験に伴って賦活しやすい領域であることから,金銭の損得にともなう直接的な情動体験と関係していると考えられる。一方で,相対的価値に関連して賦活した領域は,反実仮想的 (counterfactual) な思考やそれに伴う情動,あるいは,報酬情報を基にした意思決定など,金銭に関するより認知的な過程にかかわっている可能性がある。

 

(8) 意思決定の適当さ

渡邊克巳(東京大学先端科学技術研究センター(認知科学分野),
(独)産業技術総合研究所,(独)科学技術振興機構)

 「正しい」意思決定のイメージは,外界の情報を正確に取り込みながら,個人的な好みに基づいた判断過程経て,最終的な行動に至るという一連の時間軸に沿ったものであろう。この意味での意思決定には,外界のルール,自分の能力,自分の好み,自分の思考過程などに関する正しい認識など,いくつかの前提が必要となると考えられている。しかし,現実の場面ではこのような前提条件が成り立たないことが多く,実験室での心理物理実験や質問紙を使った実験でもそのようなことが確かめられている。外界のルール,自分の能力,自分の好み,自分の思考過程の結果などの「正しい」意思決定に必要とされている条件が,かなり曖昧であり,適当に決められている可能性を示す実験例を紹介し,意思決定のpostdictive(事後的)な側面について議論する。

 


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